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投稿日: 2016/05/08(Sun) 23:17
投稿者Ken
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タイトル終りに〜アジモフ作品の中のバイブル

 外国の文学作品を読む難しさの一つに、その国の文化背景を知っていないと理解できない文章に遭遇することがあるのは、多くの人が経験されているでしょう。日本人が外国の作品を読むときも、外国人が日本の作品を読むときにも、そのような例を挙げればきりがありません。例えば、日本の小説の中に「敵に塩を送る」という表現が登場すると、一般的な日本人ならそれがどんな状況を表現しているのか直ちに理解しますが、日本の文化背景を知らない人が読めば何のことか分かりません。それどころか日本の習慣を中途半端に覚えている人は、まるで的外れの誤解をするかもしれないのです。例えば日本には「清めの塩」という習慣があるので、誰かに塩を送るという行為は、特にその誰かが「敵」である場合には、「お前は穢れた存在だから、この塩で清める」という侮辱の意味を込めていると思われる可能性もあります。「敵に塩を送る」という成句を理解するには、今から五百年ほど前にあった(史実かどうかは知りませんが)、日本史の中の特定のエピソードを知っていなければならないのです。

 日本人が外国の文学を読むときも同じ難しさに遭遇します。最も広範に親しまれている英米の文学作品も例外ではなく、とりわけバイブルは多様なところで引用されるので、多くの英米文学を読むための必須知識になっています。なかでも頻繁にバイブルを引用する作家の一人がアジモフではないでしょうか。

 例えば『鋼鉄都市』の第4章で、イライジャ・ベイリが、列王記に登場するイゼベル(ジェゼベル)王妃を語る箇所がそうです。王妃がヤハウェ神の祭司たちと抗争した話や、他人の果樹園を奪うために所有者を謀殺した話が語られます。また、同じ『鋼鉄都市』の第14章では、ヨハネの福音書に書かれたイエスの事跡が語られます。あるとき、不倫の罪を犯した女性が公開処刑をされることになりました。当時の処刑法は、衆で囲んで石をぶつけることでしたが、石を手に女に迫った人々にイエスが告げたといいます。「諸君の中で、罪を犯したことがない者が、最初に石を投げるがよい」と。すると、誰一人、手にした石を投げることができなかったという話です。(なお、イライジャ・ベイリは、この話は正義よりも慈悲が優先することを教えるのだ、とダニールに語りますが、すこし違うでしょう。すべての人は罪人であり、他人の罪を裁く資格などない、と教えるのが福音書の真意であると思います。)

 実をいうと、これらはアジモフ作品の中で、最も分かり易いかたちでバイブルが引用された例なのです。なぜなら、バイブルの物語自体が作品中で説明されているからで、バイブルを読んだことがない人でも、理解に困ることはまずないからです。

 いつもそういう親切な解説つきでバイブルが引用されるとは限りません。例えば『最後の質問』の末尾の一節は、こうです。

  「光あれ」と言われた
  そして光が生じた

 ここで引用元の説明はありません。それでもこれなどは一般的な教養をもつ読者なら、バイブルのどの部分を引いているのか、すぐに分かることでしょう。

 それに比べると、『永遠の終り』の第13章に登場する「サムソンの一撃」は、より理解が難しいといえます。ノイエスを奪われたと信じたハーランが決死の反撃を決意する場面でこの表現が登場しますが、「サムソンの一撃」自体の説明はありません。これは士師記の16章に登場する古代イスラエルの士師サムソンが、ペリシテ人に捕らえられ、両目を潰され奴隷にされていたのを、あるときペリシテ人が集まった建物の柱を壊して建物を崩落させ、多くの敵を殺したが、サムソン自身も建物の下敷きで死んだ、という話を引いているのです。それを知れば『永遠の終り』のハーランがタイムマシンの事故を故意に起こし、彼自身が命を落としてでも、エターニティを消滅させようとする行為との共通点が分かるでしょう。

 それでも、サムソンの一撃などは、バイブルの物語でも比較的知られた話といえます。これが『ファウンデーションと地球』の第8章で、ペロラトが古代の神話の一節と紹介する「イバラとアザミも与えよう」という文章などは、大半の日本人は知らないのではないでしょうか。私自身も何のことか分からず、バイブルを検索してみて、創世記の3章18節の文章と知った次第です。

 やはり『鋼鉄都市』に書かれた「顔を塗ったジェゼベル」などは、ある意味さらに厄介で、なぜジェシーがこの表現を気にしたのか、バイブルを読んでもまだ分からないかもしれません。列王記に書かれているのは、謀叛を起こした将軍が王妃を殺すために来たとき、王妃は化粧をしていた、という事実だけです。このことはしかしアジモフが『バイブル・ガイド』で説明したように、王妃がいかに最低の女であったかを示す逸話として、悪意の解釈をされるようになりました。そんな伝統を知っていないと、ジェシーの反応は理解できないのです。

 アジモフ作品には、バイブルの文章自体を引用してなくても、バイブルの世界を反映していると思わせる記述もあります。例えば『ファウンデーションへの序曲』に登場するマイコゲンの人々を思い出してください。彼らが徹底した脱毛処理を行い、それをしていない外部の「部族民」を激しく忌避するのは、それだけを読んでも面白いでしょうが、古代のユダヤ人が律法によって髭を剃ることを禁じられ、髭を剃っているエジプト人やローマ人を憎み軽蔑していた事実を知れば、アジモフの意図がよりよく理解できるでしょう。ユダヤ人とマイコゲン人の行為は正反対ですが、異民族の習慣に呑み込まれてしまうことを恐れ、自分たちの伝統に固執する点では同じなのです。

 私は思うのですが、アジモフが1960年代の後半に『バイブル・ガイド』を発表した動機の一つに、アメリカにおいてすら、人々がバイブルの知識を失いつつあり、アジモフ作品が次第に読みにくいものになっていた背景があるのではないでしょうか。あくまでも動機の中のひとつですが。


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