Web Forum
[記事リスト] [新規投稿] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ] [管理用]

投稿日: 2015/02/22(Sun) 22:51
投稿者Ken
Eメール
URL
タイトルエズラ記、ネヘミヤ記

『エズラ記』

 歴代誌の著者は、ユダ王国滅亡後の物語も語っているが、内容は一変する。亡国前は王と預言者の物語だったが、亡国後半世紀を経て始まるのは、バビロン捕囚から戻った貧しい人々が神殿を再興する物語である。このような時代的、内容的な断絶があるので、後者はエズラ記という別の書になったが、実質は歴代誌と一つの書といってよい。そのエズラ記自体も、やがてエズラ記とネヘミヤ記に分けられて今に残る。ユダヤの伝統では、書記エズラ自身がエズラ記の、つまり歴代誌の、著者とされるが、肯定否定どちらの証拠もない。

エズラ記1章1節:ペルシャ王キュロスの元年

 この書き出しは、実はそこへいたるまでの西アジア史の激動を省略している。

 アッシリアを打倒したのはカルデアとメディアの連合軍だった。メディアはアッシリアの北に広がる地域で、ニネベ陥落後はカルデアがバビロンを中心とした文明地域を支配したのに対し、メディア人は北方のはるかに広大な、しかし遊牧民が多い貧しい地域を支配した。世界最強の帝国はカルデアで、最大の都市はバビロンだったのである。ところが、メディアの支配下にあったペルシャ人が、優れた指導者キュロスを得て急速に力をつけた。キュロスはメディア王アステュアゲスの孫と伝わるが何の根拠もない。しかし前五五〇年にアステュアゲスから王位を奪い、ペルシャ帝国がメディア帝国に取って代った。前五三八年にはバビロンを攻略してカルデア帝国を倒し、旧アッシリア、小アジア、さらに東方へ広がる空前の大帝国となった。しかもキュロスは彼以前の帝国建設者と異なり、被征服民族を非常に穏やかに扱ったので、ペルシャ帝国は長く安定した統治期間をもつことができた。そしてバビロン捕囚のユダヤ人もその恩恵を受けた。前五三八年にキュロスは、

エズラ記1章3節:神の民の中に、エルサレムへ行き主の家を建てる者はいるか

 と尋ねたのだ。ユダヤ人を帰郷させ、神殿を再建させる意志の表明である。これに応じた者たちがいた。

エズラ記1章5節:するとユダ、ベニヤミン、そしてレビの長老が、主の家を建てるべく

 この三部族はすべてユダ王国である。二百年前に連れ去られたイスラエル王国の部族はもはや民族的自覚を失っていたのかもしれない。ユダ王国の部族でさえ全員がエルサレムへ戻ったわけではなく、バビロンから援助をした者も多かった。今の米国社会のユダヤ人が、イスラエルへ移住せず経済援助だけ行うのと同じ事情に違いない。彼らはバビロンで迫害を受けていたわけではないのだ。またキュロスは、ネブカドネザルが持ち去った旧神殿の財宝も提供した。

エズラ記1章8節:キュロスはそれをミトレダトに持ち出させ、ユダの王族シェシュバツァルの前で数えさせた

 シェシュバツァルはヘブライ語ではなくバビロニア語の名前である。アメリカのユダヤ人がアメリカ風の名を持っていることを思えば不思議はない。ユダの王族というが、それなら歴代誌に記載のある王家の子孫の一人なのだろうか。

歴代誌一3章17節:彼(エコニヤ)の子シェアルティエル、
歴代誌一3章18節:マルキラム、ペダヤ、シェンアツァル

 シェンアツァルもバビロニア語だが、エズラ記のシェシュバツァルのことではないか。(※もしそうなら、エコニヤつまりエホヤキン王の息子をエルサレムへ戻る人々の指導者にしたのだから、キュロスの度量の大きさが分かる。※)そのシェシュバツァルはエルサレムで神殿の再建に着手した。

エズラ記5章16節:シェシュバツァルは主の家の礎を設けた

 もっともシェシュバツァルは名目上の指導者で、真のリーダーは別にいたらしい。

エズラ記2章1節:さて囚われの境遇から抜け出した人々は
エズラ記2章2節:ゼルバベルと共に戻ってきた

 実はこのゼルバベルもシェシュバツァルのことだと考える人がいる。だがゼルバベルは別の箇所で別人として登場する。

エズラ記5章2節:シェアルティエルの子ゼルバベルが立ち上がった

 シェアルティエルはシェシュバツァルの兄だから、ゼルバベルはシェシュバツァルの甥になる。時代を考えればエホヤキンの息子はもはや老齢だったろうし、実際の仕事はその次の世代が担当したと考える方がよいようである。

 ところが再建を始めた人々は、予想外の抵抗に直面した。

 言うまでもなく、アッシリアもバビロニアも、イスラエルやユダの民を根こそぎ連行して、後に空地を残したのではない。大半の民衆は後に残り、アッシリアが送り込んだ移民と混ざり合って、いわゆるサマリア人となっていた。一方バビロンへ移ったのは支配階級、知識階級の人々で、亡国の悲運に耐えるために、ユダヤ教の教義を先鋭化させ、かつバビロン神話の影響も少なからず受けた結果、故地に残った人々とは非常に異なる宗教をもつにいたった。故地の人々から見れば、やってきたのは自分たちのやり方を絶対に曲げないよそ者であり、帰還した人々からみれば、地元民はユダヤ教の亜流しか知らないよそ者だった。この事情は二十世紀に欧米諸国からイスラエルへ移住したユダヤ人と、そこに住んでいたアラブ人の関係とまったく同じで、二十世紀と同様の衝突が、ペルシャ帝国時代のユダヤ人とサマリア人の間にも起こったのである。

エズラ記4章1節:ユダとベニヤミンの敵(サマリア人のこと)が
エズラ記4章2節:ゼルバベルの元へ来て、共に建設を行いたいと言った
エズラ記4章3節:だがゼルバベルは彼らに言った、諸君には関係ないことだ

 きっとサマリア人は純粋に神殿建設に参加したかったのだろう。だがゼルバベルは四世紀前に王国を分裂させたレハブアムと同様の傲慢さで応じ、同様の敵対関係を生み出す結果となった。

 サマリア人はペルシャ王に訴えた。

エズラ記4章4節:そこで地元の民はユダの民を弱め、建設を妨げた
エズラ記4章5節:そして廷臣を買収して妨害工作をペルシャ王キュロスの治世に、さらにはペルシャ王ダレイオスの治世までも行った

 キュロスの歿後に王位を継承したのがカンビュセス、その次がダレイオスである。ダレイオスは内政と外征に実績を残し、ペルシャ帝国は最盛期を迎える。サマリア人の工作もむなしく、ダレイオスはキュロスが神殿の再建を許す命令を発していたことを確認し、事業への援助を与えた。

エズラ記6章15節:ダレイオス王の六年に神殿は完成した

 ダレイオス六年は前五一六年だから、破壊された神殿が七十年で復活したわけだ。

 だがこれですべての問題が片付いたのではなかった。その次の王の時も、サマリア人は告発書を送ったという。

エズラ記4章6節:アハシュエロス王の時、彼らはユダとエルサレムの住民を書面で告発した

 前四八六年にダレイオスが歿すると、クセルクセスが即位した。バイブルのアハシュエロスはクセルクセスのことと考えられている。この王の時に起こったペルシャ戦役は、古代ギリシャ史の大事件でありながら、ユダヤ人に無関係の出来事のため、バイブルには一切記述がない。なお、アハシュエロスとクセルクセスでは似ても似つかぬ名に思えるが、クセルクセスはギリシャ語で、ペルシャ語では彼の名はハシャヤルシャというから、頭にアが付くだけで、ずっと近くなるだろう。

 次のアルタクセルクセス王の時も、サマリア人の妨害は続いた。神殿は再建されたが、次の問題としてエルサレムの城壁建設が持ち上がっていたのだ。サマリア人は、ユダヤ人がアッシリアやバビロニアに反乱を繰り返したことを指摘し、城壁など作らせればまた叛くと言い立てた。

 その告発書について、

エズラ記4章7節:その書簡はシリア語で書かれた

 という記述がある。このシリア語は、シリアにいたアラム人のアラム語で、ヘブライ語とは近縁関係にある。アラム語は西アジアの共通語のようになって広汎に通用し、イスラエルとユダの旧領すらも例外ではなかった。新約聖書の時代になると、イエスなどもヘブライ語よりもアラム語を使用していたのである。

 このあたりで、エズラ自身が登場する。

エズラ記7章6節:モーセの律法の書記エズラは、バビロンから到着した
エズラ記7章7節:それはアルタクセルクセス王の七年であった

 アルタクセルクセス一世は前四六五年に即位したから、治世の七年目は前四五九年で、この時にエズラはエルサレムへ着いたわけだ。エズラは書記というが、書記はそれまでの宗教指導者だった預言者とは、明確に異なる存在である。神の啓示を受ける預言者がしばしば異常な発言を行うのに対し、書記は確立された律法を人々に教え守らせるものだ。そしてこの頃になると、ユダヤ社会は宗教がすべての中心になり、王家の子孫が権威を失うのと反対に、書記は非常に大きな権威をもつようになる。

 そのエズラだが、彼が歴代誌の著者なら、歴代誌が書かれた前四〇〇年頃生存していたことになる。しかし前四五九年にエルサレムへ来たエズラは既に名のある指導者で、若い男とは思えない。それが前四〇〇年にまだいたのだろうか?

 もう一つの可能性は、エズラ記にいうアルタクセルクセスが一世ではなく、前四〇四年に即位した二世であることだ。それならエズラのエルサレム到着は前三九八年になる。実際はどちらなのか、バイブルの記述から明確に結論することはできない。

 そのエズラはエルサレムで、ユダヤ人と非ユダヤ人の間で、多くの婚姻が行われているのを見て衝撃を受け、そのような婚姻を厳禁し、異民族の妻も子も追放させた。あるいはユダヤ教を純粋な形で保つのに必要な措置だったかもしれない。しかし、そのような非寛容に反対する人々は、この当時でもいた。彼らの思いが、モアブ人女性の物語ルツ記として、この時代に作られたのだ。


『ネヘミヤ記』

 これもまた神殿再建にまつわる物語である。冒頭で主人公が紹介される。

ネヘミヤ記1章1節:ネヘミヤの言葉、

 ネヘミヤの回想を歴代誌の著者が編纂したのがネヘミヤ記で、物語の開始時期は二度記述されている。

ネヘミヤ記1章1節:二十年目の年、私はシュシャンの宮殿にいた
ネヘミヤ記2章1節:アルタクセルクセス王の二十年

 アルタクセルクセス一世ならその二十年は前四四六年、二世なら前三八五年になる。だが、もし歴代誌と同じ著者なら後の方は遅すぎるだろう。よって前四四六年つまり第二神殿が完成してから七十年ほど経た時代と考えられる。ネヘミヤはペルシャ王の給仕で、王と言葉を交わせる立場にいた。ネヘミヤは語る。

ネヘミヤ記2章6節:王が私に言われた。その時、王妃も同席されていて、


 バイブルに記載はないが、東洋の宮廷で王妃同席の場に仕えるとすれば、ネヘミヤはおそらく宦官だったろう。

 宮殿があるシュシャンはギリシャ語のスーサの名でよく知られる。エラム王国の都だったスーサは、ペルシャ自体よりもはるかに古い歴史を持つ。エラムはアッシリアと長く戦い続け、何度敗れても再起し、前六四〇年アッシュールバニパルの親征でついに滅亡した。このときスーサも灰燼に帰したが、やがてダレイオス一世がペルシャ帝国の冬の都として再建した。

 物語は、ユダヤ人の代表団がスーサに到着するところから始まる。代表団の目的の記載はないが、サマリア人がアルタクセルクセスに送った告発と当然関係があるはずだ。代表団は王に近侍するユダヤ人ネヘミヤを訪れ、エルサレムの城壁がサマリア人に破壊され、帝国の地方官吏もそれに加担したことを告げた。ネヘミヤは王を説き、首尾よく城壁再建と、ネヘミヤ自身がエルサレムへ赴いて作業を監督する許可を得た。ところが彼はエルサレムで強硬な反対に直面した。

ネヘミヤ記2章19節:ところがホロニのサンバラト、アンモンのトビヤ、アラビアのゲシェムはこれを聞き、王に謀叛を起こすかと言った

 サンバラトはバビロニア名でおそらく彼はサマリア人だろう。トビヤはヘブライ名でアンモンは外ヨルダンを意味し、彼はその地の総督だった。やはりサマリア人か親サマリアのユダヤ人だろう。アラビアのゲシェムは、この頃から歴史に登場する南方のナバテア人に間違いない。サマリア人だけでなく周囲の諸民族は、城壁が作られることを非常に懸念し、力づくでも阻止しようとした。サンバラト、トビヤ、ゲシェムはそれぞれ北のサマリア、東の外ヨルダン、南のアラビアを代表するが、敵は西にもいた。

ネヘミヤ記4章7節:アラビア人、アンモン人、そしてアシュドド人が激怒し、

 アシュドドはペリシテの町で、ここではペリシテ人の子孫一般を指すと思えばよい。

 ネヘミヤは屈しなかった。ユダヤ人の半数は城壁建設に、半数は警備に従事させた。建設作業も武器を帯びたまま進められ、おそらく近代イスラエルの農民が、銃を負いながら開拓村で耕作する光景と通ずるであろう。だがこうなると、勅許を得ているネヘミヤに対抗する手段がサマリア人にはなく、城壁は完成した。後世の史家ヨセフスによると、前四三七年のことという。

 ネヘミヤ記の8章から10章は、突然エズラの話になる。

ネヘミヤ記8章1節:そしてすべての民が集まり、書記エズラにモーセの律法を語ることを求めた
ネヘミヤ記8章5節:エズラは皆の前で書を開き、そして全員が立ち上がった
ネヘミヤ記8章18節:初日から最終日まで、エズラは毎日、神の法を読み聞かせた

 このときエズラは律法を読み聞かせただけではない。それまでにない改革を実行した。これまでは預言者の言葉や、神殿で「発見」された書が律法の基礎だったが、ここで初めて「トーラー」が完成し、すべてのユダヤ人が学び、一字一句まで遵守する聖典となったのだ。もはやユダヤ人がユダヤ教の道を外れることはありえなかった。やがてこの民族は、ネブカドネザルの時よりもはるかに大規模で、かつ長期にわたり、そして過酷な亡国と離散を経験することになるが、その中で信仰を守りぬくのである。


- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)

- 返信フォーム (この記事に返信する場合は下記フォームから投稿して下さい)
おなまえ
Eメール 非表示
タイトル
メッセージ    手動改行 強制改行 図表モード
URL
パスワード (英数字で8文字以内)
プレビュー

- 以下のフォームから自分の投稿記事を修正・削除することができます -
処理 記事No パスワード

- Web Forum -