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投稿日: 2015/11/22(Sun) 23:04
投稿者Ken
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タイトルルカによる福音書 (続き)

 ここで初めてルカはイエスの系譜を語る。ただし、マタイとは逆にイエスから先祖を遡って紹介してゆく。

ルカによる福音書3章23節:イエスはヨセフの息子(と信じられている)、ヨセフはヘリの息子、
ルカによる福音書3章24節:ヘリはマタトの息子

 ヨセフとの親子関係に「と信じられている」という但し書きがついているのが、イエスの処女生誕のルカ流の表現である。マタイと異なるのは、マタイが記する系譜がアブラハムから始まるのに、ルカの記述が全人類の祖アダムまで遡ることだ。明らかに、ユダヤ人の視点ですべてを見ていたマタイと異邦人ルカの違いであろう。アブラハム以降の系譜を見ると、ダビデまではマタイとルカが挙げる名は同じだが、そこからが完全に異なる。マタイは、ダビデの次がソロモン、その次がレハブアムとユダ王国の王を辿ってゆく。ところがルカはダビデの息子ナタンを挙げている。ナタンはソロモンの兄である。

サムエル記二5章14節:エルサレムでダビデがもうけた息子は次のとおりである、シャムヤ、ショバブ、ナタン、ソロモン、

 そしてナタンの後、旧約聖書にない名が続いてゆく。もっともシェアルティエルとゼルバベルの父子の名だけはマタイの系譜と同じだが、マタイがシェアルティエルをエホヤキンの子とするのに、ルカはネリというやはり旧約聖書に記載のない人物の子とする。そしてマタイの記述ではゼルバベルはダビデから十六代後の子孫だが、ルカの記述では二十二代である。マタイとルカの記述が一致するのは、結局マリアの夫ヨセフまできたときで、そのヨセフの父の名すらも異なる。

マタイによる福音書1章16節:ヤコブはヨセフの父
ルカによる福音書3章23節:ヨセフはヘリの息子

 イエスの系譜について、二つの福音書の不一致を説明するいろいろな試みが行われてきたが、結局は異邦人ルカの旧約聖書の知識が貧弱で、知らない部分を想像で埋めたという説が、的を得ているのだろう。

 洗礼を受けた後のイエスの事績は、ルカの記述もマルコやマタイの記述と基本的に変わらない。異なるのは、ユダヤ人のマルコやマタイと異邦人ルカの間に見られる、ユダヤ人と異邦人の描写で、ルカの方が異邦人に好意的なのだ。一例がイエスに病人を治すことを頼んだ百人隊長で、マタイが百人隊長という部分だけを強調するのに、ルカはこの人物が異邦人であることを強調し、イエスに近づくことを遠慮して、ユダヤの長老たちを派遣したという。しかも派遣された長老たちは、百人隊長をイエスの前で讃えている。

ルカによる福音書7章4節:長老たちはイエスの下へ来ると直ちに訴えた、この隊長は偉い人です
ルカによる福音書7章5節:私たちの国を愛し、シナゴーグを建ててくれました

 女性の描き方もルカは異なる。例えばイエスの生誕にまつわる話で、マタイがヨセフを中心に語るのに、ルカの話はマリアが中心である。ルカの描くイエスは娼婦にまで慈悲をみせている。イエスがファリサイ派の人々と食事をしていたとき、その一人が現れた。

ルカによる福音書7章37節:見よ、罪深い、町の女が、ファリサイの家にイエスがいることを知って
ルカによる福音書7章38節:涙を流してイエスの足元に立った

 イエスは彼女が罪を悔いていることを知って、彼女を許した。そしてその直後に、あまりにも有名な福音書の女性が語られる。

ルカによる福音書8章2節:悪霊と病から解放された女たちの中に、マグダラのマリアがいた。七人の悪魔が彼女から出て行った。

 イエスに罪を許された娼婦の話の直後にマグダラのマリアが登場するので、彼女がその娼婦だと信じられることが多い。だが、そんなことは書かれていない。

 マルコとマタイにふんだんに見られる異邦人への敵意も、ルカにはない。イエスに犬と呼ばれて納得するカナン人の女も登場しないし、イエスも弟子たちにサマリア人や異邦人の地へ行くなとは言わない。代わりにイエスが語るのが、これまた有名すぎる「良いサマリア人」の物語なのである。ある男(ユダヤ人であろう)がエルサレムからエリコへの旅の途中に賊に襲われ、重傷を負って道に倒れていた。そこへ通りかかった祭司もレビ族の男も倒れた男を無視して通り過ぎた。

ルカによる福音書10章33節:そこへ一人のサマリア人が来て、その男を見た、彼には情けがあった

 ユダヤの律法には、隣人を愛せよという一項がある。サマリア人が旅人を助けたことを語ってから、イエスは言った。

ルカによる福音書10章36節:三人(祭司、レビ族、サマリア人)のうちで、賊に襲われた男にとっては、誰が真の隣人であると思うか?

 答えはサマリア人である。伝統的にユダヤ人は、律法のいう愛すべき隣人とはユダヤの同胞のことだと理解してきたが、ユダヤ人であれ異邦人であれ、正しい行いをする者こそが隣人だと、イエスは語る。この話の衝撃の大きさを理解するには、例えば、現代のアメリカ南部で、白人の農場主が道に倒れており、牧師も保安官も無視して通ったのに、黒人の労働者が彼を助ける場面を想像すればよい。(※アジモフのバイブル・ガイドは1960年代の著書である。今ならそんなことは珍しい話でもない。※)

 ルカもまたマタイと同じく富者への敵意を隠さない。神と富の二者に仕えることはできないとか、駱駝が針の穴を通る方が金持ちが神の国へ入るよりも易しいという話はルカも記載している。また、他の福音書にはない、さらに激しい話も載せている。

ルカによる福音書16章19節:ある金持ちがいた
ルカによる福音書16章20節:その門前にラザルスという名の乞食が傷だらけで現れた

 だが、その乞食は死んで天国へ行った。

ルカによる福音書16章22節:乞食は死んで、天使の手でアブラハムの傍らへ連れて行かれた

 反対に金持ちは地獄へ行った。それも旧約聖書のショルのような暗い陰気なだけの冥府ではなく、罪人が永遠の罰を受ける恐ろしい責め苦の場所である。この変化は数世紀に及ぶユダヤ人の体験からきたものだ。旧約聖書の時代には、神の正義が実現されるのはあくまでも現世、地上の世界だった。だが、いくら待っても異教徒は栄え、ユダヤ人は抑圧されている。そこで、神の正義は来世でこそ実現されるという発想が出てきたのだ。その萌芽は「第三イザヤ」にすでに認められる。

イザヤ書66章24節:行けば、私に背いた者たちの死体を見るだろう、その蛆は死なず、火が消えることもない

 そこにはギリシャの影響があるかもしれない。ギリシャ神話のハデスはイスラエルのショルと同じく、ただ暗いだけの場所だが、それとは別に悪人が行くタルタロスという場所もある。そんな地獄へ落ちたラザルスの話の金持ちは天国のアブラハムに助けを求めるが、アブラハムはその金持ちが地獄にいるのは当然だと言って突き放す。しかも、その男が何の罪を犯したのかも言わないのである。

ルカによる福音書16章25節:だがアブラハムは言った、我が子孫よ、お前は生前に良いものばかりを受け、ラザルスは悪いものばかりを受けた、今や彼は慰められ、お前は苦しむのだ

 結局、豊かな者は、豊かであること自体が罪なのである。富者を憎悪する貧者の間で、このような教義が人気を博したのは無理もない。

 イエスの最後へいたる記述は、ルカもマルコやマタイと基本的に同じである。ただし、やはりルカとしては、異邦人ピラトの責任はより軽く、ユダヤの権力者の責任はより重くなるような筆致になっている。例えば、ピラトがイエスを助けようとする発言は、マルコでは二回、マタイでは一回発せられるが、ルカでは三回になっている。それどころか、ルカの描くピラトは、イエスを裁く仕事自体を、一度は放棄しようとする。

ルカによる福音書23章6節:ピラトは、彼(イエス)がガリラヤ人かと尋ねた
ルカによる福音書23章7節:そしてヘロデに裁かれるべき人間と知ると、その時エルサレムへ来ていたヘロデの下へ送った

 このヘロデはガリラヤの王ヘロデ・アンティパスである。過越しの祭のために、エルサレムに来ていたのだろう。イエスはヘロデに尋問されるが、彼はヘロデには一言も発せず、ヘロデはイエスをピラトの下へ送り返した。それでも一度はヘロデの所へ送られたために、イエスの死に関してピラトが負ういかなる責任も、ヘロデもまた負うことになる。ルカの記述ではそうなるのである。

 十字架の上のイエスについては、マルコもマタイも、人々に見捨てられて絶望する姿を描く。おそらくこれが史実のイエスに近いと思われるが、ルカのイエスは、はるかに救世主にふさわしく振る舞い、他の福音書には記載のない、高貴な言葉を発する。

ルカによる福音書23章34節:イエスは言った、父よ、彼らを許したまえ、自分が何をしているのか、分かっていないのだから

 イエスの両側ではりつけになった二人の受刑者が登場するのは、マルコ、マタイ、ルカの三人に共通しているが、その二人の発言が異なる。マルコの福音書では二人は何も言わない。マタイの福音書では二人はイエスを嘲る。

マタイによる福音書27章44節:一緒にはりつけになった盗賊どもも、同じ嘲弄を浴びせた

 ところがルカの福音書では、イエスは彼らの罪も許し、一人はイエスを救世主として受け入れるのである。

ルカによる福音書23章42節:彼はイエスに言った、主よ、王国へ入られたら私を思い出してください
ルカによる福音書23章43節:イエスは言った、はっきり言おう、今日、君は私とともに天国へゆく

 そして、ルカは「神よ、神よ、なぜ私を見捨てられたか」という、救世主にふさわしくない言葉をイエスに言わせない。その代わりに、こう言わせている。

ルカによる福音書23章46節:イエスは言った、父よ、あなたの手に私の魂は戻ります、

 こうしてイエスは死んだ。その後の復活の話を、ルカはマルコやマタイより、はるかに詳しく語っている。


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