☆歴史のトップページに戻る
<<<過去ログ1101〜1200
過去ログ901〜1000>>>

#1100 
森 洋介 2000/09/05 00:59
ユダヤ人とユダヤ教徒と

 ユダヤ人とユダヤ教徒って区別できるんでせうか。どうもややこしい。
 ユダヤ人って、度重なるディアスポラ(離散)の所為で世界各地に存在しますから、当然移住先で他民族との混血も進み、外観上、殊更これがユダヤ人だといふやうな形態人類学的な特徴は失はれてゐるんですよね。ユダヤ鼻なんてのは俗説です。つまり見ただけではユダヤ人か否か区別(差別)できず、ある意味、民族としてのユダヤ人に実体はない。まあ民族とか人種とかいふ概念自体がそもそも怪しいのですが。
 ユダヤ慣習法によれば、「ユダヤ人とは、ユダヤ人である母親から生まれた人またはユダヤ教に改宗した人のこと」ださうです。ここから、要するにユダヤ教の信者が「ユダヤ人」なのだ、といふ定義が出てきます。確かサルトルもユダヤ人(差別)問題でそんな発言をしてゐました(ハンナ・アレントは反論したさうだけど、よく知らない)。
 すると――シャイロックの娘ジェシカは、キリスト教徒に改宗した時点で「ユダヤ人」ではなくなったことになる……?(ユダヤ人の親から生まれたといふ点では未だユダヤ人でせうが)
 イエスは自分ではユダヤ教の預言者のつもりだったでせうからユダヤ人ですが、その後、パウロによってキリスト教はユダヤ人のみを選民としない別の宗教と化したわけですから、その視点からすればキリストはユダヤ人であってはならない――ってことですかね。



#1099 
徹夜城(週刊ポストは普段は買わない管理人) 2000/09/04 23:54
キリストとユダヤ人

>+αさん、五番街さん
「井沢さん」とはもちろん「逆説の日本史」のあの人です。それで、+αさんが持ち出されている話題も「週刊ポスト」連載中の「逆説の日本史」から引かれたものです。ただいまあの連載が「倭寇」をテーマに書き出したため、ちょいと注目しているわけです。
それなのに先週分は読んでないんですよ(^^;)。僕がふだん買わない「ポスト」は毎週発行される週刊誌の大半を買ってしまう我が父(笑)が見せてくれるのですが、先週はその父が旅行で留守だったため読み損ねたのです(笑)。そんなわけでそのユダヤ人うんぬんのくだりは読んでいません。ただ倭寇に朝鮮国内の被差別民が入っていたことを論じる流れで出てきたんじゃないかと推測してます。あの人、説明しやすいようにという配慮なのかもしれませんけど、見当違いの事例を引いてくることが多いような気がしますね。それと結構そそっかしい記述も多い人という印象があります。
このところ古代史編で見せていた「名推理」(←いろいろと意味含む)は見せなくなってますが、ミステリーゾーンの多い「倭寇」を素材に何を言い出すのか注目はしてます。現時点では倭寇研究についてそう変なことは言いだしてないようです。ネタ本が田中健夫氏の「倭寇・海の歴史」しか出てこないのが気になりますが。最新の研究本をぜひ引用して欲しいものです。

タイトルにあんな題を持ってきたものの、このあたりの話は詳しくないんですよね。聖書も子供向けのダイジェスト(山室静の「聖書物語」。でもこれ名作なんですよ)でしか読んでませんし。
キリストたるイエスが他ならぬユダヤ人(民族としてとらえた場合で、と言いましょうか)であることをユダヤ人差別者はどう整理してたんだろうなぁと思うところはあります。漫画「アドルフに告ぐ」でナチス・ドイツの誰だかが「イエスはアーリア人だった」と主張していたなんてセリフがありましたが。

シェークスピアの件ですが、思えば「ロミオとジュリエット」にしても「オセロ」にしてもイタリア舞台の話がいくつかありますよね。これは専門でやってる方にでも聞いた方が良いと思うんですが、劇の舞台を「どこか遠くのお話」にする、ということなのでは。イタリアは当時は文化の中心地とみなされていたように感じますし。



#1098 
五番街 2000/09/04 15:22
RE:トンデモつながり

下の投稿の「井沢氏」は、「逆説の日本史」の著者、井沢元彦氏のことでしょうか?
そして、【井沢氏はユダヤ人迫害の理由を、ユダヤ人のキリスト殺害に求めています】というのは、井沢元彦氏が著作か何かで、<キリストを売った12使徒の一人、ユダはユダヤ人であり、そのためユダヤ人はキリスト教徒によって迫害された>とでも書いていることを指しているのでしょうか?

じつは、この話題について別の掲示板で書いたことがあるので、簡単に繰り返したいと思います。まず、「ユダヤ人のキリスト殺害」を文字通りに考えた場合、キリストを神を冒涜する者と考えたユダヤ教の祭司長や長老が、ローマ総督に死刑にすることを訴え出て、総督がそれを認めたのですから、厳密に言えば間違いですが、大まかな見方では間違っていないと言えるかも知れません。

このキリスト殺害を「ユダヤ人であるユダ」の裏切りによるものと考えた場合、金銭と引き替えにキリストの居場所と本人の特定を祭司長に申し出て、ローマ兵にキリストを逮捕させたのですから、これも間違いとは言えません。

ただし、当時のキリスト教団は、キリスト以下全てがユダヤ人であり、キリストは自らを「神の子」と呼び、「ユダヤ人の王」と称していたと言われ、ユダヤ人社会で布教活動をおこなったのですから、「キリストを裏切ったユダがユダヤ人であった」とか、「ユダヤ人がキリストを死刑にさせた」などとユダヤ人をキリスト殺害を行った民族と特定し、迫害する理由にはなりません。

キリストが「ユダヤ人の王」と称していたことや、12使徒の全てがユダヤ人であったこと、さらにいえば、非ユダヤ社会のギリシャやローマへキリスト教が伝達されたのは、キリストの弟子の努力によるものです。これらは新約聖書を読めば理解できることです。キリスト教徒である者が新約聖書を読まない(あるいは、識字率が低かった時代においては、その内容を知らない)ということはちょっと考えにくいことで、「ユダヤ人がキリストを殺害した」という理由でユダヤ人を迫害したと言われても素直に納得できない思いがします。

しかし、今日でもこうした風説があることは確かなようです。この風説を理由にキリスト教徒がユダヤ人を迫害したかどうかに関しては、私には知識がないのですが、これを理由とするユダヤ人迫害は歴史的な事実なのでしょうか?

なお、1947年に発見された死海文書は、初期キリスト教がユダヤ教の一派であったことを示唆する証拠という見方が有力です。死海文書はキリストが生存していた当時のユダヤ教の一派、エッセネ派が作成したものと判定されており、その中に記されているエッセネ派の規律は初期キリスト教団のそれと酷似していることや、キリストの死後に編まれた新約聖書の内容との類似、さらに、一部は完全に一致することから、キリストはユダヤ教のエッセネ派に所属しており、初期キリスト教団は、同派と同一であるという説も出されているようです。

それから、ベニスの商人のシャイロックに関してですが、この人物は当時のヨーロッパにおけるユダヤ人に対するステレオタイプの見方を表象したもの、と言われていますが、非常に不思議に思うのは、舞台がイタリアのベニスであることです。

イタリアでは伝統的にユダヤ人に対する差別はなかったと言ってよいほどの状態で、ルネサンス期にはメディチ家によってユダヤ人の保護政策が採用されており、多くの優れた文化人が輩出しています(私は、これらのユダヤ人を確認する作業を行っていないのですが、画家のモジリアーニの一族はイタリアのユダヤ社会の名門で、自らはスピノザの子孫と称していたそうです)。

したがって、憎まれ役のユダヤ人が登場する舞台がイタリアであるというのが、どうも納得できないというか、説得力を欠いていると思うのですが、シェークスピアがイタリアに舞台を設定した理由をご存じであれば教えてください。(もっとも、シェークスピアも当時のイギリスの人々もイタリアのユダヤ人の状況を知らず、ヨーロッパの国あるいは都市であればどこでも良かったというのがその理由かもしれませんが。)





#1093 
+α 2000/09/04 03:04
トンデモつながり

>山本氏
>「トンデモ・ノストラダムス本の世界」の単行本では大川
> 隆法氏のノストラダムス本の中の日本賛美・アジア蔑視傾向、そしてやっぱり日本がアジアを征服するとい
>う予言に触れ、「藤岡信勝氏などは大喜びでは」と書いてましたね。なかなか鋭い感覚だと僕は思ったので
> すが、その筋から抗議でもあったのか文庫本ではこのくだり「大喜びする方も多いだろう」とかボカされて
>ました。

 これは、抗議が多かったし、言いたいことの本筋ではなかったので、削除した旨、山本氏自身がniftyに書き込まれていました。


>井沢氏
 今回の井沢氏の話は、和寇の話から、ユダヤ人へ飛んでいます。
 井沢氏はユダヤ人迫害の理由を、ユダヤ人のキリスト殺害に求めていますが、これは、少なくともシェークスピアの時代においては間違いです。
 ユダヤ人が差別されたのは、ユダヤ人が「異教徒」であったからです。
 その証拠に、キリストを聖人の一人とするイスラム教も、ユダヤ人以上に差別・迫害されていますし、キリスト教徒に改宗したユダヤ人は、格別差別を受けていません。
 井沢氏があげている「ベニスの商人」にも差別されたのはユダヤ教徒であって、ユダヤ人ではないという証拠が出てきます。
 シャイロックの娘ジェシカは、キリスト教に改宗し、キリスト教徒のロレンゾと結婚します。これなどは、井沢氏の主張が成り立たないことを端的に示しています。


http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#1092 
+α 2000/09/04 02:53
ながくてすみません


>ななさん

 どうも、説明がまずくて、言いたいことがうまく伝わらなかったようです。申し訳有りません。


>私は別に「戦争は嫌だから、戦争のことは考えない」とは言っておりませんが?

 はい、分かっております。これは、ななさんのことを言ったわけではありません。
 「一般的に、戦争は嫌だという人は、戦争のことを考えることも否定する傾向があるが、これはよくない。」ということを言いたかったのですが舌足らずになってしまいました。


>「ただ悲惨な結果を反省しても、なぜこんな戦争が起きたかという発端を洞察する力がなければ、
>将来再び戦争に巻き込まれる・あるいは日本が引き起こす事態はいつかきっと起こる。
>半世紀前とは武器が違うし(中性子爆弾の登場が念頭にあります)、違う結果が出るだけだ」
>……#1041の文章は言葉が足らなかったでしょうか? 私はこう言いたかったのです。
>そして戦争の発端を知るには、「近現代史を総ざらえして多角的に掘り下げるべきだ」とも。

 これについては、全面的に同意します。ただ、「近現代史を総ざらえして多角的に掘り下げる」ってのは簡単じゃないんですよね。
 例えば、国会図書館の憲政資料室に、GHQが占領時代に集めたGHQ文書が殆ど未整理で残っているそうですが、その量が、A4サイズでおよそ600万ページ。これを整理するだけで何年かかるやら。
 これほど膨大な史料があるにも関わらず、その一方で、軍関係の資料の殆どが、敗戦直後に処分されてしまったために、肝心なところはよく分かりません。なにせ、あの有名なミッドウエー海戦の命令書すら現物は残っていないぐらいですから。
 それでも、太平洋戦争に関連する史料はまだかなり残っていますから、戦争にいたる経緯は何とか分かるのですが、日中戦争とか満洲事変とかに関連する史料となると殆ど残っていませんから、よく分からないことが非常に多いです。


>よって「一年に一日だけ、全国が反省モードになる終戦記念日には賛成できない」のですよ。

 少なくとも、日本が戦争を仕掛けることを防止する効果あると思います。
 近代において、日本が関わった戦争は、全て日本から仕掛けたことを考えれば、これは戦争回避にはある程度役立つといえるでしょう。


>「戦争は誰かが起こすもの」。もちろんおっしゃるとおりです。ですが湾岸戦争のさなか、
>日本は民主主義国家なのに、お金をいくら出すとか、自衛隊を出すか否かなどを、私たち国民が
>直接意見を聞いてもらえて、決定を下せたでしょうか? 野党が反対しようと、国会前でデモを
>しようと、結局火急の事態の際にはつぎつぎとことが決まっていってしまうのだと思いました。

 話の焦点がずれるし、揚げ足取りになると思いますが、お許し下さい。
 まず、日本は、議会制民主主義を採用しています。従って、国民の意見は、選挙で選ばれた代議員を通して国政に反映するシステムになっています。従って、「直接意見を聞いてもらえなかった」というのは、ないものねだりになります。
 次に、選挙で選ばれた代議士の数が多い与党が国の方針を決めるのは当然のことです。与党の国政運営に不満が有れば、選挙で野党に投票し野党に政権を執らせるというのが、基本原理です。
 それから、火急の際、広く意見を聞いて、じっくり考えていたのでは間に合いません。「火急の事態の際にはつぎつぎとことが決まっていってしまう」のは仕方がありません。
 なんか、きつい言い方で、すいません。


>もし湾岸戦争が拡大・長期化したら、あるいはいつなんどき極東地域で紛争が起きたら、こんな
>感じで、国民に十分な情報が知らされる前に、民間人の徴兵までハナシが進むのかいなー、
>なんて思ったりしました。「お国のために」の一点張りで引っぱりそうじゃない? 政府は。

 湾岸戦争が拡大長期化する可能性は殆どなかったとは思いますが、極東地域で紛争が起きる可能性はありますね。(それを避けるために、いろいろと手が打たれているわけですが、同時にそれが、紛争を招く危険性もあるのが悩ましいところです。)
 でも、「北の脅威」が存在していた時代とは違って、最悪の場合でも、いきなり、本土決戦ということはないというのが救いですけど。
 それと「情報」は、基本的には自分で集めるしかないです。誰かから与えられる情報には、たとえ情報操作を目的としていなくても、どうしても一定のバイアスがかかってしまいす。(誰であれ、あらゆる情報を集めることは出来ないし、集めた全ての情報を客観的に解析・評価することは絶対に出来ませんから)
 情報を集めるといっても、難しく考えることはないです。普通の新聞からでも情報は集められます。湾岸戦争の時、湾岸戦争の経緯を事前にほぼ完全に予想していた集団が、予測に使った情報は基本的に新聞等から集めたと言っていましたから。


>加えて当時の日本政府のマヌケな外交姿勢…。よくいう危機管理能力の欠如というヤツですか。

 間抜けですか?私は、当時の日本政府のとった対応は、とりあえずはとり得た最善のものだと思っていますが。
 では、どうすればよかったとななさんはお考えですか。

 当時日本が取り得た選択肢は、湾岸戦争に
 1 資金も人員も出さない。
 2 資金はだすが、人員はださない。
 3 資金は出さないが、人員は出す。
 4 資金も人員も出す。
 の4つですが、
 1は「イラクを支持する」と発言するのと同じことで、アメリカとの関係悪化は避けられませんから、ロシアや中国のように、はなからアメリカと距離を置いている国はともかく、アメリカの同盟国である日本は取り得ません。
 2は、現実に日本がとった手です。
 3、4は、国内的な要因から取り得ません。

 そもそも、金を出しただけで、国民の血は一滴も流さずに、問題を解決したというのは、本来、誉められるべきでこそあれ、責められる理由はどこにもありません。
 私は、湾岸戦争での日本外交は失敗だったという方に、湾岸戦争に自衛隊が参加し、犠牲者を出すべきだったのか、それとも、金も出さなかったほうがよかったのか、聞いてみたいです。
 

>過去の大戦の発端を徹底分析せず、現在の国際情勢にも鈍感。終戦記念日の式典を見るたび、
>「反省だけで戦争が防げると思うか?」と、斜にかまえて問いかけてしまうのです。

 ななさんの仰る通り、反省だけでは戦争は防げません。
 過去の大戦の発端を徹底分析して、戦争とは何か、どういう経緯で戦争に踏み切るのか、戦争を避けるにはどのように妥協すればいいのかという「戦略」や「戦争学」全く教育せずに、情念的に「戦争は悪い」「日本は悪い」という「反省」を強いる教育しかしないから、その反作用で、鬼子とでも言うべきよしりんや自由主義史観論者が大量発生する羽目になった訳ですから。
 でも、戦争を防ぐには「反省」もいると思いますよ。


http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#1091 
OGA 2000/09/04 00:41
しかし、どう考えても・・・。

日本が世界の超大国って、不自然ですよね。
こんなちっぽけな島国が世界の中心な訳無い。
アジアの国々は、中国の文化に少なからず影響を受けてるわけだし・・・。
日本も然り。
古代は、特に中国の影響を絶大に受けてる。
中国がくしゃみすれば日本は風邪を引いてたんですよね。
平安時代から鎌倉時代辺りになって、やっと、日本の文化が徐々に出来てきたかな?
それでも、中国がその気になれば日本なんか・・・。
琉球(沖縄)も、同じ島国で、一時は一世を風靡してたわけじゃないですか。
それに、武器を取り上げて中央に集中させた。
琉球の方が日本の政治より先を行ってた気が少なからずします。
尚真王のような有能な王が島津侵略の時代にいればどうなってたか・・・。
日本は特別じゃないし、アジアの国々と常に対等であると思ってます。
そう言う意味で、ヘンテコ、トンデモ本ってとても失礼ですよね。
今、日本人の心にはこういった慢心がまだあるんでしょうね。
早く目を覚まして欲しい。
日本は、アジアのちっぽけな島国でアジアの国々と共に生きていかないといけないって事を!!
ああ、ダラダラと駄文を書き込んでしまったことをお許し下さい。
では、また。


http://ww8.tiki.ne.jp/~ogaz/


#1090 
徹夜城(都民じゃないので一応他人事にしている管理人) 2000/09/04 00:20
それにしてもあの人は銀座が好きですねぇ。

>アール・ケイさん
戦車走ってましたっけ?装甲車は見ましたけど。いや、ホントは戦車を走らせたがっていたとは聞いたのですが…パラシュート降下作戦も熱望していた(汗)そうですが、運輸省がまったをかけたようです。
石原さん、ただの防災訓練だけじゃホントは満足できなかったんでしょうね。そのせいでしょう、知事の訓示(?)の中でしっかり災害と一緒に「外国の侵犯」を挙げてましたから。防災訓練のはずだったんだけどな、あれって(^^;)。
今後は日本中の大都市で同様のことをすべき、とまで言ってましたから、「防災」よりも「自衛隊の存在アピール」に主眼があることは明白でしょう。もちろん彼の言うように災害が実際に起きたときに使える組織である自衛隊を使わないのはもったいないというものですが、石原さんは明らかに「軍隊」としての機能をアピールしたいんですよね。だからとりあえず手近な「仮想敵」として不法入国の外国人が災害時に暴れるということを言い出したわけで。また言うとあれこれ突っつかれるから「外国の侵犯」を口にすることにしたようです。ひょっとするとこの件のもともとの発案者である中曽根元首相の意向があったかもしれません。
それと、批判した人のことを「サヨクの馬鹿ども」と十把一絡げに呼び捨てて「都民はそれに冷笑した」と言ってしまうあたり、なかなか「扇動家」の才能があるとは言えますね(^_^;)。「民主主義って結局声のでかい人が勝つ制度よ」というテレビで見た塩野七生さんのコメントを思い出してしまった。

ところで「知事」ばなしついでに。和歌山県知事選があり、最年少知事なる方が当選したのですが…
木村良樹氏(48)(無=自民・民主・公明・社民・保守・自連合推薦)
だそうで(-_-;)。地方知事選に「野党」というものは共産党以外存在しないんでしょうか。このあたりにも日本の政治風土のやなところを感じちゃうんですけどね。

そういえばあの金嬉老さん、韓国でとんでもないことをやっちゃったようです。独占手記まで載せて大絶賛した週刊新潮がどうするのか、とりあえず見もの(^^;)。このお方をビートたけしが演じたことがありましたっけねぇ。



#1089 
アール・ケイ 2000/09/03 22:03
男が好きな軍隊ごっこ

ご覧になられましたか、銀座の街を行く陸軍(某知事曰く)の戦車。石原のシンちゃんはこれがやりたくて都知事になったのではと揶揄されていますが、冗談には思えません(笑)。防災訓練の必要性は認めますが、平日に民間中心でやらなければなんの意味もありません。
タカ派と称される人って結局は軍隊の制服好きなだけだという話があります。(逆は必ずしも違うんですがね)三島由紀夫もナチの制服に憧れを持っていたらしいし。なんか馬鹿馬鹿しいほど単純な説ではありますが。
三宅島は噴火するは、プーチンは国内問題をよそに来日するは、国連ミレニアムサミットではひょっとしたらクリントンとカストロが顔を合わせるかも知れないは、ネタに困らない秋の到来でありますね。ぜんぜん秋らしくないのが腹立たしいですが(笑)。台風は北朝鮮に雨をもたらしたのかしら。近畿地方は水不足のようですし。まとまりがなくてすみません。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#1088 
徹夜城(いろいろと原稿をため込んでいる管理人) 2000/09/02 10:44
そのトンデモ本、買ってます(笑)

>OGAさん
その「「魏志倭人伝」の陰謀」(竹田日恵著)ですが、しっかり私も買っております(笑)。歴史系トンデモ本としては久々の正統派でしょう(爆)。次の次の「ヘンテコ本」の俎上に上げようかと思って購入したのですが、いかんせん書くヒマがない(^^;)。
この手の歴史トンデモ本、とくに古代史ものに共通するのは「日本は古代から世界の超大国だった」という主張ですね。逆に日本を過小、あるいはそこまでいかなくても「普通の国」ぐらいに扱うものもまず見ることはありません。
既に古典ともいえる「トンデモ本の世界」で書かれていますが、いわゆる陰謀史観系トンデモ本には共通して「日本賛美と外国嫌い、民主主義の否定と君主制の肯定」が見られるんですな(山本弘氏の担当部分)。また同書は昭和八年に発行された「日本人の偉さの研究」という本を紹介し、その中の文章が「石原慎太郎や渡辺昇一が書いたのだと言われてもまったく見分けがつかない」となかなか鋭い指摘をしています(この部分は藤倉珊氏ですね)。ついでながら山本弘氏の「トンデモ・ノストラダムス本の世界」の単行本では大川隆法氏のノストラダムス本の中の日本賛美・アジア蔑視傾向、そしてやっぱり日本がアジアを征服するという予言に触れ、「藤岡信勝氏などは大喜びでは」と書いてましたね。なかなか鋭い感覚だと僕は思ったのですが、その筋から抗議でもあったのか文庫本ではこのくだり「大喜びする方も多いだろう」とかボカされてました。
あの「ヘンテコ」で素材集めをしているうちに気がついたことですが、本屋のビジネス本のコーナーは結構「宝庫」ですよ。歴史には直接絡みませんけど経営コンサルタントの船井幸夫氏などは凄まじい内容のことを平気で書いてますよね(笑)。あれだけ本が次々と出るということはビジネスマンでもかなり信奉者がいるってことなんでしょうねぇ。これがまたPHPから良く出てるんですな。渡辺昇一さんともなぜか仲が良いらしく対談本がかなりあります。
…いい加減「復活」しなきゃいけないかな、あのコーナーも。
…いま「海上史事件簿」の続きも執筆中なんですが…

>ななさん
北朝鮮の干ばつですか。昔の中国なんかだと「政治が悪いので天が罰を下している」ってところになるんでしょうが…(^^;)。水害・農業生産の停滞は明らかに人災でしょうけどね。
僕の知るある先生の言うところに寄れば「社会主義政権の最大の間違いは人間が自然を征服・改造できるとなめてかかったことにあるかもしれない」。社会主義政権に限ったことではありませんが卓見の所もあるかと思います。



#1087 
なな(九月が終わってしまいました…) 2000/09/02 00:14
干ばつも人災?

北朝鮮の話です。今日のニュースで見たのですが、今年の秋は、数年前の水害の時の何割かの
収穫しか見込めないそうです。日本でも、韓国でも、今夏に農作物に被害が出たニュースって
ありましたっけ? なぜ北朝鮮ばかりこうも災害が続くのでしょうか???
水害は山林の伐採による、いわば人災と聞いていますが、干ばつはどうなんでしょうね?
仕事場の休憩室で、時事討論好きなB氏と見たのですが、食い入るように画面を見つめる彼には
声をかけづらくて聞けませんでした。以前は食糧援助に批判的でしたが、賛成に変わりました。



#1086 
OGA 2000/09/01 23:12
はじめまして。

はじめまして。OGAと申します。
ずっと、読ませていただきました。
管理人さんの博識に感心しておりました。
で、一番面白かったのは、ヘンテコ本の紹介です。
よく、あんな本を見つけたもんだ、と、またまた、感心しました。
しかし、いろいろ面白いことを書く人がいるもんですね。
そんな文章を本にする出版社も凄い・・・(TT)
オイラも、先日、「「魏志倭人伝」の陰謀」(竹田日恵著)って、トンデモ本を買って、
笑ってしまいました。
なぜ、日本が世界の中心なの?って、笑えて笑えて・・・。
まあ、後半の「大韓国(実は、朝鮮に大帝国があった・・・らしい。著者説)と魏の戦い」は
架空小説ぐらいに楽しめましたけど・・・。
また、いろんなトンデモ本を紹介してくださいね。
では、また来ます。

http://ww8.tiki.ne.jp/~ogaz/


#1085 
徹夜城(九月が終わっちゃいましたねぇと思う管理人) 2000/09/01 00:33
ついに鑑賞

個人的には「幻の一本」となっていた「明治天皇と日露大戦争」のDVDが発売になったので購入。ついでながらもう一本「犬神家の一族」も購入しています(笑)。
「明治天皇〜」はかの新東宝が十周年超大作として製作し大ヒットを飛ばした作品でありますが、まぁとにかく冒頭とエンディングに靖国神社が映るというなかなかに「皇国日本」な映画であります(^^;)。嵐寛寿郎が明治天皇。天皇が主役の映画はとりあえずこれが初で、事実上新東宝のこの系統の映画のみになったみたいですね。
丹波哲郎が若い…誰かと思ってしまった(汗)。宇津井健が「杉野はいずこ」の広瀬さんですね。東郷平八郎は「海軍軍人」をやらせたら右に出る者はない田崎潤さんでした。
ま、趣旨等はかなり気になる映画でありますが、「歴史映像」として割り切ってみてみるとそれなりに面白い点が多いです。ちょっと驚いたのが日本海海戦のシーン。東宝特撮のお株を奪うような精巧なミニチュア海戦を展開しています。さすがに円谷英二の「日本海大海戦」には及ばないものの、かなりの迫力でした。
なお、このDVDは歴史人物紹介、戦争図解などなどおまけ要素が盛りだくさんで、邦画のDVDとしてはかなりの良心作です。
明治天皇を演じた人と言えばあとは三船敏郎(二百三高地)と確か先代松本幸四郎(日本海大海戦)だったかな…余談ですが、ご本人の写真は柳葉敏郎に似ていると週刊文春でやってましたっけ。

>森さん
なるほど、だいたい言わんとされているところは分かったような気がします。僕が懸念したほど意図は無いと感じました。僕も「途上国」という言い換えは嫌いです。ただし、僕はもともと「進んでいる」「遅れている」というのを多角的に見るので「国」という集団体にそうした形容詞をつけること自体が嫌いなのでして。
僕が書きましたマルクス史観の「匂い」については、森さんが書かれたようなことは承知の上で書いています。だから「匂い」なんですよ。明治維新が革命かいなかの議論は「日本が遅れている」ことを強調するための論法で使われたのは確かですが、その一方で江戸時代にマニュファクチュアだの資本主義萌芽を探す議論にはかなりその「匂い」がするのです。日本に西洋型の「封建社会=中世」って時代区分を持ってくるのもそんな感じがあります。
中国史においても同様の話があるんですけどね。僕が専門にしている明代後期ではちょうど日本史における江戸後期とよく似た議論がなされています。
ま、いずれも最近はあまり流行っておりませんけどね。

川勝さんの議論が「生態史観」の流れを汲んでいるのは確かでしょう。ある人が書いてましたが、高度成長期の日本ビジネスマンが心の拠り所にしたのが司馬遼太郎の「坂の上の雲」と梅棹さんの「文明の生態史観」だったそうで。司馬はバブル日本を憂いつつ亡くなり、梅棹さんはバブル崩壊を見て「日本は坂を上りきった」と言っているとか、この人が「僕らの世代にはショックだ」と書いてました。何で読んだんだっけ。
川勝さんあたりはその流れで「日本人の前途有望論」みたいなところがあるように思えます。ついでに言えばPHPからやたら本が出る方には共通してこの傾向が…ま、もともとそういうところなんですけど。
「司馬遼太郎」とくに「坂の上の雲」を当初「自由主義史観」が看板に掲げたのはやはりこうした流れが根底にあるんでしょうね。もっともよく作品を読むと司馬が昭和前期に対して強い憎悪を持っていることは明白。それがだんだんネックになってきたようで(だってあの「史観」の目標は結局「大東亜戦争肯定」ですから)、最近はすっかり口にしなくなったみたいです。



#1084 
森 洋介 2000/08/31 19:31
進歩史観

▼徹夜城さま
 ご指摘の先進国と後進国ですが――やはり気になりましたか。敢へて「開発途上国」といふ言ひ換へを使はず「後進国」と述べたので、猶更だったと思ひます。仰る通り、この分類に問題はあるのは勿論ですが、でも、便利なので使ってしまひます。
 ただ、もはや60年代のロストウらのやうに近代化が無条件に善きこと信じられてゐた文脈ではなく、今日では近代批判が様々になされてゐるのですから(ポストモダン論然り)、それを踏まへてゐれば、欧米モデルとの近似で測定した分類でも、価値判断を示すものではなく便宜上のものとして使って構はないのではないかと思ふ次第です。

>[……]日本のマルクス史観においても同様の「日本西洋相似論」みたいなものがあり、
>これにも似た匂いを感じるのです。
 この辺、一寸認識が違ひますね。
 かつてのマルクス主義史学は正に進歩史観の典型で、日本を遅れた国と見做してゐました。明治維新はブルジョワ革命か絶対主義王権の確立だったかといふ昭和初期の有名な論争がありますが、より後進的な絶対主義国家と見る論が正統マルクス主義の立場とされた位です。
 これに対し、いや、日本は西欧近代に匹敵する、「ユーラシア大陸の両端に「近代」が生まれた」と言はれるやうになったのは、戦後の、梅棹忠夫「文明の生態史観」(1957)以降のことでせう。これが高度成長期の(主にアメリカ発の)近代化論と調和しつつ、日本を自由主義陣営の先進国に位置づけるイデオロギーともなったわけです。
 まあどっちにしろ所詮は進歩史観で近代批判の視点が無いのが問題ですが、ともあれ、かたやマルクス主義、かたや自由主義で、イデオロギーとしては対立してゐます。川勝平太氏ら自由主義史観派はマルクス史観でなく梅棹式生態史観の流れを汲むのではありませんか。



#1083 
徹夜城(結局今週の「史点」は休みにした管理人) 2000/08/30 00:04
夏期講習は終わった…

ひとまず脱力状態なので、「史点」は休みます。ネタはあったので次回に追加をする形にしましょう。

>パラメシュワラさん
いろいろとあったので列挙します。
「俵物」などの件は後日調べてみたいと思います。しかし江戸時代以降の輸出品じゃなかったかなぁ…肥料なんかに使ったりしてますよね、海藻って。
「鉄砲を捨てた日本人」の件ですが、これへの強い批判をしている本を読んだことがあるので書いてみたのです。「歴史本」コーナーに残っている「鉄砲と日本人・鉄砲神話が隠してきたこと」という本がそれです。
鉄砲の生産が16世紀から17世紀初頭にやたら多かったというのは事実だと思います。問題なのは江戸時代に入ってからそれが無くなっていくという論法の方なのです。
「地球日本史」については、まぁメインになってる西尾さんが好みの人を選んだんだとは思いますが、必ずしも「自由主義史観者」ばかりではないように思えます。ゴチャゴチャな印象でしたね。それと、たぶん西尾さんは最近は「自由主義史観」とはちょっと一線を画しているようにも見えますね(より過激なんですが)。この辺り、多少整理して置いた方が良いのですよ。
モンゴルの文字改革については映画ネタで身に染みて知りました。僕が絶賛して止まない「マンドハイ」はモンゴル文字をタイトルなどで使いつつ、スタッフロールはキリル文字でした。あのキリル文字スタッフロール、すごくカッコ良く感じたんですがビデオでは全てカットされていたのです。この辺りから「ソ連離れ」が進んでいたわけですね。チンギス=ハーン再評価と連動して。
で、次作「チンギス・ハーン」では全ての字幕がモンゴル文字になりました。ただし「再教育」が始まったばかりでやはりほとんどのモンゴル人は読めなかったようです。その辺りの世代間ギャップがこれから出てきそうですね。

>アール・ケイさん
TBSの例の百年ドラマは見る気もなかったんで見てません(^^;)。ちょいと安っぽさが漂うよう気配がありまして。
お書きのように、薄っぺらな「戦争反対」セリフってのは見ていてしらけるものはありますよね。とってつけたような、ってのはホントに良く目にします。

>森洋介さん
仮名つづりと直接関わることではないのですが、ちょっと議論の展開に気になる点を感じます。「先進国」「後進国」ってかなり一方的な価値判断で分けちゃってませんか?ヨーロッパスタイルの「近代」を「先進」と断言してそうならない国を「後進」と呼ぶのは僕はかなり抵抗を感じます。せめて「識字率」の問題に絞って議論をなさったほうがよろしいのでは?
識字率に関して言えば、江戸時代の日本は欧米以上の「識字率」だったという見解もあったはずです。「近代化ではアジア諸国と同じく後発でありながら、江戸時代から識字率の高さは欧米に優るとも劣らず」という表現にはその点でも凄くひっかかりを感じます。「欧米にどれだけ近いか」が「先進」「後進」を決めてしまうのでしょうか?
僕は東洋史を専攻している者としてこの手の「欧米優越史観」ひいては「日本はそれに次いだ史観」には強く抵抗するところがあるんです。明治以降の日本人に強く染み込んだ欧米コンプレックスとアジアに対する優越意識の根底をなした史観でしょう。日本のマルクス史観においても同様の「日本西洋相似論」みたいなものがあり、これにも似た匂いを感じるのです。川勝平太さんにも似た匂いを感じたので好意的じゃないんですけどね。



#1082 
2000/08/29 23:39
ドイツに派遣された潜水艦

徹夜城さん初めまして、いつも楽しませてもらっています。
NHK の放送は私も見てましたので少し補足を。

1.金塊の話もでていました。ドイツから軍事技術を買うためだそうです。
同盟国にボラレル点は今と変わりませんね。

2.撃沈したパイロットのインタビューと、その時の様子を記録した録音テープも
放送していました。そのとき新兵器(音源を追跡する爆雷だったかな?)が使用
されたため戦闘記録は機密扱いとなりました。その記録が情報公開の期限が来て
公開され、トレジャーハンターが動きだし、NHK が取材に乗り出したようです。

結果については私も知りたいと思います。それではまたROMに戻ります。




#1081 
森 洋介 2000/08/29 18:52
旧かな使用者の辯

>パラメシュワラ様
 諸国での書記法改革の事例、興味深く拝読しました。この辺り、もし参考文献などあればご示教願へませんか。
>広く見渡すと、そう簡単に
>>故に独仏で綴字改革に抵抗があるのは当然で、日本が異例なのだと思ひます。
>とは言えないでしょう。
とのご指摘、確かに、私の前言には再考の餘地がありますね。
 まづ挙げられた事例は、みな第三世界、所謂後進国に於るものです。例へばトルコのローマ字化革命はしばしば漢字廃止論者に引き合ひに出されたものですが、これに対しては、そもそもトルコに於てはアラビア文字の読み書きが出来る者すら少数であり、従来の文字から全面的に切換へても、字を知らぬ国民にローマ字を教へる面の方が多かったことが成功の要因に挙げられてゐます。また、出版資本主義も未熟なため過去の文字文化の物的蓄積もさほどなく、これをご破算願って新字にしてもあまり構はなかったのだと考へられます。つまり、後進国では文字改革への抵抗の基盤となる識字層・文字文化が貧弱だったから実行し得たのだと見られ、英仏独といった先進諸国では、やはりさうもゆきますまい。
 ところが日本の場合、近代化ではアジア諸国と同じく後発でありながら、江戸時代から識字率の高さは欧米に優るとも劣らず、また、活字でなく整版(木版)ながらも商業出版が非常に発達してをり、既に文字文化が版本として蓄積され普及してゐました(明治以降なら猶更)。謂はば後進国と先進国の中間型で、どちらに引き寄せて考へるかで議論が別れるのでせう。
 それと、挙げられた事例は殆ど全面的な文字改革であって、綴字改革に類すべき仮名遣ひとは別問題です。厳密に比較するには、基本的に旧来の書字体系を保ちつつ綴字法(スペリング)のみ改定した事例が求められます。その意味で60年代のインドネシアの例が珍しく、興味深くも感じた次第です。表記法改革が(案に留まらず)実行された例が他にもっとあれば、日本が異例とは言へなくなりませう。
 なほ、「おう」「あう」「あふ」「わう」は字音仮名遣ひですから、「オー」といふ音にではなくそれぞれ漢字に対応します。各字との対応に於てそれなりの合理性もあります。普通、仮名遣ひで問題になるのは国語仮名遣ひで、漢語は漢字で書けばよいまでのこと、総ルビにするのでもない限り字音仮名遣ひはまづ問題になりません。

>話は変わりますが、こちらでも旧かな議論がされているので、驚きました。
 どこか餘所でも論議が起こってゐるのですか。国語問題は不毛な論議になりがちなのですが、一往覗いてみたい気もします。宜しければ場所を教へて下さい。


>五番街さま
 旧仮名は意思疏通を缺くとのご意見ですが、義務教育で古文漢文と共に習ったのですから、中卒程度の学力があれば(書けなくとも)読む分には差し支へない筈で、旧仮名といふ「形式」によって「内容」(ご覧の通り「現代文」です)まで誤読されることはないと信じます。
 日常的に手紙もメモも日記も、学生時代はレポートも試験も、全て旧字旧仮名で通して来ましたので、私とて仕事で使へないのは無念千万なのです。それを責めるとはまたあんまりな。まあ文筆家が漢字制限のある新聞雑誌では「し(熾)烈」「ヤ(冶)金」と書かされるやうなものですが、もしや、生計のためとはいへ変節漢は許せぬといふ厳しき信念をお持ちですか?
 私も、ここで旧仮名の正当性云々の主張をするつもりはありませんし(無益な論争を産みやすいので)、文字表記の史的事実(と解釈)に関してだけ述べるやうに努めたつもりですが、我知らずその域を超えてゐたらお詫びします。短文にできなかったこと、お許しの程を。



#1080 
アール・ケイ 2000/08/29 14:49
モスコーのタワーは鎮火したかな?

まずは、管理人さま、日曜は御疲れ様&ありがとうございました。
(「大河ドラマの歴史」オフ会っつうのがあったんですよ、他の皆さま)
例を見ない濃いメンバーの中、ドラマ、映画、歴史(もあったかな)談義が入り乱れておりました。ああなると、テーマ別の分科会でも作った方がいいのでしょうが、多士済々何でも食いついてこられる方々だから(笑)。

『百年の物語』てな、オーバーなタイトルのドラマが3夜連続で放送中です。1話目の終盤唐突に「戦争はいやですね」という取ってつけたようなセリフがあったり(そりゃそうですが)、女性差別の描き方にしてもあまりにも薄っぺらだったり、近代史ドラマで実績のあるTBSにしてはレベルが低い作品でしたが(でも嫌いじゃなかったりする(笑))、一応近現代大河物語なんです。ヤシロケイタ(演・原田龍二)なる人物も登場、無一文から身を起こし株屋の丁稚から東京近郊の不動産事業で成功するんですが、これ東急の五島慶太がモデルだと気付きました。実際の五島と違ってこっちは戦死するんですけどね。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#1079 
パラメシュワラ(永楽年間に明まで行ってますね) 2000/08/29 12:58
レス有り難うございました

徹夜城さん、早速にレスを頂きまして、有り難うございます。

>ホントに盛り上がってくるのはあの後なんですが、なかなか集中して書くヒマがありません。

楽しみにしております。ただ、あの頃の貿易構造というか、どんな物が積み荷だったんでしょう。そこらへんもご教示頂ければ幸いです。積み荷で思い出しましたが、日本から中国への輸出品で、「俵物」ってありましたよね。銅の流出を抑えるための代替品目として登場したのでしたっけ。あわび、なまこ、ふかのひれは食材として分かるのですが、昆布やするめも俵物として輸出されていたように思います。しかし、昆布とするめ、中国ではどう使われたのでしょう。中華料理にはあまり登場しない様に思うのですが。特に昆布が不思議。海藻を食べる食文化というのはすごく限られると思います。

川勝氏についてですが、
>「鉄砲を捨てた日本人」の話をまともに信じてしまうあたり
え〜っ、「日本が世界一の鉄砲生産国」とか言うのは間違いなのですか。
もう少し敷衍して頂けないでしょうか。

>自由主義史観等との直接的なつながりはなかったと思いますが
いや、結構直接的につながってるようです。
「地球日本史」のスタッフ
責任編集者・西尾幹二(電通大)
編集者・源了円(ICU),川勝平太(日文研)
    入江隆則(明大)、坂本多加雄(学習院大)
    田中英道(東北大)  
最近は「富国有徳」とかを掲げて、政府のブレーンになっているのでは。
別にそういうことはとりあえず構わないのですが、ただ、東南アジア史研究の成果とかは、どれほど取り入れられてるのかなと思いました。丁子やニクズクの産地について、ちょっと間違った記述があったものですから。

>詳しくは東大の岸本美緒さんの著作(山川の世界史ブックレット
はい、有り難うございます。読んでみます。
ところで、スペインの銀が中国に向かう経路ですけど、スペインは中国から何を買っていたのですか?それとも、金銀比価を利用した投機のために中国に銀を持ち込んだのでしょうか。

話は変わりますが、こちらでも旧かな議論がされているので、驚きました。「ニュースな史点」の獨逸国綴り方問題も拝読させて頂きましたが、もっと広く例を集めて考えてみると面白いと思います。
旧モンゴル人民共和国でのキリル文字からモンゴル文字への切り替えとか、古くはトルコでのアラビア文字からラテン文字への切り替えとか。マレー語も、60年代だかに、マレーシアとインドネシアの綴り方を接近させようという話になり、インドネシアがそれまでのオランダ風のつづりを英語風に変えて、(たとえばジャワはDjawaからJawaへ、サヤ(私の意)はsajaからsayaに)今ではつづり自体はほとんど同じです。
そもそもマレー語はアラビア文字で書かれていたのが、出版資本主義の発展とともにラテン文字で書かれるようになっていったし、ジャワ語、バリ語などはインド由来の文字で書かれていた。
広く見渡すと、そう簡単に
>故に独仏で綴字改革に抵抗があるのは当然で、日本が異例なのだと思ひます。
とは言えないでしょう。それにしても、ドイツ語もフランス語もはかなり音とつづりが一対一対応してるので、旧かなよりも判りやすいのでは。旧かなは同じ「おー」の音でも「おう」「あう」「あふ」「わう」など、一対多対応なので、ちょっとこれを正しいとか合理的とかいわれたら困る。ネットの掲示板などには、表記の自由が許されるべきと思うので、旧かなで書きたい人は書けばいいと思うけど。



#1078 
徹夜城(海上史専攻のつもりもある管理人) 2000/08/29 00:32
「史点」更新は…ちょっと無理かも?

飲み会などイロイロとありまして(爆)。

>パラメシュワラさん
はじめまして。管理人の徹夜城です。「海上史事件簿」楽しんでいただけたら幸いです。ホントに盛り上がってくるのはあの後なんですが、なかなか集中して書くヒマがありません。
川勝平太氏ですか…うーん。「文明の海洋史観」は一度「目を通した」ことがある程度なのであまり突っ込んで論評できないんです。すいません。今度ちゃんと読み直した上でコメントしたいと思います。ただ現時点で言えることだけを書かせていただきます。
川勝氏の論は「近代はアジアの海から生まれた」、この一言に集約されるわけですよね?この点については僕もそれなりに面白いと思うところがあります。ただ全体を通して見たときの印象は僕個人としてはあまり好意的ではありません。つまるところ、「ユーラシア大陸の両端に『近代』が生まれた」という戦前以来の議論の焼き直し、って気もしちゃいまして。日本は周辺の『アジア』と違い、ヨーロッパのそれと似た発展をしていたのだ、ってことになるみたいなので。ちょっとこの方の本を読んでいると「日本人の優越感をくすぐられる」方が出て来るんじゃないかな、とも思います。ご本人の意図はどうだか知りませんが…もっとも「鉄砲を捨てた日本人」の話をまともに信じてしまうあたりはやはりどこか「日本」を持ち上げたい意識が強いような気もするんですが。
自由主義史観等との直接的なつながりはなかったと思いますが、どうも上記のようなところがたぶんにその方面の方々に影響を与え、理論的補強材にされているところがあるような。
ただ、この手の世界史的スケールで歴史論、文明論を語れる人が歴史学界であまりいないなぁと思うのも事実なのです(残念ながら特に日本史研究者でしょうか)。川勝さんの仕事はその点、たいへん意義はあると思っています。

銀のお話ですが、日本や中南米の銀が大量に中国に流れ込んだのは事実です。「ブラックホール」と形容された方もいますね。で、何に使ったんだと言われると…(汗)、まず通貨として銀が使われてますね。国家予算規模の高額な通貨輸送には銀が適していて、当時の北方対策のために大量の銀が南から北へと運ばれたという話は聞いています。この大量の銀の流れが、明から清への交代前夜に中国国内の社会を大きく変容させていった、という見解があります。詳しくは東大の岸本美緒さんの著作(山川の世界史ブックレットにちょうど良いのがあります)をご参照下さい。

>のよりんさん
日曜はどうも。大変たのしうございました(^^)。
近代史ものですか、なかなか面白いかもしれませんね。近ごろは昭和前期も時代劇並みの考証が必要ですもんねぇ。
近代史ものとなると、なまじ本人の写真・映像があるだけに映画などではイメージ作りが大変ですよね。
妙な連想で思いついたクイズ。江守徹、古谷一行に演じられた近現代史の人物とは誰でしょう?(^^)



#1077 
パラメシュワラ 2000/08/28 22:35
川勝平太氏の「海洋史観」

はじめまして、世界史関係の掲示板に倭寇について話題になっていまして、
このHPが紹介されていたのでうかがいました。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=whis&key=967089170&ls=50
私は歴史学にはまったく無知なのですが、東南アジアをちょっとやっているも
ので、商業の時代というか、この時代の海上史には興味があります。
「海上史事件簿」、大変面白く拝読させて頂きました。
トメ・ピレスの最後とか、「寧波の乱」とか、私には初めて聞く話ばかりでし
た。続きが待たれます。
さて、海上史といえば、川勝平太氏の「海洋史観」がしばしば議論になります
が、川勝氏の説は、歴史学の方からはどう評価されているのでしょうか。
16世紀末の日本が世界最大の鉄砲生産国だとか、木綿・生糸の国産化による
「脱亜」とか、読んでいて面白いのですが、実証的な面ではいかが評価されて
いるのでしょうか。自由主義史観派との結びつきも、経緯がよく分かりません。
それから、「海上史事件簿」にも少し出てきました銀の話ですが、
受験のため世界史を勉強していた時分からなかったのが、スペインは南米産の
銀を何に使ったのか、ということでした。川勝氏によれば、多くが中国に流れ
込んだということですが、そうすると、中国は日本や南米からの銀を、何に使っ
たのでしょうか。おおざっぱな話で恐縮ですけど、よろしければご教示くださ
い。



#1076 
のよりん 2000/08/28 15:08
えーと、こっちでいいかな

管理人さま掲示板はおひさしぶりです。ったて昨日会ってるですね。
とにかくお疲れさまでした。
もう、やはりあの一角は濃い歴史映像好きがあつまって、恐るべき展開となってましたね。
近代史映像の制作史自体がもうすでに歴史として語られるようになってると改めて感じました。
今度は近代史もので固めてやってみましょうか?
そのときは、ラインナップに協力してくださいね。



#1075 
なな 2000/08/27 00:56
何度書いても、思ったことを100%書き表せない。

>Q世代さん
ありがとうございます。いやー、こんなに皆さまから祝福されるとは思っていませんでした。
「伝言板」の歴史の一こまですかぁ。徹夜城さんのもとには開設以来のデータが残るわけです
から、徹夜城さんがそう思って下さるなら、嬉しいですね。私も記念にダウンロードしますよ。

>+αさん 私の#1041へのレスに再レスしますね。
ごめんなさい、反論や突っかかる気はないのですが、+αさんの文意がよく分からないのです。
私は別に「戦争は嫌だから、戦争のことは考えない」とは言っておりませんが?
「ただ悲惨な結果を反省しても、なぜこんな戦争が起きたかという発端を洞察する力がなければ、将来再び戦争に巻き込まれる・あるいは日本が引き起こす事態はいつかきっと起こる。
半世紀前とは武器が違うし(中性子爆弾の登場が念頭にあります)、違う結果が出るだけだ」
……#1041の文章は言葉が足らなかったでしょうか? 私はこう言いたかったのです。
そして戦争の発端を知るには、「近現代史を総ざらえして多角的に掘り下げるべきだ」とも。
よって「一年に一日だけ、全国が反省モードになる終戦記念日には賛成できない」のですよ。

「戦争はいつの間にか始まっている」についても、私の真意は少し違っています。
「戦争は誰かが起こすもの」。もちろんおっしゃるとおりです。ですが湾岸戦争のさなか、
日本は民主主義国家なのに、お金をいくら出すとか、自衛隊を出すか否かなどを、私たち国民が
直接意見を聞いてもらえて、決定を下せたでしょうか? 野党が反対しようと、国会前でデモを
しようと、結局火急の事態の際にはつぎつぎとことが決まっていってしまうのだと思いました。
もし湾岸戦争が拡大・長期化したら、あるいはいつなんどき極東地域で紛争が起きたら、こんな
感じで、国民に十分な情報が知らされる前に、民間人の徴兵までハナシが進むのかいなー、
なんて思ったりしました。「お国のために」の一点張りで引っぱりそうじゃない? 政府は。
加えて当時の日本政府のマヌケな外交姿勢…。よくいう危機管理能力の欠如というヤツですか。
過去の大戦の発端を徹底分析せず、現在の国際情勢にも鈍感。終戦記念日の式典を見るたび、
「反省だけで戦争が防げると思うか?」と、斜にかまえて問いかけてしまうのです。



#1074 
徹夜城(書き出すと長文になりやすい管理人) 2000/08/26 23:51
ログがでかくなる…(^^;)

五番街さん、ここは自動改行しますので字数を数えて改行されなくても大丈夫なんです。
それにしても長文がこう続くと、あとで編集・カットするとき大変なんです。手作業なので、このCGIでは。近ごろ書き込みが多いからちょっと前の書き込みは「過去ログ」みたいにして見られるようにしようかな、とも思っているのですが。
ってなわけで+αさん、レスはためずに早く書いて下さいね(^0^)。

>映画な話
もうかなり前にこの掲示板でご紹介を受けた「裸のローマ帝国・20001/2年前」なるイタリア製コメディ歴史映画をようやく観ました。タイトルを見てピンと来る方もいるでしょうが、あの「裸の銃を持つ男」のレスリー=ニールセンが出演しております。それで客を呼ぼうというビデオ発売元の意図なのでしょうが、残念ながらニールセンは脇です。しかも悪役まわり。
面白いと言えば面白かったですけど…うーん、ふざけるなら徹底してふざけてほしいなぁというところですか。妙に安っぽい風刺をしてみたり、人情喜劇路線を見せてみたり、ラストが…(ネタバレは書かないで置きましょう)。とにかく中途半端な印象でもう一つという感じでした。ローマ時代にタクシー(メーターは砂時計!)やラグビー(?)の試合が出てきてフーリガンよろしく地域どうしで大喧嘩になったりと時代超越ギャグはそこそこ。「ベン・ハー」の戦車競争のパロディシーンもありました。
時代が紀元前70年代になっていたのですが(もちろん「帝国」ではないころです)、なんでかな、と思ったらラストで解決。スパルタクスが出て来るんですね。
それにしても妙に感心したのはセットの重厚さ。合成シーンもあるようですが、かなり大きなセットを作っちゃってるのは確かですね。コメディ映画にしては金がかかってます。ひょっとするとイタリアにはこの手の使い回せるローマ時代セットがあるのかな?

>歴史観の話
「自由主義史観」が「自虐」うんぬんを言いだし、その後何やら戦後の歴史教育が全てアメリカ及び「サヨク」による「自虐史観」であったかのようなことにいつの間にかなっちゃってるんですが、これはイロイロとイメージ操作があるように思いますね。
戦後、「反戦」が前面に押し出され、そうした教育があったのは確かです。ただ、こと歴史の授業では第二次大戦まで行かなかったことがほとんどだと聞いています。「反戦」も原爆や空襲、沖縄戦といった「被害者体験」を中心にしていました。「加害」面を大きく出してきたのはけっこう最近のことなのです。東南アジアや中国、韓国といった日本の被害国の台頭が背景にあったような気もします。
被害体験ももちろん戦争の悲惨さを知る上で重要な要素ですが、そればっかりで「なんでそうなったか」という根本に余り触れることがなかったわけです。日本人の大半が「戦争恐怖症」になったのはそれはそれで結構だと思うものの、底が浅い恐れもあります。
僕はこれでも一応「社会」の教員免許を持ってまして、「社会科教育法」という単位も大学でとったのですが、上のようなことをそこで説明されました。
「大東亜戦争肯定論」なんてのは過去何度も出てきたことで、別段目新しい点はないのですが、最近の「自虐」と騒ぐ方々はどうもこうした「加害」面の認識の広がりに危機感を覚え焦って動き出したように感じてますね。
実際に授業(公的な学校ではないですけど)をすることもある僕としては、「教科書を書き直させれば歴史認識も改まる」などという発想は、つくづく単純かつ甘いなぁなどと思ってしまいますが(^^;)。

先日の半藤さんの「戦争に正義はない」を変な意味で利用していた書き込みの件ですが、その後この方気がついたようで、撤回していました。「正義の戦争」がなきゃ困る方もいるわけで。
それと、最近見たもので気になったのは、やはり「その時」で秀吉のバテレン追放令を取り上げた回でしょうか。あれも「利用」しようと思えばかなり「利用」できる内容だな、と思っていたら案の定、「秀吉はヨーロッパ勢力の植民地化に対抗して、朝鮮出兵を行った」などと言い出す人を見かけました。秀吉のキリシタン禁令をあんまり単純に「ヨーロッパ植民地化」と結びつけるのは僕個人としては「?」をつけますね。中国人が鄭成功を「ヨーロッパ帝国主義に一撃を加えた民族英雄」と持ち上げるのと似た論理を感じまして。



#1073 
五番街 2000/08/26 16:32
「旧仮名遣い」について(長文になりました。失礼)


このところ仕事に忙殺されて、タイミングを失ったように思いますが、「旧仮名遣い」について、
私の感想を書かせていただきます。

+αさんは、次のように書かれています。

>旧仮名遣いそのものについては、特にどうとも思いません。戦前の文章をよく読みますから、
>読めない訳でもありません。ただ、森さんが紹介されたような、旧仮名遣いを、「正しい」
>仮名遣いであるとする方々に対してはいい感情を抱いていないだけです。

旧仮名遣いの投稿者について、私も同様に感じます。私がそのように感じる理由を考えてみると、
「相手」に対する私の意識が、旧仮名遣いの投稿者のそれとは大きく異なっているためだろうと
思います。

たとえば私は企業や政府機関などから依頼を受けて、日本語と英語の文書を作成することを仕事
にしていますが、相手が理解しにくい文章を書いたり、文法的な間違いや言葉の使用方法の間違
いなどは極力排除します。むろん、旧仮名遣いの文章を書くなどということは、とんでもないこ
とです。そんなことをすれば仕事の依頼がなくなり、生活が危うくなる可能性があります。

むろん、これは私の個人的な事情でしかないように思えますが、しかし、特殊なケースを除けば、
旧仮名遣いの投稿者が、会社や仕事で書く文章も旧仮名遣いを使用しているとは思えません。お
そらく、一般的に仕事などでは通常の現代文を書いているだろうと思います。

したがって、旧仮名遣いの投稿者は、仕事などの場合の「相手」と、ネット上の掲示板などでの
「相手」に対する意識が異なっていることになります。

掲示板などの「相手」は、旧仮名遣いの文章を好む傾向があるとか、その掲示板が、旧仮名遣い
の同好者の集まりの場であるなどの場合は除いて、一般的には不特定多数です。

つまり、仕事上で文書などを作成する場合の「相手」は特定の者であり、自分に対する影響力や
制約があるために、一般的な現代文を書き、ネット上では、「相手」は不特定多数であり、そう
した影響や制約がないために、自由に自分の好む(あるいは、正当と考える)旧仮名遣いの文章
を書いているのだろうと思います。

これは、「相手」の影響力によって、自分の態度や意見を変えることを当然視する発想があるの
だろうと考えます。私としては、「相手」が特定の者であろうが、不特定多数で自分には何の影
響もない者であっても、できるかぎり同様な姿勢で臨みたいと考えているために、旧仮名遣いの
投稿者の発想の仕方に反発を感じるのであろうと思います。

さらに言えば、不特定多数の読者を対象とした掲示板に旧仮名遣いの投稿を行う場合、その投
稿内容を理解できる読者と、そうではない読者がいることは、自然に想像できることです。つま
り、一般的には会話や文章を書くという行為には、それが全てとは言えないにしても、相手との
意思の疎通を求めるという目的がありますが、旧仮名遣いの投稿は、その程度はさまざまである
としても、読者との疎通を欠くことが有りえるという前提が存在すると考えられます。一部の読
者しか理解できない可能性がある投稿を、不特定多数の読者を対象に行うことは、私には理解し
がたい思いがします。

ネット上で旧仮名遣いの投稿を行なうことが「自由」であるとしても、それを読みにくいと考え
る読者から反発もあり、こうした読者を抑えるためには、そして、反発を浴びる自分を孤立から
救うためには、旧仮名遣いが正当な日本文であるというような論理を展開することが必要になり
ます。

つまり、「自由」であるとか「好み」であるという論理では、反発する側も同様な論理で
それを批判できるために、旧仮名遣いは正当な日本文だから、反発は不当であるとか、読みにく
いのは戦後の国語改革の弊害であるとか、という「自由」や「好み」に優越する論理を組み立て
ざるを得ないのだろうと思います。

しかし、私は旧仮名遣いと現代文のどちらが正当であるか否か、などという
問題には関心がなく、問題にしているのは投稿の内容です。そのため、「正当性」の主
張を読むと、自分には合理的あるいは必然性があるとも思えない規則を強制されているような、
苛立ちを感じます。



#1072 
森 洋介 2000/08/26 14:42
潜水艦の悲劇といへば

 日本海軍初の潜水艦沈没事故が1910(明治43)年にありましたね。4月15日、周防沖にて。
浸水に加へ、有毒ガスも発生したってんだからたまりません。
 ただ引揚げてみると、外国の同種事故に比べて乗組員に争ひの跡が見られず最後まで任務
を全うしようとしてをり、且つ佐久間艇長が苦しい息の中で手帳に綴った冷静沈着な遺言書
が国民の紅涙を絞った、のだとか。戦前には語り継がれて有名な事件だったやうです。横田
順弥『明治不可思議堂』(ちくま文庫)所収「六号艇沈没事件」など参照。
 しかしこれも、自由主義史観派好みの「軍国美談」にされさうなのがね……。



#1071 
Q世代 2000/08/26 11:10
潜水艦 歴史認識 いちご狩り

 こんにちは。

 潜水艦の悲劇と言えば、第2次大戦末期にフランケンシュタインの心臓を運んだドイツの潜水艦が、洋上で件の代物を日本の潜水艦に引き渡した直後、連合軍機の攻撃で爆沈したのが思い出されますが、ひょっとすると私、書き込むべき場所を間違えているかもしれません(自爆)。


>ななさん

 おめでとうございます。BBSもひとつの社会だと考えれば、これも「史劇的伝言板」の歴史のひとこまでございましょう。立ち会えた私も嬉しいです。


>+αさん

 はじめまして、レスありがとうございます。

 >自虐史観と「戦争に正義なし」
 実際のところ私も「自虐教育」を受けた覚えはないのですよ。前に書いたとおり、自虐以前に学期が終わってしまったということもありますが、「反日の丸」「反君が代」も聞いたことがありません。最近はどうしてこんなことになったのかなぁと、不思議な気分さえします。

>しかし、戦争に正義がないのなら、日本の戦争にも当然正義は無いことになるのですが、
>そのへんは理解しているのでしょうか。

 半藤さんのコメントを利用したい人は、「だから中国の対日戦にも正義はないのだからお互い様だ、いまさらうるさいことを言うな」と続けたいわけですよ。いわば「喧嘩両成敗史観」。もしかしたらとても日本的な考え方なのかもしれません。でもアメリカの原爆投下は赦したくないみたいです(^^;)。


 ところで先日伊豆の方に遊びに行ってきたのですが、三島から沼津の南の方までタクシーに乗って走っている途中、仁田を過ぎて狩野川の左岸から右岸に渡ったときに「江間いちご狩り園」という看板を見かけまして。
 それまでは目的地での遊びのことだけ考えて浮き浮きしていたのですが、この看板を見たとたんに「ああ、北条義時の育ったところだ」と気づき、「するとこのあたりが北条の勢力圏か」「蛭ヶ小島はどっちの方向だ」と、その後しばらく車窓の風景に見とれてしまいました。
 山あいの川に沿って田圃や畑が北に向かって広がっている地形で、実際の北条市の本拠は右岸の韮山なので、蛭ヶ小島も対岸にあたるのですが、狩野川は何度も氾濫したそうなので、おそらく一方の山裾ともう一方の山裾の間を川筋が行ったり来たりしたのではないかと思います。現在はほとんどひとけのない昼下がりの農村でした。
 日本最初の武士政権が、今となってはほとんど何もない、このあたりの一角から誕生したことを思うと、やはり頼朝の旗揚げは一種の革命だったのだなあと実感します。
 山木判官に夜襲をかけようとする一味は、今来た道筋を三島に向かって駈けていったのかもしれないと、感慨深くしたところで再び「江間いちご狩り園」の看板が現れて現実に引き戻されました。今度はあらためて韮山の方に行ってみたいと思います。

 それにしても義時も、未来の故郷が「いちご狩り園」なんて暢気なものになるとは思っていなかっただろうなぁと、話題もないので旅のひとコマを無理矢理歴史ネタにしてみたのですがいかがでしょう?来年の大河ドラマは「北条時宗」ですし。

http://www.ecodacs2.nerima.tokyo.jp/~ageq/


#1070 
+α(レスはあまり溜めるものではないなと後悔している) 2000/08/26 01:40
再び、いろいろ

>Q世代さん

 自虐について
 はじめまして、自由主義史観派のいうところの自虐教育については、やっているところはやっているようです。私が以前パソコン通信で尋ねたところでは半々程度でした。
 ちなみに私自身は受けていません。

 そのとき
 半藤さんの「戦争に正義無し」発言は、基本的にはその前のソ連の話を受けての発言だと思います。しかし、戦争に正義がないのなら、日本の戦争にも当然正義は無いことになるのですが、そのへんは理解しているのでしょうか。


>ほんさん

 はじめまして、民法はともかく、商法には年中接していますので、問題なくよめます。読みやすさでいえば、税法よりは、商法の方が遙かに上です。

 法人税法第四十三条(国庫補助金等に係る特別勘定の金額の損金算入)
 「内国法人(清算中のものを除く。以下この条において同じ。)が、各事業年度において固定資産の取得又は改良に充てるための前条第一項に規定する国庫補助金等(以下この条において「国庫補助金等」という。)の交付を受ける場合(その国庫補助金等の返還を要しないことが当該事業年度終了の時までに確定していない場合に限る。)において、当該事業年度の確定した決算においてその国庫補助金等の額に相当する金額以下の金額を特別勘定として経理したときは、その経理した金額に相当する金額は、当該事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入する。」

 意味とれます?これはまだ一重かっこしかないからましですけど、これが二重かっこ、三重かっことなると、どこでかっこが終わっているのかさえ分からなくことがしばしばです。

 それと。民法上「心神喪失ノ常況ニ在ル者ニ付テハ家庭裁判所ハ本人、配偶者、四親等内ノ親族、後見人、保佐人又ハ検察官ノ請求ニ因リ禁治産ノ宣告ヲ為スコトヲ得」第7条〔禁治産の宣告〕となっておりますから、禁治産者の定義は「心神喪失ノ常況ニ在ル者」でよいのではないでしょうか。


>徹夜城さん

 そのとき
 旧軍は「天皇の軍隊」ですから、基本的に「国民を守る」という発想はありません。いや、まじな話で、だから「一億総特攻」などという発想が出てくる訳です。
 旧軍が守ろうとしたのは「国体」=「天皇制」であって「国民」ではありません。(例外も少数ながらありますが)

 日航機
 テープは後半しか聞けませんでしたが、それでも、聞いていて目頭が熱くなってきました。テープの内容そのものは、以前、一通り見たことがあるのですが、やはり当事者の肉声というのはくるものがあります。
 パイロット達が、車輪に注意を払ったのは恐らく尾翼破損の際のショックと音の原因を、車輪が出たためと考えたからだと思います。(着陸の時注意していると、足を出す際に、音と、微かな振動が、感じられます。)
 やはり、故障で速度が落とせなくなった(たしか、油圧がダメになって、フラップがおろせなくなり降下速度を落とせなくなったのだったと思う)機体の速度を落とすため、強引に車輪をだした際、空気抵抗で、激しいショックと大音響がしたという話を読んだことがあります。(この機体は、車輪を出したお陰で、速度が落ち、何とか墜落を免れました。)
 まさか、尾翼が吹っ飛ぶなどという事態が発生しているなどとは夢にも思わなかったでしょうから、車輪が出たのではないか想像することは自然だと思います。

 潜水艦
 南軍の潜水艦「ホラス.L.ハンリー」(作成者の一人の名前にちなんでいる)の主兵装は、スパートーピード、棒付き水雷というものです。
 棒の先に鈎のついた水雷をはめてあり、これを、目標に突き刺した(体当たりするわけですね)後、後退します。150m離れると、水雷に取り付けてあるリールが延びきって起爆用のスイッチが入り、水雷が爆発するようになっています。
 実戦において、ハンリーは、初陣で見事、北軍の軍艦フサトニックを撃沈したものの、退避中に北軍の軍艦カナンディグワと衝突し、沈没しました。

 それと、かのクライブ・カッスラー氏、沈没した有名な船を捜して引き上げるのが趣味だそうです。
 私財を投じて、小説に登場させたNUMA(国立海中海洋機関)を設立し、ハンリーを初めとする沈没船を引き上げていることが「沈んだ船を探り出せ」(クライブ・カッスラー 新潮文庫)に書かれています。


>アール・ケイさん
 尾翼が壊れた理由がいまいち不明瞭なのは仰る通りだと思います。
 尾翼に海上自衛隊の無人標的機がぶつかったという話には、根拠がなにもありませんし、米軍や自衛隊が隠蔽を行っていたという話にも証拠が何もありません。
 いくつか、そういったサイトを見ましたが、牽強付会と言う印象しか受けませんでした。
 私は、現時点においては、日航機の事故原因は、公式見解が最も妥当なところだろうと思います。


>ななさん

 食文化の話 
 私も、少し残すマナーを聞いたとき「いやなマナーだな」と思いました。しかし、平安時代の「食い散らかし」マナーは、どういう理由によるものだったんでしょうね。
 まあ、マナーは文化のよって異なりますし、文化をの優劣を比較するなどという行為は無意味ではあるのですが、やはり、出された物は残さず頂くというほうがしっくりきますね。

 戦争の話
 湾岸戦争は、私にとっても、大きな事件でした。ただ、私のそれは、ななさんとは全く違う意味合いですが。
 私は「戦争はいやだ」という素朴な意見も重要だと思います。「戦争体験を知ったり、すいとん食べて戦時下の生活を知ったりすること」も大切だと思います。
 そういう視点が無くなると、某掲示板に集まる新右翼の方々のようになります。(前々から疑問に思っていたのですが、あの方々は、概ね20代ですが、日本が戦争になったらどうする積もりなんでしょうね。戦場に立つ覚悟はあるのでしょうかね。いや。それ以前に、自分が戦場にかり出される可能性を理解しているのでしょうかね。私が、20代の頃、日本が戦争になったら、まず間違いなく徴兵されて、戦場に放り込まれると思っていたので、戦争だけは勘弁して欲しいと思っていましたけど。)
 ただ、「戦争はいやだ」だけでは、不十分です。こちらに戦争する気がなくてもあちらに戦争する気があれば、戦争は始まります。(偉そうな言い方で恐縮ですが、「戦争とはいつの間にか始まっている」ものではありません。誰かが「始める」ものです。)
 「戦争はいやだから、戦争のことは考えない」という発想は、「病気はいやだから、病気のことは考えない」という発想では病気が避けられないのとどうように、戦争をさせることはできません。
 どうして戦争は起こるのかを知ることが、戦争をさせるためには必要だと思います。

旧仮名遣い
 今まで書いてきましたように、私の意見の根拠は基本的に百科事典です。

遣独潜水艦
 は、伊30、伊8、伊34、伊29(チャンドラボースを乗せたこともある)、伊52の5隻です。うち無事行って帰ってこれたのは伊8だけです。
 恐らく、ななさんが書かれたのは伊52だと思います。
 昔、NHKで放送された、撃沈された遣独潜水艦の番組に出てきたのもこれです。日本の記録では、タングステン、錫、生ゴムは積み込んだことになっていますが、金を積んだかどうかは分かりません。
 ただ、伊52の前の伊29は金を2トン積んでいたとそうですから、積んでいた可能性も無いことはありません。


>中西さん
真珠湾映画
> それで、その番組では「山本五十六役に日本人の超大物俳優と交渉中」と伝えていたのですが、いったい誰なんでしょうね? 超大物と
> いうところで、思い浮かぶ俳優がいないのです……。

 現在の日本の映画人で、国際的に最も有名な人といったら、北野武氏ではないでしょうか。



http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#1069 
なな 2000/08/25 23:31
こう見えても

>+αさん
いえいえ。短い中にも、お気持ちは十二分に伝わりましたよ!(^^) ありがとうございます。
それにしても、言葉が通じなくても、恋愛って成立するもんなんですねぇ。ならばこそ
「言葉が通じる幸せ」を、皆さんもっと噛みしめて下さいませ。奥様や恋人に対して…。(^-^)

本題です。私、実は北朝鮮フリークだったりします。亡命者の証言などをよく読んでいます。
韓国よりもずっと詳しく知ってると思います。団体旅行だから、行きたいとは思いませんがね。
R君と手をつないで歩く時、まだ子どもっ気が抜けないのか、時折「軍隊式っ!」と言っては
手を前後に大きくふって、行進のまねごとをやったりします。
「恥ずかしいから止めてよ〜っ」と、
無邪気に笑ってみせますが、その都度、私の頭の中ではテポドンだのミグだのが飛び交います。
彼の年齢から推すと去年まで兵役をつとめていたはずです。いくら私が北朝鮮に興味があると
いっても、軍事とはなんの関わりもない気楽なものですが、反対に軍事にはまるで似つかわしく
ない、おだやかな彼が機関銃の扱い方などを知っている…。違いを感じるのはこんな時ですね。
同世代の日本人男性とつき合ってたら、決して味わうことのない「ギャップ」ですよねぇ…。

あ、そうだ。+αさんなら、昨今ここで話題の旧日本海軍潜水艦についてご存じなのでは?



#1068 
長谷川@望夢楼 2000/08/25 02:41
『深海の使者』(その2)

徹夜城さん:
>最後、乗り込んでいた日本人技術者が先行きに絶望して自決しちゃったりする
 ドラマのほうは見てませんが、この話自体は事実のようです。正確には日本への航行中にドイツが降伏してしまったので難しい立場になってしまい、生きて虜囚の辱めを受けず、とばかりに自決してしまうのですが。
 この辺の話は、チャンドラ・ボースの話も含めて、前に挙げた吉村昭『深海の使者』に詳しく出てきます。チャンドラ・ボースの時は、インド洋上で両国の潜水艦が落ち合って手渡しをしたのですが、この時は日本側の潜水艦は金塊を積んでいたようです。
 あと、超長距離飛行機でドイツまで直接無着陸飛行しようとしたけれど、この飛行機もインド洋上で行方不明になってしまった、という話とかも出てくるのですが……こんな話を見てると、そもそもドイツと組んでイギリスを敵に回すことがいかに戦略的にも無謀だったか、ってつくづく思いますね。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/


#1067 
+α 2000/08/25 01:33
遅まきながら、おめでとうございます。

 ななさん

 おめでとうございます。
 どうか、お幸せに。
 (語彙が乏しいので、なんか、結婚式の電報のようにしかなりません、お許し下さい。)


http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#1066 
+α 2000/08/25 01:31
おわび

 森さん

 感情的になったことをお詫びします。

 徹夜城さんが言われているように、どうも話がかみ合っていないようです。
 仰っていることに疑問(ドイツ以外の西欧はどうなのか、定家仮名遣いは広まっていなかったのか等)もありますが、これ以上続けても、泥沼にはまりそうですし、ここは、そういう議論をするのに相応しくないと思いますので、よろしければ、仮名遣いに関する議論はこれでうち切らせて頂きたいと思います。

 旧仮名遣いそのものについては、特にどうとも思いません。戦前の文章をよく読みますから、読めない訳でもありません。
 ただ、森さんが紹介されたような、旧仮名遣いを、「正しい」仮名遣いであるとする方々に対してはいい感情を抱いていないだけです。


http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#1065 
ほしむら☆てるき 2000/08/25 01:21
KGBの手口?

詳しくは。
http://www.asahi.com/0824/news/international24011.htmlを、
お読み下さい(あれば、他のニュースのサイトでも良いですが)。
どうやら、看護婦が遺族の背中に何気なく注射器の針を刺しているようですが・・・
だとしたら、恐い。
「何気なく」がポイントです。




#1064 
なな 2000/08/25 00:28
クルスク乗員の遺族が説明会で軍と政府の関係者に

怒りを露わに詰め寄れるだけでも……民主化と呼ぶべきなんでしょうか?
旧日本海軍潜水艦についての情報、皆さまどうもありがとうございました。
私が見たのはNHK特集だったのかな? 「知ってるつもり?」ではなかったような。
旧日本軍の「無謀な作戦」は(特攻など)いくつか見てきていましたが、それでもこの番組で、
「世界大戦さなかの海を潜水艦でドイツまで行く」
という作戦(?)を知ったときゃぁ、
「すごいことを思いつくもんだなあ」
と、感心すらしてしまい、番組を最後まで見ることになりました。
今日、古本屋に「深海の使者」がありました。これも縁。読んでみようと思います。
私の祖父は戦前は外国回りの客船の船長でして、戦時中は軍事物資の輸送をしてたそうです。
一度魚雷だかの命中をくらい、身一つで命からがら帰宅できたことがあったそうです。



#1063 
徹夜城(格闘技にはあまり関心のない管理人) 2000/08/25 00:01
潜水艦ドラマ

肩書きのところに書いたような人間の私ですが、K−1のフグさんの急死には驚きました…。
人間こうもあっけなく死んじゃうこともあるんだなぁ、と。個人的にファンでもなんでもないし試合もたまたま一度テレビで見たことがあっただけなんですが、ショックなものです。
人間、明日のことは分かりませんし、一生懸命生きてないとなぁ、などと思ったりもするのでした。

さて、本題ですが。
あれこれと話が出てきましたね。潜水艦でドイツに行こうとした、そして大西洋で撃沈されたというのは確かにあるのでしょう。僕もヒマがあったら調べてみたいですが…ただ、金塊というのはどうなんでしょう、と思うところ。
ところで逆に敗戦直後にドイツから日本へ行こうとしたUボートの話を、十年ぐらい前ですか、日独合作でテレビドラマにしていた記憶があります。全編ではなく後半の一部を見ていただけなので、詳しい記憶はないのですが…最後、乗り込んでいた日本人技術者が先行きに絶望して自決しちゃったりするラストだった覚えがあります。これの正確なストーリー、もしくはその元ネタの史実性など、ご存じの方はお書き下さい。
そういえばインドのチャンドラ=ボースも潜水艦でドイツから東南アジアまで来ていたような…



#1062 
おやかた 2000/08/24 20:22
ドイツに潜入した潜水艦

4年位前に、NHK特集でやっていたと思います。
ドイツの軍事技術などを得るために、喜望峰周りで潜水艦で
ドイツに潜入しようとしていたという話。
1回は成功したけど、あとは、撃沈されたという話ではなかったかと
思います。
その、潜水艦に乗っていて命を落とした方の未亡人が出ていて、
見ているのが辛かったです。その無くなった方は、軍人ではなく、
技術者で、ドイツで技術を会得するために潜水艦に乗ったそうです。
奥さんは、連合国側に暗号が漏れていて筒抜けだった事など、夫が亡くなった状況を、
50年近くたって初めて知らされていました。
戦災や、原爆などの犠牲者の話を聞くのももちろん痛ましいのですが、
この、明らかに、無謀な行動に参加せざるを得なくて、亡くなった方の話も、
大変衝撃的で、辛い話でした。




#1061 
森 洋介 2000/08/24 10:24
旧仮名ツール

>キーボードで入力して旧仮名に変換させるのはすごくめんどくさそうな気がしますけど…
 確かに普通のIMEでは面倒です。そこで旧かな用の変換辞書が色々作られ、無償配布さ
れてをりまして、私もそれをATOKにぶちこんで使ってゐます。下記URL参照。
  http://user2.allnet.ne.jp/noz/kotoba/Kokugo/IME/Orthographie.html
 別に私のやうな旧かな使用者でなくとも、歴史学をやる人ならば、戦前の文献資料を原文
のまま転記すべき機会がしばしばありませうから、さういふ時には便利かもしれません。
 以上、ツールの紹介のみ。



#1060 
長谷川@望夢楼 2000/08/24 01:06
『深海の使者』

 日本潜水艦のドイツ潜入作戦については、吉村昭『深海の使者』(1972-73)(文春文庫 1976)に詳しく出ています。
 同書によれば、1942年から44年にかけ5隻がドイツに派遣されましたが、無事日本まで帰ってこれたのは1隻だけ。3隻は帰投途中に撃沈、1隻はドイツまでにたどりつかず行方不明になっています。ななさんの話に合いそうなのは、最後に派遣された伊号第52号艦(1944年3月末日呉港を出航。7月31日、フランスのロリアン港に入港直前の電報を最後に行方不明)ですが、沈没場所が違うので、あるいは吉村氏の述べていない別の艦があったのかもしれません。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/


#1059 
タロイモ 2000/08/23 20:06
旧日本海軍潜水艦について

どうも、おひさしぶりです。タロイモです。久しぶりすぎて
覚えておられないかもしれませんが・・・(^^;
とりあえず、40000ヒットおめでとうございます。(今更・・・)

旧日本海軍潜水艦ですか・・・実は私の母方の祖父が旧日本海軍で
技師だったこと思い出しました。伊号潜水艦の設計にも関与してたとか・・・
あまり戦時中のことは話してくれないままに亡くなってしまったので
詳しい事は何も知らないのですが・・・ーー;

大西洋上に沈没した日本の潜水艦の話ですが、そんな話は確かにあります。
去年の「日経ナショナルジオグラフィック 10月号」でも、そのことについて
いろいろ載ってました。
少し前に日テレの「知ってるつもり」でも取り上げてましたね、確か。




#1058 
なな 2000/08/23 01:29
んんっとねー…マズい、うろ覚えだわ。

>大西洋で撃沈された、旧日本海軍潜水艦
民放の特番でやってたんですよ、いつだったか。てっきり皆さんご存じかと…。
ヨーロッパ人で、世界中で宝探しをしている、とあるグループに密着取材。

太平洋戦争末期、かの潜水艦と乗組員は、一縷の望みと絶望的な使命を背負い、軍資金を積んで
同盟国ドイツへと出航した。インド洋から喜望峰を回り北上したが、レーダーに引っかからずに
ヨーロッパまで行けるはずもなく、アフリカと南米の中間あたりでついに撃沈、海の藻屑に…。

結局、潜水艦らしき物体を発見したようでしたよ。日本にも乗員の遺族が健在で。
どうも戦後もずっと秘匿されてきた、幻の部隊であり、事件だったようですよ。遺族の言葉で、
「日本政府には知らせてもらえず、外国人にことの真相を知らせてもらうなんて」
と言ってた記憶がありますもん。番組終了までに引き上げには至らなかったようでしたが。
「金塊よりも、一つでも遺物を引き上げて、遺族に渡してあげたい」
とのコメントにじーんとしました。そういえばこの件、その後どうなったんでしょうか…。
以後もこれに関する本を見かけたこともないので、うろ覚えの記憶を補強しておりません。
硬派失格ですねぇ。どなたかこれについて知ってる方、フォローしていただけませんか?



#1057 
徹夜城(硬派を気取っている管理人) 2000/08/23 00:45
「戦争と人間」を「名画座」に追加しました

なんか、私このところこの話ばっかりですな(^^;)。それだけハマったってことでしょうが。
アール・ケイさん、確かに中途半端に終わりますが(というか正確には終わっていない)、見応えは充分にある映画ですよ。とにかく様々な場面を迫力で見せてしまう。まぁ人によっては「辟易する」ぐらい濃いですけど。単純にキャストの豪華さ(裕次郎や丹波哲郎もチョイ役!)を眺めて楽しむのも可でしょう。
とにかくその後の展開が気になるキャラが多くて…(^^;)原作小説って、いま手軽に入手できますかね?
山本薩夫監督作品は過去に「皇帝のいない八月」と「忍びの者」ぐらいしか見てませんで…そういえば「皇帝」の方は滝沢修・高橋悦史・山本圭・吉永小百合・三国連太郎・鈴木瑞穂などが「戦争」とダブってますね。「鉄道映画」としては個人的に「新幹線大爆破」と並ぶ傑作に挙げています(歴史とは関係ないですね)。
そういえば「忍びの者」は「名画座」に入れてなかったですが、今思えば「梟の城」とかなり重なるところがある作品でしたね。

>ななさん
金塊を載せて沈んだ潜水艦…?僕は初耳なんですが…
本筋とは離れますが、潜水艦ってなぜか映画と相性が良いんですよね。「潜水艦映画」って1ジャンルが作れるぐらいで。あの三谷幸喜さんが潜水艦映画ファンだというのはある意味納得でした。漫画でも「沈黙の艦隊」がありましたし…
そういえば前にも書いたけどその「沈黙の艦隊」のかわぐちかいじの新作「ジパング」は今ひとつ狙いが分かりませんねぇ…今どき「戦国自衛隊」でもないだろうなどと思っちゃうんですが。
そーいえば「戦国自衛隊」のDVDが今週出ます。これもある意味変則の「歴史映画」ですね。上杉謙信(夏八木勲)・武田信玄が出てくるし(笑)。戦車が川中島を走っても意外に違和感が無かったのが印象的でした。



#1056 
なな 2000/08/23 00:17
硬派な話題に戻りましょう(笑)。

>徹夜城さん、アール・ケイさん、長谷川@望夢楼さん
まったく個人的な、しかも甘ったるいお話につき合わせてしまい、ごめんなさいです。
それでもあたたかいレスをいただきまして、二重に恐縮しております。ありがとうございます。

韓国(朝鮮)人に嫁いだ日本人女性で思い出すのは、やはり李朝最後の皇太子妃・李方子女史
(梨本宮方子)ですね。ずいぶん前に伝記を読み、今でも時折思い出したりします。
私がアキバツと李成桂に惹かれたのも、彼女の生涯が頭に残っていたからかもしれません。
当時はもちろんのこと、「深田恭子の相手役を選ぶ韓国オーディション」の結果が新聞に出た
時でさえも、まさかその後に自分が韓国人男性と恋に落ちるとは思いませんでしたねー。
これはぜひ、二つの日韓合作ドラマを視聴してこまごまとツッコミを入れなくっちゃ!(笑

さて、ロシア最新鋭潜水艦の沈没事故ですが…。
事故後の同国の対応ぶりに、まざまざとチェルノブイリの発生当時を思い出しましてねえ。
「ソ連は滅びていないんだな〜」とつくづく思いました。潜水艦事故といえば、数年前でしたか
韓国の領海でサンマ漁の網にひっかかった北朝鮮潜水艦の顛末の方が、クルスク以上に
ショッキングでしたね。自ら救助のロープを切って沈没したんですもの。乗組員は全員自決で。
あと、第二次大戦中に日本海軍の潜水艦が金塊を積み込んでひそかにドイツへ向かい、大西洋で
撃沈されたとか。とかく潜水艦にはいいイメージがないです。ビートルズの曲を除いては。



#1053 
おやかた 2000/08/22 20:39
お礼

長谷川@望夢楼様
ありがとうございます。DNA鑑定にはつかってないんですね。




#1052 
長谷川@望夢楼 2000/08/22 19:25
Re:大津事件

 なんだかお久しぶりです>皆様

ニコライ二世のDNA鑑定:
「ロシアの専門家は大津市を訪れ、博物館に保管されている〔引用者註:大津事件の際の〕血染めの手ぬぐいなども鑑定したが、血液型を鑑定しただけで、DNA鑑定まではできなかった。」
植田樹『最後のロシア皇帝』(ちくま新書 1998),p.36。同書によれば、実際の鑑定に決定的な役割を果たしたのは、むしろ親族のDNAだったようです。

 それはそうとおめでとうございます>ななさん

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/


#1051 
アール・ケイ 2000/08/22 17:08
海峡を越えた恋、ですね

このところ、私の能力ではとても“ツッコミ”も“ボケ”も出来ないお話が続いておりましたので、ROMっておりました。
私、外国人が側に来ると死んだふりをする(嘘)人間でして英語は大の苦手ですが(そのくせ英文の契約書を作成したりするんです、我ながら恐ろしいことです(笑))、どういうわけか旧仮名遣いはスラスラ読める方です。
ただ、キーボードで入力して旧仮名に変換させるのはすごくめんどくさそうな気がしますけど…

なな様
それはそれはおめでとうございます。テレビドラマのようなお話ですね。
と、私が思いますのも、いま日韓合作の恋愛TVドラマばやりだからでして、NHKでは日本人のピアニスト(演・窪塚洋介クン)と韓国の女性、TBSでは日本人の少女(演・深田恭子チャン)と韓国人青年、というパターンで制作されるそうです。
国際結婚など珍しくない時代ですが、隣国人との恋愛ストーリーが(今さら)目新しいテレビドラマのネタになるとは、何かとても情けないような…

『戦争と人間』ってそんな中途半端なところで終わるんですかぁ。ああ見なくてよかった(笑)。(ちらっとだけ見まして、滝沢さんも芦田さんも亡くなったなあとしみじみ)

ロシアにはああいう原潜事故を隠し通す能力もなくなっているのですね。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#1050 
徹夜城(さっきまで映画を見ていた管理人) 2000/08/22 01:09
「戦争と人間」見終えました。

>ななさん
おやおや、いきなりの大発展ですね(^^)。おめでとうございます。

>「戦争と人間・完結編」
ついささきほど一気に見終えました。
うむむむ…ここで終わりかぁ!ちゃぶ台ひっくり返しちゃうぞ、わたしゃ(爆)。あ、我が家にはちゃぶ台がないか。
あまたの伏線、多くの登場人物は全く放って置かれたままいきなりの完結。もっともお話の方もちっとも完結しておらず、いかにも続くかのようなラストです。「完結」と銘打っているのはタイトルだけ。山本監督の無念が伝わってきますなぁ。もちろん日活が予算上の都合でさすがに製作を停止したんでしょうけどね。確か日活がロマンポルノに転向するのもこの直後だったのでは?
内容を見る限り、「よく三部まで付き合ったなぁ」と思うところもあります。第三部のラストではノモンハン事件をドハデに再現!ちゃんとモンゴルかどこかの草原で戦車軍団走らせてロケしてますね。製作費は大変なものだと思われます。
下の方で書いていた「ヨーロッパの解放」のオーゼロフ監督に感謝の意が表せられている理由は案外単純でした。「ヨーロッパの解放」のクルスク戦車戦(そういえば沈没した潜水艦はこの地名では)のシーンからいくつかのカットをそのまま拝借しています。正直なところあまり必要を感じないようなカットばかりだったのですが…

それにしても山本薩夫監督を蘇らせて続きを作らせたかったです、ホント。近日中に「歴史映像名画座」に収録いたします。



#1049 
なな(ほとんど紅一点のようだし、たまにはこんな艶話もいいでしょ?) 2000/08/22 00:33
まるっきり私事でごめんなさい。

出会ってから言葉を交わすまでに二ヶ月。お互いにけっこういい歳ながらお友達関係で一ヶ月。
私と韓国人留学生のR君、本日、よーーーやっとのことで恋人どうしと相成りました。
「史点」に中東のお姫様と米兵のかけおち話がありましたが、あのお二人に比べれば、
私たちには宗教の問題もなし、ややこしい身分格差もなし、国家間の軋轢もなし(今のところは
ね)、二国間の距離も近いし、顔立ちも同じだし。……あるのはひたすら語学力の課題だけ。
史点ネタになった米兵とR君、ほとんど同い年なんですよね。対して、かのお姫様と違って、
告白されてもやたら沈着冷静なのは、ひとえに私の年の功でありましょう……。(^^;)



#1048 
おやかた 2000/08/21 20:33
大津事件

のとき、ニコライ二世の血をぬぐったハンカチが日本に残っていて、
遺骨のDNA鑑定はそのハンカチを使ったということを、「世界ふしぎ発見」で
以前やってたんですが、本当なんでしょうか?
もし、ご存知の方いらっしゃったら、教えてください。



#1047 
徹夜城(余計なおせっかいをした管理人) 2000/08/21 11:54
気がつきましたね。

見られなかった方々、残念でした(笑)。
下の「舞台」の件ですが、11時50分ごろ見ましたら「部隊」に直っておりました。
あそこは確か早朝に朝刊の一部が出るのですが、それにしても10時頃まで気がつかなかったというのには驚きました。ワープロ時代の怖さですね。僕も結構やってますけど(笑)。



#1046 
徹夜城(VOW!シリーズが結構好きな管理人) 2000/08/21 10:20
みなさん、大急ぎで!

歴史ネタではまるでないんですけど(^^;)。
ついさきほど産経新聞のwebを眺めていたところ、なんとトップ記事にこんな見出しがデカデカと躍っていました。

事前に舞台登録
PKO「30日以内」派遣へ
(↑産経webからそのままコピーして貼り付けたものです)

PKOはいつからショービジネスを展開するようになったのでありましょうか(爆)。
ついにVOW!おなじみの新聞誤植ネタもネット世界に進出し始めたようで。
本日午前10時6分段階で上記のまま出ていました。トップ記事だけに目立つ目立つ(汗)。見たい方はお早めに!まさか気づいて訂正すると思いますので。
…まさか新聞本体の記事も同じ見出しになっているんじゃあるまいな… 

昨日はNHKの「世紀をこえて」の変速機開発ばなしに見入ってしまい、「知ってるつもり?」の水木しげるの回を見落としました(^^;)。それにしてもこの方は存命のうちに「知ってるつもり?」ネタにされてしまいましたね(過去にも何人かいるんですが)。
深夜にやっていた「戦争と人間・完結編」を先ほど一時間ほど鑑賞。冒頭に「オゼロフ監督・モスフィルムの協力に感謝」と出ますが、このオゼロフってあのソ連戦争映画の超大作「ヨーロッパの解放」の監督のことだと思われます(僕のデータでは「オーゼロフ」になってます)。ノモンハンのシーンで協力を仰いだんでしょうね。まだそのシーンまで見てませんけど。



#1045 
徹夜城(夏期講習再開中の管理人) 2000/08/19 23:55
矛先がずれてませんか?

えー、少しお留守にしてました。
何やら一気に難しい長文がでておりますが…

まず+αさん。
すいませんが、やはり批判の矛先を間違っておられるように感じられます。ボタンのかけ違いとも申せましょうか。
森さんがお書きになっているつづり方の話題は、「近代的国民国家の成立とともに『国語』が公式に創作されていく」というお話だと思うのです(森さん、ズレていたらすいません)。それに対して+αさんのツッコミは、「仮名文字」「仮名文学」が存在したかいなかというような、文字や文章問題に行ってしまっているように思われます。だから両者のお話にかみ合うところがないのです。
+αさんはどうもいきなり矛先の違うところを突いて「論破」を狙ってしまったように受け取れるのですが、どうでしょう?特に「近代」についてのツッコミにはいささかその傾向を感じてしまいます。森さんが使われたのは例えば「近代的なビル」といった程度の用法であると僕は思います。明治村に出かけて「近代的な眺め」と言う人はあまりおりますまい。
冷静に下の森さんの書き込みを読んでいただければその意図されているところはお分かりになると思います。さらに言えば森さんも必ずしも歴史的仮名遣いを押し付けているとか、特定の意図をもって書いているわけではないはずですよ。
細かい部分での意見の相違はもちろん出てくるでしょうが、どうも完全に筋が違うと感じますので、意見を述べさせていただきました。

>映画ネタ。
潜水艦が沈んだばかりだというのに、何やらUボートの映画が近々公開のようですねぇ。戦記物が続くなぁ、と思っていたら潜水艦モノも復活のようで。
一週間前の放映ですが、今頃TVドラマ「クレオパトラ」の第一部を見終えました。カエサルの暗殺まで。元007・ティモシー=ダルトンのカエサル、なかなか貫禄があって良かったです。007役のころはなんだか野卑な感じで「上品でない」とか言われてましたが…。クレオパトラ役の人は…うーん、なんか単なる野心満々のワガママ女に見えなくもないなぁ。エキゾチックな雰囲気が求められたのでしょうか。
カエサル暗殺を養子のオクタヴィアヌス(のちのローマ帝国初代皇帝)が事前に知っていたのにわざとやらせるようなくだりがありましたが、どうなんですかねぇ。仕方ないのかもしれませんけど、クレオパトラを主役に配すとオクタヴィアヌスって悪役まわりになるんですよね。まぁ天下を取っちゃった人が悪役まわりをやらされるのは洋の東西同じのようです(判官びいきも働きますしね)。
その直後フジテレビで現役007・ピアース=ブロスナンの「ゴールデンアイ」なども観てしまった(笑)。



#1044 
森 洋介 2000/08/19 21:18
俗語、正書法、仮名遣ひ

>+α様
 公式化される以前に俗語の正書法など確立する必要があったでせうか。俗語が国家語とし
て採用される過程で表記法その他の規範が求められたと見るのが妥当でせう。さうでない事
例があるならご提示下さると勉強になります。古典ギリシア語はラテン語同様、各国語とは
別問題だと思ひます。
 また、ルターが聖書翻訳に於てドイツ語を「創った」とは、定説(笑)だと思ってゐました
が、これも異説あるならご教示願へませんか。むろんルターに関はり無く各人の母語たる口
語は(何語とも定まらぬ雑多不統一な儘に)存したでせうが、国語(国家語)としての文語とは
別物の筈。ここで「文語」と言ふのは、言文一致とは、文を言に一致させるやうに見えて実
は従来の文語(ラテン語、漢文・擬古文等)に代る新たな「文」の創造だったからです。
 以上、「俗語革命」に就てはベネディクト・アンダーソン『想像の共同体;ナショナリズ
ムの起源と流行』(NTT出版)を参考にしてゐます。日本語も翻訳を契機に成立したことは、
『死産される日本語・日本人』(新曜社)標題論文など酒井直樹氏の一連の論考に述べられて
ゐます。この辺、思想史的論議ですが、ご興味おありですか?

 仮名文学が古典=規範(カノン)として確立したのも近世国学運動以降のことでせう。定家
流の中世歌学は口承秘伝を特色としてをり、故にごく一部の知識に留まりました。主流は依
然漢学にあったのです。契沖以降、規範としての仮名遣ひが成立しつつあったとはいへ、一
般庶民には「正しい」も「間違ひ」も知ったこっちゃなかったはずです。事実江戸時代には、
多少知識のある戯作者でも仮名遣ひは出鱈目です。仮名の普及と仮名遣ひ(「正しさ」)の普
及を混同する論法はいただけません。また、仮名文学は古語に依拠するもの、そのあと明治
以降の言文一致運動による俗語革命を待ってやうやく「国語」規範が成立し、その一環とし
て歴史的仮名遣ひもあったわけです。この二段階を述べたのに一段階と受け取られ、仮名文
学が明治以前に存在しなかったといふのかとのおっしゃりやうは、幾ら当方が舌足らずだっ
たにせよ、解せません。

 なほ「近代」は、広義には現代を含みます。思想史では当り前の用法です。ポストモダン
が唱へられても、なほモダンから脱し難いのが我々の現状ではありませんか。また、戦前と
戦後で近現代を分けるのに対し、近年、山之内靖氏らにより戦前からの連続性が様々に指摘
されてゐるのにもご注意下さい。

 ご投稿は、全体に、何か憤ってをられる語調で、率直に申せば、言ひ掛かりめいた物言ひ
と感じました。気の所為なら謝りますが、何か歴史的仮名遣ひに嫌悪感でもお持ちですか。
感情抜きの理知的論議なら歓迎しますので、その場合には、更に詳細は直接メールで応じた
く存じます。



#1043 
+α 2000/08/18 02:55
旧仮名遣い

>森さん

 はじめまして、ご意見のうち些か疑問に感じたことがありますのでお尋ねします。

>  そもそも西欧でもラテン語以外の「俗語」に「正しい」も「間違ひ」もありはしません
> でした。聖書がドイツ語や英語といふ俗語に訳されるのを契機に、各国語が成立し、そこ
> で初めて正しい綴り方=「正書法」も発明されたのです。

 そうですか、すると古典ギリシャ語には、「正しい」も「間違い」もなかったのでしょうか、それとも、古代ギリシャは西欧には入らないのでしょうか。

 また、聖書の翻訳を契機に各国語が成立したとすると、聖書の翻訳者は、「正しい綴り方=「正書法」正しいつづり方も発明」したわけですか。
 私は、当時既に、各国語の「正書法」は確立されていた(でないと翻訳そのものができない)が、各国語は俗語とされており、公式のものではなかった。しかし、「聖書」の翻訳によって、公式なものと認知されるようになったと理解していたのですが。
 当時の人々は、自国語の「聖書」を読むのに苦労したでしょうね。なにしろ、はじめて見る「自国語」の文書なわけですから。


>                             日本もご同様で、真名(漢字)に
> 対する仮名でしかなかったものの「正しさ」を追求したのは契沖以降の国学者であり、漢
> 文に従属しない俗語が確立するにはなほ明治期の言文一致運動を待たねばなりませんでし
> た。「正しい日本語」は国民国家の成立と聯関してゐるわけです。

 明治時代まで、仮名文学が存在しなかったという意味でしょうか、すると、仮名が確立、普及したのは、平安時代のことであるという百科事典の記述は間違いであり、源氏物語、枕草子、土佐日記も全て漢文で書かれていたというわけでしょうか。

「平仮名は9世紀後半からすでに歌文をつづるのに用いられていたらしいが,905年《古今和歌集》が撰進されると一躍公的地位を獲得するに至り,10―11世紀にかけての和歌・物語文学の隆盛をうながす大きな力となった。」マイペディア97(日立デジタル平凡社)

「8世紀末ごろ以後、書簡文などに、一字一音の万葉仮名を草体化して連ね書いたことがあったが、しだいにその字体の簡略化が進み、9世紀末には、現行のような平仮名字体が成立していたらしい。10世紀初頭の勅撰(チヨクセン)の『古今和歌集』が平仮名によって記されたのは、この文字がすでに完成して、公的場面に登場するにふさわしい資格を備えていた証(アカシ)と認められる。ついで10世紀末には、漢詩と和歌を併載した『和漢朗詠集』がつくられたが、そこには漢字と平仮名との併用がみられる。平安中期における『枕草子(マクラノソウシ)』『源氏物語』などの女性仮名文学の隆盛は、平仮名の発達が一因をなすといわれる。」日本大百科全書(小学館)


>  ですから、江戸時代以前は「ずっと「間違った仮名遣い」をしていた」といふのは、或
> る意味では正しいが、そもそも「正しさ」が無かったといふ方が精確でせう。

 すると、音韻の変化に伴い、仮名遣いが問題となり、藤原定家が仮名遣いの規範となる『下官集』を著したのが鎌倉時代というのも間違っているし、それが普及したという百科事典の記述も間違っているということなのでしょうか。

「上代の日本語においては88の音節が区別されたが(上代特殊仮名遣い),次第に減少し,10世紀ころに清音47,濁音20となり,いろは歌に反映されるような音韻体系をなした。しかしこのうち,さらに同音に帰したものが生じたため,仮名遣いの混乱がはなはだしくなり,鎌倉時代から規範としての仮名遣いが意識的な問題として取り上げられるようになった。まず藤原定家が主として古文献によって〈定家仮名遣い〉を示し,それを受けた源知行(行阿)の《仮名文字遣い》等によって広まった」マイペディア97(日立デジタル平凡社)

「第二は、ある語を仮名で書くにあたって、二通り以上の書き方が可能な場合に、そのうちのどれを正しいとすべきかという規範である。(中略)第二の意味によるものは、奈良時代・平安時代にはその確かな例がみえず、鎌倉時代に入って、藤原定家(テイカ)が定めたとされる「定家仮名遣い」がその最初とみられる。それを記した書のなかで最古のものとされるのは『下官(ゲカン)集』で、中世以後広く行われた『仮字(カナ)文字遣』(行阿(ギヨウア))は、それを増補したものと考えられる。」日本大百科全書(小学館)


>  で、私は近代人ですので、「近代の」伝統を尊重してゐる次第です。

 戦前の方とは存じませんでした。(【近代】現代に近い時代。(中略)日本史では普通、明治維新から第二次大戦終結までを言う。「岩波国語辞典」)
 私は生憎現代人なので、現代の用法に従いたいと思います。

 最後に、お手数ですが、ご意見の根拠をお教え下さい。



http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#1042 
がおがお 2000/08/18 02:24
わかりました。

>ほしむらさんへ
 なるほど。たまたま、うちもやっていただけなんでしょうか。ありがとうございました。



#1041 
なな(眠れないままに長文書いてます。ごめんなさい) 2000/08/17 03:36
やはり重かった、今年の8月15日。

今、私がほぼ毎日のように会って日本語を教え、韓国語を教えてもらってるのは、来日わずか
三カ月足らずの留学生R君です。以前にここを紹介した…まだ書き込みしてませんが。
彼とは、お互いの語学力が足りないせいもあり、政治や歴史の話はしないんです。それに、
彼は韓国の礼儀を押しつけず、日本の作法を知ろうとしてくれるので、つき合いやすいです。
彼も割り勘は賛成しませんが、その分、私が薬や日本語のテキストをプレゼントすると、
喜んで受け取ってくれますし。「春香伝」を見に行こう。「シュリ」のビデオが出たら見よう。
韓国料理を作るから、日本の料理を教えて。来年、私がもっと韓国語を話せるようになったら、
一緒に韓国を旅行しましょう、いろいろ案内してあげます…。ホント、国籍の違いを感じない、
まるで十代のカップルのような、たあいもない、さわやかな(?)交流を続けております。

政治話を口にしない彼が、「韓国旅行」の話の際に言ったんです。
「…8月15日は何の日か知ってますか?」
「…光復節でしょ。日本は終戦記念日」
「韓国には戦争記念館があります。僕は二度行きました。韓国へ行ったら、行きましょう」
…これで思ったんですが、韓国人が日帝時代について触れたがるのは、その話題を出された日本
人がどういった反応をするかで、彼らと打ち解けられるか否かを見ている…バロメーターにして
るといったらいいか…ではないかな、と。日本人だって、知り合ってすぐのアメリカ人に、
「原爆は正義だった!」とでも断言されたら、その後その人と仲良くなるのは難しいでしょう?

韓国の戦争記念館については、テレビで少し知ってます。とにかくリアルに再現してるそうで。
ただ、私は歴史小説家を志す者ですから、その凄惨な展示内容のみに触れて謝罪や贖罪の言葉を
連ねたくはないんですね。んん…語弊のある言い方ですが、現代日本人の私にだって、戦前の
日本がなぜあんな無謀な戦争をしたのか理解できないし、それを半世紀以上も昔の人々といっしょくたにされて、今、非難・批判をされてもなー、という思いがあるんです。
もちろん無知でいいとは思いませんよ。けれど知るならば、その時代背景、当時の国際情勢、
なぜおそらくは(美辞麗句であろうと)理想を掲げて出征したであろう日本軍が、外地で狂気の
集団と化してしまったか(これは倭寇のテーマでもある)、韓国への差別意識はいつの時代から
芽生えたものか、日本の植民地支配がもたらした功罪…ぅぁ、これじゃいつかの政治家の大失言
と同じだぁ…など、多角的に掘り下げて知らなくてはと思うのです。近現代史総ざらえですね。

私は誕生日が日米開戦の数日前なので、子どもの頃から、かの日と終戦記念日の扱いの差に疑問
を持ってきました。それでも、湾岸戦争の経緯を見て決定的な意識革命を起こすまでは、戦争体験を知ったり、すいとん食べて戦時下の生活を知ったりすることは大切だと思っていました。
しかし湾岸戦争で実感したのは、「戦争とはいつの間にか始まっている」ということでした。
「いくら結果を反省しても、戦争の発端を洞察する力がなければ、再び違う結果が出るだけだ」
言葉が適切でないかもしれません。上手く言えませんが、こんな風に思うようになったのです。
よって一年にこの日だけ、全国が反省モードになる「終戦記念日」にも賛同できないですね。

15日は、彼からの誘いはなく、私も誘い辛くて、約束なしで過ごしました。電話もし辛くて。
南北離散家族再会のニュース聞きながら、ずっと韓国語の復習してました。大げさなんだけど、
心が裂かれるような、なんとも重苦しい一日でした。で、16日の夜に彼と食事をしました。
「…昨日は何してたの? …韓国のお友達とお祝いとかしたの?」
「…何もしませんでしたよ。寮で寝てました」
なにぶん語学力がないのでこれ以上の話にはなりませんでしたが(笑)、二人の間に一瞬流れた
妙ーーーーな沈黙は、これまでに経験したことのないものでした。 長文でごめんなさいです!



#1040 
ほしむら☆てるき 2000/08/17 02:25
がおがお様へ

がおがお様へ。
うちの8月15日粗食は、親が独自に考え出した物で、
そういった「粗食食べよう」運動で発生した物ではないと思います。



#1039 
がおがお 2000/08/17 02:22
終戦記念日の食事

>ほしむらさん
 いきなりですいません。
 書き込みを読んで思い出したのですが、私もちいさいころ粗食をする日と称して、すいとんを食べる日があったように思います。たぶん八月十五日だったと思うのですが、なんかそういう運動でもあったのでしょうか。もし知っておられたら、教えてください。



#1038 
徹夜城(ひょっとして戦争映画マニア化しつつある?管理人) 2000/08/16 10:23
「戦争」ばなしあれこれ

>ほしむらさん
僕自身は不思議と親戚に戦死者がいないんです。母方の祖父は健康問題のために工場労働のみでしたし。父方の祖父は先述のとおりビルマ戦線から九死に一生を得て生還してます。
祖父が家に帰還してきた時、祖母が走り出て迎え出たのを、僕の父から最古に近い記憶として聞かされたものです。戦後祖父は全く戦地の話をしなかったそうでどういう体験をしたかはほとんど分からないのですが、一度だけ僕の父に「戦場で仲間の死体の肉を食っていた兵士もいた。俺はとても食えなかった…」と語ったことがあったそうです。それだけでもかなりの地獄を見たことは想像できます。
ちゃんと調べれば分かるんでしょうけど、それこそインパール作戦でも行ってたのかな?

>Q世代さん
「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)は名作ですよね!あのドキュメンタリータッチの緊迫感ある展開がたまりません。僕も思いだしたように繰り返し見ています。岡本監督作品としては異色作なんですけどね。岡本監督の「戦争」を扱った映画としては「肉弾」が最高傑作ではないでしょうか。
そういやあこの「日本のいちばん長い日」ってホントの原作者は半藤一利氏なんですよね。

実はつい先日「トラ・トラ・トラ!」をまた観てました。改めてみるとやたらハデにアメリカ軍がやられまくる映画ですよねぇ。アメリカ人にとっちゃ、自国領が攻撃されたという点でこちらの想像以上にショッキングなんでしょうか。このあたり、来年公開の「パールハーバー」がどう描くのか注目。作品としてはてんで期待していませんが。

「戦争と人間」を学校で見に行った…うーん、正直なところ「よくまぁ」と思います(^^;)。
日活製作オールスターキャスト超大作で歴史の勉強にもなることは確かですけど、第二部ってほとんど数組の男女のメロドラマが主軸ですよね。しかも人妻との不倫含み(^^;)。
それとなんといっても「左翼色」が各所で濃厚。共産党員だった山本薩夫監督ですから当然と言えば当然ですけど、かなり濃厚ですよね。それを娯楽性も絡めて描いちゃうところが山本映画の力技なのでありますが(「皇帝のいない八月」なんかもそうですよね)。
けっこう前の話ですが、アメリカ直輸入の映画データーベースCD−ROM「シネマニア」の94年版を買って日本映画や映画人がどれほど項目を立てられているか調べたことがあります。アメリカではこんなもんか、というぐらい項目数は少なくて、映画監督では黒澤、溝口、小津の定番にゴジラの本多猪四郎と円谷英二、小林正樹や伊丹十三などが項目を立てられている程度でした。そこにしっかり「サツオ・ヤマモト」の項目があったにはちょっと驚いたものです。「左翼の映画作家」との解説がついてましたが日本を代表する映画作家とみなされていたことは確かなようです。



#1037 
Q世代 2000/08/16 03:48
日本のいちばん長い日

 こんばんは。

 毎年この日にはあの映画を鑑賞するつもりでいるのに、忙しいことが多くてなかなか毎年というわけにはいきません。今年も仕事が忙しくて観られませんでした。重厚で、セットなのかロケなのか分からない、当時の再現画面が見事です。それにしても出演者の顔ぶれを観ていると、お盆に観るのもまた相応しい映画になってしまいました。
 それと、野村芳太郎監督の「張り込み」なんか観ても思うのですが、昔のモノクロ映画の中で描かれる夏って、ホントに暑そうですよね。

 で、12月には「トラ!トラ!トラ!」と「1941」を1年おきに観たりしています(^^)。

 歴史ドラマって、登場人物のそっくりさんぶりなんかも楽しみで、「日本の〜」では宮口精二の東郷外相と笠智衆の鈴木貫太郎ぶり、「トラ!〜」では三橋達也が演じた源田実のそっくりぶりが印象に残ります。というか、歴史上の人物の名を聞いたときに、役者の顔が先に脳裡に浮かんだりして(^^)。
 洋画では「パットン大戦車軍団」のパットン&ブラッドレーのコンビが、名のある役者を使っていながら、尚かつそっくりだったのでびっくりした想い出があります。

>戦争と人間
 小学生のときだったか中学生のときだったか、学校で観にいった覚えがあります。永田鉄山惨殺事件と2.26事件が鮮明に記憶に残っていますから、あれは第2部だったのですね。
 ん〜、歴史の授業は大正デモクラシーとか、せいぜい満州事変のあたりまでを駆け足でやっつけて終わってしまったので、藤岡教授が言うような「自虐教育」まで辿り着いてないよ、と思っていましたが、ひょっとしてあの映画鑑賞会が自虐教育の一環だったのでしょうか(笑)。

 それではまた。

http://www.ecodacs2.nerima.tokyo.jp/~ageq/


#1036 
ほしむら☆てるき(テンションにばらつきのある28歳) 2000/08/16 02:12
終戦記念日、すなわち敗戦。

私も戦争で親類を失っている(そちらの人の方が多いのでは?)者です。
と言っても、母方の親類と、父親の兄です。
直接前線で死んだのではないですが、
戦争に巻き込まれて亡くなったものと考えています。

日本が妄想に駆られた戦争で負けた日。8月15日に記す(と言っても16日未明です)。

P.S
昔、8月15日は、めざしなど「粗食」を夕食に食べておりました。
「15年戦争」で日本が無謀な戦いをして負け、
国民が貧乏になったことについて考えさせられる夕食でした。




#1035 
徹夜城(祖父がビルマ戦線から生還している管理人) 2000/08/15 23:55
今日は敗戦記念日

♪いくさに負けて占領されて 終戦なりと馬鹿を言う…♪
↑黒澤明監督の遺作となってしまった「まあだだよ」で主人公の内田百ケンが歌う強烈な替え歌です。

>ほしむらさん
「知ってるつもり?」の林彪はずいぶん乱暴にまとめていた印象も僕は受けました。暗殺・クーデター計画は実際にあったとは思いますが、あのまとめ方ですと最初から彼がそうした権力奪取の野望を密かに抱いていたように感じてしまいます。実のところいきなり毛沢東の後継者に指名されてしまったのが彼の運の尽きだったのでしょうね。中国現代史の専門家ソールズベリーが言ってましたが(NHKで「天安門」というドキュメンタリーやってましたね)、「当時の中国で最も危険な地位は毛沢東のナンバー2になることだった」わけですし。
エドガー=スノーの「中国の赤い星」というドキュメンタリーの名著がありますが、スノーが延安の共産党根拠地に潜入していくと(ちなみにまだ西安事件の直前です)、若き日の林彪がヒョッコリ登場してきます。その後の彼の運命を思うと何やら哀れを催すくだりですね。
それにしても林彪の飛行機事故死ってムチャクチャ出来過ぎなんですが、撃墜ってことはやっぱりなかったんでしょうかねぇ。毛沢東は「最高の結末だな」と言ったらしいですが、確かに都合の良い結末ではありますね。



#1034 
ほしむら☆てるき 2000/08/15 02:54
林彪

13日の知ってるつもりで出てきた、林彪、と言うのも濃いキャラクターでしたですね。
毛沢東暗殺計画とは・・・
ばれて反撃にあった。




#1033 
徹夜城(相変わらずヒマがあると映画を見ちゃう管理人) 2000/08/14 23:46
「戦争と人間」漬け(笑)

昨夜NHK衛星で放送された「戦争と人間・第二部・愛と哀しみの山河」を見終えました。いやー、ホントに大河ドラマ。一部ごとに3時間あるんだもん。次回第三部でようやくの完結。なんでも本来は四部構成を予定していたとか。まぁこの作り方じゃあ予算が大変でしょうな。
「銀英伝」なみにやたらに人物が出てくる映画なので(例えがよくないか?)紹介がしにくいんですが、とにかくゴージャスなオールスター社会派ドラマですな。第二部では歴史的事件として永田鉄山斬殺事件、2.26事件、西安事件そして廬溝橋事件が描かれてました。蒋介石、張学良、周恩来なんかもちゃんと登場してました(もちろんほんのちょっとですが)。
第1部で勘九郎少年が演じていた役は、成長すると北大路欣也になってしまいました(笑)。
第3部では当時のソ連軍の協力を得たというノモンハン事件の映像が見られそうです。

周恩来といえば、日曜にやってた「知ってるつもり?」は周恩来vs江青だったので久々に見ました。二人ともいろんな意味で中国的な歴史上の人物だなぁなどと思うところ。

>森さん
仮名遣いの変化の話、ありがとうございます。僕も昔の新聞記事などでいつから変化したのかな?とは気になってました。もっとも中国の簡体字に慣れちゃうのと同じで(実際使い出すとクセになります)、なかなか元には戻れないところですね。

>ほんさん
法律文語は僕も気になっていたところ。やはり新たに法改正・追加した場合でも文語文にするんですね。
これは先に書いた憲法の本でも出ていたことですが、文語文のほうが「難解だけどゴマカシが効かない」という見解もあるようです。実際日本国憲法も文語で、と主張した人達はそう言ったようです。ホントにそうかと言われるとどうだろ?と疑問もわきますけど。
司馬遼太郎が、日本軍って報告に文語の美辞麗句を並べ立てる悪癖があったとか書いてましたよね。「ドキュメント太平洋戦争」でもずいぶん紹介されていましたっけ。書いてる方が酔っちゃってるようなのも見かけます。



#1032 
おやかた 2000/08/14 14:24
夏の惨劇

今日(14日)の、昨年起きた玄倉川キャンプ事故も加わりましたね。
12、14、15日・・・。続きますね。



#1031 
ほん。 2000/08/14 04:02
現在の文語文あれこれ

 こんばんは。大変ごぶさたしてます。
 某国家試験受験生ほんです。

 文語文や旧仮名遣いの話が出てますが、わたくし、実はかなり文語文に精通してます。
 法律を勉強してると、自然とそうなります。
 というのも、民法と商法という、現代社会で最も重要な法律が、バリバリの文語体で書かれているからです。
(現代日本で、職業的に最も文語文に精通してるのは、古典の教師か法律家かも)
「意思表示ハ表意者カ其真意ニ非サルコトヲ知リテ之ヲ為シタル為其効力ヲ妨ケラレルコトナシ但相手方カ表意者ノ真意ヲ知リ又ハ之ヲ知ルコトヲ得ヘカリシトキは其意思表示ハ無効トス」(民法93条)
 スラスラと読めます?意味がとれます?
 この文語文がわかりにくいというのが、日本において法律が一般人に縁遠い一因でしょうね。
「得べかりしとき」なんて、普段は絶対に使いませんもんね。

 上記民法は明治29年発布ですから、その頃の社会情勢を考えると、文語文で書かれたというのもわかりますが、文語文で書かれた法律を一部改正するとき(条文を追加・改変)は、現代でも文語文で書かなければいけないんです。
 だから、内閣法制局の人間は、相当な文語通でしょうね。
 ここでおもしろいのが、文語文といっても、かなりな程度現在臭がするということ。
 その昔、禁治産者について「心神喪失ノ常況ニ在ル者」という定義がなされていたのですが、これが差別的だということで、改正されることになりました。
新しい定義が、「精神上ノ障害ニ因リ事理ヲ弁識スル能力ヲ欠ク常況ニ在ル者」。
 なんか、「差別的表現!」と揚げ足をとられないように努力した跡が見えて、涙ぐましいじゃないですか(笑)。

http://i.am/honn/


#1030 
森 洋介 2000/08/13 02:17
よくある誤解

▼なな様
>私は言文一致大賛成の人間ですから、現行の仮名遣いにはたいへん満足しておりますが。

 あのう、私も言文一致なんですけど? 文末詞が「である」「だ」「です・ます」なら
言文一致体=口語文であり、文語文ではありません。徹夜城さんのお書きになってゐるや
うに、「日本国憲法」の文体は文語文でなく言文一致体ですが、表記は現行の仮名遣ひで
なく歴史的仮名遣ひを用ゐてゐます。歴史的仮名遣ひとは、文語文(古文)にも現代文にも
適用できる表記法の謂です。

>旧仮名遣いで通されているなら、句読点や濁点も使わずにお書きになってるの?

 勿論、冗談で質問されてゐるのでせうが、野暮にお答へします。――戦前の古本を一瞥
すれば明白なやうに、旧仮名遣ひでも、句読点・濁点を使ってゐます。歴史的仮名遣ひと
は、奈良時代その儘の表記法ではありません。現行の「現代仮名遣ひ」が発音その儘の表
記法でないのと同様です(例:助詞のは・へ・を等)。

 以上二点、よくある誤解なので、一言しました。

▼徹夜城様
 「現代かなづかい」は敗戦のドサクサ紛れに強行され、しかもドイツと違って新聞社が
みな新かなに従ったのが大勢を決したと言へます。戦前にも明治30年代に長音記号「ー」
を採用した通称「棒引き仮名遣ひ」に改定されて教科書で用ゐられましたが、一般には使
はれず、反対論もあって数年で旧に復しました。とはいへ、戦後も昭和30年頃まではまだ
まだ旧かな旧字体の本は珍しくありませんでしたし、新かな反対論も論壇をにぎはせてゐ
ました。論争が碌に検討されず、なしくづしに現状追認となって現在に至るわけです。



#1029 
徹夜城(旧仮名遣いはやっぱり苦手な管理人) 2000/08/13 00:15
おお、これはこれは

>森洋介さん
こちらでは初めまして。実は某中国史MLに私も入ってまして、そこで森さんの流暢な(?)旧仮名遣いは以前から大変興味深くは意見させていただいておりました。実は「史点」のあの回、ドイツの新書体問題を取り上げる際に「旧仮名遣いで書いてみよう」などと思い立った原因の一つには、実は森さんの文体の影響があるのです。まさかそのご本人がお読みになった上に書き込まれるとはおもわなかったなぁ(笑)。仮名遣いのお話、なかなか興味深いです。

それにしても戦後いつぐらいから現在の仮名遣いに決定し定着したんでしょうね。なんかかなりスムーズな移行が行われてしまった印象をうけるのです。激しい抵抗って話も余り聞きませんし。
僕が最近読んだ日本国憲法の成立を論じた本の著者は「ほんらい憲法は旧仮名遣いで書かれている。だから厳密に言えば新仮名遣いに直して教科書や本に載せることも「改憲」になってしまう」という事をおっしゃってました。もちろんそう目くじら立てて言ってるわけではないのですが、なるほどと思うところもありますね。「史点」にも書きましたように、当初現憲法は文語文で作成されていたのですが、最終段階で言文一致スタイルにしたようです。面白いのはその説明を聞いたGHQ側が「なんかうやむやのうちに意味を変えちまうんじゃないか」と疑ったという話でした(笑)。

文字表記が視覚的ってのは確かに言えますね。文章なんてのは結構見た瞬間に視覚的に意味を判断しているところがあります。発音記号文字とも言えるハングルがスラスラ読めるようになるにはこれが必要みたいでして。漢字なんてのはそのまんま視覚的なものですものね。
ひょっとすると、と思うのですが、例えば英語でも難しいスペルを覚えるのは僕らが漢字を覚えるようなところがあるのかも知れません。「大草原の小さな家」のシリーズのどれかで、開拓農民達がお祭りで「スペルを正しく言うのを競うゲーム」をしている光景が描かれていましたっけ。

話は一転しますが、「クレオパトラ」やってますね。ビデオに撮りながらちょっと見たんですが、やっぱりティモシー=ダルトンがカエサル。カエサルが出てきたとき、最初誰かと思ってしまいました(笑)。髪を短くしたらずいぶん印象が変わりますね。



#1028 
なな(こっちを書こうと思ってたんだ) 2000/08/12 23:27
空港のお話

香港の旧空港…あの摩天楼の中に降りていく…も恐かったが。ネパールのカトマンズ空港にはレ
レーダーがないとか。パプアニューギニアの国際空港は滑走路が舗装されていないとか?
ずいぶん前に聞いた話だけど、今はどうなったんでしょうかねえ。コンコルドは破裂したタイヤ
片が排気口に入ったっていうけど、一方で原っぱのような空港が稼働してるのよね、世界では。



#1027 
なな 2000/08/12 23:09
↓お、おもしろい人だっ!(^^)

素直な感想です。(笑)
ホント、ここのBBSにくる人はヒトクセもフタクセもある人が多いですね。
退屈しませんわ。さらに、旧仮名遣いの解説ありがとうございました。
私は言文一致大賛成の人間ですから、現行の仮名遣いにはたいへん満足しておりますが。
旧仮名遣いで通されているなら、句読点や濁点も使わずにお書きになってるの?
あー、そうすると、特にネットじゃ読み辛くなりますね。あれも風情があっていいですよね?



#1026 
森 洋介 2000/08/12 14:32
旧仮名遣ひ

 はじめて書き込みます。「ニュースな史点」2000/8/1の「獨逸国綴り方問題」で「ほぼ絶
滅状態」と目された歴史的仮名遣ひ使用者です。いやあ、この私が朱鷺なみに貴重だったと
は……(笑)。
 表記を戦前式にしたのは高校生の時で、以来十数年になります。本当は漢字も正字体で表
記したいのですが、パソコンでは新字と正字のチャンポンにせざるを得ないので、止むなく
新字に統一してゐます(但し、余と餘、芸と藝のやうな別字は新字に包摂しない)。
 まづ、言語学的には、「発音どほり」の表記などあり得ません。「現代かなずかい」も然り。ローマ字であれ仮名であれ、文字表記とは、音ではなく語に順って視覚的印象を保つの
が原則です。故に独仏で綴字改革に抵抗があるのは当然で、日本が異例なのだと思ひます。
 +αさん曰く、
> 旧仮名遣いというと、一見昔から使われてきた伝統的な仮名遣いのようですが、実際に
>は、奈良時代に使われていた仮名遣いが、江戸時代に復興され、明治になって使われるよ
>うになったというものであって、平安、鎌倉、室町、江戸時代の仮名遣いとは別の物です。
> 旧仮名遣いをする人間はよく「正しい仮名遣い」と強調しますが、旧仮名遣いが正しい
>とすれば、平安、鎌倉、室町、江戸時代はずっと「間違った仮名遣い」をしていたという
>ことになります。
 前段は、中世の定家仮名遣ひに就て触れてゐないことを除けばほぼ事実ですけれど、後
段の解釈が問題です。
 そもそも西欧でもラテン語以外の「俗語」に「正しい」も「間違ひ」もありはしません
でした。聖書がドイツ語や英語といふ俗語に訳されるのを契機に、各国語が成立し、そこ
で初めて正しい綴り方=「正書法」も発明されたのです。日本もご同様で、真名(漢字)に
対する仮名でしかなかったものの「正しさ」を追求したのは契沖以降の国学者であり、漢
文に従属しない俗語が確立するにはなほ明治期の言文一致運動を待たねばなりませんでし
た。「正しい日本語」は国民国家の成立と聯関してゐるわけです。
 ですから、江戸時代以前は「ずっと「間違った仮名遣い」をしていた」といふのは、或
る意味では正しいが、そもそも「正しさ」が無かったといふ方が精確でせう。或いは、一
部の歌人や学者に於て「正しい仮名遣ひ」が保存されてゐた、と見做すべきか。
 で、私は近代人ですので、「近代の」伝統を尊重してゐる次第です。
 詳しくは下記URLなどご参照下さい。
 http://member.nifty.ne.jp/gimon/gimon.htm
 http://user2.allnet.ne.jp/noz/kotoba/Kokugo/Orthographie.html





#1025 
徹夜城(今夜のNHKは要チェック?の管理人) 2000/08/12 10:25
飛行機話など

下のアール・ケイさんのタイトルを見ていて思ったこと。というか、前からそう思っていたことなんですが…どうも8月に入ると、日本は広島・長崎・尾巣鷹、そして敗戦の日と鎮魂のイベントが続きますね。かなり不謹慎な言い方であることは承知で書きますが、どうも日本のお盆のイメージとバッチリあってしまっているような…

日航機墜落事故のボイスレコーダー、むしろ「ニュースステーション」のほうで詳しく見ました。「新潮45」の記事もザッと見てみました。やはりほぼ同じ指摘をしてますね。
コンコルドの方は滑走路に金属片があった…?というなんとも原始的というか盲点というかホンマかいなという原因の説明がなされていますが…さて。
僕は飛行機経験は中国への往復の二度しかないんですが、離陸と着地の時は気分がわるいものですね。特に上海のホンチャオ空港離陸の時は高所恐怖症気味の私には地獄のような感覚でした(汗)。一ヶ月ぐらい後に同じ空港で貨物機が墜落してましたっけ。
ただ、上海から成田への空の旅は感動ものでした。窓際の席だったので地上がバッチリ拝めたんです。九州、四国、近畿のあたりを眺めていて「地図のまんまだなぁ」などと当たり前のことに感心してました。日本って上空から見ると砂場に作った硬めの山に水をぶっかけたような地形をしてますね。富士山が雲海に浮かんできたときの感動と言ったら…!

ところで、今夜のNHK、歴史映像オタク注目の作品が放映されます。アメリカのTVドラマ大作「クレオパトラ」が二回にわたり放送されます。DVDではすでに発売されていて気になっていたんですが、NHKが放映してくれるとは助かる。吹き替えありでしょうし(笑)。
元007・ティモシー=ダルトンがカエサル役?なのかな。この人「スカーレット」でレット=バトラー役もやってたし、どうやら007降板後はTV俳優に徹してるみたいですね。



#1024 
アール・ケイ 2000/08/11 16:56
日本の真夏は惨劇ばかり

1985年、タイガースが優勝した年に墜落した日航機の事故については、関西人の私にとって、実に身近で深刻な話でした。8月、丁度大阪で就職活動中のこと。
大学のクラブの後輩の知人、先輩の就職した会社(某電通)の名ディレクターなど、事故の被害者、関係者は私の比較的回りにもいました。関西在住者がごく普通に気軽に使う路線便の事故だけにショックは大きいものがありました。ごく最近まで、帰省するのに羽田−伊丹便は使わなかった、というより使うと“親不孝”な感じすらして敬遠していたほどです。
あの事故の原因については大いに疑念を持っていますが、さりとて面白おかしく取上げられるのには抵抗を感じます。自衛隊機や米軍機と接触したとか謀略があったとかいう奴です。ホントにホントなら決して許され得ませんですけどね。
いま、太平洋戦争というべきか大東亜戦争というべきか、それだけでも迷ってしまう(「アジア−太平洋戦争」でしょうかねえ)、あの戦争について勉強し直そうと、「書かれなかった戦争論」(山中恒、典子著)という本を読んでおります。「戦争に正義無し」とは曲解されやすい言い方ですが、私もあの番組での半藤氏の発言はずっと深いものがあるように思いました。ナチのガス室も南京大虐殺も原爆投下も、いずれもホロコーストなのですから。為政者の“正義という名の罪”は余りにも大きいですね。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#1023 
なな 2000/08/11 00:47
聞きました。

日航機の録音テープ。TBSお昼のワイドショー、「ベストタイム」で。
耳に、機長の「頭(機首)上げろー」の連呼がこびりついて離れません。硬直してました。
この事故についてはあまり記憶がないのですが、救出された少女がほとんど同じ歳だったので
彼女の証言はやけに生々しく記憶に残ってます。事故後かなり後までマスコミに追いかけられて
かわいそうでしたね。どこを飛んでるかも分からなくなってたなんて…(T_T)。
余談ですが、航空機事故では、名古屋空港での中華航空機墜落事故の方が強烈です。
いえ、時間的なことじゃなくて、私の家は同空港から真南十数キロのところ、離発着ルートの
直下なんです。私は飛行機が好きで、よく上を見上げてましたが、この事故以来、ふと、
飛んでる飛行機が落ちてくるんじゃないかという錯覚を起こすようになりました。突如エンジンから火を噴くといったような。十数キロ地点でも大きく見えますからね。事故に遭われた方の
心的外傷はいかばかりかと胸が痛みます。その悪夢が現実となったのが、先の火を噴いて飛ぶ
コンコルドのビデオ映像でした。ますますトラウマが酷くなる…。…たわごとですみません。



#1022 
ほしむら☆てるき 2000/08/11 00:25
日航機事故から15年

徹夜城様、Q世代様へのレス
因みに、かのテープ(墜落直前の日航123便での、機長らのやり取り)は、
テレビ朝日(ニュースステーションの特集)でも放送されるようです(予告)。
共通の元ネタを知っている人がいる可能性は大です。



#1021 
徹夜城(これから「四大文明」の中国編を見る管理人) 2000/08/11 00:04
「正義」のこと

>Q世代さん
そのYAHOO!掲示板は見てないんですが、他の某BBSで似たような「利用」をしている人は見かけました。「どうしてそういう風に読みとるかな〜」などと感じましたが。「今の観点から歴史を断罪するな」などと定番のフレーズも使ってましたね。少なくともあの番組としてはそう言う趣旨ではなかったし、半藤さんのコメントももっと広い意味での戦争批判をしたのだと思うのですが。少なくとも日本の当時の指導層のあり方をかなり批判したところがあったはず。
ただ、確かにあの番組、時間が少なかったせいもあってその辺りの詰めが甘かったかも知れません。僕などは他にあれこれ見たり読んだりした上で見ているので、半藤さんのあのコメントはそれなりに受け付けるものがあるんですが、誰もがそうではないということなんでしょうね。

>日航機墜落事故から15年。
そのテープをTBSが放送しているってのは聞いてるんですが、まだ番組では遭遇していません。明日の「ニュースの森」でも取り上げるようなので、その時に聞けるかも。
実はこのテープの存在をちょいと変わったところが数日前に報じています。なんと「赤旗」。ご存じ共産党の機関紙(図書館でも読めますよ)ですが、かなりのスクープ度をもって報じていました。僕はこの時点で「なぜ他のマスコミは出てこない?」と思っていたのです。そしたらTBSが報じ始めました。
もっとも「新潮45」でも同様の趣旨の記事が出ているようなので、共通の元ネタなのかも。
このテープの録音を聞くと、どうも「圧力隔壁説」は誤りなのではないか、と「赤旗」は報じてました。パイロット達は「車輪」に注目してるらしいんですね。なんか読んでいくと「ケネディ暗殺」の展開を思わせる内容になってました。実際当時から原因についてはあれこれ異説もあった記憶がありますが…。
あの事故の日は父親に誘われて谷川岳に登りに夜に家を出発したので、良く覚えてます。出かけようかという時に、7時のニュースの最後に一報が報じられたんですよ。それでしばらくテレビで情報を見ていましたっけ。



#1020 
Q世代 2000/08/10 14:53
戦争に正義はありやなしや

 こんにちは。調子に乗ってまた来ました。

>農村部のおもてなし

 そういえばそういう話を聞いたことがあります。えーとつまり、日本もやはり中華文明の端っこにぶら下がっていることに変わりないと言うことでしょうか(^^)。上手くやると「プチ朝貢貿易」が出来るかもしれませんね。

>その時、歴史は動いた
 
 忘れていて途中から視たのですが、私は半藤さんのコメントにちょっとひっかかりました。
 「戦争に正義はない」というコメントは、戦時下で起きたあらゆることを相対化しようとする人々にとっては、「お互い様」という意味に容易く転化してしまいます。小林よしのり的立場とでも申しましょうか。現に、すでにYahooの掲示板では、そういう立場の人に、半藤さんのコメントは利用されています。
 
 半藤さんの胸中にどれほど万感の思いがあったのか分かりませんが、あの一言でオチをつけるのは、いささか迂闊だったのではないのかい?というのが現在のところの私の感想です。
 
 ところで一昨日でしたか、ニュース23で、1985年8月12日に墜落した日航123便の、コックピットでの会話(ほんもの)の録音が放送されました。爆発音から始まり、緊張した管制官とのやりとり、けたたましいアラーム、そして激突音らしきもので終わる衝撃的なものでした。
 どうやらテープはTBSが独自に入手したものらしく、他の局では全然話題になっていません。運輸省は事故調査資料を廃棄してしまったので、この録音テープもTBSが入手しなければ、残らなかったものかもしれません。これを放送するのは、ややセンセーショナリズムに走りすぎな気もしますが、それ以前に、役所の手によって歴史の一次資料が失われて行くのが残念でなりません。というか、あの大事故を歴史だと思っていないのかも。日本人が歴史好きと言っても、その興味が(私もそうなんですが)一般的に政治権力史に偏りすぎているような気がしますね。
 
 うう、今日は堅いこと書いてしまいました(汗)。

http://www.ecodacs2.nerima.tokyo.jp/~ageq/


#1019 
徹夜城(弟は高校野球マニアの管理人) 2000/08/09 23:35
黙祷

おやかたさんがお書きでした、長崎日大の原爆投下時間の黙祷の件ですが、弟がやっているスポーツコーナーの掲示板にも同じ問題提起の書き込みがありました。
で、今日どうするのか見ていたんですが、ちょうどいいタイミングと言いましょうか、問題の11時は第一試合が逆転劇でちょっと長引いたために第二試合の準備時間(練習などしてる時間)となったので、黙祷は応援団・選手とも無事行えたようです。試合も勝ちましたね。

>その時、力士が動いた。どすこーい。
…ってなわけで「その時」は終戦ネタでソ連侵攻の話題。やっぱりゲストは半藤一利氏。締めくくりに「戦争に正義はない」と断言されていたところが印象的でした。ソ連のこともそうですが、市民を盾にした関東軍にも厳しく突きつけたセリフでしたね。ホントに自国民を守ろうという発想は希薄だったみたいですね、日本軍は。最近僕が中国に留学された方から聞いたところでは、日本の大使館員ってのも自国民保護意識が希薄(とくに欧米に比べて)のようで、伝統なのかも。
この番組と同じネタは「ドキュメント太平洋戦争」の最終回でもやってましたね。最後までソ連に妙な期待(幻想)を続ける日本。もっと珍妙なやりとりがあちらでは出ていましたが、時間のせいもあってか今夜の放送ではそのへんサラッと通り抜けた印象。

>井沢さんの「倭寇」第三弾。
ふむふむ、網野善彦の著作は読んでないのかな?昔の話を説明するのに妙な現代ネタを持ってきて説明するお得意(?)の技も披露されてますね。
まぁ農耕民中心史観への批判点を述べるのなら面白くなるかも。



#1018 
なな 2000/08/09 02:08
次へ進む前に、お返事などを

>+αさん
和食のマナーの話で、いっきょに千年以上の昔に飛ぶ私も、そうとうな女だと思いますが。
テレビの聞きかじりですが、平安時代半ばまでは、日本でも「食い散らかす」のが礼儀だった
らしいです。ある年老いた貴族の日記に、家に招いた若い貴族が食い散らかして帰った、家人は
それを見て怒ったが、この老人はそれこそが日本古来の礼儀だと感心した、とあるそうです。
「このくらいいつも食べてる」で少し残す食文化というのも、なんか見栄っぱりでヤだなあ。
それと、仮名遣いの元ネタは、本かなにかで読めますかしら? ちょっと興味があります。

>Q世代さん
イチャモンだなんてとんでもないです。ROMってる方々にも読み物感覚で読んでほしいです。
そして私の方が間違ってると思ったら指摘を頂きたいです。Q世代さんのカキコは面白いです。
「食べきれないほどもてなす食文化」……。
前回は話がくどくなると思い、書かなかったんですが。追加されたビビンバを食べつつ、話題で
「今度は冷麺を食べに行きましょう」と言ってしまったんです。そしたら彼、携帯を取り出し、
「今、友人に冷麺の店の場所を確認しました。ビビンバは残して、これから行きましょう」。
「もう食べられないって言ってるじゃないですか」「今食べたいって言ったじゃないですか」。
押し問答の末、「ビビンバを残しても冷麺一人前は食べきれない。二つの店で食べ残すなんて」
…必死に彼を思いとどまらせようと、口をついて出た言葉が「食べ物を残すのは〜」だったの。
これも「もてなし方の違い」と分かれば納得しますし、以後気をつけようと思いますが、しかし
それでも言いたい。「日本のローカル焼き肉チェーン店」でやるなよなあ〜ってね(笑。
この彼とはこれ以後外で会ってないんです。懲りちゃって^^;。仕事は大丈夫。私は派遣で、直
接彼と関わらないから。

>徹夜城さん
日本社会の恐いところで、相手に悪印象を持った場合、面と向かって注意はせず、電話をさけ
るとか、なにげに距離をおくとかして、相手に気づかれないように敬遠して行きますよね。
けれど、件の彼には機会があったらはっきりと言うべきかなーと思っております。それも親切だ
と思うし。日本人から見るとちょっと…な彼ですが、若い留学生には慕われてるみたいだし。



#1017 
徹夜城(間違いに気づいた管理人) 2000/08/08 23:45
訂正

半藤一利さんが「その時」のゲストに出てたのは「日本海海戦」の回でした。
「ノモンハン」は別の特集番組でしたね。



#1016 
徹夜城(さっきまで映画鑑賞していた管理人) 2000/08/08 23:41
長文が続きます…(^^;)

>「戦争と人間」
NHK衛星第二が日曜の夜に「第一部」を放送してたもんで、話のタネに録画して先ほど鑑賞し終わりました。知ってる方は知ってるでしょうが(当たり前)、1970年から日活が製作した超大作です。原作は「人間の条件」で有名な五味川純平。監督は「赤いセシル=B=デミル」の異名もある(笑)山本薩夫。「伍代財閥家」の人々を中心に戦中の満州を描く大河ドラマであります。
出演者は…オープニングの「出演者」ロールにはとにかくビビりますね(^^;)。特定の主役のいない群像劇なもんですから、アイウエオ順のロール。芦田伸介、石原裕次郎、加藤剛、田村高広、高橋悦史、高橋幸治、高橋英樹、滝沢修、丹波哲郎、二谷英明、三国連太郎、栗原小巻…とまぁ、まだまだ凄い名前が揃ってるんですが、とにかく壮観。子役で中村勘九郎が出てます。顔が今とおんなじ(爆)。
第一部では張作霖爆殺、満州事変、上海事変が描かれました。第二部以後もやるんでしょうね、NHK。

>+αさん
へえ、つづり方の時代ごとの変遷については知りませんでした。江戸期にあのスタイルを「再生」した、ということなんですか?
「その時」のゲストですが、半藤さんは以前ノモンハンの回で出てましたよね?

>Q世代さん
中国の人の傾向なのかもしれませんが、とにかく一度「もてなす」と決めたら徹底するところがあるようですね。日本人から比べるとその辺に大陸的スケールを感じたりします(笑)。
ただ、ちょっと規模は小さい経験ですが、日本の農村部もお客を盛大にもてなす傾向がありませんか?僕はちょうど都会と農村の境目あたりに住んでまして、一度昔ながらの農家のお子さんの家庭教師を二ヶ月ほど頼まれたことがあります。それこそ辟易するほどお菓子だご飯だお土産だと過剰なサービスが出てきて参ったことがあります。その代わり、「よそ者」に対する警戒心が強いことも否めませんが(僕はなんだかんだいっても「新住民」なので)。
そういえば私が住む茨城県は「七五三」にやたら金をかけることでも有名です。親戚や知人呼んで結婚式並みにやるんですよ。

>おやかたさん
「その時」は確かに歴史の新奇な説をブチ上げようと言う傾向が強いかもしれませんね。「鉄砲伝来」の回は僕などはツッコミまくってましたが。まぁそれこそ「あんなもんかな」ってところで。
しかしその長崎日大の話、事実としますと僕もかなり問題だと感じます。終戦の日の正午には試合中でも黙祷するのに…その時間帯に長崎勢が当たったのならそのぐらいの対応をとるべきでしょう。前例が無いので断るという役人的対応という気もしますね。
戦争体験の風化はもちろん僕も危惧はします。ただ、このところの傾向で太平洋戦争ばかり、被害にあった日本ばかり取り上げるのではなく、広い意味での戦争の惨禍を論じる必要性が唱えられるようになったところもありますね。また、「なぜ戦争になったのか」という原点に目が行くようになってきたかもしれません。まぁそれも「歴史」となってきたからでもありましょうが。
「教育に押しつけ」のことをお書きでしたが、「教育」ってのは学校でやるもだけのものではないと思っています。社会全体で戦争のことを様々に語っていくことが大切でしょうね。



#1015 
おやかた 2000/08/08 20:30
この時期になると思う事ほか

まず、「そのとき、ミッドウェー」ですけど、
私は、これまでの「そのとき」が、新説を持ち上げる番組のように
感じ、危なっかしい思いをしながら見ていました。
それから比べると、「ミッドウェー」は、時代が近いため、資料がしっかりしてて、
信憑性があって、安心してみていられるような気がしました。
私が太平洋戦史に無知なためだけかもしれませんが。

さて、明日、長崎の原爆忌ですが、ちょうど、第二試合に長崎日大が
出るそうです。そこで、原爆投下時刻(11時2分)に黙とうしたいと
申し出たところ、断られたそうです。
長崎在住の友人がこのはなしにショックを受けていました。

私は、原爆忌の、その時刻に長崎の方々が黙とうするのは自然であると思うし、
認めても良いのにと思いました。
ただ、その友人が指摘した広島長崎とそれ以外の地域の温度差というのは
どうしようもないのではと思ってしまいました。
きっと、大会期間中に神戸の地震が起きていたのなら、
毎年、黙とうしていたのではと思います。

しかし、最近戦争関連の番組が減ったし、戦争体験を伝えようという
流れが風化しているのは感じますし、それはいけない事だと私も思っています。
単なる、歴史にしてはいけないと友人は言いますが、時の流れはどうしようもないでしょう。
じゃあ、どうすれば、伝えていけるのか、やはり教育なのか。
教育に押し付けるのは嫌なのですが、結局すり込ませるしかないのでしょうか。
私も、修学旅行に海外行く前に、広島、長崎に行くべきだと思っていますが。







#1014 
Q世代 2000/08/08 20:01
中華文明最新事情(大袈裟)

>徹夜城さん
 ついに書き込んでしまいましたので、宜しくお願いします(^^;)。
 ここは楽しそうなので、なにか書き込みたいとは思っていたのですが、歴史的な知識といえば小説・ドラマなどで覚えたものばかり、中途半端に広く膝が見えるほど浅いものですから、ずるずるとROM専門をやっていました。はじめての書き込みが、まるでななさんに対するイチャモンのようなものになってしまい、いささか後悔しています。

>ななさん

 相手の方の態度にいちばんの問題があることは承知していましたが、「食べ物を残すのはどこの国でもいけないことでしょう?」という自明のことのように発せられたコメントから、ご存知ないのかと思い、ついつい経験談を書き込んでしましました。ご存知でしたら余計なことを申し上げました、ご容赦ください。
 
 先回書いた、仕事で中国に行くことの多い友人は、同じく仕事で韓国や台湾にもしょっちゅう行くので、今回その友人に最近の事情を聞いてみました。
 どうやらこの三国は同じ文化圏のようです(^^;)。大勢で食べるときに限らないそうで、あちらでうかつに「上海ガニが食べたい」なんてことを言ったために、上海ガニが40杯ほど出てきたという実話があるそうです。これを「食え食え、もっと食え」と勧められたそうなのですが、カニなんて2,3杯も食べれば充分じゃないですか。地獄だったそうです。
 で、この上海ガニ攻撃を受けたのが実は台湾の人だったというのが面白いところでして、「もう中国の家庭でメシを食いたくない」と辟易しているそうなんですが、その人が私の友人を呼んだときには同じ仕打ちをするそうで(笑)。
 韓国でも事情は似たようなもので、お客さんをもてなす際は「テーブルの脚が折れるほど」の料理を並べるそうなので、件の人もそういう感覚が残っているのかもしれません。

 友人の話で面白かったのは、以前の中国では食い散らかしたまま帰っていたものが、最近の若い人は持ち帰るようになったそうで、つまり食いきれないほど出てくることには変わりないそうです。中国の人と会ったときに最初にされる挨拶が「ご飯は食べましたか」だそうですから、うかつに「まだです」などと答えないように、みなさん気をつけましょう(^^)。

 それにしても件の韓国の方は(今のところ)煮ても焼いても食えない御仁のようで、お仕事の上とはいえ付き合わざるをえないななさんの苦痛はお察しします。おそらく必要以上に健康なナショナリズムにあふれ、自分が国を背負ってきているような気持ちでいるのでしょうが、まあだいたい御本人が損をすると思いますので、ほどほどのおつきあいに留めておくのがよろしいのではないでしょうか。日本人の中にもあちらで、「日本のビールがいちばん美味いな」とか、大声でのたまわっているオヤジがいるそうですし。
 
 私などフランス料理を食いに行けばフランス料理がいちばん美味いと思い、中華を食いに行けば「この世に中華料理ほど美味い食い物があるか」と感嘆し、和食を食えば「日本人に生まれて良かった」としみじみするような人間なので、人生だいぶ得をしているような気がします。

>北朝鮮も韓国の若者も、時代錯誤は同じなの?

 いやあ、ネットの中を見回してみると、日本の若者の中にも、彼とタイマンはってダチになりそうな時代錯誤者はいっぱいいますよ。
 それでは。

http://www.ecodacs2.nerima.tokyo.jp/~ageq/


#1013 
+α 2000/08/08 00:03
いろいろ

>徹夜城さん

 40000万アクセスおめでとうございます。

 そうですか、葵の紋の形をした天ぷらですか、材料がなんであれ、作るには相当難しそうな代物ですね。

 旧仮名遣いというと、一見昔から使われてきた伝統的な仮名遣いのようですが、実際には、奈良時代に使われていた仮名遣いが、江戸時代に復興され、明治になって使われるようになったというものであって、平安、鎌倉、室町、江戸時代の仮名遣いとは別の物です。
 旧仮名遣いをする人間はよく「正しい仮名遣い」と強調しますが、旧仮名遣いが正しいとすれば、平安、鎌倉、室町、江戸時代はずっと「間違った仮名遣い」をしていたということになります。
  
 フランスでは、歴史は50年経たないと歴史にならないという理由で、歴史の教科書は50年前で終わっているという話をどこかで見たことがあります。
 まあ、関係者が生きているうちは「歴史」になりにくいでしょうね。(生きている人間を悪くいうのは、やはりねえ…)

 「その時」ミッドウエー海戦を見ました。感想は「まあ、あんなものでしょう。」(偉そうな言い方ですみません)ツッコミどころ(間違いとか説明不足)は結構ありましたが、致命傷はありませんでしたから。
 「ミッドウエーの5分間」の嘘を指摘してくれただけでよしとしましょう。(再び偉そうですみません)
 ゲストとしては、秦教授よりは木俣滋郎氏か半藤一利氏の方がよかったように思います。秦教授はどちらかといえば日中戦争が専門でしょうから。
 多分半藤氏は、来週のゲストなんでしょうね。木俣氏は、一般には知名度が低いからなあ。
 証言については、面白いとは思いましたが、前提条件無しでは誤解するものもありましたね。(「兵装転換命令が出たのは初めて」という証言とか)


>ほしむら☆てるきさん
 最近、日本でも暗躍していますね、ハンコック。しかし、ああいうトンデモ本ってのは、別に目新しいことも書いていないのにどうして売れるんでしょうかね。
 ところで、ハンコックって、自分の書いている物を信じているでしょうか?それとも、信じていないんでしょうか?ほしむらさんはどちらだと思われます?
 私は、五島勉氏のように「商売」と割り切っているんだろうと思っているのですが。


>ななさん

 日本の伝統的な作法では、食事は少し残さなくてならないという話を聞いたことがあります。何故かというと「この程度のものはいつも食べていて珍しくもない、だから全部は食べない」ということを示すためだそうです。本当かどうか確証はありませんが。
 出された物は全部食べるというは、外部(多分西洋)から入ってきた礼儀なのかもしれません。


http://homepage1.nifty.com/SENSHI/


#1012 
徹夜城(ようやく「史点」を更新した管理人) 2000/08/07 23:28
国際交流ってのは大変ですよ

とりあえず映画ネタから。
名優アレック=ギネスさんが亡くなりました。「スター・ウオーズ」のオビ=ワンも有名ですが、なんてったってデビッド=リーンの大作3作「戦場にかける橋」「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバコ」に出演。いずれも我が「歴史映像名画座」に納められています。歴史上の人物役としては「ロレンス」でのファイサル王子役がありました。戦闘機に半月刀で立ち向かっていたっけなぁ(もちろんアラブ人には噴飯モノのシーンらしい)。日本人の竹槍みたい。

>Q世代さん
はじめまして。毎日見ていただいているとは恐縮です。これからもよろしくお願いいたします。
で、実は僕もななさんの書き込みを見て同様のネタを書き込もうかと思っていたんですが、「史点」執筆その他に追われているうちに先を越されました。
中国人の「食事を残す」ネタは割と有名でして、中国人女性と結婚した男性が、作ってもらった晩御飯をやはり残さず食べたために日を追うごとにドンドン量が増加していったという半分笑い話のネタになってますね。今なお強烈にそうらしいですよ。韓国人のケースは良く知りませんが。

>ななさん
まぁ思い当たるところもありますが、僕などは逆にそう自信をもてる韓国の方たちがある意味うらやましくもなりますね。まぁそこらへんはお互いぶつかるところはぶつかるしかないかも。
それにしても最後のセリフはちょっと怖いですね。そういうのは「心意気」と言うんじゃなくて「無茶」と言うのでは(^^;)。松下幸之助に学ぶのならもうちょっと違う観点でいってほしいものですね。ちなみに松下さんは中国でもかなりの有名人です。僕は正直言って好きになれませんけど(^^;)。
先日、ある中国留学帰りの人の体験談など聞く機会がありましたが、ホントやんなっちゃうことも多かったようです。あんな連中とは仲良くなれん、と思うまでになりそうだと。ですがその上で好きになれると言うこともありますのでね(留学など長期滞在者は両極端に分かれるという説あり)。日本人だって他から見れば何を言われているか、想像以上のこともありますよ。



#1011 
なな(ごめんね!今日も長いわ) 2000/08/07 21:29
今年は重い…8月15日 その2

>Q世代さん
はじめまして。ROM専門の方ですか? ご指摘ありがとうございました。
いえ、世界には「残すのが礼儀」の食文化があることは知っていました。
東洋で思いつくのは中国だけなのですが、これはすでに古い習慣であり、かつ中華料理のように
大勢で食べる場合のみだと思っておりました。中国へ行っても、大都市のホテルのレストランで
はないことだろうし、女性の一人客にもしないだろうと…。お話も20年前のことでしょう?
今はどうなんでしょうね。どなたか教えてくださ〜い。

年齢・食文化と、日本式マナー…実はかなり独特に西洋化された和洋折衷マナー…が国際的に
万能じゃないことはよーく分かりました。けれども気になるのは、くだんの彼の言動ですねー。
 (焼き肉をご馳走になったので、私が今度は和食をいかがですか、と問うと)
 「和食は味が薄くて美味しくない」
 (日本の映画やドラマは見たことありますか?、と聞いて)
 「日本のTVドラマは暗い内容が多いし、見てもあまり役にたたないので、コリアンショップ
  で韓国のドラマのビデオを買って見てる」(日本語が全部聞き取れないという理由もある)
 (「割り勘」は、韓国人から見ると、西欧個人主義の影響の産物に見えるかもしれないが、
  これも一面では日本人なりの相手への気づかいの形、と言えませんか、と説明すると)
 「(最年長者が全部支払う)韓国式の方が、西洋でもどこでも分かりやすくて、通用する」
…ここは日本だっちゅーの(笑。
まだ二回しか外食してない間柄での会話ですよ? 仕事場では時間的に言葉交わせませんから。
のっけから日本の悪印象を並べて、本当に日本人と友達になりたいのかな? これから日本人
相手にビジネスもするでしょうに、こんなに日本人のつき合い方やものの考え方を知ろうとしな
いで、なんでも韓国、韓国、韓国が一番って…。なんのために来日して、滞在してるわけ?
それでいて「日本人は冷たい」とか「もっとよく話し合って理解し合いましょう」とか
「韓国人を理解して下さい」とか言うの。なんか話していて疲れるし、不快になってくるのね。

この彼、将来はご友人と二人で半導体の会社を設立するのが夢だそうで。
日々、松下幸之助など、成功した大企業家の伝記を読んでるのね。「朝まで生テレビ」は欠かさ
ず見てる。そして会うと必ず日帝時代の歴史談義をしたがる。朝ナマと戦前の話で、たいていの
日本人は引くわよ? それでも腹くくって聞いてたんだけど、次のセリフには凍りましたよ。
「戦時中の日本人は圧倒的に優勢なアメリカ相手に戦った。私たちも今後我が国の発展のため
 には、(日本軍のやったことは別として)彼らの心意気を学ばなければならない」
いったいこの人は世紀末の日本で何を見てる? 北朝鮮も韓国の若者も、時代錯誤は同じなの?



#1010 
Q世代 2000/08/07 15:04
食べ物を残すということ

 はじめまして。毎日読ませていただいてます。

>ななさん
>食べ物を残すのはどこの国でもいけないことでしょう?

 不躾で申し訳ありませんが、こういうこともあるということを書かせて下さい。
 20年ほど前、友人達と、渋谷にある小さな中国料理の店に行ったときのこと。そこは料理長もウェイターたちも中国(大陸か台湾かは分かりませんでしたが)の人で、本場の味が食えると、友人が案内してくれた店でした。
 注文した物を全て残さず食べ終わったところで、「料理長からのサービスだ」と炒飯が出てきまして、「食いっぷりが良いので料理長が喜んでいる」というようなことを言われました。もう充分食べていた私たちは「きついな」と思いながらも、「せっかくのサービスだから」と、全員で手分けしてどうにかこうにか炒飯を平らげたのですが、その間ウェイターがニコニコとこちらを観察している様子。
 彼は私たちが炒飯を食べ終わるのを見届けると厨房に引っ込み、あろう事か白身魚のフリッターを大皿で持ってきたのでした。
「サービスです」
 私たちは好意を無にするわけにもいかないと思いこれに挑戦しましたが、ついにギブアップ。皿の上にはフリッターがいくつも残った状態で「すみません、もう食べられません」と頭を下げたのですが、ウェイターさんは皿に残った物を見て、満足そうに微笑んだのでした。
 「あれはいったい何だったのだろう?」と後々まで不思議な気分が残ったものですが、最近仕事でよく中国に行く友人の話によると、あちらでは「残さず食べる」というのは(一般的なのかどうかはよく分かりませんが)「食い足りない」と言う意味になるようです。
 件の料理長さんが最初に出してきた炒飯は、たぶん純粋に料理長さんの奢りだったのでしょうが、私たちはどうやら、それを残さず食べたことによって「足りねーぞー」と料理長さんに言ってしまい、彼の面子を潰してしまったらしいのです。相手の奢りならば残すのが礼儀、という場合はたしかにあるようです。
 だからどーした、というわけではありませんが、こういう話もあるということで。
 失礼いたしました。

http://www.ecodacs2.nerima.tokyo.jp/~ageq/


#1009 
なな(刺激的日常で書くことがいっぱい) 2000/08/06 22:50
今年は重い…8月15日/その1 (続きは後日)

日韓交流悲喜交々、といった毎日です。
長く英会話を習ってきたので、年齢に関係なくファーストネームで呼び合う感覚が好きです。
韓国人と知り合った当初、誰もがしつこく(女性の)年齢を聞くので、本気で怒ったことがあり
ます。後で「長幼の序」が意外に根強く残っていることを知り、自分の無知を反省しました。
けど、世界的にみても(?)、女性の年齢を聞くのは失礼なこととする国が多いのではないかな?
日本滞在が長い人ならそのことを知ってるはず。それを、なんのことわりもなく韓国式礼儀だけ
で押し通そうとするから…(>_<)。
友人の男性と二人で、焼き肉食べに行った時もそう。二人で三人前のカルビとロースを平らげ、
私はもうお腹いっぱい。内心は「残さずにすんで良かったぁ。ホッ」の状態。よって最初は食べ
ようと思っていたビビンバをやめておくと言ったんですね。けれども彼は、「こちらがごちそう
すると言ってるのに、それを断るのは、韓国では失礼にあたる」と言い、追加注文してしまうん
です。本人はあくまでサービス精神のつもりなんでしょうが、私も日本人女性としてはかなり
ハッキリ、「女性がもう食べられないと言ってるのに強引に注文するのは親切と言えない。それ
に食べ物を残すのはどこの国でもいけないことでしょう?」とNOを言いましたが、なかなか
聞き入れてくれませんでした。その上、「ふだんならこの倍は食べる。今日は食べたりない気分
です」などとのたまう。その場では顔に出さず、後で一人で食べてくれればいいことじゃん…。
正直、この彼と食事に行くのは金輪際ご免です。この先、日本女性を誘っても嫌われると思う。
このデリカシーのなさは、男性優位のお国柄か、単に彼に女友達とのつき合いが少ないせいか、
韓国女性は誰しも男性並みに食べるのか、どれですかね。
あまり親しくないうちから歴史談義したがるのもどうでしょうね。日々の生活だって煩わしい
ことが多いのに、半世紀も昔の話、しかも日本人には耳の痛い話を進んでしたがる人がいます
か? 親しくなってから、徐々にその人の歴史観なりを聞いていけばいいことじゃない?

…いろいろ書いてきたのは、滞日年数の長い人でも、意外と日本人の友達が少ないことを知って
きたからです。海外の日本人コミュニティーと似た感じ。韓国人どうしで集まってる。こういう
と即、日本人の閉鎖性があげられますし、現にこの彼もよく「分かって下さい」と言いますが、
私は「郷に入っては郷に従え」という言葉を知らんのかーっ!と思うことがままあります(笑。



#1008 
なな 2000/08/06 19:41
詳しい感想をありがとうございました。

>徹夜城さん
拙作の感想をいただきまして、ありがとうございました。ここ二、三日、PCをさわれなくて
お礼を申し上げるのが遅れました。ごめんなさい。しっかり読んでいただけたことを深く感謝
しております。いくつかのご指摘が巴さんと同じだったんですよ。これには驚きました。
特に拙文の「物語性」についてですね。それまで自分ではまったく意識していませんでした。

私はもともと長編書きでして、100枚は短すぎて苦手なんです。ご指摘のほとんどは、長編小説
だったら解消できたんじゃないかと。特にラスト、おっしゃる通り枚数ギリギリでしてねえー。
回想シーンも最初の方で描く予定だったんですよ。先にアキバツの成長過程を描けていたら、
本作品冒頭での「できすぎキャラ」も、「急に組織を継ぐことになり、精一杯背伸びしている」
のだと分かったと思うんです。書けませんでしたが、アキバツの初恋話も予定してたんですよ。

まあ、アキバツの「神童伝説」が中盤から崩れていくあたりは自分でも満足しています。
前に伝言板で皆さんにお伺いしたように、「なぜ侵攻するのか」という自問は、実は最後まで
解けませんでした(笑。さらには「東漢以外の謀反者、脱退者は出なかったのか」「こんな状態
になってまでなぜアキバツについていくのか」という創作上の盲点を新たに発見したりして…。
もっとひっちゃかめっちゃかになっていくさまを描きたかったのに、筆力と枚数不足でした。

「倭」を考える上で気づいたのですが、「波王の秋」「落日の悲歌」ともに、高麗人と日本人を
しっかり分けて書いています。けっして民族雑居状態ではないんです。そんな中、本作品は
村上氏や田中氏の言う「倭」の様態を少しでも描き得たようで、うれしく思っています。
「倭」と「和」の理想は高いのですが、近頃韓国の友人と話していて、とかく「日本人は」
「韓国人は」と比較しようとする自分の言動に気がつきまて、ちょっと反省しています。^^;

学問的な指摘についてですが。これはぜひお聞きしたいです。そのための倭寇専門サイトよ?
前期倭寇については、その史料の少なさから判断して、まずはムリのない短編小説にしたので
す。これからもっと踏み込んで、長編を手がけていくならば、それを支えうるだけの学問的知識
が必要です。大丈夫、私は江戸時代後期を長くやっていましたから、歴史的事実と創作との葛藤
はすでに体験済みです。この時代には実にまめまめしく日記をつけた方が大勢いましてねー。

長文で失礼しました。そんなこんなで、ますます前期倭寇の長編を書きたくなりました。
やはり私の本領は長編にあるかな(笑。そろそろ書き出さないと。二重投稿におののきつつ…。



#1007 
徹夜城(アクセス数をチェックしてみた管理人) 2000/08/05 23:56
40000!

えー、つい先程アクセス数を確認しましたところ、総計40000をついに突破しました!
これもひとえに皆様のアクセスのおかげです(当たり前か)。ありがとうございます。
かなり以前からこちらに足を運んで頂いていた方はご存じでしょうが、今年の春から異様なアクセスの伸びでしたねぇ…ともかく、これからもよろしくお願いいたします。更新も「史点」以外も頑張るようにいたしますので(^^;)
異様な伸びと言えば高校野球シーズンを反映して弟の管理しているスポーツコーナーもいつの間にやら20000に迫っております。一時一日300アクセスあったとか…(汗)

>ほしむらさん
まぁハンコックさんみたいな方はそれこそ歴史上何度も登場してきてますから(笑)。
最近本屋でかの「神々の指紋」をはじめとする超古代史本を否定する(というよりツッコミを入れてる?)誰だかの本を立ち読みしたんですが、なんて本だったかな。しかしやはり否定本って売れないらしく目立たないですね、笑い飛ばす形式の「と学会」シリーズは別として。
その一方で「神々の指紋」は文庫化もされて相変わらず売りまくっているようで…。

そういえば、お書きになっているアメリカの宗教関係ネタですが、昨年私が「史点」でネタにしたカンザス州教育委員会、今度は僅差で進化論教育を部分的に認めることにしたようです。ただしあくまで「自然淘汰」に触れるだけで、生物の系統発生は教えないそうです。あくまでアメリカの一部ではありますが、あの国にはまだまだそういう部分が強烈に残ってもいるんですねぇ。共和党が大会をやってましたが、やはり一部の州では宗教右派にかなり気を使わねばならないようです(とくに中絶問題では物凄く感情的になりますね…中絶をしている医師を殺しちゃったこともあったっけ)。



#1006 
ほしむら☆てるき 2000/08/05 01:22
歴史って・・・

ここの掲示板では色々と歴史はいつから、と書かれておりますが、
現在と断絶した過去なんて、どの世の中にもありませんでした。
一見、歴史と断絶したような物が発見されても、
これが歴史とどう繋がってくるのかを研究するのが、歴史学者の役割です。
私の意見では、グラハム・ハンコックのとっている行動は、
本来、繋がっているべき歴史を断絶させて、
自分の考えている歴史の方につなげたがっている人の行動と似ているような気がします。
何か、聖書の記述内容を正しい歴史と思いこんでいる宗教関係者が、
アメリカで暗躍しているようで恐いです。

拙い文ですみませんでした。



#1005 
徹夜城(昭和生まれの管理人) 2000/08/04 23:26
『歴史』になるには50年?

>おやかたさん
僕も「昭和」の人間ですし、このところバイト先で教える生徒達もぼちぼち「平成生まれ」にさしかかってきまして、なにやら「ひと世代前の人間」という空気を感じなくはないですね(^^;)。まぁたぶん太平洋戦争ごろの明治生まれも似たような問題があったのでは。「ご維新世代と日露世代を一緒にするな!」とか言っちゃって(笑)。
かなり以前ですが、下に僕が書いたような感慨を持つ若者に対して戦争体験世代から「近ごろの若者は戦国時代も太平洋戦争も同じように語る」と嘆く声が新聞かなにかに出ていた覚えがあるんです。実際そう感じる方も多くいるのでしょう。ただ、僕は「歴史ってそういうもんです」と言うことにしています。あと百年もすれば完全に同じレベルに語られるような気もしてます。どちらも人間のやってきた数多くの悲喜劇の一つということでは変わりないと思いますし。
僕の恩師の一人の言ですが、「『歴史』になるには50年はかかる」と。そういえば太平洋戦争を比較的客観的に『歴史』として語れるようになってきたのはつい最近かもしれません。



#1004 
おやかた 2000/08/04 21:25
昭和のとらえ方・小学生の場合

徹夜城さま
関ヶ原の証言と、ミッドウェーの証言も同等に感じるとのお話で
思い出した事を一つ。
私の職場は、科学館というところでして、子供がたくさん来館します。
そこに、昭和30年代の家電を集め、ちゃぶ台のある部屋に展示した
コーナーがあるのです。
先日、それをみていた小学生が、「昭和のテレビがある!」と叫んでいました。
彼らにとっては、バブル初め、テレビはリモコンが普及していた昭和60年代も、
高度成長期も、戦争も、昭和初期もひと括りの「昭和」であるらしく、自分が一気に年を取った気がしました。

mozawa@jsdi.or.jp


#1003 
ほしむら☆てるき 2000/08/04 19:53
西欧つづり方教室2

オランダ語のV(ドイツ語や英語ではFになることが多い)から始まる単語も混乱招きそうですし、
デンマーク語の単語の後半の文字が読まれないと言うのも学びにくそう・・・



#1002 
徹夜城(今日は久々に完全休みだった管理人) 2000/08/04 00:48
井沢さんの「倭寇」第二弾

「逆説の日本史」の倭寇編、第二弾を読みました。前回に続き、田中健夫氏の「倭寇−海の歴史」から抜粋・解説ですね。前回にも言えることですが、なんかこの方「こう書くと韓国・朝鮮の人達は不快に感じるかも知れない」ってわざわざ断って書く傾向がありますね。僕ならいちいちそんなこと書かないなぁ、などと読んでいて感じます。もう分かり切った事ばかりですから。なんかこういう書き方って「『韓国人は日本人の文句ばかり言って』と憤慨する日本人」向けに書いてるような気がするんだよな〜(笑)。
前回「朝鮮人自身が『倭寇の8割が自国民』だと書いているのだ!」と強調してましたが、あれで引用している史料たった一つだけなんですよ、朝鮮半島倭寇の「日本人率」明記してるのは。村井章介さんによるとしかもその史料じたいが問題の時期から半世紀以上あとのものだそうで、沿海住民に対する差別意識も考慮しなきゃならんようです。問題なのは「倭」って何を指して言ってるのかってことになるんですが、その辺に今後触れるか注目。
今回の連載で気になったというか興味を引いたのが、田中氏にならって「前期倭寇」「後期倭寇」を使わず「〜世紀の倭寇」という表現を使う井沢氏が「十六世紀の倭寇」を「倭寇」と呼びたくないと断言された点ですね。僕がまさにこの「十六世紀の倭寇」専門なもので、次回以降何を言い出すか楽しみ。

>昨日、じゃない一昨日の「その時」
「その時歴史が動いた」はミッドウェイ海戦。べつだん珍しい話は出ませんでしたが、面白かったのは作戦に参加していた元兵士達の生の証言をどんどん出したこと。「飛龍」が攻撃を受けているのを上空からハラハラと眺めていた、なんて生々しい証言は、僕ぐらいの世代にとっちゃ関ヶ原合戦の参加者の証言と同レベルだなぁ、などと感じてました。
「…その時ねぇ、松尾山の方から小早川勢がいきなり駆け下りてきたんですわ、もう大変で…」なんてね(^^;)。

>ほしむらさん
お名前の綴り方もお変わりになられたやうで(笑ひ)。
フランス語は教養課程で習わされてやんなっちゃった思い出がありましてねぇ。読まない字は書くな!とか言いたいんですけど(^^;)。ただ洋の東西、文字表記って必ずしも完全に合理的ではないですよね。現代の日本語のつづりだってまだまだ「は」「へ」とかを残して日本語を学ぶ外国人を苦しめていますし。最近気になるのは「ぢ」「づ」の運命でしょうか。



#1001 
ほしむら☆てるき 2000/08/02 01:04
つづり方教室inドイツ

史点、読ませていただきました。
私としては、ドイツ語の綴りが、
名詞の頭が大文字でも構わないと言う派なんです・・・
(その割には、余りドイツ語は詳しく読めないのですが・・・学んでないようなので・・・)
むしろ、フランス語の綴りも変えたりとかした方がいいのかな?
(無音のHを綴りから廃止する、とか)
お久しぶりで、少々、名前を変えてみました。これからしばらく、この名前で行きます。



☆歴史のトップページに戻る
<<<過去ログ1101〜1200
過去ログ901〜1000>>>