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投稿日: 2015/07/26(Sun) 22:01
投稿者Ken
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タイトルマカバイ記一 (続き)

 ユダは自分たちの立場をさらに強めるため、西方のローマを利用することを考えた。

マカバイ記一8章1節:ユダはローマ人の名声を聞いていた

 ギリシャ人の間でローマの名が初めて恐怖を呼び起こしたのは、マケドニアの名将ピュロスがローマと戦って惨敗したときである。だが、ローマがカルタゴ相手の、互いの存亡をかけた死闘を始めたので、マケドニア人の諸国は安心して内部抗争を繰り返していた。だが彼らが期待したローマの崩壊は起こらず、カルタゴを滅ぼしたローマは、前二〇〇年には世界の最強国となっていた。わけても、ギリシャと西アジアの双方を苦しめたゴール人を、ローマが簡単に駆逐したことは、東方世界には驚嘆の眼で見られた。マカバイ記の第8章は、ローマがゴール、スペイン、マケドニア本土を次々と征するだけでなく、同盟国となったペルガモンなどを気前よく援助する様を語る。マカバイ記の著者がギリシャを激しく憎みながら、ローマには尊敬に近い気持ちを持っていたことは、はっきりと読み取れる。マカバイ記は、ユダがローマと同盟を結んだというが、真偽は不明で、あるいはユダがセレウコス朝に仕掛けた神経戦かもしれない。いずれにせよ、ローマはマカバイを援助する理由はないと思ったようだ。

マカバイ記一9章1節:ニカノルの大敗を聞いたデメトリオスは、バキデスとアルキモスの指揮で精鋭部隊を送った
マカバイ記一9章3節:百五十二年(前一六〇年)の最初の月で、敵はエルサレムの前で布陣した

 これまで勝ち続けてきたマカバイだが、ここへ来てついに帝国との動員能力の差が顕在化したようだ。大軍を迎え撃つユダの兵は八百人しかなかった。だがユダは退却よりも英雄の最期を選んだ。この戦いでマカバイ軍はほぼ全滅し、ユダ自身も父の旗揚げから七年で戦死した。

 今やマタティアの五人の息子のうち二人が亡くなり、長子ヨハネ、次子シモン、末弟ヨナタンの三人が残ったことになる。指導者にふさわしいと衆目が一致していたのは、ヨナタンであった。

マカバイ記一9章28節:ユダの仲間はこぞってヨナタンに言った
マカバイ記一9章30節:我らの公子、そして隊長として君を選ぶことにした
マカバイ記一9章31節:ヨナタンは受諾し、兄ユダに替わって立った

 だがマカバイ家の苦難は続く。ナバテアのアラブ人の援助を得るために赴いた長子ヨハネは、そこで殺害され、ついにヨナタンとシモンだけが残った。それでも一党はヨルダン川を越えて外ヨルダン地方へ出、そこを基地にユダヤ地方への襲撃を根気よく繰り返したので、ついにセレウコス朝の方が疲労し、帝国の宗主権を認める条件で、ヨナタンがユダヤを統治することを許した。その背景にあったのはセレウコス朝の内紛で、突如アレクサンドロス・バラスという人物が王位継承権を主張して現われ、エジプトやペルガモンのみかローマまでが支持を与えたので、デメトリオスはヨナタンの勢力を利用しようとしたのだ。おかげでヨナタンはエルサレムを手に入れるが、アレクサンドロス・バラスの方では、ヨナタンに祭司長の地位を約束して味方につけようとした。ヨナタンは受諾し、史上初めてユダヤ人以外が任命した祭司長が誕生した。

マカバイ記一10章21節:百六十年の七番目の月に、幕屋の祭りでヨナタンは聖衣をまとい、

 ヨナタンが幕屋の祭りの時期を選んだのは、祭司の家系でない彼が、異教徒の任命で地位に就くことへの反発を抑えるため、古い予言を利用したのだろう。

ゼカリヤ書14章18節:主は、幕屋の祭りを無視した異教徒を討たれるだろう

 デメトリオスも買収の値を吊り上げ、サマリアとガリラヤを含むユダヤの完全独立を条件に出すが、ヨナタンはもうデメトリオスを見限っていた。前一五〇年、デメトリオスとアレクサンドロス・バラスが決戦してアレクサンドロスが大勝した。デメトリオスは戦死し、アレクサンドロスはアンティオキアで即位した。新王はエジプトの王女を妃に迎え、その祝典にはヨナタンも招かれた。ユダヤはヨナタンの下で独立国となったのだ。

 だがセレウコス朝の内戦は終わらない。デメトリオスには同じ名の息子がおり、これがクレタの傭兵を伴って帰国したのである。彼はアンティオキアの王だけでなく、父を裏切ったヨナタンにも激しい攻撃を加えたが、ヨナタンはまるで兄のユダが復活したかのような力を発揮し、デメトリオス軍を打ち破る。

 このセレウコス朝の内戦につけ込んだのが、エジプトのプトレマイオス六世である。娘を嫁がせていたこの王は、アレクサンドロス・バラスの岳父のくせに野心に駆られ、軍を進めて、アレクサンドロスが不在のアンティオキアを占領した。アレクサンドロスは直ちに戻り、前一四五年、両軍が戦い、敗れたアレクサンドロスは敗走先で殺され、プトレマイオス六世も負傷してほどなく死んだ。これで漁夫の利を得たのがデメトリオスの息子で、結局、彼がデメトリオス二世として王になった。

マカバイ記一11章19節:こうしてデメトリオスは百六十七年に王となった

 もっともこの頃になると、内戦続きのセレウコス朝の領土をパルティアが容赦なく蚕食し、かつての巨大帝国もシリア一州を残すのみとなっていた。デメトリオス二世は何よりも軍資金に欠乏しており、軍隊の予算を削ろうとしたが、たちまち軍の支持を失い、軍人たちは王への反抗に出た。ヨナタンはこの機を捉えた。この時期でもまだエルサレムにはセレウコス軍の基地があり、ユダヤの攻撃に抵抗していたのだが、ヨナタンは窮地のデメトリオスに、エルサレムから完全撤退するなら味方になると申し出た。これに飛び付いたデメトリオスは、ユダヤ軍三千の力でアンティオキアの謀叛人たちを鎮圧したが、その後でエルサレム撤退の約束を反故にした。ヨナタンは雪辱の機会を待つことになる。

 その機会はすぐに訪れた。アレクサンドロス・バラスの部下だったトリュフォンは、旧主の遺子アンティオコスを担いで反旗を揚げ、少年をアンティオコス六世として即位させた。すべての実権がトリュフォンの手にあったのはいうまでもない。ヨナタンは直ちにこちらの味方についた。

 そのトリュフォンも野心家で、実は少年王を殺して王位を簒奪することを考えていた。だがヨナタンが反対するかもしれないと怖れた彼は、先手を打つことにした。トリュフォンはヨナタンを招待したのだが、ヨナタンほどの人物が引っかかってしまった。

マカバイ記一12章48節:ヨナタンがプトレマイスに入ると、その地の者たちは城門を閉じて、彼を捕えた

 これでユダヤは混乱に陥ると考えたトリュフォンは侵入軍を進め、その途上でヨナタンも少年王も殺害した。

マカバイ記一13章23節:バスカマの近くまで来た時、彼はヨナタンを殺して埋めた
マカバイ記一13章31節:そしてトリュフォンは、若いアンティオコス王を欺いて殺した
マカバイ記一13章32節:そして自分がアジアの王となった

 これが前一四二年で、ヨナタンはユダヤ軍を十八年間指導したことになる。兄弟でただ一人残ったシモンがユダヤの総帥になった。シモンはヨナタンの遺体を引き取って、かつての旗揚げの地モディンに埋葬した。そしてシモンはデメトリオス二世に盟約を申し出て、今度こそユダヤの独立を承認させた。

マカバイ記一13章41節:かくして百七十年(前一四二年)異教徒のくびきはイスラエルから除かれた
マカバイ記一13章42節:そしてイスラエルの民は文書に、祭司長にしてユダヤ人の指導者シモンの元年と記し始めた

 旗揚げから四半世紀で独立は達成され、新しい年代の数え方が始まったのである。それまではセレウコス朝紀元で数えていたが、その百七十年はマカバイ元年となった。シモンは政治と宗教の指導者を兼ねたが、王を名乗らなかった。自分がダビデの家系でないことを承知していたからだろう。やがてエルサレムに残っていたセレウコス朝の駐屯基地もついに降り、ここにネブカドネザルがエルサレムを破壊してから四百四十五年、ついにユダヤの地が異国の支配から自由になる日がきた。

 一方、デメトリオス二世はトリュフォンの抑えをユダヤに任せ、東方で力をつけようとした。

マカバイ記一14章2節:だが、ペルシャとメディアの王アルサケスは、デメトリオスが侵入したことを聞き、公子たちを派遣した
マカバイ記一14章3節:公子たちはデメトリオスを捉えて、アルサケスの下へ連れてきた

 ここでペルシャとメディアと呼ばれているのがパルティアである。またアルサケス王はアンティオコス四世の時代にセレウコス朝から独立したミトラダテス一世で、三十年以上に及ぶ治世の終盤にあった。アルサケスはパルティアのほとんどすべての王が君主の名として用いたので、この国はアルサケス朝とも呼ばれる。

 捕虜となったデメトリオスにはアンティオコスという弟がいた。彼はユダヤの独立を再度承認して後方の安全を確保し、味方を集めてトリュフォンを攻めた。トリュフォンは敗れて逃れ、アンティオコスは同じ名を持つ七人目の王となった。帝国の復活を目指したアンティオコス七世はシモンとの協力関係を解消し、またしてもユダヤはセレウコス朝の脅威を受けることになる。すでに年老いていたシモンは、ユダ、ヨハネ、マタティアの三人の息子に戦いを任せようとしたが、彼には義理の息子、娘婿のプトレマイオスもいた。権力を求めたプトレマイオスは、シモン、ユダ、マタティアの三人を宴会に招いてすべて殺してしまった。前一三四年のことである。

 こうして五人兄弟がすべて世を去り、最初の旗揚げから三十三年でマカバイ記第一書は終わるが、マカバイ記に記載のないその後の歴史を語っておこう。

 父と二人の兄弟を殺されたヨハネ(ヨハネ・ヒルカノスと呼ばれる)はユダヤの指導者となり、大いに成功した。彼は領土を拡大し、繁栄と栄光の半世紀を実現した。イドゥミア人を力ずくでユダヤ教に改宗させたのも彼である。ヨハネは前一〇四年に世を去り、後を継いだ息子がついに王を称した。最初の神殿が破壊されてから五世紀に近い年月を経てユダヤに王が復活したのである。ただしダビデの家系でなかったのはいうまでもない。


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