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#2300 
徹夜城(なんか最近バタバタといろんな更新をしている管理人) 2002/01/25 16:13
今さらですが、柔道の話と映画の話

これも前に書くつもりで忘れてたことです。タイミング外しちゃってすいません。いろいろ書いていると書くつもりだったことがポンポンと抜けていくんだよなぁ。

>柔道の技。
ホリー・ハンターさんが「やまあらし」という技についてお書きでしたが、検索かけてみると出るわ出るわ。写真入のところでこんなのがありました。
http://plaza7.mbn.or.jp/~moroha/judo/yama/yama.htm
スポーツに詳しい弟(やるほうではなく見るほう専門ですけど)に聞いてみたところ、確かに漫画などでよく出てくるが、危険なため禁じ手になっているとのことです。
それと「史点」でルパンが「ウデヒシギ」を使ってガニマール警部(銭形警部の原型であります)を使って撃退することに言及しましたが、弟に聞いたらこれは寝技(そーいえば腕ひしぎ十字固めってありましたっけ)なのだそうで。問題のシーンは逮捕され刑務所に入れられたルパンが獄中で変装して脱獄し、ガニマールと格闘になるという場面。一瞬の組み合いでガニマールは腕をだらりと下げ、「危うくあんたの腕を折るところだったよ」とルパンが言い、「これが『ウデヒシギ』という技であることはパリ警察の連中が柔道を習っていればわかるはずだ」と付け加えます。
…パリのど真ん中の公園で寝技をかましている光景というのはかなり笑えます(笑)。

更新したけどついついここに連絡を入れてなかったので(一応更新記録ページあるんですけどね)宣伝がてら書いておきましょう。
「歴史映像名画座」に珍しくドイツ史ものでルキノ=ヴィスコンティ監督の「ルードヴィヒ」が追加されています。全編イタリア語のドイツ史劇ってのも妙なものでございました。ヴィスコンティ作品は以前「山猫」を見ていたのである程度覚悟はしていましたが、4時間鑑賞はかなりきつい内容でした。力作だっちゅうのは分かるんですけどねぇ。



#2299 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/25 07:32
室町時代

ココの みなさん の室町時代への造詣、情熱には
いつも圧倒されてて、知らなかった歴史人物を続々と紹介なされてるのを
読み、いつも脱帽している私でして。というか日本史の中では
分かりにくい複雑な時代ではと弱音を吐いたりして。

ですが、日本人の現代でも続いてる生活習慣は室町時代から始まった
モノが多いようですね。

一日三食〜この習慣は大陸渡来の影響だそうで。世界的にみても日本人は
この習慣が定着するのが遅い方であったらしく
日本人は潜在的に小食であったようですね。

火葬〜実は火葬が実際のところ、禅宗の宗教作法から派生したのか
湿気の多い日本の風土のため全くの衛生観念から派生したのか
私には分かりません。

書院造り〜和室の床の間とか仏の間とゆうものをあつらえるアレ。
教科書でもコレは押さえられてますよね。



#2298 
Q世代 2002/01/25 02:13
図に乗って呼び名話の続き

 こんにちは。
 呼び名の話はけっこう盛り上がりますね。レスをくださった皆様ありがとうございます。

>徹夜城様
>それでも忠臣蔵クラスの知名度があると「吉良」は「上野介」であり「浅野」は「内匠頭」であり「大石」は「内蔵助」であって、「義央」「長距」「良雄」にはなってませんもんね。やっぱどういう呼び方がポピュラーかってことになっちゃうのかな。

 ということになっちゃうんでしょうね。
 しかしこのポピュラリティーは、芝居やドラマで繰り返し描かれたことによって自然と獲得されたもので、これらの人は教科書的有名人ではありませんよね。で、本名で呼ぶというのは実に教科書的であって、その教科書ですら天草四郎は天草四郎ですし、大塩平八郎は大塩平八郎です。
 教科書に記されている人名なんて、僕らがドラマで触れる人々の数と較べたらわずかなもので、大河ドラマや年末・正月時代劇などで繰り返し描かれる、織豊〜徳川幕府創世記と元禄時代を除くほとんど全ての時代の人名は、学校をでたらもう口の端にも上ってこないものです。ということは、「草燃える」や「炎立つ」、「太平記」「北条時宗」といった作品は、むしろ人の呼び方で冒険してみる良いチャンスだったのではないかと思います(そして「太平記」はそのチャンスをかなり生かしたのではないかと)。
 ポピュラリティーを獲得するという意味では、僕が書いたような、一人の人物を色々な名で呼ぶのは逆効果なので、これは統一してもいい。「四郎」「四郎どの」と呼び続けて後年になったら「北条どの」と決めれば良いわけです。とにかく特殊な場合を除いて本名を呼ばない、という習慣をドラマでも定着させられないかな、という気持ちです。

>五番街様
>いつごろこの「何とかのォ〜」が消えたんでしょうかねぇ。

 これは実生活の周りから、ということでしょうか。そうでないのなら「銭形平次」を見れば「銭形の」「箕輪の」とやってましたし、侠客ものを見ると「次郎長三国志」でも「清水の」「黒駒の」「吉良の」と呼び合ってました。「仁義なき戦い」ではもうやってないかもしれません。これって敬意と敵意がないまぜになったような、味のある呼び方ですよね。
 講談社と小学館の編集長が道で行き会ったとき「おう神保町の」「おう音羽の」とやり合っていたら面白いなぁと今突然思いました。
 
>鈴木小太郎様
>北条や三浦といった“家名”の後には「の」はつけません。

 はじめまして。
 那須与一は「なすのよいち」ですし、熊谷次郎直実は「くまがいのじろうなおざね」と呼ばれていたような記憶があるのですが、鎌倉のごく初期くらいまでは「(どこそこ)の(だれそれ)」の形で使われていたのではないでしょうか?この辺知識がありませんので、教えていただけないでしょうか。
 
>スズメ♂様
>相模守は弟(時房)ですね(某マンガの知識です(^^;)

 まったくお恥ずかしい話で。高校のころからこの時代が好きで、永井路子さんの小説にとどまらず、石井進、安田元久さんの著作を読んだり、「吾妻鏡」をつまみ食いしたり、「北条九代記」を読んだりしていながら、ちょっと離れて時間が経つとこれですから。
 「茶屋四郎次郎」の由来は面白いですね。「(なんとか)五郎三郎」とか言うのも聞いたことがあって、「どーゆー名前の付け方だ」と思ったことがありますが、なるほどこういう説なら納得できます。
 
 ところで明智光秀は日向守に任官したとき、惟任という姓をもらったと記憶しているのですが、この姓はどういう使い方をするものなのでしょうか?ひょっとして史実としてはこれ以降「明智」は名乗らず、惟任日向守光秀が正式名称になったということでしょうか?ご存知の方、お教えください。
 
 思わぬ長文になってしまいました。それではまた。



#2297 
徹夜城(授業でもやっぱり「大河ぐらい見ろ」と指導してしまう管理人) 2002/01/25 00:23
呼び名ばなし

昨日書こうと思って書き忘れたことを。
中国製作のTVドラマ「三国演義」はNHKが衛星放送で完全放送しましたが、吹き替えがついていたのですね(これがまた吹き替えファンとしては楽しめるところでしたが)。そこではあの劉備・関羽・張飛の三兄弟には「雲長兄き」「翼徳」といったように字に「兄」を組み合わせて呼び合うようにされていました。しかし副音声で入っていた原語では以下のようになってました。
劉備→関羽=「二弟」、張飛=「三弟」
張飛→関羽=「二哥」
他の組み合わせはウロ覚えなのでまた該当シーンを見て確認しなきゃならないんですが、副音声で初めて確認したとき、「ほう」と何やら感動した覚えがあります。吹き替えはあれはあれで努力のあとがうかがえましたけどね。
その昔の「人形劇三国志」では敵も味方もみんな諸葛亮を「孔明」って呼んじゃってましたね。まぁこれは分かりやすくするためとは思えましたが、それでいて劉備を敵も味方も「玄徳」と呼ぶのは正直謎でした。ついでながら日本TVで製作したトンデモアニメ「三国志」(堂々と「横山光輝原作」と銘打っていたのが凄い)では敵も味方も「劉備」と呼んでおりました。

>maccoさん
あー、どうも。そちらに「懐良出てますよ」と宣伝に行こうかな、と思いつつ露骨な自家宣伝みたいで控えてしまってました(^^;)。
今後のことはまだまだわかりませんが、本格的に絡んでくるのは彼が明と交渉し「日本国王」に冊封されちゃうあたりからだと思いますよ。その後の了俊、そして義満を描いていく上で外せない過程だからです。

先日、石ノ森章太郎の漫画「日本の歴史」の義満を中心に描く巻(文庫本)を参考がてら買って読んだんですが、あれにも冒頭のほうで懐良親王出てきますね。なんかただの公家さんって感じに描かれちゃってました。でも「日本国王争奪戦」という面を大きく扱っていたのは嬉しいところでしたね。なお、解説はこの手の話では独壇場(?)の村井章介氏が書かれております。
この漫画、当然頼之も出てきて「康暦の政変」の描写も出てくるのですが、残念ながら「復活」後のことは描かれてませんでした。
義満はなーんか若いころからズル賢そうな顔になってますなぁ(笑)。でも「明徳の乱」のくだりで「足利の運と山名の運を比べてみよう」とやる場面や「奉公衆を出動させるのだ!」と叫ぶ場面はカッコいいですぞ。



#2296 
おやかた 2002/01/24 22:47
真夏&冬嗣兄弟ほか

スズメ♂様
レスありがとうございます。うーむ、秋だの桜までいたとは・・詩の世界ですね。まるで。
冬嗣君は弟だったのに、嵯峨帝に仕えたために出世し、藤原北家繁栄の祖になったんですよね。このあたり、永井路子さんの平安3部作からの受け売りですが。



#2295 
スズメ♂ 2002/01/24 21:55
またまたまとめレスです(^_^;

>おやかたさん

「真夏」の弟が「冬嗣」という、当時の典型的な命名法でした。
(異母兄弟に「秋継」がいたらしいです。あと、「春」はいないけど「桜麻呂」ってのがいます。ほとんど冗談....)

その冬嗣の子どもから、「良房」「良相」「良輔」「良門」という風になっていくわけです。

この頃は、中国文化の影響もあって、兄弟で同じ文字を共通にする命名が多いのですが、これは現代ではあまりないですよね。現代にありがちな、親子で共通の文字を使うのは、平安後半の武士などから始まるようです。

>Q世代さん

 相模守は弟(時房)ですね(某マンガの知識です(^^;)

 呼び名については、同感です。普通は苗字で読んだと思います。
 古代でも、万葉には、相手の名前を読み込む時、氏姓(「〜の宿禰」とあ「〜の朝臣」とか)を使っている歌があります。それと関係あるかもしれません。
 「小四郎」ですが、これは確か柳田国男だったと思うのですが、こんな説を読んで感心したことがあります。
 父親が「太郎」=長男で、その次男=次郎の場合、「太郎次郎」という。
 太郎の太郎の場合は、「太郎太郎」では落ち着かないので?「小太郎」という。その太郎の場合は「孫太郎」、その太郎なら「彦太郎」という、と。
 もちろん、上の世代が存命で区別する必要がある場合に使うのでしょうが、そう考えると、かの「茶屋四郎次郎」も納得できます。
 この説の当否は不明ですが、よく分かる話ではあります。

>徹夜城さん

 そういえば、確か「炎立つ」では、頼朝は一貫して「介殿」、義経は「九郎」で通していて好感が持てました。
 山崎正和の「世阿弥」(幸四郎が主演)では、義満が「大樹様」でした。
 長岡良子さんという(私の好きな)少女漫画家の作品に『春宵宴』という作品があります。安和の変を背景にした作品なので、源高明とか藤原兼家・兼通とか右大将道綱母とか愛宮とかバンバン出てくるのですが、一切名前を使わず、官職名でしか呼び合いません(「道綱」だけは使っているので、推測すれば分かりますが)。そのため、古代の雰囲気が保たれています。

 こういう「配慮」って、すごく嬉しいんですが、確かに分かりにくいですよね。TVドラマなら、テロップがいるかも(^^;



http://member.nifty.ne.jp/suzumei/suzume.htm


#2294 
鈴木小太郎 2002/01/24 19:28
「の」

>この「〜の」ってのは、教科書なんかでは「平の清盛」あたりで終わってますね。

これは全然別の話ですね。
「源」「平」「藤原」「橘」などの“本姓”の後には「の」をつけますが、北条や三浦といった“家名”の後には「の」はつけません。
例えば北条義時は本姓は「平」で家名が「北条」ですから、正式な文書には「平義時」と書いて、読み方は「たいらのよしとき」ですし、徳川家康も正式な文書には「源家康」と書いて「みなもとのいえやす」です。

http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/


#2293 
五番街 2002/01/24 04:19
何とかのぉ〜

>海音寺潮五郎氏が、鎌倉頃までの関東の武士たちは、「〜の」と呼び合って
>いたかもしれないと書いていたのを思い出しました。つまり道で出会うと
>「おう、三浦の」「おう、土肥の」と、後のヤクザ物みたいにやっていたと
>いうわけです。

この「〜の」ってのは、教科書なんかでは「平の清盛」あたりで終わってますね。以前に観た戦前の白黒映画で、バンズイン・チョウベエさんが、国定忠治に、「国定のぉ〜」と呼びかけていて、ひょっとすれば戦前の人たちには、たとえ使わなくなっていたとしても「何とかのォ〜」という呼び方が特に不自然なものではなかったのかも知れない、と思ったこともあります。いつごろこの「何とかのォ〜」が消えたんでしょうかねぇ。



#2292 
macco 2002/01/24 02:24
か、懐良の名が!!(感涙)

お久しぶりでございます。
噂の「室町太平記」、遅ばせながら拝見しました。
何ごとも九州からしかモノを見れない偏屈なもので、細川頼之と聞いて、・・トイエバ今川貞世トイエバ九州〜・・?などと無理矢理こじつけほのかーーな期待をいだいてました。
そしたら・・・うわーー懐良も菊池もでてるじゃないですかー!!
三日月さまには申し訳ないのですが、独りPCの前でバンザイしております。(笑)
「太平記」のときには多々良浜合戦でさえばっさり切られたことを思うとホント夢のようです。
これで去年に引き続き大河で九州シーンが拝めるのですね♪
ぐふふふ・・・(壊)
更新心待ちにしております。頑張って下さいませーー。

http://homepage2.nifty.com/seisei-hu/


#2291 
徹夜城(VAIOのメモリを増やした管理人) 2002/01/24 00:21
君と僕

>ホリー・ハンターさん
「○○君」のように「君と僕」といった一・二人称の出現は誰から始まったかは知りませんが、幕末の武士たちの間で始まったってことは確からしいですね。藩を越えて一個人として他の武士たちと付き合うにあたってそれにふさわしい呼び方として導入されたのではないかと。
岡本喜八監督の映画「吶喊」は戊辰戦争を描いた異色時代劇ですが、主役の一人で薩摩出身と思われる万太郎(岡田裕介、現東映社長じゃなかったかな?)がもう一方の主役の千太(伊藤敏孝)に「君と僕という言い方が今の流行なんだ」とか言って面食らわせるシーンがありました。
「僕」って字をよく見れば「しもべ」でありかなりへりくだった自称なんですよね。いつから男の子の一人称(と同時に二人称)になっちゃったんでしょうか?ボクちゃん、とっても不思議です(爆)。
そのむかし日テレの大作「奇兵隊」で井上聞多が「僕はロンドンを見てきた!」と威張って言うシーンが妙に印象に残ってます。

>あんしゅっつさん
ああ、これはどうも。「隠れ史劇的ファン」ですか。なんか「隠れキリシタン」みたいですね(笑)。
「風と雲と虹と」は総集編ビデオを見たんですが、呼び方については気をつけてみてませんでした。うーん、「みこと」ねぇ。こないだの「聖徳太子」だと「いまし」って二人称使ってましたけど…「太平記」だと「御辺」でしたね。
そういえば下の書き込みで紹介した「TV時代劇史」によりますと、「風と雲と虹と」は当初「加藤清正」で企画が進んでいたのですが、朝鮮侵略を避けて通れないことからお流れとなり、主役に決まっていた加藤剛さんのほうから「将門やりたいんだけど」と提案されたんだそうです。

>Q世代さん
時代劇における呼び方で、実名をバンバン言われると本音のところは耳障りなんですよ、僕も。中国史ものでも平気で本名で呼んじゃう場面とかあるとイライラしたりもするのですが、まぁやはり予備知識が必要なんですよね。広く時代劇・歴史劇を見てもらうためにも呼び方ぐらいは分かりやすくしてもいいかとは思ってます。
…それでも忠臣蔵クラスの知名度があると「吉良」は「上野介」であり「浅野」は「内匠頭」であり「大石」は「内蔵助」であって、「義央」「長距」「良雄」にはなってませんもんね。やっぱどういう呼び方がポピュラーかってことになっちゃうのかな。
「真田太平記」では昌幸が「安房」、信幸が「豆州(伊豆守)」、幸村が「左衛門佐(だっけ?)」と呼び方が徹底してました。
「太平記」だといろいろでしたね。貞氏の「この讃岐の気が済みませぬ」というセリフがあったり、道誉が一貫して「判官どの」と呼ばれていたりして、あまり本名を呼んでいた覚えがありませんが、直義はほとんど「直義どの」になっていたような…



#2290 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/23 23:18
呼び名に付く付属語で、

君(クン)ってのがありますよね、同期や年下の男子に対して
『〜クン』って呼ぶ、最近は女子に対してまで『〜クン』って呼ぶ
何か変な奴もいるようですが、いつ頃から使われ出したのかな?
ってフト思ってたら、何かの本で読んだのを思い出したのですが
新撰組が隊員どうしで呼び合ったのが始まりだとか。ホントすか?
近藤は土方の事を『土方クン』、土方は総司のことを『沖田クン』
と呼んでたのを想像すると何やら妙な気がしますね?



#2289 
あんしゅっつ 2002/01/23 18:47
まろ・みこと

毎日覗いていながら数年ぶり2回目の登場かもしれない、隠れ史劇的ふぁんですf(^^;)

まろ話で疑問再燃。
将門と純友を扱った「風と雲と虹と」で、一人称まろ・二人称みことで会話しているのは、何か裏付けがあるんでしょか? そもそも、なぜに"みこと"なんでしょー

少女漫画な名前といえば師冬&師夏をおもひだしてしまふ・・



#2288 
Q世代(物忘れが激しくなった中年) 2002/01/23 17:47
記憶違い

 北条義時は陸奥守だったかもしれません。相模守は弟の方だったかな。これからはちゃんと調べてから書きます。



#2287 
Q世代(信長にはいちど光秀に対して「日向っ!」と怒鳴ってもらいたい『国盗り物語』ファン) 2002/01/23 03:17
昔の呼び名

 海音寺潮五郎氏が、鎌倉頃までの関東の武士たちは、「〜の」と呼び合っていたかもしれないと書いていたのを思い出しました。つまり道で出会うと「おう、三浦の」「おう、土肥の」と、後のヤクザ物みたいにやっていたというわけです。もちろんある程度親しければ「平六」「次郎」と、名を呼び合っていたと思いますが、この「〜の」は小説やドラマ、まんがでやってみるとケッコウ新鮮で面白いかもしれません。

 で、これに関連する話ですが、歴史ドラマで本名を呼び合ってしまうのが最近は気になります。通称は同じ物が多いので、視聴者が混乱しない工夫が必要だと思うのですが、そこをなんとか通称や官職名の使い分けで新鮮さを出して欲しいところ、と思っています。というか歴史物や時代劇はその方が味があると思うんですが。

 たとえば北条義時ひとりを指すのでも、倒幕を決意した後鳥羽上皇は呪詛を込めて「義時ぃ」とつぶやき、このとき義時につくことを決意した三浦義村は、公の場で「相州(相模守)を支持する」と発言しますが、家に帰れば「四郎が」と毒づいてるわけです。

 あるいはこの直前に滅ぼされた和田義盛は、義時を時政時代からの「小四郎」という名(時政が四郎だったので、呼び分けるための“小四郎”だったのではないかと推測)で呼び続け、気分的には最後まで義時を目下扱いしながら滅んでゆく、とか。

 こんなふうに名前を使い分けると、そのときどきのニュアンスが、(役者さんの演技にまかせるだけでなく)違ってきて面白いと思うんですけど、徹夜城さんをはじめ、歴史を研究されている方はどう思いますか?大河ドラマだとどれもこれも「〜殿」になってしまって、行儀が良すぎるというのには賛成してもらえると思うんですけど(^^;)。



#2286 
徹夜城(なぜかこのところバリバリとものを書きまくっている管理人) 2002/01/23 00:01
いまごろ、なのかもしてませんが。

図書館で何気なく手にとって借り、読み始めたら止まらなくなった一冊。
「実録TV時代劇史・ちゃんばらクロニクル1953−1998」(東京新聞出版局)
知ってる方からは「まだ読んでなかったのかっ」ってな声が聞こえてきそうですが、なんでこれ読んでなかったんだろ(^^;)と思ってしまった一冊。TV時代劇をまさに全網羅した超大作です。同時期の映画時代劇についても言及してくれるから親切この上ない。大河ドラマももちろん全て言及されています(まぁ文章の多い少ないは多少ありますけど)。
「太平記」はプロデューサーの高橋氏いわく「NHK内では『大変記』といわれていた」そうで(笑)。

>で、ムロタイの件。
うわあああ、やっぱり「直義を出さないで親房を出すのか!」の声が(^^;)。しかも連チャンで。
それにしても三日月さんのところの掲示板にもあった話題ですが、「なぜ熱狂的直義ファンは多い?」と改めて思います。しかも、僕も数年前の知り合いでいたのですが、「女性の熱烈直義ファン」が多いのです。南北朝心理学(なんじゃそりゃ)の研究対象ともなる問題ですね(笑)。
それだけに大河での高嶋政伸の配役には不満の方も多いようで…あれはあれで熱演ですし、「弟」臭がプンプンしてて(^^;)いいんですけど、僕の思い描く直義像ってあんな単純バカ(笑)みたいな印象じゃないんですけどね。

まぁ基本的に「ムロタイ」は「二代目、三代目たちの物語」なのでありますね。だから直義や師直にはちょいと遠慮していただきました。尊氏は展開上しょうがなくというところで、道誉はむしろこの時代のほうが面白いということで出しています。
っということでしてね、三日月さん。「二代目」である以上、基氏クン出てきますよ。というより歴代鎌倉公方はちゃんと登場します。「応永の乱」まではやるつもりでいるので。

>ひろさわさん
そちらにもご挨拶申し上げましたが、「赤松太平記」の開始おめでとうございます。円心の父の代からひょっとして満祐までいくんでしょうか?
この調子でみんなで「○○太平記」をドンドン捏造していきましょう(笑)。ネタはいくらでもありますぜ。戦国時代であれだけ書けるんなら南北朝だっていくらでも出来ます。

>柔道の話。
アール・ケイさんがお書きになっている武道拒否のケースは、たぶん特殊な宗教の信徒だったということではないでしょうか?キリスト教系の「ものみの塔」やら「エホバの証人」なんかはそういう趣旨であるようですよ。いっさい格闘はやらないのだとか。聖書のどこにそんなことが書いてあるのか知りませんけど。

>名前の話。
いま書いてる仮想大河もそうですが、名前の創作って苦労するんですよね…
とか言いながら「ムロタイ」の女性陣はみんな適当に字を拾って「子」をつけてハイ出来上がり(笑)。分かっているのが義詮の妻が幸子、良子(この人が義満の母)、義満の妻が業子、康子といった程度で。庶民の名前はそれこそわからないので、もう適当にそれっぽくつけております。
男性陣についてはドラマなんかでは分かりにくいから名前で呼ばせちゃってますが、実際には官職名で呼ぶなどしていたようですしね。清氏のことは「細川相州(相模守だったころ)」、頼之は「細川右馬頭」とか「細川武州(武蔵守だった)」「武州入道」なんて調子で。

中国もの(後期倭寇もの)の小説書いていたときも架空キャラの名前には困ったもんです。特に女性。サンプルがあまり無いってこともありますね。



#2285 
おやかた 2002/01/22 23:11
お礼

スズメさま
ありがとうございます。嵯峨帝からみでしたか。
そういえば、平城帝の腹心で藤原「真夏」という人がいたことも今
思い出しました。少女漫画の登場人物みたい。。

この時代から、人名に関する感覚ってあまり変化してないのかもなんて
思いました。



#2284 
スズメ♂ 2002/01/22 20:53
まとめレスで失礼

>徹夜城さん

 なんか、話が広がってますね(^^;
 ここいらは私の卒論テーマでして....昔の悪夢が蘇るぅ〜。

>おやかたさん

 平安初期、嵯峨天皇から皇子女への命名法則が変わったのが、その後に影響を与え続けているというのが通説かと。
 親王…嘉字2字  内親王…嘉字1字+「子」
 源氏男…嘉字1字 源氏女…嘉字1字+「姫」

 最後のはあまり広まりませんでしたが。

 古代と現代の名前が近く思えるのは、中世近世の名前が呼び名(小次郎とか権兵衛)と、古代以来の本名(清盛とか家康とか)というように複数化し、江戸時代の人名が呼び名のものが知られているからだと思います。

>のよりんさん

 「子」というのは、もともと男でも女でも可能な接尾辞でした。
 また、「鎌足」が「鎌子」とも言ったように、接尾辞はかなり軽くみられていた感があります。「鎌」なり「宮」なりが大事なのであって、宮子でも宮子媛でもあまり大きな問題ではなかったみたいです。
 字はちがいますが、古い例では蘇我に「刀自古」もいますね。

>アール・ケイさん

 「麻呂」がもと自称だったというのはよく聞きます。
 あと、客人をあらわす「まらうど」との類似から、もとは神のような存在を表す美称だったのが、自称に転化したのではないかという説があります。
 「麻呂」は9世紀頃までは階層を問わず使われていましたが、しだいに庶民層の名前に限られていき、表記も「丸」に集約されていきます。
 おまるは、たぶん、ちがうでしょう(^^;

>のよりんさん

 古い時代の皇族の名前には、養育氏族によるものらしいものと、そうとは違うものが混在しています(同一人物で両方持っている場合もある)。麻呂古は後者かもしれません。




http://member.nifty.ne.jp/suzumei/suzume.htm


#2283 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/22 00:08
柔術

ア−ルケイさん が柔術のことを話しておられて
ふと思い出したのですが、柔道の技に、禁じ手となった
幻の技が幾つかあるようですが、私が聞いたのは
『ヤマアラシ』という名の技。高校の体育の必修授業の
柔道の時間に、筋肉バカの体育教師がさもウンチクで
この名を口に。みんながどんな必殺技なんだ?教えろと
迫ると、R指定の技だから教えられん
と言われました。



#2282 
ひろさわ 2002/01/21 16:54
低視聴率の裏番組・・・・

徹夜城さま、ご無沙汰してました。
みなさま、はじめまして。
大河ドラマの私的サイト”tiger!”をつくってた ひろさわと申すものです。
以後お見知りおきを。

ところで、こちらの大河ドラマ「室町太平記」の再放送の裏で(つまり、毎週土曜日ということですが)、
ひっそりと、「赤松太平記」が始まってたりします。
時代は、赤松円心の父、茂則の時代。
京で起こった二月騒動から始まります。
よかったら見てください。なんなら、つっこみを。

ところで、徹夜城さんはもう『悪党の裔』を読了されましたか?
もしそうなら、感想などをまた書き込みたいと思ってます。

――別の話題ですが、
センター試験に、「太平記」出てましたね。「護良親王」も、「侍所」も。
ちなみに私は65点でした。鎌倉室町時代全問正解。
でも、近現代史全滅・・・・
来年は前田家ネタが出題されるんでしょうか・・・

http://dengeki.gaiax.com/home/hirosawa


#2281 
古屋三日月 2002/01/21 01:27
続・直義や師直を出さないで親房は出すのか〜(笑)

こんにちは、直義強硬派の三日月です(苦笑)
名指し指名に思わず出陣して参りました。

観応の擾乱にも関わらず、主役級の直義が出てこないなんて、
なんて残酷・・イエ斬新な企画なのでしょう。

でも、ワガママ言いません。あくまで主役は頼之くんなんですから。

たとえ直義が出なくても!!!
観応の擾乱の主役が出なくても!!!泣きません!!(T_T)←号泣

あ、それで徹夜城さま・・・
直義の甥の基氏くんは出るんでしょうか?(どきどき)

●気を取り直してムロタイ感想
直義の南朝降伏に関して、直義と正儀の交渉シーンが入らないか
個人的にわくわくしてましたが・・・カットでしたね(T_T)←まだ泣くか

頼之くんは四国進出して、これからが腕の見せ所ですね!
観応の擾乱で内政は混乱してるのに南朝方とも戦わなきゃならないし
まさに内憂外患。
この辺りは描かれているものって見かけないし・・とっても楽しみです(^^)

それと清氏くん・・・頼之派の私でも惚れてしまいそうです。
婚礼の場に堂々と踏み込むなんて・・・バサラです〜
私も彼は頼之よりすごく年上のイメージがありますが
頼之と比較対照させるには、同年代の方がいいでしょうね〜(^^)
画面も華やぎますし(笑)

題名では↑ああ書きましたが、親房の頑迷ぶりも結構好きなんです。
宮方の活躍も楽しみにしてますね〜

http://www.anotoki.com/top/index.html


#2280 
アール・ケイ 2002/01/21 01:06
直義や師直を出さないで親房は出すのか〜(爆笑)

少なくとも直義ファンの古屋三日月 From 南船北馬さまには怒られることでしょう(笑)。まあこの辺が登場人物がたーくさん出てきてしまう大河ドラマの難しいところですな。
「出てきたことにしておけばいい」のに、管理人さまも結構頑固というか真面目というか(笑)。

えっと、私べつに下ネタをし掛けたつもりはございません(笑)。「麻呂」の語源を追求すると行きついたまでですぜ。
もともとこの国は巨根伝説とか男根女陰を祭った神社や奇祭がアチコチにあるように、性的なことにもっと大らかだったんですよねー。それが明治になって文化とは真面目くさったもの、というふうに変えられてしまいました。
ってこんなことを書いている私も恥ずかしかったりして(笑)。

アメリカの柔道=神道?裁判ですが、日本でも20年ぐらい前に似たような事例がありました。学校の授業で武道の授業を強要された(授業をボイコットしたらその分減点にされた)として、生徒とその両親が学校を訴えたんでしたよね。武道はヒトを傷つける手段であり自分が信じる思想にそぐわないという趣旨でした。確か敗訴に終ったんじゃなかったかなあ。
嘉納が生きていたらどう云っただろう、と想像してみます。柔術に科学を持ちこんだのが嘉納治五郎というひとでして、極めて合理主義者だった彼なら見事に論破したのかも知れませんねえ。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2279 
徹夜城(多重連載はひょっとして向いているのかと思っちゃったりする管理人) 2002/01/20 23:43
これこれ

中学生・高校生の未成年も読んでるんだから(ホントだぞ)、下ネタはほどほどに。報復合戦(笑)などはもってのほかです。
ええと、でも一言(爆)。「ウタマロ」ってのはあの喜多川歌麿に由来していたと思うんですがね。以上。

不思議なもんで夕方には「史点」も「ムロタイ」もアップできてました。週刊二つなんてどうなることやらと思ったら、少なくとも現時点では以前より更新速度が速い(爆)。どういうこっちゃ。違うジャンルを同時に書いたほうが気分も乗るのかなぁ…などと。
「ムロタイ」ですが、調子にのってたら当初の進行計画より話の展開が遅れてきました。やはり構想時と実際に書いてみるのとではかなり違う…



#2278 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/20 06:47
うっ、下ネタすか?

下ネタを振られたら下ネタで返すのが礼儀か?(苦笑
『麿』のことは良く知りませんが、私の知り合いで
和洋折衷で千人斬りを目指す絶倫野郎がおりますが、
此奴は無論、西洋人と事を行った事があるようで(撃沈
事あるごとに、其れを吹聴し、周りを煙たがらせてますが、
彼が最初に経験したブロンド娼婦は、アヤツの息子を見て
ウタマロと呼んでたとか。日本人の息子を何故、西洋人
がウタマロと呼ぶのか?それはともかく
西洋人に言わせると、大きさでは日本人は西洋人には
及ばないが、戦闘態勢のムスコの硬さは日本人は
西洋人を遥かに凌ぐとか。ブロンド娼婦に、
まるで日本刀のように反り返ると誉められたと絶倫野郎は自慢。
こうゆう奴がおるから日本人は誤解されんだね。
下ネタで失礼いたしました。



#2277 
のよりん 2002/01/20 06:39
まろまろ

うーん。ちょっと考えたら、〜麿が人名に使われ出したのも〜子が出てきたのと同じくらいなんですよね。
それ以前で考えられるのは王名で麻呂子王ってのがあって、そうすると養育氏族から取るのがふつうだから麻呂子氏ってのがあったかというとそれはない・・
そのかわり丸子氏ってのがあって、これが古代の大族の和邇氏の別名なんですな。
和邇氏は海洋関係とつながっている説もあるし・・小野妹子もその一族・・って〜子型にもどっちゃった。
和邇氏はなんとなく、倭国とつながっていかないかな?と、徹夜明けの脳みそで考えてます。


http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/haiyaku/index.html


#2276 
アール・ケイ 2002/01/20 02:59
麿は『おじゃる丸』にハマりかけておじゃる(笑)

相変わらずどんなご質問が飛んでくるか、どっきどきの当BBSですなあ(笑)。
「なんでも答える有料サイト」っつうのがあったら儲かりませんかねえ。
さっそく「マネーの虎」に応募しようっと(笑)(というか、そういう番組ご存知?)。

さて、××丸という名前(ヒトの名前だとか、刀剣や船の名)に使われる「丸」という文字は「麿(=麻呂)」から転用されたものである、というのは辞書引けば容易に出てくるのですが、さて「麿」の語源がわかりません。
しかし、どんどん突き詰めて検索していくといろんなことが分かってきました。分かって来たというよりそういう説がある、ということなのでしょうが。

・「麿」は自分のことを指す一人称であったのが、人名に転用された。
・麿、丸は、マラと同様に、男のことを指す古代ネパール語(mar)が語源である。物部氏が日本に渡来した時に持ち込んだものらしい。
http://www.you-i.org/kodai01.html
↑一見「トンデモ説」なんですが、尤らしい説明がされています。
・麿、丸とはもとは大小便を処理する容器のことで(「おまる」ですな)、あえてそういう汚い言葉をヒトの名につけることによって長命を祈願したものである。

うーん、どう思われます、皆さん。
「モーニング娘。」ではなく「モーニング娘丸」だったら男の集団だったわけですな(笑)。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2275 
徹夜城(第三回をこれから怒涛のスピードで書いちゃう予定の管理人) 2002/01/19 23:51
ご質問の回答は

>マナさん
ご質問の件ですが、映画の掲示板に回答を書いておきました。ご覧下さい。
僕も全く知らない映画だったので映画データベースCD−ROMで検索してようやく情報を得た程度なんですけどね。



#2272 
マナ 2002/01/19 21:44
これも歴史?

映画のコーナーと重複になってしまうのですが、昭和40年頃の「父ちゃんのポーが聞こえる」という、小林圭樹、吉沢京子主演の映画をご存知ありませんか?
この映画は、母の従姉妹が書いた同名小説を映画化したものなのですが、私はまだ、その本も、映画も見たことがないので、ほんの少しでも、この作品について、知りたいと思うのです。
映像が残っているのかも分かりませんし、本は、絶版になってしまっていて、手に入りません。
神田の映画専門の古本屋に行けば、あるかもと思うのですが、なかなか東京に行けないもので



#2270 
のよりん 2002/01/19 10:54
〜子型の嚆矢

女子の名前で「〜子」となるのは藤原不比等の娘たちからでは?
宮子(資料によっては宮子娘)、長蛾子(笠子娘、笠子媛)、光明子(藤三娘)の三姉妹はそろってふたつ名の「〜子」型ですね。
皇族の場合は嵯峨天皇の娘世代からのようです。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/haiyaku/index.html


#2269 
五番街 2002/01/19 07:16
私服刑事(雑談ばっかですみません)

このところ雑談ばっかりですみません(ペコッ)

私の住まいの近くには、24時間営業のピザショップ、レストラン、スーパー、ベーゴル・ショップなどが多く、警官が深夜の休憩時間に軽食をとりにやってきます。といっても、こうした店が警官のたまり場になっているのではなく、食事はパトカーの中でとっているようです。しかし、近頃は寒いもんで、彼らを見るために深夜に外に出てゆく気にはなれません。

で、制服の警官とともに、ラフな格好をしたオジサンなんかもいて、私服刑事だなと気がつきます。一回だけですが、ジーンズのうえに粗末な汗まみれのTシャツを着て、髪もとかず、腰にはホルダーに入れたピストルをぶら下げているという若い女性の私服刑事を見たことがあります。

考えてみれば、こうした私服刑事が、警官を示すIDをチェーンで首から下げているってもの、自分から警官であることを宣伝しているみたいで、それじゃあ、何のために私服なのか分からなくなります。むろん、私が見た私服刑事と思える人たちも、そんなもんを首から下げていたような気はしません。で、やっぱ、犯行現場や犯人逮捕に向かうときなどの、特定の状況で、首からぶらさげるんじゃあないでしょうかねえ。

あ、ついでに、ベーゴルは、ドーナツ状の堅パンでもともとユダヤ人の食べ物であったようですが、非ユダヤ人も好んで食べているようで、アチコチで売っています。しかし、食べてみると、噛みごたえがあるんですが、顎がつかれるので、私はあんまり食べませんが。



#2268 
おやかた 2002/01/19 00:42
平安時代の名前

平安前期の名前には、なぜか現代的な名前があるような気がして、ずっと気になっています。博雅、良房、高明など。
それから、一文字名前の融、信なども現代でもありの名前だなあと思います。
平安期を舞台にした小説「なんて素敵にジャパネスク」では主要人物の男性の名前は
「融」と「高彬」です。歴史になじみの無い読者層でも受け入れられる名前だったのでしょう。
女性の名前は、藤原薬子あたりから子がつくようになったと思うのですが、
その変化には、なにか理由があるのでしょうか?それまでずっと「郎女」とか
「娘(おとめ)」とかだったのに。




#2267 
徹夜城(第三回はまだ一文字も書いてないぞと威張る管理人) 2002/01/19 00:36
伝統芸?

NHK京都で女性を人質に立てこもっていた右翼のオジサン、とっ捕まりましたね。4時間のにらみ合いの末でした。日本の警察ってのはこういうとき実に辛抱強く、かつしたたかであります。
当事者であるNHKの映像を見てましたら、犯人が水を要求し、刑事がペットボトルを手渡す。手渡した刑事が何気なく戻っていくときにサッと合図。一斉に警官が飛び掛り御用。
「七人の侍」の勘兵衛(志村喬)か?もっともあれも元ネタあるんですよねぇ。誰の話だっけ。
取り押さえに際しては江戸時代以来おなじみの刺股(さすまた)が使われておりました。

>スズメ♂さん
そういえば前から思ってたんですけど、「麻呂」ってのもそもそも何なんでしょ。奈良時代に集中的にいる名前ですね。時代劇なんかだと公家さんといえば「まろ」の一人称を使っております。近代でも近衛文麿なんてのがいますが…

>「太平記大全」の参考文献に追加。
歴史のトップに更新記録が出てませんが、「太平記大全」の「参考文献大全」に書籍の追加情報があります。前にもチラッと話題が出た「太平記」脚本を収録したムックの紹介文です。
僕はいまだに入手してないんですが(当時なぜ気がつかなかったのか不思議でしょうがない)、なんと当時編集に関わっておられた方から詳細な情報をいただいたのでそのまま掲載させていただきました。興味のある方、ご覧下さい。



#2266 
スズメ♂ 2002/01/18 21:27
古代人の名前

みなさん、こん^^は。おひさしぶりでございます。

最近巡回してなかったのですが、きょう眺めていると馬子や入鹿のことが..。
蝦夷も含めて、蔑称説(?)は根強いですねぇ。

確かに、「毛人」よりも「蝦夷」の方が悪意が感じられますが、
(東国の服従しなかった人々に対する用語として)
でも、動物の名前なんて古代ではムチャクチャありふれてます。
特に、ウマ・サル・トラといった十二支にからむものは多いです。
(生まれた年の干支による場合もかなりあったらしいです)
そんなこと言えば、「鎌」なんて動物以前の道具ですよ、藤原氏の祖が(^^;

古代人の人名は、史書や戸籍などで見てみると、古い時代は単純・即物的なもの
(<例>蘇我「馬子」、小野「妹子」、東漢「駒」、鞍作「鳥」)が多く、奈良時
代前後に「麻呂」が大流行し、奈良後半ころから漢字2字の無難な(^^;名前
(<例>藤原「広嗣」、橘「諸兄」、淡海「御船」)になり、平安前期の嵯峨朝を
境に、いわゆる嘉字2字(<例>源「博雅」、藤原「伊周」)に落ち着きます。

「後世の悪意で改竄」って、よく聞きますが、漢字表記くらいならともかく、
個人の名前をでっちあげるのは無理なんじゃないか、と思っています。





http://member.nifty.ne.jp/suzumei/suzume.htm


#2265 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/18 21:16
思い出しました。

映画ブラックレインで、マイケル・ダグラス扮する
アメリカの刑事が、松田優作サン扮する日本のヤクザ幹部
のアジトに踏み込む前に、チェ−ン付き警察バッチを
首に下げてから、銃を抜く場面がありました。
バッチを手で持って掲示するというのは、
バッチを持つ手が使えなくなって、現場、修羅場では
危険で、かつ、落として、奪われたりせぬように
私服刑事は、ガサ入れ、突入の際は警察バッチを
首に下げるそうなのだとか。しかし、制服警官には
その必要は無さそうですね。

>五番街さん
確認、よぉく見ておきますって、そんなに警察、
私服刑事をよく見かけるような環境に住んで
おられるのですか?あ、そうか、
N.Yって、未だ、戒厳令下で
警官やら私服刑事やらFBIやらCIAやら
うじゃうじゃ、警備や捜査してそうですね。



#2264 
徹夜城(いちおう倭寇専攻の管理人) 2002/01/18 20:09
前期倭寇と後期倭寇

>大学生さん
12月、1月になると課題が出される時期なのでいろいろとご質問を受けるようになりますね。
ご質問の件ですが、実はかなり大変な問題なんですよ〜僕みたいに専門的にやってるとかえってね。このテーマだけで本一冊書けます(笑)。
とりあえず簡単にヒントめいたことを書いておきます。

★一般論★
その課題を出した先生がどういう趣旨で出されたのか分からないので、まず一般論的なことを書きます。「教科書的見解」とでも申しましょうか。
「前期倭寇」と「後期倭寇」の違いは時期的なことがあるのは当然です。前期は14世紀、後期は16世紀をピークとします。間にやや中断時期があるのは確かでそのことから「前期」「後期」という分類がなされるようになっています。
そしてもう一つの違いが構成員と侵攻対象地域。前期は日本人および朝鮮人の混交集団であったといわれ、対象地域は主に朝鮮半島南部と山東半島方面でした。後期は中国人が8〜9割を占めていたと言われ、対象地域はもっぱら中国長江河口付近、福建、広東方面でした。後期倭寇は貿易商人出身者が多く、明の海禁政策に反抗した活動だったと言われています。

上記のは一般論でして、普通はこれをベースに書けばマルになります。ただ、ちょっとは専門の書籍で調べてからお書きになることをお薦めします。上記のまんまでは用語集の説明と変わりありません。

★最近の研究動向など★
こっからはやや専門的な部分を含めておきます。
実は以前からある議論なのですが、「前期」「後期」に分ける必要がホントにあるのか、という意見もあるんですね。バッサリ二者に分けて「同じ倭寇でも全く異なるもの」って捉えるのが定説みたいになってたんですが、最近ではむしろ両者の連続性を重視する傾向があります。「前期」においても中国の海賊とのつながりがあった可能性が高いですし、「後期」においても前期と似たような朝鮮半島方面への活動もみられます。
また、最近では「日本人」「朝鮮人」「中国人」と区別する近代的な発想を捨てて「倭人」という多民族混交状態の人々が「倭寇」の主体であったと考えるようにもなってきています。「倭=日本」という固定観念は捨て去るべきだと言うことですね。
このあたりのことは、僕が「俺たちゃ海賊!」コーナーで紹介している専門書を当たってみてください。岩波新書「中世倭人伝」(村井章介著)教育社「倭寇」(田中健夫著)などがお薦めです。

>ホリー・ハンターさん、五番街さん
日本警察の新警察手帳の写真を見たんですが、モロにハリウッド映画でおなじみの警察バッジでしたよ(笑)。ほら、あのパッとバッジの重みで開くやつ。やっぱりアメリカのものを真似させていただいたんだそうです。これからは刑事ドラマ定番の手帳見せシーンもハリウッドスタイルになるわけですなぁ(笑)。

>ジュニアさん
ふーむ、ルソーはそんなことを言ってたんですか、面白いコメントだとは思うんですけど、いささか刹那的な生き方という印象も受けちゃう言葉ですよね。



#2263 
五番街 2002/01/18 03:14
さあ、どうなんでしょう

>アメリカの刑事は、紛失せぬよう警官証、バッチはチェ−ンを付けて
>首に下げるって聞いたことありますがホンマですか?五番街サン。

さあ、どうなんでしょうねえ。一般的に、いわゆる写真付きのIDをチェーンをつけて長いネックレスのように首からさげている人の姿はよくみかけるんですけどね。これは、社内に入るときとか他のオフィスに行くときなんかにIDの提示を求められるからですが、いちいちサイフやポケットなんかから抜き出して提示するのが面倒だからこうやっているようです。でも、警官の場合は、そんな必要性はないように思うんですがねえ。今度、じっくりと観察しときますわ。



#2262 
大学生 2002/01/17 23:27
教えて下さい!!

「前期倭寇と後期倭寇の比較をせよ」と大学の課題で出題されたのですが、前期倭寇は南北朝時代のことを指し、後期倭寇は16世紀後半からのものを指すということしか分からないです。
前期倭寇と後期倭寇の事なら何でも良いので、知っている方教えて下さい!!(+.+)



#2261 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/17 22:17
警察手帳が一新されるとか。

警察手帳は今度から、半面は本人の写真が免許証のように
掲示されて、もう半面は、どでかい桜の代紋バッチが貼られた
ものになるとか。それってアメポリみたい。
アメリカの刑事は、紛失せぬよう
警官証、バッチはチェ−ンを付けて
首に下げるって聞いたことありますが
ホンマですか?五番街サン。



#2260 
ジュニア 2002/01/17 22:02
ルソ−!!

「不確実な未来のために現在の生活を犠牲にするな」ルソ−の言葉についてどう思いますか?



#2259 
徹夜城(ニュースは少々斜めに構えてみる管理人) 2002/01/17 01:32
ためこみレス放出

肩書きのところに書いた件ですけどね。
ブッシュ大統領がお菓子を喉につまらせた話、最初知ったとき思わず爆笑したのですが(いや、これで万一のことがあったらシャレにならなかった)、しばらくたって考えちゃったのです。もしかして喉につまって失神したのではなく、「失神」が先だったりするのではなかろうか、と。
いえね、あの大統領、見た目からも精神的にはナイーブな気がするんですよね。体調崩していたって話もあるから、倒れて怪我したのをごまかすために「笑い話」を仕立てたんじゃなかろうか…などと。
やはり深読みしてしまったニュースが私も在住する茨城県、その石岡市長(ちなみにこの市は常陸国府があったところです)が逮捕された一件。地方自治体のトップが現役で捕まることは決して珍しくないのですが(だいたい前茨城県知事もそうでした)、この石岡市長の逮捕、妙に大きな報道がされてません?どうもこれ、中央政界につながる話になってるんじゃないかなぁ、と。

>おかるさんの件。
五番街さん、のよりんさん、情報どうもでした(^^)。
僕は「おかる」といいますと高倉健サンが大石を演じました「四十七人の刺客」での宮沢りえさんのイメージで固まっちゃってますね。

>「関ヶ原」DVDの件。
Q世代さん、購入祝いどうもです(笑)。
一通り見返したのですが、今年の大河ドラマの主役二人の「その後」にかなり触れるのが面白いところですね。利家は辰巳柳太郎、まつは沢村貞子と、まぁ凄い顔合わせです。
杉村春子の北政所をまつが訪ねるシーンは好きですね。「おまつさん、堅苦しい挨拶は抜きやでぇ」から始まる二人の昔話はホロリとさせられます。秀吉がわざと間違えて利家の家に入っていって…なんて笑い話も出てくるんですよね。

>ムロタイ関係。
えー、毎度どうもです。まだ第二回、これからちゃんと更新が続くのか、ちょっと不安も感じております(^^;)

>山口浩さん
そうですね、尊氏のもとでの細川一門の活躍ぶりは目を見張るものがあったようで。定禅なんか大変な猛将として名を馳せていたらしいですもんね。ドラマ「太平記」では湊川の戦い周辺で名前こそ出てきたものの、登場はしませんでした。出番は兄貴の顕氏にもってかれた形です。

>古屋三日月さん
すいませ〜ん、直義は当初から出ない予定だったので…中途半端に出すと欲求不満が出るでしょ(笑)。いや、ホント、出したい気分もかなりあったのですが、ストーリー展開上のバランスの問題もありまして…出したとしても4回ぐらいで死んじゃうはずですし。
三日月さんのほうででも「二枚目直義」が暴れる南北朝ものでもやってくださいませ(^^;)。

>アール・ケイさん
義詮は伝わっているエピソードを重ねるだけでまさに「右往左往する二代目」になっちゃいますので、乞うご期待(?)。なにせ唯一の政治的業績が「死ぬ間際に頼之を管領にしたこと」なんて後世の史家に書かれちゃってるぐらいで…(^^;)
アール・ケイさんもいろいろと仮想大河ネタをもってらっしゃいますよね。ぜひぜひ公開していってくださいませ。ご紹介のような国際的荒唐無稽ネタも僕、かなり好きですので(^^)。

>おやかたさん
感想どうもです(^^)。NHKの大河もそうですが、女性陣の見せ場をつくるのはこの手の乱世ドラマでは一苦労でして。義満が成長するころになるといろいろとエピソードが多くなるんですがね。それまでは架空、半架空とりまぜてもたせます。
日野家が将軍正室を出すようになったのは義満の正室が最初でそれ以後定例化したんですね。なお、今回登場した渋川幸子については今後の展開に注目…なのですが、一言書きますと、名著『南北朝の動乱』で佐藤進一氏は「義満の頭を押さえられるのはこの女性だけだったらしい」とか書いてらっしゃいます。



#2258 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/16 22:39
食道閉塞

日本人は、喉詰まらない民族ってわけでも無いでしょう。
私は別に高齢者でも無いですが、経験上、非常な空腹時に
いきなり、ご馳走を差し出されると必ず喉が詰まり食道閉塞
を起こします。4〜5日も食物にありつけ無くて
急に旨いものを振る舞われたら、どんな人種もガっついて食道閉塞と
気管支閉塞を併発し、呼吸困難となり、下手をすると死ぬ恐れが。
羽柴秀吉が毛利方の城を兵糧攻めにして城内の人間を日干しにして
降伏させた際、秀吉は大鍋を用意して降伏した将兵たちに
ご馳走を振る舞ったそうですが、飢えた彼らは、がっついて
喉を詰まらせ、多数の死者が出たそうです。
やはり、がっつくのは体に良くないようで。



#2257 
おやかた 2002/01/16 21:45
ムロタイ見ました

遅くなって申し訳ありません、管理人様・・・。
実は文字数の多さに恐れをなし敬遠していた怠け者でした。
が、読み始めたら面白い!続けて2話読んでしまいました。次が楽しみです。
感想は、かゆいところに手が届くといいますか、人物の行動に裏づけがあるのが
(心理的にも、史実の面からも)いいなあと思います。刀をもらった女の子は、
キーパーソンになりそうですね。「元就」の葉月みたいになるのでしょうか・・。
あと、義詮妻は日野家の出ではないのですね。女傑だったという資料があるのでしょうか?やはり、女性陣に目がいってしまう・・・。
楽しみにしております。がんばってください。



#2256 
五番街 2002/01/16 07:01
のどづまり

アメリカの多くのレストランでは、客がのど詰まり(choke)を起こした際の、介抱の仕方を図入りで説明したポスターを壁に掛けています。私が始めてアメリカに来たときに、あれっと思ったことの一つが、こののど詰まりのポスターです。こんなものは日本にはありません(と、わざわざ書くほどのことでもないのですが)。

日本人がのど詰まりを起こすのは、高齢者が正月に餅を食べた時くらいのものですが、アメリカ人はよくのどが詰まるようです(って、しょっちゅうというほどでもないようで、日本人に比較すればという程度ですが)。私がレストランで食事中に、近くのテーブルの高齢のアメリカ人がのどづまりを起こし、ウエイターなんかがすぐに介抱して、事なきを得たことがありました。小ブッシュの場合、大ブッシュも日本で吐き上げて転倒したという事件を起こしたことがあるので、家系的にのどが弱いのかも知れません。

あ、のよりんさん、おかるさんの子供の情報をありがとうございます。



#2255 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/16 01:51
ブッシュ危機一髪かよ?

大統領が、お菓子食いながらスポ−ツTV観戦とはね。
まぁ、ああゆうお方が生観戦しようとしたら
シ−クレットサ−ビス仰山付けて大名行列しなきゃならん
から、TVで我慢せにゃならんのかね。しかし済んでのとこで
何ともセコイ死に方をするところだったね。
しかし、お菓子で喉が詰まるって、あの人、食道が細いの?
相当、体がガタきてんのとちゃう?
大統領の健康診断表ってCIAが厳重に保管してんのかな?



#2254 
のよりん 2002/01/15 22:48
その人の名は

>おかるさんの子供がどうなったか
うちのサイトからつながっている「大河ドラマ&時代劇:登場人物配役事典」の「おかる」の項目にその行く末が載っております。
「可留」というのは京都時代の大石家に仕えてからの候名で本名は「おかや」というらしいですね。
この人に関しての研究の概要は舟橋聖一の『新・忠臣蔵』に詳しくでております。

入鹿は多臣に蝦夷は加茂臣にそのまんまの文字の人物がいますね。
柿本猿(袁の部分が爰が正解)は人麿の兄弟(御神本氏の系図)ないしは本人と云われている(梅原猛説)官人ですね。
“猿”の兄弟が“人”っていうのは人麿作の説のある“えのゑをなれゐて”でおわる「いろはうた」でも対語でいわれてましたねえ。


http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/haiyaku/index.html


#2253 
五番街 2002/01/15 16:10
遅くなりましたが、徹夜城さんへのレスです

>最近の忠臣蔵映画・ドラマでは大石が「おかる」という娘に子供を生ませて
>しまうという設定が多く見られます。これは何か確かな元ネタがあるんで
>しょうか?それが「仮名手本忠臣蔵」の「お軽」になっていくってことで
>あるようですが…(徹夜城さん)

レス、遅くなってすみません。アメリカに来てから長くなるので最近の忠臣蔵映画・ドラマは全く観ていない状態ですが、なんとなくどこかで聞いたような気がします。
元ネタはおおありで、大石がりくを離縁した後の愛人が「軽」です。このおかるさんは、大石が江戸に下った後に一子をもうけたと言われています。

三男の「大三郎」クンは、その後、本家の芸州浅野藩に仕え、1500石という禄高が与えられています(父の内蔵助が筆頭家老として同じ禄高であったことを考えると、本家も同様の処遇をしたのかも知れません)。ちなみに、内蔵助の長男主税は父親とともに討ち入りに参加して16歳で切腹、次男の吉千代は僧籍に入った後に若くして死亡し、大石の家系は大三郎クンが受け継いでいます。おかるさんの子供がどうなったかは知りません(ひょっとすれば、研究者なら知っているかも。なお、大三郎クンの11代目の子孫の娘が演歌歌手の大石雪絵です。



#2251 
アール・ケイ 2002/01/15 02:50
打てば響くぞ、ムロタイファン

いやいやいや、管理人さまの努力が報われるような、ご熱心な反応があってよろしゅうござんしたですね。
わたくし的に云えば、『太平記』(NHKのね)で描かれた部分は遠景として、それこそ九州から眺めるとかそういう処理でもよかったように思うのですが。
もちろんアバンタイトルで『太平記』の映像を引用するわけです(笑)。
ただ、それだと主人公の若き日の頼之の活躍が描けなくなるから駄目ですよねー。私は頼りないイメージのある義詮の右往左往ぶり(2代目はツライですな、秀忠にしてもそうだし)と、尊氏の死後の直冬についてのくだりが早く読みたいです。大期待!

昔、ある無謀な大河ドラマ企画を考えたことがあります(このハナシ書いたっけ?)。「大河」ドラマではなくて「大洋」ドラマなんですな(笑)。同時多発テロ、じゃなくて(笑)、世界同時進行で、12世紀後半から14世紀ぐらいまで、鎌倉、京、蒙古、南宋、ローマ、パレスチナ、イングランド、そしてインカとそれぞれに主人公を立ててドラマを書いていくというお馬鹿な企画でして、それぞれの間を、悪源太義平やらイェスゲイ(チンギスの父)やら漂流民やら混血児やらが渡り歩いてドラマを繋いでいくという趣向でした。主人公格だけでも50人、総登場人物は数百人を下らないというこの企画、ものの見事に頓挫いたしました(笑)。ま、若書きというか、なあんにも知らないから考えるような良く云えば気宇壮大なハナシなんですがね。

でも、実は諦めていなかったりするから我ながら困るのですが(爆)。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2250 
Q世代 2002/01/15 02:40
「関ヶ原」・馬子、入鹿など

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
管理人様は「関ヶ原」のDVDご購入おめでとうございます。
いやホントに、あのスタッフ&キャストで、そのまま「城塞」に突入してもらいたかったですよ。

えー、馬子や入鹿が蔑称かというのは、間に挟まっている蝦夷の名前もあって前から言われてますけど、蝦夷について言えば、後に佐伯今毛人なんて人もいましたから、蔑称とも言い切れないんじゃないかと思います。柿本サルなんて人もいたようですし、ここは動物の神妙な力にあやかるためにつけられた名前、と素直に解釈したいところです。

蘇我氏が渡来系だったという説を採れば、馬子の名はそれによる関連が考えられるかもしれませんけど、ここまでくると空想ですね。

それではまた、ときどき書き込ませていただきます。本年もよろしくお願いします。



#2249 
古屋三日月 2002/01/15 02:23
ムロタイ第2回

今回もしっぽ振って拝見させて頂きました。
個人的に観応の擾乱辺りから1367年までが、今一番興味ある時代なので
出演リストを見るだけでものすごく楽しいです(^-^)

今回は師直クーデターが取り上げられていましたね。
観応の擾乱での各武将の動きって結構複雑ですよね、
そこをどういった動機で動かすのか、とても楽しみにしていました。

ここでの頼之と清氏のちょっとしたエピソードから、
性格の違いが浮き彫りになっていていいですね(^-^
火と水のように対照的な二人のこれからの愛憎劇(?)期待しています。

それにしてもここでの清氏は徹夜城さまの愛情を受けてとても魅力的ですね〜。
配役によっては頼之がかすんでしまうのではないかと心配です(笑)

ところで直義、今回出て来ないのですね(T_T)
これからもずうっとなのでしょうか?
ああ、彼へのギャラは私が出します、出演させてあげて下さーい!!



http://www.anotoki.com/top/index.html


#2248 
山口 浩 2002/01/15 00:54
ひきつづき

どうも山口です。引き続き、「室町太平記」読ませて頂きました。
細川氏視点の南北朝というのも非常に面白いですね。

しかし細川氏って足利一族の中では甚だ寒門なのに、尊氏の六波羅攻め以降は
一気に足利軍の主力ですから、よっぽど精強で尚武の気風が強かったんでしょうね。
和氏、頼春、顕氏、定禅らの苦闘がしのばれますな。

http://www9.big.op.jp/~hiroshi1


#2247 
徹夜城(祝日だってのにこれから仕事にでかける管理人) 2002/01/14 10:45
読破、ありがとうございます

>山口浩さん
「大全」の読破、どうもありがとうございます。そうですか、10時間もかかりましたか。熱心に読んでいただけて書き手としては嬉しい限りです。
「研究者」…ってわけでもないんですけどね、少なくとも南北朝に関しては。あれはあくまで趣味です(笑)。
そもそも小学校高学年ぐらいで「三国志」にハマっちゃったあと、「日本史でそれに匹敵するのは?」などと探していったら「太平記」になっちゃったという次第でしてね。世の中「三国志」マニアは多々あれど「太平記」マニアは絶対少数だろうなぁ。
…なんてったってあの天下のコーエーが南北朝のSLGだけは作ってませんから(涙)。

「大全」にも紹介してありますが、その昔PCエンジンCD-ROMで「太平記」ってゲームがあったんですよね。昨日チラッと調べてみたら細川頼春さん、なかなか強い。統率力・戦闘値それぞれ80(もちろん100が満点)台。ま、建武新政の時に弓の腕を披露して後醍醐天皇からご褒美をいただいたという、なかなかの武芸者ではあったようです。私の「仮想大河」だとなんだかノンキなお父さんになっておりますが(^^;)。
肝心の頼之や清氏ですが、ゲーム中の時間がかなり経たないと登場しないようでして、確認できていません。
いっぺんこのゲームの武将データを全部確認してみたいなぁと思うこともあるのですが、物凄く大変な作業になりそうで…(^^;)あ、なお建武新政に尊氏が反旗を翻した時点がスタートなので、鎌倉幕府関係者はいっさい登場いたしません。

第二回はなんだか趣味に走ってあれこれ出しちゃってます。「倭寇」は実はこの仮想ドラマの全体を貫くキーワードになっちゃったりするんじゃないかと思ったりもします。
なお、「史点」も更新されてます。週刊連載2本とは僕もまぁようやるわ、と感じてます(^^;)。



#2246 
山口 浩 2002/01/14 00:05
凄いです・・・。

「太平記」大全、10時間かけて一気に読破させていただきました、数々の名場面が甦ってきまして、感無量でした。
解説も、管理人さんの研究者のしての知識が披瀝され、大変興味深く読ませて頂きました。
自分も趣味でWeb上に南北朝コーナーを作っているのですが、まだまだ、といったところです。まず参考資料の明記から始めなきゃいかんのですが・・・・。

http://www9.big.op.jp/~hiroshi1


#2245 
かもねぎ 2002/01/12 22:59
リンク貼らせていただきました

こちらには初めてカキコさせていただきます。
北条ファンなかもねぎと申します。
ずいぶん昔にリンクの許可をいただいたのにもかかわらず、
今になってようやくこちらからもリンクを貼らせていただきましたので
御報告にあがりました。遅くなってしまい、申し訳ありませんでした〜;

太平記大全にはいつもお世話になっていますが、室町太平記の連載も
とても楽しみです♪(個人的には世阿弥の「(義教が)サドだけに
佐渡島」のところで大爆笑してしまいました^^;)
これからの展開に期待しております〜!

http://www1.plala.or.jp/kamonegi/HOUJYOU.HTML


#2244 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/12 20:35
馬鹿は今頃になって訂正いたせし。

すいません。『馬』の字の付く人で勇ましい人に
前田馬之介と書きましたが、上田馬之介でした、プロレスラ−の。
前田馬之介は『マカロニほうれん荘』に出てくるキャラでしたね(汗
でも、この前田馬之介という人も何事が起きても
例えインド人もビックリする事が起きても、動揺しない、動じない
(単にボォ〜っとしてるだけか?)
呆けの境地に達した冷静な人物でしたね?ある種、勇ましい?(自爆



#2243 
のよりん 2002/01/12 13:38
アホの語源

阿呆ってのは正式には阿房と書いて、秦の阿房宮が語源ではなかったでしたっけ?

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/haiyaku/index.html


#2242 
徹夜城(日本語変換は難しいと思う管理人) 2002/01/12 01:09
訂正・補足

下の書き込み、「創作で生めて」→「創作で埋めて」ですね。やれやれ。

書いておこうと思って忘れたことですが、やはり「ムロタイ」は「見切り発車」に近いんですよね。というか調べ続けているとキリがない、ってこともありまして。
それにしてもいざ始めてみると新たな疑問もわいたり調査不足を実感したりする一方で、勝手に登場人物のキャラクターが定まって彼らが勝手に行動しはじめ、ストーリーが妙にすいすいと進むところがあったりするのも面白いところです。



#2241 
徹夜城(明日までの締め切りを二つも抱える大馬鹿な管理人) 2002/01/12 01:03
多謝、多謝。

>長尾っぽさん。
はじめまして。書き込み有難うございます。
「室町太平記」は公開直後から書き込み、メール等でかなりの反響をいただきまして…いやぁ、実は南北朝・室町の需要って結構あるんじゃなかろうか、などと思ったりもしました。もちろん「欲しいものは自分で探す」というネットならではのことで、TVなどとは違うのでしょうけど。
「太平記大全」もお楽しみいただいているようで嬉しいです。あれとリンク先の「私見太平記」を読めば、もうあなたも「太平記」を観たも同然です(それは言いすぎか)。
僕は総集編の後半はまだ見てないんですよ。観応の擾乱のあたりなんてかなりザクザク切られてるんじゃないかなぁ。第三巻「建武の新政」はうまく編集できる気がしますけどね。

>ホリー・ハンターさん
そもそも「馬鹿」って言葉、いつから使い始めたんでしょうかね?
「バカ・アホ文化論」(笑)は以前にも話題に出たことがありましたが、いずれもいつごろから使っていた言葉なのか、今ごろ疑問を持ちました。「アホ」は「阿呆」ということだから漢語系の匂いもしますけど…

>タロイモさん
いやー、かなり詳しいとこをお調べになりましたね。僕も勉強になりました。
「ムロタイ」(この短縮形はかなり前から決めてあったんです)の資料調査はかなり不十分なのは自覚しているところでして、現地取材および地方の歴史にほとんど当たってないんです(孫引き程度ですかね)。だからこの手の情報は大変助かりますです。
タロイモさん以外でも「こんな情報がある」という方はジャンジャン書きこむなりメールでください。こちらが重大な情報を知らずに勝手にストーリーを作っちゃわないうちにお願いします(笑)。いやホント、戦国ものなんかと違って情報不足なところが多くて創作でかなり勝手に生めて進めてますもんで。
第二回は「観応の擾乱」前哨戦の内容となるのですが、いろいろ読んでると細川一族の活動について食い違う点もあって整理に苦労してます。



#2240 
タロイモ 2002/01/11 23:04
四国と細川氏について

「ムロタイ」(最初見たとき、ムエタイと勘違い^^;;)は
四国地方が中心舞台になるようですね。
ところで四国と細川氏との関係で、「新編 岡崎市史 中世」に興味深い記述があったので
書込んでみます。仁木氏と細川氏についての記述なのですが、

足利氏被官と同様に、狭小な基盤しか持たない両氏に対しては諸国に散在した足利氏所領内
に給地や所職が与えられていた。(中略)細川氏の阿波国秋月荘三分の一は、その例と
推定されており【小谷俊彦「鎌倉期足利氏の族的関係について」より】
仁木氏、細川氏は一面では足利氏所領経営の現地役人的な存在であったといえる。

「新編岡崎市史」の記述によれば、細川氏と阿波国との関係は南北朝以前に
さかのぼるようですね。

ところで上記の阿波国秋月荘は、現在の徳島県土成町になるようで
ここは室町時代の細川氏の初期の居城があったところですが、
三木武夫首相の出身地でもあるようで、細川頼之と
どこかイメージが繋がるところがあるような・・・
(三木首相は復活できませんでしたが)

この土成町には、かつて南明山補陀寺という禅宗寺院があったようで、(安国寺も)
細川和氏の第五子の(細川清氏の弟にあたるようです)
笑山周興(1336〜1383)という人物が初代住持だったようです。
この人は10才で京に上って教えを受け、後に夢窓疎石に師事。
1383年に京の天龍寺で没した、という来歴の人物ですが
この人も「ムロタイ」に登場しそうな しないような・・・
以上の徳島県についての記述は「土成町史」を参考にしました。

あと大内義弘も「日本国王」を狙ってる設定とのことで
面白くなりそうですが、「日本国王」と同時に「百済王」まで
要求しそうな気も・・・^^;;



#2239 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/11 21:53
馬鹿の由来、効用ねぇ〜。

馬や鹿には迷惑なことでしょう。でも、『馬』、『鹿』の一字を
頂いた人や集団には勇ましいのが多いですよね。前田馬之介とか、鹿島アントラ−ズとか。
だから本来なら、馬も鹿も付いてる『馬鹿』は相当、勇ましい象徴でなくては。(汗
ところで、標準語で馬鹿と同意語な言葉は、各地で色々な方言があるようですね?
関西では無論、アホが其れに該当されますが、アホとゆう言葉じたいは
それほど強い侮蔑の意味は無いらしく、関西の人は挨拶代わりにアホ!と
言い合ってるようですし。やっぱり、東京の人に、バカ!って言われるのは
一番コタえますよね?(自爆)ちなみに私の住む富山県でバカと同意語は
『ダラ』。関西人がよく言う『あほんだら!』の省略形かも。



#2238 
長尾っぽ 2002/01/11 00:36
「室町太平記」楽しみです。

はじめまして。
最近になって南北朝や室町時代に興味が出てきて足利義満あたりが
大河の主役になったらおもしろいかも〜と、思ってたところに、
こちらの「室町太平記」が始まったのを見て大喜びしてます。
2回目以降もがんばってくださいね。

「太平記」大全も少しずつ楽しく読ませてもらってます。
当時の私はどーして数回見ただけで、見るやめてしまったのだろうと
後悔しきりです。
総集編なら見てみましたが、気がついたら第3回と第4回だけを
何度も見直してました。私にとっては後半の方がおもしろいのかも。



#2237 
徹夜城(教師もどきと同時に学生もどきだったりもする管理人) 2002/01/10 00:12
馬と鹿

>鵺さん
はじめまして。書き込み有難うございます。
そうですかぁ、僕が教えてるぐらいの世代ですね、確かに。もっとも僕は厳密には「本職」ではなく正式には学生身分(だいぶ歳はいっとりますが)なので実のところ教え子たちと気分的にはそんなに変わりません。

まず「馬鹿」という言葉の由来について触れておきましょう。
「広辞苑」で「ばか」を引きますと、「梵語(サンスクリット語)に由来する。馬鹿は当て字」という説明があります。仏教用語に由来があるが語源については二説並べて書いてましたね。漢和辞典で「馬鹿」を引きますと、やはり日本のオリジナル熟語であることが記されていました。こうしてみると漢籍由来では無いのだと思わざるを得ません。
そんなわけで秦の二世皇帝と趙高の逸話から「馬鹿」という言葉が出来たってのは俗説だと思ってます。これは漢籍に詳しい方に聞いたほうが言いかなぁ。
ただ馬子と入鹿の名前が悪意をもって後世つけられたというのもやはり俗説のうちでしょうね(その先生もネタとして話しておられるようにも感じます)。確かに間にいる「蝦夷」が良い文字ではないので議論はあるようですけど。

ちなみに僕の小学校のときの先生なんて教育TVの小中学生向け歴史番組(ドラマ仕立てのやつ)で北条時宗を指して「源頼朝」って言ってましたぜ(^^;)。

>本日の収穫。
奮闘努力の甲斐あって多少金銭的余裕が出来たので「関ヶ原」と「ゴッドファーザー三部作」のDVDを購入。双方のBGMにしびれつつこの文を書いております。
やっぱいいですな〜TBS「関ヶ原」。あのテーマ曲と共に「東軍」「西軍」に分かれて表示される豪華出演陣のロールがたまりません(笑)。先日、某巨大掲示板の日本史板を眺めていたら「関ヶ原」を史上最高のドラマとして絶賛するスレッドがたってました。「あのキャストで『城塞』やれ!(年齢的にだいたいあってる)」とのどっかで見たような意見までありましたよ。
そうそう、その某巨大掲示板には「太平記再放送求む」とか「室町大河ドラマを!」といった趣旨のスレッドもあります。一部僕の構想とかなりダブるのがあってギクリとしたもんです。

そういやぁ、NHK「人形劇三国志」、やるだろうと思っていたらDVDで全巻発売されます。1月末から2巻ずつ(1巻に4話収録)で半年かけて出していくそうです。



#2236 
2002/01/09 20:57
管理人様、及び常連の皆様、

初めまして。
以前からこのページは見ていたんですが投稿するのは控えていました。塾講師をなさっている
ような管理人様にとっては年代的にも「教わる側」の人間なので・・・何しろ大河を見始めたのは「吉宗」からですから(中学の頃です・・・)
このページは前から知っていたのですが本格的に注目し始めたのは司馬遼の「韃靼疾風録」を
読んだときで関連して色々調べているときにぶつかりました。倭寇、というか海上史って歴史を
追っているとチラチラと見え隠れする存在ですよね。あと「太平記」も勉強させてもらいましたが(まだ続きますね・・・)南北朝〜室町の映像化されたものって大河の太平記と花の乱しか
ないんですね、尊氏も義満も教科書の一級人物なのに。
あと質問というか話題を一つ
高校時代、日本史の授業で大化改新の下り、当時の教師が
「この大化改新で滅んだ蘇我馬子・入鹿の親子(あれ?蝦夷・・・)を一字取ると「馬鹿」に
なるんだな、だから馬子・入鹿って後世の人が名付けた(つまり捏造?)っていう説がある
んだ。大体動物の名前を付けるなんておかしいもんな。」
などといっていました。あれ?馬鹿って中国・秦の趙高さんが馬を鹿っていわせた事に由来しているじゃなかったっけ?それに「竜馬がゆく」で土佐に動物の名を付けることで神性にあやかろうという古俗があったから古代なら尚更その傾向が強いんじゃないかなぁ?と疑問に思ってました。多分漢籍に由来しているのが正しいと思うのですけど蘇我氏馬鹿親子説(笑)なんていう説があるのでしょうか?
ちなみにその教師は後に東郷平八郎と山本五十六を取り違えていました(汗)



#2235 
徹夜城(明日は例によって早朝出勤の管理人) 2002/01/09 00:41
日本国王争奪戦!

>タロイモさん
懐良親王は義満にとっては「日本国王」を争ったお方、当然出てきますね。案外登場は早いかもしれません。懐良、それを倒す了俊、さらに大内義弘なんかも「国王候補」だったみたいに描こうかなぁ…などと妄想を広げております(笑)。

三河よりの情報、ありがとうございます。
いやホント、時々不安になるのが「現地取材」をまるでしていないという点なのです。「ムロタイ」の舞台となりそうなところでは九州松浦ぐらいしかじかに行ったところが無いです。まぁそれを言い出すと中国や韓国はては北朝鮮まで足を運ばなくてはいけなくなるんですが(李成桂の「威化島回軍」ちゃんとやる予定だし♪)。
実はこの仮想大河、かなり珍しい「四国もの」でもあるのです。大河としてはなんと「竜馬がゆく」(昭和43)以来四国が「ご当地」になったことがないのですな。だから長宗我部元親とかやるんじゃないかとか戦国ファンの間でささやかれたりするんですが…NHK戦略的には細川頼之なんていいんじゃないの、と思うところもあるのです。少なくとも徳島・香川・愛媛の三県は頻繁に登場するはず。頼之さん、伊予の河野氏とは激闘を繰り広げますしねぇ。
斯波氏も頼之の仇敵ですね(っていうかこの人仇敵多すぎ)。この仮想ドラマ、合戦以外の政争描写が多くなりそうな気がしてます。なーんか史料読んでると日本の政界模様ってあんま変わってないな、などと思ったりしてます。

>おはけんさん。
おひさしぶりです。早速の書き込みありがとうございます(^^)。一回目だけでも楽しんでいただけたようで幸いです。二回目以降もよろしく。
「血わき肉おどる」は僕も理想とする言葉でして、「ムロタイ」もそうありたいとこころがけております。…だから清氏で前半引っ張ろうと企んでいたりするわけですが(^^)。

そうそう、アール・ケイさんへのレスで「配役」のことで書き忘れたことを。
ビリングがなぜあるの?ということですが、もうそれはアール・ケイさんのような方向け、というミもフタも無い話で(笑)…補足しますと「もし配役つけたらこの順序だよ」という意図もあるのです。
尊氏ですが、必ずしも「ゲスト」ではありません。しばらく後まで頼之と絡んでくるので…ただあまり展開上重要でないのも確かなので、あの位置になっております。道誉はもう完璧にトメになれる人しか配されない役どころになります。

>おやかたさん
おお、見にいかれましたか、「時を越えて語るもの」。
大石があの時期にあんな手紙を書いていたってのがドラマ以上の感動を呼びますよねぇ。
僕もあのひらがな草書体の文書はまるで読めません。訓練すれば読めるらしいですけど…



#2234 
おはけん 2002/01/08 23:21
感激!

 しばらく多忙で、大河ドラマ関連サイトことごとくから遠ざかっていましたが、ようやく復帰してみたら・・・この、徹夜城様の「室町太平記」!

 す、素晴らしい・・・・本編内容読んでるだけで、無駄なく・血沸き肉踊り、ほろりとさせられ、かつクスリと笑える・・・
 本気で一度、本物大河ドラマの演出をなさっていただきたいと思うばかりです。
 ああ、ワクワクです。今年の楽しみがも一つ増えました!



#2233 
おやかた 2002/01/08 17:51
国立博物館

行ってきました。
蒙古襲来絵詞の本物を見ることができました。
竹崎くんの姿を見つけたとき思わず「うじきつよし」
と思ってしまいましたが。
平安期の漢文調で楷書に近く書かれた文書(御堂関白記など)のほうが、
なんとなく何が書いてあるか分かります。中世以降の日記は解説を見ても、
その文字を確認することすらできませんでした。
管理人さんがおっしゃっていた、大石がりくを気遣う手紙は感動しました。
「祇園祭を見せてあげたい」とか。
一番面白かったのは、男衾三郎絵詞の「不美人な妻子」の絵だったりします。
ウェーブかかった髪に、高い鼻・・・。当時は、くせっ毛の女性は、それだけで
「不器量」と言われてしまったんだろうなあと、少し悲しいんですが、あまりにも
分かりやすい絵に笑えました。
ミュージアムショップに立ち寄ったのですが、新商品「埴輪ぬいぐるみ」がありました。馬と、犬と、踊る人々・・・。可愛かったですよ、馬と犬は。
踊る人、馬などの埴輪は、このミュージアムショップで様々商品化されていますが、
遮光器式土偶の商品はほとんど無いのですよね。私の友人で「これのレプリカがあったら買う!」と言う人がいるのです。どこかでご覧になった方いらっしゃいませんか?



#2232 
タロイモ 2002/01/08 02:17
もう一方の「KING OF ZIPANGU」

勝手に大河ドラマ 「室町太平記」
以前から構想があったことは、掲示板などで
時々話題に出てくるので何気に楽しみにしていたのですが
とうとう開始されるとのことで、私も楽しみです〜
私としてはもう一人の日本国王、懐良親王(日本国王 良懐)
がどのように描かれるのかも興味があります。
あと永楽帝もちらっと出てましたが、国際色豊かな展開のようで
宦官の鄭和も出てくるのか気になるところです。
これから長丁場になると思いますが、あまり無理せず
頑張ってください〜

あとは三河在住の私から、あんまし役に立たない
おまけの情報を一つ。
細川氏、仁木氏の三河での領地ですが、矢作川上流の
山と川に挟まれたあまり収入の無い狭い場所を領地にしていたようです。
かなり早い時代に足利の家来となっていた一族のようです。

今川氏や吉良氏の三河での領地は、矢作川下流の
開けた場所にある実入りの良い場所を領地にしていたようです。
こちらは本家の足利とは対等といってもいいぐらいの
家格だったようで、足利義氏は本当はこちらの系統に家督を継がせたかった
ようですね。
斯波氏も吉良や今川と同格ですが、足利の家来にあたる管領職は
斯波家に相応ではないというような意見もあったような。
細川清氏や細川頼之にとって、斯波氏は仇敵ですね。



#2231 
徹夜城(月曜はとくに帰宅が遅い管理人) 2002/01/08 01:05
世界は椿事で満ちている

西にビンラディンへの共感を叫んでカミカゼ自殺する少年がいれば、東に夫婦ゲンカでムシャクシャしたあげくスパイ上陸目撃話をデッチ上げる中年もいる。

後者のほうは仕事に行く途中携帯のニュースで知りました。この時点では「デッチ上げ」とは思われておらず、「ほへ〜」と僕も驚いたのですが(それでもこの程度のリアクションというのが平和ボケというやつなんでしょうか)、目撃談のあまりに「出来すぎ」と言いますか、スパイ映画の見過ぎのようなところが気になったのは事実です。それと江ノ島上陸ってのがピンとこなかったものです。
で、「見間違いかウソだといいんだがな〜」と思いつつ仕事に行き、帰宅途中で「デッチ上げ」を知ったようなわけで。ま、今年最初の史点ネタかな。

>五番街さん
いやー、長文の解説、恐れ入ります。ホントに勉強になりました。この件についてはドラマや映画を見比べている程度でちゃんと調べたことはなかったもんで…。
ついでと言っては何ですが、最近の忠臣蔵映画・ドラマでは大石が「おかる」という娘に子供を生ませてしまうという設定が多く見られます。これは何か確かな元ネタがあるんでしょうか?それが「仮名手本忠臣蔵」の「お軽」になっていくってことであるようですが…
先日見に行った国立博物館の特別展に大石が妻りくに送った手紙が展示されていましたが、この中ではりくが実家で生んだ男子・大三郎についての記述があります。「かわいらしい子とのこと、ぜひ見てみたいものだ」と大石が書いているくだり、泣けますねぇ。日付は元禄十五年七月二十五日。

>ホリー・ハンターさん
僕もあの「利家=傾奇者」って設定は気になってるんですけどね(最初だけなんであんまり生かされてる感じもしないんですが)、聞くところでは全く元ネタが無いわけでもないようです。この辺、どなたか詳しい方、教えてください。

>アール・ケイさん
花束ご祝儀、どうもありがとうございます。よろしくお願い申し上げます。
「有言実行」とお書きでしたが…有言して不実行の企画が多すぎますので(^^;)、その呼び名(?)はご返上申し上げます。あ、なお僕だって「遊び」でやってますので(笑)。解説の世阿弥クンの「暴走」はドラマ部分の照れ隠しですぜ。
配役の件ですが、本音は腹案あるんですよ、それぞれ(物故者も多いです)。まぁその辺は読んだ方のご想像に任せることにさせていただきたいと思います。

>古屋三日月さん
こちらでは初めまして。ようこそいらっしゃいました(^^)。早速の感想、恐れ入ります。
「1347」という数字は実はかなり前から決まってました。構想だけなら長いですから、これ(まさか「仮想大河」としてネット公開するとは思ってませんでしたが)。
第一回でうすうす察せられた方もいると思うので書いちゃいますが、作者は明らかに「清氏」が気に入っちゃってるんですな。ああいう自己破滅型暴走キャラというのに、語り手としての僕は惹かれてしまうものらしいです。分かる方にしか分からないけど、後期倭寇における「徐海」って首領もまさにこのタイプで、僕のお気に入りです。あ、でも主君には持ちたくない(爆)。
頼之が頼りなさげなのも「確信犯」です。それがいつの間にか大政治家に成長していく過程が描けたらいいなぁ、と思っております。
前半はこの頼之と清氏で引っ張りまくることになると思います。乞うご期待。



#2230 
古屋三日月 2002/01/08 00:02
はじめまして

徹夜城さま、みなさまはじめてお邪魔させて頂きます。
南北朝好きの古屋三日月と申します。よろしくお願いいたします。

今までちょくちょくロムさせて頂いたのですが、
「室町太平記」のあまりの素晴らしさに、思わず書きこませていただきました。

企画はうかがっていましたが、これほどとは!
素晴らしいです、嬉しいです!!
画面の前で小躍りしてしまいました!

どこから始めるのかが気になっていたのですが
そうですか1347年からですか!
確かに1330年代では頼之のエピソードないし、この辺りが妥当でしょうね(^^)

初回からいきなり今川貞世や楠木正儀などの重要な脇役キャラが
出てきてるし、本当にわくわくしました。

少年期でこんなに仲のいい頼之・清氏・貞世トリオが
これからどのように南北朝時代の荒波を渡っていくのか楽しみです♪
イエ史実は知っていますが、だからこそ徹夜城さまにどう料理されるか楽しみで(^^)

それから今はちょっと頼りなげな頼之の成長も祈ります。
何よりこれからの更新、とっても楽しみにしております。
大変だと思いますががんばって下さいね、応援しております。

以上、興奮したカキコで失礼いたしました。

http://www.anotoki.com/top/index.html


#2229 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/07 16:03
利家と まつ

幸か不幸か、第一回は見ました。
思うにキャストで松嶋、反町、竹野内はトレンディ・ドラマでは
よく共演してるので、若い世代に見てもらいたいとゆう狙いですか?
私も反町の信長はなかなか良いと思います、徹夜城さん。
下手をすると主役の唐沢・利家を食いかねないオ−ラが出てたス。
ただ、利家はカタブキ者だとゆう描写は、必要なのか、よく分かりません。
カタブキ者だったとゆう見聞でもあったのですか?



#2228 
五番街 2002/01/07 07:10
寺坂吉衛門について(1)長文失礼

>そこでは寺坂吉衛門は本人の意思での「脱盟=脱落」って感じに
>しちゃってましたよ。(徹夜城さん)

うん、この逃亡説はいまなお亡霊のように存在しているようで、7、8年前に赤穂市が神戸大学の何とか教授に依頼した記録か何かでもこのようになっていて、市議会で紛糾していたようです。結果はどうなったのか知りませんが。ということで、今回は、この説をちょっと詳しく検討してみます。

まず第1に、この逃亡説を考える上で重要なポイントは、大石以下の赤穂浪人が吉良邸を退出後に、泉岳寺に向かい、この寺の内匠の墓に参拝したことです。驚いた寺側が奉行所に報告し、直ちに山門が閉じられて取り調べが行われ、夕刻になって泉岳寺を出て、各藩にお預けになりました。その際に幕府(奉行所)の発表では46人となっており、寺坂の名前がありませんでした。

ところが、大石以下の浪人が吉良邸に討ち入るために同邸の表門に到着し、その地面に打ち付けた竹の先端に挟み込んだ「口上書」には、大石以下46人(つまり47人)の名前が書かれており、この文書は幕府によって保存されています。さらに、彼らのうち数名は、討ち入った時点では寺坂がいた、と語っていることから、寺坂が討ち入りに参加したことを疑う余地はありません(残念ながら大石や寺坂の主人であった吉田忠佐衛門が彼について語った記録は残されていませんが)。したがって、寺坂が討ち入りの前に逃亡したという説は成り立ちません。

そのため、寺坂が逃亡したのは、戦闘中あるいはその後に泉岳寺に向かう途中であったと考えられます。

吉良邸を退出する時点で寺坂の姿を記憶している者はいないので、戦闘中に逃亡した可能性があるのですが、表門および裏門は、それぞれ10人程度の大石などの重臣(というか高齢の非戦闘員)によって固められていました。ちなみに住宅内に切り込んだのは20数名で、邸内にいた吉良方の助っ人の数とほぼ同じです。

表門は閉ざされていたのですから、脱出しようとすれば誰かが気づいたはずで、ここから脱出した可能性はほとんどないことになります。裏門は、木槌でうち破って邸内になだれ込んだので、開け放した状態になっており、そのため、この門から逃亡した可能性はなくもありません。なお、このように門をうち砕いて開けっ放しにした理由は、上杉勢をここで迎え撃つためであったと言われています。

この戦闘は赤穂方の完勝によって終わり、たとえば吉良勢が盛り返して門を固めている非戦闘要員まで攻撃をしたというような状況は全くなく、危機感を感じた寺坂が逃亡する理由は考えられません。裏門が開け放たれていたと言っても、大石力以下10名ほどがいたのですから、彼らに見つからずに逃げ出すことも困難なら、その理由もなかったと考えられます。

さらに言えば、この討ち入りの知らせは2回、上杉藩の藩邸にもたらされています。第一回目は討ち入り直後に吉良邸のそばを通りかかった豆腐屋が、上杉藩邸に知らせたのですが相手にされず、第2回目は、吉良邸内部で壁に沿って建てられてあった「浪人長屋」の下働きの者が、壁に穴を開けて邸外に脱出して、上杉藩邸に知らせています。この報告はきわめて信頼性が高いものであるにも関わらず、上杉側はこれを黙殺しています。

この浪人長屋は出入り口が一カ所しかなく、そこは赤穂勢に抑えられており、飛び出せば弓と槍で殺されると言う状況であったために、壁に穴を開けて脱出したのですが、これは、邸内がアリの出入りさえもできないほどの状態であったことを語っていると考えられます。

さらに、もう一つの説で、吉良の首級を挙げ、吉良邸から退出する際には、必ず点呼が行われていたに違いない、というものもあります。点呼が行われたことは記録にはないのですが、負傷者や死者を邸内に置き去りにすることはできない、という理由から点呼は必ず行われたというもので、たしかにその通りだと考えています。

ここで寺坂の姿が消えていたのなら大きな問題になっていたはずなのですが、そうした問題があったという証言などはないのですから、上記の推測と重ね合わせても、寺坂は戦闘中も、吉良邸を退出する際にも逃亡していなかったと考えられます。

そのため、寺坂が逃亡したのは、吉良邸を退出した後、泉岳寺に到着するまでの間であったことになります。




#2227 
五番街 2002/01/07 07:08
寺坂吉衛門について(2)

一方、ここでは寺坂にとって姿を消す十分な理由がありました。彼は臣下として公式に内匠の墓にとして参拝する資格がなく、大石以下とともに泉岳寺に行くことはできなかったのです。これが彼の姿が泉岳寺では消えていた理由であると考えられます。

寺坂吉衛門は、赤穂藩の加東郡代を努めた吉田忠左衛門の家来であり、吉田家のいわゆる家の子・郎党であったために、忠左衛門とは、ご恩と奉公の関係で結ばれていました。ところが、当時の武士の関係では、内匠とは全く無関係の存在とみなされていました。合戦のおりには、忠左衛門の手勢として、足軽部隊の足軽大将などの中心となるとしても、内匠とは主従の関係はありません。むろん、有名な赤穂城での城の明け渡しか籠城かをめぐる評定の席にも加わっていません。

そのため、彼が大石以下とともに内匠の墓に参拝することは許されないことであったと考えられます。厳密には、彼は、主君の仇をうつために、吉良邸に討ち入ることさえも出来ないのですが、当時には仇討ちには助っ人が加勢することは認められていましたので、大石は主人の吉田忠左衛門の助っ人というカタチで参加を認めたのであろうと考えられます。

さて、吉良邸を出た47人は、上杉が追っ手を繰り出すことを必至と考えていたため、予定通り、筋向かいの回向院に入り、ここで上杉勢を迎え撃とうとします。しかし、回向院は午前6時まで開門しないという規則をたてに、赤穂勢の入山を拒んだので、彼らは第2予定地であった近くの何とか橋のたもとに移動します。ところが、ここでしばらく待っていても上杉勢が来る様子がないため、隊列を組んで泉岳寺へ向かうことになります。

おそらく、泉岳寺に向かうことを決定すると同時に、大石と吉田忠左衛門が吉衛門に対して、おそらくかねてからの手はず通りに、広島本家に行くように命じ、たぶん大石の書簡と路銀を渡して、別行動をとらせることで、内匠の墓前に参拝させなかった、というのが私の考えです。残念ながら、広島浅野藩には、寺坂が報告に現れたという記録は残されていません。

さらに考えれば、広島本家に出向いた後に、彼は忠左衛門の娘の嫁入り先である姫路藩の伊藤家に現れ、そこで15年間を下男として過ごしています。おそらく伊藤家は、吉田家と同様に、下男をおくようなゆとりのある高位の家柄であったと想像されます。伊藤家としては、もし寺坂が大石以下を裏切って逃亡したのなら、あるいは、その可能性があるのなら、彼を受け入れることは、末代の恥となることも考えられます。しかし、伊藤家の当主が彼を受け入れていることからすれば、事前に忠左衛門から討ち入りに成功した場合、寺坂に別行動を採らすため、かれの面倒を見てくれるようにとの依頼があり、当主は、それを承諾していたこと考えられます。さらに、寺坂は、前回の投稿で述べたように、大石の命令によって芸州浅野本家に向かったと書き付けています。

むろん、この書き付けにしても、その正しさを証明するものはないために、寺坂がウソを書いた、という主張が行われる余地を残しているのですが、彼が泉岳寺に行けない理由やその他の間接的な材料から、寺坂が自ら裏切りを働いて脱落したという可能性はほとんどない、と考えています。




#2226 
アール・ケイ 2002/01/07 01:53
OH! 能・プロブレム (花束、花束…)

新零細、否、新連載(笑)おめでとうございます。
言葉だけでもお祝いの花束、花束…。
有言実行ぶりはさすが徹夜城さま!

ただ惜しむらくは、配役がされていませんねえ(笑)。
まあ、私がしているような遊びとは違うようですからこれでいいのでしょうが、
それなら何故ビリングがあるのでしょう(笑)。
ゲスト出演の尊氏公はトメか中ドメにしてください。或いは「特別出演」かな(笑)。
これからの展開が楽しみですが、私のような歴史オンチを置いていかないでくださいネ。。。

『愛と青春の宝塚』については、テレビドラマデータベースBBSにまとめ書きをしてますので繰り返しません。かなり個人的な想い出とも重なる部分のあるドラマでした。
本家大河(笑)については大河ドラマBBSに書いた通りです(わざわざ書くなよなあ(笑))。ソリマッチ信長の声は来週からアフレコになります。
それでダメだったら再来週から“アテレコ”になります。
嘘です(笑)。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2225 
徹夜城(こっそり裏大河なんて始めてる管理人) 2002/01/07 00:03
大河の歴史がまた1ページ…

ってなわけで始まりましたねぇ。
第一回ってものはだいたい面白く作ってあるもんです、などとひねくれた見方をしちゃったりもするのでありますが。

実を言えば「利家とまつ」第一回は仕事の都合でBS再放送の後半部分しか見ておりません。全体の評価などは土曜日の再放送を「まつ」ことになります(笑)
とりあえず「おまつさんかぐや姫現象」は目撃しました。数年の時間経過を少しは感じさせてください(^^;)。利家でなくたってビックリしますってば。←ご覧になった方はお分かりかと。
反町隆史さんのCM以外の演技をまともに見たのは実はこれが最初(歴史劇以外ドラマはあんまりみてないもんで)。反町信長、なかなか良いではありませぬか。予告編でも感じてましたけどねぇ。
先日の「キムタク安兵衛忠臣蔵」見たときも思ったのですが、時代劇・歴史劇ってキャリアとか年齢とか演技の上手い下手ではなく「向き不向き」があるもんだ、と実感します。いろんな人が演じてきた信長ですが、今回の反町バージョンは「正統派」という匂いがします。
反町さんってあんなにドスの効いた声なんですかねぇ(いや、ホント見たの初めてに近いもんでよく知らんのです)。凄みはありますけど、聞き取りづらい。ま、ともあれ現時点で今後に期待大です。

注目されてた渡辺謙さんの「壬生義士伝」10時間ドラマですが、ビデオに録ることもなくところどころだけ「つまみ見」しました。
えーと、柄本明さん(近藤勇役)って良く出てくる方ですねぇ。「太平記」のときは「時代劇は僕、少ないですね」などとコメントしてらっしゃるんですが、最近時代劇というと出てらっしゃるような印象があります(笑)。うーん、やっぱつまみ見だとこんなもんしか書けない(^^;)。

>五番街さん
そーいえば、先日NHKの歴史番組「その時歴史が動いた」の忠臣蔵特集のアンコール放送を見たのですが、そこでは寺坂吉衛門は本人の意思での「脱盟=脱落」って感じにしちゃってましたよ。

>アール・ケイさん
「キムタク忠臣蔵」は番組の最後に「このドラマは赤穂事件をモデルにしたフィクションです」とかいう断りが出ていたような…

>ホリー・ハンターさん
フジテレビの宝塚ドラマは企画としては面白そうだと思ったものの、結局見ませんでした。なんとなく一昔前のNHKの朝の連ドラがやりそうな企画だなぁなどと感じてました。「戦中苦労もの」って分類しちゃうのは一方的でしょうか(^^;)。
現実的かどうかはともかくとして、ああいう無茶な時代がありましたってことをドラマという形でその時代を知らない人達に伝えていくってのは良い仕事だと思うんですよね。その時代を知ってる人は考証があーだこーだとうるさくつついたりもしちゃうんですけど。

>勝手に大河
ええ、勝手に始めております(アップは昼過ぎでした)。今年は「トシマツ」の裏番組(!?)として勝手に勝負する「ムロタイ」であります。
ホントは劇画風カットを多数入れるつもりだったんですけど、締め切りに間に合いませんでした。あとからチョコチョコ入れてるかもしれません。ではよろしゅう。



#2224 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/05 22:01
愛と青春の宝塚

去年末は忠臣蔵でココは盛り上がりましたので
年始はコレでしょう。(ものスゴク無理矢理)
私はヅカ・ファンでも無いクセにコレを見ちゃいました。
といっても、途中で爆睡しちゃいましたが、
ただ、以下の場面だけは眠気がブッ飛びました。

藤原紀香、率いるヅカ団がレビュ−中に
観客席から、罵声を上げて一人の男が立ち上がる。
『戦時下に何と不謹慎な!鬼畜米英・歌劇派どもが〜!』
(台詞はよく覚えてなく、こんな感じでしたっけ?)
その男が醸し出す暗黒後光に場内は沈黙。
そこへ観客席にいた海軍将校(仲村トオル)が
蚊が鳴くような声で、罵声男を牽制。
罵声男は相手が海軍ってことで、すごすごと場内から退散。
ようするにソイツは憲兵か特高かの私服刑事なのですが、
演じてんのは、何と 鳥肌 実!あの右翼演説ゲリラ・ライブ
を各地で行うらしい性格俳優ですよね?
でも鳥肌 実が仲村トオルにガンたれられて、大人しく
退散するってのは説得力無かったね。
どう見ても、鳥肌の方がヤバそうな目してたもの。




#2223 
ホリ−・ハンタ− 2002/01/02 08:25
賀正、明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします、徹夜城サン並びに
ココを訪れなさる皆様がた。

ビン・ラディン氏は依然、消息不明で、今度はインド・パキスタン
の睨み合いが勃発してしまい、泥沼化しそうですね。
インドとパキスタンの仲の悪さは私のような日本人にはちょっと
理解できないですが、インドとゆう国は大昔から
中央アジアからの民族南下との衝突を繰り返してきたわけで、
そもそも、インドも人種のルツボな多民族国家。
年末の深夜映画で『踊るムトゥ・マハラジャ』なるワケ分からん
モノを見たのですが、インドではある地方の人が100キロも
歩けば、もうソコの周りの人々とは外国語なみに方言が違う
ような描写がありました。




#2222 
五番街 2002/01/02 06:50
謹賀新年

謹賀新年

今年もよろしくお願いします。


>東宝の忠臣蔵ですかぁ。確か稲垣浩監督じゃなかったかな?

その通りです。さすが徹夜城さん。ちなみに内蔵助は松本幸四郎、内匠は加山雄三でした。「忠臣蔵」は「47 Royal Samurais」と訳されており、映画では寺坂吉衛門が参加しなかったために、たとえば「我ら46人」などと、「46人」が数回登場するのですが、そのたびに英語のスーパーインポーズでは「47」となってました。

寺坂吉衛門は江戸時代から途中で逃亡したという説が主張されていました。戦前に討ち入り後に吉衛門をかくまった姫路藩の伊藤(?)家から、吉衛門の書き付けが発見され、そこに、大石の命令によって討ち入り後に広島の浅野本家に報告に向かった、という内容が書かれていて、この論争に終止符が打たれたのですが、この映画では脱落説を採用して、じっさいの討ち入りの人数を46人としています。そして、討ち入り以前に切腹して果てた萱野三平の名札を槍の穂先にくくりつけて、吉良の庭につきさして、萱野を加えて47人として数を合わせています。

ちなみに、この映画では、不破数衛門がだいぶ大きく登場していますが、そういう点でも珍しいものだろうと思います。数衛門は、傍若無人、人を人とも思わない乱暴狼藉者で、江戸ではたしか喧嘩か何かで人を殺し、赤穂に戻されて、そこでも同様の無頼の行為を働いて、ついには藩から追放されています。この数衛門は、討ち入りでは、堀部安ベエが表門側から屋敷に切り込んだのに対して、裏門側の中心となって殺し屋の評判どおりの大活躍したのですが、この映画では討ち入りの場面よりも、赤穂や山科での吉良方のスパイを捕らえたり、斬ったりして数衛門をクローズアップしているのが、面白いところです。



#2221 
徹夜城(昨年の総まくりを結局年越しさせてしまった管理人) 2002/01/02 00:48
あけましておめでとうございます

ってなわけで気がついたら2002年。しかも1月2日。今ごろになって「史点2001総まくり」を公開しております。1月1日更新となっておりますが、1月1日の23時59分ぐらいのアップだったりします(汗)。
それやこれやで年末のご挨拶、レスが返せなくて吸いませんでした。
ともかく今年も「史劇的な物見櫓」および「史劇的伝言板」をよろしくお願いいたします。

NHKが盛んに「利家とまつ」の予告編(それもかなり長いやつ)を流してますねぇ。なんだかんだ言いつつ最初ぐらい見てみっかという気にさせる作りはさすがです。毎年第一回って豪華に作りますしねぇ。
ってなわけで同じころにこのサイトに某仮想大河の第一回が豪華(?)に出現してるんじゃないかな…などと思ったりします(^^;)。ただこのところのスケジュールだと厳しいかもしれない…。

>五番街さん
東宝の忠臣蔵ですかぁ。確か稲垣浩監督じゃなかったかな?昔は映画会社が俳優を一通りそろえると「忠臣蔵」をつくったそうですが、確かに忠臣蔵って配役も多いしみんなストーリーは知ってるからハズレは無いし、ちょうどいい企画なんでしょうね。

配役と言えば…NHK衛星で「レ・ミゼラブル」のドラマをやるようですが(アメリカ製作?)、ジャン=バルジャンにジェラール=ドパルドュー、ジャベールにジョン=マルコビッチという配役でした。分かる方にはニヤリとしちゃう配役。このお二人、「仮面の男」で三銃士のポルトスとアトスやってるんですよ。あちらでも時代劇に使える俳優ってのは限られるようで…マルコビッチは「ジャンヌ・ダルク」ではフランス国王役もしてましたね。
それにしても最近フランスにはドパルドューしか役者がいないのかと思えてしまうほど出まくってますなぁ。



#2220 
ホリ−・ハンタ− 2001/12/31 23:37
ご挨拶、遅れて申し訳ありません。

今年はココで楽しませていただき
徹夜城様を始めココのリスナ−の方々にはお世話になりました。
熱く御礼申し上げ候。皆さんには良いお年を過ごされますよう
そして来年は世界人類が少しでも平和へと近づきますよう
不信心者ながらも祈らせていただきます。では。



#2219 
ホリ−・ハンタ− 2001/12/31 17:44
時空警察

私は外出してましたので当番組は見れませんでしたが
ア−ル・ケイさん の総評からすると見れなくて
幸せだったのですかね?(自爆)

ヒトラ−がベルリンで死ななかったのは可能性ゼロでも
無いかと。ビン・ラディンだって米英軍・その他近隣諸国軍
に包囲され空爆されまくってても未だ生死不明とゆう
おあつらえ向きの事例を目の当たりにすれば
連合軍に包囲されてるドイツから脱出するのは
オット−・スコルツェニィ率いる空挺特殊部隊を使うなり
Uボ−ト艦隊を総動員させるなり、当時世界唯一の
ジェット機を持つドイツ空軍が総力を結集すれば
ヒトラ−1人ぐらい南米の親ドイツ諸国へ
高飛びさせるのは屁でも無いかも。
事実、欠席裁判で有罪判決の多くのナチス大物戦犯が
南米へと逃亡。南米で反共の軍政諸国
極右政権に治安面で軍事ノウハウを提供したのは
そんなナチス逃亡者だったとゆう見解もあります。
事実、アイヒマン、クラウス・バルビエは
南米で拘束されてますし、クラウス・バルビエは
1970〜1980年代のボリビア軍政では
軍の兵器御用商、治安部隊の顧問などを
抜け抜けとやってたとか。
もちろん、冷戦下でアメリカが南米の
反共政策のため其れを黙認してたのは
容易に想像できます。
ボリビア軍政の崩壊とともにバルビエの身柄を拘束したのは
フランスの官憲部隊だったとか。




#2218 
アール・ケイ 2001/12/31 15:09
我慢できずに物申す(笑)

さて他のサイトに行こうかと思ったら、五番街さまの
>三船敏郎の俵星玄馬なんて、どう考えても架空の人物が登場したり、
>討ち入りしたハズの寺坂吉衛門が集合場所の蕎麦屋に向かう途中で
>行き倒れになったりとか、>あばずれ女にからまれて参加できなかった者が
>いたりと、ええ加減にせえよと言いたくなることも多かったのですが、
という書き込みを見て、どうしても捨てゼリフ(笑)を申し上げたくなりました。

はい、忠臣蔵とはそういうものです(笑)。
赤穂事件は史実ですが、忠臣蔵はそれをモデルにした伝説化したフィクションです。
別に、大石以下赤穂浪士一行が吉良邸でなく、柳沢吉保邸に討入りしてもいいのです。いや、いいかどうかはちょっと別かな(笑)。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2217 
アール・ケイ 2001/12/31 14:57
年末のネットご挨拶参り・その壱

ということで、一年間お世話になりました。
的外れな書き込みを申し上げたこともありますが、たぶん来年も同じだと思います。私って進歩がないらしいので(笑)。

『忠臣蔵…』についてはアチコチに書いておりますのでここでは繰り返しません。「すごく失望した」というご友人に対しては、「木村クンの安兵衛にどうしてそんなに期待したの?(あんなもんじゃん)」と、たしなめる側におります、私(笑)。
えっと、私のような、邦画についてはやや疎い人間がいうのもなんですが(ですので、邦画の鬼であるご友人からの情報です)、三国連太郎さん、佐藤浩市サン親子の関係は、もうちょっとフクザツであります。今も嫌っているとか、共演を嫌がっているとか、そういうことはもうないようです。だからといって仲の良い親子になった、ということもないわけで、そういう意味でフクザツなんですな、あの親子は。
あと、昨夜の『時空警察』を私見てしまったのですが、面白がりながらも(警察手帳は時空を超えて通用するという設定(笑))、見たことを後悔してしまいました。いまさら、光秀=天海説でもないでしょうにね(歴史ファン以外の視聴者向けなのでしょうね)。で、警視庁の時空班のメンバーが、時を渡り、ヒトラー生存説、ケネディ暗殺の謎などに挑むのですが、そのメンバーの中に竜雷太さんがいて、「あんた天海だったじゃん(大河『徳川家康』で)」と突っ込んでしまいました(笑)。その竜さんが挑んだ事件は義経=チンジスハン説。スーツ・コート姿で馬に跨り、衣川から生き延びた義経を追う刺客(畠山氏)を拳銃で狙ったりと、もう大暴走だったのですが、最後は“義経がモンゴルまで行くことは可能である。だからチンジスハンにもなり得た”てな、玉虫色状態で捜査終了となってしまい、肝心のところが何も描けてないじゃんと思った次第です。仮にモンゴルまで行けたとして(何故大陸奥地まで行ったかは別として(笑))、異邦人であった義経がどうしてモンゴルを束ねられたか、それが一番の問題なのにね。

では、次がありますので失礼申し上げます。
よいお年をお迎えください。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#2216 
五番街 2001/12/31 14:39
昭和30年代の忠臣蔵

ニューヨークの日系書店で売られていた、昭和30年代の東宝の「忠臣蔵」を観ました。これは上下2巻の合計5時間以上という大作で、英語のスーパーインポーズつきです。映画が始まるまえに、オリジナルをできるだけ復元したというような断り書きがあるもので、楽しめました。オールスター総出演て感じでした(名前が分からない俳優も随分いましたけど)。

三船敏郎の俵星玄馬なんて、どう考えても架空の人物が登場したり、討ち入りしたハズの寺坂吉衛門が集合場所の蕎麦屋に向かう途中で行き倒れになったりとか、あばずれ女にからまれて参加できなかった者がいたりと、ええ加減にせえよと言いたくなることも多かったのですが、特に、雪で真っ白くなった風景の中を47士が吉良邸に向かう情景は、ただただ美しいもので、映像美としても楽しめました。

二八蕎麦屋に化けて、長屋で熱を出していた加東大介演じる寺坂吉衛門が、「行かねばならんのだ、身分が卑しいからといって蓄電されたと思われたくない」とつぶやきながら、大小両刀をまるで赤子を胸にかかえるようにして、ふらつきながら蕎麦屋に向かい、その途中で行き倒れになる姿は、思わず、名演技だなあと、思ってしまいました。

また、播州浅野藩で開発され、昭和30年代の初期までつづいていた入り浜式塩田の光景が、一瞬だけでもスクリーンに現れたのも嬉しいことでした。この入り浜式塩田は流下式塩田に代わり、この流下式塩田も1970年代初期に、工場で塩を生産するイオン交換樹脂法によって終止符を打たれ、現在では赤穂には塩田はなくなりました。赤穂市では、海浜公園の一角にこの2つの塩田を保存していますが、見渡す限りに広がる塩田の姿はもう望めなくなっていますが、それが、この映画には登場していました。

というところで、皆様、良いお年を。



#2215 
おやかた 2001/12/30 09:32
1/47

最後しか見てないので感想ではないのですが。。
最後の切腹シーンでキムタク月代が似合ってなかったです。
これは、若い俳優さんにはたいがい当てはまることなんでしょうけど。
やはり顎が細くなってきているからなのか。
元禄のときも、滝沢、今井君は似合ってなかった。

津川氏の吉良、私は大河「吉宗」のとき綱吉だったことを
思い出してしまいました。

管理人様、皆様一年間お世話になりました。
博学な皆様の間で、ずれていたり、変な書き込みを
してしまうことが多く、ご迷惑をおかけしたことと思いますが、
皆様暖かくレスを下さったりして嬉しかったです。
皆様、良いお年をお迎えください。

(私は、カウントダウンイベントの準備のため、
今から出勤いたします・・・)



#2214 
ホリ−・ハンタ− 2001/12/30 08:51
キムタクの忠臣蔵ね

凄みに欠ける、ときましたか、徹夜城さん。
キムタクに凄みが付いたら、ジャニ−ズから出なくては
ならんかもね、もうパパにもなった人ですし、芸風も
転換期にきてる芸能人に、ああゆう企画が振られるのは
リトマス試験紙みたいなものかな?まだアイドルとして
やれるのか、俳優に専念するのか?とゆうね。
佐藤浩市の大石蔵之助に貫禄が無いとゆう徹夜城さん
の指摘も的を得てると。ただ、浩さん も意識すれば
貫禄が付くかもしれませんが、そうなると
三国連太郎が大石を演じてんのと変わらない気が。
佐藤・三国・親子の犬猿の仲は有名ですし、
浩さん は未だ三国さん を父親として認めて無い
そうで、親子初共演だった『美味しんぼ』での
記者会見でも、お互い視線を逸らし続け、
一言も言葉を交わさなかったとか。
まぁ、何やら因果だらけの『忠臣蔵』でしたが
わたし的には、松の廊下の件で切腹した浅野の殿様は
稲垣吾郎にヤラせれば、鬼気迫る演技をやったと
思いますが。(自爆)



#2213 
徹夜城(師走状態も間もなく一区切りの管理人) 2001/12/30 00:51
その男、多忙につき

連日殺人的なスケジュールで動いてまして、更新どころかレスやメール返信もする気力も起きない始末。とりあえずほったらかし状態が続いている「史点」の恒例の一年締めくくりをやらなきゃあとボチボチ動いています。結局大晦日更新だろうと思ってます。
昨年やりました現代・歴史人物とりまぜての「史点」記事中登場回数レースもカウント作業してます。10月まで数えて、だいたいレース結果が見えてきました。まぁ予想してみてください。過去ログでカウントしてみてもいいですけど…(笑)
現代の人物が上位に来るのはあたりまえなので、歴史上の人物で誰が一番多く登場しているかも興味のあるところです。なお、昨年は「歴史上の人物」で最多登場だったのは昭和天皇と蒋介石でした(ともに6回登場)。どうしても最近の人物になってしまうかな。

おととい、木村拓哉が堀部安兵衛を演じた「忠臣蔵・1/47」を後半だけ見ましたが、まぁ案外まっとうな「忠臣蔵」ですな。討ち入りシーンで庭が妙に明るかったですが(^^;)。キムタクは確かに絵にはなりますな。ただ安兵衛の凄みはやはり欠けるなぁ。主役にしないで脇にいるとかえって光ったかもって、それじゃそもそも企画にならないんでしょう。
佐藤浩一が大石内蔵助やってるのにも驚きました。決して悪くはないんだけど、どうしても貫禄がイマイチ。そういえば例の国立博物館の特別展では内蔵助が妻りくに送った直筆の手紙をはじめ忠臣蔵関係の展示もいくつかありましたっけ。
吉良は津川雅彦か。「忠臣蔵外伝・四谷怪談」では大石でしたね。そういえばこの映画では佐藤浩一は討ち入りから脱落する赤穂浪士役で、今回めでたく宿願を果たした(?)ことになります。

3週間ぐらい前に「週刊文春」に出た高橋春男の4コマ漫画で妙に受けた1コマ。
吉良邸・寝所。
「殿、討ち入りです!」
「またこの季節か。今年はキムタクが安兵衛だそうだが」




#2212 
かりん 2001/12/30 00:47
良いお年を

今年はネットの世界でデビューという念願が叶いました。
続けてこれたのも各リンク先の管理者並びにゲストの皆様のお陰です。
来年は更に辺境の地の開拓に励みます。
色々ありがとうございました。
良いお年を。
来年度もよろしくお願い致します。

http://isweb38.infoseek.co.jp/cinema/sitting/
↑インディアンサイトもよろしく〜(ちゃっかり

http://isweb30.infoseek.co.jp/cinema/karins14/


#2211 
ホリ−・ハンタ− 2001/12/29 11:16
伏魔殿・緊急回線

『おぅおぅ、田中マキ子、お前のオヤジ・角栄は中国に
借りがあろうが?その中国と同盟国である我が国を
工作船の当該国扱いにしやがって
タダで済むと思ってんのか?コラぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

『誰かと思えば金日成のドラ息子じゃないの。アンタんとこ
の正男クンがガラを無償で送還できたのは、誰のオカゲだと
思ってんのよ?よっぽど拉致日本人・問題の外交カ−ド
にキ−プしといても良かったのよ?あのボンボンの恩人の
アタシに何て無礼な電話してくんだろね?あのガキに
この親ありってトコね、そんなヒマあったら
ダイエットしなさい、デブ親子!』
(ガチャン!プッゥ−プッゥ−プッゥ−〜)

『あのアマぁぁぁぁ、野郎ども、テポドン
スタンバイじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
『どうかぁぁ、お静まりになって下さいぃぃぃ
首領閣下ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』



#2210 
YsBoy 2001/12/29 07:26
やはり元勲の・・・

先に紹介した慶応高校ラグビー部の山縣有孝(やまがたありたか)君はやはり
明治の元勲山縣有朋公の子孫でしたね。有朋公の玄孫(五代目)にあたります。
父親は有徳氏、今年7月にサハリン沖で墜落事故に見舞われ、漂流していたと
ころを無事発見された。有孝君は幼稚舎からの生粋の慶応ボーイです。来春は
慶応義塾大学に進学予定。今後スポーツマスコミを賑わすことでしょう。



#2209 
タロイモ 2001/12/29 01:19
おまけで

スサノオノミコトも天の日矛も
女性を追い掛け回すという共通項もありました。



#2208 
タロイモ 2001/12/27 23:45
今更ながら、ドラマ「聖徳太子」の架空キャラ

スサノオノミコトも、天の日矛も
一暴れした後、山陰地方に住み着いて
その上どちらも製鉄技術と関係が深い・・・
ということでは共通項がありますね。そういえば。
(もしかしたら一つのキャラクターを2つに分けただけなのかも)

それでちょっと気になったのは、先月の「聖徳太子」に出てきた
新羅出身で聖徳太子に仕えた設定になっている架空のキャラで
韓国の俳優さんが演じておられた伊真が
スサノオノミコトや天の日矛と共通する部分があるキャラクターだったのが
気になりました。
もしかしたら大河ドラマ「古事記」の計画の一部分が
「聖徳太子」に取り込まれたのかしらん・・・などと考えてみる。




#2207 
ホリ−・ハンタ− 2001/12/26 21:32
鍵語ですか?

ゾルゲ事件の場合、日本の特高はゾルゲの電信係・クラウゼン
が作成した暗号文の鍵語を発見することが出来なかったようです。
クラウゼンの用いたのはアルファベットを数字に置き換え
数列で文を作成するわけですが、もちろん鍵語が分からなければ
ただの数字の羅列で、発信者と受信者しか知らない
数式に基づいて数列を計算して並べ替え、なおかつ鍵語を
投入しなければ解けないようになってたそうです。
クラウゼンが鍵語に用いたのは
1935年版ドイツ帝国統計年鑑の、
各国のタバコ生産量の数表。




#2206 
貧乏神 2001/12/26 02:02
暗号に関するゴミ

>ジェファーソンの輪

log(15^36)=42.34
ってとこですか。

暗号って、結局暗号自体の強度よりも、秘密通信システムとしてみた場合の
構成要素の弱点、特に鍵の決定・配布あたりが問題になるのですよね。



#2205 
相良義陽 2001/12/25 08:53
今日から帰省します。

また来年♪

>冬至のお祭り
古代においてはどんどん日照時間の短くなる秋?冬は恐怖の対象だったのではないでしょうか。
このままではいつか太陽は出なくなるかも知れない、という。
クリスマスがキリストの誕生日に比せられるようになったのは、民間信仰の「太陽の再生」と合致したからだとか。
そう考えると確かに天の岩戸伝説と近いものがありますね。

って、この話の元ネタはひょっとするとアシモフだったかも。

http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/


#2204 
ホリ−・ハンタ− 2001/12/25 07:09
秘話コ−ド回線、受信

『野郎ども〜!黄色いジャップはウチのセガレが今夏、
東京ディズニィランド行くのを邪魔してパクリやがったろ?
ゆるせねぇ〜、ちょっと、工作船で、お礼参りして来やがれ!
死してシカバネ拾う者無しじゃ!気合入れてけや!』

『ラジャ−、首領閣下』

以上、ピョンヤンからの盗聴記録を終わります。
(って、ウソ)(自爆)



#2203 
タロイモ 2001/12/25 01:51
一陽来復


天の岩屋戸にアマテラスが隠れて、他の神さまが岩屋戸の前で
乱痴気騒ぎ・・・というお話しは
冬至の頃のお祭りを神話にした、という説もあるようで
(他に日蝕説など)
現代の日本で12月24日前後に乱痴気騒ぎをするのは
日本では神話の世界以来の伝統ではなかろか、などと考えてみたり。

不審船騒ぎ北朝鮮工作船の疑いが濃厚とのことで
騒々しいですが、記紀の世界でも
朝鮮から新羅の王子の天の日矛がやってきた話があったり、スサノオノミコトはどうやら
朝鮮からやってきた神様らしいという説もあるようで
こちらも神話の世界以来の伝統、ということになるのでしょうか。

悪いことばかりの今年でしたが、来年は何事も良い方向に
向かうといいなあと思う今日この頃・・・



#2202 
ホリ−・ハンタ− 2001/12/24 08:33
ジェファ−ソンズ・ホイ−ル

前回の書き込みに訂正を。
ジェファ−ソンが考案したのはロ−タ−式暗号器と書きましたが、
正確には円盤式で、木製円盤36枚から成るそうです。
この器具は『ジェファ−ソンの輪』と呼ばれ、
シンプルな構造の割りに配列法が42桁数もあるそうで、
アメリカ海軍は第二次大戦中まで
金属製『ジェファ−ソンの輪』を使用してたそうです。



#2201 
貧乏神 2001/12/24 03:09
ぢぇふぁあそん

ちょっと前にカール・セーガンの本で読んだんですが、トーマス・ジェファーソンは
科学者として有名だったようですよ。



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