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#400 
タロイモ 99/08/05 23:12
積み荷の中身

徹夜城さんに質問があるのですが・・・
海上史年表の1540年(嘉靖19年)に王直らが商品を積んで
東南アジアへ旅立つ、とありますが商品は硝石、硫黄、生糸、綿
でしょうか?



#399 
徹夜城(歴史映像FANの管理人) 99/08/04 00:50
大河のビデオ観てます

近所のTUTAYAが何を思ったかNHK大河ドラマのビデオを置くようになりましてね、いくつか見始めてます。「国盗り物語」「武田信玄」「八代将軍吉宗」「翔ぶが如く」「独眼竜政宗」「黄金の日々」…だけなんですけど、どういう基準で選んだのか?

で、「くみ取り物語」じゃない(どういう「大河」じゃ)「国盗り物語」を見終えました。
ご存じ司馬遼太郎原作。斉藤道三と織田信長を描く大河でも珍しい主人公交代ドラマです。道三は平幹二郎、信長は高橋英樹。光秀に近藤正臣。なかなかナイスキャスティングです(火野正平の秀吉もいいですなー。似てる)。
「総集編」なので全体像は推し量るしかありませんが、なんか「巧妙が辻」「播磨灘物語」「尻啖え孫市」が原作に混ぜられている気がしました。まぁ司馬作品の大河は結構こういうふうに他の同時代小説から持って来ちゃうことが多いみたいですけどね。
つくづく思ったんですが「本能寺」はしょっちゅう映像化されてるもんですね。大河史上では確か6回?民放や映画まで含めたら相当な数に上るでしょう。

ところで司馬遼太郎は南北朝は嫌いだったみたいです。「小説にもならん時代」と言ってるのを何かで読んだことがあります(「義経」は書いてますけど)。裏切りがやたら出たり使命感もった奴が出てこないから、という事なのかな?
この人やはり「作家」さんだなぁ、と思うのが「つまらん事は書かない」という姿勢があることでしょうかね(別に批判ではないつもり。作家としては優秀だといえます)。正直なところ取材までして投げ出してしまった「ノモンハン」は作品化して欲しかったです。



#398 
徹夜城(とりあえず発表が終わった管理人) 99/08/01 13:36
女帝のことなど

皇位継承論が話題になってますが、「女帝」じたいは前例もあることだし不可能ではないと思います。明治に決めた皇室典範を改正すればいいわけで、これ自体は問題になりません。
ただおそらくもめると思われるのが「女帝の夫」の問題。こればかりは皇室史上前例がないのです。未亡人か一生独身で通したというケースだけだったはずです(未亡人だって夫が皇室の人だったし)。日本史上の女帝たちはどうしても「リリーフ登板」という性格がありますからね。
現代において「女帝」を設ける場合、天皇制維持のためには皇室以外の男性と結婚して子孫を残さねばならないはず。それはそれで結構だと僕も思うんですが、皇室を信奉する日本の保守層(右翼思想含む)の発想としてそれを受け入れることができるだろうか、と思うのですね。「万世一系」という「信仰」がそれで保てるのだろうか、と。
イギリスのエジンバラ公(女王の夫)みたいな存在が日本において可能かどうかということなんですね。しかも貴族制度が消滅しちゃってるのでより難しいんじゃないかと。それぐらいならと血筋を重視して皇族を離れた男系子孫を立てようと言う意見も出てくるはずです(確か誰か言っていたんだよなぁ)。
遠く離れた皇族が即位したケースはいくつかありますが、継体天皇のケースを「前例」にしちまえばもうなんでもありでしょう(笑)。話が飛ぶようですけど足利氏だって天皇家の親戚には違いないんだから「足利天皇」だってあり得たとは言えるんですよね。

まぁ世界史、とくに西洋史を見ていると分かることですが「王室」なんてのは大概どっかで絶えちゃうもんなんですよ。そうそううまく男子ばっかり生まれるわけがない。アジアにおいてそれがあまりないのは明らかに一夫多妻制のおかげでしょう(確率があがってるわけですな)。昭和天皇が側室制度を止めた時点でこうした事態はある程度予測できたんですけどね(まぁどっちにしても時代感覚として側室制維持は無理だったろう)。
まぁ秋篠宮家にまだ可能性はあるわけですが…。



#397 
タロイモ 99/08/01 09:47
西園寺公望

男系でいえば西園寺公望の系統も皇室だったような・・・
公望の祖父が鷹司政通(「慶喜」で宝田明さんが演じてた)で
政通の祖父が閑院宮家から鷹司家に養子に来た、という系統
のようですが・・・系図が間違ってるかもしれません。



#396 
のよりん 99/08/01 05:15
女帝の可能性

一部週刊誌で騒いでいた妃殿下の6月懐妊説は消えてしまいましたね。
現在の皇室典範で皇位有資格者の皇族をみると、一番若い秋篠宮殿下も30代ですしね。
その秋篠宮も今のところ女の子ばっかしだしなあ。

女帝の前に昭和天皇の外孫系統を皇位にって話もあるようですが、どっちにしろ皇室典範の改訂が優先されるのでしょうね。
たしか今の皇室に男性系統での分岐を探ると江戸時代初期の皇別摂家の子孫にあたらないといけなくなるけど、こっちのほうが外孫候補の旧伏見宮系統よりも男系としては近い血族なのかな。
まあたしかに、自称皇胤もいろいろいてそっちも怪し気ですけどね。

文春新書の「皇位継承」を読んで女性天皇の可能性についても考えてしまいました。



#395 
タロイモ 99/07/31 21:26
肖像画について

あの等持院の木像は首は、とりはずし可能らしいです。
だから晒されていた首を持ち帰って、すぽっとはめれば
それでOK!

あの神護寺三像が足利尊氏、足利直義となる史料は
「足利直義願文」という文書なのですが、それによれば
康永4年4月23日、足利直義が兄と自分の肖像画を
描かせて願文とともに神護寺に安置した、らしいです。
元ネタにした本は、「源頼朝像−沈黙の肖像画」(平凡社・米倉迪夫著)
「肖像画を読む」(角川書店・黒田日出男著) です。

伝武田信玄像は能登畠山氏の当主の誰かに該当する可能性がある
らしいです。
あのがっちりとした力強い感じの、いかにも「風林火山」という肖像画が
能登の弱小大名の肖像画だったとしたら・・・何か複雑・・・







#394 
のよりん 99/07/30 02:08
写真資料見ながら…

徹夜城さま
そうでした。
磔は利休の木像でしたっけ。
さらし首ってことは“梟首”ですね。
ああホントにタレてますね。目。
修復してるのかなこれ。
後半の義稙、義澄、義晴とかの木像はツリ目ですね。




#393 
徹夜城(明日は発表する管理人) 99/07/29 23:30
足利三代さらし首事件

名前のところにあるとおりの状況でして(^^;)。どうにかついさっきレジュメを仕上げました。
それにしてもたかが30分(質疑応答込み)で何を発表できるというのだ。あの壮大なお話を(と、個人的つぶやき(笑))。

>のよりんさん。
尊氏の木像のことですが、たぶんそのさらし首(磔…とは言わないのでは?)になった奴だと思います。そんなにあちこちにあるもんじゃないでしょうし、三代がちゃんと揃っていたわけですから。
しかし幕末の志士達の「太平記」の読み方にはいろいろと奇異なものを感じちゃいますね。だってよく考えたら現在の皇室系統を守った最大功労者は尊氏くんなのでは…?その辺については知らなかったかよく考えなかったかというところではないかと思います。
たぶん水戸学で楠木正成を「忠臣」として絶賛したのでその敵として尊氏が「逆賊」扱いされちゃうようになったのでは…結局この流れが明治以降にも行くわけですね(戦後は反動で革新的大政治家扱いされたりしましたが)。ああ、あと義満が明に「朝貢」したのも足利批判の根拠なんだろうな。
それでも明治時代初期までは「南朝正統論」はまだ「常識化」してなかったようです。歴史の教科書に「南北朝時代」と章題をつけたら「対等に並べるとはけしからん!」と元志士の誰かさんが(誰だったかな?)イチャモンをつけ、それをきっかけに南朝正統、「吉野時代」という名称が「公式」とされたという経緯だったと聞いています。
僕も経験あるんですけど、年配の方でも今の皇室が「北朝系」だってことを知らない方って結構いるんですよ。戦前は考えないことにしていたのかなぁ?
戦後「南朝の子孫」を名乗った熊沢家はついに「女帝」となったと聞きましたが…まぁどっちにしても胡散臭い話の部類になっちゃうかな。そういや「本家」の皇室もいずれ女帝でもたてないと存続が危ない状況なのでは…



#392 
のよりん 99/07/29 00:17
尊氏の木像

徹夜城さま
その木像って幕末に勤王派に磔にされたものですか?



#391 
徹夜城(明後日発表の管理人) 99/07/29 00:00
尊氏はタレ目だ!

>タロイモさん。
あのいわゆる「騎馬武者像」が尊氏でないことはほぼ定説になってるみたいです。だって「尊氏説」の根拠が絵の上の方に義詮のサイン(花押)があるってだけなんですから。「高」家の家紋があるので「師直?」との説があるわけです。それなりに功があった人物ですし、背中に背負ってる矢が一本折れてるのも「暗示」ではとかいう説もありましたね。

で、本当の尊氏の顔ですが、いつだったか(確か「太平記」放映時だ)どこかで発売した(学研だったか?)ムックでこの問題の記事があったんです。それによると信用できる尊氏の木像(最近はこれを使ってますね)や画像を並べてみると「タレ目」という共通点があるそうで、ほぼあの木像通りの顔だったのではということになるようです。ちょっと温和すぎてちっとも強そうじゃない。「お人好し」っぽところは何となく「太平記」の記述を彷彿とさせるところもあります。
「タレ目」は確実に遺伝してますね。義満・義持の顔見ると確かに(^^)。

直義の像のことは知らなかったなぁ。頼朝像に「疑惑」があることは知ってましたが…というか、あれが「頼朝」だという明白な証拠はないらしいですね。その寺にある画像のどれかが「頼朝」だということになっていて、幾つかの絵の中で「これが頼朝っぽい」ってのが選ばれている実情のはず。まぁ確かに「頼朝っぽい」と僕も思うんですが(笑)。もちろんもう「すり込み」かもしれませんね。
昔の人の画像ってのはアテにならないもののようで、有名な「武田信玄像」も別人だったそうですね。案外中井貴一もミスキャストではなかったのかも(笑)。



#390 
タロイモ 99/07/28 00:53
伝足利尊氏像・伝平重盛像・伝源頼朝像

足利尊氏といえば例の騎馬武者像(もとどりを切って、刀を肩に・・・)
は足利尊氏じゃあなくて高師直らしいですね。(高師詮という説もあり。)

それで、京都の神護寺に伝わる伝平重盛像が足利尊氏である可能性が
高いらしいです。
同じ神護寺に伝わる伝源頼朝像(教科書にも必ず載っている)は
足利直義である可能性が高いとか・・・
実際どうなのか、皆さんの考えを聞いてみたいのですが・・・




#389 
アール・ケイ 99/07/27 10:38
ありがとうございますデス。

徹夜城様
さっそくのお答え、ありがとうございます。
ホントに尊氏君って、優柔不断なイメージがありますものね。
でもだからこそ、生き残れたのかもしれません。
恐妻家だったんでしょうか。妾腹の子への仕打ちはその為かなあ。
本妻をめぐる立場は家康と似てますよね。
(権力者の縁者を妻としたが、その権力者を滅ぼしてしまう)
家康みたいに殺してはいませんが、妻子とも北条に人質に取られても、殺されるリスクは冒した訳ですし。



#388 
徹夜城(海賊史専門の管理人) 99/07/26 00:09
尊氏くんは…

>アール・ケイさん。
うーんと、僕の専門は一応「東洋史」の中の「海洋史・海賊史・国際交流史」となってまして「南北朝専門」ではないんです、念の為(^^;)。
単に「南北朝マニア研究者」なんですけどね。もっとも専門との絡みが多いので首はかなり突っ込んでいます。

で、ご質問の件ですが。…そりゃまーわかりゃしませんね、ミもフタもないけど(笑)。ただやはり世の中がまだまだ安定してなかったのは確かですからその意味では心残りではあったでしょう。大河ドラマでは義満の生まれてくることを「太平の予兆」として何となくハッピーエンドにしてましたが…(先日久々にビデオで観ました)。
 あと尊氏の性格のことですが「あっさりした」と言われても仕方がないかも。かなり複雑怪奇な動きをするお方ですが、性格はかなりざっくばらんだったみたいです。歴史家の方が使った表現でも「豪放磊落」とかいうのがありました。その一方でやたら気弱な側面も見せることも有名で、「躁鬱質」と指摘した人もいましたね。
 もうネット上から削除してますが、実は「しりとり」の第一回は「足利尊氏」だったのです。以後「ジョルダーノ=ブルーノ」「乃木希典」と来ているわけで…ううっ、そういえば新資料を読まねばならなくなったため更新はあとちょっと先だ(汗)。

坂口さんの作品といえば「石の花」は読みました(いま「医師の鼻」と変換しやがった)。

追伸:今回の「ニュースな史点」には「てこ歴」ネタが含まれています。



#387 
アール・ケイ 99/07/25 22:24
ちょっと御質問

徹夜城様は、南北朝期がご専門だそうで、
大河も『太平記』がお好きとの事。
そこで質問なんですが、尊氏は死ぬ時に秀吉のように「死んでも死にきれない…」という、思いを抱きつつ亡くなったのでしょうか。さほど出来のよくなさそうな後継者(義詮)に後を託すのは、心配で心配で安らかには死ねなかったような気もするのですが…
それとも妙にあっさりした性格だったから(間違ってますか?)、後は運命よ、権力、覇権は借り物よと悟っていたのでしょうか。
大河を見てからずっと疑問に思っていましたんですよ。
(もちろん、ほんとのとこは確かめようもないことでしょうが)

かずさ様
『あっかんべえ一休』の作者、坂口尚氏は
我が手塚治虫の最後の直系の後継者でした。絵が似ているとかそういうことではなくて、スケールの大きさ、視点の高さが師匠(という言葉は相応しくないかも)ゆずりでした。
坂口氏が『一休』を書き終えた直後急逝した時、私はある意味で手塚氏が亡くなった際以上の衝撃を受けました。特に坂口氏の大ファンという訳ではないにも拘わらず、無念で無念で仕方有りませんでした。
『…一休』は同時代を描いた大河ドラマ『花の乱』より数十段上の名作です。
ちょっと熱が入りすぎたでしょうか。御迷惑かけます。



#386 
徹夜城(ついにSWを観た管理人) 99/07/24 00:10
「歴史噺」

>shibanekoさん。
一休さんの「その話」じたいは聞いたことがなくもないんですが…「昔話」とはいえ「断言」されちゃうとねぇ…とも思ったのですが、まぁ牛若丸にしても真田十勇士にしても、子供の頃聞いた「歴史噺(←こう書くとニュアンスが伝わると思います)」というもんは結構いい加減な話も多いですよね。それらが「入口」になる分には構わないんですが。

「時代考証」の話とは別に、僕は最近の子供の相手をしていて(塾などで)彼らが「歴史噺」を驚くほど知らないことを思い知らされます。子供の時そういう「お話」のたぐいを何も見なかったんだろうかって子がかなりいますよ。多少いい加減でもいいから「昔こんなことがあったんだよ」っていうネタをいくつも持っていて欲しい。そういうものの「欠如」から「変な歴史観」にはまる人が出てくるんと違うか…なんて心配をすることもあるんです。
そのせいもあってか僕の「歴史授業」は雑談・雑学のオンパレード。歴史はこうでなくっちゃ、というのが僕の信条です(もちろんノルマと時間との戦いですが)。例えばですね、鎌倉幕府の役職名をあれこれ覚えるより、「源平合戦時の戦闘マナー」を知る方がよっぽど「歴史を知る」ことになると思うんですよ、結果的に。

>NHKの時代考証
書き込みをみていて思ったのですが、「太平記」を大河でやったとき、美術監督が「僕らの作ったものが視聴者の「南北朝」のイメージになるわけだから、責任は重大」ってなことを言っていたのを見たことがあります。前例がなかったし資料も豊富とは言えないので試行錯誤、かなりご苦労されていたようです。でもその美術スタッフとしての「責任感」には感服しました。

ひとの研究を勝手に引用するってのは以前「知ってるつもり?」でも問題になりましたっけね。



#385 
AK 99/07/23 22:50
某N○Kだって……ううむ、言いたい放題(笑)

>shibaneko様

 某局の大河ド○マでも、時代考証はかなりいい加減だと感じさせられるコトが多いいですね。
数年前の秀吉(あっ、言っちゃった)だって、時代考証・風俗考証には、それなりに名が売れた
学者(もっとも、批判も多い……)が名を連ねていましたが、実質的にはほとんど「名を貸す」
程度だったようで、その考証自体は眉をひそめるようなものでした(わたしが仮に同じ立場だっ
たら、かなり恥ずかしいと感じたと思います。そんな立場にはなれませんが(笑))。まあ、
あの原作自体、例の経企庁長官殿ですから、いい加減というか、そもそも時代考証されてないん
でけど。
 それに、数年前やっていた同局の歴史番組では、とある学者の著作等を無断で番組中に使用し、
この学者の激怒を買ったということもありました(これは、当の学者から聞きました。もちろん、
謝罪させたようです)。そんなわけで、良心的と思われる某局の歴史番組でさえ、こんな有様で
すから、しっかり時代考証されたものの方が珍しいのかも知れません(そのほうが面白いし、そ
れが得々と間違ったことを述べたがる、自称歴史好きが増える原因のような気がする……)。
 まあ、歴史に対する興味を持つきっかけになればすばらしいことですし、ある程度割り切って
見、長じて自分なりに俗説や小説の中の出来事に惑わされない、歴史を見る目を養えればよいの
ではないでしょうか。
 そのためには、本でも映像でも、数多く触れていくことこそ大事なことでしょうね。三国志演
義しか読んだことがなく、きちんとした歴史や書物に触れたことがなければ、その人にとっては
比較材料がないわけですから、事実と虚構、あるいは事実と想像・推量とを判断することはでき
ないですもんね。



#384 
のよりん 99/07/23 14:42
時代考証ってしないんです

はじめまして
某大河のBBSではみなさまお世話になっております。
ちょっと自分のテリトリーのはなしが出てきたので
今回初めて書かせていただきます。

shibaneko さま
そのビデオに“時代考証”のスタッフ名はついてましたか?
多分ついてないでしょうね。
たいがいの子供向けのアニメや時代劇は、老舗がかかわっていないかぎり
時代考証の担当者はつかないんです。
はっきり言って予算上の問題、人脈のなさ、制作時間のなさが三大原因です。
じゃあ誰がやるかといえば、担当のスタッフが個々の裁量でやってのけます。
するとどうなるでしょう。
トンデモな説やデタラメな歴史観が表現されることと成ります。
まったく困ったものですが、この手の作品は機会があれば副読本を事前に用意するのが
いいかもしれませんね。
ただ、子供向けの作品と言うのは見ている側にとってはすんなり信じられやすいので
本人がああそうか!と気がつくのが大分あとになったりします。
たいがいの人は歴史にふれることがないのでそのまま信じちゃったりしてますね。
そして、個々人独自の史観ができあがるのだと思います。
もちろん“時代考証”の人がいてもどうしようのないものもあります。
私は直接関わらなかったのですが、同じ会社で平成になって「騎馬民族征服説」を取り上げた特番を
制作したことがあって(何十年記念とか副題付き)江上さんのインタビューなどもおりこまれておりました
何をいまさらとも思ってましたが、会社の大事な収入源だったので口をはさまなかったことがありました。
というわけで、ビデオや番組はお子さまと見る前にはくれぐれも事前に見ておくことをお薦めします。



#383 
shibaneko 99/07/21 12:42
一休さん

先日、小学校で子どもたちとビデオを見ていたところ、
「日本昔話」(某テレビ局で放送されたモノとは違います)に
一休さんの話が出てきました。
驚いたのは、冒頭ではっきり、千菊丸(一休さんの幼名らしい)は
後小松天皇の息子で、皇位継承にからむもめ事から逃れるため、出家させられた
という話が出てきました。
子供向けのビデオで、ここまでハッキリ言いきっていいのだろうか・・・?
と思いつつ、ちょっと複雑な気持ちで見てしまいました。

http://www01.u-page.so-net.ne.jp/zb3/mamas/index.html


#382 
かずさ 99/07/20 18:27
室町幕府^0^

あっかんべー一休面白いですよね。
一休宗純の一歩間違うとただのへりくつのような教えを
わかりやすく書いてます。
アフタヌーンって月刊誌に載ってました(^^

昔の一休さんってアニメも足利将軍とのとんちのやり取りがメインでしたけど
東国や西国が舞台になった話はほとんどありませんでしたね。
畿内だけの弱小政権だったことがこんな所にも見えてきます^0^
ではまた^0^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#381 
徹夜城(相変わらずものぐさな管理人) 99/07/18 12:13
金日成の「疑惑」

>山添さん。
ご要望に応えて(実は前から気にはなっていたんですが例によってものぐさなもので)壁紙を薄くしてみました。こんなもんでどうでしょ。
それと上下の件ですが、いちおう下から上へというスタイルが一般的掲示板のようですので、とりあえずそのままにしておこうと思います。最新のものが一番上にあるという便利性の方が優先されてるわけで…確かに僕もよその掲示板見るとき、ひさびさに見に来て文章が多かったりすると苦労してるので、大変なのは分かるんですけどね。ツリー型って手もありますけど、ちょっとこの伝言板ではやりたくないんです。

>金日成のこと。
これについてはかなり色んな説が出てましてねぇ。日本が敗北して朝鮮半島にソ連軍と金日成が入ってきた時から「別人説」があるんですよ。一つには「キムイルソン将軍」という名前が有名になっちゃってのに(これにはいろいろと事情があるようですが)実際の彼が若すぎたのが原因の一つのようですね。今でも韓国を中心に「金日成別人説」「金日成は有名な将軍の名をかたった」などなどの説が言われているわけです。確かに若い頃の金日成が「金成柱」から改名している事実もありまして、そんなことが言われているわけです。韓国人側の政治的な意図があることも否めないと思います。

で、真偽のほどですが僕はこの手の説には否定的。いくつかの本などを当たったことがありますが(大学ゼミで話題になったことも)、彼の幼少期に家族同然に暮らした人物が韓国・米国にいて、あとで北朝鮮に招待され本人と旧交を温めている事実があり、少なくとも「別人説」は否定できると思います。彼が反日ゲリラをやっていたというのもホントでしょう。しかし現在の北朝鮮が「神話」としているほど劇的なものだったかどうかははなはだ疑問です。ある時期から明らかにソ連に行っていて、息子の金正日氏もそこで生まれたと思われます(少なくとも白頭山じゃないだろうなぁ)。

まぁ何せ事が事だけに、決着が付かないと思いますよ。よくある歴史ミステリーの一つとして残っていくような気もします。
…この手の話は落合信彦氏も書いてましたが、ちょっと下調べがいい加減でしたねぇ。立ち読みしたんですが、金日成の実名がのっけから間違っていたような。



#380 
山添 99/07/18 01:01
金日成て。。。

日本植民地統治時代に、金日成という抗日ゲリラの将軍がいて、この人がカリスマもあり戦術もできて活躍した。
しかしこの人はソ連の傀儡にならないために消され、ソ連の言うことを聞く別の人間を「金日成」として、北朝鮮に送りこんだ。

と、こんな話を聞いたことがあるんですが、どないなっとるんでしょう?

# 上から下に伝言が増えていくようになりません?1ページを越える発言が詰まってると、上下に振動しながら上に進まなあかんので。
# あと、背景の色が濃いです。タイトルが見にくいです。黒字もたまにつらい。


http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#379 
徹夜城(長い道のりを経た管理人) 99/07/17 09:47
10000か…しばらくケタ増やす心配ないな(笑)。

>ふいごのマロウさん。
どうもありがとうございます。
ふぅ、10000突破したんだなぁ。長い道のりであった。
ずいぶん前から来ていただいてる方には分かるんですけど「97年9月4日から」っていっても初めの一年はほとんど何もしてませんでしたね(「しりとり」「海賊」は当時からあったけど)。去年夏からぼちぼち本格活動してまして事実上1周年ぐらいなんですよ。それまでは「映画」と良い勝負でした(笑)。あっちもちゃんと動けばそれなりに活発化するんでしょうけど。
結局ホームページは更新が命ってことですな(「しりとり」の更新催促をしていただいた方々、いまガンバッテますから、もうちょい待ってね)。

>中根さん。
ふうん、永山さんって前からそんな本を書いてらしたんだ(^^)。
まぁただ僕の感触ですが、ご本人も分かってて「話半分」でやってる気がするんですよ。ひとつの歴史ネタ話として面白いのも確かですし。
この手のことを血液型やDNAでやってる方もいますねぇ(笑)。

足利政権が脆弱だったから明の冊封体制に入ろうとしたってのは僕もうなづけるところです。前にも書きましたが最近の村井章介さんの本でもこの問題に触れています。面白いのが懐良・了俊も義満と「日本国王」を争う立場にあったという視点。大内氏だってこの可能性はあったかも。大内さん確か「うちの先祖は百済系じゃ」とかいって朝鮮に接近したりしてましたもんね。



#378 
ふいごのマロウ 99/07/17 08:41
★10000ヒット★おめでとうございます!

徹夜城様、
祝!★10000ヒット★!
おめでとうございます〜!
PCーFXも20000ヒットしそうですし、
アシモフも5000越えて快調ですね〜
映画は・・・ふふっ

とりあえず、今回は祝辞ということで・・・




#377 
中根大輔 99/07/16 03:38
室町幕府も案外脆弱だからなあ・・

どうもこんばんは。中根です。
今度追加されたてこ歴本、なんかこの永山久夫氏の本は小さいころよく読みました。
あのころは結構感心していたのですが、今見てみると、まあ確かにこれはトンデモの類でしかないな・・・
姉妹品?に「戦国武将の食生活」(河出文庫)という同一作者のものもありますが、負けず劣らず凄いことが書いてあります。
いわく、「織田信長は甘辛いものばかり食っていたから怒りやすく、本能寺の変もそのために起こったのである!」よし。
うーん、「信長が京都人から見ると味付けの濃い料理を食べていて、それで笑われた」という「備前老人物語」の記述から、
(いつも食べたとはいっていないぞ!)そこまでいうかなあ。だいたい京都の人から見れば東国の味付けはみな濃いように思えるのでは?
じゃあ東国の人はみな怒りっぽいのでしょうか?!違うと思うが・・・
ともかく、いつもこの調子です。この人。でも今度の本は特に極端なようですね。
>徹夜城さま
新田幕府はできませんね。実力が上の足利氏ですら守護大名を懐柔するのにあれほど腐心しているのですから・・
室町幕府というとなにか強固な政権のような気がしていたのですが、最も権力の強かった義満期
ですら守護大名の大内氏が京都まで攻め上っていますからね、意外に弱い。
だからこそ冊封体制化に属する必要性があったのでしょうね。
最近読んだ「あっかんベェ一休」(講談社漫画文庫)という歴史漫画では、そこのあたり特に強調されていたので、
大変印象に残っております。ちなみにこの漫画は政権が脆弱なために苦しむ民衆を救うべく、禅僧・一休が奔走する
という史実に即した傑作でありました。




#376 
徹夜城(夏休みが近い管理人) 99/07/16 00:16
新田幕府は?

そういや我が家には「チョソン民主主義人民共和国憲法」という真っ赤な装丁の本がありましてね(日本語訳です)。某研究室が不要品処分したときになんか面白そうだったんで頂戴してしまいました(笑)。

>ふいごのマロウさん。
僕はあんまり「IF」ばなしをしない方なのですが…
万一新田義貞が尊氏に打ち勝ったとしても、やっぱり彼を将軍とした幕府が出来たような気がします(資格は家康なんかよりはあると思うぞ)。勝った側である後醍醐天皇とそっちで戦った武士層の間でどのみち内紛が起こったと思うんですよ。もっとも基盤の脆弱な新田幕府じゃ安定性には欠けたろうなぁ…って以前にそういう基盤だからこそ敗れ去ったともいえますな。

 どうも義貞って今ひとつ評価されん武将ですね。ま、実は僕もあんまり評価していません。やっぱり彼の一連の戦いを見てるとねぇ。比較的南朝びいきといわれる「太平記」も正成絶賛の一方で義貞には冷たい印象ですもんね。我が家にある平凡社百科事典でもかなり悪く書かれています(「正成を湊川に見殺しにした」とか書いてある)。大河ドラマでも武田鉄矢が「あれはおとりじゃ!それがなぜわからんっ!」と激怒してましたっけ(笑)。

小説世界でも概ねそのようで。主役に据えたのは新田次郎の「新田義貞」だけでは?これもペンネームが近かったらって程度の動機で書いたらしいんですが(笑)。ここで新田次郎は「義貞と尊氏では出発点が違いすぎた」として弁護しています。まぁ確かに。新田と足利の経済力・影響力の差は半端じゃなかったんですよね。吉川英治なんかは話を面白くするために新田・足利を宿命のライバルのように描いてました。



#375 
ふいごのマロウ 99/07/15 18:56
ご指摘のとおりです。

>ほん様

はじめまして、「ふいごのマロウ」と申します。
「だいぶ前の書き込み」の張本人です。
ほん様の、丁重なご指摘、感謝の念に耐えません。

・・・あれは、ただのタイプミスです。
とはいえ、「偉大なる首領様」の「永遠不滅の赤旗」たなびく
「地上の楽園」の名前を書き間違えてしまうとは・・・
「抗日遊撃隊」に●●されてしまいますね。

>徹夜城様
天下統一おめでとうございます。
新田幕府はどのような政治をめざすのでしょうか?
あっ、「幕府」じゃないか・・・




#374 
中根大輔 99/07/14 03:56
天下統一おめでとうございます。

こんばんは。中根です。ちょっと他行しておりまして、久しぶりの書き込みです。
義貞での天下統一、おめでとうございます。しかし最後なぜ島津が継いだのか、ねえ。
ふつう足利が滅亡した時点で天下統一のような気もしないでもないですが。史実だったら
そういう展開になっていたと思うのです。ま、雑感でした。
(木村太郎のような終わり方だなあ)(^^;

 





#373 
ほん 99/07/14 02:08
マンガのおける最終戦争について

 ああ、あのカキコはただ深い考えもなくて、自分の体験を元に記憶をたどりたどり書いたものです。そういえば「ナウシカ」もそうでしたね。懐かしいなあ・・・ターミネーターなんかもそうだな・・・

> このあとゴルバチョフの登場なんかで急速にこの手の設定が消えていきますね。…
 
 このへん確かターミネーター2でちょっと説明してましたね。
 ターミネーターが「核戦争が起こった」というと、J・コナーが「ロシアは同盟国なのに・・・」と物語の前提を破壊しちゃうようなツッコミを入れてました。ターミネーターは、「人類を滅亡させるためコンピューターが先制攻撃してしまったのだ」と、くるしいフォローをいれてました(笑)。

> 過去の漫画・アニメ・映画・小説等に出てきた「人類滅亡」とか「全面核戦争」といったものが何年に設定されていたか、って調べると面白いんじゃないかなぁ。
 
 おもしろそうですね。
 誰かやってください(笑)。
 ぼくは遠慮しときます。

http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/2094


#372 
徹夜城(漫画ファンでもある管理人) 99/07/14 00:13
漫画における最終戦争

>ほんさん。
うーん、「北斗の拳」ねぇ…。ちょっと時代が新しすぎると思いますよ。やっぱり「1999年滅亡」は五島勉の「大予言」が出た70年代に根があるでしょう(ま、たぶん彼が元ネタにしたものもあったと思うけど)。以後はその亜流だと思ってます。
 もっとも当時実際に米ソ核戦争の危機が叫ばれていて(キューバ危機がついこの前ぐらいですからね)「核戦争後の地球」という設定が物語世界でやたら乱立していたわけで、80年代に入ってからの「北斗の拳」もその一つのバリエーションだったとも思えます。「風の谷のナウシカ」なんかも同時期でしょ(ついでながら今「未来少年コナン」のDVD購入してチビチビ見てるんですが…これだと終末戦争は2008年になっています)。
 このあとゴルバチョフの登場なんかで急速にこの手の設定が消えていきますね。…こういうのも歴史噺なんだろうなぁ(笑)。

 いま思ったんだけど、過去の漫画・アニメ・映画・小説等に出てきた「人類滅亡」とか「全面核戦争」といったものが何年に設定されていたか、って調べると面白いんじゃないかなぁ。
 故石ノ森章太郎の「サイボーグ009・移民編」では確か80年代に米中間の核戦争(!)が起こって人類がほぼ絶滅って設定があったような気がします。
 さらに脱線しますが「てこ歴」の例の日本史本に出てくるヨタ話って「009」シリーズによく出てくるような気がしません?前から思っていたんですけど「009」ってオカルト系SF歴史話(としか表現しようがなかった)の宝庫というところがありますよね。いや、「009」は漫画としちゃ僕は大好きですけど…やっぱりブラックゴーストとやりあってる前半が一番面白いよなぁ。

…すいません、なんか最後は歴史談議から完全脱線してました。



#371 
ほん 99/07/13 22:49
お久しぶりです!&古い話

 久しぶりに二度目の投稿をします。ほんといいます。

 へんてこ歴史本のところを読んでいて思ったのですが、若い世代(20代くらい)が「1999年7月に世界は滅亡する」と信じるようになったのは(誰も本気で信じてはいないけど)、「北斗の拳」の影響もあるのかなあ、と感じました。あれ、毎週毎週「199X年、核戦争によって・・・」で始まりますよね。それで、「ああ、おれたちは2000年を迎えられないんだ」と子供心に認識しちゃったって言うのもあるのかな、とつまらないことを考えてます。

 だいぶ前の書き込みで、「北朝鮮は自分たちのことを『チェソン』と呼ぶ」というのがありましたけど、正確には「チョソン」ですね。発音の問題でもないです。どう聞いても「チョ」としか聞こえませんし、彼らも日本向け出版物では「チョソン」と言ってます。細かいことですが。

> 金日成って結構きさくで面白い人物だったそうですよ。

 これには裏があります(笑)。
 彼がもっとも多く会ったのは、日本から訪れた在日コリアンの企業家です。
 そこで彼は、企業家たちに気さくに語りかけ、感激している企業家たちに、「我々も諸君も、それぞれのやり方で祖国のために尽くそうではないか」みたいなことを言います。
 祖国に何十年も君臨するカリスマ的指導者から直々にこういうことを言われた企業家たちは、感激の涙を流しつつ、その場の雰囲気で「私はいくらいくら寄付します!」「私はいくらいくら・・・」と争って莫大な額の寄付を申し出てしまうそうです(おそらく最初に言い出す人物は、その旨言い含められたサクラなのでしょう)。それを後ろの方で、副官が記録しています。断ろうと思っても、とてもそんなこと言い出せる雰囲気ではなさそう・・・国の指導者が、一市民である自分にあってくれた上、直々に寄付を要請している、周りは全員それに喜んで同意している、そんな中で一人だけ断れる人間がこの世にいるでしょうか?

 彼らは日本に帰ってきて、冷静になってみると、「なんてバカなことを約束してしまったんだ」と後悔しますが、覆水盆に返らず、綸言汗のごとし、もう寄付するという言質を取られちゃってます。こうして、彼らが日本で汗水たらして稼いだ金が、向こうに行って、軍事費になったり、官僚たちの遊興費になったりしちゃうわけです。

 長文ごめんなさい。
 それではまた。

http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/2094


#370 
徹夜城(天下を制覇した管理人) 99/07/13 00:02
天下を統一しました。

>本日の風雲南北朝。
「天下」っていっても、もちろん日本国内だけです(←わざわざこれを言ってしまうところが東洋史専攻)。

義貞軍がいよいよ関東へ乗り込む。甲斐の武田(北朝)に説得工作をかけて寝返らせようと努力していたが、いきなり手薄となっていた占領地・駿河に武田軍が侵入。激怒した義貞、一気に甲斐を攻め武田氏を血祭りに上げる。さらに武蔵で直冬を屠ってついに足利一族滅亡。足利残党が北関東・東北で抵抗したがこれらも南朝オールスター軍(新田・楠木一族揃い踏み)の前に蹴散らされる。北朝側だった千葉氏は勢いを恐れてあっさり降伏、東日本は平定された。

残るはなぜか北朝武家の棟梁になってしまった島津貞久が居座る九州である。島津が日向を征服すると力を蓄えていた菊池一族がついに蜂起、薩摩に攻め込みこれを占領(中西さん、武光出てきましたけど、肥後でお留守番でした)。すると島津、北九州にいた佐々木道誉に説得工作をかけ、ついに道誉を北朝に鞍替えさせてしまった!
 道誉は手薄になった菊池領肥後を占領。義貞おおいに慌てるが、佐々木が敵に回ったのをチャンスとみた中国の名和一族が北九州の佐々木領を攻撃・占領。このあたり仁義無き南北朝らしいところ。義貞は佐々木軍との正面対決は避け(だって結構強いんだもん)、買収工作をかけまくり、また道誉を南朝に鞍替えさせる(ホント、双方にとって厄介な男である)。そしてついに義貞率いる新田・楠木オールスター軍(義貞・義助・義治・正行・正儀・船田入道)が四国経由で九州平定に向かった。
 最後の決戦は日向だったが、島津軍に裏切りが続出して惨憺たる戦いであった。ついに島津氏も滅ぼされ、1340年9月、義貞は天下を統一したのである!

 …僕が義貞だったらこのあとただちに後醍醐帝の退位と新田幕府開始のためのクーデター起こしますね(笑)。

 もうお読みになったかもしれませんが、「てこ歴」に新作が入っています。もう次々回まで取り上げるネタは決まってたりするんですが、7月末に大学院で本職の発表しなきゃならんのでちょっとペースが落ちるかもしれません。「史点」はなんとか更新しますが。 



#369 
徹夜城(ゲームにはまった管理人) 99/07/12 00:55
まだまだ続く?「太平記」

今日はすっかり「太平記」で時間を潰してしまった!おかげで「史点」と「てこ歴」の更新は月曜に順延。もっとも弟が高校野球記事執筆のためPCを占領していたという背景も。

>中西さん。
あ、そのミニボードゲーム、僕持ってますよ。それの発売元から出ていたSLGファン向け雑誌(タイトル忘れた)に南北朝ファンなら大いに楽しめる爆笑リプレイ記事と紹介漫画が載ってました。簡潔ながらなかなか良くできた(南北朝ファンには実感できる)ゲームだったと思います。確かに義貞の評価がかなり悪かったですよねぇ(笑)。今僕がやってるゲームだと義貞かなり優秀なんです。バランスを考えたんでしょうけど。
「太平記」に高麗使節の話が確かにありましたね。それで神功皇后の話まで出て来ちゃうような記憶がありますが。僕の読んだ印象では「太平記」って後半に進むに連れ物語的面白さは減るものの政治・軍事ルポ文学としての正確さは高まってくるように思えます(まぁだから複数作者説が言われるんでしょうけど)。

>本日の風雲南北朝!
 中国地方に高師冬らが頑強に粘っていたが、脇屋義助・名和長年らのコンビプレイ(といっても例によって名和一族の操作は出来ない)によってついに撲滅に成功。味方だけどいつ裏切るか分からない佐々木道誉は四国から九州へと勝手に遠征していき、北九州で少弐一族(北朝)を攻め滅ぼしてしまった。まぁ手間が省けたけど…そうこうしているうちに武蔵に駐留していた北畠顕家がとうとう直義の大軍に攻め滅ぼされてしまった。

 畿内の不安も解消したし、というわけでついに義貞の大軍が東征開始。東海各大名(吉良・今川)らを説得で無血降伏させる一方、美濃・信濃で直義軍と激戦を繰り返す。あらためて足利主力軍の人材の豊富さに舌を巻く。高師直1人だけでも凄いんだもんなぁ(なぜか足利軍にいる北条時行も強力だ!)。「一歩退却・二歩前進」というペースで足利軍を切り崩していく。「箱根竹之下」の轍は踏むまいぞ(笑)。うちつづく激戦の中、直義も義詮も我が手で葬る。そしたら足利家の当主は直冬になっちまった。ドラマだなぁ(笑)。
 ところがどういうわけか義詮が死んだ時点で北朝軍の統率者(武家の棟梁ってとこかな?)がいきなり九州の島津氏になってしまった!おいおい!なぜそうなるのだ!

 まぁ本日はこんなところ。あと一息ですな(残るは肥前・薩摩・関東・東北)。それにしても優勢になってくると各地の南朝大名から献金が相次ぐのが笑える(自民党政治家の気分?)。戦闘の最中に急にこっちに裏切ってくる武将も目立ちます(笑)。



#368 
中西豪(征西将軍宮じゃなくて鎮西大将軍) 99/07/11 16:05


 どうも、中西です。
 南北朝の話で盛り上がっていますね。毎日覗いていると自然に感化されるのか、昨日も古本屋で北方謙三『波王の秋(とき)』(ま、広義にはこれも南北朝モノだけど)を買うつもりが、間違えて『破軍の星』を買ってしまいました。ははは。
 で、今日も研究室で壬辰戦争休戦期に全羅道で起こった「李夢鶴の乱」について書かれた論文を探そうと「青丘學叢」総目次を引いていると、ぱっと目に飛び込んできたのが、中村栄孝「太平記に見えた高麗人来朝の記事に就いて」。朝鮮(高麗)側史料と検証して『太平記』の史料的価値を評価するものですが、こういった邂逅は、いわゆるシンクロニシティって奴ですか(笑)。
 南北朝動乱期を舞台としたゲーム、ボードSLG(といってもソフトマップですが)でも、コンパクトでプレイアブルなものが発売されていました。それでもちゃんと指揮権ルールは存在して、新田義貞と楠木正成が一緒にいたら、正成は絶対全軍を指揮できない。戦術能力は雲泥の差なのに(涙)。
 まあ、南朝での新興武士層の地位の低さは事実ですからねぇ、楠木一族が廟議に同席できたのは正儀のころからだと聞いています。
 やっぱり南朝のエースは、懐良親王と菊池武光だ、と地元贔屓で断言します(笑)。筑後川の合戦の武光の勇戦を見よ! 小札を強化した「筑紫胴」には矢は突き立つも貫通せず、馬を七たび乗り換え、乱戦の中兜を失えば敵将から奪いとる、と凄まじいばかりです。今川了俊西下以前に九州を平定して東上する、といった「IF」を満喫できるゲームはないものか。
 コンピュータSLGは戦国期天下統一モノ「天下布武」にはまっていた頃があります。一部「クソゲー」との声もありましたが、いろいろと考えさせられるものでした。いずれ、どこかでその詳細は。



#367 
徹夜城(義貞に乗り移る管理人) 99/07/11 00:03
あわわ…死ぬ、死ぬ…

>タロイモさん。
そうそう、顕家役はゴクミでしたっけね…演技さえうまけりゃ…(以下略)。

北畠顕家くん、このゲームでも僕が調べた限りでは「南朝最強の武将」です。肝心の正確な数値は忘れましたが…統率値85戦闘値91じゃなかったかな?統率値ってのはその武将が率いることの出来る兵士数にそのまま響くものでして顕家の場合8500名の軍団を率いることが出来ます。例えば楠木正成なんかはこの数値が低いので大軍を率いることが出来ない仕掛けです(戦闘値は高いけど)。ま、「身分」も加算してると考えられますね。
ただこのゲームは先述の通り、尊氏か義貞を選んでその一族と直属の部下しか操作できず、義貞でプレイしても顕家くんや正成に直接指令が出せません。地方の大名も各自が勝手に動いていて、おのれの勢力拡大しか頭にありません(南北朝史に詳しい方はこのリアルさが分かると思う)。おかげで顕家くん、奥州から関東まで進出したもののそのままそこに居着いちゃって全然活躍してくれません(涙)。まぁ大局に影響はありましたが…

>本日の展開
正成亡き後の畿内は大荒れ模様。千種忠顕、赤松円心も早々と討ち死に。我が義貞は近場の強敵・佐々木道誉に説得工作をかけまくり、後醍醐天皇からいただいた綸旨まで下して道誉を南朝側に寝返らせることに成功。ついでに山陰の山名時氏も南朝に寝返らせて畿内は一気に南朝有利の情勢に(義貞くん、京都に居座ってこの間一戦もしていない)。

目を東国に転じれば顕家軍ついに南下を開始。尊氏自ら武蔵にこれを迎え撃ち、大激戦の末顕家軍ついにストップ。ところがこの激戦を横から見ていた越後・上野の新田一族(僕が操作してます)、尊氏軍の消耗に目をつけ「すわ!」とこれを急襲!尊氏ひとたまりもなく捕らえられ首を刎ねられる(!)北朝勢力は弟・直義が引き継ぐこととなった。

まぁそんなこんなで畿内・中国・四国はほぼ南朝勢力で埋まりました(中国の一部に高一族が粘っているが…)。すぐそばの道誉クンは「婆沙羅」値が高く裏切りやすい設定なので味方ながら要警戒。九州は各大名がそれぞれ南朝・北朝について三すくみ状態(ここっていつもこんなだな)。なぜか菊池一族から義貞にまめに献金が来る(笑)。中部から関東は完全に直義の息がかかっていてうかつに手を出せない状態。顕家も佐竹軍に苦戦、身動きがとれない状態。

これって久々にやったんだけど、意外に熱くなってますねぇ(^^;)。SLGとしちゃ明らかにヌルいけど、南北朝ファンは熱くなれます(笑)。登場武将が235人もいるんだもんなぁ(なんと全員顔CGあり)。
そうそう、正成の遺児・正行は義貞直属の家臣になったので使いまくってます(笑)。そろそろ義貞大将軍みづから東国遠征といきますか。



#366 
タロイモ 99/07/10 00:03
太平記・北畠顕家は?

太平記ですか・・・
実は七月四日に堺の方に行きました。
堺市博物館でいろいろ資料集めてきました。
高師直と北畠顕家が戦った石津はあのあたりでしたっけ。
帰りは阪堺電気軌道で天王寺に出たのですが、途中に北畠という駅が
ありました。
あの駅の近くに北畠顕家の墓があるみたいです。(確かあの辺で討死にしたような・・・)
ゲームの中の顕家はどんな感じでしょうか?顕家軍の通過した場所は
ぺんぺん草も生えないとか・・・(略奪が凄まじかったようですが)
大河では後藤久美子でしたね。男の役を女性が演じるのは、なかなか
インパクトがありました。





#365 
徹夜城(ちょっとゲーマーしてる管理人) 99/07/09 23:24
南北朝ファン以外には難解なゲーム記事かな?

>本日の「太平記」リプレイ報告が事
1336年、鎌倉に反旗を翻した足利尊氏はなぜか京を目指さず下野を攻略。結城親光を敗死せしめ北関東を押さえた。さらにどういうわけか遠江に逃げていた北条時行に説得工作をかけてアッサリ味方にしてしまった(笑)。尊氏に呼応した赤松円心(北朝側)は京をめざし摂津を攻略、対する新田義貞(ボクね)は弟・脇屋義助に大軍を与えて迎え撃つ。円心と義助はほぼ同等の能力(統率・戦闘数値ほぼ同じ)で結局ケリはつかず消耗戦の末、脇屋軍は時間切れ撤退(笑)。

しかし赤松軍の消耗をみて河内の楠木正成(南朝側)が摂津を攻め円心を追い払う。ところがそこへ今度は四国から細川頼春(北朝側)が来て正成を追い摂津占領。弱った楠木軍に紀伊の畠山軍(北朝側)が総攻撃、あえなく楠木軍は敗れ去り、あわれ正成は壮絶な最期を遂げちゃったのであった。

…っておい!いきなり一年目で正成死んじゃったよ(爆)!
すいません、中根さん。いきなり死なせてしまいました。でも一応ボク(義貞)の責任じゃないんで勘弁してください!
前にも書きましたが、このゲーム、義貞も尊氏もあくまで自分と直属の家臣の操作しか出来ないんですよね…楠木正成は直属の家来にでもしない限り直接操作できないのです。ま、その辺が「南北朝」のリアルさを出していると言えば言えるんだけどね…。地方でも各大名が勝手に北朝・南朝について地方戦やってます。
 さて正成がいきなり死んで、義貞の運命やいかに。それは次回で(爆)。



#364 
中根大輔 99/07/09 17:19
「てこ歴」書き込みました

どうも、中根です。
久しぶりに図書館で調べものしてたら、てこ歴関連情報がでてくること、でてくること。
安田氏の本はむつかしいので情報ないのですが、やたら「日本史鑑定」関連が引っかかる(^^;
で、早速書き込んでおきました。

徹夜城さま>
あ、新田でやってますか。がんばってください。しかし勾当内侍って、新田義貞の奥さんですね。
強制的に休ませられちゃうっていうのは面白いですね。なんかほかのゲームでは見ないな、
そういうのは。
後醍醐が動かないのが本当の歴史だったらよかったのに。そうであれば楠木正成も死なずに
すみますね。いや、本当に南朝のためになる(^^)
村井章介氏の本はいずれ読みたいところ。もし読めば「中世倭人伝」読んで以来になります。
それでは。

中西さま>
「旅順・奉天」の本、みんなに薦めておりますよ。

それでは、また参ります。



#363 
徹夜城(こんとこ多忙な管理人) 99/07/09 00:02
「東日流外三郡誌」のこと

多忙っていってもいつものことなんですけどねぇ…このところパソコンに向かうと世界史の授業用のプリント製作に追われていたんです。近現代史なものでかなりしんどかったですね。
しかも使用してるテキストが80年代手前で終わっていたため、その後の激動の現代史も書くハメに。こうしてみるとここ10年は世界史的激動期だったわけだなぁ。

で、「外三郡誌」のことですが。
実はこれについてはほとんど僕は知ってることがありません。ハナから相手にする気が起きなかったのか、あまり関心をもたないうちにブームが過ぎていたのか、もう定かじゃないんですが。
そいでもってその「原文」もいっさい見てませんので、なんとも言いようがないです。
ただ江戸時代の文書のクセに「民活」とか「光年」なんて言葉が登場する「楽しい本」と「トンデモ本の世界」で紹介されてましたね。
「あの」高橋克彦氏もさすがに見放して「偽書」と断定していました。あまりにも次々と書き足しが行われるのにさすがに参ったようで和田さんにも会わないようにしていたとか。
それでいてやっぱり「一片の真実はある」という望みはもっていらっしゃるようですけどね。

>中根さん。
例の「太平記」のゲーム、なんとなく新田義貞で始めてみました。折に触れて状況報告などしてみましょう(笑)。スタート時は京にいて鎌倉の尊氏討伐に出る次第です。もっとも「史実」どおりにやるとそのまんまなので慎重に行くでしょう。
ちなみにたまに勾当内侍が出てきて「今日はお休みください」とかいって強制休養させられたりします。尊氏でやるとこの役を「藤夜叉」がやってます(笑)。
さて後醍醐帝は?といいますと残念ながらやはり雲上人でして、ゲームには参加してません。義貞の「奏聞」コマンドで後醍醐帝のご尊顔が拝せますが、なぜかゲームのヒントなどを教えてくれるだけです(それだけの方が南朝のためかもしれんな、ウン)。
そういや懐良親王は出ていただろうか?未確認です。
明が懐良を「日本国王」と「誤認」した件ですが、最近読んだ村井章介氏の本では彼らの正体を分かっていたはずだとして「誤認説」を退けてました。ちょっと面白いところです。



#362 
中西豪(なにかメールが送れそうな感じですが、間違いです) 99/07/08 22:59
東日流外三郡誌、辛い……

 どうも、中西です。

>東日流外三郡誌
 正直言って、見てるだけで辛いです、ここ数年の騒動をモニターしている身としては。
 今現実に存在する膨大な「文書」群(「古文書」的な「もんじょ」ではなくて「ぶんしょ」)は、どう見ても和田なにがしさんの手になるもの。ひたすら、それが本物の「写本」とする立場を固持するのは古田武彦チェンチェイとその一党だけ。
 武光誠センセイ始め、支持派もどんどんトーンダウンしてきて、加筆は否定できなくなっていて、「それでも一抹の真実はあるはずだ」という、論証不能のところでがんばっているのが現状。
 東北地方で大きな考古学的発見があるたび、「それは和田家文書に書いてある、だから本物だ!」と気炎を上げるのを聞きますが、仔細に見ていけば、すでに公表されたことの後追いばかり。
 「見苦しい、もうおやめなさい」と、親類縁者なら言いたいところ。ほんとうに
辛いっす。



#361 
ふいごのマロウ 99/07/07 20:43
東日流外三郡誌

こんばんは!★ふいごのマロウ★です。

えーと、いろんな人に<レス>を本来かかなきゃならないのですが、ドリキャスだと、カット&ペーストができないので、ごめんなさい・・・

北方民族資料館とか、いろんなとこいって少し調べてきました。
うーん、最上徳内という人は、確かに「善人」だと思うのですが、「倭人」が「アイヌ」を「保護」しようとするのは、少し傲慢な考えなような気がしました。つまり、少数民族を「弾圧」して「無害化」してから「保護」するのは、支配者の常套手段ですが、そんならはじめっから・・・最上徳内さんがみた「アイヌ」っーのも、デーブ・スペクターが見た「日本」のようなものな気がしなくも・・・アイヌ側の資料がぜーんぶ「いいつたえ」だからな〜・・・
「アイヌ」も「倭人」に保護されたいと思ってたとは・・・
また、「倭人」と「アイヌ」の関係を単純に「搾取」「被搾取」の関係で考えるのは危険だと思います。また、「アイヌの反乱」だけ特筆されるのも、奇妙な気がしました。だって、反乱なんて日本全国しょちゅうおきてるんですから・・・
シャクシャインやコシャマイン、オニビシのような知名度の高い
”英雄”が登場するのは、残念ながら「アイヌ」の衰退期であり、「アイヌ」=「弱者・被搾取者」のイメージが一般的なのはしかたがないのですが・・・
もちろん、「倭人が野蛮で凶暴だったからアイヌは衰退したのさ」のような単純な結論もわたしは認めません。(なんかえらそう)
そんでもって、「東日流外三郡誌」なんですが、はぁ・・・
正直いって、どこまで正確なんでしょうか?
京とはちがう、独自の史観で書かれた資料として貴重なものなの
だとは思うのですが・・・

明治になって、安倍=安東=秋田氏が華族となったとき、政府が
”華族が天皇家東征以前に東北にいたことになってはこまる”っていったら秋田氏が”当家は天皇東征以前からこの地にいたことを誇りにしている”という趣旨のやりとりをして、結局秋田氏の主張が通ったのもおもしろいエピソードですよね。

だから、なんでまとまりのない文章しかかけんのか・・・
ドリキャスが悪いんです、きっと・・・

”たかうじ”と”よしさだ”だったら、”よしさだ”のほうが
好きだなあ・・・最後もなんかまぬけで・・・



#360 
中根大輔 99/07/07 17:02
アシタカ談義がこれほど盛り上がるとは。

どうも。中根です。
アシタカの話、盛り上がってますねー。
いや、ここまで話題になるとは思わなかった。(^^;
>AKさま
情報、どうもありがとうございます。
>かずささま
はじめまして。中根と申します。大学で陽明学やってます。今後ともよろしく。
>日本語に聞こえるようで日本語に聞こえない独特の発音ということで最
>終的に「アシタカ」に決定したようですね。
へえ、そうだったんですか。知らなかった(^^;
谷川健一氏の「白鳥伝説」にアシタカっていうエミシの酋長がでてくるから、
その線かなあと思ってたんですが。違ったかな?
あの足利尊氏説はどうなんだろう、やっぱりトンデモだろうなあ。
>なかなか文献はちまたにないのですけど、たまに史書の中に登場する
>アイヌ・エミシの民の話は興味ありますね。アテルイの反乱とか^0^
ううん、文献、ないですね。まあ先ほどあげた「白鳥伝説」などはそれの集大成した文献ですけど。
でもあの本以外にはまともな本はないからなあ。「白鳥伝説」では「東日流外三郡誌」は
きっぱり否定してますけど、たいてい「東日流外三郡誌」に依って書いてしまうものだから。
それではまた。
>徹夜城さま。
情報、ありがとうございます。
>当時は大河ドラマで取り上げたこともあってメガドライブでもゲームが出て
>いました。PCエンジンではなんと二つも出ているのです。
それほど出ていたのですか!いやー実にわからないものだ(^^;
大河ドラマはそうやって見ると偉大ですねー。
そういえば毛利元就もでたものね。
>結局プレイヤーは尊氏と義貞のどちらかを選択し、建武政権崩壊
後を戦うという設定になっているのです。
え、それだけしか大名がいないのですか。それ以外の設定はなかったのかな。
九州の鎮西府政権はどうしたんでしょ。明もあれが日本だと誤認していたほどなのに。
>そして日本全土の「国」エリアの分捕り合戦をコンピューターと繰り広げるわけ。
>合戦はもちろんですが、相手側の「守護」に対して調略をかけまくり寝返らせることもかなり容易。
>逆もしかりでかなり裏切り率の高いゲームとなってました。
そうですか、たしかにそうするしかないよなあ。
でも光栄の「項劉記」にゲームシステムが似ていますね。
南北朝ファンなら大喜びするほどマイナーな武将が出ており数値化されているのも見逃せませ
ん(^^)。
児島高徳なんかもでてくるのでしょうか。あの人の子孫の方とお話したことがありますが、
なんか面白い人みたいでしたよ。

それではまた。



#359 
AK 99/07/07 09:33
『日本』のはなし……

どうも、お久しぶりです。ちょくちょく覗いてるんですけど、久しぶりに書き込みます。

>かずささん

「日本将軍」はこの場合「ひのもとしょうぐん」と読んだ方が適当なようです。
「ひのもと」→「日の出るところ」→「東方」ということで、当時の日本の中央部、
あるいは大陸から見た「東方」という自認があったようですね。

国号でいうところの「日本」については、大体、天武・持統朝あたりから使用し始め
たというのが、一般的な見解です。なぜ、「日本」という国号を使い始めたのかとい
う理由は、様々な説がありますが、ここでそれを述べていると、一つの論文になって
しまいますので、私がとやかく述べるより、下記の本をご覧になると大変おもしろい
と思います。

*吉田孝『日本の誕生』、岩波新書【赤版510】、岩波書店、1997。




#358 
かずさ 99/07/06 21:38
アシタカ?

アシカガタカウジの省略かい(笑)
日本語に聞こえるようで日本語に聞こえない独特の発音ということで最終的に
「アシタカ」に決定したようですね。

なかなか文献はちまたにないのですけど、たまに史書の中に登場する
アイヌ・エミシの民の話は興味ありますね。アテルイの反乱とか^0^

>網野善彦氏によりますと、この場合の「日本」は東北をさす名称です。
へー初めて知った。
そういえば「日本」っていつから国の名前を指すようになったんでしたっけ?

ではまたー^0^


http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#357 
徹夜城(PCエンジンFANの管理人) 99/07/04 13:08
アシタカ=足利尊氏!?ふえぇ。

>中根さん。
PCエンジン「太平記」ご存じでしたか〜。実は僕がPCエンジン買った理由がこれだったりします(笑)。まぁ大した出来ではないですけど。
当時は大河ドラマで取り上げたこともあってメガドライブでもゲームが出ていました。PCエンジンではなんと二つも出ているのです。カートリッジとCD−ROMで。カートリッジの方は「NHK大河ドラマ」と冠されていますがお話にならない出来です。CD−ROMの方は当時発売されていた横山まさみち(!)の劇画「太平記」のキャラクターをそのまま流用してまして、ちと僕の好みには合わない絵でした。
 しかし前述のとおり、CGアニメ(といっても当時のこと。今見ると紙芝居に近い)使いまくりのオープニングデモは感動的です。尊氏が、正成が、義貞が、道誉が、高時が動き、しゃべる!千早・赤坂攻防戦、鎌倉陥落、あの「三代のうちに天下をとれの遺書」なんて名シーンも見ることが出来ます(いちおう吉川英治原作ということになってます)。当時はまだCD−ROMが珍しかった時代。製作者の意気込みが感じられる力作です。まぁ尊氏が遺書を読む場面で目玉が左右にキョロキョロ動いていたのはご愛敬ですが。たぶん横書きの遺書だったんでしょう(爆)。
 で、ゲームの方なんですが。これは製作者が悩み抜いた苦労が忍ばれます。結局プレイヤーは尊氏と義貞のどちらかを選択し、建武政権崩壊後を戦うという設定になっているのです。そして日本全土の「国」エリアの分捕り合戦をコンピューターと繰り広げるわけ。合戦はもちろんですが、相手側の「守護」に対して調略をかけまくり寝返らせることもかなり容易。逆もしかりでかなり裏切り率の高いゲームとなってました。しかも各「国」ごとに事実上の独立経営なので「国」ごと相手側に寝返っちゃうこともしばしば。この辺りはよく考えたもんだと思います。南北朝ファンなら大喜びするほどマイナーな武将が出ており数値化されているのも見逃せません(^^)。
 合戦はと言うとコンピューターがかなりバカなので数さえほどほどにそろえれば絶対に勝てます(笑)。僕は尊氏でクリアしましたが、弟は両方クリアした上で「やっぱ義貞の方が難しい」と言ってました。
 …などと語っているうちに久々にやりたくなってきましたねぇ(^^)。武将の数値もほとんど忘れちゃったし。



#356 
中根大輔 99/07/04 03:12
ご返事、その2.

>徹夜城さま
>連想ついでですが、僕は日本の南北朝時代ファンでしてね。
いやあ、私もそうですよ、実に面白い時代です。
でも同好の士がなぜか少ないです。私の周りには一人しかいないんです。
>この時代のゲームがなかなかないのを嘆いています。あの光栄にして出していない(源平合戦
はあったけど)。
ないですねえ。「もののけ姫」を放映していたころにどこか出すかと思ったけれど。
「もののけ姫」の主人公、アシタカを足利尊氏だと書いていた本がありましてね、
そこからの連想です。足利尊氏を略すとアシタカになるのですよ。
>PCエンジンのは持ってるけど出来がね(笑)。まぁ今見るとCD−ROM初期の意欲作ではあるんですが
知ってます知ってます。欲しかったなあ。私はPCエンジンユーザじゃなかったから
できなかったのです。「太平記」という題だったような・・・
>売り上げ以外にも南北朝ゲーム化が難航する理由は分かります。「戦国」みたいに地道な「領地拡大」「領国経営」なんてやるわけないからです。東北から
九州まで大軍団が何度も駆け抜け、政治勢力は四分五裂を繰り返し、裏切りは日常茶飯事でほとんど際限なし(尊氏からして南朝に降伏したりするもん
な)。プレイヤーが誰を「演じる」かも頭が痛くなるところでしょう。
あとの理由として、一般への知名度の低さもあると思いますよ。だいたい太平記が読まれない。
網野善彦氏の本もあるけれど、戦国に比べるとやはりマイナーですね。
今のわれわれが生きている時代のある意味で土台となった時期であり、歴史を有機的にとらえる
という点でははずせない時代のように思うのですが、みんな知りませんね。
ちょっとどうかと思います。
>そういや北方謙三さん、「楠木正成」書いてるそうですね。これで南北朝小説のシメにするとか。
遂にお書きになりますか、「楠木正成」を。北方氏の南北朝小説はみな考証がしっかりして
読みいいのでよく読みますよ。確か佐藤進一氏とともにテレビ出演しておられたような。 
>中西豪さま
>ううむ、了凡袁黄は風水にまで長じていたとは。
袁了凡の思想の中に通俗道教がかなりはいっていて、それとの関連があるようです。
>朝鮮に伝わる伝説に、壬辰戦争の際、提督李如松が今後朝鮮から傑物が出ないようにと(姑息!自身も三代前は朝鮮人なのに)龍脈を断ってまわった、
というものがあります。
それははじめて聞きました。そうですか、李如松がねえ。日本の植民地支配下でも同様のことが
行われたような話があるように記憶しますが、よくある話なのでしょうか。
>袁黄がそれに一枚咬んでいたりして(笑)。
うーん、話としてはそのほうがおもしろいんでしょうが、袁黄の思想からいってそんなことはしないように思います。
「幸福をもたらすものは自分の努力であり、人の風水を奪っても福を得ることはできず、
かえって仇となる」というのが袁黄の思想である善書「陰隲文」(いんしつぶん)の
主張ですから。
ところで「陰隲文」には和訳があります。明徳出版社中国古典新書中の「陰隲録」
に全文収録されております。ちなみに「陰隲録」は袁黄の自叙伝です。
訳者は石川梅次郎氏、丁寧な解説が付されていますが、その中に問題の
「袁黄が清正を破った」という記述があるのです。
ご参考までに。 
>ふいごのマロウさま
>丁重な御記載ありがとうございます!
>とっても、とっても感謝します!
いや、そんな、どうも。ちょっとしゃべっただけです。
>安藤氏とアイヌの関係は、後の松前藩とアイヌのような関係ではなかったんですよね・・・
あれほどひどい搾取ではなかったようですが、支配被支配の関係ではあったようです。
のちにアイヌが反乱しまして、安東氏は死亡したりして大騒ぎになり、鎌倉幕府が
調停にのりだすありさまでした。
>本州にも「アイヌ民族」は居住していましたし・・・
居住してましたね。地名にその痕跡がみられます。岩手県に残る「沼宮内」なんてのは
アイヌ語地名だそうです。
>でも、彼らの「伝承」の正確さは、目を見張るものがあるんですよ「神話」も、とても美しいものですし・・・
そうですね。わたしも好きですよ。神話の保存に生涯をかけた知里幸恵さんのことは有名ですね。
>ごめんなさい、「正確な」資料がどれか疑わしいので、こんな書き方しかできないんですよ・・・
うーん。丹念に調べていけば資料は結構あるものですよ。かなり正確なものが。
江戸時代にアイヌ保護を訴えた最上徳内(もがみとくない)という探検家の、
「蝦夷草紙」という文献などは信用できると思いますし、この前あげた網野善彦氏の
資料はほぼ間違いないです。北海道庁の資料室もずいぶん前にいきましたが、
なかなかよいものでした。問い合わせるのも一法かと。
ちなみに、「蝦夷草紙」は三一書房の「日本庶民生活資料集成」におさめられています。
「日本庶民生活資料集成」は図書館によくおいてありますので手軽に参照できますでしょう。

それでは、またまいります。





#355 
徹夜城(いま「てこ歴」執筆中の管理人) 99/07/04 00:48
ゲームのネタなど。

>中西さん。
「激闘・旅順・奉天」買いました。実は弟の「K.E.N」は日露戦争ファン(?)でしてね(「坂の上の雲」ではまったんです)。結構面白そうに読んでました。僕はまだ細かくは読んでいませんので、感想などは後日。
そうそう、秋山好古の写真、初めて見ました。なるほど、日本人離れしてますね(^^)。
しかし次号は「朝鮮戦争」ときましたか…確かに近現代戦史シリーズになってますね。売り上げ考えると無理もないか…
歴史系映画やゲームでも言えることですが、どうしても同じ様な方向へいっちゃうんだよなぁ。

連想ついでですが、僕は日本の南北朝時代ファンでしてね。この時代のゲームがなかなかないのを嘆いています。あの光栄にして出していない(源平合戦はあったけど)。PCエンジンのは持ってるけど出来がね(笑)。まぁ今見るとCD−ROM初期の意欲作ではあるんですが(なんとオープニングデモが10分ぐらいある)。ミニボードゲームもあるんですが、けっこうマニアックであります。南北朝ファン以外は何が何やらかも。
売り上げ以外にも南北朝ゲーム化が難航する理由は分かります。「戦国」みたいに地道な「領地拡大」「領国経営」なんてやるわけないからです。東北から九州まで大軍団が何度も駆け抜け、政治勢力は四分五裂を繰り返し、裏切りは日常茶飯事でほとんど際限なし(尊氏からして南朝に降伏したりするもんな)。プレイヤーが誰を「演じる」かも頭が痛くなるところでしょう。
ま、その辺が実は南北朝の魅力だったりするわけですが。そういや北方謙三さん、「楠木正成」書いてるそうですね。これで南北朝小説のシメにするとか。



#354 
中西豪 99/07/03 23:12
風水思想……

>ふいごのマロウさん
 はじめまして、横入りの横入りですが(笑)、
中根さんが指摘されたことのさらに詳細は、村井章介著『アジアのなかの中世日本』(校倉書房、1988)の第二部 中世外交の多様と重層の\、《倭人海商》の国際的位置の二で論じられています。さらに遡って高橋公明論文まであたる必要はありますまい。大きな図書館なら置いているでしょう。
>中根さん
 ううむ、了凡袁黄は風水にまで長じていたとは。
 朝鮮に伝わる伝説に、壬辰戦争の際、提督李如松が今後朝鮮から傑物が出ないようにと(姑息!自身も三代前は朝鮮人なのに)龍脈を断ってまわった、というものがあります。ちょっと思い出してしまいました。袁黄がそれに一枚咬んでいたりして(笑)。



#353 
ふいごのマロウ 99/07/03 15:22
丁重な御記載ありがとうございます!

>中根大輔様
丁重な御記載ありがとうございます!
とっても、とっても感謝します!

安藤氏とアイヌの関係は、後の松前藩とアイヌのような
関係ではなかったんですよね・・・

一般の人は「えみし」と「アイヌ」に関して、サントリーの
会長(だったかな?)程度の認識しか持っていないと
思うんですが、けっこうおもしろいものです。

わたしも「どしろーと」なので偉そうなこと書けませんが・・・

本州にも「アイヌ民族」は居住していましたし・・・

あと、「オホーツク文化」とか「コロポックル」とか・・・

いかんせん、「アイヌ民族」に文字がなかったために、
周辺地域の歴史資料に記載がないと検証が難しいんですよね・・・
でも、彼らの「伝承」の正確さは、目を見張るものがあるんですよ「神話」も、とても美しいものですし・・・

ごめんなさい、「正確な」資料がどれか疑わしいので、こんな書き方しかできないんですよ・・・



#352 
中根大輔 99/07/03 13:17
まずはご返事まで。

>中西さま
ご返事ありがとうございました。
袁黄は陽明学ばかりでなく、風水思想のほうでも大家だったようです。
ふつう陽明学者としては「袁了凡」の方で書かれるほうが多いようです。
お教えいただいた朝鮮側資料は詳しいですね。中国側ではどの本を見ても先日の書きこみのようにしか書いてません。不思議です。
それではこれからもよろしくお願いします。

>ふいごのマロウさま
横レスですがご容赦ください、中根と申します。お書きになっておられる論文について、
私が知っている範囲で回答申し上げます。
>「アイヌの一首領が朝鮮(李氏朝鮮?14世紀頃?)に使節を派遣した」という記述があったんですよ。うーん???はて???なんのこと???安東氏か???
出羽の安東氏が、李氏朝鮮に使節を派遣したという記事が朝鮮側資料にあるのですよ。
そのとき安東氏は「夷千島王」を称しているため、参照された資料はそれを誤認した
ものと思われます。
ちなみに使節派遣の理由は朝鮮版「大蔵経」の購入でした。
>あと、青森県にある日本中央碑もなかなか・・・
網野善彦氏によりますと、この場合の「日本」は東北をさす名称です。
安東氏は「蝦夷管領」(蝦夷探題だったかも)に任ぜられていたため、
「日本将軍」を称しておりました。
>奥州藤原氏は純粋な倭人である事がDNA鑑定から証明されてた?記憶がしますが・・・
平泉中尊寺金色堂にあった藤原氏のミイラの鑑定で確かに明らかになっております。

少しでもお役に立てば幸いです。突然の発言、平にご容赦。

それでは、またまいります。



#351 
ふいごのマロウ 99/07/03 04:28
現代の海賊

本屋でニューズウィーク日本版を立ち読みしたら、
「海賊」の特集をしてまして、
いまでもたくさんいるんですね〜
東南アジア、マラッカ海峡あたりにたくさんいるそうです。


>徹夜城さまへ

ドリキャスキーボード・・・キータッチはそんなに悪くありません。ただ、マウスがないので、すべてキーボード操作でカバーします。なれないとけっこうつらいです。

ところで、私は「アイヌ民族と蝦夷と物部氏と日本中央碑」(爆笑)についてちょこっと論文もどき?をかかなければならないのですが、いろいろな(あやしげな)文献を調査していくうちに、「アイヌの一首領が朝鮮(李氏朝鮮?14世紀頃?)に使節を派遣した」という記述があったんですよ。うーん???はて???なんのこと???安東氏か???

あと、元軍は九州だけじゃなく、サハリンにも攻め込んだそうなんですが、サハリンアイヌは撃退して、逆に大陸に進出したとか・・・うーん、おもしろいんだけども・・・

あと、青森県にある日本中央碑もなかなか・・・

奥州藤原氏は純粋な倭人である事がDNA鑑定から証明されてた?記憶がしますが・・・

ああ、とてつもなくとりとめのない文章になってしまいました。






#350 
中西豪(壬辰戦争に従軍していたら、「中華」を慕って向こうに行くかも?) 99/07/02 19:09
「旋風に告げよ」ときたら……

>『鄭成功』
 私も騙されかけました。ついでに『風よ雲よ』も改題されるのかしらん?
 で、『風よ雲よ』の中の日本人の短気さ、例の偽の割り符を使って情報を引き出そうとするところ、「なんだ、これは違うじゃないか!」と食ってかかるだろうからそこで、という腹づもりが、いきなり斬られてしまう(笑)。



#349 
徹夜城(お勉強中の管理人) 99/07/02 10:42
今「古事記」読んでます。

こちらによくいらっしゃる方には理由はおおよそ見当がつくと思われます(笑)。いやあ面白い。実はちゃんと原文対照で読んでるんです。ぜんぜん更新してない「珍文漢文」でやろうかな〜。

>ふいごのマロウさん。
いやー、いつもドリキャスで御苦労様です。アシモフコーナーであれだけの長文をものされているのには驚かされます。こっちに書く事じゃ無いかも知れないけど、ドリキャスのキーボードってどんな感じですかね?

>中西さん。
うむうむ、江戸時代でもやってたんですね。そういうの。
戦国期も凄いんですよねぇ、在朝日本人たち(「倭人」か「対馬人」とすべきかな?)。アレ見てると偏見でなしに「この野蛮人どもが」思えちゃいますな(笑)。明への室町幕府の朝貢使節も毎度ロクな事してませんし。つくづく迷惑な連中です。

そういえば、先日本屋行ったら陳舜臣氏の「鄭成功」の文庫本が出てました(中公文庫)。「こんなのあったっけ?」と思ったら「旋風に告げよ」の改題でした。なーんだ。結構粋なタイトルだっただけに残念。

追伸:
昨夜の一時期、我がサイトのCGIが全てエラーを起こすという謎の現象が起きてました。その間、掲示板を見られなかった方は失礼いたしました。





#348 
中西豪(壬辰戦争研究家に復帰中、しかし……) 99/07/01 14:29
いろいろと

>徹夜城さん
 うちにも書き込みありがとうございます。レス付けましたんで、また来て下さいね。

>中根さん
 私が想定していた明将も、まさに中根さんが紹介された経略(明の朝鮮派遣軍総司令官)宋応昌の参画(職名)、袁黄そのひとですが、いや、陽明学派の中でもそんなに大物でしたか、知らなかった。
 朝鮮史の泰斗、中村栄孝先生の論文で知っていたのですが、そこでは学者としての詳細は記されていなかったもので、いや助かりました。その論文中で紹介されていた酒井忠夫『中国善書の研究』を探して読まないと。
 でも……、と、ちょっと意地悪ですが、朝鮮内部での活動は、朝鮮側史料の方が詳しいようで。袁黄が咸鏡道で加藤清正を破った、というのは誇張で(中国側史料にはそうあるのでしょうか?)、平壌奪回後に宋経略の命で清正の陣営に赴き、撤退と講和交渉の開始を提言します。でも、これをやるだけでも(単身虎口に入るわけですから)凄い胆力の持ち主です。
 袁黄、最後は反対派の弾劾にあって朝鮮を去るのですが、興味深い人物です。壬辰戦争で長篇歴史小説を書く際(いったい何時だ)には是非登場させたいし、短篇の主人公にもなりますね。

>共和国の外交手段
 今回の「第三次黄海海戦」もそうだけれど、相手を交渉のテーブルに付かせる、自分の主張を強硬に述べ立てるために、まず相手を一発ぶん殴るというのは、緊迫した状況下での外交ボケした日本人には非常識に見えるものでもありますが、そのやり口はそもそも日本が朝鮮(李氏朝鮮)に教えた、という可能性を。
 江戸時代、釜山の倭館(対馬人の領事館的存在)にかかる費用は全部朝鮮持ちで、それが膨大な額に上るので朝鮮側としては度々削減しようとしました。それに倭館の対馬人はどう対抗したか?
 いきなり武装して押し出し、近郊の村落をデモして廻るのです(さすがに殺傷略奪まではやらない)。あるいは、担当行政区の東莱府の門前で腹切りをやる!「いったいなんでそんなことするんだ」と朝鮮側が抗議してきたところで、「いや、かくかくしかじか」と要求を通すわけです。
 雨森芳州の善隣外交が賞賛される昨今ですが、彼も「最近は脅しが利かなくなったから、やり方を変えなきゃいかん」というのが出発点にあるのです、いやホント。その善隣友好の誠心を疑ってはいけませんがね。



#347 
ふいごのマロウ 99/07/01 12:21
はじめまして!?

歴史ファンの皆様、研究者の皆様、通りすがりの皆様、はじめまして!

★ふいごのマロウ★と申します。
徹夜城様のアシモフwebの方から来ました。

実は、こっちの方も楽しく拝見させてもらっていたのですが、なにぶん、「どしろーと」なもので、発言するのが恐くて・・・

ですが、「北朝鮮」ついての話題で掲示板が動いているのを見て・・・書き込むチャーンス!ふっふっふっ・・・

北朝鮮の人たちは自らの国家を、日本語で「北朝鮮」とは絶対に?書きません。「南朝鮮も本来は我らの領土」だからでしょうか?「朝鮮民主主義人民共和国」もしくは「チェソン」と片仮名で書くようです。

私の手元に、一冊の本があります。その名も、「チェソン概観」朝鮮民主主義人民共和国の印刷所で発行された、本物のチェソン政府公式日本人向け日本語チェソンガイドブック!です。たぶん70年代の発行でしょう。「主体思想」が光輝に満ちあふれ、朝日新聞が「地上の楽園」とチェソンを大賛辞していた頃の本だと思われます。もしかしたら、貴重な本なのかもしれません。

記載内容すべてが、「おもしろすぎる!」のですが、ここでは、あえて、読み終わった感想だけ・・・を書こうとおもったのですが、あああ、時間が、モバイルギアの電池が・・・

ごめんなさい、すみません、また来ます。

★ふいごのマロウ★でした。











#346 
徹夜城(これから仕事に出る管理人) 99/07/01 10:37
金日成のことなど

>ほんさん。
はじめまして。僕の当サイトを面白がっていただけたようで何よりです。これからもよろしくお願いします。

 北朝鮮についてですが…まぁちょこっと。
 正直言っていろいろと理解に苦しむ国なのは確かなんですが、世間の北朝鮮報道については「一面的理解」が多いという印象も僕は受けます。批判点はいろいろとありますが、僕は金日成についてはそれなりに評価すべき大物だったと認めたいと思っています(そのぶん息子さんはどうもなぁ…)。それとやはり冷戦構造という当時の世界情勢を考慮しなければならない部分が多々ありますね。
 ある在日朝鮮人の方から聞いた話ですが、金日成って結構きさくで面白い人物だったそうですよ。日本からの訪問団にひょいひょい顔を合わせて握手してくれたそうです(その点息子は…!と密かに囁かれてるそうな)。あの「李香蘭」こと山口淑子(でいいんだっけ?)が自民党議員団で北朝鮮を訪問した際、いきなり日本語で「李香蘭さん!」と呼びかけてきたというエピソードもあります(李香蘭さんご本人は穴があったら入りたい気分だったそうですが)。満州で反日ゲリラやってる時にも映画なんか見て結構ミーハーなところがあったようです(^^)あ、映画好きのミーハーって点は息子さんも同じか(笑)。



#345 
ほん 99/07/01 01:49
ケサン高地とプエブロ号事件

 こんばんは!はじめまして。ほんと申します。単なる「アマチュア歴史マニア」です。
 はじめて訪問させていただきましたけど、すごくおもしろかったです。特に「ヘンテコ歴史本」が最高でした。「あんな本で印税とっていいのかな」って言うのが感想です。
 基本的にああいうのは、まずこうこうだ、という考えがあって、それに無理に歴史事実をこじつけようとするから、笑えるような無理が生じるんですよね。しかも多くの場合、最初の考えというのが、「いかに日本(や日本人)はすばらしいか」「他のアジア諸国は劣っているか」「欧米に追随したから今日の混迷がある、これからは独自路線だ!」という程度のものなので一層です。ぼくもまた発見したら投稿したいと思います。

 本題なんですけど、最近国際関係を騒がせている北朝鮮。多くの日本人は「何をするかよくわからない怖い国」と思っているようです。ぼくも最初はそう思ってましたが、考えが変わりました。
 それはある話を聞いてからです。
「ヴェトナム戦争の時、米軍はホーチミン・ルートを遮断しようとしてケサン高原に強力な海兵隊師団を投入したが、逆にこれをボー・グエン・ザップに読まれて、北ヴェトナム軍10万に完全に包囲されてしまった。アメリカは戦況をひっくり返すために、ケサン高地を包囲した北ヴェトナム軍に投下するための可能性を秘めて、空母エンタープライズを派遣した。この危機に、北朝鮮の金日成は、武装ゲリラを38度線を突破させてソウルの大統領官邸を襲撃させるとともに、ウォンサン沖にいた米国のスパイ船プエブロ号を拿捕した。ジョンソン大統領(当時)は、このハノイとピョンヤンが連合した陽動作戦に引っかかって、南シナ海に行く予定のエンタープライズを日本海に入れた。このケサン攻防戦の結果、アメリカと北ヴェトナムとの間のパリ和平交渉が生まれたのだ(1968.1)・・・」
 今北朝鮮がやってる一見無謀な挑発にしか見えない行為も、実は深遠な政戦両略に裏打ちされてのことでは、と思うようになったのです。あるいはこれも単なる過大評価で、彼らは単なる誇大妄想狂の集団かも知れませんけど。とりあえず「わけわからない」と一刀両断にしないで、綿密に評価してみよう、と思うようになったのが、この「ケサン高地−プエブロ号事件連動作戦」を知ってからです。
 それまでは個々の事件としてしか考えてなかった二つが、地下茎でつながってたなんて・・・
結構目からウロコが落ちたようでした。
 こういう例はぼくが知らないだけで、歴史上多いのでしょうね。

 内容がないのに、長くなってしまいました。
 歴史の専門家とアマチュア歴史マニアの断絶を埋める、という趣旨に賛同します。
 ぜひがんばってください。

http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/2094


#344 
中根大輔(肩が凝ってしょうがない二足の草鞋はき) 99/06/30 22:09
邪馬台国はエジプトだ?!

どうも。また参りました。中根です。
今日はコンピュータの仕事で朝から豪雨の中を走り回っておりまして、えらい疲れました。
昨日は昨日で研究会の帰りに電車が止まり、三十分ほど途中の駅で足止めを食う始末。
いやはやまったく、いろいろあるものです。

徹夜城さま>
わかりました。「歴史街道」誌をとりあえず探して、読んでおきます。
やっぱり批判をするにあたって、その対象物は読んでおかないと・・・
それから、卑弥呼の本ですか、確かその本、読んだ記憶ありますよ。
無論立ち読みですが。(^^;
本当に途中の論理はひどいんだ、でもまだあの手の本の中ではまじめかも。
なにしろ邪馬台国の場所探しという分野は、もう珍説奇説が山ほどありますから。
「邪馬台国はエジプトだ!」なんて説もあるのですよ。なんでそうなるかな。
ほとんどお国自慢の世界を呈してます。だれもが自分の出身地を邪馬台国だと主張する(^^;

中西さま>
「激闘旅順・奉天」ですか、早速読ませていただきます。
中西さまの文章はいつも読むのが楽しみです(^^)
壬辰戦争と陽明学についてですが、明の将軍中に陽明学急進派(左派)の大物、袁黄(号は了凡)
というひとがいて、彼は李如松に先んじ、宋応品軍の主事として従軍、加藤清正を咸鏡に破っているのですが、その他の人物についてはよくわかりませんでした。これからもご教示をお願いします。
それから、朝鮮に陽明学が入ったのは明宗十三年(1558)、明への謝恩使が、明から持ち帰った荷物を
鴨緑江付近に捨てたゴミの中から、柳成龍が「陽明文集」を拾ったのが始まりだそうです。
ただ、その後柳成龍は陽明学批判に転じ、そのため表立って学ぶことは不可能となり、
陽明学者が処刑されたこともあったようです。ご参考になれば幸いです。
(もう知っていらっしゃるかも知れません、そのときはごめんなさい)
それから名前の件はお気になさらないでください。
それではこれからもよろしくお願いします。

それでは、また参ります。



#343 
徹夜城(最近本とDVD買いすぎで金欠気味の管理人) 99/06/29 15:57
某校の世界史授業から帰還

火曜日は早朝から授業やってましてね〜今日は南北戦争・インド植民地化・アヘン戦争と盛りだくさん。やってるほうが勉強になってたりします(解答解説なしでは授業もできない(笑))。
それにしてもあのコーナーのために本買いすぎ(笑)。図書館じゃ入れてくれそうにないのもありますからね。
ちと高いんで敬遠している(といっても2000円ですが)のが先述の「卑弥呼の陵墓を発見した!(はなはだ不正確)」とかいう本です。読めば読むほど凄い本ですけどね。「と学会」の誰かが言ってた「なんとも言えない「と」の味わい」に満ちた本です(^^;)。いや、オカルトにも走らずそれなりにまともなんですけど、途中の論理がメチャクチャ。「私は漢文が読めない」と白状してますが、「だから読めた」という説明にも頭が下がりました。やっぱ買おうかな〜。

>中根さん。
あ、あれお読みになりましたか。お気づきの点があったらよろしくお願いします。僕もよく分からない部分についてはあの文でもあえて触れなかったので。

>中西さん。
ああ、あれにお書きだったんですね、「激闘旅順・奉天」見かけましたよ。そうとは知らなかったし金欠なので(笑)買いませんでした。今度買っておきましょう。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/TETUYA.HTML


#342 
中西豪(そそっかしさはなおらない) 99/06/28 19:58
いや、申し訳ない

>中根大輔さん
 まことに失礼、弁解させていただくなら、さっきまで作家「中里融司」さんのサイトに行っていたもので(汗)。

http://www.pp.iij4u.or.jp/~t-isao/DAIBA_html/rekiai.html


#341 
中西豪(前近代軍事史研究家の筈が近現代にシフト中) 99/06/28 19:54
ちょっと宣伝です(汗)

 どうも、中西です。
 学研歴史群像シリーズ59,「激闘 旅順・奉天」というのが先日発売されました(本体定価1500円)。
 これに記事三つ、計12ページ書いています。みなさんお買い上げのうえ、綴じ込みのアンケート葉書の「おもしろかった記事」の欄に私のを書いて投函してください、なんてことはお願いしません。書店で見かけたら立ち読みしてくださって、折り込みの既刊新刊案内のチラシを私のページに挟んで戻して置いてください、ひとりでも多くの目に触れやすいように(笑)。
 まあ、近年軍事・戦史関係への傾斜が著しい学研の歴史関係ムック、最後の砦、老舗の「シリーズ」もとうとう近現代の戦史を扱うようになってしまった(以後も続きそう)のですが、ちょっと面白い拾いものも。
 某大学の朝鮮古代史が専門の某教授、「中西君が献呈してくれないから自分で買っちゃったよ」とひとを恐縮させたあと、積年の謎が解けた、と仰る。何かと思ったら、巻頭に旅順要塞の鳥瞰復元図があるのですが、それで唐代、渤海の使節が到来したときに接待のために井戸を掘った「黄金山」という高地を見つけることが出来た、とのこと。
 ついでに東洋史の某教授(魏晋南北朝)にも見せに行ったら、「唐の高句麗遠征がなんであんなに難渋したのか知ってるか?あのあたり大沼沢地帯なんだよねぇ」なんて仰りながらパラパラ、「こりゃ結構良いね」当時の奉天のイラスト復元や戦跡紀行なんかが気に入ったご様子。さあ、みなさんも立ち読みに行きましょう。

>中里さん
 お久しぶりです。ツリー伝言板のほうで見かけて、「どこかで?」と思っていたのですが、いや、失礼しました。
 陽明学、壬辰戦争にもかなり関わりあるのですよ、これが。明の援軍の将領中、南方からやって来た連中にけっこう陽明学を修めたのがいます。
 朝鮮は国是としても陽明学は否定的ですから、国王や廷臣の間でそのことが問題にもなるのです。でも、そうはいいながらみんな陽明学への知識・関心もかなりあるところが興味深い。
 また、軍事指導者としての王守仁の影響力が、戚継光やその周辺にどのように及んでいたのか、ということも興味深いものがあります。

http://www.pp.iij4u.or.jp/~t-isao/DAIBA_html/rekiai.html


#340 
中根大輔 99/06/28 17:50
初めて書き込ませていただきます

こちらの掲示板にははじめての書き込みになりますね。中根と申します。
大学で陽明学を研究しております。トンデモ歴史本の掲示板でお世話になっております。

今度新たに加わったトンデモ(?)歴史本なんですが、どうも論旨は正しいけれど
とりあげる例がずいぶんおかしな間違いをしており、せっかくの論旨までゆがみを
生じているという感じがします。特に思想分野はあからさまな間違いが目に付きます。
今、駁論のための資料集めを一生懸命やっているところです。
大学の恩師の訳になる仏教の経典の要所要所の訳が役に立ちそうです。
これみると最澄なんかすごいことかいてますよ。
出来上がり次第投稿しますね。

さて、明日はとなり町の図書館で資料集めのあと、陽明学の研究会に出席して、
さんざん先輩から鍛えられて、帰ってくる予定です。
このあいだ研究会の宴会の時に酒を飲みすぎまして、そのとき送ってくれた先輩から、
「たるんどるわ!しっかり鍛えてやる」などといわれてしまったんで、
「おいおい大丈夫かいなー」と、今から戦々恐々としております。

中西さま>
どうもお久しぶりです。昨年の冬、お会いした中根です。
お元気そうでなによりです。中西さまの該博な駁論には圧倒されっぱなしです。
それではこれからもよろしくお願いします。

みなさま>
はじめまして、これからもよろしくお願いします。

それでは、またまいります。




#339 
アール・ケイ 99/06/27 22:00
史実とは…

ちょっと気になっていたことなんですが…
大ベストセラー『少年H』(妹尾河童著)は、(実は)神戸生まれの私も随分と感動して読んだ口でした。妹尾さんの少年時代についての鮮明な記憶力には感心するとともに、微かに胡散臭さを感じてはいたんですが。
そこへ、『ボクら小国民』(でしたっけ)などで戦前戦中の少年少女の生活について克明な記録を後世に残そうとされている山中恒氏がクレームをつけたと聞いて興味を抱き、ようやくその著書を探し当てました。まあ5千円以上もするので、ざっと立ち読みしただけなんですけどね(笑)。
私としてさらに裏を取っているわけではないのですが、どうも妹尾氏の記述に時系列的間違いや勘違いがあるのは確かのようです(その時点では作曲されていない歌が歌われたり)。
ノンフィクションと謳った書物ではよくある話といえばそれまでなのですが、妹尾氏の場合は特に「正確な記述だ」と何度も強調されていますので、指摘を受けるのも致し方ないでしょう。
それにしても、史実を再現するという行為はなんと困難なのでしょう。人の記憶のいい加減さ(こちらの方は私、自ら実証しています(笑))、思い込みの出鱈目さを感じずにはいられません。



#338 
徹夜城(ようやく「史点」を更新した管理人) 99/06/27 20:26
安田さんのこと

>タロイモさん。
安田氏の略歴の紹介、どうも有り難うございます。この人の著書でも探して経歴を当たろうかな、と思っていたのですが、茨城南部は本日大雨でして(関係ないがついさっき地震まであった)今日は出かけませんでした(笑)。

安田氏の理想というか自然環境についての主張については別段僕も異論はないのです。その事自体について批判はしてないつもりです(ですから別に「あの人」と同列に扱ったつもりもありません)。ただ、問題なのはこれが歴史雑誌(一般向けとはいえ)に歴史ネタとして書かれた点にあります。そこに明かな間違いがあったらやっぱりツッコミを入れたくなるわけです。結論を導く過程に間違いがあると結論も当然疑われることになってしまいます。門外漢であろうと歴史ネタの記事をお書きになるのならキチンとお調べになって欲しいのです(例えば僕がSF漫画を描く際にも最低限の理系の勉強はしているつもりです)。
それと僕があの記事を読んでいて思ったのは「何もそれを言うためにノストラダムスを引っぱり出さなくてもいいだろうに」という事なんですね。というか恐らく事情は逆で「ノストラダムス」ネタの記事に仮託してご自身のおっしゃりたい主張を書いただけじゃないのか、と思えます。だから「ノストラダムスに惑わされるな!」というタイトルが、読み終わってみると世紀末の危機をあおる結果になっちゃってるという珍妙なことになっているわけです。実際あの五島勉さんの「大予言」をあんなに多くの日本人が本気にしちゃった背景にも、当時の国際情勢・環境破壊・公害問題への日本人の不安ムードがあったことが指摘されています。僕は読んでいてそんなことを連想しました。
 それとどうも根拠の薄い日本文化礼賛論が見え隠れするところもどっか気になりましてね。実は先頃とりあげた渡辺さんも似たようなことを言ってまして…(^^;)。

 実は今回の記事より先に目をつけていた本があります。これから記事は書きますが…今度はちょっと傾向を変えて軽いノリの本になります。書いてる本人が「半分冗談」で書いているのがまるわかりのケースでして(^^;)。まぁ乞うご期待。



#337 
タロイモ 99/06/27 14:46
安田喜憲氏の経歴

安田氏の経歴について書こうと思います。
1946年、三重県生まれ。1972年、東北大学大学院理学研究科修士課程
修了。理学博士。広島大学総合科学部助手を経て、1988年より
国際日本文化研究センター助教授。専攻は地理学・環境考古学。
花粉分析による環境考古学の日本における第一人者です。
理系の人なので歴史認識は・・・・・ある程度は致し方ないか・・・・・・
この方が言いたいのは、文明というのは大量の森林資源を消費する。
すると森林資源が枯渇し、文明は衰亡する、ということを言いたいようです。
現代の文明は、これまで手付かずだったアマゾンの森林までも消費し尽くそうとしているので、もう後が無い。これからは「森の文明」だ、と提唱されているようです。杉山氏と同列にされるのはどうかと思います。

徹歴の「火葬について」誰も「イスラム教・キリスト教はなぜ土葬なのか?」
という突っ込みを入れなかったので、先に進めませんでした・・・
答えも全部用意してたのに・・・(TT)
徹夜城さんのおっしゃるとうり、「最後の審判とその後の復活」の教えがあるためです。あと西暦2000年を前に、これだけいろいろ言われるのは千年王国思想があるためではないかと思います。終末にあたってキリストが再臨し、1000年間
統治すると信じられた王国のことです。詳細は新約聖書「ヨハネの黙示録」
にあります。



#336 
徹夜城(いろいろ執筆中の管理人) 99/06/25 23:43
てこ歴記事を執筆中。

ってなわけでアクセスもいささか増えてるようだし「てこ歴」のネタを増やそうと現在執筆中です。予定では明日中に一挙2作(!)と思ってるのですが、まぁこの手の予定がキチンと行われたことは無いのでたぶん間に合わないでしょう(^^;)。
その気になって探すとホントにネタがいっぱいあるんで「嬉しい悲鳴」を上げていたりします。まぁおいおい取り上げていきましょう。歴史雑誌記事なんかもけっこう「穴場」なんですよ(^^)。
そうそう、最近発売された「邪馬台国本(タイトル忘れた)」もなかなかのもの(笑)です。お読みになった方いますか?いわゆる「魏志倭人伝」を虚心に読んだら「わずか15分」で邪馬台国の場所が判明したという凄い本です…って本は過去に何度みたことやら(笑)。

その本を見つけたついでにブラブラ立ち読みし、あの渡辺昇一氏の本をパラパラと(もちろんネタ探し。この人も結構「宝庫」なんだ)。この人も倭寇は日本人海賊って信じてるんだなぁ。彼の言う「シナ人」が構成員だったって言えば彼にとっては好都合な話が書けそうなんだけど…たぶん「戦前」をひきずってるんだろうな。戦前「倭寇」は日本人の勇武の象徴とされたところありますからね。他にも言いたい放題妙な「妄想」を展開してましたな。
そしてこの本の推薦文書いてるのは現経済企画庁長官だったりする(^^;)。



#335 
かずさ 99/06/23 21:05
またまた脱線ネタ^0^

ある地域を中心に据えた昔の地図って面白いですね。
どの国も「自分の国が中心だ」っていう意識が存分に現れていて面白いです。

そういえば、中国のむかーしの地図ってあまり見たことないのですけど
どんな地図だったのだろう。唐代くらいの地図が見てみたいですねえ。

ではまた^0^


http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#334 
徹夜城(バイトで忙しい管理人) 99/06/23 00:20
すいません、「史点」は次週と合併号です。

すいません。タイトルの通りでして。
アシモフの漫画描き上げたら、バイト先で世界史用のプリントを作成しなければいけなかったことを思い出し、そのため「史点」がそっちのけになってしまいました。
で、やむなく次回と「合併号」という事にさせていただきます。まるで週刊誌だな(笑)。
北朝鮮ネタはあったんだけど、他にいまいち書くネタが無かったというのも半分事実。

ところで。最近のテレビで観たことなど。
一昨日でしたか、「中国映画村事情」をやるというのでテレ朝を観ました。やっぱり!僕が「倭人襲来絵詞」で触れている、無錫のアレです。完成したんですな。
日本のツアー旅行の関係者呼んで「水滸伝」「三国演義」の戦闘場面の実演なんか見せてました。まぁハリウッドでも戦闘スペクタクル(本物の火が飛び交う!)を目の前で見せてくれるショーはありませんなぁ。あれはちょっと僕も観てみたい(笑)。
で、昨日(というか数時間前ですが)NHK「ときめき歴史館」で遣唐使の話題をやってました。外交史は大好きなもんでじつに面白かった!日本が国内では「我が国は「中国」だ」とやっていたという事実も紹介されていました。「やっぱ言ってたのか」って感想(ただ何に書いてあるのか出典が出てなかった)。
「てこ歴」の「4000年の真実」についての文でもチラッと触れましたけど、「遣唐使」って「朝貢」という側面があるんですよね(完全ではないが)。しかも日本は日本で自らを「中華」として周辺国を野蛮扱いしたわけで。だからあの手の「中国叩き」って「人のことは言えないだろ」というツッコミが入れられるわけです。



#333 
徹夜城(自業自得の管理人) 99/06/21 00:19
「史点」更新遅れてます(汗)。

すいませ〜ん(^^;)
いつも日曜日深夜に更新していた「ニュースな史点」ですが、まだ更新できていません。恐らく明日の午後以降になるでしょう。
原因はアシモフコーナー参照伝言板のこと(^^;)。
しかし三日坊主の僕にしてはよく定期連載が続くモンだと思ってます(笑)。

それにしても昨日の「元禄繚乱」、露骨な「半年分の総集編」でしたな(笑)。



#332 
徹夜城(今日は漫画を描くぞの管理人) 99/06/20 00:00
松本清張のことなど(作家と歴史家)

変な肩書きは他コーナーでのことです(笑)。

>中西さん。
お忙しいようで、御苦労様です。まぁコーナー自体は作っちゃったので、のんびりやっていただいて結構ですよ。
しかしホントにあの本そこそこ売れるようですねぇ…都内では新刊時期を過ぎたせいか平積みは見かけなくなりましたけど。

>アール・ケイさん。
松本清張のことですが、実は「日本史鑑定」中でも明石散人さんがこの件に触れて、アカデミズムへの憤りを表明しています。僕はあの文でここの引用はカットしたんですが…

 そこにアカデミズムが土足でズカズカと入ってきて、僕が尊敬して止まない松本清張先生をど素人呼ばわりして、こういう学者には腹が立つんですよ。(72頁)

確かにどんな人に対しても「ど素人」呼ばわりすることは感心しません。たぶんいささか言い方が悪かったという部分はあったんでしょう(詳しくは知らないので…)。ただ松本清張の推理に対しどうしても文句を付けたいところはあったんじゃないでしょうか。
小説なんかで「推理」を進めるぶんには大した問題は起きないんですが、小説ではないエッセイや一般書のスタイルで出す場合、しっかりとした事を言って欲しいんですね。こういう作家さん、世間への影響力についてはそこらの歴史家なんかより圧倒的にあるんですから。
ちなみに作家としての松本清張については僕も尊敬して止みません。この辺、司馬遼太郎談議に通じるところがあるかも。



#331 
アール・ケイ 99/06/19 12:10
日の丸について

意匠としては優れていると思いますよ。
ただ、国旗としてはいささか単純すぎるような気がします。
日の丸にしても君が代にしても、明治新政府が泥縄式に間に合わせたもので、本当に国旗・国歌として相応しいかどうか議論されて決められたものではないですよね。
まあ、物事がこの国で決まる時ってそんなものかも知れませんが。

『天下御免』の続編的ドラマ『天下堂々』だったでしょうか、最終回にこんな場面がありました。幕末ちょっと前の日本を脱出しようとする主人公たちが、他国に航行するには「国の旗」なるものが必要と聞かされます。徳川家の旗ならあっても日本の旗って?と考え込みますが、一行の内の一人が銃撃された際、血止めに使った白い布を開いてみると、その中央部に赤い血が円形に広がっていました。これはいいと、彼らは船にその旗を掲げます…。
もちろん、これは虚構であって、日の丸自体は平安期からあるようですが、こんなエピソードでもあれば親しまれ方が変わっていたかも。

話は変わりますが、松本清張という方も歴史には専門家以上ののめり込みをしていたようですが、やっぱり相当勘違いをしていたようですね。歴史学というのはアマチュアが口を出し易すぎる分野なんでしょうか。



#330 
中西豪(同人誌と商業誌の原稿を両天秤) 99/06/19 07:42
祝「ヘンテコ歴史本閲覧室」開設

お久しぶりです。暇なはずなのに、妙な焦燥感に苛まれて仕事(物書き)が手につかず、こちらの企画のお手伝いがちっともできず、すみません。

>「4000年」本
 昨日総合図書館に行くも、まだ(また?)貸出中。都心「丸善」に立ち寄ると歴史書コーナーのトップと中国史関係に、2ヶ所も平積み。暗澹たる思いに。

>明石散人
 博覧強記の衒学者、というイメージですね。京極夏彦が「築地の先生」と呼んで私淑、いや直接会っている筈だから師事、か、しているそうです。
 講談社の中間小説誌の連載はちょっと新鮮な切り口で、あんまり「トンデモ」率は高くなかったのですが(壬辰戦役の原因、経済的要因の分析なんか従来のそれより説得力があり拳拳服膺しかけた)、講談社ノベルズの「鳥衒坊シリーズ」を立ち読みして、その奇想天外というか荒唐無稽ぶりに吃驚、「こっちのひとだったのか」と感心したものです。

>日章旗・君が代
 (注意:オチャラケモードです。憤慨しないで!)
 「日の丸」は中世以来、諸大名の軍旗の意匠にも多く用いられているのですが、私としては小西行長のそれがまず思い浮かんでこまります。あんな奴(色んな意味で)の旗が「国旗」になるとはなぁ。
 ほんとうに単純明快な意匠で、その意味では好きなのですが、あまりに藝がない。太陽光の輻射を書き加えたら……、まんま「軍艦旗」か!諸外国の風当たりが大きくなるかなぁ。日輪をずらさず真ん中に持っていくと、これは海軍大将の座乗を示す将官旗になってしまうし。
 風呂上がりに裸で銜え煙草のままプラモデルの塗装をしていて焼け死んだ(公式発表)某直木賞作家が、かつてエッセイで「日輪の周りに稲穂を描き加えろ」と書いていました。それもいいかな、と当時は思っていました。
 「君が代」、リズムが沈鬱というのであれば、世界に冠たる国民的行進曲、「軍艦」を国家に。民主国家に相応しい適切な歌詞をつければよい、とも思うのですが、最近パチンコ屋でも聞かないからなぁ、もはやコンセンサスを得られないか。
 先日立ち読みしていた保守系週刊誌のコラムで、「『君が代』の『君』が天皇であってもなんら問題はない、いやむしろそう解釈すべき。なんとなれば、立憲君主国の理想を高らかに謳うものでありそれは憲法の理念とも合致する」という主張を発見。理屈と膏薬は……。
 国家ならぬ公務員歌として「海ゆかば」を推奨。「おおきみ」を「こくみん」(はちょっと硬いか、「くにたみ」がよいかな)と変えて朝夕唱わせるべし。
 いちど、「君が代」を「星条旗よ永遠なれ」の節回しで唱って見て下さい。ぴったりはまります。



#329 
徹夜城(管理人) 99/06/18 00:27
ビジネス界にもはびこる(?)ヘンテコ歴史学

>やまぞえさん。
これはどうも。参考になりました(^^)
リビアの緑一色という大胆なデザインはどっか記憶に残っていたんですが。
日の丸はとりあえず小さな子供にも描けるというのがミソ。インドとかカンボジアとか難しそうな国旗も結構ありますからねー。

昨日の午前中に例の「4000年の真実」のツッコミを追加しておきました。しかしまぁ汲めども尽きぬ本ですな。
「日本史鑑定」の方もチト遅れてますが明日にはいくつか細かいところのツッコミをしておきたいと思います。
あと雑誌とか買わないまでも立ち読みで読んだ本へのツッコミも書くかも。

その気になって探してみると世の中のヘンテコな歴史話ってよく見つかるんですよ。特に「宝庫」なのがビジネスマン向けの新刊書だったりする。
オカルトっぽいのがこの「業界」に多いのは知ってたけど、歴史ネタでも結構そうなんですなぁ。中途半端に知ってる人が書き散らすからだろうけど。それとビジネスマンを元気づけるのを趣旨にしてる本が多いので日本に都合の良い展開も多いですね。

本の記述じゃないんだけど、何年か前にある日本最大のコンピュータメーカー(^^;)の会長さんが新聞のインタビューで「探求心を持つ」ということに触れて、
「平賀源内は雷の秘密を知ろうとして凧(たこ)を揚げたんだ!」
と言っているのを読んでビックリしたことがあります(笑)。
確かこの方、タカツカヒカル(もう忘れたかな?)にもハマってましたな。



#328 
山添 99/06/17 00:52
ほな、利用されんとこ。

バングラデシュ:緑地に赤丸
パラオ:青地に黄丸
ラオス:上から赤、青、赤の縞、中央に白丸
ニジェール:上から黄、白、緑の縞、中央に黄丸
マケドニア:赤地に、放射状光線つき黄色の太陽
リビア:緑1色

参考:http://www.flag.or.jp/

http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#327 
徹夜城(そそっかしい管理人) 99/06/16 13:38
そうそう、バングラディシュでした。

>MURAJIさん。
そうでした。バングラディシュでしたね(汗)。リビアかなんかと勘違いしていたみたいで。やっぱ寝不足だったかな。
「ヘンテコ歴史本」早くもお読みいただいたようで有り難うございます。
これからも充実を図りたいと思ってまります(出費がちと辛いかなぁ^^;)
そう言えば関係あるような無いようななのですが、荒巻さんの「紺碧」批判の本が出てましたね。詳しくは読んでないけど、大変な作業してますねぇ。そしてどれほど売れるのだろうか。批判本ってだいたい売れないもんな。あ、落合信彦の批判本も見つけた。



#326 
MURAJI 99/06/16 03:25
はじめまして

 はじめまして、MURAJIと申します。
 このHP、よく楽しませていただいております(^^)
 「ヘンテコ歴史本コーナー」の開設、おめでとうございます。
 いや、私もこの2冊は読んでまして、
「どうしろと言うのだ、これ?」
と思っていたところ、見事な解説に感心させていただきました。
 
>国旗
 バングラデシュの国旗は緑に赤丸という、白と緑の違いを除けば、
日本の国旗と全く同じなんでよね(笑)

 それでは、これからもよろしくお願いいたします。

http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/


#325 
タロイモ 99/06/16 00:51
「君」について

「君が代」の元歌の「わが君」が「君が代」に替わったのは
江戸初期の流行歌である隆達節で「君が代」になったようです。
だいたい「君が代」という言葉は枕詞で訳しても意味が無い
場合が多いようです。例えば
「君が代のながらの山の・・・」
などと、「君が代」は「長」とか「高」とか「積」という言葉にかかる
ようです。とにかく「君」の寿命は永いように祝う、というのは
昔の人にとっては常識だったようです。

あと天皇が権力を握ったことはない、というのはどうでしょうか。
白河、鳥羽、後白河、後鳥羽、後高倉、後堀河、後嵯峨、亀山と
天皇家の家督者である「治天の君」が権力を握っていたと思います。
鎌倉幕府というのは東国国家で全国政権ではなく、あくまでも
「治天の君」の元に公家、寺社、武家が全国を統治していたと
思っています。朝廷が支配する西国の領土紛争には幕府は関与できないという原則が存在していたようです。本来「治天の君」が持っていた、外交権や
地頭御家人がいなかった土地(主に西日本)の軍勢動員権や
寺社への祈祷命令権
は「元寇」の非常事態ではじめて幕府の指揮下に入ったものと
思っています。というか朝廷が責任を放棄した、と言ったほうがよいかも・・






#324 
徹夜城(今日は疲れている管理人) 99/06/16 00:32
ヘンテコ歴史本コーナーついにオープン!

へへへ、やっちゃいましたよ。本職の論文書いてる身のくせに何やってるんでしょうねぇ(^^;)。今日一日で一気に書き上げ、ついさっきアップしました。
「中国4000年の真実」もそのまま載ってますが、先日紹介した高橋克彦さんと明石散人氏の「日本史鑑定」が新たな「餌食」として加わってます。ご一読ください。すげぇんだわ、これが(爆)。
ツリー型掲示板の方ですが、そのまま継続して使用します。例の本に限らず変な歴史記述見つけたらドンドン書いちゃう方式にしようと思います。ご来訪の皆様の報告をお待ちしています。

僕も実は早くも次の「餌食」を見つけてしまいました。はぁ…(苦笑)。

で、君が代・日の丸のことですけどね。思うところはだいたい書いたんですがちょこっと。
今日朝日の夕刊見てたら松谷みよ子さんが書いてましてね、アメリカ育ちの息子さんがアメリカ国旗への宣誓を断ったら、あちらの先生で「自分の意見を持つことは大切だ」と誉めてくれる人がいたそうなんですね(もっとも押し付ける教師もいたということだが)。この辺、アメリカらしいと思う。
で、その息子さんの嫁さんがヨーロッパの人なんですが、やはり国歌の押しつけなんて聞いたこともないというんですね。ついでにフランス領事館に訊いてみたら「フランス人に政府の思うことを押し付けたら革命になりますよ(笑)」との答えだったそうです。この辺、フランス人らしいところ(笑)。
ま、そう考えてくると上から押し付けるのも日本らしいところ、なのかも知れません。
そういやアフリカのどっかの国も「日の丸」だったような…



#323 
紫乃 99/06/16 00:13
不老不死

はじめまして、紫乃です。
徐福についての文章を拝見いたしました。
日本にも似たようなお話が伝わっていますよね・・・。
垂仁天皇と田道間守のお話です。
<時じくの香久の実>、橘の実のことらしいですね。
不老不死はやはり、人間が最後に行き着く願望なのでしょうか・・・?
私は不老不死は望んでおりません。
その代わり、自分なりにいい年の取り方をしたいな〜と思っています(笑)





#322 
かずさ 99/06/15 10:28
国旗^0^

活発な論議されてますねえ^0^楽しく読んでます^0^
私は日の丸って好きです。(別に愛国心とかではなくね)
だって白に赤丸一つ。なんてシンプルでインパクトの強いデザインなんでしょう。
駅伝やマラソンで街頭に小さな日の丸をぱたぱたさせている風景って微笑ましいですね。
ただ卒業式の式場一杯にどかーんと超巨大日の丸掲げるのは
インパクト強すぎてなんだかなあって思ってました。
校旗や他の旗は小さく立てているだけなのに(笑)

なんか的はずれかも知れませんが私の日の丸の感想でした^−^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#321 
アール・ケイ 99/06/15 08:38
国歌・国旗論について

NET上では政治的な発言はすまいと思っています。
(逆に云うと、これほど政治的に利用されやすいメディアはないと思っています)
ただ、一言云うなら、戦争に負けた時、あれだけ手のひらを返すようにして、「民主主義」国家へと変貌したのに、国歌、国旗の1つや2つ、どうして変えられなかったのかという恨みです。当時の世相がそれどころではなかったのでしょうけどね。
歴史があるある、といって(ルーツは別として)所詮明治以後の100年ちょっとのことなのに、実に馬鹿馬鹿しいと思っています。
さりとて改めて選び直す気運というかエネルギーが、いまこの国にはないでしょう。そんなめんどくさいことはやってられないというような。
(良くも悪くも憲法が改正されない、出来ない理由も同じだと思います)
まあ、ここまできて法で定めるというのは、そういう当事者が後ろめたい証拠なんですけど。



#320 
山添 99/06/15 02:52
愛国心

教育としては、「日本の国旗はこれで、国歌はこれで、国歌の意味は、日本は長く続いているんだねぇ、くらいだけど、知らなくてもいいです。儀式では静粛に。」くらいでいいと思います。
べつに「愛せ」と言わなくても。現段階の法案や、文部省の方針も、こんなもんでしょう。もちろん、へぼい歌やなあと思ってもよいし(私もへぼいと思う)、だから歌わなくてもよい。
ですが、「愛するな」と主張する人々がいて、それが摩擦を生んでいるというのが問題なんでしょう。べつに「愛せ」と教育しなくてもいいと思いますが、意思の自由を尊重する意味では、初等教育の段階から反国歌を教えるほうが、よほど洗脳というものに近いです。
国際試合で恥ずかしいのは、他国の国旗掲揚や国歌斉唱という儀式のときに、その国の人は静かに注目して敬意を払うのに、日本人の観客は騒いでいるという場合です。少なくともその国の人は国旗と国歌に敬意を表しているのだから、その儀式に雑音を挟むのは、礼儀を知る国民とは言えないでしょう。

http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#319 
K・E・N(管理人の弟) 99/06/14 11:46
しりとり更新しました。

 「しりとり歴史人物館」に初めて執筆、経済学について何も知らないクセに経済学者の話を書くという、無謀なことをやりました。色々勉強にはなりましたけどね。
 本文自体は5日に書き終わったんですが、兄がマンガやイラストを描く都合があり、公開が1週間延びました。現在管理人は「こんなに早く公開されるとプレッシャーがかかる」とぼやきつつ第8回の取材に取りかかっています。 ぼちぼち高校野球、各大会の組み合わせ抽選。楽しみなシーズンになってきました。今度は私自身のページでお逢いしましょう。



#318 
徹夜城(茨城人の管理人) 99/06/13 11:53
君が代について思うところ

「ニュース」ネタにするかどうかは今検討中なんですけど(これから書くので…)、その後自民党政府は改めて正式見解を出してきました。ハッキリと「「君」は天皇のこと」と明言してきましたよ。姑息なゴマカシよりは良いと思いますけどね。もちろん趣旨としては山添さんもお書きのようなことみたいです。象徴天皇制にあっては天皇の御代の永続を願うことは日本国家・国民の繁栄を願うことだ、とか言っておりました。
イギリスだって「God save Our Queen」とか歌ってたような気がしますから(うろ覚えですいませんが)、それも一つのやり方だろうとは思います。
ただ気になるのは日本では天皇が実権を握っていた事自体は少ないわけですけど、それを利用した権威付け、権力の正当化は非常に多い、これには気をつけた方が良いと思いますよ。明治から昭和にかけてこれはフルに利用されましたから。天皇本人がどうこうということは関係ないんです。昭和の軍閥だってあれだけメチャクチャやっていて、つまるところは天皇の権威を絶対化してその下に自らの権力を正当化してます。逆らえば「大元帥陛下のご意志に背く気か」とやったわけです。
「日の丸」に関しては僕は一応認めてます。ただの太陽マークですから。ただ「君が代」は非常に政治利用されやすいところがありますよ。文部省があれの斉唱をさかんに進めて(逆らうと懲罰があるんだから事実上の強制)「愛国心」を植え付けようってのは気に入りませんね(まぁその程度で植え付けられるなら苦労はないが)。「愛国心」なんてのは素朴な「郷土愛」のレベルで十分なんです。どうも「植え付ける」という発想は「上からの押しつけ」って感じでやなんですよ。さらに言えば、どうも背景に天皇という手出しできない権威を笠にして自分達に反抗させまいとする権力側の意図すら感じますね。
佐高信氏がうまいこと言ってました。「愛せ、というほど野暮なことはない」と。放って置いても愛せるぐらいの国であるべきでしょう。子供の時から問答無用で叩き込むのは「洗脳」と同じだと思うんですけどね。

それと日本の体質として上からそう決めてしまうと、反対意見の存在自体をみとめなくなる傾向がある事にも注意した方が良いと思います(「非国民」ってやつ)。アメリカでも星条旗を焼いたか冒涜したかした人が訴えられましたが、「思想信条の自由」の観点からちゃんと行為を認められてます。世界中どこでも国旗・国歌に当然のように全国民が敬意を払ってるかどうかは僕は怪しいところだと思ってます。あの「中華思想」のフランスですら国歌改正論があるんですから(笑)。
だから国際試合で歌わないのがいるからといって「恥ずかしい」とは僕は思いませんね。あの中田も「戦いの前に歌う歌じゃない(気が萎える)」と言ってましたが、こういう意見がある方が気楽で良いじゃないですか(^^)。



#317 
山添 99/06/13 04:30
国歌

国歌「君が代」の「君」は、確かに天皇でしょう。それ以外の解釈は聞いたことなかったのですが、自民党は、あれを国民一般と解釈しとったのか、そら無理やわ。
しかし、「君が代」というのは、必ずしも「天皇陛下が君臨し統治する大日本帝国」を意味するとは限らないと思います。現憲法では、天皇は国の象徴ですよね。国旗や国歌が国の象徴であるのと同じように考えればよいのではないでしょうか。べつに、国旗を敬ったからといって、「国旗が上で、国民が下であるという階級差別を生じる」とは誰も言いませんよね?
日本史はほとんど知りませんが、天皇が統治していたのは、藤原氏以前ではないですか?それ以降も、天皇は象徴としているだけで、実権は公家、武家、藩閥、内閣、軍部と流れてきたんでしょう。
その間もずっと続いてきた天皇家は、べつに戦後憲法に言われなくとも、日本文化の象徴と言えると思います。古く、天皇が実権を握っていた時代の天皇の発言に、「民や国あっての天皇」というのがあったという話もありますし。
この意味で、「君が代」は、「天皇とともにずっと続いてきた日本の民族、文化、国家」と解釈できると思います。
べつに、今さら法律で国歌と国旗を定義しなおすことで、太平洋戦争が起こるわけではないでしょうよ。
これを今、別のものに変えるとなると、かなり日本国がなめられまっせ。「日本は、高校の校長が1人自殺しただけで、国の象徴である国旗や国歌を変えてしまう国である」と。ただでさえ、国際試合などで、国旗掲揚や国歌斉唱に敬意を払わない日本人観客がたくさんいて恥ずかしいんですから。
教育現場での指導も、小1からちゃんと継続してやっていれば、べつに押しつけと思わないはずです。なんで、こんなややこしい日本語をしゃべらされているのに、それを強制と思わないかというと、それが物心つく前から教えられるからでしょう?英語で育ってから、中学校から日本語を強制されたりしたら、それは「強制」と思うかもしれませんが。「国歌斉唱などは、生徒の自主判断に任せるべき」とかゆう人がおるけど、小1にそんなもんできるかいな。
アジア諸国の反発を懸念するというのも分かりますが、それで国旗を変更するというのは、ユニオンジャックが廃止されてから考えても遅くはないでしょう。

ノストラダムスや宇宙人の回、見ましたが、あんなにおもろい人々が、あれで食ってけるのがすごいですね。
「あなたの現在の考えをYesかNoで答えてください」て聞かれて、なんであんなに怒るねん。



http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#316 
アール・ケイ 99/06/12 22:15
歴史偽造について

ここにお出での方には釈迦に説法でしょうが、
義経伝説を始め、偽史の誕生背景について判り易くまとめたのが、
長山靖生著『人はなぜ歴史を偽造するのか』だと思います。
義経についていえば、衣川以後は政治的には死んでいる訳で、
実はその後生き残っていても冷たい云い方ですが、あまり歴史的には関係ないと思っています。
ただ、ここからは私の空想ですが、義経は頼朝と図って奥州へ逃れていったのではと
思うことがあります。
頼朝=関東武士団の地頭配置による全国、特に東国への直接支配策の為、
義経は各地を転転としたことにしたのではと。
藤原氏を頼ったのもその為で、最後にその陰謀に気づいた泰衡らに殺されたのではと…。
珍説かも知れませんが、チンギス=ハンよりはリアリティありませんか?




#315 
徹夜城(ついに日蓮と蒙古襲来を見た管理人) 99/06/12 00:27
義経逃亡のことなど

>義経逃亡説
この手の英雄逃亡説は世界中どこにでもあるんですが、日本の代表はやっぱりこの義経ってことになるんでしょうね(秀頼、幸村逃亡説もあって鹿児島に墓もある。西郷隆盛なんか死の直後から本気で国外逃亡説が囁かれた)。
よく言われてる事ですが、義経の首がかなり遅れて鎌倉に届いていて判別が出来なかったはず、ってのが一つの根拠にされてるようです。この「日本史鑑定」って本ではさらに、その後出羽で起きた叛乱の首謀者が義経と噂されたという「吾妻鏡」の記事を紹介していました。高橋・明石両氏はこれをかなり重要な証拠とみてらっしゃるようですけど、よくある話だと思うんだけどなぁ。
詳しく調べたわけではないんですけど、僕の知る限りでは室町頃までは義経が蝦夷地に渡って王になったことになっていて、江戸中期か後期ぐらいからジンギスカン(なぜかこの話題だとこう書きたくなる)に変化していったようなんですね(未確認だがシーボルトも書いてるとかこの問題の本に書いてあった。ホントだとすると面白い)。明治以後、日本が大陸進出を行う過程でさらにこの説が強く唱えられるわけ。
この手の話はやはり高木彬光の傑作「成吉思汗の秘密」がお薦めですね。一通りの諸説が出てきます。もちろん話半分に読むもんですが(作者もそのつもりだと思う)。すげえコジツケがあるもんな(笑)。

>予告。
なんと早ければ明日中に「しりとり人物館」が更新されます。本文執筆の方が僕の4コマ漫画執筆より早かった。トホホ…

>映画ネタ。
名前の所に書きましたが、迷作「日蓮と蒙古大襲来」ついに観ました。いろんな意味で凄い(^^;)…「ナンミョウホウレンゲキョウ」が耳にこびりついて離れない(爆)。聴覚サブリミナル映画だな、ホント。近日中に「歴史映像」のデータ更新しておきますね。



#314 
かずさ 99/06/11 21:38
義経逃亡^0^

ドラマとしては面白い設定ですよね。夢があるというか^0^
「修羅の刻」って漫画では、架空の人物「陸奥」がよわっちー義経を助けまくり
最後平泉で藤原兄弟に襲撃されるときには、その陸奥が身代わりになって
義経は余生を平穏に暮らしたって設定でした。

ただ、何も知らない倭人が蝦夷等、女真族等の民族を越えモンゴルまで行って
英雄になったなんて、まあ、義経びいきの人は想像力豊かだねえ(笑)
でもチンギスハーン説ってすっごい昔からあるよね。
いつの時代も義経は悲劇のヒーローなんでしょう。

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#313 
徹夜城(今日は大学と自宅で書き込みする管理人) 99/06/10 00:17
トンデモ関係あれこれ

>次々年大河について
まぁどんなに高橋さんがトンデモでも、公共放送については「節度」があるようなのでそう変なことにはならんと思いますが(脚本家もいるわけですし)…。「炎立つ」のドラマについては僕も結構面白かったと思ってますから。高橋さんが遅れてタッチされなかった第三部(秀衡・泰衡編)の方が浮いてましたし。
その例の本でも「炎立つ」にはかなり触れてまして、明石さんが大絶賛してらっしゃいます。でもやっぱり高橋さん、義経逃亡を確信してますね。さすがに北海道辺りに止めてますが、チンギスハンにも未練があるみたい。

かずささんがお書きのような「元寇超能力ウォーズ(笑)」みたいな映画、過去にあるんですよ。大映が製作した「日蓮上人と蒙古大襲来」ってやつ。僕の「歴史映像名画座」でも取り上げてます。まだ未見なんですが、ビデオ置いてるところは発見したので近日中に観る予定。ただ筋書きだけは大映制作の映画CD−ROMで読みました。日蓮と時宗がどういうわけかスクラムを組んで北九州に行き、蒙古軍を神風で撃退するというホントに凄いお話(笑)。

>井沢さんといえば。
井沢さんもイロイロやってますが…まぁ「逆転の日本史」程度なら良いんですけどね。不思議とこの手の「歴史推理作家」ってトンデモ系の話に引っかかりやすいような(原因はなんとなく分かるんですけどね)。最近の井沢さん、小林よしのりとか藤岡信勝とか「あちら」系の方々とよく対談して本出すのが気になりますね。今日「サピオ」の広告みたら「脱走兵を死刑にしない軍隊に国は守れない」とか吠えてました(要するに自衛隊に軍事法廷を作らせろ、ってことらしい。でも脱走兵に厳しい軍隊が国を守れるとは限らないんだけど)。

ところで今日「ここがヘンだよ日本人」観ましたかね?オカルトがテーマでして、ノストラダムス研究者の池田さんという変人(あえて言う。どうみたってありゃそうだ。場内爆笑!)が出て自説を吠えてましたが、なんとゲストに井沢元彦氏が!「それ外れたら研究やめる?」とか「常識人」の立場でツッコミを入れてたけど、実は井沢さん、五島勉の「ノストラダムスの大予言・中東編」に推薦文書いてるんだよね(汗)。観ていて冷や冷やしてしまった(笑)。どんな推薦文書いてたかは書店でお確かめください(^^;)。



#312 
かずさ 99/06/09 20:42
おお、なにやらすごい本のようだ

次々大河ドラマとんでもない物語になりそうだねえ(笑)
元寇の襲来なんてテーマにして、お隣の国からすっごく注目されそうですね。
しかも主人公はとてもヒーローしてないし(笑)

台風や梅雨前線の大雨も祈祷やら神頼みで突如出現したことになるのだろうか。
すごい大河ドラマが見れそうだなぁ(笑)
ではでは^0^


http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#311 
アール・ケイ 99/06/09 18:30
これでも私は勤め人(笑)

高橋克彦と井沢元彦が時々ごっちゃになってしまうんですが、
ご両人とも違った意味で問題人物化してますよね。
大河ファンとして、本当にマジに再来年の『時宗』が心配になってきました。
逆に(連載中の)原作が間に合わない方がよいのかなと(笑)、脚本の井上女史も原作を頼らずに書いていって欲しいと思い始めています。
実は、にわか勉強しようと網野善彦氏の『蒙古襲来』を読んでいたんですが、やっぱりドラマの素材にはなりにくいですねえ。特に時宗は"ヒーロー"には程遠い存在ですね。
だいたい、どうも時宗自身が強権をふるった訳ではなくて、側近の安達泰盛と平頼綱が牛耳ってたみたいですから(網野説によるとですが)、独裁者としてあえて国の為に悪役となった(圧政をしいた)という描き方も難しいような気がします。
でも、高橋氏は無理矢理悲劇のヒーローに仕立てるのでしょうね。よもや宇宙人は出てこないと思ってますが(うーん、油断できない(笑))、予言やら巫女やら超能力やらは出てきて主人公を勝利に導くんでしょうねえ。トンデモ大河ですか(爆)。




#310 
徹夜城(今日も映画観ていた管理人) 99/06/09 00:06
洋画にみる忠臣蔵

>タロイモさん。
なるほど。その「元歌」の「わが君」ならばまぁ確かに「天皇」とは限ってないのかもしれません(ただ個人的には、その後の「君のため」よりは範囲が広い気がします)。いつから「君が代」になったのかなぁ。「君が代」って表現にはどうみても「治世」の意味合いが感じられます。

>中西さん。
お名前無いけど(笑)中西さんですよねぇ。朝鮮史でも日本史でもフォロー入れられたらお願いします。そうそう、この伝言板、勝手に折り返す方式なので改行無理に入れなくていいですよ。実は僕の環境だとちと読みづらいのです。
で、ヘンテコ歴史本コーナーのことですが、どうしてもやりたくなってきた(笑)。こうして仕事を増やしていくんだな、俺って。他のコーナーも大変だろうに(^^;)。
例の「日本史鑑定」という本ですが、なかなかどうして、よく読むと高橋さんと良い勝負で明石さんも物凄いトンデモです。浦島の話を実話と信じて「不老不死人間」の実在の証明だとか言っております(高橋さんの「宇宙人」とイコールらしい)。やはり円盤の話も出てくる。義経逃亡説ぐらいならまぁいいんだけど、ひょこっとこの手の話が出てくるのが怖いですね(笑)。
それと案の定批判してくるアカデミズムへの文句を言ってますね。「邪馬台国論争なんて我々の領域(エンターテイメントのことらしい)なんだから口出しするな」と暴論を吐いてます。まぁむかし松本清張に本職の歴史家が文句を付けたことがあって、あれには「大人げない」って気もしなくはないですけど、「本職の歴史家は邪馬台国なんかより法制度とかそういうのやれよ」というのは見当違いも甚だしい。それでいて「僕らの写楽正体説を参考文献に取り上げる研究書はない」とか勝手な文句を言ってます。アカデミズムに半分程度足を突っ込んでる(いちおう埋没しないようにしてるつもり)立場としては、ちょっと頭に来る発言も多かったですね。
「と学会」会長の山本弘さんが「同じ作家としてこの人にだけは本気で怒っている」と高橋さんを手厳しく批判してましたが(「トンデモ・ノストラダムス〜」参照)、実感としてよく分かってきました。

ところで。今日「RONIN」なる洋画を観てきました。
アール・ケイさんが「栄耀映画伝言板」に書いてくださった情報から、どうしても観たかったのです。
「浪人」となった元スパイたちの活躍を描くアクション映画なんですが(ジャン=レノはホントこの手の役が似合う)、劇中「四十七士(47Ronins)」のミニチュア作ってる男が登場し、「忠臣蔵」の解説を始めるのです。これが面白い。
だいたいそのミニチュア、討ち入りシーンのつもりらしいんですが、石垣の上に築かれた館(吉良邸?)に攻め込む甲冑(しかも源平スタイル)に身を固めたサムライ達の人形が置かれてるんです。馬に乗ってる奴までいる(笑)。
そしてその男が以下の説明。「主を失ったサムライ達はローニンとなって三年間仇討ちのために身をひそめた。中に狂人に化けた者もいた。そして仇敵を討ち果たすと、その庭で全員セップク(ハラキリとは言わなかった)して死んだのだ」
…元ネタはなんだろう?歌舞伎でもこうじゃなかったような気がするが(といっても観てないので…)。タイトルの「ローニン」といい、面白い日本文化引用ですね。



#309 
タロイモ 99/06/08 23:04
君が代

週間ニュース拝読しました。君が代問題いろいろありますねえ。
法制化されて上から押し付けられたら、かないませんね。
「さくら、さくら、やよいの空は、みわたすかぎり、霞か雲か匂いぞいずる、、いざやいざや見に行かん」
という歌を国歌にしようじゃないか、という動きがあったように
思いましたがどうなったんでしょうね。

君が代の元歌は「古今和歌集」巻第七の
わが君は千代にましませ
さざれ石の巌となりて苔のむすまで(読み人知らず)

ですが、この「君」は天皇に限定されず、敬愛する
相手に用いられていたようです。
例えば同じ「古今和歌集」の光孝天皇の歌で
君がため春の野に出でて若菜つむ
わがころも手に雪は降りつつ

この歌の「君」は天皇ではなく、「大事なあなた」ぐらいの
意味だと思います。
だから君が代の元歌は本来は
「私の大切なあなた、いつまでもいつまでも長生きしてください」
ぐらいの意味で、もしかしたら恋の歌なんじゃないかなあ、と思うのですが
どうでしょう。



#308 
99/06/08 07:02


>「戦慄歴史本」のツッコミ作業
 御苦労様です。ほんとに読みでがある、読んだだけで満足してしまう(笑)。
 朝鮮史関係は枝葉を付けていかなければならない立場のに。「私の専門は李氏朝鮮中期ですので、古代はちょっと」と逃げてしまおう。
 でも、昔朝鮮史研究室が一時期国史の植民地統治下にあったとき(危ないな、教授の死去で国史の教授が兼担されていたのです)、
国史の御大がうちの院生に朝鮮古代史上の疑問をぶつけて、その院生が答えられなかったのを私が引き取り、「彼は近代史が専門
ですから」と取りなそうとしたところ、「朝鮮史専攻の人間がそんなことでどうする!半島の歴史全般いや周辺地域についても、常識以
上の専門知識を有しておかんといかん」と怒られたことがあります。「そういう国史畑はどうなんだよぉ」と言いたくもなりましたが、当時
朝鮮史畑の求人が極端に少なく、とにかく潰しが利く研究者に育てようという兼担教授の真意は理解できましたから、なにもいえません
でした。その方もすで故人です。しんみり……。
 というわけで、朝鮮史関係、一般概説書よりちょっと上の情報を補足して行くつもりですので、ちょっとおまちを。

>ヘンテコ歴史本のコーナー
 やりましょうよ、って、自分のところでやればいいのか。まあ、ヘンテコ歴史本は「濱の真砂は尽きるとも……」でしょうから、
気長にやっていきませんか?(提案)。

>高橋克彦のトンデモ度
 でしょ、でしょ?(笑)



#307 
徹夜城(管理人) 99/06/07 23:30
他にもあるな。戦慄歴史本(笑)。

さてさて、今日は一日家にいたので例の「戦慄歴史本」のツッコミ作業をやってました。その成果はいくつか「戦慄歴史本掲示板」で読めます。柱国大将軍どの、レスありがとね。
それにしても読むほどに凄い本だなぁ。しかしその後分かってきたんだけど、推薦文書いてる岡田英弘氏の著作にかなり影響されてますね、この本。図書館から岡田氏の「皇帝たちの中国」(1998・原書房)を借りてきて読んでるんですが、なるほどソックリな記述が出てくる。北方民族が中国に入ってきて王朝を築いていく例をあげまくって「漢民族は滅びた」というあたりなんぞ全く同じ。岡田さんもどうも周辺民族びいきの漢民族嫌いに陥っちゃってる様子がよく分かります(もっともさすがに杉山徹宗さんほどデタラメを書きませんが)。ちなみにこの本、小林よしのりが読んで「わしは中国を理解した!」とか吠えたそうな(帯に書いてあった)。かなわんな。

その本と一緒にあの高橋克彦氏と明石散人氏の対談「日本史鑑定」(1999.徳間書店)って本を借りて読みました。これも凄い(とくに高橋氏の発言が)!途中までまともな歴史話をしていると思ったらいきなりUFOだ、宇宙人だ、超古代文明だ、って展開だもん(笑)。五十音は「いろは歌」以前から存在し、仮名文字は漢字からの転化ではなく神代文字を改造したものだとか言い出してます。まともな話の合間合間にこの手の「トンデモ話」が何気なく飛び出すので、本気にする人が多そうで怖かった(^^;)。そうそう、物部氏も宇宙人(高橋氏は一応便宜的に「宇宙人」と言ってるだけだと言いますが、どうも「神」のような存在らしい)だそうです。ふう…。
高橋氏がトンデモとは聞いていたが、これほどとは…実感しましたなぁ。「北条時宗」、大丈夫なんでしょうか。

これ読んでたらこの本も「戦慄歴史本掲示板」で取り上げたくなってきました(笑)。いっそのことヘンテコ歴史本専用コーナーを歴史本の広場から独立させて作っちゃおうかな…
最近某雑誌でエリヤ・カザン監督についてデタラメ記事が出ていたんで、それも取り上げたいなと思っているところ。ホント世の中、変なこと書いてる本って多いですよねぇ。まぁ読んでる方もほとんどが話半分なのかもしれないが…

そういえば「ニュースな史点」に久々にユーゴネタがありませんでした。実は「終結?」の記事を書く予定だったのですが「何となく」やめて他の記事にしたのです(KKKのに変えました)。そしたら直後に交渉決裂、空爆続行。やれやれ。



#306 
徹夜城(昨日衛星で「敦煌」を観ていた) 99/06/05 13:32
リンク了解しました。

>中西さん。
リンクの件、了解しました。今日明日中にもやっておきます。いちおう「歴史全般」カテゴリに入れておきますね(「海賊史」ってのはちょっと違いますよねぇ)。なんか良いのを思いついたら書いて下さい。

例の本ですが確かに業腹だと思うので(笑)、無理に購入されなくても良いですよ。とりあえず立ち読みでツッコミを入れられては。本文の正確な参照は僕の方で出来ます。
僕の方でも発見したトンチンカン記述は掲示板に次々挙げておくことにします。



#305 
中西豪 99/06/05 07:46
徐福の里、もう一題

徐福は有明海に入って佐賀平野に上陸した、という地方伝承もあります。
佐賀市金立(きんりゅう)町(亡父実家の近傍)にはかれを祀る徐福神社が存在します。
吉野ヶ里遺跡の発見が騒がれたとき、一緒に話題にのぼせられたのですが、
全国区の説には昇格しませんでしたな。

>徹夜城さん
例の本、図書館でも貸出中。やっぱり買うしかないか、でも印税収入に貢献するのは業腹。
某先生がフライングでうちにリンク張ってくださりましたので、先日ああはいいましたが、
そちらでもリンクお願いします。あいかわらず本格稼働の目処はつかないけれど。
当方掲示板で宝塚歌劇の朝鮮(高麗)モノの話題を掲げていますので、お暇なときにお立ち寄り下さい。



#304 
かずさ 99/06/04 20:10
徐福について

まともな歴史の話からずれますが
徐福伝説を元にした(というか物語の中に徐福が登場する)漫画
「婆娑羅BASARA」(マダラ弐って漫画)は面白かったです。
黄泉の国やら日本の変わった(?)伝説を元にして、ヒロイックファンタジーな
漫画でした。
興味があったら読んでみて^0^
ではでは^0^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#303 
タロイモ 99/06/04 00:40
時宗がらみで・・・

徐福伝承が日本でいつごろからあったのか調べてみたのですが、
北条時宗の招きで1279年に来日した禅僧、無学祖元が徐福について
次のような詩を詠んでいるようです。
題して「香を紀州熊野の霊祠に献ず」
先生薬を採りて未だ曽て回らず
故国の関河幾塵埃
今日一香聊か遠きに寄す
老僧亦た秦を避けて来ると為す

自分自身を徐福に重ねあわせて詠んでいる詩で、当時の中国では
徐福の上陸地は紀州熊野であったと認識されていたようです。
また鎌倉時代には熊野には徐福祠がすでにあったようです。

楊貴妃が山口県の油谷に上陸した話はきいたことがあります。
そういえば熊野は「ゆや」ともよめますね。「ゆや」つながりか・・・
名古屋の熱田神宮にも楊貴妃伝承があります。
熱田神宮は蓬莱宮とも呼ばれてまして、当然のように徐福伝説もあります
ついでに言えば名古屋名物の「ひつまぶし」を出してる店の名は「蓬莱軒」なんです。
まあ伝承ですから気楽に考えてますが、徐福や楊貴妃に限定しなくても
中国から船に乗って日本沿岸に漂着した人はたくさんいるんでしょう。






#302 
中西豪(残金58円也) 99/06/03 22:14
早速書き込み

 しました、例の本専用掲示板。
 でも、現物持ってないから、詳しいこと書けないんですよね、残念。
明日くらい、福岡市総合図書館に行ってみるか、すでに収蔵していて借り出せたら、久しぶりに
メモを取り取り読書に勤しむとしましょう。

>大河ドラマの歴代将軍配役リスト
 ミリオン出版のB級クズネタ雑誌(自称)『GON!』で過去2回、大河ドラマ特集があって、確かやっていた筈です。
 近日中に発掘してみます。詳細はいずれまた。



#301 
徹夜城(ものぐさな管理人) 99/06/02 18:33
そうですねぇ。

>山添さん。
そうですねぇ。ではニュースな史点、次回から数回前のバックナンバーもそろえておくことにしようと思います。
それにしてもニュースネタというのは一ヶ月ばかりたって読むと別の意味で面白い。中には恥ずかしくなるのもありますな。

>かずささん。
そういえば秀忠役のベストは「真田太平記」じゃなかったかな。中村梅雀だったはず。家康役の梅之助と本物の親子共演していたと思います。あの秀忠役は情けなくも悪知恵のある役どころで面白かった。
「葵」では梅雀さんは水戸光圀役でナレーターだそうな。「吉宗」のときの近松とおんなじ。
こんなことかいていると、徳川将軍を演じた人リストとか作りたくなりますね。作業は大変だろうけど。絶対誰も演じたことのない将軍もきっといるはず。



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