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#500 
ま さ 99/10/18 10:28
三バカ彦について(笑)

>中西さん
はじめまして。なかなか熱文楽しく拝見させて頂きました。

で、三バカ彦に対する以前からの私の作家評を参考にカキコさせてください。
この三氏とも、乱歩賞受賞作家です。
私は歴史も好きですがミステリも大好きなので、全員受賞から3年以内には読みました。
感想は…受賞順にいきます(笑)
昭和55年第26回受賞井沢元彦「猿丸幻視行」
まず文章が下手(笑)。
あらすじ
折口信夫に現代の青年(猿丸太夫の子孫らしい)が薬物人体実験の結果憑依して(笑)
探偵役となる(爆)という異色作。
基本的には梅原猛説「水底の歌」、村上通憲説「『いろは歌』の暗号」の2作の焼き直し。
で、後の彼の作品につきものの「逆転の発想」により、本名がサル、人麻呂は謚(おくりな)と論破!
以後猿丸の子孫は代々猿丸を名乗り某皇子の墓をまもっている。そこの村で殺人!というもの。
冒頭がSFっぽく、歴史モノというより暗号モノと受け止めたけど、文章が下手。
後で彼のファンタジーも読んだけど、初めの1ページで読む気が失せた(笑)
文章が下手なので、論文か推理ならともかく、全くの嘘バナシであるファンタジーを
読者に読ませる筆力はないというべきだろう。(つづく)(笑)

http://jiyu.net.np/comet/


#499 
徹夜城(最近小説をよんでない管理人) 99/10/18 00:23
歴史作家とか

>中西さん。
うーーん、熱い投稿(^^;)。いやあ面白かったです。
井沢さんについてはあえて「嘘つき」とは言えないですね。強いて言うなら「見栄っ張り」なんじゃないでしょうか。自分は知識があるんだぞ(人並み以上にあることは認めますが)、と無理して(さもなければ確信犯だからより深刻)強調して自らの権威を高めようと言う意図を感じちゃう時がありますね。小説であれこれ面白いことを書くぶんには構やしませんけど…。
最近の言動がちとアレなせいか最近少なくともNHKへの露出度は減りましたね。
最近ネットで知ったんですが創氏改名について「善意からやった悪」と表現して批判を食っていたようです。いちおう「悪」と強調はしていたらしいけど…「善意」っていうのかね、ああいうの。某国会議員と論理が同じですね。

しかし「噂の真相」でもネタにされてましたか…実はあんな雑誌最近になって初めて読みましたよ。「つくる会」内紛騒動のあたりから。話半分で読んでも確かに面白い。まさにゴシップ誌そのものなんだけど影響力は意外にあるようですね。小林よしのりなんて「便所雑誌」よばわりしておいてやたら神経質になってる。

歴史小説家の取材のことですが、僕は少なくとも倭寇ネタだと読んでいてネタにした論文・著作が見当つきますね。ある作家の倭寇小説なんて一部にどっかの論文そのままコピーみたいな文章があったっけ。それでいて「資料によれば…」なんてこと平気で書いてますよ。原資料にちゃんとあたったと感じたのは陳舜臣ぐらいでしょう。それでもあんなもんですが…(例「戦国海商伝」)。



#498 
中西豪(実は根に持つタイプ) 99/10/17 13:23
承前、というか承下か。

 『葉隠三百年の陰謀』という歴史推理も凄い。幕末、鍋島直正の周辺で起こる怪事件を大隈重信が探偵役となって暴いていく、というものですが、犯人は当然のごとく竜造寺の残党。おいおい、鍋島家中の大身家臣の大半は竜造寺一門なんだって、といっても確信犯なんだろうな。その恨みの淵源も、お家乗っ取りからさらに遡って、沖田畷の合戦で直茂が陰謀をめぐらせて隆信を戦死に追いやった、と断定している。会社乗っ取りで、東証一部上場間近の会社をわざわざ倒産寸前にまで追い込んでから乗っ取る副社長がいるかい。ならば竜造寺に同情的かというと、さにあらず。タイトルも忘れた、信長が本能寺を生き延びて、というありがちな架空史ものでは隆信をこれでもかと惨たらしく殺している。竜造寺勢は時代遅れで、織田勢の鉄砲三千挺に対して三百挺しか持っていない、なんてことを強調したりしている。このあたり、徹夜城さんも『鉄砲と日本人』をお読みなら、基本的なところの勉強不足がおわかりでしょう(いや、これも確信犯的歴史改変かな)。
 あと、偉そうなことを仰るわりに脇が甘い、隙が多い、というのも好きですね。とあるエッセイで「ライバルは吉川弘文館の『国史大辞典』」なんてことを公言されている。一連のマスコミの言葉狩り批判の中で、『国史大辞典』はそのタブーから超然としている、ということを指摘し、つまるところ歴史学界の姿勢を批判する論旨なのですが、それほど言うのだから当然『国史大辞典』は座右の書として駆使活用しているのだな、と思わせるじゃないですか。ところが、なのです。
 1996年秋、佐賀県呼子町で海をめぐるシンポジウムがあり、井沢氏もパネラーとして参加していました。韓国の研究者が江戸時代の日朝友好親善交流を、地元の郷土史家が松浦水軍について講演されたのに続き、ならば自分の演題はこれしかない、自分ほどそれに適任な発表者はない、と井沢氏は江戸時代の造船・航海技術の稚拙さを滔々と論じたそうです。曰く、和船は追い風でしか走れない、曰く、構造的に脆弱ですぐに難破した、曰く、地文航法しかできなかった、曰く、江戸時代を通じて全く技術的進歩はなかったとうとう、とご自身で「歴史読本」96年12月号に特別寄稿されて得々と語っておられます。『国史大辞典』で「和船」とか「弁才船」とか「水運」といった項目を引いたら、そんなこと皆事実ではないとわかるはずなのに。まあ、はなから読んでいない、というのが真相なのでしょうが。
 そういえば、歴史推理小説の書き方の中でも、古文書や漢文史料で読めないものは大学教官に読んで貰う、とさも当然のことのように書いていましたね。へえ、作家・処す悦かは大学教官を顎で使えるのかい、と思ってしまいました。知り合いの大学教官数人に尋ねたら、そんな暇あるかい、という当然の答えが返ってきました。「文部教官は公僕として国民の依頼には応じなきゃいけないのかなぁ」と悩みだした先輩もいましたが。
 そうそう、あの本の共著者、もうひとりは「中津文彦」です。三人揃って推理小説界の「三バカ彦」という、とは「噂の真相」の記事中のことですが。
 やれやれ、井沢氏に対する熱い思いのあまり、つい過ごしてしまいました。陳謝いたします。



#497 
中西豪(総合病院守衛兼歴史研究家〈対社会的肩書〉) 99/10/17 12:37
井沢元彦……

 どうも、御無沙汰ばかりしております。ようやく原稿を上げて、ここのところ『資治通鑑』と『読通鑑論』を(『国訳漢文大成』の書き下し文で)読み耽っている中西です。
 井沢元彦というおひと、どうもいけませんね、私個人としては。巡り合わせが悪くて、気に障る文章、言動ばかり見ているのかも知れませんが。あと、乱歩賞作家森雅裕の辛口内幕暴露エッセイや「噂の真相」の特集記事なんかで悪印象が補強されているのかも。
 このひとに対する私の思いこみとして、「きっと佐賀県出身のクラブホステスに手酷く肘鉄喰らったに違いない」というものがあります。歴史推理ものや歴史エッセイで佐賀の戦国・近世大名、竜造寺・鍋島氏をよく取り上げるのですが、悪意がこもっているとしか思えない書きぶりなのです。
 歴史上有名な書簡を取り上げて評した中で、鍋島直茂が竜造寺政家(隆信の子)に宛てた「御恨み状」と呼ばれるものを取り上げています。竜造寺・鍋島の権力委譲のいきさつは御存知でしょう。竜造寺隆信の戦死後、豊臣秀吉は竜造寺家の家督と領地の統治権を分離して、隆信の義弟でもある直茂を肥前佐賀の事実上の支配者と認め、政家を隠居させます。政家の子、高房は成人すれば領主権も戻ってくる、と思っていたのに、徳川幕府も鍋島を重んじる。ついに高房は衝動的に正室(鍋島氏)を殺し、自身も切腹しますが死に切れませんでした。この不始末を、直茂が政家に「あんたら親子は私にいったい何の恨みがあるのか。ひとつ間違えば取り潰されて父祖の地を失うのですぞ」と詰問したのが「御恨み状」なのですが、井沢氏はこれをとりあげて「歴史上、これほど白々しい手紙はない」と批判するのです。「竜造寺の家が立ち行くようにこれほど心を砕いているのに、お分かりにならないのか」と直茂は書きます。原文は父親が出来の悪い息子に書き送るような(実際義理の叔父と甥の関係ですが)、怒りを秘め苦渋に満ちた文章なのですが、井沢氏はそれを綿々と掻き口説くような、慇懃無礼とも取れる敬体で現代語訳するのです。結局直茂を主家乗っ取りの卑劣漢、とやっつけるのですが、なぜか、秀吉・家康の天下取りを例に引き、その政権簒奪は積極的に容認・賞賛するのです。一代の英雄が天下を盗むのはよい、しかし、田舎武将が36万石を盗むのは絶対に許せない……、なんだかなあ(続く)。



#496 
徹夜城(ただいま数冊同時読破中の管理人) 99/10/15 23:57
井沢さんのことなど

いま「鉄砲と日本人」って読んでまして…久々にハマった。不覚にもこの本の存在に気づくのが遅すぎた。他に「ノモンハンの夏」とかあれこれ読んでます。

>スズメ♂さん。
ようこそ、いらっしゃいませ(^^)
うーん、いつもながら「♂」をどうやって出すのか悩んでます(^^;)。また投稿からコピーさせていただきました。
歴史推理と言えば井沢元彦・高橋克彦とあと一人(すいません、名前忘れた)の「彦」三人で「歴史推理小説の書き方」とかいう本がありました。ちょっと覗きましたが、それなりに面白かったです。もっとも高橋さんは空想推理と現実の区別が時折あいまいになってらっしゃるようですが(笑)。井沢さんはそこまではいかないものの時折暴走する気配があるってところですか。もっともこのお二人結構仲はよいようです。
ついでながら同じ「彦」がつく問題人は落合信彦でしょうなぁ(歴史は関係ないけど)。どっか似てます。「SAPIO」で吠えてるとこまで。

そうそう、藤岡氏の名前が出てきましたが、どうも小林よしのりと藤岡信勝が全面衝突する気配が濃厚(さもなければどっちかが脱会するかな)。最新号の「ゴー宣」の欄外にその気配が(あれは欄外が一番面白いと最近分かってきましたね)。「つくる会」の中の主導権争いが背景にあるようですが、この双方と対談本出した井沢氏はどうするんだろうなぁ…

「逆説」に出てくる「倭」の件ですが、まぁそれなりに面白くは読みました。それでちょっとネット上のあちこちで「倭」の由来の話題をしてました。「わ=輪」は面白いアイデアではあるでしょう(よく言われるのは「ワレ」とか一人称説ですよね)。ただし「倭」という言葉が出てきた当時、この字はどうも「ワ」とは発音されてない可能性もあるんです。さらに特定の民族を指す語ではなく「従順な者」をさす言葉だとか…まぁいろいろ出て来ちゃって僕も収拾がつかないぐらい(^^;)。

>まささん。
そういえば最近ようやく「天皇になろうとした将軍」の文庫本をチラッと立ち読みしました。まぁあれ自体、今谷さんの本が出発点でしたから…
井沢さん、いま室町を書き進めていますが、たとえば網野善彦の研究について何か発言をしてたでしょうか?これまだ確認してないんですが…



#495 
ま さ 99/10/15 10:15
スズメ♂さんへ

ご丁寧にすみません、こちらでははじめまして(笑)m(_ _)m

倭の語源は、それなりに面白く読みましたし、可能性は高いと思います。
私が、あの文章に少々辟易しつつも「逆説」読んでいるのは、たまにこういう面白い説があるからです(笑)

でも最新刊の義満ネタは、今谷明先生の、まんまコピーですよぉ。
こういうのは嫌い(笑)
ではでは!

http://jiyu.net.np/comet/


#494 
スズメ♂ 99/10/15 03:45
呼ばれたわけではないけれどスズメ♂です

>まささん、徹夜城さん

 どーもスズメ♂です。こちらでははじめまして<(_ _)>ペコ
 たまたま覗いたら、この会話に出会いました。
 井沢ネタは、ウチには書かなくていいですよ(笑)。
 そうそう、ウチでの騒ぎについては、大変お世話になりました>徹夜城さん。

 ホームズとの連想、頷けます。歴史推理モノとしては面白いかもしれませんね。

 それと、井沢−藤岡ラインというのもあります。自由主義史観の前近代史分野を井沢氏が補完するのかな、とにらんでいたのですが…。

 ところで、「倭」の語源についての井沢説?は如何でしょう?



http://member.nifty.ne.jp/suzumei/suzume.htm


#493 
徹夜城(二日酔いの管理人) 99/10/14 10:18
うーん、確かに気色わるぅ…

昨夜は大学で久々の飲み会。おかげで完全に二日酔いです。

>shibanekoさん。
見に行くんですか。うらやましいですねぇ。僕は見に行きたいのはやまやまなんですが、結局行けそうにない感じです。自分の研究分野に登場する人物の本体(部分とはいえ)に逢えるという機会は確かに滅多にないことなのですが(^^;)。
しかしまぁ…指を食いちぎっちゃった貴婦人がいましたか(笑)。ひどい遺体損壊ですなぁ。なまじ形が残ったもんだからそんな目にあっちゃったんでしょうね。



#492 
shibaneko 99/10/13 13:32
ザビエルの聖腕

見に行くんです、今週末。福岡の大名町教会に15日終日公開していますので・・・。
ほとんどこれにかこつけて,遊びに行くんですが。(^.^;)
ザビエルが倭寇と深く関わっていたのは、こちらのページで初めて知ったのですが
それをふまえて、彼の書簡を読むと,結構面白いですね。

ところで、ザビエルの腕の話ですが、これがローマに送られたのは
彼の遺体が生前と変わらなかったという,奇跡の証明のためでした。
この腕が法王庁に認められ、めでたくザビエルは列聖されました。
気色の悪い話をもう一つすると、
ゴアで安置されていたザビエルの遺体には,連日参詣者が絶えなかったそうですが
その中の一人の貴婦人が、遺体の足に接吻するふりをして、
右足の第四,第五指を噛み千切ったそうです。
彼女はそれを家にもって帰り、生涯宝としたそうですが、
彼女の死後,教会へ戻され、指の片方はザビエルの生まれたバスクのザビエル城へ
送られたそうです。
カトリックの聖遺物信仰は結構すさまじく、中世のヨーロッパでの
聖人の遺体獲得合戦はとても多かったのですが、
16世紀になっても、しっかりその伝統が残っていたことを伺わせます。

http://www01.u-page.so-net.ne.jp/zb3/mamas/index.html


#491 
タロイモ 99/10/13 03:20
関東大地震70年周期説について

ども、おひさしぶりです。
ところで関東大地震70年周期説はどこまで信用できるもんなんでしょうかね。
1633年、1703年、1782年、1855年、1923年と、
だいたい70年ぐらいで大きい地震が来たのは間違いないらしいですが・・・
鹿島の要石が、まだ地震鯰を押さえつけてるってことでしょうか。
安政の頃に出回った鯰絵では、地震鯰は破壊の象徴であると同時に
新しい世の中を創造する救済者としても描かれていたらしいです。




#490 
徹夜城(今日は世界史・日本史のダブルヘッター) 99/10/07 23:48
自慢です(たまにはね)+「逆説」のこと

>バイト先で。
世界史は中国史だったもんで(秦漢から南北朝)例によってしゃべりすぎたのですが(時代が時代なもので…)、ひょっこり見学に来た生徒に「引き込まれた」と感想をいただきました。素直に嬉しいですね、こういうの。…って自画自賛(^^;)すいません。

>まささん。
どうも、はじめまして。来たルートがだいたい見当つきますね(^^)どうぞよろしく。
僕は「歴史ミステリファン」という自覚はあまりないんですが、そもそも歴史ファンってどこかミステリファンなところがあるようですからおんなじことかも。
ただし歴史の推理って結局あーだこーだ言っても確たる「証拠」が出ないと決着がつかない。だから逆に勝手なことが言えるってところもあります(古代史に行くほどそうですね)。
「ヘンテコ歴史本掲示板」にもお書きになった人がいましたが、歴史って手が出しやすそうだという印象があるらしく、まったく専門外の方が勝手な思いこみ史観で歴史本を書くことがよくあります(やたら日本を持ち上げる歴史本は大半がそうですね)。もっとも専門家でもたまに油断できないところがありますが(^^;)

ところで「逆説の日本史」の件ですが…これはスズメさんとこに書くべきかと思いつつちょっと書いてみます。
キッカケはともあれチョビチョビと読んでみて、なるほど面白いのは面白いが僕の周囲であまり芳しい評判を聞かない理由がよく分かりました。歴史学に足を突っ込んでる立場からいうと「読んでいて疲れる」んですよ。ドサクサに紛れて言いたい放題言ってるところがありますね。
司馬遼太郎でも松本清張でも歴史物を書いて歴史家の態度に多少の批判をした作家はいくらでもいますけど、ここまで攻撃的な書き方はしなかったと思いますね。
僕が「逆説」を読んでいて連想したのは「シャーロック=ホームズ」なんですよ。「へ?」とお思いの方もいるかもしれませんが(笑)。ホームズの推理は面白くて奇抜で「権威である警察」を出し抜いて馬鹿にするでしょ。それを読者は痛快がるわけですが、シャーロッキアンの間からの指摘もあるようにホームズの推理って「蓋然性はあるが必然性はない(そうかもしれないけど絶対にそうとは限らない)」ことが多いんです。決定的証拠なんてないんだけど、話の方がホームズの推理通りに進行しちゃうところがあるわけで。警察は物的証拠がなけりゃ動き出せないわけでして。
…なんてなことを連想したもんです。
まぁ詳しく調べれば「逆説」の妙なところはいろいろ出てきます。まぁその辺はスズメさんのところで徹底してやってますからお任せしちゃいましょう。「ヘンテコ」でやるには長すぎる(笑)

そうそう、あと一つあの本の傾向で気づいたこと。井沢さんって「一人ボケ一人ツッコミ」が多いです(笑)。「こう書くと、…ではないかという反論がでてくるかもしれない」と反論が出る前に自分で書いちゃってそれを文章内で叩いて封殺しちゃう。それでなんとなく説得力があるように見える(しかも実際に論争したように見える)という高度なテクニックです。
井沢さんが五島勉の「ノストラダムスの大予言」シリーズに推薦文寄せてるのは偶然じゃないかも知れません(笑)。



#489 
ま さ 99/10/07 15:10
稿を改めて

掲示板のいろいろなお話にちょっと口を挿ませてください。

1.朝鮮半島の漢化について
基本的には新羅朝廷が進めたんだと思います。王族貴族だけかもしれませんが。
2.広開土王碑について
改竄説・真作説ともに机上の空論なので、将来直に見てみないと分からないものを
とやかく言ってもしょうがないと思います。ちなみに私はなんとなく真作説。
理由は日本が負けたとわざわざ日本軍が改竄するとは考えにくいから。
3.バハンについて
私はずっと八幡大菩薩説を信じてきましたが、意外と根拠が薄いのですね。
勉強になりました。確かに漢民族系が多いのに変だとは思ってましたが。
4.勘合貿易について
「日本国王」号の問題とか、実際に高校生で知っているのは日本史の時間に
日本史の内職してた私のようなマニアだけです(笑)
5.神宮・応神について
いろいろな説があります。安本説では素直に史実と認めろとのことですが(笑)、
九州の勢力のような気もしますしね。(古田説ではありません)
井上光貞説では別系説でしたね、そういえば。
6.清めについて
ははぁ…なるほど。私はずっとイギリス王家の真似だと思ってました<被災地を訪ねる

http://jiyu.net.np/comet/


#488 
ま さ 99/10/07 14:34
はじめまして、一歴史ミステリファンです。

はじめまして。記事面白く拝見いたしました。
私は、いわゆるトンデモ本は荒唐無稽すぎて読む気にならないくせに
「逆説」などは面白がって読んでいる(その反面普通の歴史学者の本も読んでいる)
一歴史ミステリファンです。
実際には古代史と中世史が好きです。
円盤や宇宙人の存在可能性を頭から否定はしませんが、
さすがに歴史上の謎を全部そんなもので説明されると変な気分になるので、
高橋・明石本の感想は面白く読ませて頂きました。
では、今後、時々覗きに参ります。

http://jiyu.net.np/comet/


#487 
中根大輔 99/10/07 05:20
すいません、連絡が遅れました。

おはようございます。中根です。
リンクを張っていただき有難うございました。リンクの説明文もありがたいことです。
僕の方からもリンクを張らせていただきました。説明文もつけてありますが・・
ああいうふうでよろしいでしょうか?
(すでに僕のページの掲示板には書きましたが、一応こちらでも連絡致します)
それではとりいそぎ用件まで。連絡がおくれたことをお詫び申し上げます。

http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/


#486 
徹夜城(常磐線利用者の管理人) 99/10/05 23:22
ふええ、こんなのあったんだ!

>アール・ケイさん。
いやー知らなかった。行ってみましたよ、ご紹介の常磐線BBS。こんなのあるんですねぇ。アクセス数も凄いし。改めてインターネット恐るべし。
行きも帰りも全部スーパーひたち(当然グリーン車)でしたか。今は専用の「お召し列車」なんかなさそうですもんね。駅の警備は大変だろうなぁ。

今回天皇が東海村を通りかかったのは単なる偶然としても…
どっかでむかし聞いた話ですが、災害や凶悪事件が起こった地域に遠からず皇族の誰かが訪問するということが実際あるようです。災害の場合はおおっぴらに分かりますが、埼玉の連続少女誘拐事件のしばらくのち皇族の誰かがその地方を訪れた(別件で)とかいうことがあったらしい(あくまで聞いた話ですけどね)。ひょっとすると今でもこっそり「清め」の役割を果たしているのかもしれません。さらに深読みすれば天皇の韓国訪問に右翼や保守派が反対するのもそんな背景があるのかな…などと思ってみたりして。



#485 
アール・ケイ 99/10/05 19:53
お召し列車について

もはや古い話になってしまいましたが、管理人さまのご質問がありましたので…
引用するよりこのサイトをご覧ください。
「ときわ路鉄道局」常磐線掲示板です。ご存知ではいらっしゃいませんでしたか?
ダイヤ通りに走っていると拍手したくなるような(爆)昨今のJRの運行状況にあっては、沿線住民にとって有益な情報源として手放せないサイトです。
(私はROM専門ですけど)
またまたマイナーな話で失礼致しました。まあ神話の話の上に天皇行幸関連の話題ですから、無理矢理繋がりがあるということでお許しを…

http://www.fureai.or.jp/~s-itoh/jr103/cgi-bin/minibbs.cgi


#484 
徹夜城(仕事から帰還してヘロヘロになってる管理人) 99/10/05 17:01
うーむ、遂に出たか。

あー、今日は世界史の授業が中国古代史だったもんでしゃべりすぎた(笑)。
さて、タイトルのネタですが、今日仕事帰りに本屋によったら
「ホントはちょっとエッチな日本神話」
って本が出てました。実のところ「ついにやっちゃったか」という企画。
実は以前から「ヘンテコ歴史本」でこのテーマをやろうと企画してまして(やり玉にするのは某神話教育推進論の方の予定ですが)なかなか取りかかれないでいたらヒョッコリ出てしまった。
ただ、目の付け所は悪くなかったんですけど、悪ノリも目に付きますね。いちおう古事記の原文も参考に載せてますが、最初から「H系」の企画だったようで…発行元もそういうところですからね。まぁ神話研究談議も結構出てますからそれなりに読めるでしょう。
神話教育推進論者には困っちゃう内容だろうけどねー(^^;)。戦前も実は神話をちゃんと教えてないんだよなぁ。

>中根さん。
リンク張らせていただきました。よろしく。



#483 
中根大輔 99/10/04 18:24
相互リンク歓迎です!

どうもこんばんは。中根です。
>徹夜城さま
どうも先日は僕のページに来ていただき有難うございました。
相互リンクはもちろん大歓迎です。こっちから先にリンクしましょうか?
ところで僕の研究テーマが先日決まりまして、それが明代の経済思想なんですね。
思想家としては李卓吾とか呉廷翰とかになりますが、どうも少し徹夜城さまと
重なる所になるようですので、また情報があったらお知らせします。
(そういえば、倭寇征伐の胡宗憲の幕僚に、徐文長という高名な文人がいるのですが、
なにか関わりそうな・・・?)
それでは今後ともよろしくお願いします。

http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/


#482 
徹夜城(原稿執筆が遅れまくる管理人) 99/10/03 19:53
中国旅行記のことなど

>K・E・Nくん。
うーむ、それにしても「しりとり」がまだ「ケインズ」以後更新してないってのは問題だよね。…って担当はオレです。すいません。すいません(涙)。書いてはいるんだけど…他に書かなきゃいけないモノがありまして。

>魔術師さん。
うっ、これも途中でほったらかしてる原稿でした(^^;)。
えーと、保存できないとのことですが、たぶんフレームを使用しているのが原因じゃないでしょうか(試してはいないんですが)。どうしてもダメでしたらフレームごとに保存するという手もあります。
あと一度見たページはしばらくPC内に保存されてブラウザで見られるようになってませんか?
「旅行記」ですが、実はあの先が大変なんですよ。倭寇物語のクライマックスとダブって展開することになってまして。

>ソニーの盛田氏死去。
先日タイム誌の「20世紀アジアの20人」に選ばれたソニーの名誉会長・盛田昭夫氏が亡くなりました。危ないらしいとは聞いてたんですけどね。
海外メディアも「日本の技術を世界に知らしめた」として大きく報道してるそうです。それと同時に東海村の事故が日本の技術への不信を広げてるような気もしますが(笑)。



#481 
K・E・N(管理人の弟) 99/10/03 19:32
「100人の20世紀」ケインズでしたね

 朝日新聞日曜版の「100人の20世紀」、今日はケインズでしたね。
 大蔵省に呼び出されたとき、サイドカーに乗ってすっ飛んできた、なんて話は、もし聞いていたら「しりとり」で扱ったとき書いたんですけどね。もう少し早くやって欲しかった。
 今日読んで改めて面白い人だと思いました。



#480 
魔術師 99/10/03 17:28
中国旅行記

 中国の旅行記、面白いですね。
 しかし、なぜか一旦、保存してネットの接続切って
 から、ファイルを開こうとしたら開けなかった。
 何故?



#479 
徹夜城(常磐線沿線の管理人) 99/10/03 13:10
常磐線のことなど

なにやら常磐線利用者談議が続いておりますが(笑)。
実は僕もその飛び込み二連発の日に出勤しておりました。ただ出るのが遅く帰るのが早かったので鉢合わせにはなりませんでした。しかし先々週の土曜日に我孫子駅で飛び込みがあって40分ぐらい止められたりしてます。
一時飛び込みと言えば中央線でしたが…(^^;)

ところで東海村の事故は終息の方向ですね。心配なのは被ばくされた三人の従業員の方々ですが…。それにしてもホント、杜撰というかいい加減というか…「裏マニュアル」ってのにもびっくり。
思ったよりパニックは起きなくて幸い(?)でしたが、大阪で行われている新体操に参加していたオーストリアの選手が「放射能が怖い」って帰国しちゃったそうです。前に「史点」で触れましたが、オーストリアは憲法で核使用を禁止しちゃったんですよね。それにしても。
一方でさる金曜日に天皇さんは常磐線使って福島は相馬入りしたそうです。臨時列車がでるんでしょうか?それとも特急「ひたち」(スーパー、フレッシュとございますが)の一両を占領するのか?この辺分かる方教えてくださいな(いちおう僕も鉄道ファンなんだけど…)。



#478 
中根大輔 99/10/02 09:01
うう、なんとかならんのか・・

お久しぶりです。中根です。
前から作っていたホームページがようやくできました。中国思想のページです。
おひまなときにでもどうぞ。

アール・ケイさま>
偶然、私もあのときの電車にのりあわせておりました。
駅は足の踏み場もないほど人でうずまっていました・・。

徹夜城さま>
ほんとにあの原発事故、どーにかならんもんでしょうか。
茨城県南には友人が沢山おりますので心配です・・。


http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/


#477 
アール・ケイ 99/09/30 23:49
常磐沿線、最悪の日

ややローカルな話題ですみません。
今朝通勤途上で、私の乗った電車の1つ前の電車に柏駅で中年男性が飛びこんで、あたしゃ1時間余り缶詰でした。帰りは帰りで新松戸でやっぱり飛びこんだ方がいたようでベタ遅れ。
帰ってニュース見たら、こんなとんでもない事故に拡大してました。
都からみて北東の方角は鬼門といいますが(別に信じてません)、ちょっと酷すぎですね。
私は原発反対論者ではありませんが、制御できない状態というのは忌忌しきじたいですね。



#476 
徹夜城(茨城県人の管理人) 99/09/30 23:30
ひじょーにいやあな夜です。

起きちゃいました、史上最悪の原子力事故。
東海村は遠いのですが、正直言っていやな感じです。事故現場から半径10キロ以内は外出自粛だそうで、日ごろ使ってる常磐線の電車も水戸と日立の間は運転見合わせだそうです。
子供心に自分の県には一番古くからの原発があるってことでその距離なぞ気にかけていたこともあります。

…それにしても中日が優勝する年はいろいろ異変が起こるってのはホントなんだろうか(^^;)。



#475 
徹夜城(二日酔い予定の管理人) 99/09/27 00:05
ひじょーにわたくしごと。

アルコールが脳内に回っているような感覚が続いてます(笑)。ちと飲み過ぎた。大学行ってないと(まだ授業がない)飲む機会が自然と減っているので免疫が出来てなかったかな(笑)。
そんなこんなで「史点」は遅れますね、まぁ毎度のことですが。それとちょっとネタ不足なんですよね…先週の国際ニュースは台湾地震一色だったもので。

ところでなんで私が酔っぱらったのかというと。
実は今日私の祖母の「米寿」祝いがあり親戚一同が集まったのですね。これ全員お婆ちゃんの子孫なのかと思うと(曾孫も何人かいます)ちょっと壮観でした。
祖母は明治44年生まれ。ギリギリの明治というか事実上最後の年ですね。明治生まれの最後の方もこのぐらいの年齢に達していたのであります。



#474 
徹夜城(いま某テストの採点バイト中) 99/09/25 00:15
倭寇の航海時期

そのテストで「誤りをふくむものを挙げなさい」という問題で「倭寇と区別するために勘合符をもたせて貿易を行った」という文章が選択肢に出てきてしまった。これが「正しい」ことになってしまうんだよなぁ…。
いい加減「勘合貿易」は「朝貢」なのであって、当時の国際関係のあり方から説明した方がいいような気もするんですけどねえ。もっともそんなのにページ割いてられないって教科書側の事情もあるでしょうが。

>中西さん。
脱稿、おめでとうございます。しかしまぁこの業界(?)には締め切り守らない方が圧倒的に多いそうで、出版元も諦めてるとか聞いたことがあります。僕の周囲の先生方も相当な遅筆です。遅筆と言うよりうかつな書き飛ばしはしないってことなのかもしれませんけど…

倭寇どもの航海のことですが、資料でみた限り、おおむね春先から初夏にかけて大陸方面へ出撃し、秋には帰っているようです。冬になってしまうと帰れずそのまま沿岸や群島部で「越冬」しています。



#473 
中西豪(九大歴愛会中西派首領) 99/09/23 22:07
バハンについて、一説

 お久しゅう、8月31日(!)締切の朝鮮戦争関係原稿をようやっと脱稿した中西です。

>八幡船
 昭和40年代の雑誌「歴史読本」で戦国海賊を特集した号があったのですが、そこに「あの」(って、勿論御存知ですよね)八切止夫が「八幡船考」というものを載せています。それによると、「バハン」とは東南アジア起源の語だそうで、倭寇の策源地も東南アジアにある、といった説を展開していたと記憶してます(手許にある筈なのだが、行方不明)。
 ふと、季節風と倭寇、といったことも思いついたのですが、調べが付かぬのでまたの機会に。ところで、日本から大陸へ行くのに都合のいい季節風が吹くのはいつ頃でしたっけ?
 



#472 
徹夜城(今日はちと寒い管理人) 99/09/22 23:29
次回「史点」ネタなんですけど…(^^;)

台湾の地震への国連による救援派遣については「中国政府が派遣を了解」しているのだそうです。アナン国連事務総長も「中国台湾省」という表現を使っています(今日の朝日の夕刊より)。
…まぁ国連の正式加盟国(しかも安保理常任理事国)は大陸中国政府なので形式上仕方ないと言えば仕方ないんですが。日本だって公式には台湾「政府」を認めてないわけですしね。
各国の台湾への援助に対し、大陸中国政府が感謝の意を表するなどみてると、ちょっと複雑な気はしますね。もちろん援助自体は良いことなのでドンドン行われるべきですけど。



#471 
タロイモ 99/09/22 22:36
訂正

中国共産党が「台湾政府」なんて言うわけないですね。考えてみれば。
台湾当局ならいいんかな?



#470 
タロイモ 99/09/22 20:20
援助申し出

おお、掲示板復旧してますね。お役に立てて幸いです。
台湾の地震はかなりの被害のようで、日本もひとごとではないです。
明日は我が身か・・・
ところで大陸共産政府の援助申し出は、いろいろ裏があるようで・・・
援助申し出を台湾政府が受け入れれば、当然台湾への影響力が
大きくなり、台湾人の中で大陸への併合を望む人も多くなるかもしれない
でしょうし
援助申し出を断れば、「台湾政府は我が台湾同胞の利益を損なう
行為をしている。」とか言いだすでしょうし。
多分大陸政府はどっちに転んでもいいんでしょうねえ。




#469 
徹夜城(いちおう倭寇研究者の管理人) 99/09/22 00:15
「ばはん」のこと、その他

 台湾の大地震…予想以上に大変なことになってますね。この被害の拡大(というか情報の拡大)の状況は阪神大震災を思い出しますね。総統選の最中だというのに大変なことで。
 前に「ニュースな史点」のネタにしましたが、「宿敵」トルコとギリシャが相互に地震救援活動をやってましたよね。地震の一方を聞いて予想はしてましたが、素早く大陸中国政府が哀悼の意を示し、援助活動を始めるようです。江沢民サンが「同胞」を連発する辺りには、ここんとこの「二国論」騒動にまつわる政治的匂いがしなくはないですが(^^;)

>「ばはん」の件。
改めて調べてみたんですけど、結局昔から諸説紛々で決定打がないんですね。
「八幡大菩薩」の旗を倭寇が揚げていたことは資料的にも確認できますが、「天照皇大神」のケースもあって常に「八幡」だったわけではないようです。「八幡」=「ばはん」説は日中ともに江戸時代=清代から出現する説のようです。少なくとも倭寇同時代の文献に「ばはん=八幡」と指摘したものはないようです。
 まだ「人名録」にも入れてないんですが(いい加減大幅追加しないとなぁ…と思いつつ論文も書かねばならないのでして)、倭寇鎮圧の研究のために日本へ渡り、「日本一鑑」という日本研究書を書いた鄭舜功という人物がおります。彼は「ばはん」についていくつかの例を挙げています。たとえば、

…その海寇を目し、名づけて「破帆」と曰い、一に「白波」と曰う。彼は深く此れを恥ず。
…彼の海寇にとうに、総じて「破帆」と名づく。またの名を「波発」と曰う。

 ほかに「破幡」なんてのもあるんですが、いずれも発音的にはほぼ「ばはん」に近いものになります。しかし「八幡」への言及はありません。ただ海賊行為が「ばはん」と呼ばれたことは確認できます(以上は石原道博著『倭寇』吉川弘文館を参考にしました)。
 鄭舜功って男は在日期間中にそうとう耳を鍛えたようで、『日本一鑑』はそのまま戦国時代日本語単語帳として使える貴重な資料となっています。全部漢字で日本語の発音を書いているのでなかなか面白いものです。
 そういえば「日葡辞書」にも「ばはん」があったかな?ポルトガル系の資料にも出てきたような気もします。
 蛇足ですが、東南アジアのどっかの言葉だという説まであるんですよね。

>その後の「ゴー宣」
大した話ではないんですが、先日書いた「ゴーマニズム宣言」の続報。
小林よしのり氏にあそこまで書かれて黙っちゃいないだろうと思ったら、案の上、「自由主義史観研究会」のサイトに「ゴー宣」への反論というか抗議に近い一文が載ってます(会として公式のものとみて良いでしょう)。小林氏もよく敵を増やしていく人です(笑)。まぁご自分でも欄外にそんなこと書いてましたけどね。



#468 
徹夜城(名ばかりの管理人(笑)) 99/09/19 00:23
おかげさまで復旧。

どうも、ご迷惑をおかけしました。なんとか消えていたログが復活しました(全部でもないんですが…)。とりあえず量も多かったので440から掲載しています。
一部復旧作業上の問題で表示が変だったりメールやURLが消えていますが…まぁ勘弁してください。

復旧できたのはひとえにタロイモさんのおかげです!感謝感激。m(__)m。ありがとうございました!
ふと顔文字で三跪九叩頭でもやってみようかなどと思ったんですが、「跪」が表現できない(^^;)

http//:www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/TETUYA.HTML


#467 
徹夜城(いまだに原因が分からない管理人) 99/09/18 01:27
おねがいしま〜す。

>タロイモさん。
何らかの形で記録があるんでしたらぜひ、こちらまでメールでお送りくださいm(__;)m。
僕の手元には8月29日のぶんまでしか残っていませんでした(#447まで)。まだ広開土王碑の話題があったころです。
それにしてもなんで消えちゃったのかなぁ…いまだに原因不明。全部じゃなくて一つだけ残っていたってのも妙でしてね。
過去にもログを消しちゃったことはありますが、それは全部僕のミスなんですよ。今回は僕が出かけているうちに消えちゃったので…
まさか某会の話題が出ていたからじゃあるまいな(^^;)

>「ばはん」のこと
そういえば今「事件簿」の編集やってるんですよね。
「ばはん」ですが、僕自身は「八幡大菩薩」との関係には懐疑的です。語源については諸説あるんですが、紹介するには参考書をちゃんと読まないと(汗)。後日報告させていただきます。



#466 
タロイモ 99/09/18 01:02
ばはん船

一つ質問が・・・
海賊の船のことを「ばはん船」と呼ぶらしいですが、これは八幡大菩薩の幟を
していたから、という説はやはり俗説でしょうか?

掲示板の過去ログ、調べたら7月3日から9月15日までの書き込みがまだ私のパソコンに残ってましたが・・・
どうしましょうか?



#465 
徹夜城(ビックリしている管理人) 99/09/17 15:59
あれれれ…?

あれ?伝言板のログが見事に消えてますね。
下の一つしか残っていませんでした。何が起こったんでしょう?
少なくとも昨日の深夜まではあったことを確認してますが…
ここ10個ぐらいのログが見事に消えています。
いつから無くなっていたか分かる方、教えてください。
それと過去ログをとっているという貴重な方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。



#464 
あおい 99/09/17 13:18
許せないぃ

山田邦子が芳子役?そんなのいやぁ 私の芳子さまのイメージと全然合わない。それに甘粕が片岡鶴太郎?キャストを選んだやつの気がしれん。芳子さまは絶対に美しくてりりしくてかっこよくなければ許せないぃ。15年くらい前に渡辺龍策の「秘録川島芳子 見果てぬ蒼海」を舞台化した時は芳子役は松あきらだった。ミュージカル李香蘭では芳子役は保坂知寿である。川島芳子を演じる女優は絶対きれいでかっこよくなければいやぁ。芳子の容貌について原田伴彦の「人物史夜話」(思文閣出版)によると水谷八重子と水の江滝子を足して割ったような感じでとても美しかったそうだ。(原田伴彦は川島家の親戚で小さいときから芳子と接している)芳子の妹の愛新覚羅顕キも「清朝王女に生まれて」(中公文庫)のなかで芳子はとてもきれいだったといっている。顕キは芳子の不幸は美貌がたたったのだともいっている。
ところで私の大学には必修で自由テーマのレポート発表をする授業というものがあって、私は川島芳子のレポートをやったのですが、その教官にぼろくそ言われてめちゃくちゃ頭にきました。その教官というのが理系で頭固くて、自分の興味のない分野はまるで価値がないかのように扱い、人に自分の価値観を押し付けないと気がすまないようなじじいなのです。私のなんか始めからばかにして、なんでこんなもの扱うんだみたいなことを言って、全く価値のないものとしてきめつけてきた。芳子さまを侮辱するやつは許せないぃ。こっちだって必修じゃなけりゃ誰がおまえの授業なんかとるか。ほんと頭きた。
とまあ怒りをぶちまけてすいません。蘇州夜曲ですが、この間友人とカラオケに行ったら、蘇州夜曲があったので「君がみ胸に抱かれて聞くはー」と歌ってしまいました。友人はなにそれ?と首をかしげていたので最近ウーロン茶の宣伝に使われている曲だよ、と教えてあげました。私もあの宣伝が流れて、あぁ蘇州夜曲だぁと気づいた時には感動でしたよ。しかし、私の行ったカラオケボックスの蘇州夜曲の画面はひどかった。なんだか汚い中国の貨物船みたいのを映していて、もうちょっと美しい風景でも映したらどうかといいたくなってしまいました。



#459
  あおい 99/09/14 16:36
本の紹介

私が今まで読んだ川島芳子の本を紹介します。
まず 「男装の麗人川島芳子伝」上坂冬子 文藝春秋が一番メジャーで手に入りやすい資料だと思います。実際資料がすごく少なくて(絶版になちゃってたりして)なかなか手に入らなかったりして調べるのは結構大変でした。そのなかでこれは現在普通の本屋さんで買えて、資料的にも信用できるものだと思います。
他には 「秘録川島芳子」 渡辺龍策 徳間文庫
「川島芳子」 大坪かず子 郷土出版社
「妖花川島芳子伝」ウメ本捨三 秀英書房だったかな(ウメは木に某)
「上海に渡った女たち」西沢教夫 新人物往来社
なんかが資料的に信用できるのではないでしょうか。ただし作者の主観によて内容が全然違います。「妖花川島芳子伝」は妖花、淫婦という面をかなり強調しているので私としては偏見的で許せないところがあるし、大坪かず子の「川島芳子」は完全に悲劇の王女さまでここまで美化しなくてもいいんじゃないか?といった感じです。これは子供用に書かれた本なので性的な部分はほとんどカットされたきれいなおとぎ話になっています。あと資料としては川島芳子の自伝と獄中記が大空社から「動乱の蔭に」という題ででていますがリバイバル出版なので価格が異様に高い(15000くらい)ほしいけれど今悩んでるところ。同様に大空社から彼女の養父川島浪速の伝記「川島浪速翁」会田勉著と芳子をモデルにして書かれ戦前ベストセラーになった村松梢風の小説「男装の麗人」もでてるがやっぱり値段が高い。(男装の麗人という言葉は村松梢風がこの小説で作ったのが最初だそうだ)
あと女性作家が書いたエッセー集の女性評伝には
瀬戸内晴美編「近現代女性史 反逆の女のロマン」 講談社
山崎洋子 「歴史を騒がせた悪女たち」 講談社
小池真理子 「悪女といわれた女たち」 集英社
田辺聖子 「炎の女たち」 新潮社
円地文子 「国際舞台の女たち」 出版社忘れた
なんかがあります。漫画では大和和紀の「虹のナターシャ」のほかに、安彦良和の「虹色のトロツキー」にもちょっとでてきた。あとミュージカル李香蘭の漫画版を藤田あつ子が書いているがあれにもでてきた。ミュージカル李香蘭とは李香蘭こと山口淑子の自伝「李香蘭わが半生」(新潮社だったかな)を劇団四季がミュージカル化したもので私は見ていないけど狂言回し役の川島芳子が歌ったり躍ったりするそうだ。山口淑子は実際に川島芳子と親しかったらしく、自伝の中にも川島芳子は登場する。みなさん知っての通り中国人で日本人の養女になった川島芳子は日本国籍がないため銃殺され、日本人で中国人の養女になった李香蘭こと山口淑子は日本国籍があったため助かるといった運命の皮肉があったわけです。私が読んだ川島芳子関係の本はこんなところかな。ほかにほなにか情報があったら是非教えてください。


#458
  shibaneko 99/09/14 14:49
実像

川島芳子は、マンガのネタにもなっていましたね。
脇役だったけど、大和和紀が描いていたような・・
(「虹のナターシャ」だったでしょうか?うろ覚えでゴメンナサイ)
マタハリにしても、川島芳子にしても虚像ばかりが有名になってしまった感じがしますね。
甘粕さんですが、高校時代の友達に彼の親戚だというのがいます。
彼女は、「大杉栄惨殺は、甘粕がやったのではない」と言っていましたが、今ではこれが通説なんでしょうか?
この事件については、やはり小説でしか読んだことが無いもので・・・(^.^;)



#457
  徹夜城(最近寝不足な気がする管理人) 99/09/14 01:02
川島芳子

あー、どうにか先程「史点」を更新。「週刊」維持が危なくなってきてるなぁ(^^;)

>あおいさん。
どうも、初めまして。管理人の徹夜城でございます。
川島芳子ですか〜。僕も興味はあるんだけど、今ひとつ知識はないです。以前「知ってるつもり」だか「おどろきもののき20世紀」だかで取り上げたときに見たことがある程度(しかしこの両番組、製作元が同じなのかそっくりですよね)。
 実際、この人かなり誤解されているところはあったと思います。というか生きていた当時からそうなんですよね。「男装の麗人」ってのも実際そうだったところもあるにせよ、かなり日本によって「宣伝」されたところは否めないようです。「東洋のマタハリ」などというあだ名と共にある「女スパイ」のイメージも生きているうちから「演出」されていたようですしね。
 実は元ネタの「マタハリ」もそういうところがあるんですよ。大したことはやってなかったんですが、第一次大戦時のフランス愛国主義の風潮の中でいわば「戦意高揚」のために「売国奴」あつかいされちゃったようです。
 日本敗戦後、芳子と李香蘭は「中国人の売国奴」として命を狙われますが、李香蘭の方は実は日本人だったってことで助かっちゃいますね(その後国会議員までやってしまってる…)。一方の芳子は日本国籍にする手続きに失敗して中国人として処刑される(ちょっと細部はウロ覚え)。運の悪い人ではあります。

映画「ラストエンペラー」は好きな映画なんですけど、いろいろと変なところがあるのは事実。確かに川島芳子の扱いは酷かったですね〜。製作者が「東洋のマタハリ」のイメージのままやっちゃったんじゃないかと。映画向きな話だからノリでやったんでしょうね(映画ってそういうものなのであまり否定はしませんが)。
なぜか芳子といい仲になる甘粕(坂本龍一が演じてましたねぇ)もかなり実像と違ってます。第一あんな二枚目じゃないし(写真見たけど典型的オッサンです)、溥儀の目の前にチョロチョロ現れたりもしない(溥儀の自伝にはほとんど出てきません。チラッと1ページだけ書いてあったけど)。「アジアは我々のものだ!」なんて大声で外国人の前で叫ぶ日本人なんていなかったんじゃないかなぁ(本心はそうであっても)。

ところで香港映画の「川島芳子」ですが、僕は今年春の中国旅行で、たまたまテレビ放映されているのを目撃しました。中国語字幕でかろうじて観た程度でしかも部分的にしか観られなかったのですが…正直言うとあんまり出来良くないです。安っぽいメロドラマみたいで「キワモノ」という印象をぬぐえませんでした。



#456
  あおい 99/09/13 16:00
はじめまして

はじめまして。インターネットをいじくってたら、なんだかとても楽しそうなホームページにたどりついたので書き込んでみました
私も歴史にはちょっと興味があるのでこちらのホームページを楽しく読ませていただいています。私が今興味を持っている歴史上の人物は川島芳子です。かっこいいですよねえ。私のあこがれの女性です。軍服着て颯爽としている姿なんてすごくかっこいい。彼女のことを書いたものの多くはあまり好意的ではないけれど、その大部分は彼女のことをろくに知らないのにうわさとか猟奇的な好奇心からくるデマとかで書かれている。特にラストエンぺラーなんかひどいですね。なんで芳子と婉容がレズなんだ?本当は溥儀のほうが同性愛なのに。たいして調べないでうわさとかを元にして作ったとしかいいようがない。彼女は誤解されているけど本当はとてもやさしくてお茶目で、そしてさびしがりやなんです。結果的に軍に利用されて浅はかな女だったと言われるかもしれないけど、彼女の育った環境とか生い立ちとかを考えれば日本と協力して清王朝を復興しようとしたのは仕方ないことだと思う。彼女が自分は利用されただけだと気ずいたときにはもう時局は彼女のどうしようもないところまできてしまたのだ。彼女の悲しみや苦しみをもっとわかってあげてほしいと思う。なんだかやけに感情移入してるみたいだけどまあ許してね。川島芳子が銃殺されてちょうど50年目に彼女が少女時代をすごした松本に川島芳子記念室というものができました。私は今年の夏に行ってきたんだけど、彼女の資料や遺品なんかが展示してあっておすすめです。あと松本にはお墓もある。そういえば香港で19 90年に映画「川島芳子」が製作されたらしいんだけど、知ってる人いる?日本では見ることできないかなあ。見たいよー。長くなったけれど読んでくれた人、ありがとう。それではさようなら。

http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~g930047/kadai-2B.html


#454
  徹夜城(結局買ってちゃんと読んでみてる管理人) 99/09/12 00:24
補足です。

下の書き込みはちょっと書き足りない点があったようなので補足。
7月末にあった「解任劇」は副会長である藤岡氏と濤川氏が一緒に「解任」されたんですね。ところがこの展開に激怒した濤川氏が脱会を表明し…という展開だったわけです。
客観的にみてると確かに最初から後がまの副会長も決まっているし、理事でもない小林氏が「仕切った」という非常に不思議なドタバタです。「計画的クーデター」の匂いを感じるのはそのせいなんですが…ああ書かれちゃ濤川氏だけでなく藤岡氏も黙っちゃいない気がするなぁ。ま、「怪文書」「怪FAX」までが出回るという物凄い抗争のようですからなぁ…。
このところこの団体の活動に疎かったんですが大月隆寛氏もいつの間にかいなくなってたんですねぇ。

ところで僕は一つ不審を感じたのは「なぜ今ごろこれを描いてる?」と言う点。事件は7月なのでもっと早く「情報公開」できたはず…と思っていたら、どうも8月中には「ゴー宣」の欄外にチラッと「解任」のことが書いてあったそうで。そのうち会員から説明の要求もあるし「噂の真相」がスッパ抜くことになったので慌てて描いたって印象も受けましたが。
西尾幹二氏の「国民の歴史」は10月には出るそうですが、広告に出てる見だしからするに「てこ歴」のネタになりそうな予感も(笑)。



#453
  徹夜城(久々に某右翼雑誌を読んだ管理人) 99/09/11 00:41
久々の「ゴー宣」

読んだ方もいるかもしれませんけど、久々にあの「ゴー宣」を読みました。
実のところうっとうしくて敬遠してたんですけど…今回のは凄かった。いろんな意味で。ファンでもアンチでも一読に値します。
別に誉めてるわけじゃないんです。僕が感じる「うっとうしさ」は相変わらずなんですが、例の「つくる会」のメンバーの漫画中の顔が揃って「悪相化」してきたことが興味深い。あの漫画、作者が嫌悪感を抱く人物が悪相化することはすでに指摘されてますが、あの言い出しっぺの藤岡信勝氏までが悪相で描かれ始めているのはちょっと驚きました。

読んだ方はお分かりでしょうけど、要するにあの「つくる会」で内ゲバ(小林よしのり本人がそう書いてる)やってるんですね(詳細は漫画を読んでもらった方が早い。買えとは言わないけど)。ある程度予期していた部分はありましたが(ホントはもっと違う人が「粛清」されると予想したんだけど)、内部では結構凄まじいことになっていたんだな、と認識しました。
興味を持ったのでこの運動のファンサイト(正確には小林よしのりファンサイトに見えるけど)の掲示板を覗いてみたんですが、支持者たちにも困惑の色が見えます。また関係者らしい人の書き込みによるとやはり小林氏の一方的な描き方も例によって目立つらしい。
とりあえず7月末に藤岡氏と対立していた副会長の濤川氏が解任(ほとんどクーデターですな)されたというわけですが、どうもこれだけではすまない空気を感じます。
まぁ正直言うとザマミロって気持ちもあるんだけど、歴史的に見ても過激で狭い集団はささいな意見の食い違いから疑心暗鬼を起こして内ゲバ化していく。今度の「ゴー宣」読んでいて、その典型をまた一つ見た思いがします。

あと一つ。濤川氏が「一漫画家になめられてたまるか」といった趣旨の発言をしたために小林氏がキレちゃったようですが、実際あの会の関係者に漫画否定論あるいは低俗論を唱えてる人が有名なので何人かいるんですけどね。それを知ってたからいつかケンカになるとは思っていたわけですが。



#452 
タロイモ 99/09/04 18:03
台湾省

こんばんは、台湾省ですが確か1997年の7月に台湾省廃止を盛り込んだ憲法改正案が可決されていたような気がするのですが・・・
台湾は中国の一部じゃなく、全く別の国であるという意味があったように思います。ちょうど香港が併合された時だったような・・・
唯一残っていた中華民国台湾省が廃止ということは、形式的にしか残っていない中華民国広東省や河南省なども恐らくは廃止されたか、あるいは廃止の方向にあるのでは・・・



#451
  中根大輔 99/08/31 02:05
「ニュースな史点」読みました

こんばんは、中根です。
早速更新された「ニュースな史点」読みましたよ。台湾の大陸行政区それぞれの地方長官は、僕も詳しくは解かりませんが、中国史の伝統から推論して今でも置かれていると思いますよ。
なにぶん大義名分を重んずる国ですから。手頃なところで「三国志」の蜀にも長安の行政官「司隷校尉」は置かれてましたし。南北朝時代の南朝にも北方の行政官はあったようです。

>中西さま
あ、あれやっぱり違ってましたか。石膏じゃなくて石灰ですか・・なるほど。よくわかりました。
しかし酒匂本は双鉤だったのですね、初めて知りました。「好太王碑改竄」の論文は、子供のころに読んだのですが,どうも酒匂本のみ字体が違う事が気になっていたのですよ。
双鉤ならああいう字体でしょう。年来の疑問がこれで解決しました。ありがとうございます。
しかし不思議なのは好太王碑のそばにわざわざ拓工がいたのかな、ということです。
それほど拓本の需要があったのでしょうか。好事家が多かったのでしょうか? まあ韓国では現在でも書道は盛んなようですが・・法帖として珍重されたという話も聞かないし。
ご教示戴ければ幸いです。

ところで中西さまの所の掲示板に書きこめないのですよ。何度やってもうまくいかない。
どうしたのかな?

それではまた。



#450
  徹夜城(やっと原稿を書いた管理人) 99/08/31 00:14
古代朝鮮史あれこれ

>中西さん。
「消えた王国」では斉明女帝が百済出身という設定で、だから白村江の戦いになっちゃったりします。山上憶良も百済亡命民の子という設定で少年時代から詳細に描かれます。作者が相当に日本の資料にもあたったことはうかがえました。
このところの話題のため、我が家に転がっていた「人物韓国史」なんて本(徳間文庫)を引っぱり出してちょっと再読しました。在日の方が書いたのかな。人物などを日本史に例える表現が多かったです。弓裔はやっぱり織田信長にされてましたね(死に方は明智光秀だけど)。王建は徳川家康になってました(ひたすら慎重に待つから、ということらしい)。改めてこの時代も面白いなぁと思いました。韓国では小説ぐらいあるんでしょうか?映像作品もあったら凄いが。

確かに神功皇后・応神あたりはいろいろと想像力をかき立てるものがありますね。
あの「新羅征討」の話ってなんだったんでしょ?



#449
  中西豪(完全確信犯的締切破り) 99/08/30 18:46
まんま「朝鮮三国志」というのも刊行開始してますね

>「消えた王国」
 未読なんですよ、恥ずかしながら。
 「燃える飛鳥と韓三国」なんて歴史小説もありましたな、上下巻で。これは購入はしていますが最後まで読み通せていません。ちょっと文章に難が……。百済の青年貴族が倭に渡って藤原鎌足になる、というものなんですが。

>高麗太祖の従弟、王信
 後百済に質として入ったのは天授8年(925)のことだから、「王」姓でもノープロブレム(笑)。どーせ、『高麗史』が編まれたのは李朝時代なんだし、って投げ遣りな対応ですか?

 ところで、数ある「空白の四世紀」仮説の中で、高句麗広開土王と戦った頃の倭の首長に神功・応神母子を比定するものがあります。
 北方の覇王と南海(ちょっと無理があるか)の女傑、なかなか見応え在る取り組みと思いませんか(笑)。



#448
  徹夜城(またも原稿を遅らせる管理人) 99/08/30 00:04
「史点」遅れます

やれやれ、個人的都合で「ニュースな史点」を一文字も書いてない(^^;)ものぐさかつ三日坊主の僕にしては驚くほど順調に続いてる定期連載なんですけどね。まぁネタは決まっているので明日中になんとかしましょう。
それと、容量を圧迫し始めていた当伝言板のログの古い方を削除しました。一応僕の手元には残してありますけどね。

>中西さん。
広開土王碑の話も汲めども尽きませんねぇ。僕が以前読んだ韓国の古代史小説「消えた王国」(むろん邦訳)では改竄説が完全に事実として語られてました。石上神宮にある七支刀も改竄されたことになっていたなぁ(で、改竄した人が「天皇陛下万歳」なんて言ったりする)。全体としてはそう「反日的」でもなく韓国側の問題点も指摘した部分もある、わりとバランスの良い小説なんですけどね。新羅・百済・高句麗・倭・唐の群像が入り乱れるという、なかなか豪勢な小説でもありました。
高麗の太祖「王健」については個人的にも「ひょっとして」と思うところがありました。ただ後百済に人質に行った従弟が「王信」なんですよね。



#447 
中西豪 99/08/29 06:57
高校時代は体育会系書道部でした。

 北魏時代の、毛筆文字を写して彫った碑文ではなくて、直接鑿で彫り込んだ文字のエッジのシャープさを臨書せよ! それをお前の持ち味とすれば県展入選は確実だ! と鍛えられていました。

>広開土王碑
 こいつの改竄話は、朝鮮史の現場にいると、否定派肯定派論じ尽くされたような感がありましたが、それは諸説をほぼ発表とリアルタイムで見てきたと思っていた傲慢さですね、研究室を放逐されて6年も経つのに(苦笑)。明治9年招来説は知りませんでした。小生は陸軍砲兵中尉酒匂景信(当時)が明治16年10月頃持ち帰った、というところまでは押さえていたのですが。でも、明治9年って1876年ですよね、広開土王碑が「再発見」されたのは1880年頃、と記憶していたのですがその点でもここ数年で新知見があったのでしょうか。
 この酒匂景信が参謀本部勤務であったことから酒匂スパイ説、改竄説が生まれてくるわけですが、改竄しようにも、酒匂が碑文を読めたか、という疑問があります。また、酒匂本人が手拓したのではなく、石碑近辺在住の拓工に強請して購入した、という経緯もあります。
 そもそも、この酒匂本は厳密には「拓本」ではなく、碑面から直接採拓した原石拓本を手間暇かけて写し取り、文字の輪郭を際立たせ余白に墨を入れた「双鉤墨水本」というものです。高度な技術を要するもので、その製作時点から意図的な改竄が行われた、とは考えにくいものです。まあ、改竄説をとる人は、酒匂の指示があった、とするわけですが。
 石灰(石膏ではありません念のため)が碑面に塗布された、という事実も、1900年頃に拓工が碑文を鮮明にするため文字間の碑面に充填した、と確認されていて、改竄とは無関係と見るべきでしょう。当時は墨客の求めに応じて見た目が美しい「拓本」を製作することが当然だったわけですから。発見当初、石碑は苔生していて、それを取り除くために火で焚いた(!)ら隅が欠けちゃった、という遺物保存・研究という観点からはとんでもない事実もあります。
 あと、小生が密かに思っていること。広開土王碑は朝鮮戦争で戦火に遭っているのでは? 戦前植民地時代の写真で、石碑に頑丈な鉄傘が設えられているものがあります。上の方も間近に見ることが出来るよう、傘柱間に回廊が巡らされています。戦後公開された石碑の碑閣は別物です。撤去して建て直した、といえばそれまでですが。開豁地にある高さ10bほどの建造物が爆撃目標にならない、とは思えなくて。戦後、石碑がぶっ倒れていたという未確認情報もあるもので。米空軍の記録を調べてみようか、と思いつつ十数年が経ってしまっています。この辺りの無精さがいけませんな。
>新羅人の漢風名乗り
 社会全般に浸透するのはずっとあと、ということでしょう。高麗の王氏にしてからが、「王」になったから後にそう名乗ったのだ、という説もあるくらいです(笑)。



#446 
徹夜城(常にオフ書きの管理人) 99/08/29 00:24
レスが長くなるぅ…

>アール・ケイさん。
僕も観てました、「ブロードキャスター」。井上さんってなんか楽しい人ですよね(笑)。それにしても「タイム」、どっからあんな人を「発掘」したんだろ。これはこれで凄いことでは。他の候補は本田宗一郎・松下幸之助・大江健三郎・三島由紀夫という大物だったそうで。
僕は手塚治虫のことも思いましたが、もう一人「宮本茂」の名も考えていました。「スーパーマリオ」「ゼルダ」の生みの親です。「世界的影響力」って点ではこの人も凄いものがあります。
手塚治虫と歴史がらみのことでは「火の鳥」でギャグをヌキにしても事実誤認が多少混じっていた気はしますね。
そういえば連想なんですが…某中国史MLで先日司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の話題が出て、「邦が”あにい”ってのはかなり疑問だ」という声が上がってました。司馬が懇意にしていた学者さんの説だったようですが…

>兜蟹さん。
手塚さんの側で仕事…ううっ、これは最高に羨ましいです。僕は手塚治虫が選考委員にいた賞に応募したのが精一杯(^^;)。二次選考ぐらいで消えてましたので直接原稿が目に触れることはなかったでしょう。まぁ白土三平さんの目にはその後触れてもらったので良しとしてます(^^)。
それにしても欧米のマンガ事情面白く拝見しました。西欧は西欧でいろいろとあるようですね。どちらかというと「絵画」的要素を強く求めるような。大友克洋は確かにメビウスの影響下にあるそうですけどね…そういや最近あの方マンガ描きませんね。米誌に「アニメ作家」と紹介されてましたし、某マンガ展で作品提供を断ったなんて噂も。
なお、僕がやたらと「手塚治虫」と呼び捨てにするには宮崎駿の影響も多少あります。「彼はもう歴史上の人物なんだから」と。

>中西さん。
ご教示ありがとうございます。なるほど、旧高句麗地域の住民のバックボーンがあるわけですね。
弓裔はなんといっても生涯が劇的ですよね。貴子流離譚と下克上話とギリシャ悲劇みたいな運命伝説とがミックスしちゃったようで。…ぜんぜんご存じでない方は百科事典クラスで出てると思うのでお調べください(^^;)。朝鮮史にも面白いネタはゴロゴロ転がってるって事です。
それで疑問が起こったのですが、お話に出てきた甄萱に逆らう息子って神剣とかいいませんでしたっけ。これは姓は無いって事なんでしょうか?

と、ここまで書いてネットに入ったら中根さんの書き込みが。リロードしてみるもんです(笑)。
>中根さん。
例の石碑の「改竄説」ですが…僕の身近にいる朝鮮史の先生は否定的でしたね。「言い出した本人が現物見てないようだし」とも言ってました。僕自身もちょっとこの「改竄」は漢文の内容的に「高度すぎる」気もしてます。そこまでやる必然性が当時あったんだろうか?とも。



#445 
中根大輔 99/08/29 00:06
別記、石碑破壊について。

どうもすいません。兜蟹おぢさんさまの書きこみ中、手塚先生と別のことで、
僕の専門事項と重なるところがありましたので、前書きこみ長文のため、二度に分けて
送付させていただきます。

>兜蟹おぢさんさま
好太王碑文改竄の件ですが、ぼくは日本軍が改竄をしたかどうかは別として、
「石膏を塗布した」という改竄方法に疑問があるのです。
なぜかというと,この手の碑文の改竄は書道史(ぼくのもう一つの専門です)では、
よくあることなのですが、改竄方法は普通、「石碑を打ち壊す」か、
「碑文の問題の箇所を打ち欠く」「壊して新しいものを立てる」という方法が主で、
石膏をぬる方法は、寡聞にして聞いたことがないからです。
どうも石膏を塗るくらいでは、石碑を改竄しても後に発覚してしまうため、
乱暴な話ですが「打ち欠く」のが主流な改竄方法なのです。
この被害に遭ったもので有名なのが三国時代の「曹真残碑」で、これは出土当時に、
発掘者が「逆賊諸葛亮」の碑文に激怒して打ち欠いてしまったため、その部分だけが現在も
空欄なのです。他にも宋の書家・蘇東坡の書いた石碑の拓本を高く売るために、拓本を持っていた男が、
石碑を壊して拓本を売っていた話もあります。
以上、ご参考までに記述致します。



#444 
中根大輔 99/08/28 23:37
ご返事申し上げます。

こんばんは、中根です。いつも丁寧にいろいろな方からご教示を戴き、
まことにありがたく思っております。

>兜蟹おぢさんさま
わたしのつたない書きこみにご返事を戴き、本当にありがとうございました。
読んでショックを受けてしまったというのが、正直な思いです。
>酷評されること、それ自体は私は予想通りかと思ったし、
>要するにキリスト教を基盤とした白人善導主義とは、
>手塚先生の世界観は全く違うんですね、ことに「火の鳥」の発想は。
本当にそう思います。酷評は仕方のない事だったのかも知れません・・・
>また、業界内部の現実問題として、私の尊敬とは別に、あえて代表的日本人ジャーナ
>リストとはいえない、としても無理はないという、複雑な気持ちです。
>ほんとに、手塚先生はこてこての日本人でしたね。
本当のところはそうだったのですか・・僕はなんとはなしに感情的になっていたみたいですね。
ちょっと自分が情けないです。
>世界の漫画の最高の舞台といえるのはやはりヨーロッパです。日本が幾ら漫画大国でも
>個人作家が100ページ描いたらスイスに別荘が立つという状況は逆立ちしてもかないません。
それははじめて知りました。ううん・・確かに敵わないですね。
>もし言えるなら、手塚先生はヨーロッパで生まれるべきだったでしょうね。
>しかし、失礼ながら巨匠をもってしても手塚先生の画力が彼の地の出版界で通用したかどうか・・・
>それはなんともいえませんね。
そうなのですか。ヨーロッパの水準は高いのですね。
「模倣」と見なされるのはある意味、「コミック」というものが外来の文化であり、
オリジナルが外国にある以上、仕方ないとは思います。
なにか、江戸時代の日本人の漢文の中国での評価を思い出しました。
やはりこの場合も、「漢文」というオリジナルを日本人なりに消化して、作品が中国へ
逆輸入されたことがあるのですが、日本では熱狂的に支持された頼山陽なども、
「よくできてはいるが、代替に過ぎない」という評価をされているのですよ。
やっぱり、オリジナルがあると、「ものまねだよ」と思ってしまうのでしょうね。
>でも、これは正直、晩年の手塚先生の気持ちをある程度、私も未熟ながら
>斟酌して、先生のおっしゃりたいことを述べたに等しいだろうと思いますよ。
おそらく、泉下の先生もそういうお気持ちでいるのでしょう・・
本当にありがとうございました。謹んで拝読致しました。



#443 
アール・ケイ 99/08/28 22:38
素人は入りにくいなあ(苦笑)

『タイム』誌のアジアの20人に選ばれた井上氏が、今テレビに出てますね(「ブロードキャスター」)。

兜蟹様
え〜初めて御挨拶いたします。わたくし、盲信的ではないけど結構ディープな手塚ファンでして、かつて母親に「手塚さんに(仕事で)使ってもらえばええやん」といわれたこともあります。まあ、遠くから仰いでいたほうがよい方だと(笑)だんだん分かってきましたが。
手塚さんって歴史ものを執筆する時に膨大な資料を集めていたそうですが(誰でもそうかな)、
その割に歴史考証はいい加減だったような気がします(勿論、ギャグで例えば頼朝と後白河が電話でやりとりするのは別ですが)。
私としては、時として史実に拘らない、あくまでもエンターテイナー(とか職人とか言われるのを御本人はひどく嫌っていましたようですけど)に徹した手塚さんの創作態度を愛していますけど。
うーん、やっぱり(手塚さんの側にいらしたことがあられるという)兜蟹様がウヤラマシイ、羨ましいですね。



#442 
中西豪(締切前現実逃避中) 99/08/28 17:35
甚だ教科書的な解説で申し訳ありませんが……。

>徹夜城さん
 朝鮮半島が国家としての一体感を有したのは、やはり国境線を鴨緑江・豆満江まで押し上げての後でしょう。高麗以後、ということになりますか。
 高麗が高句麗の後継者であることを「自称」したには、やはりある程度地域の輿望を担ってのことであるには間違いありますまい。考えてみれば、弓裔は新羅の宮廷出身。それが北原の梁吉の乱に投じてやがて梁吉を殺して取って代わり、「後高句麗」と号するのは支配地域人民の支持を得るためでしょう。でも、地金が出て摩震・泰封と国号を改める。漸く失政も目立ち王建が推戴されて「高麗」としたのですから、推して知るべし、と小生は従来考えておりました。
 新羅が中国風の地名人名に改めることの本格化するのは、やはり唐との通交が本格化した後でしょうか。まあ、6世紀前半の智證王(500〜514)の頃に君主を意味する「麻立干」の称号を「王」に改め、「斯慮」の国名も漢籍由来の「新羅」(「徳業日新、網羅四方」)に変えていますから、その時分が「漢化」の萌芽でしょうか。以後百済高句麗から奪った地には漢字一字の州名を付けていきます。
 それにしても、弓裔がお好きでしたか。自分で建てた国、後百済を結局自分で攻め滅ぼした甄萱もいい味だしていますよね、後三国時代。




#441 
兜蟹おぢさん 99/08/28 00:52
ごめんなさ〜い!

改行を妙に入れてしまって・・・・・ひえ〜

ついでに
徹夜城さん>「和」と「倭」の関係って、考えて見ると、想像をかきたてる要素が
ありすぎかもね(笑)確かに、つっこまれきってしまいました。某サイトでは
ちょっと無理かもしれないなと思いはじめていて、なんとか9月終わりまでに
自分のHPを再開して、その中で先の「河南の倭族国家(?)」の話、史料一覧など
掲載してみようかと思っておりますです。




#440 
兜蟹おぢさん 99/08/28 00:46
難しいね、アジアの20人・・・・

>タロイモさん
 まあ、とめどがない話というものはあるもので・・・・。
おっしゃるように日本が意識的に朝鮮に対して国民の感覚(ナショナルコンセンサス?)を統一しようと試みたのは明治政府でしょうね。思い出すのは日本陸軍参謀本部が明治9年に広開土王碑を掘り出して拓本を取ったという件ですが、石膏を塗布して文字を改竄したという歴史読本で読んだ記事。誰がというのは特定したらしいのですがどこを改竄したのかは判定できていないそうです。事実よりも明治9年という時期がとても気になる問題ですね。
征韓論とのかねあいはどうだったんでしょう。今でも教科書に載る碑文のことですから、なんだか事実を知りたいと思ったりします。
 それにしてもフォーラムは結構、赤面の至りで・・・暫く蟄居(笑)。

20世紀のアジアの20人ねえ。うなってみたけど、即答できないや(笑)悪人20人ならどんどん答えられるかもしれないけど(爆)
中根さん(どうも、初めまして。よろしく)が日本人代表に、手塚センセを強く推奨なさってますね。1年ほど側で仕事させて貰った身としては、尊敬もできるし、あの野郎と思うことも(核爆)あります。ただ、正直いうと、特にヨーロッパでは全く先生の業績は評価されず、むしろ酷評されていましたね(先生も怒ってたけど)。酷評されること、それ自体は私は予想通りかと思ったし、要するにキリスト教を基盤とした白人善導主義とは、手塚先生の世界観は全く違うんですね、ことに「火の鳥」の発想は。また、業界内部の現実問題として、私の尊敬とは別に、あえて代表的日本人ジャーナリストとはいえない、としても無理はないという、複雑な気持ちです。ほんとに、手塚先生はこてこての日本人でしたね。なのに本人は結構グローバリストという自負を強く持っておられたんです。どういうことかというと、我々がアジアの小国で、その国を代表するマンガ家さんとかを「○○国のディズニーです」(或いはテヅカです)と紹介された時に、おいおい、そんなもんでそういう名前を騙るなよってつい思ってしまう感覚ってどうしてもあるんですよ。それは技術的なものもそうだったりするんですが、むしろオリジナリティより模倣性を先に感じるというのでしょうか。その国で最優秀の作家が西欧文明にどれほど近さを持つか、という基準があると、我々もどうしてもその国の漫画の状況をつまらないと評価しがちです。手塚先生自身、オリジナリティを凄く求めておられたんですが、(それこそ強迫観念にかられたように)海外からはやはり、そこが常に冷ややかに見られていたところですね。
似た例に、大友克弘がいます。彼はアメリカでこそ評価されていますが、ヨーロッパではしばしばメディウスの模倣者と呼ばれてしまう。確かに、欧米では漫画の社会的地位は低いと言えますが、ヨーロッパの一部は少し違っていて、特にフランス、イタリア、スペインは漫画は美術絵画の一分野としてある程度、評価される傾向が強いんです。それが一部の国とはいえ、初版数百万部という単行本を出版、世界中に輸出する国ですから、世界の漫画の最高の舞台といえるのはやはりヨーロッパです。日本が幾ら漫画大国でも個人作家が100ページ描いたらスイスに別荘が立つという状況は逆立ちしてもかないません。もし言えるなら、手塚先生はヨーロッパで生まれるべきだったでしょうね。しかし、失礼ながら巨匠をもってしても手塚先生の画力が彼の地の出版界で通用したかどうか・・・それはなんともいえませんね。中根さん、ごめんなさいね。でも、これは正直、晩年の手塚先生の気持ちをある程度、私も未熟ながら斟酌して、先生のおっしゃりたいことを述べたに等しいだろうと思いますよ。



#447 
中西豪 99/08/29 06:57
高校時代は体育会系書道部でした。

 北魏時代の、毛筆文字を写して彫った碑文ではなくて、直接鑿で彫り込んだ文字のエッジのシャープさを臨書せよ! それをお前の持ち味とすれば県展入選は確実だ! と鍛えられていました。

>広開土王碑
 こいつの改竄話は、朝鮮史の現場にいると、否定派肯定派論じ尽くされたような感がありましたが、それは諸説をほぼ発表とリアルタイムで見てきたと思っていた傲慢さですね、研究室を放逐されて6年も経つのに(苦笑)。明治9年招来説は知りませんでした。小生は陸軍砲兵中尉酒匂景信(当時)が明治16年10月頃持ち帰った、というところまでは押さえていたのですが。でも、明治9年って1876年ですよね、広開土王碑が「再発見」されたのは1880年頃、と記憶していたのですがその点でもここ数年で新知見があったのでしょうか。
 この酒匂景信が参謀本部勤務であったことから酒匂スパイ説、改竄説が生まれてくるわけですが、改竄しようにも、酒匂が碑文を読めたか、という疑問があります。また、酒匂本人が手拓したのではなく、石碑近辺在住の拓工に強請して購入した、という経緯もあります。
 そもそも、この酒匂本は厳密には「拓本」ではなく、碑面から直接採拓した原石拓本を手間暇かけて写し取り、文字の輪郭を際立たせ余白に墨を入れた「双鉤墨水本」というものです。高度な技術を要するもので、その製作時点から意図的な改竄が行われた、とは考えにくいものです。まあ、改竄説をとる人は、酒匂の指示があった、とするわけですが。
 石灰(石膏ではありません念のため)が碑面に塗布された、という事実も、1900年頃に拓工が碑文を鮮明にするため文字間の碑面に充填した、と確認されていて、改竄とは無関係と見るべきでしょう。当時は墨客の求めに応じて見た目が美しい「拓本」を製作することが当然だったわけですから。発見当初、石碑は苔生していて、それを取り除くために火で焚いた(!)ら隅が欠けちゃった、という遺物保存・研究という観点からはとんでもない事実もあります。
 あと、小生が密かに思っていること。広開土王碑は朝鮮戦争で戦火に遭っているのでは? 戦前植民地時代の写真で、石碑に頑丈な鉄傘が設えられているものがあります。上の方も間近に見ることが出来るよう、傘柱間に回廊が巡らされています。戦後公開された石碑の碑閣は別物です。撤去して建て直した、といえばそれまでですが。開豁地にある高さ10bほどの建造物が爆撃目標にならない、とは思えなくて。戦後、石碑がぶっ倒れていたという未確認情報もあるもので。米空軍の記録を調べてみようか、と思いつつ十数年が経ってしまっています。この辺りの無精さがいけませんな。
>新羅人の漢風名乗り
 社会全般に浸透するのはずっとあと、ということでしょう。高麗の王氏にしてからが、「王」になったから後にそう名乗ったのだ、という説もあるくらいです(笑)。



#446 
徹夜城(常にオフ書きの管理人) 99/08/29 00:24
レスが長くなるぅ…

>アール・ケイさん。
僕も観てました、「ブロードキャスター」。井上さんってなんか楽しい人ですよね(笑)。それにしても「タイム」、どっからあんな人を「発掘」したんだろ。これはこれで凄いことでは。他の候補は本田宗一郎・松下幸之助・大江健三郎・三島由紀夫という大物だったそうで。
僕は手塚治虫のことも思いましたが、もう一人「宮本茂」の名も考えていました。「スーパーマリオ」「ゼルダ」の生みの親です。「世界的影響力」って点ではこの人も凄いものがあります。
手塚治虫と歴史がらみのことでは「火の鳥」でギャグをヌキにしても事実誤認が多少混じっていた気はしますね。
そういえば連想なんですが…某中国史MLで先日司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の話題が出て、「邦が”あにい”ってのはかなり疑問だ」という声が上がってました。司馬が懇意にしていた学者さんの説だったようですが…

>兜蟹さん。
手塚さんの側で仕事…ううっ、これは最高に羨ましいです。僕は手塚治虫が選考委員にいた賞に応募したのが精一杯(^^;)。二次選考ぐらいで消えてましたので直接原稿が目に触れることはなかったでしょう。まぁ白土三平さんの目にはその後触れてもらったので良しとしてます(^^)。
それにしても欧米のマンガ事情面白く拝見しました。西欧は西欧でいろいろとあるようですね。どちらかというと「絵画」的要素を強く求めるような。大友克洋は確かにメビウスの影響下にあるそうですけどね…そういや最近あの方マンガ描きませんね。米誌に「アニメ作家」と紹介されてましたし、某マンガ展で作品提供を断ったなんて噂も。
なお、僕がやたらと「手塚治虫」と呼び捨てにするには宮崎駿の影響も多少あります。「彼はもう歴史上の人物なんだから」と。

>中西さん。
ご教示ありがとうございます。なるほど、旧高句麗地域の住民のバックボーンがあるわけですね。
弓裔はなんといっても生涯が劇的ですよね。貴子流離譚と下克上話とギリシャ悲劇みたいな運命伝説とがミックスしちゃったようで。…ぜんぜんご存じでない方は百科事典クラスで出てると思うのでお調べください(^^;)。朝鮮史にも面白いネタはゴロゴロ転がってるって事です。
それで疑問が起こったのですが、お話に出てきた甄萱に逆らう息子って神剣とかいいませんでしたっけ。これは姓は無いって事なんでしょうか?

と、ここまで書いてネットに入ったら中根さんの書き込みが。リロードしてみるもんです(笑)。
>中根さん。
例の石碑の「改竄説」ですが…僕の身近にいる朝鮮史の先生は否定的でしたね。「言い出した本人が現物見てないようだし」とも言ってました。僕自身もちょっとこの「改竄」は漢文の内容的に「高度すぎる」気もしてます。そこまでやる必然性が当時あったんだろうか?とも。



#445 
中根大輔 99/08/29 00:06
別記、石碑破壊について。

どうもすいません。兜蟹おぢさんさまの書きこみ中、手塚先生と別のことで、
僕の専門事項と重なるところがありましたので、前書きこみ長文のため、二度に分けて
送付させていただきます。

>兜蟹おぢさんさま
好太王碑文改竄の件ですが、ぼくは日本軍が改竄をしたかどうかは別として、
「石膏を塗布した」という改竄方法に疑問があるのです。
なぜかというと,この手の碑文の改竄は書道史(ぼくのもう一つの専門です)では、
よくあることなのですが、改竄方法は普通、「石碑を打ち壊す」か、
「碑文の問題の箇所を打ち欠く」「壊して新しいものを立てる」という方法が主で、
石膏をぬる方法は、寡聞にして聞いたことがないからです。
どうも石膏を塗るくらいでは、石碑を改竄しても後に発覚してしまうため、
乱暴な話ですが「打ち欠く」のが主流な改竄方法なのです。
この被害に遭ったもので有名なのが三国時代の「曹真残碑」で、これは出土当時に、
発掘者が「逆賊諸葛亮」の碑文に激怒して打ち欠いてしまったため、その部分だけが現在も
空欄なのです。他にも宋の書家・蘇東坡の書いた石碑の拓本を高く売るために、拓本を持っていた男が、
石碑を壊して拓本を売っていた話もあります。
以上、ご参考までに記述致します。



#444 
中根大輔 99/08/28 23:37
ご返事申し上げます。

こんばんは、中根です。いつも丁寧にいろいろな方からご教示を戴き、
まことにありがたく思っております。

>兜蟹おぢさんさま
わたしのつたない書きこみにご返事を戴き、本当にありがとうございました。
読んでショックを受けてしまったというのが、正直な思いです。
>酷評されること、それ自体は私は予想通りかと思ったし、
>要するにキリスト教を基盤とした白人善導主義とは、
>手塚先生の世界観は全く違うんですね、ことに「火の鳥」の発想は。
本当にそう思います。酷評は仕方のない事だったのかも知れません・・・
>また、業界内部の現実問題として、私の尊敬とは別に、あえて代表的日本人ジャーナ
>リストとはいえない、としても無理はないという、複雑な気持ちです。
>ほんとに、手塚先生はこてこての日本人でしたね。
本当のところはそうだったのですか・・僕はなんとはなしに感情的になっていたみたいですね。
ちょっと自分が情けないです。
>世界の漫画の最高の舞台といえるのはやはりヨーロッパです。日本が幾ら漫画大国でも
>個人作家が100ページ描いたらスイスに別荘が立つという状況は逆立ちしてもかないません。
それははじめて知りました。ううん・・確かに敵わないですね。
>もし言えるなら、手塚先生はヨーロッパで生まれるべきだったでしょうね。
>しかし、失礼ながら巨匠をもってしても手塚先生の画力が彼の地の出版界で通用したかどうか・・・
>それはなんともいえませんね。
そうなのですか。ヨーロッパの水準は高いのですね。
「模倣」と見なされるのはある意味、「コミック」というものが外来の文化であり、
オリジナルが外国にある以上、仕方ないとは思います。
なにか、江戸時代の日本人の漢文の中国での評価を思い出しました。
やはりこの場合も、「漢文」というオリジナルを日本人なりに消化して、作品が中国へ
逆輸入されたことがあるのですが、日本では熱狂的に支持された頼山陽なども、
「よくできてはいるが、代替に過ぎない」という評価をされているのですよ。
やっぱり、オリジナルがあると、「ものまねだよ」と思ってしまうのでしょうね。
>でも、これは正直、晩年の手塚先生の気持ちをある程度、私も未熟ながら
>斟酌して、先生のおっしゃりたいことを述べたに等しいだろうと思いますよ。
おそらく、泉下の先生もそういうお気持ちでいるのでしょう・・
本当にありがとうございました。謹んで拝読致しました。



#443 
アール・ケイ 99/08/28 22:38
素人は入りにくいなあ(苦笑)

『タイム』誌のアジアの20人に選ばれた井上氏が、今テレビに出てますね(「ブロードキャスター」)。

兜蟹様
え〜初めて御挨拶いたします。わたくし、盲信的ではないけど結構ディープな手塚ファンでして、かつて母親に「手塚さんに(仕事で)使ってもらえばええやん」といわれたこともあります。まあ、遠くから仰いでいたほうがよい方だと(笑)だんだん分かってきましたが。
手塚さんって歴史ものを執筆する時に膨大な資料を集めていたそうですが(誰でもそうかな)、
その割に歴史考証はいい加減だったような気がします(勿論、ギャグで例えば頼朝と後白河が電話でやりとりするのは別ですが)。
私としては、時として史実に拘らない、あくまでもエンターテイナー(とか職人とか言われるのを御本人はひどく嫌っていましたようですけど)に徹した手塚さんの創作態度を愛していますけど。
うーん、やっぱり(手塚さんの側にいらしたことがあられるという)兜蟹様がウヤラマシイ、羨ましいですね。



#442 
中西豪(締切前現実逃避中) 99/08/28 17:35
甚だ教科書的な解説で申し訳ありませんが……。

>徹夜城さん
 朝鮮半島が国家としての一体感を有したのは、やはり国境線を鴨緑江・豆満江まで押し上げての後でしょう。高麗以後、ということになりますか。
 高麗が高句麗の後継者であることを「自称」したには、やはりある程度地域の輿望を担ってのことであるには間違いありますまい。考えてみれば、弓裔は新羅の宮廷出身。それが北原の梁吉の乱に投じてやがて梁吉を殺して取って代わり、「後高句麗」と号するのは支配地域人民の支持を得るためでしょう。でも、地金が出て摩震・泰封と国号を改める。漸く失政も目立ち王建が推戴されて「高麗」としたのですから、推して知るべし、と小生は従来考えておりました。
 新羅が中国風の地名人名に改めることの本格化するのは、やはり唐との通交が本格化した後でしょうか。まあ、6世紀前半の智證王(500〜514)の頃に君主を意味する「麻立干」の称号を「王」に改め、「斯慮」の国名も漢籍由来の「新羅」(「徳業日新、網羅四方」)に変えていますから、その時分が「漢化」の萌芽でしょうか。以後百済高句麗から奪った地には漢字一字の州名を付けていきます。
 それにしても、弓裔がお好きでしたか。自分で建てた国、後百済を結局自分で攻め滅ぼした甄萱もいい味だしていますよね、後三国時代。




#441 
兜蟹おぢさん 99/08/28 00:52
ごめんなさ〜い!

改行を妙に入れてしまって・・・・・ひえ〜

ついでに
徹夜城さん>「和」と「倭」の関係って、考えて見ると、想像をかきたてる要素が
ありすぎかもね(笑)確かに、つっこまれきってしまいました。某サイトでは
ちょっと無理かもしれないなと思いはじめていて、なんとか9月終わりまでに
自分のHPを再開して、その中で先の「河南の倭族国家(?)」の話、史料一覧など
掲載してみようかと思っておりますです。




#440 
兜蟹おぢさん 99/08/28 00:46
難しいね、アジアの20人・・・・

>タロイモさん
 まあ、とめどがない話というものはあるもので・・・・。
おっしゃるように日本が意識的に朝鮮に対して国民の感覚(ナショナルコンセンサス?)を統一しようと
試みたのは明治政府でしょうね。思い出すのは日本陸軍参謀本部が明治9年に広開土王碑を掘り出して拓本を
取ったという件ですが、石膏を塗布して文字を改竄したという歴史読本で読んだ記事。誰がというのは特定したらしい
のですがどこを改竄したのかは判定できていないそうです。事実よりも明治9年という時期がとても気になる問題ですね。
征韓論とのかねあいはどうだったんでしょう。今でも教科書に載る碑文のことですから、なんだか事実を知りたいと
思ったりします。
 それにしてもフォーラムは結構、赤面の至りで・・・暫く蟄居(笑)。

20世紀のアジアの20人ねえ。うなってみたけど、即答できないや(笑)悪人20人ならどんどん答えられるかもしれないけど(爆)
中根さん(どうも、初めまして。よろしく)が日本人代表に、手塚センセを強く推奨なさってますね。1年ほど側で仕事させて
貰った身としては、尊敬もできるし、あの野郎と思うことも(核爆)あります。ただ、正直いうと、特にヨーロッパでは全く
先生の業績は評価されず、むしろ酷評されていましたね(先生も怒ってたけど)。酷評されること、それ自体は私は予想通りかと
思ったし、要するにキリスト教を基盤とした白人善導主義とは、手塚先生の世界観は全く違うんですね、ことに「火の鳥」の
発想は。また、業界内部の現実問題として、私の尊敬とは別に、あえて代表的日本人ジャーナリストとはいえない、としても
無理はないという、複雑な気持ちです。ほんとに、手塚先生はこてこての日本人でしたね。なのに本人は結構グローバリストと
いう自負を強く持っておられたんです。どういうことかというと、我々がアジアの小国で、その国を代表するマンガ家さんとかを
「○○国のディズニーです」(或いはテヅカです)と紹介された時に、おいおい、そんなもんでそういう名前を騙るなよって
つい思ってしまう感覚ってどうしてもあるんですよ。それは技術的なものもそうだったりするんですが、むしろオリジナリティより
模倣性を先に感じるというのでしょうか。その国で最優秀の作家が西欧文明にどれほど近さを持つか、という基準があると、我々も
どうしてもその国の漫画の状況をつまらないと評価しがちです。手塚先生自身、オリジナリティを凄く求めておられたんですが、
(それこそ強迫観念にかられたように)海外からはやはり、そこが常に冷ややかに見られていたところですね。
似た例に、大友克弘がいます。彼はアメリカでこそ評価されていますが、ヨーロッパではしばしばメディウスの模倣者と呼ばれて
しまう。確かに、欧米では漫画の社会的地位は低いと言えますが、ヨーロッパの一部は少し違っていて、特にフランス、イタリア、
スペインは漫画は美術絵画の一分野としてある程度、評価される傾向が強いんです。それが一部の国とはいえ、初版数百万部という
単行本を出版、世界中に輸出する国ですから、世界の漫画の最高の舞台といえるのはやはりヨーロッパです。日本が幾ら漫画大国でも
個人作家が100ページ描いたらスイスに別荘が立つという状況は逆立ちしてもかないません。もし言えるなら、手塚先生はヨーロッパで
生まれるべきだったでしょうね。しかし、失礼ながら巨匠をもってしても手塚先生の画力が彼の地の出版界で通用したかどうか・・・
それはなんともいえませんね。中根さん、ごめんなさいね。でも、これは正直、晩年の手塚先生の気持ちをある程度、私も未熟ながら
斟酌して、先生のおっしゃりたいことを述べたに等しいだろうと思いますよ。




#439 
タロイモ 99/08/27 03:03
統一国家

兜蟹老師>
いや、ひがまれても私もどうしていいのか・・・(^^;;
今更割って入るのもどうかなー、と思ったので書き込まなかったんですが・・・もう向こうでは書き込み出来ないので一言なにか書くとするなら、共通の言語、信仰、生活様式、習慣なるもの
を押し付けたのは明治政府じゃないでしょうか?
あと明治政府は「日本人」の中に異邦人を認めないという姿勢で臨んでいた
ように思います。(アイヌの同化政策、琉球王国の独自性を認めようとはせずに強制的に併合など)
ミーヤンさんは統一国家なるものをはるか古代に持ってゆこうとして
どこか無理が生じていたのでは・・・

ところで老師は20世紀のアジアの20人を選ぶとすれば誰を選びますか?




#438 
徹夜城(今日は一日テスト監督してた管理人) 99/08/27 00:06
おやおや今日は妙に書き込みが…

>兜蟹さん。
いやー、あのツリーはデカかった(笑)。僕も最近あそこのネタ枯れに不安を感じたもので、みんなが突っ込みやすい話でもとブチ込んでみたんですが。とにかく勉強になりました。実は某中国史MLでも同様の話題をやってました。
シベリアまで金さんの土地…「大朝鮮主義」ってのも確かにあるようですね(南北を問わないという話も)。「トンデモ本1999」に似たようなトンデモ話が紹介されています。

>中西さん。
以前どういうわけか後三国時代(羅末麗初ってやつですか)にはまったことがあります。なんと中学の時のことです(笑)。当時から何やらマイナーなものにはまる奴でした(ちなみに弓裔ファンになりかけました)。あの歳で「三国史記」「三国遺事」読んでましたからねぇ(むろん邦訳)。「高麗史」は大学入ってから読んで感激したもんです。しかし朝鮮史にはついに進みませんでした。まぁ国をまたいだ地域の専門になっちゃったので間接的には関わってますが…
と、前置きが長かった(^^;)。
初歩的な質問ですが、「高麗」は「高句麗」の後継ってのは名前から言えば確かでしょうけど、明かな「自認」はあったんでしょうか?それと新羅時代においても旧百済・高句麗の住民の独立傾向はつよかったのか?もっとハッキリ言っちゃって半島全体が一体感を持つようになったのはいつからなのか?
それとついでに。朝鮮人が中国風の姓名を名乗るようになったのはいつからか?
日本古代史に首を突っ込んだ流れでこの辺に目が向いています。何かコメントがある方、書いていただけると嬉しいです(^^)。

>マンガのこと(>中根さん)。
まぁなんだかんだいっても「文化」扱いしているのは欧米でも一部だけでは。日本製アニメ「ジャパニメーション」にしても「和製英語」との疑惑も囁かれてます(少なくともその代表の一人と目される押井守監督は「海外では聞いたことがない」とか以前インタビューで言ってました)。「テヅカ」の認知度もあちらではまだまだなのでは。それでいて「アトム」は知ってたりするようですが(笑)。先日亡くなったキューブリックも「アトム」を観て「2001年」のデザインに手塚治虫を呼ぼうとしたぐらいですし。

そういえば「タイム」は「20世紀・世界の100人」の投票をネット上でやってるそうです。現時点で得票トップはイスラエルのラビンさんとか(???????)。日本は政治家ではちょっと無理ですねぇ。



#437 
中根大輔 99/08/26 22:33
すいません、さっきの続きです。

すいません、書いてる途中でどういうわけか送信されちゃいました。続きを書きます。
徹夜城さま>
いつもご教示戴き真にすいません。このあいだのご返事です。
しかし、やっぱりマンガは欧米では文化として認められていないのかな?ちょっと驚きです。
しかし、やっぱりアジアの20世紀の20人ということで考えるのであれば、
手塚先生をジャーナリストとして入れないのは、やはりその国の文化に対する認識不足ではないかと思わざるを得ません。
ちょっと前の「ニュースな史点」に出ていたアメリカ人もそうでしたが、他者を論ずるのであれば、
やはりその対象物を虚心に見ることが必要ではないかとつくづく思います。(なんか固い・・)
ひるがえって自分はどうかと思えば、・・・なかなかできませんね・・
なんか変な文章ですが、感想です。

兜蟹さま>
どうもはじめまして。中根と申します。陽明学を中心にした中国思想史を研究しているものです。
こんごともよろしく。歴史フォーラムに投稿されている方ですか?
そのうちそちらへ伺うかも知れませんので、その時はよろしくお願いします。

それではまた。



#436 
中根大輔 99/08/26 22:13
儒家文献、精読中。

どうもこんばんは。中根です。
こないだからしばらく本業の儒家文献の精読をはじめました。
いろんな儒家文献をひっくり返していると、なかなかおもしろいです。
僕はまだまだ真意が汲み取れるレベルにはほど遠いのですが、読んでるだけで楽しいです。
>タロイモさま
論語の歴代の注釈のなかに、注釈者自身の思想が図らずも表現されているように思いますね。
仏教信者の人はやはり仏教的な解釈をしますし、(例:皇侃「論語義疏」)
・・・大変、奥が深いです。一生かかっても極め尽くせるか、どうか。
やりがいはありますよ。でも日本語訳(現代語訳)文献がこれほど役に立たない分野も、
ないのではないでしょうか。意外に誤った訳が流布しているように思います。
しかしこうやってみてみると、朱熹という人はやはり傑物だと思いますね。
説が大変明快で、驚くほど自由な思考の持ち主です。
後世の朱子学者(ことに日本の学者)は、どうも誤解してしまったのではないでしょうか?
そんなことを考えています。



#435 
中西豪(先日「防ヤ協定」内の論功行賞で正式に筑前筑後肥前三州を受領、肥前名護屋に「高麗探題」開府) 99/08/26 08:52


お久しぶりです、小生の守備範囲の話題が続いているのを、「原稿の締切が……」と、眺めているだけでしたが、昨日から現実逃避モードに突入しちまいましたので(笑)。

>中国に於ける渤海史研究
 まあ、そこまで神経質ではないようで。
 小生の出身大学院に数年前より朝鮮族の方が留学していますが、研究対象は渤海史です。本国では政治イデオロギーが先行するのに辟易し、こちらで実証主義的研究を地道に続けていらっしゃる。
 先年、直木賞作家(だったか? 歴史文学大賞受賞はまちがいない)高橋義夫が『渤海王の使者』を書くにあたり、東京龍原府(上京龍泉府だったか?)の故地を取材旅行していますが、現地の接待もとくに問題はなかったようです。

>高麗共和国連邦
 本来、高麗は高句麗の後継を自任しての国号ですから、北主導の合邦でないと、こうは改名しないのではないかと。



#434 
兜蟹 99/08/26 06:33
ご無沙汰です

中国が渤海研究に神経質なのは、金日成・正日(特に息子が)が北の民族を高句麗の子孫であり、震国(唐から大祚栄が冊封を受けて渤海を建国する前の名前)の領土を祖父の地と呼んで
いるからですね。ハバロフスク州から旧満州にかけての広大な土地を本来の朝鮮の領土と
主張しているんですから、特に正日と中国は仲がよろしくないし、中国は神経質にもなり
ましょう。新羅から追い出されて逃げてとりあえず住んだ土地じゃないかと金さんに言っても
無駄でしょうね(笑)。高句麗の中に貊族がいますが、沃沮から流入した渡来民族ともいうので
言い出したらシベリアはぜ〜〜〜んぶ、金さんの土地なのかもしれない(笑)

歴史フォーラム:とりあえず「一人で大きくして」すみませんです。見苦しい真似をして
しまいました。徹夜城さんとこは専門的なので、こちらには私ごときちと遠慮しがちなんですけど、夏枯れ状態でフォーラムが元気なくて(というか常連が投稿しなくてねえ)つい・・・
しかし、一人で騒いでる状態になる途中で、タロイモさん入ってきて欲しかったですね。
みんな冷淡なんだものなあ・・・・。ひがんじゃいますぜ、タロイモさん。






#433 
アール・ケイ 99/08/24 20:39
同意見!です

手塚さんが入っているウンヌンは別としても
人選がめちゃくちゃですよね、
『タイム』のアジアの20人、ですか。
足掛け25年の、古手の手塚ファンとしては入れてないのは
不見識としかいいようがないと、こだわってしまいます。
世界の映像文化に直接・間接的に与えた影響は計り知れませんのに。



#432 
徹夜城(外国人にはいちおう日本方式で名乗る管理人) 99/08/24 14:36
渤海とか昭和とか

>タロイモさん。
ふーん、中国側では渤海研究にそんなに神経質なんだ。そこまでとは思いませんでした。
実は朝鮮・韓国ともにある傾向なんですけど、渤海を高句麗の遺民が建国した国家として「朝鮮民族の国」としちゃう見方が現在でも強いのです。部分的に確かにそういうところがあるんですが、僕はそこに近代的な意味での「朝鮮人国家」という枠組みを持ってくるのは不自然だと思ってます(当然ながら中国人国家などということも出来ませんね)。高句麗にしても現在で言う「朝鮮人」かというと僕自身は懐疑的にならざるを得ませんね。
 韓国では新羅を「最初の統一国家」と認めず、この時代を新羅と渤海が対抗する「南北国時代」などと呼ぶ意見も多いそうです。高麗が初めての統一国家というわけで…以前日本語版も出た「漫画・韓国の歴史」でもそう書かれていました(ついでながらこれ、朝鮮通史入門に最適。一読はオススメ)。
 こうした「南北国時代」史観の背景に現在の「南北分断状態」があるのは明かです。韓国に限ったことではありませんが、歴史家も自分がいる歴史状況の産物なんですよね。

>山添さん。
まぁ「ヒロヒト」表記に関しては単純に一般に流布している名前を使ったんだと思いますよ。あちらは諡などという習慣もないので…分かってる人は分かってると思うんですけどね。なにせ長いことあの人は海外では「エンペラー・ヒロヒト」でしかなかったですし。あと50年もすれば「エンペラー・ショウワ」になるでしょう。
中国人名は一応ひっくり返さないのが多いようですね。日本人は自分からひっくり返しちゃった国民なので困ったもんですが(笑)。聞くところでは「日本では姓が先」ということも海外では知られつつあり、かえって混乱を生じたりしているそうです。例えば文学者の検索なんかで困っちゃうんだそうですよ。
僕もこれについては世界中どこでも「現地の方式に従う」にした方が良いと思いますね。姓なんて無い国だって多いんですし。



#431 
山添 99/08/24 02:17
高麗

それがええ。それいっとこ。Koreaと通じるか。
ほなついでにChinaも、「秦人民共和国」にしとくか。

アジアの20人かあ。やっぱり、アメリカ人はアホや、とか思ってまうね。
「Hirohito」はあかんやろ。それ諱やで。諡で呼びなさい。
それならちゃんと、始皇帝も Ying Zheng とか書きなさい。

中国人名は、英語表記で姓名がひっくりかえる場合とかえらない場合があって謎やなあ。
どうせアラブ人とかも、そんな「First name - Family name」なんかの法則にはあてはまらんねやから、ぜんぶもとの語順でええやん。



#430 
タロイモ 99/08/23 23:47
渤海

朝鮮といえば中国では渤海研究は御法度らしいですね。
日本人が渤海研究のため中国入りしたら、ホテルに軟禁、
案内した中国の教授は逮捕されたとか・・・
中国自治区内の朝鮮人を刺激しかねない、という理由らしいです。
うまのすけさんのところの考古学の部屋で話題になりました。

例の論語の解釈ですが、朱子は孔子自身の行動について憂いた、と
解釈してるようなので、陽明学なら「主君」を主語にした解釈もあるのかなあ、と思ったのですが、やはり飛躍しすぎてたようです。
個人個人で解釈が違うんですね、なかなか奥が深そうです。




#429 
徹夜城(英文読むのは頭が痛かった管理人) 99/08/23 23:41
アジアの20人の話

>中根さん。
ホント、「タイム」の人選、面白いですよね。特に日本人が。井上さんも三宅さんも孫文や毛沢東、ガンジーなんかと並び称せられてビックリ仰天じゃないでしょうか(笑)。参考までに「タイム」の該当ページ、アドレス書いておきますね。
http://www.pathfinder.com/time/asia/magazine/1999/990823/inoue1.html
これで井上さんの解説ページに飛べます(^^)。何でこの人が選ばれたのか論評が書いてあります(写真も出てます)のでご覧ください。そこから他の19人のページにも飛べます。面白いですよ。

手塚治虫が出てこないのは、やっぱり「タイム」クラスだと漫画を「文化」として認知していないのでは…といってもカラオケ発明者選んじゃってるからなぁ(笑)。香港あたりの人が書いたんじゃないかとにらんでますが。
欧米で日本のアニメ・マンガが受けているという話もありますが、実のところ一部の熱狂者がいるだけで一般的にはまだまだだと聞いています。「週刊アスキー」に硬派記事を書いているジャーナリストがアメリカで取材した際、「自分が連載している雑誌」を取材相手に見せたら、マンガが載っているのを発見しただけで相手は雑誌の品位を疑うような態度を見せたとか書いてありました。まぁそんなもんなんですよ。この点、アジア各国の方が付き合いやすいなぁと僕は思ってます。

日本発の世界文化って、マンガとアニメ、カラオケ、そしてウォークマンってことになるんでしょうか(笑)。いつだったか某番組でヨーロッパ人に「日本の有名人をあげてください」って街角アンケートしたら「ソニーさん」って答えがあったっけ。ちなみに中国では松下幸之助・田中角栄・山口百恵あたりが有名人です(^^;)。



#428 
中根大輔 99/08/23 21:49
箕氏朝鮮

どうもこんばんは。中根です。

>徹夜城さま
ニュースな史点、読みました。「タイム」の人選、なぜ手塚先生
(なぜか子供のころからこう言っていたのでこう書きます)
が外れてたのか疑問でしょうがないです。少なくともカラオケ発明者より重要だと思うがなあ。
だいたいカラオケ発明者を入れるなら対になるインスタントラーメン発明者・
安藤百福氏を出して欲しかったな。三宅一生も謎ですね。

>山添さま
ご質問の朝鮮の件ですが、中国側資料には商(殷)代に箕氏を「朝鮮」に封じた記録があります。
ただ韓国側は否定してるのでなんとも言えませんが・・
ご参考までに。

それではまた。




#427 
徹夜城(原稿執筆が毎度遅れる管理人) 99/08/23 00:59
朝鮮と韓国

>山添さん。
お久しぶりです。「ニュースな史点」ですが、最新版は月曜日中に更新の予定です。書いてたら間に合わなくなっちゃって。
で、掲載前に先にネタ晴らしを。テレビなんかでもやっていたので目にした方も多いでしょうが、「タイム」の「20世紀のアジアの20人」のネタを書いてます。この20人、凄い人選なので参りました(笑)。基準がよく分かんないですねぇ。

>韓国のこと。
うーん、これはもっと詳しい方がいそうですが、僕なりの見解を。
確かに歴史的経緯をいえば「韓」は本来南半分を指すような気がします(三韓って言葉が)。そういう意味では今の「大韓民国」は名を体現しちゃってるところがあるかも。
「大韓帝国」の名前がどういう経緯で決まったか調べてみれば良いんですが、明らかなのは「朝鮮」という名が中国(明)から与えられたものであり、これを排除しようという意図が当時あったということでしょう(これには韓国人自身の意図もあったと思います)。「朝鮮」という名称自体は古くからあったようですが、現在に直結するものは新王朝を建てた李成桂が明に「「朝鮮」か「和寧」かどっちか選んでください」とゴマをすった(?)ところに由来します。いわば中国への臣従を誓う名称という見方もあるわけで(あくまで見方、ですが)。
ずいぶん前に書いたことですが、少し前までは半島統一後どういう名称にするかという議論があったんですよね。「朝鮮」も「韓国」もそんなこんなで議論があり、いっそ「高麗」にしよう、などという案もありました。英語の「コリア」にも通じますし、けっこういい名前だと思うんだけど。
いきなり地図に「高麗」が登場したら一気に時間を遡った気分でしょうねぇ(笑)。



#426 
山添 99/08/22 12:06
油断してたら、

だいぶごぶさたしてしまいました。ニュースな史点の、7/11が見れなくなってますが、もしかしたら見逃したかも。
背景見やすくなりました。ありがとうございます。

ついでだから、なんかネタふっとこ。

朝鮮半島は、李氏朝鮮が、いつからか大韓帝国になって、その後1910年に日本に併合されるんですよね?
あの地域全体を指す言葉としての「朝鮮」「韓国」というのは、どう使いわけたらいいんでしょう?
大韓帝国時代だけ全部を「韓国」と呼んだ?「韓」て南部の地名ですよね?

http://www.lab3.kuis.kyoto-u.ac.jp/members/yamazoe/


#425 
徹夜城(結局バイトを再開して多忙な管理人) 99/08/22 12:02
歴史フォーラムのこと+受験用歴史

>中根さん。
「歴史フォーラム」というのはリンク先にあります総合的歴史サイト「徹底歴史研究同盟」のなかにあります。
ちなみに直通アドレスは
http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/
です。僕もしょっちゅう顔を出してます。というか、僕がこの話題を振っちゃったんですけどね。

夏期講習で中学三年どもに社会科を教える日々が続いてます。
歴史はついついしゃべりすぎてしまうので(笑)、ほどほどに基本事項だけやってますが、やっぱ授業時間内では説明し切れませんね。
例えば「勘合貿易」が問題に出ますよね。なぜ「勘合符を使ったんでしょう?」なんて問いがあります。試験用の正解は「倭寇と区別するため」なんだよなぁ。正直納得行かないんだけど、ここで学界の見解を述べるわけにも(笑)。大学受験者に世界史も教えてますが、同様の悩み(?)はありますね。
まず僕は「勘合貿易」って名称自体に疑問を感じてます。ありゃどうみたって朝貢貿易でして、そうしない貿易船を明側が「海賊扱い」しただけってことなんじゃないかと。「勘合貿易」って名称は「朝貢」をごまかすために後世の歴史家が勝手に作った名称のような気もしちゃうんですが。他にもそういうこといっぱいありますね。





#424 
中根大輔 99/08/22 01:54
難しい「論語」の解釈

こんばんは。中根です。
タロイモさまのご質問に答えるため、久しぶりに論語をひっくり返してみました。
実は、「論語」の解釈の研究というのは、大変難しいものでして、
現在でも定説というものは厳密には存在しておりません。
そのことを理解していただいた上で、回答したいと思います。
>タロイモさま
>中根さん、ご指摘ありがとうございました。
いや、どうもこちらこそ。勉強になります。
僕も日本古代史は素人でして、こういうことがなされていた事は正直言って驚きです。
中国ではこういった地名のつけ方はしないように思います。日本の中国へのあこがれから
くるものでしょうか?
>「論語 述而第七」の「子曰、徳之不脩、学之不講、聞義不能徒、
>不善不能改、是吾憂也」
>かなあ、とも思ったのですが自信がなかったので書くのはやめときました。
ええと、一つ申し上げたいのですが、徒の字は徙(うつる)の誤りではないでしょうか?
よく似ている字なので誤ることはぼくもよくします(^^;
それからこの章は、この当時の解釈(具体的には古注、特に皇侃の「論語義疏」)では
「世人たちの過ちをさしている」とみるべきですから、前述の論旨とは異なると思われます。
意味が近い「孔子みずからの自己批判」と解釈するのでさえ、宋の尹[火享]([]内一字、いんとん)あたり
からだと思われます。いわゆる新注系統の説ですね。主語を「君主」と取る説は見たことが
ありませんが、調べれば有るかもしれません。ただこの当時はなかったと思われます。
>ところで陽明学の考え方から上に挙げた論語を解説したらどうなるんでしょうか?
うーん、陽明学には朱子の「論語集注」のようなまとまったものはありませんので、
回答は困難を極めます。陽明学者個人個人の発言を丹念にあたっていかなければ回答は
えられないでしょう。しかも各人ごとに説の違いが有るので「陽明学の統一した解釈」という
のは出来にくいと思います。ただ、程樹徳の「論語集説」のような諸注の集成を調べれば
分かるかもしれません。
>良知心学と関係するのでしょうか?
ざっとみたかぎり、この段は引用されてはいないようですが。
「王文成公全書」でも読まないことには、即答は出来ません。
今後、調べてご報告致しますね。

ところでこの議論がもちあがった「歴史フォーラム」とはなんでしょうか?
あまりよくわからないのでご教示戴ければ幸いです。

それではまた。



#423 
タロイモ 99/08/19 00:26
陽明学

中根さん、ご指摘ありがとうございました。
「論語 述而第七」の「子曰、徳之不脩、学之不講、聞義不能徒、
不善不能改、是吾憂也」
かなあ、とも思ったのですが自信がなかったので書くのはやめときました。
ところで陽明学の考え方から上に挙げた論語を解説したらどうなるんでしょうか?
良知心学と関係するのでしょうか?



#422 
中根 大輔 99/08/18 14:21
養徳の出典

こんにちは。久しぶりの書き込みです。
>タロイモさま
どうもはじめまして。中根と申します。大学で陽明学を学んでいるものです。今後ともよろしく。
>「養徳」という熟語もあるので、どこかに出典がある
>のかもしれませんがよくわからないです。
「養徳」は荘子・天下篇中の語です。訓読だと、「徳をやしなう」となりますね。
易経にも「その徳をやしなう」と訓読するところがあり、書きこみされた内容の思想に近いのは
こちらのほうですが、こちらの原文表記は「畜其徳」です。(畜をやしなうと読む)
恐らく「やまと」の読みに近い方が採用されたのでしょう。
荘子の中での意味はどちらかというと隠遁的ですね。



#421 
のよりん 99/08/17 08:09
なるほど

タロイモさま、徹夜城さま
レスありがとうございました。

ってことは、“やまと”とは当時、天下とおなじような意味に使われていたということなんでしょうかね。
吉備真備の名前の“真備”もそのままでは“まきび”とは読めないです。“まきび”なら“真吉備”が本来の形でしょうか。
そーか、国名を二字にしたりする勅と関係あるのか…
たしかに真備といっしょに留学した大倭小東人も名前を長岡の二字にかえてますものね。




#420 
徹夜城(明日からバイト再開の管理人) 99/08/17 00:09
ヤマトのこと

僕もここ数日この関連を追っかけていて、「ヤマト」を「大養徳」と表記したことがあったのを初めて知りました。発音を移したんでしょうけど、まだ当時「ヤマト」の表記が揺れていたことを知って非常に新鮮に感じましたね。

その過程でどっかに書いてあったのを見たんですけど、「東漢氏」のヤマトも「倭」と書いていた時期があるみたいですよ。



#419 
タロイモ 99/08/16 21:03
大養徳の由来

大養徳の由来ですが、その頃は疫病が流行したり飢饉があったりなど
よくないことが続いたのですが、それは天子の徳が薄いため天が咎めているのだと、為政者が受け止めたため、[天子は大いに徳を養い]天の望みに
応えるべきである、という発想に基づく改称のようです。
いかにも儒教的な発想ですが、考えたのは吉備真備あたりじゃないかと・・・
留学生でしたし・・・
「養徳」という熟語もあるので、どこかに出典があるのかもしれませんが
よくわからないです。

東漢氏(やまとのあや)は、二上山の東側の「やまとの国」に住んでいたので東を「やまと」と読むのでは・・・
西漢氏(かわちのあや)が、二上山の西側の「かわちの国」に住んでいたの
と対になってるようです。
東漢氏からは後に坂上田村麻呂や坂上是則が出てますね。



#418 
のよりん 99/08/16 03:56
なんで大養徳?

どうして大養徳としたのでしょう?何か根拠や出典があるのでしょうか?
ちょっと読めませんよね。
諸兄政権の真っ最中だとすると、母方の県犬養氏に関係あるのかあともおもったのですが、彼等は摂津が本貫ですよねえ。
そーいえば、東漢氏は“東”と書いて“やまと”と訓みますよね。
これも根拠がわからないけど…



#417 
タロイモ 99/08/16 02:04
政争の具

歴史フォーラムのツリー、2日でかなり大きくなりましたね。
兜蟹老師が一人で大きくしたような気もしますが・・・
ところで「やまとのくに」の漢字表記がコロコロ替わった理由なんですが、
どうも政争の具になっていたようです。
737年に藤原四兄弟が疫病であいついで亡くなったことで橘諸兄が
実権を握ると大倭国を大養徳国に変更してます。
しかし藤原仲麻呂が台頭して、諸兄の政治的地位が弱くなってくると
747年に大養徳国を大倭国に戻してます。
そして橘奈良麻呂の謀反を未然に防いで反対派を一掃し、
藤原仲麻呂が実権を握っていた
758年2月の勅で、初めて大和国と表記されたようです。
現代でも似たようなことは、あるような気もします。

昨日は手元にある資料だけで書いたので、かなり
いいかげんなこと書いてしまいました。すんません・・・






#416 
徹夜城(休みも残り少ない管理人) 99/08/16 01:08
利根川増水中。

関東は山間部の大雨であちこちの川が増水してますね。遭難事故があったのも報道の通り。
我が家のすぐそばには日本最大の大河(ってのもおこがましいが)・利根川が流れておりますが、予想通りかなり水かさが増しています。今日河原まで行ってみたんですが、堤防の三分の一ぐらいまで水面が上昇していました。まさに濁流の大河と化しています。ちょっと日本では珍しい壮大な眺めなんですよ。他にも見物してる人がいっぱいいましたな(笑)。
(笑)などと言ってますが、当然一昔前は深刻な事態でした(いや、今だって絶対安全とは言えませんが)。町のところどころに「○年決壊時水位」なんてのを貼った電柱がある土地です。僕の小学校時代には近くの小貝川(暴れ川で有名)の対岸が決壊した経験もありますからね。

>タロイモさん。
その「空想歴史読本」はチラッと立ち読みしました。誰かやるだろうと思っていた企画ですが…面白いとは思うんですけど、もうちょっとテーマを絞った方がいい本になったんじゃないかなぁ。なんか何でもかんでも詰め込みすぎという印象を僕は受けました。

>近況。
ふと北方南北朝でも読んでやれと図書館行って、たまたまあった「道誉なり」を借りて読んでます。あああっ、「しりとり」を急いで仕上げないとバイト再開だ(汗)!



#415 
タロイモ 99/08/12 21:22
空想歴史読本

実は今日、おもろい本みつけました。
「空想歴史読本」(メディアファクトリー・円道祥之著)
という本なんですが、ひさしぶりに腹ぁかかえて笑いました。
もうお持ちかもしれませんが・・・
とにかくお薦めです。SF・ヒーローもの好きなら、なおのことお薦め。



#414 
徹夜城(プライベート・ライアンをまた観た管理人) 99/08/11 23:58
同名さんといえば…

のよりんさんのコメント、僕も大変勉強になりました。まだまだあの辺の事情には知らないことがありましたねぇ(どうでもいいけど「長政の方が先」という意味不明のコメント書いてました(^^;))。

同じ諱といえば佐々木道誉も「高氏」でしたね。
吉川英治「私本太平記」では若き足利高氏とこの佐々木高氏が同名が縁で知り合うことになっていたような。この辺面白いネタなんですが、大河ドラマでは「ごく当たり前」という認識のようで、陣内孝則が真田広之に「近江の佐々木高氏でござる!」とアッサリと名乗るだけでした。
しかしあの道誉さん、とうとう坊主頭にならなかったなあ…

映画ネタですが、昨日「(セービング)プライベート・ライアン」をビデオで久々に観ました。
この映画の凄いところは「音の演出」なんですが、ビデオでもかなり再現しておりました。
たちまち戦場に叩き込まれるような音と演出そして映像。
とっととDVD化して欲しいってのが本音ですが。スピルバーグ、あんまりDVDには積極的じゃないからなぁ(彼が著作権を握る映画は最近ようやく許可されつつありますが)。



#413 
アール・ケイ 99/08/11 16:01
アザイさんとアサノさん

のよりん様、徹夜城様、ありがとうございました。
さすがは、のよりん様!積年の疑問が解決したような気がします。
時代劇の登場人物たちが実際(史実)は年をとり出世するに従って、
頻繁に名を改めるのに、小説や特にドラマではかなり乱暴に省略したりしてます。
明智光秀は本能寺の時 惟任(コレトウ、漢字違ってたら御免なさい)姓ですものね。



#412 
のよりん 99/08/11 07:08
さらに追加の事

同時代には黒田如水の子で、幼い頃信長の人質になっていた黒田長政(1568〜1623)もいます。
あと、当時の名乗りは官職を受けるときは本姓(源平藤橘在伴紀清菅…っていうやつ)に実名で名乗っているのが正式なので、浅井長政、浅野長政とも“藤原朝臣長政”となるはずです。
もっとも浅野家は江戸時代になってから源氏に改めましたけどね。
ちなみに黒田長政は“源朝臣長政”ですね。



#411 
のよりん 99/08/11 02:38
下記追加ごと

浅井長政は文禄三年(1594年)に淀御方(浅井茶々)によって二十一回忌の法要が営まれているので、このころには一応名誉回復されてたようです。
一方、浅野長政は慶長三年(1598年)には五奉行として豊臣秀頼擁立にあたっていたので、もしかしたら長政の名乗りは淀御方の意向があってのことだったかもしれませんね。



#410 
のよりん 99/08/11 01:57
浅井長政と浅野長政について

アール・ケイさんの質問にちょっと考証してみました。
答えにはなっていませんが…
まず長政というのはいわゆる実名というもので、当時は諱(いみな)と呼ばれていました。
浅井家は“政”の字を通字としてきたようです。
通字とは父・久政、祖父・亮政というように諱の漢字の一部を直系で伝えることです。
ちなみに浅井長政はもとは六角義賢の片諱をもらって“賢政”を名乗ってました。
長政としたのは六角氏と決別してからのようで、織田信長の諱と関係があるかどうかは不明です。
一方、浅野長政はもと善滋朝臣姓安井氏の出身で、母の弟の又右衛門長勝の夫婦養子として禰々の妹のおらく(俗に弥々といわれるがこれは赤ん坊、末っ子という程度の意味)と結婚して入籍したようです。
浅野家は長勝の祖父の代から“長”の字を通字としています。
浅野長政は最初おそらく秀吉の片諱をもらって“長吉”と名乗ってました。
初陣の浅井長政攻めの時点では長吉で、少なくても慶長3年(1598年)までは長吉でした。
長政の“政”には当時親交があった伊達政宗が関係しているかも知れません。
このように二人の諱の名乗りは時間的にはかなり離れているようです。
なお、同時期に同一の諱をもつことも珍しくはなく豊臣家配下には毛利秀頼があります(ただし豊臣秀頼が諱を名乗る以前に死去)。



#409 
徹夜城(ボチボチと原稿を書く管理人) 99/08/11 00:04
てこ歴新作が入りました(^^)

あれこれ原稿ためこんで更新が遅くなって申し訳ありません。
やっとこさ「てこ歴」に新作が入りました。中国史ネタです…いやぁ違うかな?ま、ご覧くだされ(^_^)。
もう次の題材も決まってますがこちらはかなりの難敵かも(笑)。だいぶ前にチラリと予告したことがあるやつです。

>アール・ケイさん。
僕もこのお二人の「長政」さんは気になっていたんですが、調べたことはありません。というか、たぶん生きている時代がダブっているはずだと思っていたんです。
そこでこれを機会に調べてみました。二人が生きていた時代は…
浅井長政=1545〜1573
浅野長政=1544〜1611
そうなんですよ、実はお二人たった一年差のお生まれなんです(しかも長政の方が先でした)。元服して「長政」になった時期はほぼ同時期だったんじゃないでしょうか?



#408 
アール・ケイ(旅行ボケしている) 99/08/10 23:38
さっそく訂正

ご質問にお答えいただいたのは、のよりん様でしたね。
ああ、迷惑をお掛けする範囲が拡大していく…(笑)



#407 
アール・ケイ 99/08/10 23:34
図に乗って、もう一つご質問

徹夜城様
お答え、ありがとうございます。
(モバギは見るのも書くのも疲れます(泣))
九鬼氏って海のイメージが強かったので、ちょっと意外でした。
で、もう一つご質問が…スミマセン
前々からの疑問なんですが、今日広島城を目にしたのであらためて疑問が
蘇りました。
浅野長政と浅井長政、血縁がない(まあ、こじつければないこともないか)こと位は
理解しているつもりですが、後からその名を名乗るようになった浅野さんは何故
滅ばされた長政という名を名乗ったのでしょうか?
偶然とも思えず(当時ありふれた名前だったのかな)、似たような名前をなんでまた…
信長や秀吉の意図でもからんでいるんでしょうか?
ひょっとして歴史の専門家やファンの方なら当たり前すぎるご質問なのかも…





#406 
徹夜城(お盆休み中にいろいろ済ませたい管理人) 99/08/09 11:34
世間は民族大移動中か?

先週の土曜日あたりから参加しているMLの着信数がめっきり減るは、各地サイトの訪問者も少なくなるは、またはアール・ケイさんのようにマバギでアクセスする方はいるはとネット上の世界でも「帰省ラッシュ」のようであります。
ちなみに僕は生涯一度も「帰省」ってものをやったことがないです。僕自身は茨城の生家にずっと住んでますし、親父は宮城の人間なんですが、てんで里帰りだの墓参りだのをしない人でして。

>タロイモさん。
その件についてはあちらの掲示板で僕なりの私見を書いておきました。もっとも中西さんの方が詳しいんじゃないかと思いますが…
実は僕の身近にいる院生でまさにこの辺のことを専門にしている男がおります。「たっきー」くん、見ていたら意見を書き込むように(笑)。

>昨日の「知ってるつもり?」
昨日は「司馬遼太郎」でした。ご覧になった方も多いのでは?まぁほとんど「知ってるつもり」の話題でしたが(笑)。「昭和」に対する司馬の思いを強調した辺りはおさえるべきポイントはおさえていたな、というところでしょう。少なくとも「自由主義史観」は吹っ飛ばされますね(もっとも分かっているようで彼らも最近あまり司馬を持ち出さないような…小林よしのりも司馬批判やってましたし)。ただ司馬が「歴史観をひっくりかえす」ほどの事をしたという描き方は疑問も感じましたが。

「ニュースな史点」、ちょっと遅れてつい先程更新しました。
なお、リンク先に「スズメ♂の古代妄想館」が追加されました。初の日本史関連リンク先です。



#405 
中西豪(西海右道水軍節度使) 99/08/09 09:46
鉄張装甲の大安宅船

>李舜臣にはかなわなかったという……

 いやいや、九鬼の大安宅は互角以上に朝鮮水軍の板屋船、亀船とわたりあっています。
 慶長役の漆川梁海戦では、文禄二年度建造の鉄張装甲大安宅が大暴れしています。相手は李舜臣じゃないですけどね。

 夏コミ新刊の最後の追い込み中で、詳細を繰り返し説明できないのはご勘弁。暇になったらゆっくりと。



#404 
タロイモ 99/08/09 00:34
鉄甲船

九鬼といえば鉄甲船・・・毛利には通用したみたいですが、李舜臣には
通用せんかったという・・・
そういえば大河BBSに韓国の方が質問されてましたね。質問の中に
「豊臣秀吉の攻撃は跳ね返したが恨みを持つ、一方中国には降伏したが
何の恨みも無い、これはどう見ても理解できませんね」
という質問がありましたが、答えていいものか・・・
李氏朝鮮は日本を夷狄であると見下していて・・・やはり、やめときます。



#403 
のよりん 99/08/08 18:20
九鬼氏

アール・ケイさま
二代目の久隆のときに志摩鳥羽から転封してきたみたいですよ。
でも弟に分知したんで、石高がへってますねえ。
摂津三田三万六千石となってますね。



#402 
アール・ケイ 99/08/08 15:49
暑中お見舞い申し上げます

暑いですね。
現在、妻の実家より、買ったばかりのモバギにてカキコしております。
モバギだと、BBSによってははね返される場合があるようで、私の縄張り(爆!)の大河BBSへはカキコめません。
普段の行いが悪いせいだと反省しております。
さて、ここ兵庫県三田市というのは、妻によると九鬼氏の城下町だそうです。
近くの三木城の別所氏(でしたっけ)のことは聞いたことがありますが、九鬼氏というのは本当でしょうか?



#401 
徹夜城(いっこうに更新が進まない管理人) 99/08/05 23:41
王直の密輸品

>タロイモさん。
>海上史年表の1540年(嘉靖19年)に王直らが商品を積んで
>東南アジアへ旅立つ、とありますが商品は硝石、硫黄、生糸、綿
>でしょうか?
王直の伝記とも言える「擒獲王直」なる資料によれば、王直は嘉靖十九年に「硝黄絲綿等違禁物」を持っていったと書いてあるので、この資料を信用すればそういうことになります。硝石と硫黄はもちろん火薬の原料ですね。生糸と綿は当時の中国における最大の国際商品と言えます。

ところで一応書いておきたいことがあります。実はこの年の王直の目的地については原文では「日本暹邏西洋等」へ行ったと書かれています。これをもとに王直の日本到来を1540年とする本も多いです。ただ僕は前後の事情から彼はこの時には日本に行ってないと考えています。
王直の同郷の先輩であり親分である許兄弟という人物がいますが、みんなマラッカへ行ってポルトガル人相手に商売をやってます。だから王直たちがこの年に密貿易に乗り出したのであれば東南アジアへ向かうのが自然だと考えたのです。さらに言えば当時の密貿易業者が日本へ向かう積極的理由はまだ無いんです。
 僕は1543年に王直が種子島に来たのが彼の初来日だと思ってます。そして1545年に五島さらには博多へ行ったんだろうと思ってます。実際資料的にも裏付けがとれることなんです。王直は当時の日明密貿易ルートの中国側の開拓者だったと僕は解釈しています。彼を追いかけるように中国人・ポルトガル人が日本へ殺到してゆくことになります。目標は当時増産体制の整った日本産の銀ですね。

まあこの辺の事情は「事件簿」で書く予定なのですが…ちょっとあれこれ原稿がたまっていてまだ公開できません(^^;)。「寧波の乱」は仕上がってますが…もうちょっと待ってください。
「しりとり」もピッチはあげています(^^;)。書きにくいったらありゃしない人物でして。


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