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投稿日: 2015/11/22(Sun) 23:03
投稿者Ken
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タイトルルカによる福音書

『ルカによる福音書』

 ルカの福音書は八〇年頃書かれたと考える研究者が多い。マルコはもちろんマタイと比べても少し遅いのではないか。マルコの記述を元にしながら独自の加筆をしているのはマタイと同じだが、加えた内容はマタイとは大きく異なる。マルコが描くイエスは奇跡の力をもつ預言者で救世主だが、不当に告発され、処刑され、そして蘇った人物である。福音書自体はユダヤ人のキリスト教徒を対象に書かれたのだろう。マタイの書は、とにかく旧約聖書からふんだんに引用し、昔の予言が実現していることにするため、大量の加筆をしている。対象はユダヤの知識人とみて間違いない。これがルカとなると、明らかに対象として異邦人を意識している。マルコやマタイと比べて、ユダヤ人はより悪役として、逆にローマ人はより好意的に描写されている。旧約聖書の予言にも概ね無関心である。実は、ルカ自身も異邦人だったと考えられることがある。ルカはルキウスというローマ名の短縮形だが、この時代はユダヤ人でもギリシャやローマの名を用いたから、これ自体は証拠にはならない。パウロもローマ名であるが、使徒パウロは間違いなくユダヤ人である。ただ、ルカのギリシャ語はマルコやマタイよりはるかに達者で、文学としても優れている。もう一つ、ルカの福音書と使徒言行録は同じ著者に書かれたことが確実視されており、その使徒言行録には著者がパウロの布教仲間だったことを示す記述がいくつもある。パウロは彼の書簡の中で、同志の名を何度も紹介しており、例えばコロサイ宛の手紙には、

コロサイの信徒への手紙4章14節:我が親愛なる医者ルカ、そしてデマスも挨拶を送る

 という記述がある。その名が最初に挙げられていることから、医師ルカがパウロに近い人物だったことが窺われるし、テモテへの手紙ではもっとはっきりと書かれてある。

テモテへの手紙二4章10節:デマスは今の世界を好んで私を見捨てた
テモテへの手紙二4章11節:ルカだけが私と残った

 その使徒言行録はアンティオキアに関する記述が非常に詳細で、著者がこの町を知り尽くしていたことが分かるが、アンティオキアのユダヤ人はきわめて少なく、ルカがこの町の出身ならほぼ間違いなく異邦人であろう。いずれにせよ、ルカが異邦人だったことを窺わせる一番の根拠は、彼の記述そのもの、とりわけ異邦人の描き方であるのはたしかだ。

 マルコはイエスの洗礼から、マタイはイエスの誕生から記述を始めるが、ルカはイエスに先立つ洗礼者ヨハネの誕生から書き起こしている。ヨハネを、より偉大なイエスの露払いの役割に当てはめることで、二人の関係を明らかにしようとしたのではないか。その背景には、イエスの死後もヨハネの一党がイエスの弟子たちから独立した勢力だったことが考えられる。例えば使徒言行録にこのような記述がある。

使徒言行録18章24節:アポロという名のユダヤ人がエフェソへ来た
使徒言行録18章25節:彼はまだヨハネの洗礼しか知らなかった

 このアポロはヨハネの教えを奉じていたのが、イエスの教えに転向するためやってきた人物と思われる。このような人々のために、ルカはヨハネの物語から始めた。

 ヨハネの父はザカリヤという名の祭司だった。妻はエリザベスといい、やはりアロンから続く祭司の家系に生まれた。年老いても子がなかったこの夫婦が神の力で子を授かるのは、イサク、ヨセフ、サムソン、サムエルと旧約聖書にいくつも見られるパターンで、とくに天使ガブリエルがエリザベスの受胎を告げにくるのは、かつてサムソンの誕生を天使が告げにきたのと同じである。そのエリザベスが懐妊して半年経った頃、今度はイエスの母の話になる。

ルカによる福音書1章26節:神は天使ガブリエルを、ナザレというガリラヤの町へ遣わした
ルカによる福音書1章27節:そこにはダビデの家のヨセフという男の妻で、まだ処女だったマリアがいた
ルカによる福音書1章28節:天使は言った
ルカによる福音書1章31節:君は受胎して息子を産む、その子はイエスと名付けられる

 困惑したマリアがガブリエルに尋ねた。

ルカによる福音書1章34節:私は男を知らないのに、なぜそんなことが?
ルカによる福音書1章35節:天使が答えた、聖霊が君に降臨する

 ガブリエルはさらに、マリアの従姉のエリザベスが妊娠六ヶ月であることを教えた。マリアは急いでエリザベスを訪れ、ザカリヤの家に着いたマリアをエリザベスが迎えた。

ルカによる福音書1章42節:エリザベスは大声で言った、女の中で誰よりも祝福されたお方、祝福は胎内の実りのために

 だが、ルカが最も強調したかったのは、エリザベスの次の一言だろう。

ルカによる福音書1章44節:あなたの声が聞こえた途端に、私の中の赤子は喜びに踊った

 マタイの福音書では、ヨルダン川へ洗礼を受けに来たイエスを見たヨハネが、イエスが自分よりも優れた存在だと認識したとされるが、ルカの福音書では、ヨハネは胎児の段階で、もうイエスの優越を認めているのである。

 マリアは滞在中に、神への讃歌を口にするが、それはこのように始まる。

ルカによる福音書1章46節:マリアは言った、私の魂の中の主は大きい

 この言葉はハンナがサムエルを産むときの祈りから明らかに影響されている。だが、ハンナと同じく長く不妊だったのを神の力で妊娠したのは、マリアではなくエリザベスである。実はこの一節の「マリアは言った」という箇所は、古い異本では「彼女は言った」と書かれていたらしい。つまり本来はエリザベスの言葉だったのが、いつかマリアのものに書き換えられたようなのだ。やはりそうなると、キリスト教の初期に、イエスの党がヨハネの党に取って代わり、ヨハネ党を吸収してゆく過程でそうなったのではないか。

 ルカがマリアのことを詳しく語るのは、マタイの記述がヨセフに集中するのと対極的とすらいえるほどである。女神の神話を多く持つ異邦人と、厳格な家父長制を守るユダヤ人の違いだとすれば、これまたルカが異邦人だったことを示すと考えられるのではないか。

 エリザベスの子が生まれたとき、何と名付けるかが問題になった。

ルカによる福音書1章59節:親族が集まって割礼を施し、父と同じザカリヤの名を与えた

 だが、子供に父親と同じ名をつけるのはユダヤの習慣ではないし、バイブルのどこにもそんな例はない。実はこれこそ異邦人の習慣で、このような誤りを犯したルカの正体を図らずも示しているのではないか。ともあれ、その名には母のエリザベスが反対した。

ルカによる福音書1章60節:子供の母親が言った、いけない、この子の名はヨハネとする

 ザカリヤは妻の意見を容れ、子供の名はヨハネになった。

 イエスが生まれたのはどの年なのだろう? マタイはヘロデ大王の治世というから、前三七年から前四年の間になるが、異邦人ルカはローマ皇帝の名を挙げている。

ルカによる福音書2章1節:同じ頃、アウグストゥス皇帝は勅令を発した

 アウグストゥス帝の即位は前二七年だから、ヘロデの治世と重なるのは前二七年から前四年になる。さらにこの時の勅令の内容も書かれている。

ルカによる福音書2章1節:その勅令は、全世界へ課税せよというものだった
ルカによる福音書2章2節:この課税が行われた時、キリニウスがシリア総督だった

 キリニウスは前六年から前四年までと、紀元六年から九年までの二度、シリアの軍司令官を勤めている。マタイの記述と整合させるなら、イエスが生まれたのは、キリニウスの最初のシリア勤務時代ということになる。ところが史家ヨセフスの記述では、キリニウスの二度目の総督時代に、戸口調査が行われたことになっている。古代の戸口調査は課税か徴兵が目的であり、二度目の総督時代は、ヘロデ・アルケラオスが王位を追われ、ユダヤがローマの直轄地となった直後だから、戸口調査は必要だったはずである。だが、紀元六年以後にイエスが生まれたのでは、マタイの記述と合わないだけでなく、福音書全体が語るイエスの物語とも明らかに整合しないのである。

 結局、著者は正確な年代の記録には関心がなかったというしかない。ルカが語る戸口調査は、マタイが語る星と同じく、ただ舞台設定のために必要だったのだ。

 マルコの福音書を読む限り、イエスはナザレの町で生まれたガリラヤ人以外の何者でもない。だが、これでは、救世主はダビデの子孫でベツレヘムに生まれるというミカの予言と矛盾してしまう。そこでマタイは、ヨセフとマリアはベツレヘムの住人だったが、イエスが生まれた後、ナザレに移住したことにした。一方ルカは、ヨセフもマリアも初めからナザレの住人だったが、ベツレヘムへの旅先でイエスが生まれたことにしたのだ。だが普通なら、臨月のマリアがベツレヘムまでの長旅などするはずがない。そこで皇帝の命令で否応なくそうせざるを得なかったことにした。

ルカによる福音書2章3節:そこで全ての者が、故郷の町で課税されるために移動した
ルカによる福音書2章4節:ヨセフはダビデの家系だったので、ガリラヤのナザレから、ユダヤのベツレヘムへ、
ルカによる福音書2章5節:税を払うために行った。臨月の妻マリアも一緒だった

 常識で考えれば、こんなおかしなことはない。まず、納税するなら先祖の地ではなく、当人が居住して働いている場所のはずである。次に、全国民が一斉に旅行などしたら交通に大混乱を来たし、軍隊移動もままならない。ローマの宿敵パルティアに攻撃の絶好機を与えるだけではないか。もしも何らかの理由で各自の本貫地を知る必要があるなら、それを報告させればよいので、なぜそこへ行かせる必要があろうか。どうしても本貫地で何かの手続きが必要なら、一家の戸主だけがそこへ行けばよい。妻が、それも臨月の妻が同行する理由がどこにあるか。

 ルカの話は到底あり得ないことなのだが、結果的にこれがイエスの誕生にまつわる最も劇的な物語を作った。神の子は旅先の家畜小屋で生まれ、飼葉桶に寝かされたのだ。クリスマスの物語、聖誕の物語は、無数の伝説、歌、芸術を生み出すことになる。

 その日が十二月二十五日であるというのも、福音書のどこにも記述がない。それどころか、

ルカによる福音書2章8節:その地の羊飼い達が、夜の間、群れを見張っていた

 羊飼いたちが夜間に屋外に出ていたなら、季節は夏ではないのか。要するに、十二月二十五日はローマ暦の冬至で、天文知識のない古代人にとっては、それまで衰えてきた太陽が、この日を境に復活してゆくめでたい日なのである。ローマ帝国の初期、キリスト教と教勢を競ったミトラ教は太陽を信仰し、二七四年には皇帝アウレリアヌスが十二月二十五日を太陽の生まれる日と定めた。キリスト教はミトラ教の習慣を全否定するよりも、自らの教義と対立しない限りは、異教の習慣でも取り入れる道を選んだのであろう。なお、ローマ帝国が太陽暦を用いるのは三〇〇年頃より後のことで、復活祭のようにそれ以前の陰暦時代に確立した習慣は、陽暦では毎年、日が変わる。一方、クリスマスが十二月二十五日に固定されているということは、この習慣が太陽暦時代に定着したと考えてよい。

 マタイもルカもイエスの誕生にまつわる話を語るが、内容は完全に異なる。マタイが語る、ヘロデの幼児虐殺、ヨセフ一家のエジプトへの逃避、ベツレヘムの星、三人の賢者のどれ一つルカには登場しない。代わりにルカには、赤子のイエスを救世主と見抜いたシメオンやアンナが登場するが、彼らはマタイには登場せず、他にも戸口調査、家畜小屋、羊飼いなども同様である。なお、ルカには他の福音書にはない、イエスの少年時代の話があり、イエスが十二歳のとき訪れたエルサレムの神殿で祭司たちと問答し、イエスが知識と理解の深さで、大人の祭司たちを驚嘆させたとある。初期のキリスト教徒が、無知なガリラヤ人を拝する者と嘲笑されていたことを背景に、このような話が作られたのかもしれない。この後ルカは、イエスの成人期まで時代を進める。

ルカによる福音書3章1節:ティベリウス皇帝の十五年、ユダヤの総督はポンティウス・ピラト、ガリラヤの王はヘロデ、イトゥラとトラコニティスの王はフィリポス、アビレネの王はリサニアス、
ルカによる福音書3章2節:祭司長はアナスとカイアファだった、この時、荒野にいたザカリアの子ヨハネに神の言葉が降った

 ティベリウス皇帝の十五年は紀元二八年から二九年にかかる。またイエスの年齢にも言及がある。

ルカによる福音書3章23節:イエス自身も、三十歳くらいであったが、活動を始めた。

 ルカは「三十歳くらい」というが、もしも紀元二九年にちょうど三十歳なら、イエスの生誕は前一年で、誕生日が十二月二十五日とするなら、その一週間後に紀元元年が始まったことになる。我々が用いる暦ともほぼ一致するが、ヘロデ大王が前四年に死んでいるから、これはありえない。キリスト紀元(西暦)を制定した後世の人間は、三十歳くらいの「くらい」を無視したのだろう。

※ここはアジモフらしくない計算ミス。AD29に30歳なら、28年前のAD1には2歳だから、生まれたのは2BCのはず。ハリ・セルダンの生年をファウンデーション紀元の前79年としたのと同じで、要するにADであれFEであれ「紀元ゼロ年」はないことを計算で考慮しなかったのだろう。※


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