舞台劇「倭寇伝」について
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◎舞台「倭寇伝」鑑賞記(その1)

 「歴史再検団」による劇「倭寇伝」は第16回池袋演劇祭参加作品として2004年9月10日から12日にかけて、東京都豊島区の「南大塚ホール」にて都合5回上演されました。僕が伝言板でお誘いした3名の方と招待チケット持参で鑑賞しに行ったのが12日の昼の部で、上演はちょうど4回目となるところでした。僕なりには「ちょうど見ごろかな?」などと勝手に思っていた辺りです(笑)。
 少し早めに集まって南大塚ホールの場所を確認するべく大塚駅前を歩いていると、横断歩道でなんと隣に脚本・演出の方が(笑)。再検団の方々もこれから会場入りなのでした。芝居をするご当人たちに道案内していただいて場所を確認後、僕らは近くの「ベッカーズ」でダベって時間をつぶしてから会場入りしました。

 13:00になり幕が上がる前に、会場のお客さんに携帯電話の電源切と、劇中で客席の通路まで殺陣で使用する旨の注意がありました。実際に劇中の殺陣で客席乱入する場面があり、僕などは世代的に「全員集合」を思い出して楽しんだりしていたのですが(笑)、残念ながらもう一つの注意事項、携帯電話はしっかり上演中最初の方で高らかに鳴ってしまっておりました。映画館でもあることですが、なぜかしつこく注意しても聞いてない人というのはいるもので。

 さて、幕が上がりますと、舞台装置はこんな感じ。

倭寇伝舞台

 初めて脚本・演出担当の方にお会いして話をした時にも「舞台では船とか海戦とかどう表現するんです?」と僕は尋ねていたぐらいで、映像ではなく舞台劇としてどう「倭寇世界」を表現するのか、大いに関心があったのです。稽古も見に行ったのですが当然舞台装置なんかはないところで、どうやら段差があるらしい、ということしかわかりませんでした。こうして本番の上演を見てようやくその実態が分かったわけですが、思いのほかシンプルな舞台装置でした。しかしこれがなかなか考えられたものでして、この舞台装置を全く変えることなく劇全編で使いまわしてしまうのです。マストが一本立ってることからわかるように、基本的に船の甲板をイメージした舞台なので、官軍側でも倭寇側でもそのまま使えるわけですな。また、この「段差」がクライマックスで実にうまく使われるんですが、それは後段で…。


 劇のオープニングは満月を仰ぎながら歌い女の少華と少年・冬馬が語らう場面から始まります。これがラストに見事につながってくる構成であるわけなんですが、少華というのは一応資料に出てくる女性で(「海上史人名録」参照)、冬馬クンのほうは全く舞台用のフィクションキャラ。というか配役名見ると分かりますが、子役のご本人のお名前そのまんまです(笑)。ちょうどそれっぽいところがなんとも…稽古でも拝見したんですが、アクション場面でも大活躍しています。
 少華と冬馬が語らっているところへ倭寇王・王直が登場。おお、貫禄たっぷりだぞ。僕の知る限りではたぶん王直を俳優が演じたというのはこれが初めてなんじゃないかなぁ。王直の親分だった許棟とか商売仲間だった「博多津倭助才門」は映画「忠烈図」で出てきてたんですが(これも「海上史人名録」参照)、動いてしゃべる王直を初めて見て、それだけで僕は大感激(笑)。
 王直に続き、その盟友徐銓も登場。宿敵である海賊・陳思盻をその誕生日の酒宴の場に奇襲して王直の海上制覇が決まる、その戦闘シーンが展開されます。この冒頭の生の殺陣アクションによって一気に劇に観客を引き込むわけですね。先述の少華や冬馬も殺陣に参加して彩りを添えています。王直vs陳思盻の決戦を冒頭に持ってくる、というのは僕も「徐海」という漫画か映画を想定した企画で構想しておりまして、確か脚本の方と最初にお会いした際にもそれを話していたはずなのでこのオープニングは僕自身も結構思い入れをもって見ていたのです。
 王直VS陳思盻の大合戦が終わると「時は16世紀、日本は戦国時代、明帝国は下り坂にさしかかり、半島では李氏朝鮮が平和を謳歌していた。大航海時代の波に乗ってポルトガル、スペイン人もアジアの海に到達、世界は非常に小さくなっていった…そんな時、貿易商人と海賊の性格を併せ持つ多国籍の特殊集団が出現した。それが倭寇…」というナレーションが入ります。お気づきの方もいるでしょうが、これ当「俺たちゃ海賊!」の「ご案内」の文章がほとんどそのまま使われてます。メールでのやりとりで「冒頭部分に『倭寇』が多国籍・グローバルな集団であることをドーンと打ち出してください」という提案をした覚えがあるので、それを採用していただけたということのようです。

 さて王直の勝利で倭寇パートはひとまず終わり、続いて官軍パートが始まります。これを交互に繰り返してドラマが展開していくわけです。
 官軍パートの主人公は当時を代表する名将である兪大猷。「倭寇伝」というタイトルながら劇全体でも兪大猷が主人公と言って良いでしょう。先述の映画「忠烈図」でも兪大猷が主人公となっていましたが、この劇の兪大猷も似たような位置づけになっていまして、倭寇に対しフヌケな官軍の中で主戦派の軍人として活躍する姿が描かれていきます。兪大猷役の役者さんもひときわ凛々しく、声のよく通る方が演じていました。稽古で初めて見たときも「さすがに主役だなぁ」と思ったもんです。
 任地に到着した兪大猷はすっかり戦意を失っている官軍兵士たち、そして倭寇とは適当に折り合いをつけて事なかれで済まそうとしている総督・張経らを見て憤ります。そして湯克寛、劉顕といった同僚の武将達と力を合わせ、少林寺の僧兵やチワン族の女武将を味方につけて倭寇との戦いに臨む…といった展開になります。

 官軍側キャラクターの性格付けがなかなか面白いところで、特に目を引くのは実在した二刀流の猛将である劉顕を「幼時に事故で言葉を失った」という設定にし、その姉・蝶燕が劉顕が発するうめき声の「通訳」を務めている点です。もちろんこれは明白なフィクションなんですが、この蝶燕・劉顕の姉弟がこの劇の中で唯一のコメディリリーフの役割を担っていて(実際ほとんどコントになるシーンもある)、官軍パートをテンポ良く運ぶ効果を生み出しています。また全体的に女優さんの出番が少ない話なので架空キャラである蝶燕のコミカルな存在は貴重です。「歴史アドバイザー」としましては完全に史実にはもとる設定ながら「面白いからこれでOK」としちゃったのであります(笑)。まぁ歴史劇はそのくらいの余裕はないとダメでしょう。
 熱血漢の兪大猷のよき理解者であり冷まし役でもあるのが湯克寛ですが、当初の脚本ではこの役名は「任環」となっておりました。当サイトの「海上史人名録」の官軍サイドに僕があんまり武将の名前を入れてなかったため、たまたま名前が登録されていた任環が使われたわけなんですが(汗)、任環は本来文官で、武官である兪大猷とタメで話したりはしない立場なんですよね。それで僕が「兪大猷の同僚で湯克寛ってのがいるんですけど、こっちにしては?」と提案した経緯がありました。
 彼らの「困った上司」である総督・張経はいかにも官僚らしい優柔不断さが表現されていて兪大猷らとの対比を際立たせる効果がありましたが、史実を言えばむしろ張経は対倭寇戦積極派ではなばなしい戦功を挙げてもいます。むしろ兪大猷の方が王直に他の海賊を討伐させようとしていた事実もありまして(兪大猷が王直懐疑派だったのも事実ですけど)、実情は結構複雑です。短い時間内で物語を語らねばならない芝居としてはこういう単純化は必要でもあるのでしょう。

 兪大猷が少林寺の僧兵やチワン族の女武将を味方につけるくだりはもちろん元ネタあり。「俺たちゃ海賊!」コーナーにはまだ書いてなかったんですが、打ち合わせの際に僕が紹介しておいたのを脚本に組み込んでいただいたわけです。実際には特に兪大猷が関わったというわけではないのですが、当時の官軍があまりにも役に立たないためにこうした様々な人々が戦力として動員された史実はあります。
 少林寺の僧兵・天要を演じてらっしゃるのが「歴史再検団」の主催者であり劇のアクション演出を担当されている方。稽古見学の際にちょこっとお話しする機会があったのですが、実際に中国に行って武者修行をされてきたという本格派です。そのときは配役についてはうかがってなかったんですが、二度目の稽古見学でズバリ少林寺の僧兵役であることを知り、「ハマリ役だ!」と思ったものです。でもこの芝居では兪大猷の方が強いんだよなぁ(笑)。
 チワン族の女武将も実際に対倭寇戦に動員されているんですが、このお芝居のようにまるで女忍者みたいな活躍はさすがにしておりません。このチワン族の女「リャオ」のキャラクターは、やはり映画「忠烈図」において兪大猷の部下として活躍するミャオ族(苗族。雲南省の少数民族)の忍者みたいな女武将にヒントを得たものと思われます。というか、これも僕が「こんなのがあります」と紹介したんですが(笑)。資料では「狼兵」として出てくるもので「瓦氏」という族長の妻が指揮官をつとめており、「忠烈図」の作者はこれをミャオ族と勘違いしたんですが、実際には広西のチワン族部隊だったのです。なお、このリャオを演じた方は王緑妹役でも出演してました(見ている間は気がつかなかった…)

 官軍パートがちゃくちゃくと味方を増やしていく一方で、倭寇パートは分裂方向へ進みます。王直の盟友・徐銓が甥の徐海を連れてきたことから亀裂が生じていくのです。この徐海という破滅的不良キャラは僕も以前から大好きなんですが(お知り合いになりたいとは思いませんが)、これまで倭寇を題材にした小説などでは王直の部下の一人ぐらいにしか扱われておらず、「人間・徐海」をクローズアップした作品はこれまたこの芝居が初めてという事になると思います。これも僕が徐海への思いいれを作者の高沼さんに熱弁した成果だろうと思っております(笑)。
王直・徐銓・徐海 

不良青年・徐海は衣装・メイクもそれっぽくなんといいますかパンク調です(笑)。実際には彼は寺で僧侶をしていた過去があり、日本で「明の高僧」と勘違いされたり、仲間たちから「明山和尚」と呼ばれていたことなどから一貫して僧体をしていたと思われますが(「水滸伝」の花和尚魯智深みたいだったかも)、この芝居ではキャラの分かりやすさを狙ったのでしょう。セリフも全体的に荒っぽく不良性を表現してましたが、いささか聞き取りにくかったところも。
 徐海の相棒役として「倭人」の新五郎という若者が登場します。これももちろん実在人物で大隈出身で徐海の副将として名が残るのですが、この芝居では暴れ者の徐海に対しその抑え役にまわる温厚なキャラに設定されてました。「倭寇伝」と言いつつこの劇中唯一の日本人キャラですが、実際当時の記録でも倭寇中の日本人率はせいぜい1割程度であったと伝えています。
 また蕭顕というコワモテの部下が登場し、徐銓が「あいつは信用できん」と言ったりするくだりがありましたが、これは劇の消化・説明不足部分。蕭顕について詳しくは「海上史人名録」を読んでいただきたいんですが、王直すら恐れたと伝わる嘉靖大倭寇の首領中の大物です。出てきたこと自体は僕も嬉しいのですが、この劇の中では不要だったのでは、と感じたところ。

 海上を制覇し、他の海賊を倒して官軍に恩を売りつつ密貿易で利益を上げる王直に対し、ツッパリ不良青年の徐海は勝手に海賊活動を行って王直にとがめられます。これを恨んだ徐海は王直殺害を画策し、叔父の徐銓にそれを止められる。このくだりはほぼ史料のまんまの描写になってました(それだけに僕自身はちょっと観客に分かりにくいかも…と思って見てました)
 徐海の件をきっかけに徐銓は王直から離れて別行動をとるようになります。この二人の別れのシーンはこの芝居のオリジナルの見せ場の一つ。徐銓は若い甥にかつての王直の姿を見たと言い、離別を申し出られた王直は怒り悲しみ、徐銓と斬り合い・取っ組み合いまでするんですが、結局は別行動を認めます。「もし困ったことがあったら、いつでも俺のもとへ戻って来い」とカッコ良く決める王直のセリフが泣かせます。このシーンのやりとりは僕はまったく介入しておりませんが、脚本チェック段階でも「いいシーンだなぁ…」と思いましたし、実際の舞台を目の前で見て一人で大感動モードに。もちろん他の観客の皆さんも感動できる場面だと思うのですが、僕はこの王直と徐銓の二人との付き合いがとにかく長くて…以前途中まで書いた未完小説でも王直と徐銓が同じ徽州の村から追われるように旅立つ場面から書き始めましたし、その後の二人の運命は語りつくせぬドラマに満ちているのを知ってるもので、この別離シーンへの思い入れはあの場の誰よりもあったのです。
 そしてこれが王直と徐銓の今生の別れとなったわけですが…さすがにこの芝居では王直と徐銓のそれまでの経緯が全く語られてないのでその重みというのは一般観客にはもう一つ分からなかっただろうと思います。またその後の徐銓の戦死が報告一つで済まされてしまうため徐銓の存在の大きさがピンと来なかった観客も多いだろうな…とも思うんですが、この劇の時間内では仕方がないなと。

 倭寇側に分裂が起こり、逆に官軍側は新たな味方を得て、これは好機と兪大猷は王直の本拠地・烈港(これも劇中に名前は出てくるんだけど、大半の人には位置が分からなかったかもなぁ…)を攻撃。中盤クライマックスとなる大殺陣が展開されます。兪大猷と王直が直接斬り合うというシーンも出てくるわけですが、まぁこれは舞台劇の表現ということでよかろうと(笑)。王直を追い詰めたかに見えた兪大猷でしたが、そのとき突然の嵐が起こって王直を取り逃がしてしまいます。これも元ネタありでして、劇中にもありましたがこの突然の嵐については「大砲の音で竜が目を覚ました」と表現している史料が存在します。

 では次では劇の後半について見て行きましょう。

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