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投稿日: 2015/10/11(Sun) 20:45
投稿者Ken
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タイトルマタイによる福音書

『マタイによる福音書』

 神はアブラハムの子孫が約束の地で栄えるといい、モーセにはシナイ山で十戒を授けた。しかしそのイスラエル人は神との約束に背き続け、亡国という罰を受けた。絶望的なまでに転落した民族を救うのは救世主の出現しかないという発想が現れ、エレミヤなどもそれを語っている。

エレミヤ書31章31節:見よ、その日は来る、と主は言われる。イスラエル及びユダと新しい約束をする、と

 イエスこそがその救世主(キリスト)であり、彼を介して神と人は新たな約束を交したと考えるのがキリスト教で、イエス以降の話を新約と呼ぶ。もちろんユダヤ人にとっては、旧約が聖書のすべてである。旧約聖書はヘブライ語、一部はアラム語で書かれ、プトレマイオス朝でギリシャ語に訳されたが、新約聖書はすべて初めからギリシャ語で書かれている。先頭にくるのがイエスの事績を語る福音書で、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つが伝わる。マタイの書いた福音書が一番古いと信じられたので先頭に置かれているが、今では、最も古いのはマルコと考えられている。すくなくとも現在の我々が見る福音書は、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの順で完成したと思われるが、ここではバイブルの順序に従い、マタイから紹介してゆくことにする。著者マタイが何者かは分からない。書かれたのが紀元七〇年のエルサレム反乱直後なら、安全のために偽名を用いた可能性もある。

 救世主はマカバイ家の英雄たちという考えが出てもよかったが、彼らはダビデの家系ではない。なによりも、マカバイ王国も倒れ、ユダヤはローマの支配下にあった。よって真の救世主はこれから出現するはずなのである。そして、救世主とは王であり、ダビデの家系より生じるとするユダヤの強い伝統が存在した。イエスが救世主なら、彼はダビデの子孫でなければならず、マタイは冒頭で、事実もそのとおりだと述べている。

マタイによる福音書1章1節:アブラハムの子孫のダビデの子孫、イエス・キリスト

 そして、初めて神と約束を交わしたアブラハムからイエスまでの系譜を、マタイは記する。

マタイによる福音書1章17節:アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロン捕囚まで十四代、バビロン捕囚からキリストまで十四代

 つまりユダヤ人が神に選ばれてから王国を作るまで、その王国が滅ぶまで、そして救世主が現れるまで、それぞれが十四世代だという。なぜマタイがそんな数字に拘ったのかは不明だが、結果として彼は数を揃えるために事実を曲げている。

 マタイが記す最初の十四代は、1.アブラハム、2.イサク、3.ヤコブ、4.ユダ、5.ペレズ、6.ヘズロン、7.ラム、8.アミナダブ、9.ナアション、10.サルモン、11.ボアズ、12.オベド、13.エッサイ、14.ダビデ。ペレズまでは創世記、残りはルツ記に記載がある。ペレズの母がタマル、ボアズの母がラハブ、オベドの母がルツと、三人の女性の名も記されている。タマルとルツは旧約聖書に書かれているが、ボアズを産んだラハブの名は出典がない。ただラハブはヨシュアの偵察隊を匿ったエリコ人の名で、ヒロインの名に採用されたのかもしれない。

 次の十四代は、1.ソロモン、2.レハブアム、3.アビヤム、4.アサ、5.ヨシャファト、6.ヨラム、7.アザリヤ、8.ヨタム、9.アハズ、10.ヒゼキヤ、11.マナセ、12.アモン、13.ヨシヤ、14.エホヤキンだが、ヨラムとアザリヤの間にはアタルヤ王妃の摂政時代を経て、アハズヤ、ヨアシュ、アマツヤの三代があったし、ヨシヤはエホヤキンの祖父で、二人の間にはエホヤキムがいたはずである。

 そして最後の一組だが、1.シェアルティエル、2.ゼルバベル、3.オバディヤ、4.エリアキム、5.アゾル、6.サドク、7.アキム、8.エリウド、9.エレアサル、10.マタン、11.ヤコブ、12.ヨセフ、13.イエスで、この中では最初の二人だけが歴代誌に載っており、残りの系譜は現存するどの記録にも見つからない。だが、これではイエスは十三代目になる。マタイが数え間違えたはずはないので、どこかで書写のミスがあったのだろう。

 ヨセフとイエスの関係は、記述に気を使っているのが分かる。

マタイによる福音書1章16節:ヤコブはヨセフの父、ヨセフはマリアの夫、マリアはキリストと呼ばれるイエスの母、

 それまでは一貫して、AはBの父という書き方だったのが、ここだけはヨセフがイエスの父とは書かない。それはこの直後の記述と矛盾を生じないためである。

マタイによる福音書1章18節:マリアはヨセフと結婚したが、二人が結ばれるより前に、彼女は聖霊の子を身籠った

 また、マリアの妊娠にショックを受けたヨセフに、天使が現れて説明したともいう。

マタイによる福音書1章20節:主の天使が彼の夢に現れて告げた、ダビデの子孫のヨセフよ、安んじてマリアを妻とせよ、彼女を身籠らせたのは聖霊なのだから

 だがこうなると生じる疑問がある。一方ではイエスがダビデの子孫であると強調しながら、他方でヨセフとの父子関係を否定するのは矛盾ではないのか。実際のところそのとおりなのだが、おそらく福音書が書かれた時代は、ユダヤの伝統と、当時のユダヤ人に浸透したギリシャとローマの伝統の双方の影響が強く、それがイエスの正体に関する二つの説となり、マタイはどちらか一方だけを選べなかったのだろう。ユダヤの伝統では救世主はダビデの家系に生まれなければならない。一方で、ギリシャ・ローマ神話には、神が人間の子の父親になる話が多くあり、とりわけ英雄の出自がそうして説明される。例えば、ローマを建国したロムルスとレムスは、ヴェスタの処女シルビアが産んだマールス神の子とされている。実は、四人の福音書著者の中では、マタイが最もユダヤ人意識が強いのだが、意外にもそのマタイがイエスの処女生誕を、誰よりも明確に語っているのだ。

 イエスが生まれた時期は、王の名を挙げて語られる。

マタイによる福音書2章1節:イエスはヘロデ王の治世に生まれた

 すでにマカバイ王朝は倒れていた。マカバイ記第一書は、前一三五年にシモンが暗殺されたところで終わるが、後継者のヨハネ・ヒルカノスは、北のサマリアとガリラヤ、南のイドゥミアへの支配を強化し、とりわけガリラヤとイドゥミアは正統のユダヤ教を受け入れた。(力ずくで強制されたろう。)ただし、ユダヤ人の側が彼らを対等な同胞として受け入れたかは、別の問題である。

 ヨハネ・ヒルカノスは前一〇四年に歿し、後を継いだアリストブロスがついに王を称した。次のアレクサンドロス・ヤンナイオス王の時がマカバイ王国の絶頂期で、あたかも六世紀半前のヤロブアム二世の時代に戻ったかのようだった。だが、かつての絶頂期は実はアッシリアに屈する直前の時代だったが、今回の絶頂期もローマに屈する直前の時代だったのである。やがて王と祭司長の座をめぐってマカバイ家の内紛が生じた。この頃、ポンペイウス将軍のローマ軍がアンティオキアを占領してセレウコス朝を終わらせ、前六三年にはエルサレムも陥落させた。ポンペイウスは、マカバイ家のヨハネ・ヒルカノス二世が祭司長となることを許したが、王位はイドゥミア人のアンティパトロスに与えた。その後ローマで内戦が起こると、好機と見た東のパルティアが攻勢に出た。この時、マカバイ家はパルティアを解放者として迎え、一方、アンティパトロスの後継者ヘロデはローマへの忠誠を崩さなかった。結局、戦いはローマが勝ち、ローマの援助でユダヤの王位に就いたヘロデは、自分の妻になっていたマリアムネも含めて、マカバイ家の人間を殺し尽くした。

 そのヘロデ王の治世にイエスは生まれたというが、この王の歿年は紀元前四年である。だから福音書の記述が正しいなら、イエスが生まれた年が紀元元年というのはおかしいのだ。これは、中世の歴史研究者たちが犯した誤りが、現在でも影響しているのである。

 イエスの誕生には奇跡が伴ったという。

マタイによる福音書2章1節:イエスはヘロデ王の治世にユダヤのベツレヘムに生まれた。このとき東方から賢者達がエルサレムへ来た

 福音書が述べる賢者の話は、彼らがやがて幼いイエスを訪れ、贈り物を残して去ったというだけだが、後世この話は大いに脚色され、彼らは三人いて、すべて王であり、メルキオル、ガスペル、バルタサルという名まで与えられた。

 エルサレムへ着いた賢者たちは尋ねた。

マタイによる福音書2章2節:ユダヤの王はいずこにおられるのか?

 つまり彼らは救世主を探していたことになる。マカバイ王国の盛時でも、救世主への待望はなくならなかった。マカバイ朝は全人類を支配したわけではないし、何よりもダビデの家系ではなかった。そのマカバイ朝も滅び、今やヘロデとその背後にいるローマの圧制は、ユダヤにのしかかる。救世主への待望はいよいよ強く、それはユダヤ本土だけでなく、各地に居住するユダヤ人の間に共有されていた。東方から来た賢者とは、そのような人々だったにちがいない。そして、ほかでもないこの時に彼らを駆り立てたのは、天文現象だという。

マタイによる福音書2章2節:ユダヤの王はいずこにおられるのか? 我らは東の空にその人の星を見つけて、その人を拝するために来たのだ

 それまでなかった星が出現したのなら、まず考えられるのは超新星である。だが、もしこの時超新星が現れたのなら、世界の各地で報告があったはずだが、その記録はない。次に、天文計算によると、前七年に木星と土星が非常に接近しており、古代人には重要な意味があると思えたかもしれない。同じく、前一一年にハレー彗星が太陽系の内軌道に入ったことも分かっている。イエスの死後、弟子たちが、彼が生れた頃に観測された天文事象の記録を集め、イエスの誕生と関連付けたのではなかろうか。

マタイによる福音書2章3節:それを聞いたヘロデ王とエルサレムの人士は怖れた

 どんな王でも、他に王が現れたと聞けば怖れるに違いない。だがヘロデの恐怖が保身のみから来たともいいきれない。もしダビデの再来のような救世主が現れたとユダヤの民族主義者が信じれば、ローマ相手の自殺行為のような反乱に立ち上がり、国を滅ぼしてしまうかもしれない。なにしろこの時から七十年ほど後に、そのとおりのことが起こり、第二神殿も破壊され、民族は過酷すぎる離散に追い込まれるのである。古い予言(ミカ書)が、ダビデの故郷ベツレヘムにそんな救世主が現れると語っていると聞いたヘロデは、賢者たちにベツレヘムへ赴いてその子のことを調べるように言った。

マタイによる福音書2章9節:彼らが東方で見たその星が彼らを導き、幼子の真上に止まった

 この星は「ベツレヘムの星」と呼ばれることになる。

※星の正体が超新星、惑星の接近、ハレー彗星のなにであれ、地球が自転する限り、その星は刻々と移動するから、地上の特定の場所に誰を導くことも不可能である。※

 賢者たちはイエスを訪れたが、ヘロデ王の害意を見抜いていたので、王へ報告せずに帰国した。誰が救世主か分からないヘロデは、ベツレヘムの幼児をすべて殺せと命じた。

マタイによる福音書2章16節:ヘロデは二歳以下のベツレヘムの子供をすべて殺させた

 さすがにこんなことがあったはずがない。何よりもマタイ以外のどの福音書にも、バイブル以外の記録にも書かれていない。はるかに些細なヘロデの悪行が詳細に記録されているのにである。これは出エジプト記にあるモーセ生誕時の話を、イエスを題材に再現させたのだろう。夢のお告げで危険を知らされたヨセフが一家を連れてエジプトに逃れたという話も、マタイの福音書だけが語る。

マタイによる福音書2章15節:そしてヘロデの死までその地に留った。

 マタイという著者は、あらゆる機会を捉えて旧約聖書を引用し、同じことが再現されたと記述することを好んだ。ヘロデが子供たちを殺すのも、一家がエジプトへ逃れるのも、出エジプト記と同じことが起こったことにするための創作と考えられる。ヘロデの死後ヨセフの前に天使が現れて帰郷せよと告げるが、これも、ミディアへ逃れたモーセがファラオの死後エジプトへ戻れと神に命じられるのと同じである。

 だがここでマタイにとっての問題が生じた。イエスが伝道者として活動したどの記録でも、彼はガリラヤ人として伝わっているのだ。ベツレヘムで生まれた彼が、成人後にはガリラヤ人になっていたことを説明せねばならない。そこでヨセフの一家はエジプトからベツレヘムには戻らなかったことにした。

マタイによる福音書2章22節:アルケラオスがユダヤの王となったと聞いたヨセフは戻ることを恐れたが、夢で神の話をきき、ガリラヤへ移った
マタイによる福音書2章23節:そしてナザレの町に居をさだめた。その方はナザレの人と呼ばれるという予言が実現したのである

 だが救世主がナザレの人という予言などどこにもない。あらゆる機会に旧約聖書を引くマタイだが、ここでは明らかに誤りを犯している。

 イエスの誕生を語った後、マタイはイエスの成人時代へ移るが、まず、この時期に現れたもう一人の重要な預言者について語っている。

マタイによる福音書3章1節:その頃、洗礼者ヨハネがユダヤの荒れ地で説教していた
マタイによる福音書3章2節:罪を悔いよ、天の王国はそこまできている、と

 新約聖書にはヨハネという名の重要人物が数名登場するが、洗礼者ヨハネが最初である。ヨハネは彼のもとへくる人々を、洗礼と称してヨルダン川の水をかける行為を行った。これはユダヤ人の間で広く行われた儀式ではないが、それまでの割礼に代わる入信の儀式として、キリスト教の中で確立してゆく起原となった。そしてヨハネの洗礼を受けに訪れた人々の中に、ナザレの住人イエスもいたのである。さらには、好奇心に駆られたか、当時の宗教的権威だった人々まできた。

マタイによる福音書3章7節:多くのファリサイ派とサドカイ派の者たちも洗礼を受けにきた

 この両派はセレウコス朝からマカバイ朝にいたる情勢の産物といえる。サドカイ派はギリシャ文化を熱心に受容し、ユダヤの伝統をむしろ敬遠する人々で、上流階級に多く、大変な矛盾なのだが高位の祭司たちもその階級に属した。サドカイという名称もソロモンの神殿で仕えた初代の祭司長ツァドクに由来する。彼らは明文化された律法こそ受け入れたが、天使、聖霊、悪魔、天国と地獄といった、バビロン捕囚以後にユダヤ教に入った一切の伝統を否定した。セレウコス朝に最も協力したのも彼らである。

 一方でギリシャ文化を激しく拒絶し、ユダヤの伝統を何よりも大切にする人々がいる。マカバイ家の反乱を熱心に支持した人々で、その中の最大勢力がファリサイ派である。ファリサイ派はモーセの律法を柔軟に解釈する傾向を持ち、その教義は新約聖書のそれに近い。ただ彼らは複雑な伝統を細部まで重んじるあまり、それについて来られない一般民衆と乖離してしまう一面があった。

 一般民衆はといえば、分かり易く、心の内を救ってくれる教えを望んでいた。それに応えたのが洗礼者ヨハネやイエスで、イエスの教えなどは、ファリサイ派の教義から煩瑣な儀式を除いて、倫理面を取り出したとすらいえる。マカバイ家の時代になるとファリサイ派が力を持ったのは当然だが、やがてマカバイ家自体が貴族化すなわちギリシャ化すると、サドカイ派が盛り返し、神殿も管理するようになった。

 洗礼者ヨハネはやってきた両派のどちらも倫理に欠け、自分たちがユダヤ人というだけで救われるなどと思うなと言い渡した。

マタイによる福音書3章9節:自分たちがアブラハムの子孫などと思わぬことだ。神の力をもってすれば、石でもアブラハムの子になれるのだから

 福音書が語るイエスの物語のうち、どれが事実でどれが虚構なのか、もう少し考察してみよう。マタイが語るイエス生誕の話は、イエスがベツレヘムの地でダビデの家系に生まれたことにするのと、モーセの話に対比させるという二つの目的が明らかなので、フィクションと思われる。すると史実のイエスは、成人したガリラヤ人の彼が洗礼者ヨハネのことを聞き、彼もまた洗礼を受けるためにユダヤ本土へやってきたところから始まるのか。最初に書かれたマルコの福音書はまさにそこから始まる。マルコにとっては、聖霊がイエスに宿った、つまりイエスが救世主(キリスト)となったのは、ヨハネの洗礼を受けた時で、それまではただの人だった。一方マタイにとっては、イエスが母の胎内に宿ったときから彼は神の子だったので、そのことを初対面のヨハネが認識し、洗礼を受けに来たイエスに向かって、重要な発言をしている。

マタイによる福音書3章14節:ヨハネは拒んで言った、私の方が君から洗礼を受けねばならないのに、私のところへ来られるのか?

 しかしこの部分は後から加筆されたのだろう。イエスが救世主だと、この時点でヨハネが確信したわけではないことは、マタイの福音書を読み進めば明らかになる。

 ともあれ、ここでイエスは伝道者としての使命を自覚したのだが、マタイはこの時イエスの身に起こった奇跡を語る。

マタイによる福音書3章16節:洗礼を受けたイエスが真っ直ぐに水から上がると、見よ、天が頭上で開き、彼は神の霊が鳩のように降りるのを見た
マタイによる福音書3章17節:天の声が聞こえた、これは私を喜ばせる、我が愛する息子である

 伝道者の自覚を得たイエスは、しばし一人になってこれからのことを考えた。マルコは、このときサタンが現れて妨害を図ったと語るが、マタイはいかにも彼らしく、これを旧約聖書の引用合戦として描いた。例えば、飢えを逃れるために石をパンに変えるよう神に求めればよいというサタンに、

マタイによる福音書4章4節:イエスは答えた、人はパンだけで生きるのではなく、神が発する一つ一つの言葉によって生きると、そう書かれている。

 これは申命記の言葉をそのまま引用したものである。

申命記8章3節:人はパンだけで生きるのではなく、主の口より発せられる一つ一つの言葉によって生きる

 また、

マタイによる福音書4章6節:サタンは言った、君が神の子なら身投げをしてみたまえ、神は天使を遣わして、岩に叩きつけられぬよう、君を救い上げると書かれているではないか

 ここは詩篇の91篇11節と12節をサタンが引用したのだが、イエスは申命記を引いて答えた。

マタイによる福音書4章7節:イエスは言った、主なる神を誘ってはならぬと書かれている
申命記6章16節:主なる神を誘ってはならぬ

 ついにサタンは世界をやるとまで言った。

マタイによる福音書4章9節:君が跪いて私を拝するなら、世界をすべて君のものにしてやろう

 イエスは申命記を引いて答えた。

マタイによる福音書4章10節:サタンよ、主なる神を崇め、神にのみ仕えよと書かれておろう
申命記6章13節:神を畏れ、神に仕えよ
申命記6章14節:他の神々を求めるな

 イエスのこれらの言葉は、イスラエルの敵を滅ぼし世界を服従させるのではなく、平和を実現するのが真の救世主だという、史実のイエスの思想の根本を語っている。

 一方、洗礼者ヨハネは逮捕されていた。

マタイによる福音書14章3節:ヘロデは、兄フィリポスの妻ヘロディアスのために、ヨハネを縛し牢へ入れた。
マタイによる福音書14章4節:なぜなら、彼女を娶ることは許されないとヨハネが言ったから

 イエスの誕生時に王だったヘロデ大王以来、ヘロデは王家の家名のようになり、どの王もヘロデを名乗っていた。ヘロデ大王の死後、三人の息子が王国を分割相続したが、ヘロデ・アルケラオスは既に亡くなっていた。ガリラヤとペレアを治めたヘロデ・アンティパスは、大王の六番目の妃でサマリア人のマルサスが産んだ子で、イドゥミア人の父とサマリア人の母を持つだけでもユダヤの民族主義者の目には汚らわしい存在だったが、その統治は概して穏やかだった。もう一人の子がヘロデ・フィリポスでイトゥレア地方を治めていた。ところがヘロデ大王にはフィリポスという息子がもう一人いた。さらに大王とマカバイ家出身のマリアムネ妃の間に生まれたアリストブロスにヘロディアスという娘がおり、王でない方のフィリポスに嫁していた。ところがヘロデ・アンティパス王は、ヘロディアスを離縁させて自分の妻にした。ヘロディアスは一人の叔父に嫁いだ後、離婚して、別の叔父に嫁いだことになる。治まらないのは、このせいでヘロデ・アンティパスに離縁された妃の父、ナバテアの王アレタスで、ヘロデ・アンティパスに宣戦するが、ローマが勝手な戦を許さなかったので、引き下がるしかなかった。

 だが洗礼者ヨハネはこの婚姻を激しく非難した。夫婦が叔父と姪だからではなく、義理の仲とはいえ兄妹だったからだ。一方、ヘロデ・アンティパスはヨハネの背後にアレタスがいると思い、洗礼者を投獄した。ただ、ヨハネに多くの支持者がいることを知っていた王は、処刑までするつもりはなかった。


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