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投稿日: 2015/02/08(Sun) 21:50
投稿者Ken
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タイトル歴代誌一、歴代誌二

『歴代誌一』

 列王記に続く歴代誌は、バイブルの始まりからエルサレム陥落までを、再度述べたものである。書かれたのはバビロン捕囚を経た前四〇〇年頃で、ユダ王国の滅亡から二世紀を経た時代の精神を反映している。一番の特徴は、ユダ王国とダビデ王家の永続が、当然ながら、信じられていないことである。例えば、サムエル記に書かれた、預言者ナタンがダビデに伝えた神託ならこのようになるのだが、

サムエル記二7章16節:君の家と君の国は、永遠に続く

 しかし今や王国は消えて久しく、復活の見込みも全くない。そこで、これまでの歴史と神の言葉に再解釈を加えるべく書かれたのが歴代誌なのだ。何よりも屈辱の中で生きてきた人々に、自分たちの源流を自覚させる必要があった。それゆえ記述は先祖の系譜をたどることから始まる。

歴代誌一1章1節:アダム、シェト、エノシュ、

 第1章はヤコブ(イスラエル)の直前までで、第2章から十二部族の系譜が述べられる。ただし、圧倒的な重きを置かれるのがユダ族であるのはいうまでもない。

歴代誌一5章2節:なぜならユダは兄弟中で抜きん出て、子孫に最高統治者がでたのだから

 そしてユダ王国の四部族(ユダ、シメオン、ベニヤミン、レビ)を扱うのが二百五十八節もあり、ユダ族だけで百節に及ぶのに、イスラエル王国の部族は全部合わせても五十節でしかない。

 ダビデへ至る系譜はこう書いている。

歴代誌一2章11節:サルマの子がボアズ
歴代誌一2章12節:ボアズの子がオベド

 オベドの母ルツの名が出ていない。女系の系譜を記している箇所もあるので、母親だから書かなかったわけではないだろう。歴代誌の著者にとって、ルツ記のフィクション性が明白だったか、もしくはダビデにモアブの血が入っていることなど認められなかったか、どちらかと思われる。

 ダビデの息子は正妻たちが産んだ十九名だけが挙げられ、ソロモンは十番目になっている。ソロモン以降はユダの王位に就いた者だけを挙げるが、ヨシヤにきて初めて複数の息子の名があり、

歴代誌一3章15節:ヨシヤの子はヨハナン、エホヤキム、ゼデキヤ、シャルム
歴代誌一3章16節:エホヤキムの子はエコニヤ

 しかしここでは、ヨシヤ戦死の後に即位し、エジプトへ連れ去られたヨアハズが抜けている。一方でヨシヤやヨアハズと同時代に生きた預言者エレミヤが、このように述べている。

エレミヤ書22章11節:ヨシヤの子シャルムが、ヨシヤに代わって君臨し
エレミヤ書22章12節:彼は幽閉先で死ぬことになる

 どうやらシャルムとヨアハズは同一人で、シャルムが本名、ヨアハズは王としての名と思われる。同様の例は他国にもあり、シリアのマリは即位してベン・ハダドになり、アッシリアのプルも即位してティグラト・ピレセルと名乗っている。現代でもローマ教皇がこれを行うのはよく知られている。実はエホヤキムも即位しての名で本名はエリアキム、最後の王ゼデキヤも、マタニヤが即位しての名であることは、列王記にすでに記述がある。

※日本の天皇の君主としての名は、歿後に付けられる諡号で、本来異なるものである。もっとも明治以後は元号をそのまま諡号にするから、結果的にバイブルに登場するこれらの王と同じ事情になっているが。※

 歴代誌はユダ滅亡後も、王家の子孫の名を前四〇〇年頃まで書いており、このことが歴代誌がその頃書かれたと推測される理由となっている。ただし歴代誌の関心は徹底して宗教が中心であり、そのためレビ族の系譜は、ユダ族に次いで詳しく語られる。

歴代誌一6章15節:ヨザダクはネブカドネザルに連行された

 ヨザダクはソロモン時代の祭司長ツァドクの十二代の子孫、ツァドク自身はアロンの子エレアサルの九代の子孫である。

 ダビデの事績も宗教面だけが語られ、彼の少年期も、サウルやヨナタンとの劇的な物語も、彼の罪も、晩年の苦悩も、すべて省略されている。ダビデの征服事業すらも、戦利品が神殿を飾るのに役立ったことだけが述べられるのである。反対に、神の契約の箱を神殿へ運び込む場面は、詳細に語られている。

 ただ一つダビデの罪に挙げられるのは、彼が行った人口調査だが、これもバビロン捕囚以前の記述とは明確に異なる。まず捕囚以前では、

サムエル記二24章1節:主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった、主は彼らを罰するためダビデを動かし、イスラエルとユダの人口を数えよ、と言われた

 このようにダビデを動かしたのは神である。しかし人口調査が罪であるなら、どんな理由にせよ神がそれを命じたとあっては、筋が通らない。一方、歴代誌の記述は、

歴代誌一21章1節:サタンがイスラエルに敵対し、ダビデを唆してイスラエルを数えさせた

 ヘブライ語のサタンは単に対立者を意味し、例えばシリア王のようなイスラエルの敵に用いられてきたが、神と対立する悪魔としてはこれが初登場である。この悪魔サタンが人間を唆し、罪を犯して神に背かせるという。罪の源泉としてのサタンの概念はペルシャ起源だろう。歴代誌が書かれた前四〇〇年頃は、ペルシャが最強の帝国として諸国民を支配下に置いていた。しかもその頃、ペルシャの神学は大預言者ゾロアスターの手で体系化され、その教義は強い影響力を持った。ゾロアスター教では、善の神アフラ・マズダと悪の神アーリマンが対等な立場で戦いを続け、森羅万象はその中で進行する。

 ユダヤ教も明らかにこれの影響を受けたが、ただサタンが神の対等者という点だけは受容できなかった。サタンは元天使で神によって天上界から追放され、人間に罪を犯させることを、最大の目的とするようになったという。エデンでイブをそそのかした蛇がサタンの化身であったという説も初めて登場する。またヨブ記の話が典型だが、サタンは神の前で人間を罵倒する。罵倒者を意味するギリシャ語のディアボロスが英語のデビルの語源である。

 なお、ゾロアスター教では邪神アーリマンのために戦うものをデーバというが、この言葉はデビルとは無関係で、インドで正しい神を意味するものである。隣接する民族の神を悪魔と呼ぶのは驚くには及ばない。ユダヤ人もカナン先住民の神をすべて邪神としたのだから。

※このペルシャの神とインドの神の関係は、いわばお互い様で、ペルシャの善の神アフラ・マズダのアフラが、インドではアスラになり、これはインド神話では邪神である。悪魔アスラは仏教神話にも入り込み、日本人にも馴染みの阿修羅になっている。※



『歴代誌二』

※アジモフのバイブル・ガイドは、新しい地名が登場すると、その地の歴史を語ることが多い。これまでは、あまりそれを紹介することなくきたが、歴代誌第二書の冒頭で述べられている、ある港町の話を紹介することにしよう。同様の説明はバイブル・ガイドを通して非常に多くみられる。※

 歴代誌の著者にとって、ソロモンの最大の功業が神殿の建築であるのは言うまでもないし、建設物資の多くをティルス王のヒラムから調達したことは、よく知られている。ソロモンの注文にヒラムは答えて言った。

歴代誌二2章16節:我らは木を伐り、海に浮べてジョパへ運ぶので、君はエルサレムへ運びたまえ

 ジョパは現在のジャファで、エルサレムから五十キロ北西に位置する地中海の港町である。エルサレムにとっては海への出入口といえる。エジプトのトトメス三世に占領されたのが歴史への初登場で、エジプトの衰退後はフェニキア人の支配下に入った。ヨシュアが領土を分配した時はダン族のものとされたが、実際にはダビデ以前にはイスラエルに支配されたことはない。その戦略的な位置のせいで、十字軍時代にはキリスト教徒とイスラム教徒の争奪対象となり、何度も支配者が変わるが、やがてトルコ帝国が支配を固めた。一九〇九年にこの地のユダヤ人がジャファの郊外にテル・アビブ市を建設し、第一次大戦後にパレスティナがイギリスの統治下に入ると、移民と資金が流入し、西欧風の町として急速に発展した。一九四八年イスラエルが独立した時はテル・アビブが暫定首都となり、一九五〇年に首都はエルサレムへ移るが、同じ年にテル・アビブとジャファが合併して、今ではイスラエル最大の都市となっている。

 ジョパはカナンの町としては珍しくギリシャ神話に登場する。ペルセウスがメドゥーサを退治しての帰途、ジョパの郊外で、岩に鎖で繋がれた若い女性を見つけた。これがアンドロメダで、エチオピア王の父ケフェウスと母の王妃カシオペアによって、海の怪獣への生け贄とされたのだ。ペルセウスが彼女を救ったのはいうまでもない。

 だがなぜジョパの君主がエチオピア人なのか? これは、神話作者の地理的無知というより、次のような事情があるからだろう。ギリシャ神話は太古のミケーネ文明からの伝承を多く受け継いだが、その頃にはエジプトの第十八、十九王朝が西アジアのカナン地方を支配していた。それゆえジョパにエジプト人支配者がいてもおかしくはない。ところが前八世紀にギリシャ人が地中海へ進出すると、エジプトをエチオピア人の王朝が支配していることを発見した。それなら、ジョパのエジプト人支配者がエチオピア人に置き換わるのは自然ではないか。

 神殿の建設地が選定された経緯を、歴代誌は次のように語る。

歴代誌二3章1節:そしてソロモンは主の家をエルサレムのモリヤ山に建て始めた。そこはエブス人オルナンの麦打ち場にダビデが用意した場所であった

 オルナンはサムエル記第二書ではアラウナの名で登場し、彼の麦打ち場でダビデが天使を見たという。そしてモリヤ山は創世記でアブラハムがイサクを生け贄に捧げようとした場所である。歴代誌の著者は、この二つの重大な出来事は同じ場所で起こったのであり、それが神殿の地であるというのだ。

 王国の分裂後は、歴代誌はユダの歴史のみを語り、北のイスラエルは完全に無視している。なにしろエリヤやエリシャへの言及すらない。そのユダの歴史でも、至高の存在は神殿であって、王家には良い王も悪い王もいた。そして王の評価を決めるのはヤハウェを奉じたか、それとも背いたかの一点のみで、良い王は必ず栄え、悪い王は例外なく災厄に見舞われる。このテーマが歴代誌を貫いているのである。例えばソロモンを継いだレハブアムは、列王記では、愚かさのせいで国を分裂させ、エジプトのシシャクの侵略をまねいた暗君だが、歴代誌の彼はヤハウェを奉じる名君で、分裂直後にイスラエルのレビ族が大挙して彼の元へ馳せ参じたという。

歴代誌二11章13節:全イスラエルの祭司とレビ族は、その地を離れて彼の所へ移った

 だがそんな記載は列王記にはない。おそらく最も近いのが、イスラエルのヤロブアムに関する次の一節だろう。

列王記一12章31節:彼はレビ族ではない最下等の人々を祭司にした

 それはレビ族の祭司がすべてユダへ移ったからで、正しい信仰はユダにのみ残ったと、歴代誌は言いたいのだろう。そのレハブアムも、当初はレビ族と正しい道を歩き大いに栄えたが、やがて律法に背き、罰としてシシャクの侵攻にさらされたという。しかもシシャクの軍勢を大誇張し、神に背くことがどれだけ恐ろしいかを強調している。

歴代誌二12章3節:千二百台の戦馬車、六万の騎兵、そしてルビム人、スキイム人、エチオピア人からなる無数の民

 あるいはまた列王記では、ユダのアビヤムとイスラエルのヤロブアムが戦い、強いはずのイスラエルが勝てなかったとのみ記し、詳細は語らないのに、歴代誌の著者にとっては、これこそ恰好の題材で、アビヤムが敵軍に向けてエルサレム神殿の神聖さについて演説したことで、ユダ軍の大勝利に終わったという。打ちのめされたヤロブアムはほどなく歿し、反対にアビヤムは大いに栄えたことになっている。アビヤムの子アサも正しい王で、列王記には記述のない一大国難を前にしても恐れる必要はなかった。

歴代誌二14章9節:エチオピアのゼラが百万の軍勢と三百の戦馬車でマレシャに襲来した

 アサは神に祈り、神はエチオピア軍を撃ち、アサの軍が大勝利したという筋書である。ただし、歴代誌に誇張があるといっても、その記述が全くの嘘であるとも言い切れないだろう。ゼラの侵攻は列王記には見られないが、そもそも列王記は常にイスラエルの話に重きを置いているのだ。歴代誌の記事は、国境の小競り合いを大会戦に話を膨らませたのかもしれない。

 そのアサも過ちを犯し罰を受ける時が来た。イスラエルのバシャに圧迫されてシリアと同盟したのだが、神の代わりにそんな外交に頼るのはそれだけで罪であり、アサは足の病に斃れたという。死の床にあってもアサには信仰心がなかった。

歴代誌二16章12節:彼は病にあっても、主ではなく医者を求めた
歴代誌二16章13節:それでアサは先祖のところへ行った

 これと同じ調子で各王の話が語られてゆくのだが、マナセまできて著者は困難に直面した。なにしろ異教を奉じヤハウェ教を弾圧した最悪の王であるのに、その治世は五十五年に及び、しかも列王記を読む限り彼の世は平穏だった。そこで歴代誌は次のように語る。

歴代誌二33章11節:主はアッシリア王の部将たちを遣わし、マナセを縛してバビロンへ連行させた

 歴代誌の著者が誇張はしても全くの嘘はつかないとすれば、この記述の元になった事実があったのかもしれない。マナセ時代のユダはアッシリアの属国で、マナセは忠誠を誓うために何度もアッシリアへ参勤している。とくに前六七二年の滞在時は、エサルハドンが息子のアッシュールバニパルへの継承をつつがなく行うために気を配っていた。彼が属国の王たちに忠誠を誓わせるため召集をかけたことはありうるし、帝都へ赴く王たちをアッシリアの部隊が護衛したかもしれない。王たちにすれば、属国が背かない保証として、アッシリアに留め置かれる心配をした可能性もある。歴代誌の著者はこういう事情を、王の連行と幽閉に誇張したのではなかろうか。

 とはいえ、マナセは無事帰還したし、彼の治世はその後も長く続いた。それを説明するには、マナセが罪を悔いて正しい王になったという、列王記にも、同時代人だったエレミヤの書にも書かれていない話をするしかなかった。

歴代誌二33章12節:マナセは苦悩の中で主を求め、たいへんに慎ましくなり、
歴代誌二33章13節:主に祈った。主は彼の望みを容れ、エルサレムへ戻した

 この「マナセの祈り」は、どれほどの罪人でも悔い改めれば許されるという教えを説く上で、重要な題材とされることになる。

歴代誌二33章18節:マナセの神への祈りは、イスラエルの王たちの書に記載がある

 イスラエルの王たちの書が列王記のことなら、そんな記載はない。ただ前一〇〇年頃、罪を悔いる祈りが無名の詩人に書かれ、その美しさから、アッシリアの地下牢にいたマナセの作ということにされた。当時エジプトのアレクサンドリアでは、プトレマイオス二世の援助で、バイブルのギリシャ語への翻訳が始まり、二世紀にわたって翻訳が進められたのだが、その中に『マナセの祈り』も入れられた。あるいは、初めからギリシャ語で書かれていたのかもしれない。一方ユダヤでは、紀元九〇年頃に学者たちが集まって、バイブルの諸異本を統一する作業を行った。二十年前にローマがエルサレムとその神殿を破壊し、各地に離散したユダヤ人をまとめるのはバイブルしかなかったからである。そこにはマナセの祈りは入らなかった。どう考えても、マナセよりはるか後の作であることは明白だったからだ。

 マナセとは逆のケースで、歴代誌の著者を困らせたのがヨシヤである。ヤハウェ信仰をユダ王国に根付かせた大功労者なのに、敗戦で戦死したことを説明せねばならない。長生きして亡国を見なかったのが彼の幸福という説明では、あまりにも弱いだろう。そこで歴代誌では、メギドの戦いの直前に、エジプト王がヨシヤに忠告したことにした。

歴代誌二35章21節:私は君と戦いたくはない、だが神が私に命じられるのだ、神に干渉してはならない、いま神は私の側におられるのだ

 しかしヨシヤは忠告を無視し、神の言葉に従わなかったので、死んだことにされた。

 ヨシヤ後のすべての王が神の意思に背き、預言者の言に耳を貸さず、国を滅ぼしたと書かれているのは、いうまでもない。


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