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投稿日: 2015/10/11(Sun) 20:49
投稿者Ken
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タイトルマタイによる福音書 (続き2)

 キリスト(救世主)としての自信を得たイエスは、エルサレムへ赴いた。しかも注意深く、予言のとおりに実行している。

マタイによる福音書21章1節:エルサレムへ近づき、オリーブ山のベトファゲまでいたり

 エルサレム郊外のオリーブ山を道程に含めたのは、偶然ではない。

ゼカリヤ書14章4節:その日、その人の足は、エルサレムの東、オリーブ山上に立つ

 すでにイエスは救世主としての言葉を発していた。

マタイによる福音書16章28節:私はここに言う、ここに立つ者は、人の子が王国に入るまで死ぬことはない

 エルサレム入城の様子も、ゼカリヤ書の予言に倣っている。

ゼカリヤ書9章9節:歓喜せよ、シオンの娘、見よ、王が来る、驢馬に乗り、驢馬の子に乗って

 マタイを除くどの福音書も、イエスが驢馬に乗ってエルサレムに入ったと記する。ここで「驢馬に乗り、驢馬の子に乗って」とあるのは、ヘブライ文学で多用される重複法で、同じことを言葉を変えて二度言ったのだ。だがマタイだけは旧約聖書の予言を厳密な字義のとおりに解釈するあまり、イエスが二頭の動物に乗っていると、なんともまぬけな描写をしてしまった。

マタイによる福音書21章7節:弟子たちは驢馬と子供の驢馬を連れてきて、衣をかけ、イエスをその上に乗せた

 迎える民は熱狂した。

マタイによる福音書21章8節:非常に多くの人が道に衣を広げ、木の枝を切って道に敷いた
マタイによる福音書21章9節:そして前を歩く者、後に続く者が叫んだ、ホザナ、ダビデの子、主の名を持つ者に幸いあれ、最も尊いホザナ、

 ホザナとは「どうか救いたまえ」の意味で、詩篇に全く同じ表現がある。

詩篇118篇25節:どうか救いたまえ、主よ、主よ、どうか栄えを与えたまえ
詩篇118篇26節:主の名を持つ者に幸いあれ

 詩篇の中で神に向けられる言葉が、イエスに向けて発せられたのだ。ファリサイ派が腰を抜かすほど驚愕したのは想像に難くない。その場の応酬はルカが記載している。

ルカによる福音書19章39節:群衆の中にいたファリサイ派のある者が言った、師よ、あなたの弟子たちを叱られよ
ルカによる福音書19章40節:イエスは答えた、彼らがやめたら石が叫ぶだろう

 すでにイエスは救世主として振舞うことを躊躇していない。そして救世主であるがゆえに、大胆な行動に出た。

マタイによる福音書21章12節:イエスは神の神殿へ入り、すべての商品を投げ打ち、為替業者の卓も鳩を売る者たちの座も覆し、
マタイによる福音書21章13節:そして彼らに言った、我が家は祈りの家と書かれてあるのに、お前たちは盗賊の巣に変えた

 ガリラヤ人のイエスは、エルサレムへ巡礼した同郷人から、神殿の商人のあこぎな商売について聞いていたのかもしれない。盗賊の巣というのはエレミヤの言葉である。

エレミヤ書7章11節:この神殿が泥棒の巣になったのが見えるか?

 これで、神殿で権力を得ていたサドカイ派もまたイエスの敵となった。だが民衆の反発を恐れた彼らは、イエスには手出しができなかった。

 ところでイエスは、マタイとルカが記載する生誕の話を除けば、ダビデの家系やベツレヘムとの関係は無く、常にガリラヤのナザレの人として登場する。エルサレム入城の時にも、彼は救世主と呼ばれる一方で、ガリラヤ人とも呼ばれている。

マタイによる福音書21章11節:人々は言った、彼はガリラヤのナザレの預言者イエスだ、と

 だが、ユダヤの伝統では、救世主はベツレヘムのダビデ家に生まれるはずで、ガリラヤのナザレの出身では困るのである。もちろんマタイはイエスがダビデの子孫だと書いているから、この問題に深く立ち入ることはできないが、例えばヨハネの福音書にははっきりと書いてある。

ヨハネによる福音書7章41節:ある者は、彼はキリストだと言った。だがある者は、キリストがガリラヤから来るか、と言った

 もしも、マタイの福音書に書かれたとおり、イエスがベツレヘムで生まれたダビデの子孫なら、その事実だけを告げればよい。だがイエスはそうしていない。この時のイエスの言も有名である。

マタイによる福音書22章45節:ダビデが我らの主と呼ぶなら、ダビデの子孫でありえようか?

 これはダビデの作とされる詩篇の一節を引用している。

詩篇110篇1節:神は我らの主に言われた、我が隣りに座せ、敵に足を乗せるがよい

 つまり、救世主(我らの主)がダビデの子孫という考えを、ダビデ自身の言を引用しながら否定したわけだ。やはりこちらの方が史実のイエスで、彼はガリラヤの大工でありながら、自分を救世主と信じていたのだろう。そしてマタイの福音書の冒頭にくるイエスのダビデからの系譜は、創作されたものに違いない。

 それでも神殿の祭司たちにすれば、宗論でイエスに勝てないことが分かってきたのだろう。このガリラヤの、無学なはずの大工は、おそろしい知性と、旧約聖書の深い知識を持っていることを、何度も実証してみせた。それならイエスの政治思想を利用すればどうだろう。イエスがローマへの反逆思想を持っていることを示せば、ローマ人が彼を片付けてくれるに違いない。なにしろユダヤの救世主なら異教徒の支配者と戦うはずだし、民衆がイエスを支持するのも、その期待があるからなのだ。そこで彼らはイエスに尋ねた。

マタイによる福音書22章17節:君の考えを教えてほしい。カエサルに貢納するのは正しいことか?

 イエスは答えた。

マタイによる福音書22章21節:カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へわたせ

 ローマの貨幣には皇帝の肖像が刻印されているから、偶像を禁じるユダヤの律法に従えば、どのみち手にできない。そういうものは皇帝へやってしまえとイエスは答えたわけで、たしかにこれなら律法も破らず、ローマへの反逆を問われることもない。だが、やはりこの答えでは、過激なゼロット派は到底満足できない。彼らは失望し、その代表がイスカリオテならぬシカリー派のユダだった。

 ローマへの造反にはこれほど慎重なイエスも、ユダヤの宗教指導者には容赦しなかった。彼らのような者たちの手で、多くの信仰篤い人々が殺されてきたことを語った。

マタイによる福音書23章35節:地に流れたすべての正しい者の血は、君らにふりかかる。アベルからバラキアの子ザカリアまで、君らが神殿と祭壇の間で殺した者たち

 民衆から絶大な支持を受ける人物からこれほど激しく非難されるほど危険なことはない。宗教指導者たちは祭司長の下に集まって、対策を協議した。

マタイによる福音書26章3節:主な祭司、書記、長老たちは祭司長カイアファの宮廷に集まった

 祭司長といえば、アンティオコス四世の時まではツァドクの家系、ヘロデ王家が支配するまではマカバイ家だったが、それ以後はヘロデ家とローマが任命していた。当然、カイアファはローマの力を承知しており、反乱を起こしても勝てないことは彼には自明だったし、事実、彼の恐れは四十年後にエルサレムと神殿の破壊として実現してしまうのだ。またマカバイ家が倒れた後、救世主を自称する者が多く現れ、やはり奇跡譚が彼らについても語られていた。偽者の救世主が現れることは、イエス自身が述べている。

マタイによる福音書24章24節:偽りのキリスト、偽りの預言者が現れ、やはり奇跡の力を示し、選ばれた者を欺こうとする

 カイアファの目には、イエスも偽りのキリストだった。それが救世主を待望する人々の熱狂に担がれている。しかもこの時、過ぎ越しの祭は二日後に迫っており、エルサレムには各地から民衆が集まっていた。熱狂に駆られた民衆がローマ兵を殺しでもしたら、すべてはおしまいであろう。カイアファたちの相談は、ヨハネが端的に描写している。

ヨハネによる福音書11章48節:彼をすておけば全ての者が彼を信じ、ローマ人が来て、我々の地も国も持ち去るだろう
ヨハネによる福音書11章49節:するとその年の祭司長だったカイアファが言った
ヨハネによる福音書11章50節:一人が皆のために死に、国が滅びないのなら、よいではないか

 さらには、イエスを捕らえるのも、白昼やれば、それだけで民衆の暴発を呼ぶかもしれない。夜間に秘密裡に実行するのが望ましいと、カイアファたちは考えた。問題はイエスの夜間の所在地が分からないことだったが、そこに都合よく現れた人物がいた。

マタイによる福音書26章14節:そこへ十二人の一人イスカリオテのユダが祭司長の下へ行き、
マタイによる福音書26章15節:申し立てた、彼を捕らえさせれば何をくれるか、と

 だが、なぜユダはこんなことをしたのだろう? マタイの記述だと、ユダは報酬を求めてイエスを裏切ったことになる。もっとはっきりと書いているのはヨハネである。

ヨハネによる福音書12章6節:ユダは泥棒で、預かった袋から盗んでいた

 だが、ユダの目的が金だとしたら、彼が得た報酬は少なすぎる。

マタイによる福音書26章15節:彼らは三十枚の銀を約束した

 マタイが常に旧約聖書を引用することを思い出してみよう。三十枚の銀には出典があるのだ。

ゼカリヤ書11章12節:私は彼らに私の値を要求し、彼らは三十枚の銀と見積もった

 ゼカリヤ書のこの一節は、羊飼いが報酬を求め、銀三十枚という回答が安すぎるとして怒った場面である。マタイは、ユダが裏切りの報酬に得た金額が低すぎると述べたのだ。だが、そうなると、イエスを裏切った理由としては薄弱ではないか。やはり、ここはユダがイスカリオテではなくシカリー派、つまりローマとの武力闘争を目指す党に属していた可能性を無視できない。イエスの神の力でローマを倒そうと考えていたユダは、イエスが、カエサルのものはカエサルにと、皇帝への納税を認めたことを裏切りと感じたであろう。おそらく同様のことが繰り返され、ユダはイエスを立てての反乱が起こりえないことを思い知らされたのではあるまいか。そのことを単純に恨んだか、もしくはイエスを危険にさらすことで、反乱の決意を促そうとしたのか、どちらかが裏切りの真の理由ではないのか。

※ユダの人物像へのこのような解釈は、例えば1977年に米NBC局が放映したJesus of Nazareth(ナザレのイエス)というミニシリーズで採用されている。イエスがロバート・パウエル、マリアがオリビア・ハッシー、ヘロデ・アンティパスがクリストファー・プラマー、マグダラのマリアがアン・バンクロフトと豪華キャストの大作だが、イアン・マクシェーンが演じたユダがまさしくそのような過激派に属する人物で、必ずしも悪人とは描かれていない。※

 過ぎ越しの祭の前夜、イエスは弟子たちと食事をともにした。最後の晩餐である。ユダもその場にいたが、抜け出して祭司たちの下へ走った。

マタイによる福音書26章36節:そしてイエスと弟子たちはゲッセマネという場所へ行った

 夕食後にここへ行くのは習慣だったようで、ユダもよく承知していたであろう。史実のイエスがその夜をどう過ごしたかを想像するなら、翌日に迫った過ぎ越しの祭に、人々が彼を担いで立ち上がることは疑いようもなく、彼は人生の重大場面を前に不安に駆られたとしても不思議ではない。

マタイによる福音書26章39節:彼は地に伏して祈った、我が父よ、願わくばこの杯を私から除きたまえ、それでもあなたの意に従うが

 そこへ武装兵を連れたユダがやってきた。

マタイによる福音書26章50節:イエスはユダに言った、友よ、何のためにやってきたのか? そこに兵たちが来て、イエスを捕らえ、連れ去った

 ここでの「何のためにやってきたのか?」という問いは、一般には修辞表現と理解されている。イエスはもちろんユダの目的を知っていたし、するべきことを早く済ませよと言ったのだと。だが、ここでも史実のイエスを想像するなら、ユダを見て驚き、その目的が分からなくて尋ねたという解釈もできるだろう。この時弟子の一人が抵抗を試みて、イエスに止められたという。

マタイによる福音書26章51節:イエスに付き添っていた一人が手を伸ばし、刀を抜いて、祭司長の家来の一人に切りつけ、その耳を落とした
マタイによる福音書26章52節:その時イエスが言った、刀を納めよ、と

 これも、史実のイエスは抵抗は無駄と知っていたか、むしろ運命の日を前にした恐れから解放されたと思ったかもしれない。もちろん、彼が自分を救世主と信じており、逮捕されても神の力で救われると思ったからこそ、弟子の抵抗を止めたのかもしれない。だが、ここへ来て、弟子たちもイエスが間違いなく救世主だという信仰を維持できなかったらしい。

マタイによる福音書26章56節:弟子は全員、彼を捨てて逃げた

 だが、祭司たちにとってイエスを捕縛しただけでは、問題の解決にならない。罪人を裁いて処刑できるのはローマから派遣された総督だけだが、イエスがユダヤ教の正統教義を逸脱していると訴えても、ローマ人は関心を示さないだろう。イエスを処刑させうる唯一のシナリオは、彼が自らを救世主つまりユダヤの王と称し、ローマに任命されずに王を僭称したことにするしかない。こうして、イエスとカイアファの問答が始まった。

マタイによる福音書26章63節:祭司長はイエスに言った、神に誓って我らに語られよ、君はキリストであるのか
マタイによる福音書26章64節:イエスは言った、そのように言うのは君だ、私は言おう、これより神の右手に座す人の子が、天の雲に包まれて来たる、と

 この言い方では、イエスは否定も肯定もしていない。だが、マルコの記述では、明言している。

マルコによる福音書14章61節:祭司長は尋ねた、君はキリストなのか、と
マルコによる福音書14章62節:イエスは答えた、そうだ、と

 実際には、マタイの記述でも、旧約聖書に詳しい者なら、間違えようのない答えをしているのだ。イエスの回答はダニエル書を引用しているからである。

ダニエル書7章13節:人の子の姿をした者が、天の雲に包まれて来たる
ダニエル書7章14節:そしてその者は領土、栄光、そして王国を得る

 祭司長にとっては、これで十分だった。

マタイによる福音書26章65節:すると祭司長は自分の衣を引き裂いて言った、この者は神を冒涜した、まだ目撃証言が必要であろうか?
マタイによる福音書26章66節:どう思うか? 一同が答えた、彼の罪は死にあたる、と

 この場にイエスの弟子ではペトロだけが潜入していたが、やがて発見された彼は、恐怖に駆られ、イエスの弟子であることを否定した。どうやら、イエスが救世主ということを、彼も最後までは信じられなかったようだ。

マタイによる福音書26章74節:ペトロは呪いの言葉を吐き、言い立てた、こんな男は知らない、と

 祭司たちはイエスをローマ人のところへ引き立てた。

マタイによる福音書27章1節:朝になると、祭司長は、
マタイによる福音書27章2節:イエスを縛し、総督ポンティウス・ピラトの下へ連れて行った

 ヘロデ大王の歿後、ヘロデ・アルケラオスが王位を継いだが、ユダヤ人もサマリア人もこの王を嫌ってローマに訴えたので、ローマは総督を派遣してユダヤを直接統治するようになった。紀元二六年に就任したピラトは五代目である。ユダヤ人がローマの宿敵パルティアと結ぶことを何よりも懸念したピラトは、常に厳しい弾圧をもって臨み、とくに民衆の反ローマ感情が高揚する過越しの祭のときは、エルサレムに駐在する習慣だったようだ。祭司たちは、ピラトの敵意がユダヤ人一般から、一人のイエスに向けられることを期待したろう。だが、ピラトもあまくはない。ユダヤ人の内紛に巻き込まれるのを避けるため、祭司たちの頭越しに、民衆に直接問うことにした。過越しの祭では、犯罪者を一人だけ恩赦する習慣があったからである。

マタイによる福音書27章16節:ローマ人は、バラバという、別の重大犯を捉えていた
マタイによる福音書27章17節:ピラトは言った、どちらを釈放しようか、バラバか、キリストと呼ばれるイエスか?

 ユダヤの過激派は、イエスがローマとの武力闘争の指導者となることを期待して裏切られたが、バラバはその過激派で、ローマ人を暗殺して捕らえられていたのだ。二人のどちらを釈放するかと問われれば、反ローマの民衆はバラバの名を叫ぶであろう。結果はそのとおりになり、バラバは釈放された。ピラトは、イエスの処刑が彼自身の決定でないことを明確にした。

マタイによる福音書27章23節:総督は言った、なぜだ、この者がどんな悪事をはたらいたか?
マタイによる福音書27章24節:ピラトが、言っても無駄だと分かったとき、群衆の前で、水で手を洗いつつ言った、この無実の者の血が流れることに、私には責任がない、と
マタイによる福音書27章25節:するとすべての者が答えた、彼の血の責任は、我らと我らの子孫が負う、と

 この最後の一節のせいで、ユダヤ人は、その後の二千年、恐るべき運命に見舞われることになる。実際にはマタイ以外の福音書にはなく、マタイの創作である可能性が高いのだが。自分の責任ではないといったピラトは、イエスの処刑を命じた。

マタイによる福音書27章26節:バラバを群衆の中に解放し、イエスを鞭打たせた後、十字架にかけるために送り出した

 ユダヤの伝統的な処刑は石をぶつけること、ギリシャのそれは毒を飲ませることだが、ローマの処刑は十字架にかけることだった。ローマではよく用いられた処刑法で、イエスが特別に残酷な殺され方をしたわけではない。十字架の上には、イエスの罪状が書かれていた。

マタイによる福音書27章37節:頭上には告発の言葉が書かれた、この者はユダヤの王イエスなり、と

 イエスの罪は、ローマに無断でユダヤの王となったことだったのである。

マタイによる福音書27章46節:そして九時間ほど経つと、イエスは大声で叫んだ、エリ、エリ、ラマ、サバクタニ、と。これは、神よ、神よ、なぜ私を見捨てたか、という意味だ

 史実のイエスについて考えるなら、自分を救世主と信じてきたガリラヤ人の大工が、最後になって、自分が救世主などでなかったことを思い知らされ、絶望の叫びを上げたと解釈できるだろう。だが、マルコとマタイの双方に記載があるこの言葉は、やはり旧約聖書からの引用であろう。

詩篇22篇1節:神よ、神よ、なぜ私を見捨てたか、なぜ私を救わぬか、私の叫びも届かぬか?

 死んだイエスは墓に葬られた。

 神殿の祭司たちは、死んで三日後に甦るという、イエスが生前に残した予言が、弟子たちの手で実現を装われることを恐れた。もしも弟子たちがイエスの遺体を盗み出して、救世主が復活したと言い出せば、それを信じた民衆が反ローマ暴動に立ち上がるかもしれない。ピラトもそれを恐れ、イエスの墓に見張りを置いたがそれは無駄だった、とマタイの福音書は語る。

マタイによる福音書28章2節:大きな地震があり、天使が降臨して、入り口の石をどけた

 その天使は、イエスの死を悼む人々に告げた。

マタイによる福音書28章5節:恐れるな、君たちが十字架にかかったイエスを探していることは知っている
マタイによる福音書28章6節:彼はここにはいない、甦ったのだから

 イエスが甦った話を伝説として片付けることはできる。だが、当初は弟子たちが語り始めたこの伝説は、やがて何億人もが信じるようになり、その後の人類史を全く異なるものにした。


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