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投稿日: 2014/12/14(Sun) 12:16
投稿者Ken
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タイトルサムエル記一

『サムエル記一』

 このあたりから、バイブルの史料としての信頼性が高まってくる。ここからの四書は、王国の誕生、発展、分裂、滅亡を述べたもので、元は『サムエル記』と『列王記』の二書だったが、どちらも分量が多く、本が巻物だった時代には不便なので、それぞれ第一書と第二書に分けられた。同じ四書をカトリックでは、列王記の第一、第二、第三、第四書としている。

 サムエル記第一書は、エルカナという人物がシロの町へ行くことから始まる。彼の妻ハンナには子供がなかったので、シロの神殿で子を授かるように祈り、授かった子はナジルとして神に仕えさせることを誓った。こうして生まれた子供がサムエルである。この当時はシロが信仰の中心地で、エルサレムが取って代わるのはもっと後のことである。

 この頃になると、イスラエルへの脅威として残るのはペリシテだけになっていた。この最強の敵は、沿岸地方のみかユダ族も支配していたことは、士師記の記述からも分かる。

士師記15章11節:ユダの人々がサムソンに言った、ペリシテ人が我々を支配していることを知らないのか

 とくにエフライム族がエフタに討たれて弱体化すると、攻勢に出たペリシテ人との激しい戦いが起こるようになる。イスラエルは緒戦で敗れ、挽回のために神との契約の箱を陣中に持ち込むが、さらに破滅的な大敗を被り、契約の箱までペリシテに奪われてしまう。この戦いは前一〇八〇年頃と思われ、その後の半世紀は、ペリシテがイスラエル全土に力を及ぼした。

 もっともバイブルの著者の関心は、奪われた契約の箱にあるようだ。記述によると、ペリシテ人はこの箱に宿るイスラエルの神を大いに恐れ、小さな災いでもすべて神の怒りと考えて、次々と置き場所を変えた挙句に、本拠から遠く離れたキルヤト・エアリムという地に長く留め置いたという。そこはユダ族の地に最も近かった。

 さて、ハンナがシロの神殿で祈って生まれたサムエルは成長し、兵を集めてペリシテと戦うまでになった。

サムエル記一7章5節:サムエルは命じた、全イスラエルをミツパに集めよ

 このサムエルの軍勢はペリシテ人に大勝したと書かれているが、それはかなり疑わしい。それほどペリシテ人が損害を被ったのなら、この後にサウルが何年もペリシテ相手の苦闘をせねばならなかったはずがない。後世の編者がサウルやダビデの功績を、預言者サムエルの功績にすり替えたと思われる。むしろサムエルの支配の実態を表すのは、

サムエル記一7章16節:彼は毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り、それらの地でイスラエルのために裁きを行い、

 という一節だろう。これらはエフライムとベニヤミンの地で、ペリシテに抵抗するゲリラ基地だったと思われる。やがてサムエルが老いると、ペリシテ人に勝つには王が必要だという声がイスラエル人の間で高まった。サムエルは、王などを持てば圧制の下で生きることになると警告するが、これもサムエルというより、後世の編者の見解だろう。この後サムエルは王に適した人物を捜し求めるからである。そして彼はベニヤミン族の一人の若者を見いだした。

サムエル記一9章1節:ベニヤミン族にキシュという名の男がいた
サムエル記一9章2節:彼にはサウルという名の息子があった

 サウルは長身で見栄えがよく、人々の支持を集めそうだし、まだ年若いから自分の言うことを聞くと、サムエルは考えたのだろう。

サムエル記一10章1節:サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った、主が君に油を注がれた、と

 王の即位に油を注ぐのは、石鹸の発明前、香油で汚れを落としたことに由来するのだろう。神の前に出る者は身を清めねばならないのだから。ただしこの即位式は内密に行われ、このあと人々の前でサウルが神託の籤で選ばれたことにし、即位を宣言した。前一〇二八年のことだ。

 当初、人々は無名のサウルに不安を抱くが、彼の力量を試す機会はすぐに訪れた。

サムエル記一11章1節:アンモン人のナハシュが攻め上って来て、ヤベシュ・ギレアドの町を包囲した

 ヤベシュ・ギレアドは、ペリシテ人に支配されたイスラエルの援軍は得られないと思い、開城を申し出るが、ナハシュが出した条件は全住民の右目をえぐることだった。パニックに襲われたヤベシュの住民は、サウルに救援を求める手紙を送った。するとサウルは兵を集めて救援に向かい、アンモン軍を撃ち破り、ヤベシュ・ギレアドを救った。

 この報せは全イスラエルを沸きたたせた。ついにペリシテと戦える将軍が現れたという歓喜の中で、サウルは二度目の即位を行う。一度目と異なるのは、即位式にサムエルが関与しないことである。

 ヤベシュ・ギレアドは、その後サウルの最も忠実な味方となる。サウルの力がどれだけ落ち込んだ時も、この町だけは裏切ることがなかった。

 いよいよサウルはペリシテとの戦いを始めるのだが、第13章の冒頭におかしな記述がある。

サムエル記一13章1節:サウルがイスラエルの王となり、二年たったとき、
サムエル記一13章2節:三千のイスラエル兵を選んだ。そのうちの二千人はサウル自身が、千人をヨナタンが指揮して

 ヨナタンはサウルの息子である。サムエルがサウルを即位させた時、明らかにサウルは非常に若い男だった。それが二年後に、軍の指揮を任せられる年齢の息子がいるのはあり得ない。この部分は誤訳があったと考えるしかなく、サウルがペリシテとの戦いを始めるまでには、息子が成人するほどの年月が介在したのだろう。最大の難問は、ペリシテが鉄の武器を持っていることだった。

サムエル記一13章19節:さて、イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブライ人に剣や槍を作らせてはいけないとペリシテ人が考えたからである

 この状況下で鹵獲・購入・技術習得の手段で武器を揃えるのに、それだけの年月を要したと考えるべきだろう。

 戦いはヨナタンが攻勢に出たときに始まった。サウルはまだ時期ではないと判断して、軍を動かさなかったが、ヨナタンは小部隊でミクマスのペリシテ陣を奇襲し、これをイスラエルの主力と信じたペリシテ軍を逃走させた。ヨナタンは勝ったが、命令違反を怒ったサウルは息子の処刑を命じた。しかし将兵がヨナタンを支持して処刑の実行を許さず、父子の間にしこりを残すことになった。それでもヨナタンの勝利はペリシテ人を本拠地の沿岸部へ押し返し、サウルの活動を大いに助けた。サウルは対ペリシテ戦の側面を固めるため、南のアマレク人を討ち、王のアガグを捕虜にした。

 ところが今度はサムエルとサウルの間に対立を生じた。サムエルは預言者の一団を率いる指導者だったが、この時代の預言者は、歌い、踊り、陶酔状態で発する言葉を神の言葉であるというような存在だった。サウルもこのような預言者への人々の信仰に支えられていたが、ヤベシュ・ギレアドで勝利してからは、むしろ彼らの、ひいてはサムエルの、影響を脱しようとした。例えば、預言者たちは、異教徒アマレク人を殺し尽くせと要求したが、無用の流血を嫌うサウルは要求を断り、アガグ王も生かしておいた。激怒したサムエルは、自らアガグを処刑し、サウルに向かって、王の資格なしと宣告する。

サムエル記一15章23節:君は主の言葉を拒んだ。よって主は君の王権を拒むだろう

 サムエルはサウルに対抗する勢力として、ユダ族を利用しようとする。

サムエル記一16章4節:そしてサムエルはベツレヘムへ行った

 ここまでのユダ族は非常に影が薄く、本当にイスラエルの一部族なのかも疑われるほどである。デボラの歌にはユダ族が登場しないし、ギデオンやエフタの戦いにも登場しない。サムソンを助けるどころか、彼をペリシテ人に売り渡している。一方、ユダ族にしてみれば、砂漠に近い南部にはヤハウェ信仰が純粋な形で保持されているのに、イスラエル北中部はカナン先住民の密集地で、異教徒の影響が強すぎると見えたであろう。

 サムエルはベツレヘムのエッサイを訪れ、末子のダビデに注目した。

サムエル記一16章12節:彼は血色が良く、見た目が良かった
サムエル記一16章13節:サムエルは油の器を取り、兄弟たちの中で彼に油を注いだ

 またもサムエルは見栄えの良い青年を王にしたのだ。

 同じ頃、サムエルの支持を失ったサウルは荒れていた。精神安定には音楽がよいと竪琴の名手をそばに置くことを薦める者がおり、彼の元へ来たのがダビデだった。ダビデの演奏は見事で、サウルの信頼を得た彼は、やがて戦争についてもサウルから学ぶようになる。もちろんダビデがサムエルの手で王位に就いたことは秘密である。ダビデをサウルに推薦した人物も、サムエルに通じていたのだろう。

 ダビデがサウルの家臣になった経緯には全く別の話があり、バイブルはどちらも載せている。こちらはペリシテ相手の戦場が舞台で、なかなか戦いの勝負がつかなかったのだが、ペリシテの陣から一人の戦士が進み出た。

サムエル記一17章4節:ガトのゴリアテといい、背丈は六キュービトと一スパン

 このゴリアテが、自分とイスラエルの勇士で一騎打ちを行い、戦の勝敗を決しようと申し込んだ。エッサイの三人の息子がサウルに従軍しており、ダビデは兄たちへの届け物を持ってきていたが、誰もゴリアテの挑戦に応じないので、彼自身が対決して投石器でゴリアテを斃した。ペリシテ軍は敗戦を認めて撤退した。有名すぎる話だが、真実のはずがない。なぜ一騎打ちの敗北が全軍の敗北になるのか。(※三国志にも、関羽や張飛が一騎打ちで敵将を斬ったので、劉備軍が勝つシーンがいくつもあるが、ゴリアテは一兵士にすぎない※)実は、後年ダビデが軍勢を率いてペリシテと戦ったときの記述に、こういう一節がある。

サムエル記二21章19節:ベツレヘムのエルハナンが、ガト人ゴリアテを打ち殺した

 ゴリアテが死んだのは実はこの時で、エルハナンというベツレヘムの男の手柄を、同じベツレヘムのダビデの手柄に変え、さらに粉飾して、それで敵軍が逃げたことにしたのに違いない。

 どういう経緯でサウルに仕えたにせよ、ダビデは有能な部将として頭角を現し、さらにヨナタンと深い友情を結ぶ。しかしサウルは次第にダビデを競争者として、疑いの目で見るようになる。ヨナタンからも忠告されたダビデは結局逃亡した。その後はサウルの追っ手から逃げるものの、逃げ続けることはできないと判断した彼は、ペリシテ人のところへ行くのである。

サムエル記一27章2節:ダビデは六百人と共に、ガトの王アキシュのもとに移って行った

 アキシュはサウルと戦うための有能な将軍を得たことを喜ぶのだが、やはりこれをみると、ユダ族はイスラエルからは独立した勢力で、イスラエルと同盟してペリシテを討つことも、ペリシテと同盟してイスラエルを討つこともある、ということだろう。ダビデのこのくだりは、バイブルの記述に苦心の跡が見え、アキシュにはイスラエルと戦っていると思わせておいて、実はアマレク人と戦っていたなどと書いているが、そんなごまかしが通るはずがない。イスラエルと戦うために雇われたダビデは、イスラエルと戦っていたに違いないのだ。

 ペリシテにとって、ユダ族も祭司勢力もサウルを捨てた今こそ、攻勢に出る好機だった。

サムエル記一28章4節:ペリシテ人も集結し、シュネムに来て布陣した。サウルはイスラエルの全軍を集めてギルボアに陣を敷いた

 ペリシテ人は、さすがにサウル王家とじかに戦う戦場では、ダビデの寝返りを心配したらしく、彼を参陣させずに帰してしまった。こうして前一〇一三年のギルボアの戦いが起こり、ペリシテの大勝に終わる。ヨナタンは戦死し、サウルは自害した。サウルが積み上げた業績はすべて空しくなり、イスラエルは再びペリシテの支配を受けることになる。サウルの遺体はベト・シャンの城壁に晒されたが、彼の恩を忘れないヤベシュ・ギレアドの民は、戦ってサウルの遺体を回収し、鄭重に葬った。

 サウルの死で、サムエル記第一書は終わる。


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