Web Forum
[記事リスト] [新規投稿] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

投稿日: 2015/01/25(Sun) 20:11
投稿者Ken
Eメール
URL
タイトル列王記二(続き)

 今やユダだけが残り、アハズを継いだヒゼキヤは、アッシリアを怒らせないよう細心の注意を払いながら平和を守った。預言者イザヤが活動したのもこの時期で、イスラエルは異教の神を信じたから滅びたという主張が広く受け入れられた。ところが前七〇五年にサルゴンが死ぬと、ヒゼキヤは貢納をやめてしまった。アッシリアに逆らっても大丈夫と思ったのなら、それは大間違いで、サルゴンの後を継いだ王がユダに攻め込んだ。

列王記二18章13節:アッシリア王センナケリブは、ユダのすべての都市を陥落させた

 ヒゼキヤは貢納を復活させると申し出たが、センナケリブはエルサレムを包囲した。

 ところがエルサレムは陥落しなかったのである。理由ははっきりしない。バイブルはアッシリア軍に疫病が出て一晩で十八万五千人が死んだというし、ギリシャのヘロドトスはエジプトを攻めるアッシリア軍がねずみの大群に弓矢と鎧を食われたといい、エルサレム攻囲には言及しない。アッシリア自身の記録では、ユダから貢ぎ物を得て軍を返したとある。ただこの時代のアッシリア帝国は諸民族の慢性的な反乱に悩んでおり、とくにバビロニアのカルデア諸部族に手を焼いていたことが真の理由だろう。

 センナケリブもまた暗殺され、しかも二人の暗殺者は実の息子だった。三人目の息子が父の仇を討ち即位した。エサルハドンである。彼は、帝国内に反乱が絶えないのは、エジプトが資金を提供して指嗾しているからだと考え、問題の根源を絶つべく、前六七一年にエジプトを征伐した。

 ヒゼキヤは前六九三年に歿し、十二歳のマナセがダビデ朝第十五代の王となり、五十五年間在位した。依然アッシリアは強大で、預言者団は神を信じて戦えば必ず勝てると主張したが、マナセの政権はこれを弾圧した。

列王記二21章16節:しかもマナセは無辜の血を多く流させた

 イザヤ自身もこの時殉教したという。しかしマナセの治世は平和で豊かな世をもたらし、神を喜ばせたのは彼の側としか思えない。後世力を握ったヤハウェ教徒によって、ひたすら悪人として書かれてしまったが。マナセの死後アモンが王となり、父の方針を継続した。

 状況が激変するのは前六三八年、八歳のヨシヤがダビデ朝十七代の王となった頃である。まず、アッシリアの力が突然衰えた。これは諸国を勇気付け、ユダの預言者団は国粋主義を鼓舞し、ヨシヤは成長するにつれ国粋主義とヤハウェ信仰に傾倒してゆく。前六二五年、ヨシヤ二十一歳のとき、アッシリア最後の優れた王が歿し、帝国はたちまち瓦解した。前六二〇年には、マナセ、アモン王の下で荒れるにまかせていた神殿が修復され、それがある発見につながった。

列王記二22章8節:祭司長ヒルキヤは書記シャファンに、神殿で律法の書を見つけたことを告げた

 この「律法の書」は申命記のことだと、多くの研究者が考えている。マナセ王の弾圧時代に秘かに書かれ、神殿に隠されたのだろう。それがヤハウェ信仰に共感する王の下へもたらされたのだ。ヨシヤは強い影響を受け、異教を根こそぎ排除し始めた。

列王記二23章10節:ヒノムの子等の谷にあるトフェトを穢し、誰も息子や娘をモレクの下へ火の中を行かせないようにした

 人身御供を止めただけではない。彼は長く廃れていた過ぎ越しの祭りを復活させた。

列王記二23章22節:イスラエルを裁いた士師の時から、イスラエルの王の世も、ユダの王の世も、過ぎ越しの祭が行われることはなかったのだ

 ヤハウェ信仰はこのとき一線を越えた。これ以後、例え王たちが信仰を後退させても、民がそうすることはなかった。敗戦すらも人々の信仰を強めるようになった。イスラエルとユダの、競合する宗教の一つに過ぎなかったヤハウェ教が、民族のユダヤ教となったのである。

 しかし事態はユダ王国を超えたところで進行し、ヨシヤの運命もそれで決まることになる。アッシリアのエサルハドンの後を継いだのがアッシュールバニパルで、優れた王だったが、バイブルには登場しない。彼が征服よりも防戦一方に追い込まれたからだろう。黒海の北から南下するキンメリア人がアッシリアを苦しめぬき、エサルハドンに敗れてからもエジプトの反抗は収まらない。バビロニアのカルデア人討伐は成功せず、その東に興ったメディア人とも戦わねばならなかった。前六二五年にアッシュールバニパルが死ぬと、カルデアとメディアの連合軍がアッシリアになだれ込み、前六一二年、首都ニネベを落として、帝国の息の根を止めた。

 エジプトでは、前六一〇年に第二十六王朝のネコ二世が即位し、アッシリアの残存勢力を討つために軍を進めた。エジプトの干渉を受けたくないヨシヤは、サマリアのメギドの地でエジプト軍を迎え撃ち、大敗して、彼自身も戦死する。息子のヨアハズがダビデ朝十八代の王になるが、ネコは許さず、ヨアハズをエジプトへ連行し、弟のエホヤキムを十九代目の王に据えた。預言者団にけしかけられて父が滅ぶのを目撃したエホヤキムは、この国粋主義者たちを許せなかったらしい。

列王記二23章37節:彼(エホヤキム)は、主の目に邪悪なことを行った

 アッシリアを滅ぼしたカルデアは、エジプトの蠢動を許すつもりはなかった。討伐に赴いた王子がネブカドネザルで、前六〇五年に即位してネブカドネザル二世となった。彼の国は、新バビロニア帝国とも、カルデア帝国とも呼ばれる。彼はネコ二世のエジプト軍を大破し、アッシリアの残存勢力も一掃した後、ユダのような小国にも圧迫を加えた。

列王記二24章1節:バビロンの王ネブカドネザルが来て、エホヤキムは三年の間臣下として仕え、その後反旗をかかげた

 反旗を掲げたのは前五九七年だが、成功するはずがない。エホヤキムは死んで、息子のエホヤキンが第二十代の王となったが、ネブカドネザルがエルサレムを攻め、王を含む一万人を連れ去ったので、その治世は三か月にすぎなかった。ネブカドネザルは、エホヤキンの叔父ゼデキヤを傀儡王として据え、これがダビデ朝第二十一代の、そして最後の、王となった。この王もまたエジプトの誘いに乗り反旗を揚げるが、エジプトが支援の約束を反故にするのもこれまでどおりだった。前五八六年、バビロニア軍が殺到してエルサレムの町も神殿も破壊し、大量の人々をバビロンへ連れ去り、ここにユダ王国はダビデの即位から四百二十七年で滅亡した。

 だがここで、その後の人類史に重要な影響を与えた事態が進行した。バビロンへ連れ去られたユダの民は、かつてアッシリアへ連れ去られたイスラエルの民のように、消え去ることがなかったのだ。それを象徴するような、王国の滅亡後に起こった小さな出来事が記録されている。

列王記二25章27節:ユダの王エホヤキンが囚われて三十七年経ったとき、エビル・メロダクは、彼を牢から出した

 エビル・メロダクはネブカドネザルの後継者である。明らかに彼はユダヤ人との宥和を試みている。そしてエホヤキンの解放を記して、列王記は筆を結んでいる。「まだ物語は終わらない」その気配を残しつつ。


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ
Eメール 非表示
タイトル
メッセージ    手動改行 強制改行 図表モード
URL
パスワード (英数字で8文字以内)
プレビュー

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No パスワード

- Web Forum -