倭人襲来絵詞・第二日
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☆姑蘇城外簡単に

 しばらく考えた挙げ句もうシャワーを諦めかけた頃、蛇口の下になにやら可動しそうな個所があるのを発見。「これか!?」とグイッとひねってみる。しかし反応無し。「うーん…?」と首を傾げて覗き込もうとした瞬間である。滝のようなシャワーのお湯がモロに頭上から降り注いできた。ワンテンポずらして発射されてきたため、完全に不意打ちを食らった形になり頭からズブ濡れ。まぁ頭が洗えたから良しとしよう。
 実はどのホテルでも同様だったことを白状しておく(^^;)。だってホテルごとに仕掛けが違うんだもん。説明の一言も書いておけよな。

 家族に到着の電話でも入れようかと思ったが、すでに日本時間は12時過ぎ。さすがに止めておく。それに明日も早い。6:00にモーニングコールとか言ってたな。朝っぱらから強行軍が予想される。とっとと寝ることにしよう。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ……

雅都大酒店 翌朝、完全に熟睡しているところを電話のベルで起こされる。受話器を取ると「ニイハオ…」から始まる北京語コール。続いて日本語が続く。日頃は8:00ぐらいに起きる僕にこの日程は少々辛い。ねぼけまなこを擦りながら窓を開けると、この早朝から目の前の道路には中国名物・自転車部隊が走っていた。初めて明るい日のもとでみる中国の景色である。僕の部屋は10階。下界を見下ろす形となった。あたりは工業団地のような無機質な建物が広がっている。
 30分後に朝食。皆さん起動開始が早かったようで僕は予定通りの時間に来たにもかかわらずビリから3番目であった。席について、目の前に並んだ皿から適当に次々と料理を取って食っていく。当たり前だが全部中華料理(笑)。我が家の近所の中華料理店のメニューに酷似した料理がいくつかある(これも当たり前か)。これから全食事この調子とのことで、それほど強くもない自分の胃袋の健康がちょっと心配になってくる。よくある中華の回転テーブルで、みんなでグルグルと回しながら好きな料理を取っていくわけだが、どうしても一人浮いた若輩者としては積極的に回しづらい(笑)。他の皆さんがグルグル回す時にたまたま自分の前に来た料理に手を出す形となる。パンが妙にうまい。

 さて出立の時間となり一行はホテルの前に集合した。ところがとっくに来ているはずのバスがまだ来ていない。ブラブラと待ちながらホテルを見上げる。写真を見ればお分かりのようになかなかカッコ良いデザイン。どこか映画「ダイ・ハード」の舞台となった「ナカトミビル」を連想させる(笑)。それにしてもバスが一向に来ない。成田を出る際のコンダクターの事前説明で「中国は大陸的で時間感覚がゆっくりなところもありますので」とか言っていたのを思い出し、まぁそれが始まったのかな、などと考える。ガイドの梁さんが携帯電話でバタバタと連絡をとっていところ、ついに事情が判明。バスが来る途中で渋滞(しかもバイクと車の衝突事故)に巻き込まれ身動きがとれないとのこと。
 今日はとにかくハードなスケジュールなので、梁さんがただちに他のツアーのバスで空いていたやつを急遽調達。それに乗り込んで我々は寒山寺に向かうことにし、本来乗るバスには寒山寺で合流することになった。 間借りしたバスで蘇州の朝の街を走る。自転車修理屋なんだろうか、あっちこっちの道端に自転車のタイヤや修理道具を抱えた人達が立っている。

 ホテルからほんの10分かそこらで寒山寺に到着。朝っぱらからいくつかのツアー客のバスが寺の周りに停まっている。バスから降りて辺りを見回すと土産物屋が軒を連ねていて、なんだか日本の京都のお寺周辺とよく似ている。寺の方を見ると奈良の薬師寺の西塔みたいな妙に目新しい塔が見える。ガイドさんによるとほんの数年前に建てたものだそうだ。
   そこから一行は二列縦隊となり拡声器と旗を手にしたガイドさんを先頭に寒山寺の入り口へ。その途中、怪しげな日本語を操る姿も怪しげなオジサン、オバサンがお土産を抱えて追いかけてくる。事前にガイドさんから「印刷しただけの掛け軸とかインチキ土産を千円ぐらいで売りつけてきますから、無視するか「不要」と言って通り抜けてください。品物に目を向けないように」ときついお達しがあったので、みんな「不要!」と言って振り切る。
 寺の入り口に来ると川があり、何やら目立つ橋がある。日本で言うなら「太鼓橋」のような大きく反った橋で、これが「楓橋」。ガイドさんが「張継先生はここで船を浮かべて寺の鐘を聞いたわけですね」などと説明している。他のツアーもこの狭い門前に集結してそっちのガイドの説明も入り交じり、いささか混乱状態。どうにか整理して「寒山寺」と書かれた門前で全員の記念撮影。それからいよいよ寺の境内へ突入だ。

寒山寺 さて、ここでまた白状しておくが。実は僕は寺の目の前に来るまで「寒山寺」なるものがなにものか、全く知識が欠如していた。ツアーにいる年配の方々はみんな承知している様子だったが、僕は「なんでこんなとこ行くんだろ」ぐらいの気分だったのである。寺の目の前で説明聞いてるうちに「ああ、『姑蘇城外寒山寺』ね。そういやそんな詩があったっけな」とようやく思い至ったほどだ。まぁもともと文学には素養があるわけでもないので別段感激もしなかったが。
 それに、この寒山寺だが大騒ぎするほど凄い建物とは言い難い。境内も狭くてこじんまりしたものだし、その狭い境内に本堂や鐘楼・塔などがひしめきあっているという感じ。建物だって清末の再建という。こう言ってはなんだが、張継先生の詩のおかげで不当に高く評価されてるんと違うか、などと思ってしまう。実際ガイドさんも「”来てみれば大したこと無し寒山寺”と言われてます」と説明していた(笑)。この見事な言葉でも分かるように日本人の来訪が圧倒的に多いそうな。だいたい張継の「月落烏啼霜満天…」の詩も古来日本で異様に人気がある一方で中国ではさほどでもないという話も聞く。後日のことになるが杭州の霊隠寺で僕らは本当の中国の「人気寺」の実態を知ることになる。

 ツアー一行は本堂を回り、さらに全員で狭い鐘楼に入って全員一回づつ鐘を鳴らす。除夜の鐘のような騒ぎだが、なんでも打つごとに若返るとか何とか言うのでみんなで鳴らしてしまう。その後は例の「月落烏啼…」の碑文の見学。ツアー参加の老人達はさすが、ソラで全文言えるようだ。梁さんは中国語で読み上げて見せた。本来そう読むもんなんだけどね。その後はその詩が書かれた掛け軸売場へ。寺の外のお土産は買うなと言うくせに、ここでは大いに買えというわけで、お爺さん達の何人かが掛け軸を買っていく。こちとら、外で売ってるインチキ印刷と何がどう違うのかサッパリ分からないのだが(笑)。
 買い物も一段落すると大急ぎで寺を出てバスの方へ。やはり先刻の押し売り業者が襲来してくる。「千円デイイヨ、ヒトツ、千円!」千円というところがミソなのだろう。日本人としては千円ぐらいなら冗談で使う気になるもんね。以後、どこへ行っても「センエン!」のかけ声をくらうことになる(笑)。

 ここでようやく本来乗るはずだったバスに乗り込み、次は「虎丘」に向かう。実はこれについても無知で(^^;)、調べたところ呉王闔閭(こうりょ)の墓だってぇから驚いた。闔閭っちゅうたら、あの呉王夫差(ふさ)の父ちゃんでしょ?そんなもんの墓がちゃんとあるわけか!うーむ、今さらながら改めて「歴史の国・中国」を感じちゃったりするのであった。そうか、考えてみればここは春秋の呉の都でもあるのだ。二千数百年。つくづく想像を絶して歴史の古い町である。
 虎丘は標高30メートルぐらいの小高い丘に過ぎない。今度はさすがに多くの中国人観光客が溢れていて、かなりの賑わい。考えてみれば日曜日なんだよね。おかげで入り口は大混雑だ。入場料が要るのだが、我々ツアー一行は事前に料金を払っている形なのでガイドの後ろに行列を作ってゾロゾロと改札を抜けていく。僕もそれに従って何気なく通ろうとしたのだが…いきなり係員に手で阻まれ「ニイ…!」と何やらきつい目線でニラまれる。僕が「はぁ?」と間の抜けた疑問符を上げると、そのまま通してくれた。要するに僕がツアー一行にドサクサで紛れ込みタダで入ろうとした中国人に見えたらしいのだね(笑)。まわりはみんな年配ばかりで一人怪しげな若造(それもおよそ着飾ってない)が混じっていたから不自然に思ったんだろうな。以後、用心してツアーのバッジをつけて歩くことにした。周囲の中国人を見ると僕が間違えられるのも無理はない。だって服装にしても髪型にしてももはや日本人と区別がつかない。年配の人達はその事に感慨深げだったようだ。

虎丘斜塔 しばらく坂を上がっていくと(この途中に「試剣石」というインチキくさい石がある。呉王ゆかりのものだというが)平たい石の舞台が広がり、でっかい塔がその上に見えてくる。これが虎丘斜塔。この写真だとわかりにくいとは思うが、そばで見ると結構傾いているのが分かる。これがいつ建てられたかはよく分からなかったが、事情はピサの斜塔と同じで、建てた後の地盤沈下により傾いてしまったものだそうだ。一応現在は保護処理を施してこれ以上傾いて倒れてしまうのを防いでいるそうである。調査によると塔の下には確かに空間があって呉王闔閭の墓があるのはまず間違いないそうだ。何だかここまで古い話だと現実感がないですね。「三国志」なんてもはや近代史である。ましてや明代の倭寇なんてついこのあいだの話だよなぁ。
 ちなみに塔の手前にある平たい石舞台は「千人石」といって、陵墓建設に携わった職人千人を、墓の秘密保持のためにここで一斉に首をはねちゃったんだそうである。あな恐ろしや。そういえば何となく赤っぽい(おいおい)。

 ところでこの虎丘、人が集まる観光地というのは日本と同じ感覚なのか、関係ないものも随分ある。なぜか逆回りに回転していく大きな花時計が置かれていたが、これはマカオ返還までの時間をカウントするものだそうな(今年の干支・ウサギのマスコットが目印)。また出口付近にはどういうわけかでかい寝釈迦が転がっていて、中に入って何やら見せ物が見られるようである。覗いてみたかったが、そこは団体行動、大急ぎでバスに戻らされる。

 さてとにかく強行軍であるが、次に行くのはどういうわけか「綢緞研究所」。要するに蘇州のシルクの研究所である。なんだか事前に渡されていた「旅のしおり」の予定表には入っていなかったような気がするのだが…なんでもここで蘇州シルクを使った服のファッションショーがあるとのこと。何でまたここまで来てファッションショーなど見なければならないのか知らんが、ツアーなので逃げることも出来ない。ファッションショーと言っても無論プロのモデルがいるわけではなく、シルク工場で働く女性工員の中から選りすぐった人がモデルをやってるとのこと。
 さてこの研究所とやらに着くと、さっそくショーのステージへ案内される。部屋の後ろの壁を見ると「本日のモデル」らしい写真入りのリストが貼られている。なんと星の数による評価までつけられている(!)。オイオイ、と思いながらよく見ると全員四つ星満点(爆笑)。しかしまぁ工員使ってよくそこまでやるよなぁ。

 そうこうしているうちにショーが始まる。なるほど、なかなか美人のお姉さん達が次々と綺麗な衣装で登場(ちなみに。道中、気のせいかも知れないが中国の若い女性の「美人率」は異様に高いような気がした)。時折唐突にブチ切れる華麗なBGM(笑)に乗って、華やかにショーは進んでいく。ツアー参加のオジサン(お爺さんが多いが)も大喜びでパシャパシャとシャッターを切っている。こちとら、暗闇の中でいささか眠い。朝が早かったしなぁ。何かショーの半分ぐらい寝ていたような気がする(^^;)。

 さてショーも無事終わり、やれやれ出発かと思ったら、ここで30分の「買い物タイム」!今度の旅でよく分かったが「なんとか研究所」というのは研究・生産の傍ら観光客相手にお土産を売りつける場なのである。買いたい人は勝手に買ってくれ、こっちゃ予算が厳しいんだから。というわけで30分間ヒマを持て余し研究所の外をブラつく。
 思えば初めて一人で勝手に出歩いたわけで、妙な解放感。中国の街をほんのちょっとではあるが一人で散策してみる。生来の「放浪癖」が顔をもたげてきたようだ。キョロキョロと辺りを見渡すうち、何やらデカい建造物が目に入ってきた。
 「なんだ、ありゃぁ…???」

 さて朝っぱらから強行軍、寝ぼけまなこをこすってみれば、デカい甍に目も覚める、というところ。果たして徹夜城は何を見たのか。それは次回で。

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