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#700 
2000/02/24 16:21
一漫画ファンの繰り言

>gtoさんへ。
「小林憎し」だなんて、とんでもない!
よしりんを憎む理由なんて、私には全然ない。前にも書いたように、私はむしろ悲しいのです。
一介の漫画ファンとして、一人の漫画家があのような形でつぶれていくのを見るのは、つらいことです。
だいたい、少年ギャグ漫画家は消耗がはげしいですけどね(「マカロニほうれん荘」がいい例だ)、よしりんの場合、大人向きの週刊誌に移ったことによって、これからは社会風刺毒舌漫画家として、息の長い製作活動が期待できるのかなあ、と思ってました。
それがこういう形になるなんてねえ……かつてファンだっただけに、残念です。とても残念です。

例の「メッセージ」の件……はい、おっしゃるとおり、その意味は明白です。
あれが一度きりなら、私も信じたでしょう。
でもねえ、彼はそのあと、オウム事件、宅八郎氏とのトラブル、SAPIOへの移籍、そして「つくる会」と、何度もおなじパターンを繰り返しているんですよ。一度や二度ならともかく、ほんの数年の間にこう何度も同じ事をやられるとねえ……いくら元ファンでも「こりゃ、あかんわ」と思いますわ(タメイキ)。
それに、彼が「決別した」と称する運動やら組織やらのどこからも、「戻ってきてくれ」というコールが起きない。ということは、周囲とうまくいかなかった、ということでないの? もしうまくいってれば、自分だけ「やめる!」と言っても、周りから「やめないでくれ」という声がおこるでしょ、普通は。
だれもお義理にも引き留めない、ということは……「つくづく、どこへ行っても浮き上がってしまう人なんだなあ」と判断するのが、当然だと思いますが。

結局、ギャグ漫画家ってみんな自滅するのかなあ。吾妻ひでお氏がノイローゼで失踪して、ホームレスまでやったってのは有名な話だし、最近では「封神」のフジリューがそろそろあぶなそうな感じだし……うーん、なんか暗くなってしまった……。



#699 
gto 2000/02/24 10:32
はじめまして

はじめまして。gtoというものです。
この板では初めて投稿いたします。
今後ともよろしくお願いします。

真樹さんへ
はじめまして。
ところで(引用)
だいたい、エイズ問題にしろオウム問題にしろ、彼はみんなとちゅうで放り出していますからね。「決別」だとか「新たなステージ」とか、自分ではカッコつけてるけど、要するに「一人だけ組織から浮き上がってしまい、周囲からもてあまされる」ということでしょう。
(引用終わり)
私は脱正義論読みましたが、あなたとは異なった感想をもっております。
彼は「ここからはプロにまかせて日常に戻れ」
ということをいいたかったのはあきらかです。
なぜ、(だいたい、エイズ問題にしろオウム問題にしろ、彼はみんなとちゅうで放り出していますからね。「決別」だとか「新たなステージ」とか、自分ではカッコつけてるけど、要するに「一人だけ組織から浮き上がってしまい、周囲からもてあまされる」ということでしょう。)という感想になるのか理解に苦しみますが、如何に。
彼のメッセージは妥当だと思います。
まず「小林憎し」が先にあるのでしょうか?





#698 
徹夜城(今日はいろいろ原稿書く気の管理人) 2000/02/23 09:58
訂正など。

>アール・ケイさん。
なるほど、企業投票権うんぬんの話はそうかもしれない。もちろん確認してみないと分かりませんけど。外形標準課税については「週刊朝日」で田原聡一郎さんがコラムに書いてますね。田原さんもこの制度について全く知らなかったそうですが、石原都知事も「半年前までは知らなかった」そうで(笑)。

もうだいぶ下に行ってしまった(笑)兜蟹老師さんへのレスで「以船為家」について書いてましたが、もう一回史料をよく読んだら双嶼港で騒いだのは「以海為家之徒」でした。訂正します。微妙にニュアンスは変わりますが、僕はそう両者に違いはないものと捉えています。
「蜑民」が後期倭寇に出てこないと書きましたけど、彼らは主に福建方面にいたようなので、後期倭寇の主要舞台である浙江沿海には出てこないのかもしれませんね。
ちゃんと確認しなきゃいけないかもしれませんが、確か陳舜臣さんの「戦国海商伝」では倭寇活動に「蜑民」が絡んでいるという描写があったと思います。
ついでながら「海賊」コーナーリニューアルは3月を目指して進行中です。



#697 
アール・ケイ 2000/02/22 20:14
とても(難しくて)“土俵に上がれない"話が続いてますね

え〜まずロンドン・シティの選挙の話ですが、法人そのものに選挙権を与えるのではなくて、法人を構成する人間(社員)の代表を登録させて代表者としてその人間に選挙権を付与するという方法のようです(間違ってたらごめんなさい)。法人格の市政参加というよりは、そこに住所を持たない(そこで寝泊まりする訳ではないわけですから)“昼間の住民"=在勤者に政治参加をさせようという試みだと思います(これも違ってたら指摘してくださいね)。
私なんぞも、家(常磐方面)にいる時間よりも会社(千代田区)にいる時間の方がずっと多いですから、そういう意味では興味ある話です。埼玉都民、千葉都民という言葉があるぐらいですから、東京在勤者には都知事選挙の選挙権ぐらいあっても不思議ではないと思います。この話、有権者数減(=定数削減)に悩む区や区議に聞かせたら、ひょっとしたら実現するかもしれません。石原さんもこれで在勤在学者に選挙権を与える代わりに「在勤住民税」を納めさせる、なんて発想をするかもしれませんね。
(これ、今思い付いたんですけど、面白い発想ではないでしょうか。税金を払わされる当事者としては嫌ですが(笑))
その石原都知事の政策は、実はかの(石原さんが選挙で負けた)美濃部さんのやろうとしたことのパクリだそうですね。外形標準課税にしてもディーゼル規制にしても、どこか社会民主主義(歴史的死語)的ではありませんか。換骨奪胎の極みですな。この人、細川護煕氏のやりかたを真似て(鳩山弟と組んで新党結成?)首相の座を狙っているのでしょうね。細川の殿、俺はもっと上手くやるよ、とうそぶきながら。
相撲の土俵の話ですが、これは硬軟評論家・識者は「嫌がっているのに無理して上がらなくても…」(→これはトンネル掘削現場への女性の立入りの話の際にも聞かれる言葉です)「上がったところで何の意味があるのか」といった論調が多いように思います。でも女性からの「何故上がってはいけないのか」という素朴な疑問に真っ当に答えている例を見た覚えがありません。拒否するのなら相撲協会は「女性は血で穢れているので上げられない」(筆者注・私がそう思っている訳ではありません)とはっきり云うべきです。多くの女性ファンを失うでしょうし、血よりも金で汚れている方をどうにかせいと皮肉られるでしょうが。
まあ私にいわせれば、女性が土俵にあがっちゃえばそれで大相撲の歴史は終わりなのか、それだけのもんかいなーといったところでしょうか。
右派サイトって云ってることアカハタと似てませんか(見てないので想像です)。アカハタでは例えばドラマの中の主人公の発言が資本の論理を打破している、とか製作者からみればとんちんかんは論評がされているようですが(やや過去形かな)、まあ右派サイトだとポストの色が赤いのも容共主義だとか(古い喩えでしたか)、タッキー(ジャニーズ滝沢)がプロレスの試合前に君が代を歌うのは卒業式シーズンを控えて若年層にアピールするので素晴らしいことだとか(あんな若造が大衆の前で国歌を歌うな、とはいわない、変にジャニーズの力を意識してたりして(笑))云ってそうですね。敬して遠ざけて、決して近付かないでおこう(笑)。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#696 
徹夜城(また書き忘れをしていた管理人) 2000/02/22 00:09
おっと

下の書き込み、ちょっと消えてますね。土俵うんぬんの件は「辻本議員」です。

そういえばそのサイトで小林亜星氏の著作権裁判の件に触れてる人がいましたね。完璧にこちらの予想通りの書き込み。亜星さんが敗訴となったこの裁判の裁判長、小林よしのりの「脱ゴー宣」裁判もやってるんですよ。さっそく「著作権に理解のない裁判長だ!」「両小林コンビを組め!」とか書いてましたな。
しかし亜星さんの盗作訴訟ってやっぱり無理があると思うんですけどねぇ。僕にはどう聞いても別の曲としか思えない。もっと似てる曲も世の中いっぱいありますし、訴訟起こした時期も妙にずれてましたしね。だいたい訴訟おこした当時からJASRACの内部抗争が絡んだ個人的恨みだと言われてましたし…



#695 
徹夜城(仕事から帰還したばかりの管理人) 2000/02/21 23:58
昨日忘れた書き込みなど(長文!)

昨日書こうとして忘れていた書き込み。
20日のテレ朝系「100人の20世紀」は「ホー=チ=ミン」でした。題材も凄いんですが、かのボ=グエン=ザップ将軍がインタビューに出演!僕の親なんてリアルタイムで生きてた人ですからビックリしてましたよ。「まだ生きてたのか!」って。ちなみに89歳。この人の名を世界中に知らしめたフランス相手の「ディエンビエンフーの戦い」はもう世界史の教科書に載っている重要な戦いとなっていますね。

>+α(戦史マニア)さん
おお、力の入った書き込み、恐れ入ります。その某右派サイト(あんまり広めたくもないので実名は出しませんが)での論争はROMってましたよ。頑張ってらっしゃるなぁと。
僕はというとネット上論争にはよほどの事がない限り乗り出さないですね。結局泥仕合化というか罵倒合戦に成ってしまう傾向が強いので(いくらか経験あり)…。書き込み衝動にかられることはままありますが、相手にしてらんないと思う人も多いですよね。
しかしまぁあのサイト、最近は「土俵に女性をあげるかどうか」の話題が多かったですなぁ。辻議員が登場した途端に批判というか嫌味の書き込みが増えてました。ひとえによしりんが「ゴー宣」でボロクソに彼女のことを描いたからですけどね。実はこの件、彼らのアイドル(?)石原都知事も賛成(土俵に上げるほう)してるんですが、気づいている人は少ないみたいですね。

で、その都知事のことですが(おおっ、見事なつながり!)
僕自身は多少マスコミに毒されているせいか(笑)、今回の銀行課税についてはそう批判的ではありません。いろんな意味で「うまいところに目をつけやがったな」ってなところでしょう。
話に聞くと結構前から各都道府県がやりたがってはいたようですね。別に石原さんのアイデアではないんですが、いつの間にか「石原新税」の言葉が一人歩きしてます。ちょいとこういう刺激性のある、しかも庶民感情に訴える政策にはマスコミも飛びついちゃって、冷静な議論をしてない気配は感じますね。そこらへんは+αさんの書いたような見方も必要になってくると思います。

ただ僕は今度の件ではこれからの日本の地方分権のあり方に人の目を向かせる効果はあったと思います。日本って明治以来の中央集権制をひきずってるようですからね。正直なところ、石原さんも都知事になっちゃったことで、「国」といろんな局面で対決していくことになるんじゃないかと思うんですよ。あの人が本気で都知事をやる気なら(新党作って中央政権に乗り込むって噂もありますから)これまでのようなナショナリズムを掲げていけないと思うんですけどね。

ところで、お話にあったイギリスのシティの件ですが、「企業に投票権」ってのはどういう形式でやるんでしょうか?多様な人間を含む「企業」が一つの意志のもとに投票を行う形式だとすると、かつての産業資本家に投票権を与えたのとおんなじように見えるんですが…この件、分かりましたら具体的にお願いします。



#694 
+α(戦史マニア) 2000/02/21 00:43
主権在社?

 どうも、+αです。続けて書込ませていただきます。

 今回は、どうしても誰かに言いたい気分を押えきれず、こちらにまいりました。多少、言回しが乱暴になるかもしれませんがご了承ください。

 二月一五日付の日経新聞のコラム「2000年地球人は」に興味深い記事が載りました、イギリスの金融の中心地であるシティで、市議会選挙の投票権の九割を企業に与えるという提案が、シティの行政府から出されたそうです。
 一見突飛なようですが、その時代時代の経済の主たる担い手、すなわち、「大地主」→「商業ブルジョアジー」→「工業ブルジョアジー」→「プロレタリアート」といった面々に投票権を与えてきたイギリスの伝統を考えれば、現代経済の主たる担い手である「企業」に投票権を与えるというのは、自然の流れかもしれません。

 と、無理矢理、歴史との関連づけを行って、以下、本題

 折しも、東の金融センターを辞任、ではない自認する東京は、銀行に対し、懲罰的な課税を課そうしている時期に、西の金融センターロンドンでは、金融機関を更に呼込むべく企業に選挙権を与えようとしている、結果がどうなるかは考えてみるまでもない。

 世の中、ぐろーばるすたんだーど、だの、こくさいきょうそうりょくのきょうか、だのとお題目のように繰返す連中が山ほどいるのに、なぜ、この件について、日本や東京の国際競争力という面から見た場合の影響についてコメントする奴が一人もおらんのか?
 (誤解されるといやなので、お断りしておきますが、別に私はグローバルスタンダード(実態はアメリカ基準)が正しいとは思っていないし、アメリカ式にすりよることが、国際競争力の強化に繋がるとも思いませんので、念のため。)
 結局、そういう連中って、グローバルスタンダードも国際競争力の強化も本質的なところを全く理解していないということなんだろう。

 銀行は「いい目をしているらしい、うらやましい、ねたましい」という気持はよく分る、でもね、「だから、後先考えずに、いじめてやれ」では、子供と代らない。いい年してるんだから、もう少し、考えなさい。

 これで、日本の銀行の格付が下がり(可能性はある)、資金調達に支障が出たら(格付が下がったら確実に起る)、また1997年の山一倒産をきっかけとした金融システム不安の再燃になる。そうなったら、また日本の景気は沈没だ。貸渋りは激化し、多くの企業が更に倒産することになる。
 もしかして、不景気が好きで、もう一度恐慌を起したいの? それなら話は別だけど。

 「東京」さえ潤えば、日本なんかどうなってもいい(としか思えない)という、近視眼男の馬鹿げたわがままに、どうして、日本人の多くが賛成するのか、全く分らない。

 賛成した他府県の方々、今回の件で、あんたらに、一体何のメリットがあるの?

 デメリットは一杯あるよ、それでなくとも低い銀行の国際競争力の更なる低下、海外からの投資の阻害、金融不安の懸念及びそれを原因とする景気の悪化、更に、外形標準課税のなし崩しの導入。
 大体、外形標準課税って、中小企業や零細企業をターゲットにしたものだってことが分っている?
 だからそういった人たちの猛反対で、今まで導入できなかったのが、今回、あっさり通っちゃた。
 賛成した人の中に、そういう企業の関係者がいなかったとは思えないだけど、あんたら、そのことが分って賛成している?
 官僚連中は、今頃「やった、あほ親父のおかげで、外形標準課税導入作戦、大成功。」って祝杯を挙げてるかもよ。
 もっと考えなさいよ!!

【参考】
シティ
イギリスの首都ロンドンの中心部の一画。テムズ川の左岸(北側)にある。ロンドン市長の直轄下に置かれた特別行政区域。面積約2.7平方キロ、人口4142(1991)にすぎないが、歴史的にはロンドン発祥の地で、大英帝国全盛時代には世界の政治、経済の心臓部として栄えた。現在もニューヨークと並ぶ国際金融、保険、海運業の中心で、昼間は60万を超えるビジネスマンや観光客が集まる。歴史は古いが、昔の建物はセント・ポール大聖堂やギルドホールなどを除き、大部分は17世紀の大火や第二次世界大戦の空襲によって消失した。第二次大戦後は近代的なビルが林立して昔のおもかげはみられない。中心部のバービカン地区は、再開発されて集合住宅と音楽堂、劇場をもつ新しいシティの顔となった。(日本百科全書 小学館)




#693 
+α(戦史マニア) 2000/02/21 00:41
某右派サイトの嫌われ者

 どうも、+αです。お久しぶりです。
 仕事は忙しいわ、階段から落ちて、足は挫くわで、長いことご無沙汰をしておりました。某右派サイトが話題になっているようなので、出て参りました。

 徹夜城さんは、前からご存じですが、実は、私はその某右派サイトで、以前から、論争をしております(一応、現在も継続中)忙しいのと、資料が手に入らないので、4ヶ月ほど中断してはおいますが(苦笑)(訳のわからん連中ばかりなので、一々説明する必要があって非常にめんどくさくて、飽きたということのもありますが)
 ようやく自由に歩けるようになったので、今日、久しぶりに図書館へ行って資料を手に入れてきましたから、またそのうち再開します。

 私はもともと、小林よしのりには、あまり興味はなく(あの手のギャグが苦手なんです)、せいぜい「ゴー宣」をたまに読む程度でした。
 あのサイトに書込んだのも、小林よしのりとは関係なく、あれが「歴史」を名乗っていながら、書込まれていることは「とんでもない話」ばかりだったので、馬鹿な話をしている連中に、実際の資料を叩きつけて、少し修正してやる積りだったのです。
 途中までは、計画通りにいっていたのですが、「戦争論」を「デタラメ本だ」と言ったのが、よしのり信者を激怒させてしまい、泥沼の論戦に入ってしまいました。

 あのサイトで、論争してきた者の偏見で言わせて貰えば、あそこは「半可通」のたまり場です。
 自分は歴史に詳しい積りだけれど、その実、その歴史知識は、全て他人(中村燦、藤岡信勝、渡部昇一等々)の受売り、自分で資料を確認している者はおりません。
 しかも、あのサイトの新右翼は、たちの悪いことに、平気で資料をねじ曲げます。
 「この本にこう書いてある」と言うので確認したら、実際は、そんなことは書いていない、というケースがありました。しかも、そういう態度を誰も咎めない。(そういう下司と論争するのに嫌気がさしたというのが中断の一つの理由です。)

 こういう新右翼がのしてきたのは、私見では湾岸戦争・ソビエト崩壊後です。
 新右翼の代表的人物である藤岡氏がもと左翼であるように、この時期、反戦・共産主義支持というアイデンティティの崩壊の危機に直面した左翼の一部が、新右翼に変ったようです。(一度、イデオロギーに染まった人間は、一生、イデオロギーというものから自由になれないものなのでしょう。)

 自由主義史観そのものは、もう終りでしょう。
 問題は、彼らの残した「新右翼」、感情的で、排他的で、状況判断能力を欠いた集団の膨張を、どうやって押えて、無害化していくかだけでしょう。(「日本」という言葉だって、十分中華思想で傲慢だということに気づかないし、「南京大虐殺は嘘だ」等と主張すれば、日本の国益を損うということが分らない連中だから始末に負えない。)

 なんか、とりとめない内容ですが、このへんで失礼します。



#692 
徹夜城(いつまでたっても倭寇論文執筆中の管理人) 2000/02/19 23:37
「以船為家」の人々

>兜蟹老師さん。
お久しぶりです。「家民」の件は「徹歴」の歴史フォーラムの書き込みに関することですよね?あの投稿ツリーは拝読したのですが、書き込み時期を逸しまして(^^;)。「家民」はともかく「蜑民」の存在についてはある程度知識はありました。
僕の専門である後期倭寇(16世紀)の周辺には「蜑民」と明記される存在は史料中には出てきません。しかし似たような存在と思われるのが「以船為家(船を以て家と為す)」と表現される人々です(「海を以て生を為す人」というのもあります)。浙江沿海の群島部に住んでいたようで、16世紀の密貿易を下から支える存在であったようです。1547年に密貿易の拠点・双嶼港が掃討された際、官軍が跡地に駐屯しようとしたところ、この人々が暴動を起こして官軍駐屯を阻止したりしています。僕が現在研究の中心テーマに置いているのがこうした「海民」とも呼ぶべき人々と倭寇の関わりなんですよ。
朝鮮の実録にも日本における「以船為家」の人々が出てくるそうです。このあたりは村井章介氏の著作をご参照ください。ちなみに「加延助機(=カイゾク)」という、朝鮮では倭人の別種と認識されていた人々もおりました。
ところで、ただ今論文書いてるついでに海賊コーナーのリニューアルを進めております。

ところで、僕は小学館には二、三度ばかり出入りしてました。スペリオール編集部にちょっと顔を出していたことがありまして…漫画活動もいい加減復活したいと思ってます。このサイトの「天守閣」で連載やるぞと立ち上げ時はいきまいてましたが、手を出しすぎましたな、いろいろ(笑)。
雁屋哲さんには、とある専門学校で人知れず(?)行われた講演会でお会いしました。いや、僕は単なる聴衆の一人ですが(^^;)。「歴史をやってる学生です」と名乗って二つほど質問し、答えていただきましたよ。お世辞抜きで大変面白い講演でした。ご本人も話し足りなかったぐらい熱弁をふるってらっしゃいましたねぇ。



#691 
兜蟹老師 2000/02/19 12:12
いやはや全く

このところ、こちらではROMしてました。すいません。
私も小学館育ちで(もろスピリッツだったりするけど)、雁屋さんとも顔見知り程度の仲です
が、この御仁、実は結構歴史の薀蓄のひとつも言えるおやぢです。身体障害を越えて熱気球や
ジープで荒野を駆け巡るのが趣味の。(自宅はオーストラリア)

たった今、某討論サイトで「○○主義史観」主義者に喧嘩うってきちゃいまして(苦笑)これ、
街頭討論だったら無事に帰れなかったでしょう。ああ、ネットはありがたい(笑)しかし増え
ましたねえ、この手の論争趣味の人々(あ、私も含まれてる?)

ところで、「家民」についてのお訊ねしたいんですけど、蛋民に属するような習俗を持つ集団と、
倭寇の「家民」がどうも区別が曖昧なんですが、徹夜城さんに見解ありますか?
あとこれに付随して、中世まで大宰府に属した「大府贄人」ですけど、姓もある後にいう
武家みたいなんですが、家民の祖と書いたものが(朝日百科「歴史を読み直す」)あったのですが
家民というものが茫洋としたものに見えてきたんです。もしよかったら教えてくれませんか?




http://www14.big.or.jp/~kabuto/


#690 
徹夜城(久々にスピリッツ買った管理人) 2000/02/19 10:42
「美味しんぼ」そのほか

漫画描きには二通りタイプがありまして、やたらに漫画を読む奴とそうでも無い奴とがおります。僕はどちらかといえば後者でして、そのためよほどのことがないとマンガ雑誌を買いません。気に入った単行本はやたらに買い込む傾向がありますが…

「美味しんぼ」に「支那問題」が出ていると、某右派サイトで騒いでいたもんだから、買ってみました。なるほど、バッチリ正面から取り上げてますね。
主人公の上司が仕事相手の中国人をうっかり「支那そば」屋に連れて行ってしまい、激怒を買う。理由が分からない上司に主人公が歴史的経緯を説明、そしてラストは同じラーメン屋(説得して看板を変えさせる)で日本文化としてのラーメンを中国人に食べさせ、喜んでもらってめでたしめでたし、というストーリーです。まぁなんでも料理で解決しちゃうグルメ漫画なので、オチはこんなところでしょう。そこらへんは本筋を外さなかった。もっとも「支那そば」の看板を無理矢理変えさせる形になっているのは、ちょっと疑問ですね。僕なら別の展開にしたでしょう。
それ以外の点では驚くほど僕が日ごろ言ってる主張と瓜二つ。以前に僕のこの問題に関する発言を見た人には「しめしあわせたか」「同一人物か」と思われるほどソックリな事を言っていたのでビックリしました(笑)。
要は「その名が蔑称でないとしても、相手が嫌がっていることを言うべきではない。それが人付き合いというもの」ってなところ。ホント、ほとんど同じセリフがあったので参ったなぁ。まあ僕もそれが常識的見解だと思ってます。
強烈だった(そしてその右派系の人達が最も激怒したと思われる)のは、山岡の「最近「支那」は蔑称ではないとして公の場でこれを口にする政治家や物書きが増えてきた。幼稚で未成熟でみっともないね」というセリフ。さりげなく言わせてますが、原作者の雁屋哲(ちなみに僕の本名と名が同じ^_^)さんが恐らく一番言いたかったであろうセリフですね。
中華民国段階で中国が「支那を使ってくれるな」と言ってきたのも紹介していて、日本政府も戦後「支那を使わないように」と通達を出していることも出ていました。後者は僕は初耳でしたが。他にも国連で「チャイナ」と名乗っていることはどうなるんだなど、多角的に検証している点も好感が持てました。それでも最後はちゃんとグルメ漫画で締めくくる(しかもラーメンを日本文化として強調する)。ここらへんうまくバランスをとってるなと思いますね。
その右派サイトでは「SAPIO出してる小学館なのに!」と嘆く声がありましたが、小学館みたいなところは各編集部の独立性が強いので統一主張ってのはそんなに無いようです(雁屋さん自身がこの点について講演でも言及してました)。「売れてるものは手放せないってとこなんだろう」と揶揄する書き込みも見ましたが、それは「ゴー宣」だって同じこと(笑)。

>真樹操さん
自国に自信がないから他国を見下すことで自信をもとうとしているってのは、まさにその通りでしょう。この手の人達、「中華思想」と中国叩きをやりますけど、自分達が「日本中華思想」になってることに気が付かないのかなぁと思っております(笑)。

「自由主義史観」ですが、最近はもう少しあの手の方々を分類して考える必要がありそうです。近ごろ小林ファンは「自由主義史観」と書かれると激怒しますよ(笑)。今は「自由主義史観」を掲げているのは藤岡信勝氏とその一派だけでしょう。彼に誘われて「教科書をつくる会」に参加した文化人の多くは対立して会を去っています(大月隆寛、濤川栄太、そして小林よしのり)。会長の西尾幹二氏も藤岡批判をやってます。似たような主張をしている右派知識人である渡辺昇一・谷沢栄一氏なんかも「自由主義史観」とは一線を画してますね(とくに谷沢氏は藤岡氏と大喧嘩してましたからねぇ)。
それでも僕が一番危険と感じてるのは「自由主義史観」なんですよね。「妄想家の西尾、確信犯の藤岡」という言葉があったぐらいで、確信的「戦略家」の能力は藤岡氏のほうがあるんです(東大教授としての影響力・人脈と言うことも)。小林よしのりとケンカ状態になった時、自由主義史観HPに小林批判文が載り、「ゴー宣」で藤岡批判が始まったら途端に引っ込めた(僕も物好きでよく観察してまして)。このあたり、彼の「戦略性」を感じますね。こういう人が実は一番怖いんです。目的が明確でそのための方策をちゃんと考えてますからね(元左翼運動家って体質がこのあたりに出ているようですな)。



#689 
真樹操 2000/02/18 11:30
いわゆる「自由主義史観」

>徹夜城さま
 いま読み返すと先の発言はやはりちょっと感情的になっていますね。
 どうも、我ながら興奮しやすい体質でいけません。
 まあ、よしりんはどうせもうほっといても自滅すると思いますが、気になるのはいわゆる「自由主義史観」派のほうです。
 よしりんサイトでレベルの高い議論を展開するのは、よしりん漫画ファンというよりむしろ「自由主義史観信奉者」ではないでしょうか。
 実は私も中国をメシのタネにしている人間なので、彼らの露骨な「反中国」が非常に気がかりなのです。中国史や中国古典の基本すら知らない若い人たちに、彼らの歪んだ「中国蔑視」が広がらなければいいのですが。
「日本文明独自論」を言い立てる輩は、日本史も日本文化も知らなすぎますね。そんなことを言うのなら、漢字を使わずに文章を書いてみればいい。
 江戸時代には「論語」が常識で、「唐詩選」がベストセラーだったというのになぁ……。
 結局、コンプレックスの裏返しなんですよ。日本人であることに自信も誇りも持てないから、他国を見下げることによってしか満足感が得られない。アメリカで、金持ちの白人より貧乏な白人のほうが人種差別がはげしい、というのと同じことでしょう。
 こういう日本人が増えて欲しくないです。



#688 
徹夜城(「忠牛ばっふぁ郎」という漫画が好きだった管理人) 2000/02/18 00:04
よしりんネタちょっと続き。

肩書きに書いたのは少年チャンピオンにほんの一時期小林よしのりが連載していたギャグ漫画です。なかなか風刺が効いていてスキだったんですが…

>真樹操さん。
よしりんファンサイトって結構ありましてね。よく読むと同じ人があちこちウロウロして書いているのがわかって面白い。僕も正直なところ気分が悪くなったもんですが、最近は変な発言をみつけて楽しんじゃってまして(何か事件があるとほぼ予想通りの書き込みがありますもんね)。しかし中にはかなりレベルが高く逆に勉強になる発言もあるので、一概に馬鹿にもできません。
チベット問題に限らず、最近の日本の右派は「反中国」ということでまとまっているようです。これはソ連崩壊後の欧米にも共通してみられる現象ですが(つまり仮想敵の移動。新手の「黄禍論」という見方もある)、日本の場合「東アジアのリーダーシップを奪われる」という感情が働いているように思います。そんなもん、とっくに奪われていると思うんですが(笑)。
「清は中国ではない」って論法はこの辺の人達がよく言ってますね。それでチベットや満州を「中国」から切り離そうとする。この論法は「満州事変」正当化にも使われてます。「漢民族」なんてもんは近代になってからの産物で、もともと「中国」は多民族世界だったんですけどねぇ。このヘンの勘違いは「ヘンテコ歴史本」にとりあげた「中国4000年の真実」というトンデモ本もやってました。
最近ではこの「中国嫌い」がエスカレートして「日本は中国文明とは違う独自の文明だ!」という「珍説」まで飛び出す始末。そうそう、小林よしのりも書いてました。これ、完全に西尾幹二氏の説の受け売りです。思えば小林氏は薬害エイズの時から人の受け売りばかりで漫画を描いていたらしいですね。
「脱ゴー宣」裁判もあれだけ大騒ぎしておいて、裁判の序盤でほぼ負けが明かとなるとまったく法廷に来なくなったそうです。それで一審に負けたら漫画であの大騒ぎ。その後の控訴審でもやはり全く出席せず欄外に弁護士に任せたことを書くのみ。春には判決が出るようですが、まぁ負けでしょう。

「敗北を知らぬ男でもよろしい」
「敗北を忘れる男の間違いだろう」
ご存じの方はお分かりでしょうが、漫画「究極超人あーる」中のセリフ。最近のよしりんに僕はこのセリフを思い出します(笑)。「とさか」さんは漫画中では面白いですけどね、実在するとこれほど迷惑な人もいないんじゃないかと。



#687 
真樹操 2000/02/17 12:18
よしりんはどこへも行けない

↓すみません、下のは操作ミスです(^^;)
なまえ欄の漢字を確定するつもりでエンターキーを押しすぎてしまいました。
では、気をとりなおして……

>徹夜城さま
レスありがとうございます。
書込みに刺激されて、私もゴー宣のファンの掲示板を見つけて覗いて来ました。
ちょうど中国とチベットの問題を論じていたのですが、あまりのひどさに気分が悪くなって、すぐ引き返しました。いま、ちょっとブルー……どころか、ブルーブラックな気分です。
中国の歴史もチベットの歴史も、何も知らないくせにえらそうに論じているんです。「清は異民族支配だから中国ではない」と堂々と言うんだから、恐れ入ります。「清朝は満州族王朝だが、正統な中華帝国である」ってのは、世界の常識ですよ!
どうやら、「清は中国でない」と証明すれば、「だから中国にチベットの領有権はない」ということが証明できると単純に信じているようです。おいおい。
きっとこういう輩は、ソンツェンガンポの名前も聞いたことがなんでしょう。ただ「中国人に虐殺される可哀そうなチベット人の味方」という独り善がりのヒロイズムに酔って、反対者は「中共シンパ」と決めつける……もう何をかいわんや、です。
(ことわっておきますが、私も今の中国政府のやりかたには問題があると思います。しかし、複雑な歴史的経緯を無視し、間違った前提に立ってヒステリックにわめいても、なんの解決にもならないでしょう)
それにしても「中共シンパ」とはねえ。昭和20年代に戻ったのかと思いましたよ。レッドパージの時代じゃないんですからね、まったく。
こういう連中に支持されているようでは、よしりんはもう先が見えています。
どこかへ行きたくとも、もうどこへも行けないでしょう。
だいたい、エイズ問題にしろオウム問題にしろ、彼はみんなとちゅうで放り出していますからね。「決別」だとか「新たなステージ」とか、自分ではカッコつけてるけど、要するに「一人だけ組織から浮き上がってしまい、周囲からもてあまされる」ということでしょう。
「脱ゴー宣裁判」に負けたあとの悪あがきは、見苦しいったらありゃしない、です。「文章は一人でも書けるけど、漫画家はアトリエを構えたりアシスタントを雇ったりしなきゃならないから大変なんだ」なんてことまで言い出したのには、呆れるのを通り越して哀しくなりました。製作費用の問題と引用の問題はまったく別のことなのに。
(それに、作家でも仕事場を別に構えたり、秘書だの助手だのマネージャーだのを雇ったりしている人はいくらでもいます。作家に言わせれば、「漫画家はペン先一つでいい加減なことが描けるが、こっちはきちんと取材したり文献にあたったりしなきゃならないから大変なんだ」ということになるでしょう。だいたい、よしりんはちゃんと取材して描いたことがあるのか?)
よしりんは自分から袋小路にはまってしまいました……それでもよしりんについてゆく、というのは、まっとうな常識と判断力を欠いたやからだけでしょう。

どうも長くなってしまいました。よしりんについては複雑な思いが交錯し、語り始めるとついつい熱くなってします。あまり感情的になっては良くないので、このへんで失礼します。



#686 
アール・ケイ 2000/02/17 11:51
ジャイケン(関西では)、グリコ、アンナ、ゴー宣

ジャンケンの件ありがとうございます。実はあのサイトへはいったことがありまして、よく調べてあるなあとは思ったんですが、一番知りたい欧米での浸透度についてはつっこみ不足と感じてしまいました。確かに3大発明ではないですが、「東洋で発明されたものがその便利さからヨーロッパに広まっていった」と思えるようなところはありますよね。
関西人の私にとって、グリコも“キツネ目の男”も身近な存在でした。あの毎日新聞の虚報(「重要参考人取調べ」)はなんだったんでしょうか。
『アンナと王様』は「西洋がアジアを啓蒙する」型の映画はもう勘弁して欲しいと敬遠していたのですが、全部英語ではないと聞いてちょっと興味を持ちました。(でも英米では英語にふきかえて上映するのでしょうね)みたい映画は多いし、困った困った…
「ゴー宣」、やはりわたしもSPA連載当初は読んでいましたね。ああいうアジテータータイプの人間というのは自分から変貌し崩れていくものなんでしょうね。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#685 
真樹操 2000/02/17 10:03






#684 
徹夜城(相変わらず歴史映像マニアの管理人) 2000/02/17 00:17
「アンナと王様」+「よしりん」

まず、本日観た歴史映画「アンナと王様」の話題。ここでは「歴史映画」としての話題に絞ります。

やはりハリウッド製歴史映画はこうでなくっちゃという王宮大セット(「クレオパトラ」以来だそうですな)、大量動員のシーンは見ものです。もっともタイでのロケは一切しておらず、マレーシアにセット作ったそうですが。
なんでかというと、どうやらタイでのロケを希望したらタイ政府に断られたようなんですね。タイでは「王様と私」も上映禁止だとか。日本にたとえて言うとですね、この前亡くなった現天皇の家庭教師バイニング夫人を主人公にしたような映画なわけですよ。しかも国王と恋愛関係になるわけで…こうした事情のせいか、出演者は王様役のチョウ=ユンファはじめ中国人多数。マレーシア出身の俳優もいましたが、やっぱり中国系のようですね。
もっとも考証はしっかりやったようで(タイ人が観たらどう思うか知りませんが)、セリフはかなりの部分シャム(タイ)語。英語のセリフは時々混ざる程度です。それと、当時(1860年代)列強の帝国主義にさらされていたシャム側の事情をちゃんと織り交ぜているあたりはアジアへの配慮を感じますね。それでも「ヨーロッパの女性がタイを「文明化」した」ってな印象を、東洋人としてはどこか感じてしまうんですが…
歴史ネタとしてはストウ夫人の「アンクルトムの小屋」が出てくることと、王様がリンカーンと南北戦争の情報を話すところでニヤリ。こういうの観てると同時代性がわかるでしょ、受験生諸君!(←職業病が出てしまった)
この家庭教師が教えた皇太子がチュラロンコーン大王(ラーマ5世)。昨年の「20世紀アジアの20人」にタイ代表で選ばれてましたね。

>真樹操さん。
初めまして。
そうですね、僕も「ゴー宣」支持者だった過去があるので、同じ思いがあります。それだけにここ数年の彼の所業は見ていて悲しいものがあります。
かつては日本人の戦争記憶の風化を嘆いて、太平洋戦争開始の日にわざわざ日本の過去への反省を描いたこともあったんですよ。「泥棒が入っている隣家に上がって泥棒を追い払い、強盗をやった」とかそんなことを描いてませんでしたっけ。雅子さんと皇太子の結婚をギャグにしてからかってみたり。あのころは読んでいて面白かった。少年チャンピオンにやっていたギャグ漫画も時おりその風刺性の強烈さに感心していました。
流れが変になったのは薬害エイズの後とよく言われますが、僕はオウム事件の後あたりから妙な感じを覚えたものです。SPA!をケンカ別れしSAPIOに移ったのも「なんだ、引き抜きじゃん」と冷ややかに見ていた覚えがあります。どうもあのあたりから「我こそ正義」「批判者は悪人」って書き方がひどくなってきました。薬害エイズ以後の「よしりん」の心理については「宿敵(笑)」である「脱ゴー宣」の分析がだいたい当たっているように思ってます。左にいったら受け入れられなかったので右に行ってみた、ってなところでしょう。根っこがしっかりしてないのに強烈な自意識だけはあるからどこへ行っても衝突を起こして友達を無くしていく。
今回「つくる会」から手を引く、というのも表向きは「やることはやったから」という形にしてますけどね。でも先号の漫画の最終ページにはやっぱり絶望感がみなぎってまして、欄外に「広告塔」の文字が。だいたい僕の推理が当たっていると思います。昨年来の内紛騒動をウオッチしてますとね・・・今後彼はどこへ行くんだろう?それなりに興味深い対象ではあります。




#683 
真樹操 2000/02/16 17:05
よしりん、バイバイ

初めまして。
かつて小林よしのりのファンだった者です。「小林よしりん」の名を見つけてつい
書き込みたくなりました。
「ゴー宣」も初期のころは悪くなかったとおもうんですよ。「あえて世間に逆らって
みる」という感じで……ご本人も逆説とわかってて描いていたと思います。
オウム事件のころからですかねえ、だんだん「若者のオピニオン・リーダー」みたい
になってきて、また若いのが「先生、先生」と持ち上げるものだから、本人も「わし
が若い者を導かねば!」という使命感に燃えてきたんじゃないですかね。
もうそのあとは勘違い街道まっしぐらですよ。自分じゃすっかり「正義の味方」のつ
もり。
初期のころはまだ、世の中をナナメに見ておちゃらかす、というギャグセンスがあっ
たけど、いまは単なるプロパガンダです。絵も荒れてるしなあ……。
自分が「敵」とみなした相手をむちゃくちゃ醜く、グロテスクに描く、というのは、
戦時中アメリカのマンガが「ジャップ」を醜く描いたのと同レベルです。情けない。
それにしても、「広告塔に利用された」なんて、いまさらねえ。自分に広告塔以外
の(以上の?)価値があると思ってたんでしょうか。はぁ〜(タメイキ)。

こないだこの人はチベット問題をテーマにしていましたが、こういう人に味方をされ
ると、かえってチベット人のほうが困るんじゃないですかねえ……。

いやどうもお邪魔しました。誰かに言いたかったもので。



#682 
徹夜城(サイト整備をさぼってばかりの管理人) 2000/02/16 00:09
じゃんけんのサイト(その他もろもろ)

>タロイモさん。
すいません、タロイモさんご紹介のサイトに行くには、タロイモさんの書き込みのアドレスにhttp://を付け加えてください。今どきこんな風にアドレス書き込みがなっているところも珍しいんですよね。ついついそのままにしてまして。僕のこの書き込みの下のアドレスからお跳びください。
それにしても凄い。大変な情報量のページです。「じゃんけん」だけでもこれだけ書けるのか…アジア産説の一方でヨーロッパにおけるじゃんけんの考察もありますので、大いに参考になりますね。

あとはその他の話題。

朝日新聞に先日、「聖徳太子はいなかった?」という論争が載ってました。まぁ要するに厩戸皇子の存在は認めるんですけど、いわゆる「聖徳太子」としての活動は後世の創作では、というもの。前から「憲法十七条」「冠位十二階」などなど疑われていることは多かったですし、伝説的色彩が濃い人物ではありますけどね。

僕は未読なんですが、どうも「美味しんぼ」で「支那そば」に関して「中国」の名称問題が取り上げられたようです。今僕がよく行く「ゴー宣」ファンの多い右派サイトではこのことでもちきりです。もちろん激怒してます(笑)。まぁ原作者の雁屋哲さんはもともと左派というかリベラル系の方ですからね。実は講演(この方が講演するってめったにないことなんです)を以前聞いたことがありまして、日本の右翼的知識人の面々を豪快に袋叩きにしておりました。

漫画といえば「ゴー宣」。先週発売されたSAPIOによると、小林よしりん、ついに「新しい歴史教科書をつくる会」から「手を引く」と宣言してました。ハッキリ書いてはいないのですが、欄外の書き込みなどから察するにやっぱり会の内部で煙たがられたようですね。昨年後半からの内紛の流れは続いていたようで。重大な展開なんだけど、「ゴー宣」ファンサイトはほとんどこの件に触れていませんね(「美味しんぼ」の方が重大らしい)。
「つくる会」の中心人物達は彼が「つくる会」の活動を「ゴー宣」に書いてもらうことで、彼を「広告塔」に利用しようとしていた。こんなハタから見ていれば誰でも分かるようなことに、ようやくよしりんは気づいたんだそうです(欄外に自分で書いてます)。どうも西尾氏に頼まれて教科書の記事を執筆したところ、それが他の会員から反発を呼んだ見たいなんですね。それで自分が単に「広告塔」の役割のみを求められていたのだと気づいたんだそうで。何を今さら。
予告によると「ゴー宣」の教科書問題は打ち切りらしい。「新たな戦いのステージへ!」などと書いてましたが、さて今度は何をやるんでしょ(それはそれで楽しみ^^;)。今回の漫画の中で渡辺昇一氏を妙に持ち上げているのが暗示的かな?

で、下のが「じゃんけん」情報が載っているサイトです。必読!

http://www.netlaputa.ne.jp/%7Etokyo3/


#681 
タロイモ 2000/02/15 23:16
じゃんけん

じゃんけんのルーツ、私も気になったので調べてみたら↓の
サイトを見つけました。やはり中国起源なのか・・・中国では「3」が尊ばれてるようですし。
けっこう奥が深いですね^^;



www.netlaputa.ne.jp/%7Etokyo3/


#680 
徹夜城(香港映画も好きな管理人) 2000/02/14 23:24
じゃんけんぽん

>アール・ケイさん
じゃんけんですか…。僕もかねがねこれのルーツについては疑問に思っておりました。「じゃん拳」っていうぐらいだから中国経由かなぁと考えていた程度で。
現地に行って調べたことはありませんが、中国人はじゃんけんをやってます。香港映画ですと、ジャッキー=チェンの名作「プロジェクトA」でサモハン=キンポー相手に食事代をかけてじゃんけんをする場面がありますね(ちなみにジャッキーの負け)。どうやってるのかはよく映ってないんですが…
百科事典で引いてみますと、中国発祥説が載っていました。しかしイタリアでも同様の遊びがあるのだそうで、このあたり「ラーメンvsスパゲッティ」論争と似てきます(笑)。



#679 
星村輝旗 2000/02/14 01:45
グリコ森永事件と巨人と、歴史上の人物について。

グリコ森永事件で有名なのが、巨人の帽子をかぶった毒混入菓子をおいた男。
巨人の監督は2000年2月現在、長嶋氏。
その長嶋氏を黒鉄ヒロシ氏が、「織田信長や豊臣秀吉、徳川家康」と、
同位置に置いて褒め称えたことはすでに知られている。
しかし、私星村は、管理人同様アンチ巨人なので、
その長嶋監督率いる球団を操ってなおかつ球界にも君臨したがっているオーナーを、
白河法皇と同じ様な位置に置いております。
白河法皇って誰?と聞く人もいるようだとしたら、
こう答えます。院政で有名じゃないですか。院政とは政治家にも良く用いられる言葉です。
何か、日本史上最も権力にとりつかれた支配者と、白河法皇のことを考えております。
平清盛よりも、支配欲がすごかった人に思えます。
渡辺恒雄氏と白河法皇を比べたくなる次第です。

P.S
ワケ分からなくなってご免なさい。




#678 
アール・ケイ 2000/02/14 00:18
下はまた失敗してしまいました。スミマセン(汗)

…ということで管理人さま「大河」オフ会、ありがとうございました(やや私信)。
重ねて謝りますのに話題の広がらないネタを提供しまして(明治のウッチャン)スミマセンでした。
さて映画BBSにも書き込みました通り『ストーリー・オブ・ラブ』を見にいったんですが、その中で主人公2人(現代カリフォルニアが舞台)がじゃんけんをするシーンがあってあっと思いました。日本固有だとは思っていませんでしたけどね。調べてみますと最近はアメリカでも浸透してきたようですね。どうもアジア移民からのようです。ジャンケンの発祥は、中国、朝鮮、あるいはインドネシア説というのもあり(これでこちらの方にも興味を抱いて頂けますか(笑))、江戸期に日本に入ってきたとか諸説あるようですね。ご存知の方はお教えを…



#677 
おやかた 2000/02/14 00:13
感想

グリコ・森永事件当時は私も子供で、ニュースな史点を読んで
犯人からの脅迫文(新聞を切り抜いて持ってくる子がいたんです)
を読みながら登校した事を思い出しました。
やっぱり、子供だから、不謹慎とか躍らされてるって思いません
でしたね。
子供なりに推理したものです。「あのテープの声の子供は犯人の子供に違いない」とか。

犯人は、もしかして関西に住みつづけてたら阪神大震災に
遭ってるかもしれないんですね。13年てやっぱり長い・・





#676 
アール・ケイ(管理人さまの秘密を知っている(笑 2000/02/14 00:00




http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#675 
徹夜城(アンチ巨人の管理人) 2000/02/13 23:53
歴史話なのかわかりませんが

しばらく書き込むネタがなかったので(内村鑑三の件は詳細がわかりませんでして)書き込みがストップしていました。それで一週間ぶりに何か書こうと思ったのですが、今ひとつ思いつかない(^^;)。そこでつれづれなるままに。

昨日の各局ニュース番組には呆れたというか驚いたというか。何がって、キャンプで巨人監督の長嶋さんが「背番号3」を見せたってのをトップニュースに入れる番組が多かったことです!うーーーん、私はわからん、こういうのは。世代的なこともあるのかもしれませんけどねぇ。いくらなんでもトップニュースってのは。しかし実際、現場で見て感激のあまり涙ぐむ人も多かったと言うし。巨人ファン以外でも「大事件」のようですね。
つくづくここまでくると「長嶋茂雄」ってのは「歴史的存在」なんだなと感じますね。黒鉄ヒロシが言ったんだと思うんですが、「長島さんと同じ時代に生まれたことが幸せ」というセリフまである。監督の手腕をあーだこーだ言われながらも「長嶋待望論」は強烈です。
今現役の野球選手を見渡してもあそこまで騒がれ続ける人が出るとは思えませんねぇ。イチローにしても松坂にしても。

個人的には僕も長嶋監督は嫌いじゃないですけどね。プロ野球史上の珍記録の数々はこの人が記録していますし(ホームランでベース踏み忘れ、前の走者を抜いてアウト、敬遠に怒って手ぶらで打席に立つ、等々)面白い人だなぁとは思うんですけどね。しかしあの騒ぎ方は尋常じゃないでしょう。「V9時代」を知る世代でないと理解できないのかなぁ。



#674 
アール・ケイ 2000/02/06 19:21
「この道はいつか来た道」なのか…

カレン族の件、ありがとうございます。今日の朝日新聞にも取り上げられていましたね。でも双子の少年ジョニーとルーサーが「神の軍隊」を霊的能力で指導しているなんて、小説に書いたら出来過ぎと退けられるような話ですよね。
オーストリアの話もEUの対応がいささかエキセントリックのような気もしますが、ドイツ語で勇ましい演説をまくし立てられると、どうしてもヒトラーを想起させられるのでしょうか。
さて、いま私は自作偽作ドラマ(笑)の資料として内村鑑三の伝記を読んでますが、「不敬事件」のくだりまで来て愕然としました。各学校における「日の丸・君が代問題」騒動と顛末が全くといっていいほど一緒ではありませんか! 日本はこの100年全く進歩していないということなのでしょうか。ご存知の方は何を今更とお笑いでしょうが、世間の排斥と無理解によって内村が職と愛妻を失う様に背筋が凍る思いです。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#673 
長谷川@望夢楼 2000/02/03 23:48
オーストリア自由党

 厳密にはネオ=ナチではありせんが、ヨーロッパ最大の新右翼政党として知られてます。設立は1956年。1986年以降急速に勢力を伸ばしてきました。

 もともとオーストリアは、最初にドイツに併合された国ということで、「ヒトラーの犧牲になった最初の自由国」として位置づけられてきました。
 そのため、戦後の責任追及はほとんど行われなかったのです。実際にはナチスに対し極めて迎合的であった、という事実は隠蔽されてしまったわけです。その結果、オーストリア国民は被害者意識が強くなり、加害者意識に乏しい、というメンタリティを持つようになりました。(……この辺、どこかの国と似てますね(^^;))
 1986年には「ワルトハイム問題」(元国連事務総長で、大統領に立候補していたクルト・ワルトハイムが、戦時中に突撃隊の騎兵部隊に所属し、ユーゴスラヴィアでのパルチザン掃討作戦での残虐行為に加担したことなどが暴露された問題。ワルトハイム陣営は外からの批判に強く反発、「ユダヤの陰謀に陥れられた」と主張してオーストリア・ナショナリズムに火を付け、ついに大統領に当選してしまった)なんてものが起っています。
 こういった下地があるところへ、冷戦構造の崩壊と失業率の上昇、福祉制度の解体、住居不足、犯罪率の向上なんて現象が起ると、「全ては外国人が国内で働いているのが悪い」というわけで外国人排斥運動が起ります。で、自由党はこうした状況下で急速に勢力を伸ばしてきたわけです。
 ちなみに青年層支持者は、既存の支配文化に対するカウンター・カルチャーとして認識しており、右翼だとは考えていない(だから「右翼だ」と言われても自覚しない)そうな。
(参考=山口定+高橋進[編]『ヨーロッパ新右翼』朝日選書、他)

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/


#672 
徹夜城(明日は「雨あがる」を観る予定の管理人) 2000/02/03 23:38
その件は

>あおいさん。
実はバッチリ次回「史点」のネタにするべく新聞記事等を回収中です。詳しくは今度の更新の時にでも書かせていただきます。
ただ一応ちょっとだけ。
どうもその「自由党」という政党が発足時に元ナチ協力者などが母胎となっていたということはあったようです。ただし別にナチ復活を唱えていたわけではなく、あくまで「ナチ協力者」という烙印を押されることに抵抗していて、その権利保証に動いていたとか聞いています。
過去にも政権参加をしたことがありますが、その時はそれほど騒ぎにはならなかったようで、現在「極右」とされている原因はたぶんに現在の党首の言動にあるようです。
オーストリアもイロイロと抱えてるんだなぁと調べながら思っているところですね。



#671 
あおい 2000/02/03 18:59
オーストリアで

オーストリアで極右政党が政権に加わることになり、イスラエルなどが反発を強めているといったニュースを聞いたのですが、この政党はどういったものなのでしょうか?ナチスの系統なのですか?
どうもオーストリアの政情などさっぱり気に留めていなかったので寝耳に水でした。オーストリアっていうと音楽とか芸術とかハプスブルクといった華やかなものを連想してしまいますね。でもあのヒトラーの生まれた国でもあるんですよね。



#670 
徹夜城(母校の野球部が選抜に出ちゃった管理人) 2000/02/02 09:54
カレン族のことそのほか

>アール・ケイさん。
その「神の軍隊」の少年うんぬんのことは恥ずかしながら書いたあとで知りました。調べる前にタロイモさんが詳しくお書きになっておられて助かりました(^^)。
カレン民族解放同盟の中の徹底抗戦・急進派が3年ぐらいまえにこの少年を押し立てて分派したということのようですね。確かに感覚としては宗教団体的に近い部分があるのかも。

ところで春の選抜甲子園の出場校が決まりましたが、僕の母校・竜ヶ崎一高が選ばれました(選抜は初出場)。去年の秋の段階で当確だったようですが、やはりOBとしては嬉しいですね。別に野球部と縁があったわけではありませんけど。
「スポニチ」が裏一面全部使って母校の紹介していたのにはおどろいたなぁ。1900年創立で今年はちょうど100周年という節目の年。戦前の旧制中学時代に結構出場してまして、1918年にはかの「米騒動」のために出場した大会が中止になっちゃった過去もあるという「老舗」です。
そういう古い歴史があったせいか、応援歌に「さあ乾杯だ、乾杯だ、杯上げて」という歌詞があったんですよね(爆)。僕の在学中にこの応援歌は使われなくなってしまいました(それまで疑問視する人はいなかったんだろうか…)。



#669 
タロイモ 2000/02/01 19:36
カレン族と双子

カレン族過激武装組織の精神的支柱は双子の兄弟だったようですね。
世界各地では双子は忌み嫌われる事が多いようですが、中には
双子を神聖視する民族もいるようで、カレン族もそうらしいです。
あと、今回強攻策に出たのは 前の大使館占拠事件の犯人が、今回の病院立てこもり事件の
中にもいるらしい とかで再犯ならばもはや許容出来ないことだった、と聞き及んでいます。

カレン族には、赤カレン族、白カレン族という区別があるようで
白カレンはミャンマー(ビルマ)南部に住み 性質は従順、
赤カレンはタイとの国境沿いのサルウィン川流域に住み 独立意識が強い、とのことです。

今回の過激武装集団もカルトということになるのですかね・・・
そういえば連合赤軍のあさま山荘事件と似てなくも無いような。
あるグループ内の急進激派が暴発した、というところが何となく・・・



#668 
アール・ケイ 2000/01/31 10:20
解説のリクエスト(ずーずーしくも)

お寒うございます。
そう、選挙でしたねえ。定数減のための大激戦でしたが、地元民ではない私にはもう1つピンときませんでした。(女房にひっぱられて投票には行きましたけど)
さて、ニュースな史点で取上げて欲しいなあ、と思っていましたタイの人質事件、そつなく押さえておられるのはさすが管理人さまですが、“カレン族の武装勢力の一つ「神の軍隊」"についてもう少しお教え下さいませんか?
何でもリーダーが12歳ぐらいの超能力者?だそうで、軍隊というより新興宗教じゃないかと思ったもので(ひょっとしたら勘違いしているかもしれません)。内外ともカルトばやりですねえ。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#667 
徹夜城(有権者の管理人) 2000/01/30 10:57
ヘンテコ掲示板

今日は地元の市議選投票日。さぁて投票に行ってくるか。
昨日まで各候補の街宣車が走り回って騒々しいったらありゃしませんでした。名前だけ連呼して政策の「せ」の字も言わず「お願いします!お願いします!」とばかり叫んで回る日本の選挙風景が変わらない限りこの国にはホントの民主主義が根付いたとは思えませんね。

ところでタイトルの件ですが、最近「ヘンテコ掲示板」がちょっと繁昌?しているので宣伝がてら。
このところ結構書き込みがあるんですが、どうもあのCGIは不安定なのか何なのか、エラーがよく起こります。「送信」してからそのまま応答が無くなることがしばしばありますね(とくに夜間)。それでもデータのみは送られていて、掲示板をもう一回最初から見てみるとちゃんと投稿が載っていることも多いのですが。



#666 
徹夜城(今日は一日中車に乗っていたような管理人) 2000/01/23 00:03
「支那」あれこれ

>あおいさん。
書き込み、面白かったです。昔の中国人の「我が国には王朝名はあるが国の名称がない」というセリフ…これは当時の西欧型ナショナリズムに接した中国人が直面した大変な問題だったかも知れません。そこで初めて今日的な意味の「中国人」が誕生したのかも知れませんね。孫文など革命家達が好んで「支那人」と名乗ったということはあるらしいです(実は某都知事がやたらにこれを言ってまして)。裏返せばそれまで「中国」には「ナショナル」という意味での「国」という意識は無かったということなんじゃないでしょうか(本音を言えば、前近代においてはどこでもそうだったんじゃないかと思ってますが。「日本」と「倭」にもそういうところが)。

ところで、前にも書いたことなんですが(というか今でも「漢文」コーナーに載ってますが)、明代でも明領域内に住んでいる(国家に把握されている)人間を指す言葉として「中国人」という表現は出てきます。明に捕まった黒人も「中国人語」を話していました。
今、現地で「中国」という場合「中華民国「中華人民共和国」の略称というニュアンスとこれら伝統的な意味での「中国」という自称とが混じっているんじゃないのかな、と思うところです。日本で「支那」を連呼する右派系知識人は絶対に「中華民国以降のもの」という姿勢を崩さないようですが。

また、あおいさんがお書きになっていた「支那の夜」「蘇州夜曲」の件ですが。
「旅行記」にもちょっと書いてますが、その歌が今日にいたるまで日本人の蘇州観光旅行に一役買ってます(笑)。僕なんか蘇州の寒山寺なんてその場に着くまで記憶にありませんでした(例の漢詩は着いてようやく思い出したぐらい)が、寒山寺に行ったら日本人の観光客(高齢者多し)とそれにお土産を売りつける中国人ばっかりなんですよね(笑)。聞くところでは「ひとえに李香蘭の影響大」なんだそうです。
寒山寺なんてうちの近所のお寺と大して変わらない程度のモンなんですが(笑)。杭州の名刹なんてホントに凄かったですよ〜。

しかし考えてみると当時の日本って吉川「三国志」のヒットといい、妙に中国ものが流行っているところもあったのかな?



#665 
あおい 2000/01/21 13:50
「中国」「支那」問題

どうも名称の問題は日中両国でそれぞれ葛藤を抱いているようですね。
日本は中国を中華と認めたくないという対抗意識、裏を返せばコンプレックスをもっています。それは奈良時代から続いていて、常に中華の朝貢体制から抜け出そうともがいていました。遣唐使なども唐には朝貢の形をとりながら、自国の正史にはあくまでメンツにこだわろうとしています。日本のことを中国と呼んだり、唐からの使者に位を授けて朝貢させようとしていたなんてことを以前NHKの「ときめき歴史館」の遣唐使の特集でやっていて、こんな昔から自分が中華だーという対抗心を持っていたのかと驚かせられました。現代とまるで変わりませんね。まあ海で隔てられていたからそんなことができたのでしょう。古事記で日本のことを「あしはらなかつくに」というのも中華を意識しているのでしょうか?
一方中国側でも名称に対するジレンマがあって、そもそも近代まで中国という名称はなかった(もしくは一般でなかった)のではと思われるふしがあります。というのも清末の日本留学生が「わが国には王朝名はあるが国の名称がない」と嘆いています。そして当時日本で使われていた支那を自国の名称として使っています。その点、支那は別に蔑称でもなく単にそこの地域を指す呼称としてちょうどよかったから用いられただけなんじゃないでしょうか。思うに、征服王朝である清を倒すためにことさらナショナリズムと中華思想の復活をスローガンとして中華民国を建てたので、中国という名称にこだわっているのではないでしょうか。だから日本人に支那と呼ばれるとプライドを傷つけられるのだと思います。

アール・ケイ様
渡辺はま子さんの代表歌は「蘇州夜曲」です。満映製作の映画「支那の夜」(李香蘭主演)のテーマ曲で日本で発売されたレコードには中国語で李香蘭、日本語で渡辺はま子さんがふきこんだそうです。発売は戦前ですが戦後すぐにももう一度ヒットしてます。最近では烏龍茶のCMでも流れています。
映画「支那の夜」は日本青年と中国娘のラブロマンスで、映画のシーンに日本青年にぶたれた中国娘がその青年と恋におちるというのがありまして、それが中国を侮辱しているとして李香蘭は戦後漢奸裁判にかけられます。しかし日本戸籍があったため九死に一生を得たという話がありましす。



#664 
アール・ケイ 2000/01/21 10:00
さっそくのご回答に御礼

皆さま、トーシロー(ど素人)の拙いご質問にお答え下さり、ありがとうございます。
そうですね。韓国・朝鮮の呼称問題もそうですし(NHK教育で講座番組を製作する際、「韓国語講座」にするのか「朝鮮語講座」にするのか問題になったことがありましたっけ)、完全にすっきりし誰もが納得する呼び方というのはないのでしょうね。
私は自分自身アンチ・ナショナリスト(?)と思っていましたが、結構こころのどこかでは民族主義的な部分もあるようです。
日本の八紘一宇とか大東亜共栄圏とか、そういった拡大主義的ナショナリズムが生まれ出た根っこには、中国の中華思想への反発というか対抗意識があるのでしょうね。某氏が都知事になっても性懲りもなく云っていることは、アメリカ中心主義へのどこか実は無邪気な反発という気がします。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#663 
中根大輔 2000/01/21 02:25
支那をことさら使う必要があるのかどうか。

どーも、中根です。
中国思想史を研究しているものとして、「支那」名称問題は避けては通ることのできない
問題です。アール・ケイさんの問題提起に研究者としてお答え致しましょう。

支那は、秦の音写ですが、過去の中国において使用されたことがあまりない語です。
インドで逆に「チナ」「チーナ」などと使用する例が多く、中国典籍での用例も
インドとの交流文献のみに限られます。「チナ」に漢字を当てて支那となったのです。
日本では江戸以降に用いられましたが、果たして普及していたのかどうかさえわかりません。

要するに明治以降、「中国」「中華」の語に「偉大なる国」の意味が存在し、
中華思想的な匂いが存在する事を嫌って用いられた語と推測しています。
ある時期にところどころ用いられたに過ぎず、この語をわざわざ普通名詞として
現在用いることに、どれほどの意義があるのか僕にはわかりません。

支那をことさら使おうとする人々は、「支那」は客観的名称で中華思想に汚染されて
いないからよい、と主張していますが、国名に悪字を自分で用いる国はないでしょうし、
どこにでもお国自慢はあるもので、これをことさら中華思想として嫌忌するのは、
どんなものでしょうか?中国では「支那」は美称とする説もあるようですし、
現在は「東シナ海」その他の固有名詞以外に用いるべきとは思えません。

逆に「東シナ海」を「シナ」は悪い言葉だから改める、というのも馬鹿げています。
固有名詞化しているものを改めることをしたところで何が変わるとも思えません。



#662 
がおがお 2000/01/21 01:53
「中国」or「支那」

>アール・ケイさん
 了解しました。確かに、「中国史」という言葉でまとめきれない(というか、誤解を招く)部分はあると思いますが、「支那」という言葉の妥当性はどうでしょうか。

>支那
 (「秦」の転訛に起る)外国人の中国に対する呼称。初めインドの仏典に現れ、わが国では江戸中期以来用いられた。 (広辞苑 第二版より)

 つまり、自らが作った名称ではないわけですよね。いや、日本人が使うわけですから、中国自らが造ったかどうかは決定的な問題ではないのかもしれませんが、やはり「中国」と言葉と同様の問題があるのではないかと思います。どうでしょうか。




#661 
徹夜城(白土作品制覇に邁進中の管理人) 2000/01/20 23:56
「中国史」

>肩書きのこと
いま小学館漫画文庫から往年の名作・幻の名作が続々と出てましてねぇ。ただいま白土三平に熱中中。発売中のDVD「カムイ外伝」も製作者がマニアらしく、忍法解説をちゃんと他の白土作品を引用してやってくれています。改めてこの作家の偉大さを感じますねぇ。今日は「忍法秘話」を買ってきたんですが、白土は短編ですよ、やっぱり。

>「中国史」
この話題は以前にもこの伝言板でやったことがありましたね。
まぁ現実的な結論から言うと日本では「中国史」以外に適当な言葉がない、ということになりそうです。もちろんこの場合の「中国史」の範疇は一般に「伝統中国」領域を指すでしょう(それもけっこう流動的なんですが)。モンゴル・ウイグル・チベットといった漢民族以外の領域を「中国史」と呼んじゃうのは、それこそ現代中国においてこそでしょう。ただ考えてみれば日本だって北海道や沖縄の歴史を「日本史」範疇で語ってますからね。似たようなケースはどこでもあることでしょう。
「中国」「支那」の呼称問題は実のところ日本と中国だけの問題なんじゃないでしょうか。中国人は英語の「チャイナ」には抵抗がないが日本語の「支那」は嫌がる。これはもう感覚の問題ですから日本としてはことさらに「支那」と呼ぶのは避けざるをえんでしょう。人付き合いの問題として。僕なんか「JAPAN」呼ばわりされるのもいやですけど(笑)、日本人はこれは喜んで使うんだよなぁ。
逆に日本においてことさらに「支那」と呼ぶことにこだわり続ける人に、かなり意図的な方が目立つのも事実です(もちろん、アール・ケイさんがそうだというわけではありません)。前から考えているんですが、どうもこういう意図的な方々はどうやら「中華」「中国」という字面が気に入らないように思えますね。とすると、これは漢字文化圏ならではの問題ということも言えそうです。
先日、「朝鮮史」のゼミでちょいと話題に上ったのですが、韓国では歴史上の話でも「韓半島」「韓民族」という表現を論文で使います。「韓」という名称もけっこう古いと思うんですが、歴史上「韓半島」「韓国」というものはなかったわけです。でもやっぱり「韓国史」って言ってるんですよねぇ。日本だとあまり使わないでしょ。もっとも「朝鮮史」という言い方にも似たような問題は含まれてますね。
総じて思うことなんですが、ほんとこのあたりは漢字文化圏ならではの問題があるような。
まぁ国境がころころ入れ替わったり民族が移動しちゃったりと「〜史」という呼び方の問題はどこでもそれぞれに抱えているでしょうけどね。

…本気で書き出すと長くなりそうなので、ひとまずこの辺で。



#660 
アール・ケイ 2000/01/20 12:59
不適切な質問表現でした(汗、、、)

がおがお様
>文章を読んだ限りでは、中華人民共和国を指すのか、それとも、「伝統中国」の呼称の
>問題なのか、よくわかりませんでした。一般的には、「中国」は、中華人民共和国が
>自分で使っている自国の略称の、日本語読みという解釈だと思います。

まことにすみません。
地域としての現在中華人民共和国が統治している部分、のことです。
中華人民共和国を「中国」と略称で表現することは、問題ないと思います(仕事で知り合った中国人がそう呼んでいるのを聞いたこともありますし)。
要は(こう言っている私自身抵抗はあるんですが)、ソビエト連邦が存在した時も、ロシア人、ロシア語、ロシア史と表記していたように、“支那語"“支那史"と呼んだ方がなんかしっくりするような気がするのです。少なくとも“中国大陸"って言い方は変だとは思いませんか。
この発言に政治的思惑・背景は一切有りません。
中国側と喧嘩してまで通す話ではないし蔑称的に支那という言葉が使われた時期があったことは充分意識していますが、英語でCHINA,CHINESEと表記していることを考えますと、一概に使ってはいけないともいえないのではないでしょうか。
このことは歌手の渡辺はま子さん(代表作「支那の夜」でしたっけ)逝去の報に触れてちょっと考え出したことなのです。
 

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#659 
がおがお 2000/01/20 02:28
「中国」の呼称

>アール・ケイさん
 前からある議論の続きでしたら、場をわきまえておらず、申し訳ありません。
 文章を読んだ限りでは、中華人民共和国を指すのか、それとも、「伝統中国」の呼称の問題なのか、よくわかりませんでした。一般的には、「中国」は、中華人民共和国が自分で使っている自国の略称の、日本語読みという解釈だと思います。
 「中国史」は、現在ある「中国」の歴史という意味になるのではないでしょうか。(これは今考えたものですが)
 自分には、特に気になりません。
 もちろん、常に「中国」なる存在が過去に一貫して存在したとか、常に現在の地域を保持していたとか、チベット史も中国史かなどの問題を無視しているわけではありませんが、ここでの問題設定とは、別のものですよね?
 



#658 
アール・ケイ 2000/01/20 00:57
かの国を何と呼ぶか(ちょっと危険なご質問)

単刀直入に申し上げますと、中華人民共和国のことです。
「中国」と読んでいれば問題はないような気はしますが、殷・周からの(或いはそれ以前からの)歴史を中国史と呼ぶことには引っかかりを感じます。
あと「支那」という表現は元来侮蔑的なものなのでしょうか。かつてかの国を日本が侵略していった時に侮蔑・侮辱を含んで使われたことは事実でしょうが、それ以前から使用されていたとすれば、言葉そのものには罪はないわけですよね。支那そば、シナチクという単語は云いかえられ、東シナ海、南シナ海という地名にその表現を残すだけですが、それでよいのでしょうか。
私は支那そばという言葉は嫌いですし、過去の犯罪的行為については意識していますが、どうもスッキリしないんですよね。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#657 
中根大輔 2000/01/15 23:43
ご無沙汰しております。

ご無沙汰しております。新年明けてからははじめてですね。
旧年中はいろいろお世話になりました。今20500をふんだとこです。
(朱子学の件はまだ調査中です・・)
さて、まんが「太平天国演義」の話しがでていますが、作者は史実をろくすっぽ調べて
いないようです。どうも思い込みのみで書いているんじゃあないかなあ。



#656 
がおがお 2000/01/15 03:35
太平天国演義

びっくりしました。太平天国で、知名度は大丈夫なのか。打ち切り確立は、高そうです。
自分は、中国に行ったときに、遼寧省古籍出版社の「〜〜演義」シリーズで、洪秀全演義というのを見かけましたが、それを原作にしているのでしょうか。第一話を眺めた感じ、あの主人公は、洪秀全なの?という感じでしたが。
うーん、とにかくすごい。
南京占領して、各地で、官軍と戦うところまで、行って欲しいな。
以上、駄文で、失礼しました。



#655 
徹夜城(史点ネタ探しに苦労している管理人) 2000/01/15 00:27
昨年の「史点」のこと

>あおいさん
昨年の「史点」をお読みになりたいとのことですが、何しろ容量問題とただ今格闘中なもので全部いっぺんに掲載というのはしんどいところなのです。その代わり…という訳ではありませんが、「去年の今頃はこんなの書いてました」って感じで昨年の記事を読めるようにするという企画は考えています。やるとしたら2月からですね。



#654 
あおい 2000/01/14 12:19
2000年ですねえ

どうもお久しぶりです。しばらくパソコンから遠ざかっておりましたが、これからまたちょくちょくのぞかせていただいて勉強したいと思います。遅くなりましたが今年もよろしくおねがいします。
>徹夜城様
99年の史点をふりかえるとなかなか興味深いものがありますね。私が読んでいなかったものも多いので是非古い史点をもう一度読めるようにしていただけませんでしょうか。私はぼーっとして一年を過ごしてしまったので、もう一度世界情勢を勉強しなおしたいです。



#653 
徹夜城(今年初めて大学行ってた管理人) 2000/01/13 00:08
手塚ばなし続き。

アール・ケイさんもお書きになってますが、確かに手塚治虫って頼まれると仕事を断らない人ですねー。作品リスト見るとその量そのものと共に掲載雑誌・新聞の多様さに圧倒されます。赤旗はおろか少年少女新聞(系列ですね)にまで連載やってたというのは驚異です。コミックトムも出発時(確か「希望の友」とかいった)はかなり創価学会の匂いの濃い雑誌だったんですよね(その後そうでもなくなってしまい、それが極端に商売に走らないいい雰囲気になってましたがね)。「ブッダ」は完全にその依頼に基づく作品なのですが、内容はしっかり「手塚流」になってるところはさすがです。

歴史話じゃないんで恐縮ですが、最近これと似た漫画家がおりますね。「やくみつる」氏。頼まれる仕事は断ってないんと違うかな。あれだけテレビにも顔を出しながら週刊誌、スポーツ新聞はおろか政府公報から赤旗日曜版まで連載持ってます。四コマ漫画とはいえねぇ…「週刊朝日」の連載は終了したのですが、なんか朝日新聞に連載始めるんじゃないかという予感がしてます(笑)。朝はいしいひさいち、夕はやくみつるってのは濃すぎますが…(^^;)

ええい、ついでに漫画話続行。でも歴史ネタになりますよ。
少年マガジンに坂本龍馬の漫画が始まっちゃったようですね。むつ利之でしたっけ。前に野口英世やってましたね。龍馬の漫画化は「おーい龍馬!」があったけど。
ヤングジャンプだったか何だか忘れましたが、「太平天国演義」の企画にも驚きました。「これで中国近代史方面へ中国史ファンの目が向けば」などと僕の身近の某先生は喜んでおりましたが(笑)。



#652 
アール・ケイ 2000/01/12 12:59
手塚とチャップリンと『二千年の恋』

↓ またやっちゃったみたいで、申し訳有りません(平伏)。

手塚治虫とチャップリンの共通点を思い出しました。
外面はいいけど、スタッフに対して人づかいが荒いところですね(笑)。

小林ヨシリンにも困ったものですが(「君子危うきに近付かず」ですね、分かりました)、確かに手塚さんと共産党は近しい関係なのは周知の事実です(何を今更ですよ)。まあ共産党側からの一方通行の親愛感情に手塚さんが無邪気に応じていた(「赤旗まつり」への出演、「赤旗」での連載)というのが本当の所なんでしょうが。共産党の不倶戴天の敵、創価学会系の雑誌(「コミックトム」他)ともたいへん縁が深く、サンケイ新聞(当時はカタカナ)にも足掛け10年間マンガを掲載し続けました。晩年になってしまいますが、「週刊文春」で『アドルフに告ぐ!』もやっています。それどころか文部省や科学技術庁関連の仕事も少なからずあり、企業PR誌への出稿までこまめにこなしています。
手塚さん自身常識人でありながらかつマンガ馬鹿というか政治的野望などつゆもなく、マンガの裾野を広げ地位を向上させる為にあらゆる手段をとった、ということでしょうね。

ここでトレンディ・ドラマ(思いっきり死語)の話が出るとは思いませんでした。まあ、それこそフジサンケイグループがやりそうなドラマだと(笑)、製作発表の時は思いましたが、第1回を見る限り政治的意図はなく、一種のラブ・ファンタジーとして描かれるようですね。テロリストとか科学者の亡命とかは出てきますが国際的状況のリアリティをあえて全く無視して制作し通すのではないでしょうか。『シュリ』の影響があって企画されたことは多分確かでしょうが、良くも悪くも別物でしょうね。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#650 
徹夜城(民放ドラマなんて滅多に観ない管理人) 2000/01/12 00:03
そのドラマのこと

>おやかたさん。
そのドラマのことですが、観てはいないものの新聞で設定は読みました。確かにどことは分からなくしてるんでしょうが、北朝鮮を連想させるものはありますね。まぁ作者は軽い気持ちのサスペンスを狙っているのでしょうが。
ひょっとしてと思うのは近々公開される韓国映画「シュリ」との関係。これ、楽しみにしてるんですけど、それこそ北の工作員やら何やら出てきて考えようによってはヤバイ映画です。これまた恋愛沙汰路線らしいんですよ。韓国が日本のドラマをマネするケースは多かったのですが、これはひょっとして逆現象?



#649 
おやかた 2000/01/11 18:58
フジ月9ドラマの事

こんなこと気にしているのは私だけでしょうが・・
昨日始まった中山美穂のドラマで相手役の金城武が
北朝鮮(を連想させる国)の工作員という設定です。
結構微妙な問題なんでは・・・と思ってしまったのでした。





#648 
徹夜城(これからちょいと上京する管理人) 2000/01/11 10:21
倭寇研究について

>秋山さん。
はじめまして。倭寇専門で1コーナー置いてるサイトなんてまず他にはないと思いますね。お役に立てたのでしたら幸いであります。しかしまだまだ内容が乏しいのはご覧の通りでして。「事件簿」執筆も遅々として進まず…
倭寇といっても僕の専門は中国との関係が深い部分なので、朝鮮がらみではそんなに情報量がないかなぁと思います。その辺りは、あそこの参考文献コーナーにあります村井章介先生の著作を読むことをオススメします。村井さんの本はまさに海外視点による日本史構築ですね。日本史研究のために朝鮮王朝実録を読むという作業をなさっているわけでして。
僕が倭寇に興味を持って大学で研究しはじめた頃、ちょうど学界でも倭寇とか国際関係ネタが増え始めたんですよ。僕自身の感覚では単なる偶然なんですが、おそらく現在の国際環境の影響があるんでしょうね。E.H.カーも言うように、歴史学者も歴史的産物(^^)。
歴史学に限らず一国視点ではなかなかやっていけないでしょうね。僕はいちおう中国史に身を置いてますが、朝鮮史にも日本史にもはたまた西洋史にも首を突っ込んでみました。視点は広いに越したことはないでしょう。
何か倭寇関係でご質問がありましたらご遠慮なくどんどんお寄せください。
僕は僕で「俺たちゃ海賊」コーナーをなんとかしますので(笑)



#647 
秋山如雪 2000/01/11 00:41
はじめまして

 はじめまして。実は学校のレポートで、倭寇のことを調べてこいと言われて検索していたら
辿り着きました。そのレポートは韓国と関連のある授業なので、倭寇でも朝鮮関係のものを
探していたので、ちょうどよかったです。本当に助かりました。
 実は私は戦国時代研究が専門で、この後大学院に行ってさらに研究しようと考えています。
そのためにも狭い日本の歴史だけでなく、周辺の中国や朝鮮の歴史も知っておく必要があると
思っています。倭寇は最近、興味を抱きつつあるので、このホームページがこれからもっと
成長してくれることを楽しみにしています。
 ちなみに、戦国大名で好きな人物は真田幸村、上杉謙信、伊達政宗などです。それでは、また
来ますね。失礼します。



#646 
徹夜城(右派サイトウオッチャー?の管理人) 2000/01/11 00:30
映画情報こみ。

>おやかたさん。
「史点」の感想ありがとうございます。新年早々ネタに事欠かないでくれて助かってます(笑)。他にも泣く泣く斬り捨てたネタが多数あります。トルクメニスタンがキリル文字使用をやめてアルファベットにするとか、台湾の核開発疑惑とか、アメリカの学校でビッグバン理論を教えない運動とか、第二次大戦時に英仏首脳がドゴールを危険視して失脚を謀っていた秘史とか…産経新聞では東郷平八郎が乃木希典に送った手紙の発見を報じて、その苦戦に同情する内容から「乃木愚将説」に疑問を呈したいらしい記事がありましたっけ。「坂の上の雲」の再連載やりながらよくやるわ、と思うところも。

>アール・ケイさん。
「知ってるつもり?」の何が一番イヤだって、出演ゲストがやたら泣くのが嫌いなんですよ。あの番組、昔からそうですねぇ。安っぽく「泣かせる」ほど簡単なことはないんですよ、ホント。
それでも歴史番組としてはそこそこ面白いから結構観ちゃってますけど。次回は「江青・チャウシェスク夫人・イメルダ」の悪女三人衆という企画だそうです。なんか別の関心で観てみたい気も(^^;)。
ちなみにその「右派サイト」のことですが…まぁ正直なところ紹介したくないです。正確に言うと小林よしのりファンの集まるところでして。だから「知ってるつもり」で手塚治虫の反戦テーマが出てきて、「なんだ、手塚もサヨクか」的なこと書く人がいたんですよね(この人達が使う「サヨク」っていう言葉は小林氏が使うものと同じく定義がかなりいい加減です)。小林氏も「手塚信者」だったはずなんですが、今はそのへんどう考えているのかなぁ。最近この人ますますイッちゃった観が強くなってきました。どうやら「ゴー宣」は僕の「ヘンテコ掲示板」の予想に反して年越しをするようですが(^^;)
ま、僕はいろいろと妙な書き込みを見つけては楽しんでます。しかし精神衛生上よくない部分も多いように思いますね。

そことは別の保守系(と本人達は言ってるがまぁ右派だよなぁ)サイトで知った情報なんですが、ディズニー製作で「パール・ハーバー」なる映画を作るそうです。真珠湾60周年に合わせた公開とか。なんだか「葵」の製作動機とおんなじですね(笑)。ちなみに監督は「アルマゲドン」のマイケル・ベイとか!「トラ・トラ・トラ!」を越えることが出来るかどうか。



#645 
アール・ケイ 2000/01/10 22:49
粗雑な番組でした

…って『葵』のことじゃなくて『知ってるつもり』の方のことです、トーゼン。
『葵』(第1回スペシャル)は現在TVで作り得る合戦シーンの最高に近いレベルのものだったと思います。TBS版と比較するのは(成立過程が違いますので)あまりフェアではないような気がします。やはり問題は第2回の“本編”からでしょうか。女優陣の頑張り次第(頑張リ過ぎない次第)でしょう。年齢的違和感は何回か見ていると慣れてくる、と思いたいなあ。
『知ってるつもり』は21世紀のなんたらという企画になってから、惨状を呈していますね。管理人さまがお書きになってますので繰り返しませんが、同時代人でもない手塚とチャップリンを並べて書こうと考えたこと自体、真っ当ではありません(時代を超えた、あえて描くべき共通性が存在していれば別ですがね)。伊藤か×えさんよ、あんなので涙流すんじゃないよ(笑)。
で、その右派サイトというのはどんなところなんですか?決して行きたくはないのですが、知らないのも不安なもので…

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#644 
おやかた 2000/01/10 22:37
大晦日のニュース

はじめまして。ニュースな史点の感想です。
大晦日に飛び込んできたエリツィン辞任とハイジャック解決を
伝えるNHK7時のニュースが印象的でした。
通常なら延長するほどの内容なのに、紅白を控えて30分に
押し込んでいるのが伝わってきました。



#643 
徹夜城(朝からコンピュータと格闘中の管理人) 2000/01/10 12:42
昨日のテレビのことなど

おっ、アクセス20000をついに越えましたね。先日アシモフコーナーも10000アクセス越えたことだし、新年早々目出度いことです(^^)。

>昨日のテレビのことなど。
昨日は新大河ドラマ「葵」の第一回。第一回というより「予告編」ですね、ありゃあ。ついつい往年のTBSドラマ「関ヶ原」と比較して観てしまします。まぁ今後じっくりやるところを観てみたい。秀忠の描き方はジェームズ三木の好みが露骨に出ているような。

ところで「知ってるつもり?」なんですけどねぇ。外出のため後半だけ観たのですが。
手塚治虫とチャップリンを混ぜて番組を構成するってかなり無理がありません?手塚が劇画全盛でスランプに陥ったこととチャップリンが「赤狩り」でハリウッドを追われたことって全然似てないと思うんですけど、「おんなじですね〜」って強引な構成になっててちと呆れました。平和主義という共通項でくくろうとしていましたが、それなら他の誰をとりあげてもできるでしょ。チャップリンって若い頃は第一次大戦への協力を米国民に呼びかける映画なんてつくってますぜ。
あと手塚については「アドルフに告ぐ」まで話を展開しておいて「その一方で手塚はライフワークとも言える作品を描き…」とかいうナレーションと共にいきなり「ブッダ」を紹介しはじめる。もう順番ムチャクチャ。「ライフワーク」っていうから「火の鳥」の話でもするのかと思ったら…番組制作の方、ほんとに「知ってるつもり?」と問いたい(笑)。
比較的良質な番組とは思うんですが、制作側の意図による強引な構成が目立つ番組でもありますね。なんか人一人の人生を一貫したテーマのもとに統一して「物語」を作っちゃうんですよね。手塚の反戦姿勢をきっちりと描いたとは評価したいんですが…(実際右派サイトでこの件とりあげられてましたねぇ)。



#642 
アール・ケイ(まだ仕事中で朦朧としています) 2000/01/07 23:19
皆さまに御礼

…というわけで、↓は誤発信です、すみません。
蘇我ちゃんとこのファーストネームのことで皆さまのお手を煩わせて恐縮です。なるほど、蘇我一族の功績を抹消したい後世の史家による改竄ではなくて、それ相当のちゃんとした名前なんですね。
そういえば、豊田有恒氏でしたっけ、蘇我氏と蝦夷とは関係が深いというようなことを読んだ記憶が私にもあります。
しかし、「馬」子と入「鹿」で、「馬鹿」になるんですけど(笑)。まさか馬鹿の語源がここから来ているということもないでしょうが、そのせいかもう一つしっくり来ませんね。そう思ってしまうのも現代的な捉まえ方なのかなあ。

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#640 
能鷹倫 2000/01/07 00:03
古代氏族の動物名について

個人名に動物の名前をつけるのはおそらく仁徳天皇あたりからかなあとおもわれます。
仁徳天皇の実名は大鷦鷯は鳥の一種(オオササギ=ミソサザイの古名)ですし、仁徳天皇の兄弟には隼総別(ハヤブサワケ)、根鳥、雌鳥などの名が付けられていたりします。
また、応神天皇と名前を取り替えたとする伝説のある武内宿禰の子も木菟(ズク=ミミズクの古名)ですし、その子も真鳥、鮪(しび=マグロの古名)と動物名を継いでいます。
このあたりらら、動物名をつけることが定着しているようです。
古代氏族では他に子虫(大伴氏)、於保貝(春日氏)、蟻、刀良(葛城氏)、宇摩(高向氏)、蝙蝠(川堀とも、蘇我氏)、猿(柿本氏、巨勢氏)などその実例には枚挙にいとまがないくらいです。
比等(ヒト=人とも書く、粟田氏、巨勢氏などに実例あり、人麻呂、不比等などはその応用名)なんてものも分類上は同じ種類と言えるかも知れません。
これらはだいたい平安時代の中期ぐらいまで例があり、そのご中国の名付けに則った佳字の漢字二字の名前に移行していったようです。

さて蘇我蝦夷の名前ですが従来は毛人と書かれていたようで、同名の表記には小野妹子の子で、墓碑が発見されている小野毛人、奈良時代末期の佐伯今毛人(いまえみし)などがいます。
また蝦夷という名前も他に壬申の乱の功臣の鴨朝臣蝦夷がいるので決し蘇我蝦夷の表記は貶名(名前をおとしめて表記すること)ではないようです。
蘇我入鹿の実名は鞍作または林臣といったようですが、これは古代氏族の姓なのでおそらく養育していた氏族の名前ではないかと考えられます。
こうした他の氏族の姓を名前にする例も5〜6世紀の皇族や豪族に散見されています。
入鹿の名前はおそらく死の前後の名乗りではなかったかとも考えられます。
また入鹿という名前も、多朝臣などの他氏族で名乗っている者がいるので、これも貶名とはいえないでしょう。



#639 
タロイモ 2000/01/06 20:58
蝦夷

確か、蘇我氏は 越の国の蝦夷と何らかの交渉があった、ということを
どこかの本で見ました。
蘇我氏と関係の強い、勇猛で強い蝦夷の力にあやかって・・・
ということも考えられるような。

馬や鹿は、後には神聖な動物とされるから、この時代で名前に付けてもいいのでは。
物部アラ鹿火、東漢直駒、大伴馬来田、大伴馬養なんて人もいましたか。

「日本の歴史をよみなおす」(網野善彦著)の115ページに
「・・・野獣、あるいは野獣にちかい動物は人の力をこえたものを持っており
それを扱う人々も、普通の人と異なる特異な力を持っているという考え方・・・」
という事が記述されていましたが、関係するでしょうか?





#638 
AK 2000/01/06 00:44
名前の件

明けましておめでとうございます。
久しぶりにこちらに書き込みします。

で、名前の件なんですけど、古代、奈良時代ぐらいまでは人名にわざと悪い名前をつけ、
その霊力による加護とかを期待していたようです(おお、なんて井沢○彦的な)。
実際、屎麻呂(くそまろ)とか今蝦夷(いまえみし)なんて言う名前もあったぐらいです。
「悪」という言葉も、現代と違い「強いモノ」とか「人智を越えたモノ」的なニュアン
スで使われており、今のような「邪悪」という意味合いはないようですし。

とすると、かの「悪魔ちゃん」の親も、それを期待していたのかなぁ……(笑)。




#637 
星村輝旗 2000/01/06 00:38
補記。

私の意見が「ダウト」と思った方の意見をお伺いいたしたいので、ご協力をお願いいたします。



#636 
星村輝旗 2000/01/06 00:36
馬子、は必ずしも悪い表記ではなかったのでは?

蘇我家の3代ですが、確かに、蝦夷、は改名させられたような気がします。
また、入鹿は、鞍作という、通称で呼ばれていて、
鞍作の方が本名だった可能性は捨て切れません。
しかし、馬子は、当時は、馬そのものが入ってきてから、まだ日が浅かったような・・・
と言うか、馬を使う民族が、日本に入ってきた当時は、馬という物は為政者側の動物で、
との印象も、私には強いのです。

さて、ダウトの意見お待ちしております。



#635 
徹夜城(そそっかしい事は自覚している管理人) 2000/01/05 23:22
名称のこと(本題)

…オフ書きしているつもりでうっかりエンターキー押したら送信してしまった…で、本題です。

>タロイモさん。
「倭寇」の表現、僕も気が付きました。わざとだとすればちょいと気になるところです。「倭」という名称に明白な嫌悪感があるととれますね。江戸時代や戦前の一部学者で「倭」を嫌ってこの表現をした例があります。もっともあれは単なるワープロミスでは…ミスというかATOKには「わこう」と打ち込むと選択肢に「和冦」がちゃんとあるんですよね。実は使用例あんまりないんですけど。
余談ですがATOKって歴代年号はおろか歴代全天皇(125代+北朝)のおくり名までしっかり変換するんですよね。神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化、崇神…っと。これ全部選択ウィンドウにでるんですぜ。誰が使うんだろ(いきなりソラで全部書ける私もどうかと思うが)。

>アール・ケイさん。
「蝦夷」の件は誰もが疑問に思うことですよね。この名前から「えみし」ってかならずしも悪い言葉ではなかったのでは、って話も聞きましたけど、字面はどう考えても…



#634 
徹夜城(またCGIの勉強など性懲りもなくやってる管理人) 2000/01/05 23:11
名称のことなど

どうやら無事にCGIが動作してますね。「2000年問題に我々は勝利した」(笑)。
まぁタネを明かせば大した作業ではないんです。もとのプログラムのyear変数に「+1900」って書いただけで解決させてます。問題はプログラムのコードがどこがどうなっているのかちゃんと読みとらなきゃいけなかったということでして。



#633 
アール・ケイ 2000/01/05 20:55
初心者マークのご質問、かも

え〜ここに書くのもはばかられるほど初歩的なご質問かもしれませんが、できますれば無視しないで下さいネ。
蘇我蝦夷、入鹿、馬子って本当の名前なんでしょうか?
当時の国の最高レベルの権力者に鹿だの馬だのというのは、現代的感覚かもしれませんがちょっとおかしいような。
それはいいとしても、それ以上に蝦夷というのは、たとえて言えばフランクリン・ルーズベルト大統領がジャップと名乗るようなものではないでしょうか。
後世、蘇我氏を貶めよう辱めようとして付けた名前なのか、それとも当時は“蝦夷”という名前・言葉はよく使われていて、変に侮蔑的な意味合いはなかったのか(或いは征服した土地を意味するから勇者といった意味合いがあったとか)、どちらなんでしょうか。
この質問は私が高校1年の時抱いた疑問−つまり丸20年間解決できていない疑問なんです。そろそろどなたか解決して下さい(笑)

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#632 
タロイモ 2000/01/05 20:02
和寇?

ではお言葉に甘えて何か歴史関係で、試し打ちを・・・

元旦の朝日新聞のトウガラシ特集、やっと読む事が出来ました。
その中で気になった語句が・・・
「和寇」とありましたが、あれは意図的に書いたものなのか
単なるミスなのか、 それとも「和寇」でも別に構わないのか・・・







#631 
徹夜城(とりあえずホッとした管理人) 2000/01/05 11:14
やれやれ

どうにかうまくいってるみたいですね。
あと誰か書き込んで実験してみてね(あ、とりあえず歴史関係の話題を出して試してください)。



#630 
徹夜城(久々にプログラムを読んでみた管理人) 2000/01/05 11:12
修正中。

「千年虫」の修正中です。



#629 
能鷹倫 100/01/04 16:10
蘇我蝦夷、入鹿の没年齢について

星村輝旗さま

蘇我蝦夷の年齢は門脇禎二氏の『蘇我蝦夷・入鹿』の引用する『扶桑略記』に所伝で、推古朝十八年(610)の太夫時に二十五歳としているので、それを信用するなら自尽した皇極四年(645)年には60歳だったと推定できます。
蝦夷と違って、入鹿には文書による没年齢の資料がいまのところ発見されていませんので、年齢は全て推定となります。
入鹿が初めて『日本書紀』に登場するのは皇極元年(642)正月条に父蝦夷の執政を補佐したとあるのが最初です。同二年の10月には蝦夷から紫冠を譲られ大臣の位に擬せられたとあります。
祖父・馬子、父・蝦夷の大臣就任が20代中盤ぐらいと考えると、蝦夷自ら紫冠を譲った経緯から入鹿もこのぐらいの年代だったと考えられますので没年時は20代後半ぐらいとかんがえられます。ただし研究者によっては、もうすこし年齢的に上だったと考える説もあるようです。
『日本書紀』の記事により入鹿は王とよばれた子女がいたことが確認でき、兄弟として弟・畝傍がいたことも確認できます。蝦夷の子女は他に『一代要記』にある舒明天皇の側室・手杯娘が確認できます(紀記の記載なし)。




#628 
星村輝旗 100/01/04 00:17
どうも有り難うございます。

なかなかの調査をしてくれたお二方に感謝申し上げます。
今度は、蘇我蝦夷・入鹿親子(蝦夷は馬子の息子、入鹿は馬子の孫です)
の推定没年齢は、どれくらいなのでしょうか。



#627 
能鷹倫 100/01/03 07:59
蘇我稲目、馬子年齢資料について

あけましておめでとうございます。
ここへの書き込みはひさしぶりになります。

長谷川@望夢楼 さんの記事に補足する形になりますが、
稲目の没年月日は『日本書紀』によれば、金刺宮朝三十一(570)年春三月甲申朔(1日)に薨じています。
『元興寺縁起』では己丑年の薨去ということなので、その前年ということになるようで、もしかすると葬った日付けで薨去は前年なのかもしれません。
没年はどの資料によったかは不明ですが(公卿補任?)、『コンサイス世界史年表』や『古代豪族系図集覧』の記述では65歳ということになっているので、武烈天皇六年(504)の生まれ(かぞえ年換算による)ということになります。
馬子の没年は『日本書紀』によれば推古三十四年(626)夏五月戊子朔(1日)に薨じています。
『上宮聖徳法王帝説』では同三十五年六月の薨去ということなので、これも葬った日付けの可能性があります。
『扶桑略記』の没年を信じれば欽明天皇十年(549)生まれで稲目45歳の時の子、史実に登場する敏達天皇元年(572)の大臣就任時はかぞえ年で23歳ということになります。
稲目の子にしては少し高齢の時の子どものような気がしますが、馬子の母が若年のであったとすれば不自然ではありません。
その年齢を比定できるその他の史料としては馬子の子のうち歴史に最初に登場する河上娘の年齢を考証したり、馬子の姉妹(欽明天皇妃の堅塩媛、小姉君、用明天皇妃の石寸名媛)の産んだ子どもの生年からもある程度わかる知れませんが、兄弟姉妹の順番がわからないので推定は難しいかも知れません。
ただ、馬子は嫡子だったらしく弟の境部臣摩理勢のほかにも岸田臣の祖となった小祚臣、田中臣の祖刀名臣、八口朝臣の祖若彌臣などの弟がいたらしいですが、稲目は対高麗戦で得た美女を金刺宮朝二十三年(562)ごろに側室にしたりしているのでその初生とも考えられます。



#626 
長谷川@望夢楼 100/01/03 03:07
蘇我稲目・馬子の没年

。すまいざごうとでめおてしまけあ、(年佰玖仟壹元紀督基)年子庚參卅治明

 ……閑話休題。
 星村輝旗さんの疑問について、とりあえず事実関係のみ。
 手元に『日本書紀』が無いので、手元の適当な事典類で確認したのですが、

蘇我稲目 欽明31庚寅(570)年没
蘇我馬子 推古34丙戌(626)年5月没

 というわけで、確かに56年の差があります。
 また、『扶桑略記』(12世紀末成立)には76歳で没したという記載がある(ただし、この記事は信頼できないようである)そうです。
 まあ、推古天皇もかなり長生きしている(554-628)ので、それほど不自然な数字ではないと思います。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/


#625 
タロイモ 100/01/02 23:44
99の次は・・・

100というわけですか・・・

あけましておめでとうございます。

・・・え〜と 懲りもせずトウガラシについて、またまた一言・・・
何にせよ、胡椒との関係、無視できないのは間違い無いようで。
あとトウガラシは熱帯地方では多年草、温帯地方では一年草です。



#624 
徹夜城(灯台もと暗しだった管理人) 100/01/02 23:25
なんと2000年問題が発生。

当サイトで「2000年問題」が発生していましたぁ…!先程指摘を受けて気が付いたのですが、お分かりになってましたか?
分からない方はしばらくお探しになってみてください(^^;)。
修正するにはちとかかりそうだなぁ…。

>あまぎさん。
これはどうも。唐辛子論争(笑)に新規の話題ですね。いやー、想像以上に奥の深い世界だったりして。



#623 
あまぎ 100/01/02 19:34
たちよりました

初めまして。
あまぎと申します。
ちょっと立ち寄ったこちらの掲示板で、唐辛子について議論なさっていたので一筆参加させていただきます。

以前わたしが読んだ論文では、朝鮮の唐辛子導入は壬辰・丁酉以前の話で、胡椒の輸入超過に陥った朝鮮の苦肉の策として、胡椒の代替物「唐辛子」が使われるようになったというものでした。
その論文のタイトルも忘れてしまったのですが、結構有名な雑誌に載っていたと思います。朝鮮学報か、大学の出版物でもかなり有名な雑誌だったはずです。
この程度の情報ですが、参考になれば幸いです。



#622 
徹夜城(これでも一応管理人) 100/01/02 11:08
補足説明

下の星村さんの書き込みですが、まず「ヘンテコ歴史本掲示板」に投稿されているのです。あちらを見ていない方も多いと思うのでこちらに転載させていただきます。

星村輝旗さんの投稿:
>よく分かりませんが、豪族の蘇我馬子はかなり長生きした、
>と言うようです。
>「日本書紀」によると、(必ずしも正確ではないが)、
>彼の父親である蘇我稲目が死亡した年から、
>馬子の没年では、56年もの差がある(とはいえ、昔の資料なので詳しくは不明)。
>どうやら、天皇の生没年が不明というのも、
>結構、資料的に混乱しているからなのでしょうね。

…という投稿だったのです。「ヘンテコ掲示板」はあくまで世の中のヘンテコな歴史記述にツッコミを入れることに主眼を置いていますので、この件に関する問答はこちらでやるほうがいいでしょうね。それに僕より日本古代史に詳しい方も出入りしているでしょうから。
僕自身はといえばこの問題については全く知らなかったです。「日本書紀」も細かく見ていくといろんなことがあるようですけどねぇ。手近なもので調べられたら調べてみます。



#621 
星村輝旗 100/01/02 00:31
先ほどの・・・

先ほどの「蘇我馬子は長生き」説について、ここにお返事下さい。



#620 
アール・ケイ 100/01/01 19:43
あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いします。
先ほど伊勢神宮参拝より神戸の実家に戻ってきました。まあ管理人様もお書きのとおり平穏無事な(天候も太平洋側はまあまあ)お正月でなによりです。妻や両親などは「2000年問題なんか何も起こらへんかったやんか」と怒っていますが、世界中で各担当が死にもの狂いで対応してくれたお陰だと思います。まだ当分気が抜けませんが。
さて管理人様も触れておいでの朝日新聞第3部3面の「トウガラシの旅」、タイムリーですね(笑)。日本→朝鮮説をとっていますが、朝日とてどこかからの引用ですから、はてさて…



#619 
徹夜城(うっかりネタを書き忘れる管理人) 100/01/01 15:32
そうそう、初詣のことを。

追加です。
初詣といっても近所のお寺を三軒まわるだけです。徒歩で一時間ほどで済みます。
なぜか全部真言宗。我が家の先祖は曹洞宗だったらしいのだが。
ま、宗教にルーズなところがこの民族のいいところでもあるでしょう。



#618 
徹夜城(初詣を済ませてきた管理人) 100/01/01 15:29
あけましておめでとうございます。

はい、西暦2000年になってしまいました。注目の2000年問題はおおごとは全く起こらず(一部細かい機械の誤動作はあったそうですが)、それもめでたい(^^)。
実を言うと日本のことよりもロシアの心配をしていたりしたのですが、これも無事クリア。さあてぼちぼちコンピュータの本場アメリカが年明けになるぞ。「我が国が一番対策が進んでいる」って豪語していたからまさか大丈夫なんだろうな…でも一番コンピュータ化されたお国でもありますからね。
「史点」の昨年最後のを書いた直後、インディアン航空機ハイジャック事件は唐突に解決の方向へ動いちゃいました。そしてエリツィン大統領の突然の辞任表明!こいつは裏をかかれたなぁ(笑)。さっそく「史点」新年第一号のネタは決まったな。プーチン首相って元KGB外国情報部だぜ。

新年書き込みをしていただいた皆様、ありがとうございます。今年もよろしく。
そういえば朝日新聞の元日特集にズバリ「唐辛子」の世界波及の話題が出てて驚きました。偶然でしょうねぇ。まさか担当記者がここを観ていたとか(笑)。



#617 
かずさ 100/01/01 12:19
あけましておめでとう^0^

あけましておめでとうございますm(__)m
去年はお世話になりました^^
最近は史点読んでるばかりで書き込んでませんが(^^;;
今年もこちらは音楽に歴史にじゃんじゃん作っていきますので
よろしくお願いします^0^
ではまた^0^

http://ww3.tiki.ne.jp/~kazuca/


#616 
縄文28号 100/01/01 11:36
唐辛子って多年草でしたっけ?(笑)

縄文28号です、あけましておめでとうございます。鈎十字に進めません。
先ずは、お詫びとお礼を。
タロイモさん>過去ログはザッと目を通しただけなので、タロイモさんがどのような意図で投稿なさっていたのかを察することが出来ませんでした。私の怠慢で不愉快な思いをおかけした事をお詫び致します<m(__)m>。四川省の漢方薬業者・漢方薬は見落としておりました。恐れ入りました、そして、ご教示ありがとうございました。
がおがおさん>四川・雲南省周辺の貴重な情報ありがとうございます。四川の山椒とは「麻椒」と考えて宜しいのでしょうか?雲南だけでなく、貴州・湖南も辛いのですか!そういえば毛沢東も湖南出身で故郷の「辛い」料理を好んだとか。ですが、まさか四川料理(超)級の辛さとは考えても居りませんでした、漫然と上海料理よりちょっと辛い位だろうなと思っておりました。
お二方へ>唐辛子ビルマルート説は、ある程度の可能性は有ると思いますが、こだわるつもりはありません。唐辛子が(白人が主体であるにせよ)南方から中国への食文化の伝播とすれば、ビーフンは中国から東南アジアへの食文化の伝播ですね。ですが、「タイのビーフンはビルマルートで伝わった」と言う気はありません(笑)。
再びがおがおさん>清の時代のベトナム・東南アジアの貿易事情については難しいですね。中国の海禁政策とその実体(客家の進出仮定・元代以来の回教徒の動向)、ヨーロッパでの覇権の推移と東南アジアでの勢力変遷・・・整理力がないとどこかでコケそうです。
「文化侵略」の件、微妙な話ですね。
乏しい知識を並べれば、髪型・服装も大切な「文化」です。李氏朝鮮は自国の文化を守ったと言ってよいでしょう。明治日本の断髪と洋服着用に対する批判を思い出しました。
あと、仏教対策ですか。満州族・モンゴル族は「蒼いオオカミ」等の民俗信仰はありますが、「文殊」の語が変化して「満州」となったと言われるように仏教勢力は強いと思います。これに対し李氏朝鮮は仏教勢力を抑圧した様ですが・・・。
難しい話なので幕府・清国の貿易に話を振りました。明末におけるメキシコ銀の中国への流入により銀経済がほぼ確立したこと、清の太祖ヌルハチ自身が毛皮・高麗人参の貿易に不満を持ち明との戦争を開始したこと、幕末の薩摩藩・琉球=沖縄の密貿易を思い浮かべました。これらから、清国側使節も朝貢とは別に朝鮮との個人的な交易を要求し、朝鮮側は満州族の風俗と仏教以外はある程度応じたと言う話かと思ったのですが・・・確かに、誤解・先走りですね失礼しました。
 長文を切り刻んだ為、不適当な言葉使いが有ったことはご容赦下さい。掲示板ですから、いきなりの論戦も失礼では無いでしょうが、突然「詳しく教えて」は失礼かと思いました。
>専門ではありませんが、こういう話は結構好きです。
では、では、何とぞ詳しく教えて下さいませ。




#615 
米ット・F・不二雄 100/01/01 11:12
謹賀新年★

ども、徹夜城さん。
実はこのページの密かなファンだったりする米ットです。
守備範囲が狭いので多くは語れないのですが・・・
(前に書いたと思いますが幕末です)

よく見りゃまぁカウンターがFX広場を越えそうな勢いですね!
さらなる発展を願ってやみません。
では!

http://www2u.biglobe.ne.jp/~comefx99/headplan.htm


#614 
アール・ケイ 99/12/31 21:52
伊勢からご挨拶

鳥羽で鳥羽一郎(紅白)をだらだらと見ながらモバイルギアでこれを書いております、@旅先。
本年はここで随分と歴史の勉強をさせていただきありがとうございました。
唐辛子の話も面白い。私も実は日本から朝鮮へ伝わったとか、キムチはそれまでは白かったとか、誰から聞いた記憶はあるんですけどそれだけで、ぜんぜん学術的な話が出来なくて…こちとら完全素人ですから。
来年もどうぞよろしく、と言おうかと思っていたら、なかなか辞めなかったエリツィン辞職だそうで。このことが2000年ロシア情勢、チェチェン問題にどう影響しますか。いやあ皇太子妃のことといいあまりいい年の瀬ではありませんね。
みなさん、よいお年を。そして年明け無事ここに入ることが出来てごらんになられた方には、「おめでとうございます」



#613 
徹夜城(師走はホントに走ってた?管理人) 99/12/31 16:44
良いお年を!

やれやれ、ついさきほどようやく「史点」の年内というか1900年代最後の更新を済ませました(笑)。2000年問題現実の瞬間まであと7時間少々!準備はよろしいですかぁ?
もっとも更新はしたものの多くの方は年明けに読むことになるんだろうなぁと思って書いてました。「史点」年内総決算をやってます。

たぶんこれが僕の年内最後の当掲示板書き込みです。年明けで何事も無事でしたらまた書きます。ではでは。



#612 
がおがお 99/12/30 20:07
唐辛子

あまり、よくわからないのに、いろいろ書いて申し訳ありませんが、また書いてしまいます。

>縄文二十八号さん
>辛さの質はインド・タイ系の様でビルマルート=雲南省経由で唐辛子がもたらされたとも思えます。唐辛子は上海から長江伝いに遡上したという常識的であろう説より魅力的ではないでしょうか?
しかし、雲南料理がネックなんですよね。四川料理のように辛いという話も聞いておりません。雲南省はタイ語族、四川省はむしろチベット系と聞いておりますので、四川料理より辛そうなモノですが、そのような話も聞いたことがありません、食ったこともないのですが・・・。何かご存じの方、ご教示くだされば幸いです。

 雲南料理は辛いです。日本では、四川料理の辛さばかりが伝えられますが、それは日本に入ってきた中華料理の中での話じゃないか、と。四川、貴州、雲南、湖南は少なくとも膨大に唐辛子を使っており、特に湖南が使用量最大と言われています。四川の料理は、山椒(日本のものと味が違う)の味で、特に強烈です。ですから、料理の味の点は、説の邪魔をするものではないのじゃないか、と。それ以上の点はわかりませんが。後、この地域には、少数民族が山のようにいますが、彼等の料理はまた別です。

>「文化侵略」の話
 カッコ付きにしておいてください。誤解がありそうなので。専門ではありませんが、こういう話は結構好きです。ただ、「ベトナム」など東南アジアの方面の話をぜんぜん知らないのですが、似たような状況だったのでしょうか。



#611 
タロイモ 99/12/29 22:30
香辛料について追加

トウガラシの辛み成分が皮膚を刺激して血行をよくする
ので靴にいれて、今で言うホッカイロのような使い方も
していたようです。朝鮮は寒いので、そのような使用法のために
南蛮人が持っていても不思議では無いと思います。

あと、四川省は昔から漢方薬の宝庫として知られていて、漢方医、漢方薬業者が多いとか。
新しい薬になりそうな香辛料が海外から入ってくれば、真っ先に四川地方に伝わるものと思われます。



#610 
タロイモ 99/12/29 21:44
香辛料



城さんRESどうもです。唐辛子に関する追加です。

これ以上、トウガラシについて書くと、管理人さんに文句言われそうな気がするので
書くのが憚られるのですが・・・一応、一言・・・
私もトウガラシの伝来は日本→朝鮮だと思ってます。ただ私が書くより先に、日本→朝鮮説が
出てしまったもので別の説も提示しておこうか、と思っただけの事です。
日本の方が暖かいですから、熱帯産のトウガラシも栽培しやすいでしょうし・・・
江戸初期(1640年頃)には既に京都の伏見の特産品になっていたと、「毛吹草」で
紹介されてるようです。
あと朝鮮軍にいたオランダ人から伝来したという可能性も、ほぼ無いに等しい可能性ですが
あえて書いてみました。
ただ彼ら傭兵が商品として売りつけるために、トウガラシを持っていたのではなくて、焚き火にトウガラシを入れて
煙りで目をつぶしたりというような、一つの武器として持っていたかもしれない可能性もあるかな〜
と思ったもんで。

朝鮮の人は壬辰・丁酉の倭乱の頃になんらかの方法でトウガラシの存在を知って、そのあと 先に栽培に成功していた
日本からトウガラシを持ち込んで、試行錯誤を重ねつつ次第に広まっていった、
といったところなのでしょうか・・・

あと四川地方のトウガラシについてですが、確か風土病が多かったのであのような
辛い料理になった、と聞いた事があります。
それに あのあたり、雲南省から中国南部、ベトナムでは元々香辛料の一つである肉桂が採れる
ようで、古くから薬や調味料として使用されていたとか。
あと中国では13世紀頃から大都市への人口集中により、胡椒の消費量が増大していたようで
中国の輸入量の方がヨーロッパ全体の輸入量よりも多かったようです。
16世紀頃にはヨーロッパの人々と中国人が東南アジアの香辛料をめぐって対立する状況も
あったようです。それでその頃に胡椒の代用品としてトウガラシが紹介された、ということも
あったと思われます。(日本ではトウガラシが胡椒であると紹介されていたようですし・・・)
・・・とにかく中国では昔から薬や調味料として香辛料は親しまれていたので
中国料理には欠かせないものです。そのような香辛料を使う伝統の中に
トウガラシもいつの間にやら、取り込まれたということで、四川への伝来ルートも
ビルマルートにこだわる必要も無いのでは・・・
人口が集中している都市では香辛料の使用量も多かったので
成都にも広州などの海に面した地方から、かなりの量の香辛料が運ばれたものと思われます。
私はマカオのポルトガル人あたりが胡椒の代用品として中国人に売りつけたんじゃないか、
と考えてますが。16世紀の中頃にはトウガラシはヨーロッパでは既に一般的な食物だったようです。
フランスではピーマンという名前も頂戴してますし。

何年か前、重慶に立ち寄った時に本場の四川料理の麻婆豆腐を食べてみた感想なのですが、
余りの辛さに皿半分食べるのがやっとでした・・・
トウガラシの辛さだけじゃなくて、他の香辛料の辛さも相当なものでしたが・・・




#609 
さんでい 99/12/29 19:15
シンガポール2

さっそくの御返答、いたみいります

>つまりその方は漢字による高等教育を受けていないということですか(そ
>の方のお母さんは中国文がよめるんでしょうか?)。もっとも広東語とか
>福建語だとあくまで「話し言葉」であって文章語とするのは難しいという話
>も聞きます。その辺も絡んでいるのかも。
>マレーシアの華人に手伝ってもらっていたそうですが、そのマレーシアの
>人はどういう風に教育を受けているんでしょうね?私塾的なスタイルがあ
>るのでしょうか?

私もその2人のこと(それも十年前)しか知らないので、シンガポール全体、マレーシア全体で具体的に教育環境どうなっているかは全く分からず、調べようとかいう気もさらさらないのですが、何というか、シンガポールの英語中心から民族(性)重視の教育、という話題について、それがどういう事態であったのか、また現在シンガポール人が感じているだろう喪失感がどんなものであるか、を我々がリアルに想像するには(大月隆寛的に?)格好のエピソードと思い、紹介した次第です。




#608 
縄文28号 99/12/29 11:31
唐辛子2、次回は鈎十字について書くぞ!

城さんRESどうもです。唐辛子に関する追加です。
自分の投稿を読み返してみると誤解を受けそうな面があるので改めて説明します。
私は唐辛子は日本から朝鮮に渡ったと考えております。この考えを前提に、朝鮮から日本に渡来したと言う説が何故生まれたか、何故広まったのかという説をご紹介したつもりです。「唐辛子が朝鮮から日本に渡来したってのはトンデモじゃないの?」とお考えの方もいらっしゃるかと思い、説としては昔から有り結構信じられていたり広まっていたんですよ、と申したかったのです。具体的には、貝原益軒は「大和本草」という著作で唐辛子を「番椒」と記し文禄・慶長の役で日本に伝わったとしている例が知られております。先の投稿で紹介した本は、このような説も紹介しながらも唐辛子は日本から朝鮮に伝えられたとし、どのように利用されてきたかを述べております。誤解を受けそうなと言うより完全な言葉足らずでしたね、失礼しました。

タロイモさん>私は朝鮮軍や明軍の中にオランダ人やポルトガル人が居たことを確認しておりません。否定する論拠もありません。しかし、仮に居たとして何名くらいでしょうか?その人数は日本に来たポルトガル・オランダ商人と比べてどの程度でしょうか?
又、商人で有れば商品として唐辛子を持っている可能性は高いですが傭兵的なポルトガル人・オランダ人が唐辛子を持っている可能性は低いのではないでしょうか?両国の料理について詳しくは有りませんが唐辛子は多用していないと思いますので・・・。
よって、大変夢のある説ではありますが、可能性は極めて低いのではないかと思います。
尚、司馬遼太郎の「蜀と雲南の道」には、かの「本草綱目」1596年刊には唐辛子に関する記述がないことから中国への唐辛子の伝播は明末以降と言う説を紹介しています。
司馬氏はイエズス会が中国へ唐辛子を持ち込んだ、年代は1573年以降、年代としては文禄・慶長の役以前であろうが、これがすぐに朝鮮に伝わり日本にもたらされたとはちょっと考えられないとしています。私は司馬氏の説に違和感を持つことが多いのですが、ここは同意見です。

私は、唐辛子は日本から朝鮮に伝わったと考えておりますので、この辺りに積極的な興味はありません。むしろ、四川省にどのように唐辛子が伝わったかに興味があります。
辛さの質はインド・タイ系の様でビルマルート=雲南省経由で唐辛子がもたらされたとも思えます。唐辛子は上海から長江伝いに遡上したという常識的であろう説より魅力的ではないでしょうか?
しかし、雲南料理がネックなんですよね。四川料理のように辛いという話も聞いておりません。雲南省はタイ語族、四川省はむしろチベット系と聞いておりますので、四川料理より辛そうなモノですが、そのような話も聞いたことがありません、食ったこともないのですが・・・。何かご存じの方、ご教示くだされば幸いです。
がおがおさん>「朝鮮は、中国に文化侵略されないように、相当注意していて、貿易なども管理していた」うーん、そうなのですか。朝鮮は「小中華」を自認しており、朝貢貿易で朝鮮の方が利益を得るものと思っていました。確かに、江戸幕府も逆勘合貿易=清国ではなく幕府が貿易量を制限していたはずです。なるほど、と思います。思い込みというか盲点でした。貴重なお話ありがとうございました。



#607 
徹夜城(原稿執筆がよく滞る管理人) 99/12/29 00:20
「史点」遅れてます、ハイ(汗)

なんだか「史点」にまつわる話題が続いていますねぇ…にもかかわらず最新更新(と同時に今年最終更新)は冬期講習のこともあってはかどらず。

>アール・ケイさん。
う…これは気が付かなかった。20世紀の次は1000年での人物選定ときましたか。頼朝ねぇ…確かに武士政権の最初(平氏は別として)ということで外国から見るとかなり大きく見えるのでしょうね。
朱元璋という選定については、彼が極貧の身から一代で皇帝となったこととかモンゴルを追い払ったことなんかを評価しているのでは?子孫との噂もある朱鎔基首相の知名度も影響したかな(笑)。

>がおがおさん。
やっぱあの人か(笑)。朝鮮が中国の文化侵略から防衛策をとったという話は今度ちゃんと聞いておかないといかんなぁ。

>さんでいさん。
非常に興味深いお話でした。つまりその方は漢字による高等教育を受けていないということですか(その方のお母さんは中国文がよめるんでしょうか?)。確かに手紙を書こうって時は困っちゃいますね。もっとも広東語とか福建語だとあくまで「話し言葉」であって文章語とするのは難しいという話も聞きます。その辺も絡んでいるのかも。
マレーシアの華人に手伝ってもらっていたそうですが、そのマレーシアの人はどういう風に教育を受けているんでしょうね?私塾的なスタイルがあるのでしょうか?

>余談。
近所のTUTAYAが中国テレビドラマ「水滸伝」全巻を入荷!ようやくチビチビと見始めてます。同時に借りてる人がいるので順序ゴチャゴチャですが(笑)。どーせ知ってる話だし。
それにしても結構原作をいじってオリジナルのシーンが多くなっているのにはちょっと驚きました。また現代感覚に合わせた改変も多いですね。それなりに面白いけど、「水滸伝」特有のハチャメチャなノリが少し減退してファンとしては残念。もっとも映像化が難しい部分も確かにあるよなぁ。



#606 
さんでい 99/12/28 23:45
シンガポール

> シンガポールの人々の英語力、そしてその高い学力は国際的に通用す
>る人材を育てるのに実際役に立った。しかしその一方で人材の国外流出
>も多くなっており、むしろ「民族教育をした方がいいんじゃないか」という声
>が出てきているとのこと。今度のこの調査もそうした懸念を抱いている政
>府の意向で行われたようだ。しかし別に中国語を話さなくなったわけじゃな
>し、それほど心配することはないんじゃないかなぁ。


十年ほど前のことですが、慶応の大学院に通う20代のシンガポール人(シナ系)と知り合いになりました。彼は他の現代シンガポール人エリートの例に漏れず、英語で高等教育を受けた人でした。国際政治だかを勉強しているという話でした。日本の歴史や文化(サブカルチャー含む)にもずいぶんと思い入れがある人で、日本語も流暢で、面白いマンガはないかとよく聞かれたものでした。

彼は母子家庭(粗暴な父親がいたが、離婚)で、日本での(楽しい)留学生活をシンガポールにいる母親に報告したい気持ちは充分にあったのですが、非常な困難に直面します。彼はシナ語で文章を書くことがほとんどできず(話すことはできる)、母親は反対に英語をあまり解さないのです。彼は知り合いのマレーシア人(同シナ系)の友人に、この言葉はどう書くのか、これはどうだ、とひとつひとつ尋ねながら、日本式漢字の混ざった、おそらく広東&北京語混成の独特な文体で、必死になって手紙を書いていました。

私はそれを知った時、シンガポール人が繁栄(とサバイバル)のために切り捨てたものの大きさに、何ともやりきれない気持ちになったものです。



#605 
がおがお 99/12/28 20:43
唐辛子

>徹夜城
 そうです、「江戸っ子」先生がおしゃってました。
 朝鮮は、中国に文化侵略されないように、相当注意していて、貿易なども管理していた。だから、唐辛子も中国経由では、入らなかった。というお話だったと思いますが。
 確証なし。すいません。



#604 
アール・ケイ 99/12/28 12:55
2位選定(ニュースな史点ネタです)

日経夕刊によりますと
米誌タイムの最新号(27日発売)は先週号発表の千年紀の偉人10人に加え、各世紀から2人ずつ2位に当たる人物(計20人)を選定したそうです。
日本からは12世紀代表?で源頼朝が選ばれましたそうな。理由は「頼朝は征夷大将軍の職に独裁者としての重みを与えた。武家政権はその後7世紀にわたって日本を支配、武士精神は長く影響力を保った」から、ですって。
まあ、概ね理由としては的外れではないようですが、信長でも秀吉でも家康でもなく頼朝というのがなんとも…むこうの知名度は上なのかしら?
他に東アジアからは明王朝の祖、朱元しょう(漢字見つからず、すみません)が選定。適切なのかどうか、皆さまはどうお考えですか?

http://homepage1.nifty.com/arukei/index.htm


#603 
徹夜城(冬期講習帰りの管理人) 99/12/26 23:29
ちょいと個人的書き込み。

相変わらず続いている「唐辛子論争」ですが(笑)。
>がおがおさん。
その「先生」ってもしや自称「江戸っ子朝鮮人」のあのお方では…(^^;)だとするとけっこう信憑性あるかも。キムチの歴史でも調べた方がちゃんと出ているのかな。そのうち紹介された本とかも調べてみたいと思います。
…論文一本書けますねぇ(笑)。「唐辛子の伝来と壬辰戦争に関する一考察−キムチの辛味をめぐって−」とか(爆)。案外ありそうな気もするな。



#602 
がおがお 99/12/26 10:22
唐辛子について

うろ覚えというか、人から聞いた話で悪いのですが、
唐辛子は日本から韓国という経由で伝わったと聞いたことがあります。
十六世紀段階だと、白いキムチだったとか。
ぜんぜん、確証がない話なのですが、どうなんでしょう?
ちなみに、この話をしてくれたのは、僕の先生ですが、飲み会の席で、当然、出典も知りません。



#601 
タロイモ 99/12/26 00:21
朝鮮の南蛮人

以前、中西さんの書き込み(No.534)に朝鮮正規軍に編入されたオランダ人の話や、
来援した明軍の中に、ポルトガル人かもしれない人物がいたかもしれない、という話が
ありましたが、だとすると
トウガラシを持ち込んだのは案外彼らかもしれない、とも思います・・・何の証拠も無いですが・・・
彼らを介して、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉の倭乱)のどさくさの中で、朝鮮、日本の両国に
伝わったという可能性も無きにしもあらず・・・



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