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投稿日: 2016/05/08(Sun) 23:14
投稿者Ken
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タイトルヨハネの黙示録

『ヨハネの黙示録』

 ドミティアヌス帝の時代にキリスト教徒の手で書かれ、バイブルの正典となった黙示文学が本書である。新約聖書の最後の一書で、イザヤ書やダニエル書のように一部ではなく、全体が黙示文学となっている唯一の書でもある。黙示文学といえば、著者名に過去の著名人の名を借りることが多いのだが、本書の著者は自ら名乗っている。

ヨハネの黙示録1章1節:神がイエス・キリストに与えた啓示で、まもなく起こることをイエスの下僕たちに示すため、天使がイエスの下僕ヨハネに伝えた

 だが、どのヨハネなのか。第四福音書の著者で、十二使徒の一人ヨハネと考えられることが多く、カトリック版のバイブルでは「使徒聖ヨハネの黙示録」という題名がついている。だが、本書と第四福音書では、文体、用語、なにより思想が大きく異なる。それに本書の著者は自分のことを「イエスに愛された弟子」と言っていない。ヨハネはヨハネでも別人なのであろう。

 この黙示録もまた、勝ち誇る悪の勢力に迫害される信徒たちに、信仰が報われる日は近いという。

ヨハネの黙示録1章3節:この予言を読むものは幸いである、その日は近いのだから

 著者は旧約聖書から、大量に表現を借用している。

ヨハネの黙示録1章7節:見よ、その人は雲に包まれて現れ、全ての目がその人を見るだろう。その人を刺した者たちもだ。地上の親族までもが、その人のために泣き叫ぶだろう
ヨハネの黙示録1章8節:私はアルファでオメガ、始まりと終りであると主は言われた。過去と現在と未来なのだ、と

 これらは、ダニエル書、ゼカリヤ書、イザヤ書の黙示部分に元になった文章がある。

ダニエル書7章13節:見よ、人間の息子が天の雲と現れ、
ゼカリヤ書12章10節:彼らは自分たちが刺した私を見上げて嘆くだろう
イザヤ書44章6節:主はいわれる、私は最初であり、最後なのだ、と

 ヨハネは、この神の啓示を七つの教会へ伝えるべく指示を受けたと語る。

ヨハネの黙示録1章10節:私は、背後で大きな声を聞いた
ヨハネの黙示録1章11節:君の見たことを書にしてアジアの七教会へ伝えよ、と。すなわち、エフェソ、スミルナ、ペルガモス、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの教会へ

 このうちエフェソ、ティアティラ、ラオディキアは、使徒言行録やパウロの手紙に登場するが、あとの四つがバイブルに登場するのは、この黙示録だけである。

 実際の教会は七つよりも多かったはずだが、ヨハネの黙示録には、七という数がいたるところで現れる。あたかもマジックナンバーであるかのようだ。これはこのときに始まったことではなく、天地創造が六日で行われ、安息日を加えて、一週間が七日になっていることから分かるように、創世記もその元になったバビロニア神話も、七をマジックナンバーと考えている。天空を移動する七つの天体(太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星)があることに由来するのは疑いない。

 七教会のそれぞれに天使が伝えるメッセージが黙示録で語られる。現代人が読んでも意味不明なものが多いが、当時の人々には容易に理解できるものであった。まず、最も重要なエフェソ教会だが、

ヨハネの黙示録2章4節:それでも、君たちには問題もある、当初の愛を喪失している

 このように言われるところをみると、エフェソ教会は以前ほどの熱心さを失っていたのだろう。ただしヨハネが非難する宗派をエフェソ教会も非難することでは、賞賛されている。

ヨハネの黙示録2章6節:私が憎むニコライ主義者の行いを君たちも憎んでいる

 ニコライ主義者がどういう教義を唱えたのかは記されてないが、どうやら初期キリスト教の特徴である、あらゆるものを分け合う思想を極端に拡大解釈し、夫や妻まで分け合う、つまりどんな相手とでも自由に性的関係を持ってよいという主張を行っていたらしい。そのことは、ペルガモス教会への言葉から察せられる。

ヨハネの黙示録2章14節:その地には、バラムの教えに従い、イスラエルの子等を妨害せよとバラクに教えた者たちがいた
ヨハネの黙示録2章15節:彼らは私が憎むニコライ主義者の教えに従うのだ

 民数記の呪術師バラムは、モアブ王バラクの依頼でイスラエルを呪うつもりが、意に反して祝福を与えることになったので、今度は女たちを利用してイスラエル人を堕落させる提案をしたことになっている。

民数記25章1節:イスラエルはシティムに滞在し、民はモアブの娘たちと背徳の行為を始めた

 サルディス教会も警告を受けるが、何名かは立派な者もいると言われる。

ヨハネの黙示録3章5節:その者の名を生命の書から消すことはしない

 本来、生命の書とは生きている人間のリストのことで、ここから名を消されるのは、単に死ぬことを意味した。これがバビロン捕囚以後の時代になると、死後神の国へ行ける者のリストに変質する。

 フィラデルフィア教会は、信仰の強さを讃えられる。

ヨハネの黙示録3章8節:諸君には力がある、我が言葉に従い、我が名に背かず

 この町のその後の歴史は、そのとおりになった。千年後にトルコ帝国が小アジアを征服しイスラム化してゆく過程で、一三九〇年に陥落するまでキリスト教の砦だったのがこの町なのである。一六八二年に開拓者ウィリアム・ペンがアメリカのデラウェア河畔に建設した町の名にも採用された。ペンは黙示録のこの一節を知っていたのだ。

 対照的に激しく非難されるのがラオディキア教会である。ヨハネの考えに賛成も反対もせず、責任逃れの態度に終始したことが許せなかったのだ。ヨハネは、信頼できない味方よりは、正直率直な敵の方がよほどましと考えたようである。

ヨハネの黙示録3章15節:君らがしたことは承知している。君らは冷たくも熱くもない。むしろどちらかの方がよい
ヨハネの黙示録3章16節:君らは優柔不断で、冷たくも熱くもないから、私は君らを吐き出すだろう

 「無関心」を意味する英語の「Laodicean」の由来はここにある。

 ここからは天国の描写へと記述が移る。ダニエル書、エゼキエル書、イザヤ書から多くの題材を採用し、七つの封印を施された預言書と、その封印を解く救世主が登場する。

ヨハネの黙示録5章6節:見よ、長老たちの中に、かつて惨殺された子羊が現れ、
ヨハネの黙示録5章7節:その子羊は近づいて、玉座の人の右手よりその書を受け取り、

 子羊の正体が何者であるかは、説明の必要もない時代だった。

ペトロの手紙一1章18節:諸君の罪は消える
ペトロの手紙一1章19節:一点の汚れもない子羊の姿をとるキリストの高貴な血のおかげで

 預言書の七つの封印は一つずつ解かれてゆくが、最初の四つは、封印が解かれるごとに騎馬が現れる。

ヨハネの黙示録6章1節:子羊が封印の一つを開くと、
ヨハネの黙示録6章2節:見よ、白馬にまたがる人は弓を持ち、冠をいだき征服に赴いた
ヨハネの黙示録6章3節:二つ目の封印を開くと、
ヨハネの黙示録6章4節:赤馬にまたがる人には、地上の平和を奪う力が備わり、
ヨハネの黙示録6章5節:三つ目の封印を開くと、見よ、黒馬にまたがる人は、一対の天秤をもち、
ヨハネの黙示録6章6節:声がして麦一はかりが一ペニーといい、
ヨハネの黙示録6章7節:四つ目の封印を開くと、
ヨハネの黙示録6章8節:見よ、無色の馬が現れ、またがる人の名は「死」である

 それぞれの騎馬は、救世主の到来前に地上世界を(とりわけローマ帝国を)襲う災厄を表す。白馬の騎士は戦争を表す。特に、弓は、ユリウス・カエサルの時代から一貫して東方の脅威だったパルティアの象徴といえる。赤馬も戦争であるが、とりわけ悲惨な流血を伴う内乱と叛乱を意味するのだろう。黒馬は、一はかりの麦に一ペニーという法外な高値をつけることから、明らかに飢饉を意味する。無色の馬と騎士は「死」というが、最初の三つの原因による死と区別されているので、考えうるのは疫病である。世界の終りの前兆である戦争、謀叛、飢饉、疫病という四つの災厄を、その後の歴史の中で探し求める人々は、近代まで現れ続けた。二十世紀になると、黙示録のこの箇所は、ほかならぬ一九一四年から一九二〇年までの世界を予言したものだという解釈まで現れた。戦争は第一次大戦、謀叛はロシア革命、飢饉は大戦後にロシアとドイツを襲った大凶作、そして疫病は一九一八年に世界規模で流行し、大戦以上に人名を奪ったインフルエンザというわけだ。

 五つ目の封印が解かれると、審判の日を待つ殉教者たちの魂が現れ、六つ目の封印が解かれると、世界の終りが始まる。いよいよクライマックスで、七つ目の封印が解かれ、世界が終わり最後の審判がなされるはずなのだが、ヨハネの黙示録は、ここからこのクライマックスを何度も先へ延ばす。まず、六つ目の封印が解かれた後で、

ヨハネの黙示録7章1節:私は四人の天使を見た
ヨハネの黙示録7章3節:彼らは言う、神の下僕たちの額に印をつけるまで、地上を傷つけるな

 救済されるべき人々は、いわば神の所有物の印を付けられるのだが、その人数まで指定される。

ヨハネの黙示録7章4節:印を付けられる人の数を聞いた、イスラエルの全部族から十四万四千人だ、と

 人類の総数と比べて救済される数が少なすぎるようだが、数値自体には意味がない。七と同じく十二も聖なるマジックナンバーで、十二を二度かけて、最大の数を表す言葉の「千」をかけると百四十四千、つまり十四万四千になる。なお、千の上の「ミリオン(百万)」という言葉が現れるのは、中世のイタリアである。結局「イスラエルの全部族から十四万四千人」とは「すべての正しい者、非常に多くの者」と言っているのと同じなのである。正しい者はもれなく救われるのだ。

 彼らの苦しみが洗い流される様が語られるのが、有名な一節である。

ヨハネの黙示録7章4節:彼らは大いなる試練から出てきて、その衣は子羊の血で洗われて白くなる

 いよいよ七つ目の封印が解かれるが、まだクライマックスは訪れない。七人の天使が順にラッパを鳴らし、その都度災厄が訪れる。とくに五人目の天使がラッパを鳴らすと、地獄の口が開く。

ヨハネの黙示録9章2節:すると穴から煙が昇り、
ヨハネの黙示録9章3節:煙の中からイナゴの大群が現れて地を覆い、
ヨハネの黙示録9章7節:イナゴは戦いに赴く馬のようであり、顔は人の顔のようである

 人面馬身の怪物は、当時の最大の恐怖だったパルティアの騎馬軍団のイメージだろう。退却に際しても、一斉に矢を放ち、敵に打撃を与える様が象徴的に描かれている。

ヨハネの黙示録9章10節:サソリのような尾をもち、とげで刺す

 六人の天使がラッパを鳴らし、次こそ世界が終わるかと思われたが、最後の七人目の前にまたも事態の進行はわき道へそれる。世界を悪の勢力が支配するのである。ドミティアヌス帝による迫害を述べる著者の意図は明らかだが、セレウコス帝国の迫害を描いたダニエル書の表現を借用している。

ヨハネの黙示録11章2節:神殿のない宮廷は異邦人のものとなり、聖都は四十二箇月のあいだ、彼らに踏みにじられる

 四十二ヶ月は三年半だから、アンティオコス四世が神殿を穢した時期と一致するが、もちろん黙示録が書かれた時代にはセレウコス朝は消滅して久しく、この神殿は、すでに破壊されていたエルサレム神殿ではなくキリスト教会で、迫害者もセレウコス帝国ではなくローマ帝国にほかならない。

 ついに七番目のラッパは鳴らされた。だがまだクライマックスは訪れず、今度は善と悪の戦いが描かれる。

ヨハネの黙示録12章1節:天に奇跡が起こり、太陽の衣、月の靴、十二の星の冠を身につけた婦人が現れ、

 その女性は救世主を出産する。

ヨハネの黙示録12章5節:彼女は男の子を産み、その子は鉄の杖で諸国を支配する

 だが、その子には敵がまちかまえていた。

ヨハネの黙示録12章3節:天にもう一つの奇跡があり、見よ、冠を着けた七つの頭と十本の角をもつ赤竜が現れ

 竜はつまりサタンで、赤子を呑み込もうとするが、救世主にも味方がいた。

ヨハネの黙示録12章7節:天で戦があり、ミカエルの天使軍と竜が戦った
ヨハネの黙示録12章8節:竜は敗れた
ヨハネの黙示録12章9節:巨大な竜は地に落ち、悪魔王またサタンと呼ばれた老いた蛇と、彼の天使たちもともに落ちた

 だが、地に落ちた竜はしぶとく戦い続け、地上の正しい者たちを苦しめる。

ヨハネの黙示録12章17節:竜はその婦人に怒り、彼女の子とその一党に戦いをしかけた。神の戒めを守り、イエス・キリストに忠実な人々である

 だから教会の受難は終わらない、と黙示録の著者は言うのである。

ヨハネの黙示録13章1節:私は見た、七つの頭と十本の角をもつ獣が海から現れ、頭上には神を冒涜する者の名があり、
ヨハネの黙示録13章2節:竜がその獣に力を与えた
ヨハネの黙示録13章3節:すると一つの頭が傷ついて死ぬが、その傷は治り、

 海から現れた獣とは地中海からやってきたローマ、七つの頭の一つが死んだとはネロ帝で、その傷が治ったのは、ローマ帝国がネロの後も続いたことを示す。ドミティアヌスが登場するまでは、迫害者とはネロ帝のことだった。

 神を冒涜するとは、皇帝を神として崇めることをいう。しかし、皇帝崇拝は、ローマほどの多様な言語、習慣、宗教をもつ国家を維持するにはどうしても必要で、近代国家が国旗への忠誠を国民に要求するのと変わらない。

 ここで、黙示録の著者は悪を体現する個人に言及するが、その名を言えば謀叛人になるので、暗号的な言い方をしている。

ヨハネの黙示録13章18節:賢人を連れてきて、獣に付いた数を見せよ、この数は人を表し、六百六十六である

 これを理解するには当時のヘブライ語の知識が必要なのだが、その前に、特定の文字はある数を表すことを思い出す必要がある。ローマ数字なら、Iは1、Vは5、Xは10、Lは50、Cは100、Dは500、Mは1000を表すから、例えばDill McDixという人物の名は合計2212になる。同様に、獣に付いた数666も特定の人物を表すと推測され、誰のことであるのか検討がなされてきたが、ネロ帝だろうという意見が最も多い。Nero Caesarをギリシャ風に書くとNeron Caesarで、これをヘブライ文字で表し、各文字の数を合計すると666になるのである。ローマ風にNero Caesarと書くとヘブライ語で50を意味するnが一つ抜け落ち616になる。実はヨハネの黙示録の古い原稿の中には、666ではなく616と書いているものもある。

 もっとも黙示録が書かれた時代には、ネロは四半世紀前に死んだ皇帝で、むしろドミティアヌス帝こそが言及されるはずである。おそらくは、当時のキリスト教徒だけに通じるドミティアヌスの呼び方があり、それが666だったのではなかろうか。

 その獣が支配する都に、神の印を付けた十四万四千人の正しき者が戦いを挑み、見事勝利する。

ヨハネの黙示録14章8節:バビロンは落ちる、落ちる、かの大都は

 もちろん大都バビロンとはローマのことだ。獣が敗北すると、善と悪の最終決戦の舞台が整う。

ヨハネの黙示録16章16節:その獣は、ヘブライ語でハルマゲドンと呼ぶ場所へ全軍を集め

 ハル・マゲドンはメギド山を意味する。前六〇八年、ユダ王国のヨシヤ王とエジプトのファラオ・ネコが戦いを交えた地である。

列王記二23章29節:エジプトの王ファラオ・ネコはアッシリア王と戦うために進み、ヨシヤ王は彼に挑んだが、メギド山で戦死した

 偉大な改革者ヨシヤ王はメギド山で敗れ、悪が勝利した。同じ地で、今度は善が勝つはずなのである。

 最後の時を前にして、天使が一つの光景を示す。

ヨハネの黙示録17章1節:来たれ、水の上に座す悪しき女を君に見せよう
ヨハネの黙示録17章3節:彼はそういって私を荒れ野へ連れ去り、私は緋色の獣に座す女を見た、その獣は神を冒涜する者の名に満ち、七つの頭と十本の角をもつ
ヨハネの黙示録17章4節:女は紫と緋を着込み、黄金と宝石と真珠を身に付け
ヨハネの黙示録17章5節:彼女の額には「偉大なるバビロン」という名が書かれていた

 ここまできて、獣の七つの頭の意味がついに解説され「バビロン」の正体に一切の疑問を残さなくなる。

ヨハネの黙示録17章9節:七つの頭は七つの山、そこに女が座す
ヨハネの黙示録17章10節:七人の王がおり、五人は歿し、一人は存し、もう一人はこれから来て、ごく短い間存する
ヨハネの黙示録17章11節:そして死に去った獣、八番目ではあるが、

 ユリウス・カエサルを初代とすればネロは六代目の皇帝で、彼の治世を表現するなら、五人の王は歿して、六人目が現存することになる。七人目のガルバ帝は、たしかに短期間君臨した後、反乱者に殺されている。これでは迫害者がドミティアヌスであるという事実と合わないようだが、ネロ帝の時代に書かれた文章を、黙示録の著者がそのまま転写したのではないか。

 そのバビロン(ローマ)もついに滅び、救世主の時代が訪れる。ただし、それさえも永遠に続くものではない。

ヨハネの黙示録20章1節:そして、私は天使が降臨するのを見た
ヨハネの黙示録20章2節:天使は竜を、そして悪魔王でありサタンである老いた蛇を捕らえ、千年の間、拘束した
ヨハネの黙示録20章3節:そして、その後、一旦解きはなち

 解き放たれた悪魔は、もう一度征伐され、ついに審判の日が来る。

ヨハネの黙示録20章12節:そして死者たちが、小なる者も大なる者も、神の前に立ち、裁きを受けるのを見た

 そして、不完全だった古い世界の代わりに、完璧な新しい世界が創造される。

ヨハネの黙示録21章1節:そして私は新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は消え去ったのだから
ヨハネの黙示録21章2節:この私ヨハネは、聖都、新しいエルサレムが、神から降るのを見た

 新しいエルサレムの偉大な様を言葉を尽くして語った後、その日がもうそこまで来ていることを、天使に語らせる。

ヨハネの黙示録22章6節:これらの予言は真実である、主なる神は天使を遣わし、まもなく来たるものを示されたのだ
ヨハネの黙示録22章7節:見よ、私はすぐにも来たる

 この神の約束を述べて、新約聖書は完結する。以後二千年、その約束はまだ実現しないが。

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これにて、アジモフのバイブルガイドの紹介を終了します。


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