ニュースな
2002年8月12日

<<<前回の記事
次回の記事>>>


 ◆今週の記事

◆空飛ぶ法王中米へ

 大変失礼なことながら、当「史点」では何度か現ローマ法王・ヨハネ=パウロ2世 (82歳)の健康問題、ぶっちゃけて書いてしまえばいつご逝去になるのか、そして次期法王は誰になるのかという話題をとりあげたことがある。しかしそんな話題が飛び交ううちにもローマ法王はカリブ海、中東、東欧など各地を精力的に飛び回り、どう考えても歴史上もっともローマをお留守にした法王と思える大活躍を繰り広げている。そしてとうとう先日には、相変わらずささやかれる健康問題をものともせずに、カナダやメキシコなどアメリカ大陸諸国歴訪の旅を実現している。そのあまりの大活躍ぶりに一部では「空飛ぶ聖座」との異名もたてまつられているそうな。

 7月31日、最後の訪問国メキシコを訪れたローマ法王は、16世紀に生きたと言われ、聖母マリアを目撃したとの話がある先住民インディオ、ファン=ディエゴ を「聖人」に列する儀式を行った。つい先日20世紀のイタリアで「奇跡」を連打した神父を聖人に列した話題があったが、ホント、カトリックってこの手の奇跡話が大好きなのであるが、アメリカ大陸にカトリックが上陸してから500年、アメリカ先住民のカトリック教徒が聖人に列せられるのはこれが初めてのことだった。
 さらに8月1日には殉教した先住民インディオの2人を聖人の下の「福者」に列する儀式を行い、法王の今回の歴訪は「ようやくカトリック教会がインディオを平等に扱ってくれた」などと評価されたのであった。法王は「メキシコは先住民を、先住民はメキシコを必要としている」と演説し、メキシコ南部のジャングルなどで起こっている純粋先住民とメキシコ政府の紛争に和解を呼びかけてもいる。

 和解を呼びかけるのは結構だが、当然法王の言動に対しては批判の声もある。まず今回聖人に列せられたファン=ディエゴについてはインディオの団体や歴史学者の間から実在そのものを疑問視する声があがっていた。彼らに言わせればこのファン=ディエゴなる人物は先住民をカトリックに改宗させるためにカトリック教会によって創作された人物で、これを利用した布教活動によりスペインのメキシコ征服が容易になったのであり、カトリック教会が先住民征服のお先棒をかついだことを今になって美化するのか、と非難しているわけだ。殉教者として「福者」に列せられた二人についてもインディオ団体側は「彼らはインディオにとっては裏切り者だった」 と主張しており、確かに「初のインディオの列聖」とは聞こえはいいが、新たな形の宗教侵略という見方も出来るのだ。そしてそれはかつての白人勢力によるアメリカ大陸征服と過酷な植民地支配を正当化することにもつながってしまう。現在メキシコ南部のジャングルで抵抗を続けている先住民(マヤ文明を担った人々の子孫ともいう)たちの戦いもそうした歴史の延長線上にあると言えるわけで、彼らにしてみれば法王の和解の呼びかけなど「大きなお世話」という気もするだろう。

 ともあれこの空飛ぶ法王、8月2日にバチカンに戻ると、早くも16日から自らの母国ポーランドを訪問することになっているという。いやはや、元気なことで。



◆お札の顔の座談会

漱石「なにっ、ようやく慣れ親しんでいただけたと思ったら、もうお役ご免か!」
稲造「あんたはまだなじみがあったからいいよ。わたしなんかとうとうどういう人だか知られないままお役ご免になっちゃうわけだし」
諭吉「私は留任なのか。やはり私が創設した大学のOBが首相と財務相にいたからなぁ」
稲造「一部で早稲田の重信公って噂もあったけどね。慶応閥に阻止されたか」
漱石「東大関係者が追放されたという見方も出来るな」
一葉「はーい、稲造さんの後継者に決まった一葉でーす!明治時代の神功皇后以来の本格的な女性の採用でーす!」
式部「ちょっとあんた、わたしを忘れてない?女性作家としてのキャリアも知名度もあたしの方が圧倒的に上なのよ!」
一葉「でもお姉さん、チラッとしか顔見せてないじゃないの。それに私はお札に採用された人物の最年少記録も更新しているのよ!うら若き24歳!」
英世「要するに早死にしたってことでしょ。今回採用された一葉さんと私って「貧乏と病死」っておよそ縁起がいいとは思えない共通項があるんだよな。長引く不景気に開き直ったか、財務省」
諭吉「博文さんみたいに暗殺された人も採用していたこともあるからなぁ。昔は武内宿禰・聖徳太子・和気清麻呂ら古代政治家とか板垣退助・岩倉具視ら明治の政治家なんかが採用されていたもんだ」
漱石「政治家だといろいろ議論も出るから当たり障りのない文化人を選ぶことにしたんだろうね」
諭吉「そう。まさに天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
英世「とか言っておいて、あんた一番高額の紙幣の顔になってんじゃん」
稲造「板垣さんや博文さんが選ばれたのはあの凄いヒゲのために偽札が作りにくかったからとか言われてますがね」
英世「でも今回も千円札が漱石さんから私と、口ヒゲつながりなのはその名残かもしれませんね」
稲造「そういや私にも口ヒゲが」
一葉「あたしにはヒゲはありませんよ!」
式部「まぁそう卑下しないで」
漱石「おあとがよろしいようで」



◆いまどき専制君主!

 トルクメニスタン共和国、という国がある。以前ソビエト連邦を構成していた中央アジアの一国で、当時は「トルクメン共和国」などと表記されていた。以前、この国名にある「トルクメン」が「トルコ」に通じるものであることを知ったとき、トルコ系民族の活動範囲のスケールの壮大さに驚かされたものだ。
 トルクメニスタンの名の由来となっているこの国の多数派民族「トルクメン人」(トゥルクメン人)のそのまた名の由来はイランに在住したトルコ系遊牧民が「トルコマン」と呼ばれたことにあるらしい。その後ご多分に漏れず様々な民族との混合が進んだらしくこの「トルコマン」がそのまんま「トルクメン」につながるかというと異論もあるらしいが、それでも広い意味での「トルコ系」と呼ぶことは出来るだろう。かつてオスマン=トルコ帝国末期にこうした中央アジアから小アジア(現在のトルコ共和国の地域。これが元祖「アジア」なのである)にかけて分布するトルコ系民族を統一する大国家を作ろうという「パン=トルコ主義運動」なるものも起こったりしている。「青年トルコ」の革命を起こし一時政権を握ったエンヴェル=パシャという軍人がいるが、彼は第一次大戦に敗れ失脚したのちこのパン=トルコ主義の実践に走り、ソ連領内でゲリラ戦を展開しているうちに戦死している。このエンヴェルの下にあって頭角をあらわしエンヴェルほど夢想に走らず近代的国民国家としてのトルコを建国するのがケマル=パシャ。のちに国会から「アタチュルク(トルコの父)」 の称号を奉られた彼は強烈な独裁者には違いなかったが、「正しい独裁者」などという異名も奉られるように上からの近代改革をそのカリスマ的指導力で押し進めた改革者でもある。また国民もこれを「国父」として今なお崇めているわけだが、以前僕が「しりとり人物館」でケマルをとりあげた際にタネ本にした大島直政著「ケマル・パシャ伝」(新潮選書)では「もともと遊牧民であるトルコ人はときおり強烈な指導者が登場して人々を引っ張り、また人々もそれについていこうとする気質があるのではないか」という主旨のことを書いていた。

 さてトルコつながりでえらい遠回りをしてしまったが、その本で指摘していた遊牧民の気質とやらを連想させる話が、このトルクメニスタンで進行しているのである。同国の国家元首、サパルムラド=ニヤゾフ大統領に対する物凄い個人崇拝が一段と強まってきているのだ。
 ニヤゾフ大統領は1940年の生まれ。父母を相次いで亡くして7歳で孤児となり施設で育てられたという少年時代を送っている。1962年にソ連共産党に入党、技師を経て次第にこの地方の共産党組織の中で頭角をあらわしていき、1985年にトルクメン共産党中央委員会第一書記、翌年からソ連共産党中央委員、1990年からソ連共産党政治局員とまぁとにかく順調に出世してきた。この1990年10月のトルクメニスタン大統領選挙で98.3%という驚異的な得票率で当選、ソ連邦と共産党支配崩壊にあたってもトルクメニスタン民主党党首となって生き延び、1992年の大統領選で前回を上回る99.5%の得票率で再選。1994年には国民投票により大統領の在任期間が2002年まで延長されることになったが、1999年に同国最高議会が彼を「終身大統領」とすることを決議してしまう。
 これに対しニヤゾフ大統領は2001年になって「70歳(2010年)になったら引退し、そのときに大統領選を行う」と表明して「終身大統領」の座を返上すると申し出たが、最高議会はつい先日の2002年8月8日に改めてニヤゾフ大統領を「終身大統領」とすることを満場一致で決議、ニヤゾフ氏がまたもやこれを拒否すると表明するなど、何やら伝統中国で新王朝が成立する際の手続きみたいなことをやっている。

 トルクメニスタンという国の情報って日本にはあまり入ってこないので僕も良くは知らなかったのだが、とにかくここ十年ばかり異常なまでのニヤゾフ大統領に対する個人崇拝が強まっているという。国中に彼の肖像画や銅像があふれ、町や道路、学校、農場(ソ連時代同様の国営・集団農場である)など各種施設に彼の名が冠せられ(現時点で彼の名を冠した施設は1000を超えるそうな)、学校では彼の著作を学習することが義務付けられているという。今年春からは彼の「黄金の治世」 を記念する世界最大級のモスクが首都に建設されているとかで、ホントに凄まじいばかりの個人崇拝ぶりのようだ。何やら北朝鮮あたりを連想するなぁと思っていたら、一部では「中央アジアの金正日」との異名もささやかれているそうで。ちなみに国内の新聞社も全て彼が設立・経営しているものだとか。

 最高議会が進める「終身大統領」の地位を固辞している形のニヤゾフ大統領だが、同時に最高議会に対し一年の「月」の名前を自分がらみのものに改めるよう提案し、承認を受けている。なんでも1月はニヤゾフ氏ご本人に奉られた尊称「トルクメンバシ(トルクメンの偉大な国父)」で呼ばれるようになり、4月は彼の母親の名が、9月は彼の著書のタイトルが、他の月も彼が好む詩人や軍人の名前で占められることになるそうな。やはり「国父」の名を奉られたケマルもビックリ、7月(July=ユリウス・カエサル)と8月(August=アウグストゥス)に名を残したローマ皇帝みたいなやり方である。

 ちなみに以前小耳に挟んだものの「史点」ネタにはしなかったのだが…
 このニヤゾフ大統領、つい先ごろイスラム法にのっとって「一夫多妻制」を法制化すると表明し旧ソ連諸国で物議をかもしたことがある。真面目な話、専制君主になって後宮でも作る気なんじゃあるまいな。聞くところではニヤゾフ氏には奥さん(もちろん一人)と息子・娘が一人ずついるはずなのだが…



◆どうしてボクは嫌われる?

 あのブッシュ政権が、いい加減自分達のやり方が世界で嫌われていることに気づいたらしい。だが、どうして嫌われているのかについて十分理解しているというわけではないようだ。
 
 7月30日、ブッシュ政権のフライシャー報道官はホワイトハウス内に「グローバルコミュニケーション局」なる新部局を設立することを明らかにした。フライシャー報道官はブッシュ大統領が「世界のために尽くしているのに悪評を受ける」とこぼしていることを紹介し、「国際社会に米国の意図を広報し、価値を共有するのが新局設置の目的だ」と説明したという。外交関係は国務省の守備範囲であり活動がダブってしまうことになるが、新部局は国務省と連携して共に働いていく方針とのことである。
 一部報道によると、アメリカの外交評議会が運営する研究チームが「西欧から極東まで世界中で、米国は傲慢、偽善的、わがままなどと見られている」 と報告したのだそうで、これにショック(?)を受けてこの新部局設立話が立ち上がったものらしい。そんなもん研究チームの報告を受けなくても気づきそうなもんだが、これまでの経緯をみているとやっぱり気づいてなかったんだろうな(笑)。この新部局設立だって、別にブッシュ政権の方針転換を示すわけではなく、単に悪者扱いされないよう宣伝戦略をしようという意図のものだし。それにちょっと前に国防総省内に偽情報を流すこともいとわぬ「情報戦略局」を作ろうとしてマスコミに猛反発を買い撤回したこともあって(こういう部局だけにホントに撤回したかどうかは分かりませんが)、かなり印象は良くない。

 この直後イスラエルでまたもやテロ事件が発生、エルサレムのヘブライ大学での爆弾テロによりアメリカ人5人を含む死傷者が出た。これにはヨルダンのアブドラ国王と中東和平についての会談を控えていたブッシュ大統領は本気で怒ったようで、会談直前の記者会見で「私は今、イスラエルと同じくらい怒っている。怒り狂っている」と発言した。このテロ自体は確かに憎むべきものだしその怒りは当然ではあるが、このときまたしでもこの大統領の口がちょっと滑ってしまった。ブッシュさん、「テロリスト達は“ある種の偽りの信仰”(some kind of false religion)に基づいて平和をぶち壊そうとしている」という表現したのだ。この「偽りの信仰」とはイスラム教の事を指すのか、と直後に質問が殺到したが(なにせこの人はこの手の“舌禍の前科”が多すぎる)、フライシャー報道官は「大統領はイスラム教が平和の宗教だと確信している。イスラエル人や米国人を殺す口実として宗教を使うものがいるという意味だ」 と火消しに務めた。ま、ブッシュさんがイスラム教そのものを「テロを招く偽りの信仰」と思っているわけではないと思うが、以前「対テロ十字軍」みたいな無神経な表現を使ったこともあったから深く考えていないのは確かだろう。この問題はそれほど大きくならなかったが、イスラム圏の反米意識にはなにがしかの影響を与えたかとは思える。

 8月6日と9日は広島と長崎にそれぞれ原爆が投下された日。両市の式典で市長により読み上げられた平和宣言は最近のアメリカの単独行動主義、およびその核戦略を名指しで批判していた。前年は長崎のそれが暗に批判しつつ名指しは避けたものであったが、この一年でよりいっそうブッシュ政権の核戦略が押し進められたことを受けて表現を強めたわけだ。これに対し珍しく(?)ブッシュ政権側が反応し「この政権がロシアと協調し、例えば軍縮面ではモスクワ条約(戦略攻撃戦力削減条約)を結んだことを思い起こしてもらいたい」と国務省の副報道官が反論コメントを出していたりする。つい先日国連での原爆展が「残酷すぎる」などという理由で中止に追い込まれたが、あれもアメリカ側の圧力だったという憶測もあるんだがな。
 この8月6日の「原爆忌」に合わせて、次期カンタベリー大主教(英国国教会の最高権威)を含むイギリス国教会の指導者2500名が連名でアメリカの対イラク戦に反対する意見書をブレア首相に送りつけた。彼らは「最強の国が戦争や脅しを外交の手段として容認し、国連やキリスト教の精神を踏みにじっている。戦争ではなく、不正な構造を改めることで平和を達成すべきだ」と提唱し、アメリカの軍事行動に一番付き合いのいいイギリス政府に、対イラク戦に協力しないよう要求している。

 「やるかやらぬかではなく、いつやるかだ」と言われているアメリカの対イラク戦争だが、アメリカと軍事同盟関係にあるNATO加盟国の間でも批判が強まっている。特にドイツとフランスはアメリカの独走に歯止めをかけることで合意しており、ドイツのシュレーダー首相も「対イラク戦にドイツ軍は出せん」と明言している(この問題が国内の総選挙の焦点になるとかいう話もある)。先ほど一番アメリカと付き合いがいいと書いたイギリスでも世論調査では52%が対イラク戦に反対していて(それでも34%がアメリカと共に戦うことに賛成だそうだが)ブレア政権を慎重にさせている。
 こうした動きはイラクの周辺国にも見られている。少なくとも現時点でアメリカに軍事基地を提供するなど積極的な協力をすると言っている国は無い。NATO加盟国であるトルコやイラクには侵略された過去もあるクウェートまでが対イラク戦に反対あるいは慎重な姿勢を示している。また湾岸戦争でアメリカ軍に基地を提供し、アメリカにとって中東アラブ諸国における最も関係の深い国とも言えるサウジアラビア王国までがアメリカの対イラク戦に協力する気がないと表明しているのである。

 そうした態度にいらだったのか、アメリカ国防総省系のシンクタンク「ランド研究所」研究員から「サウジは悪の核心であり中東における合衆国の最も危険な敵である」との報告がなされ、7月に開かれた同省の諮問機関「国防政策委員会」で討議にかけられていたことがワシントン・ポスト紙にすっぱ抜かれた。
 この報告ではかのオサマ=ビン=ラディン氏をはじめテロの計画者・立案者・財政支援者の多くがサウジ出身であることなどを根拠に「サウジは我々の敵を支援し、我らの同盟国を苦しめている」と指摘、これを「悪の核心」と位置づけていたという。国防政策委員会の出席者の中ではあのキッシンジャー 元国務長官がこの見解に否定的だったというが、最近どうも協力的でないサウジアラビアに対する不信感がアメリカ国内およびブッシュ政権内でふつふつと沸いてきているのは事実。また、サウジが巨大な石油輸出国であるという点もアメリカがこの国に対する視線をまた特殊なものにしていることも無視できない。
 ワシントン・ポストにすっぱ抜かれることがわかってパウエル国務長官、ラムズフェルド国防長官など閣僚が慌てて「これは一研究員の考えであってブッシュ政権の見解ではない」と弁明に走り回った。このポスト紙の記事によればブッシュ政権内ではとくにチェイニー副大統領(影の実質的大統領とまで噂される) を中心にサウジ不信論が高まっているそうで、必ずしもこの報告のような意見が一研究員の考えを述べたものとは言い切れないところもある。最近「穏健派」のパウエル国務長官に対する批判の声が強まったり、この「ランド研究所」を始めとする政府系シンクタンクにやたらアメリカ一国主義的、ともすれば「帝国主義的」な主張をするものが目立ってくるなど、ブッシュ政権周辺はかなり物騒なものになってきている。

 そのブッシュ政権の一国独走ぶりをまた改めて見せ付けられる事実が報じられた。
 最近EU諸国が力を入れ、アメリカがこれに猛反発している案件に「国際刑事裁判所」のことがある。国際的な戦争犯罪などを裁くために常設される初めての国際裁判所なのであるが、「そんなもんができたら、世界中に軍隊を派遣している我が国の兵士が一番裁判にかけられやすくなるじゃないか」という、実に自分勝手な理由によりアメリカはこの裁判所設立に猛反対し続けてきたのだ(それでいて反米テロリストなどは国内の特別軍事法廷で勝手に裁くのだ) 。国連分担金を払う条件に「国際司法裁判所設立のためには使わないこと」なんて条件をつけようとしたこともあるぐらい、アメリカはこれに憎悪とも思えるほどの態度を見せてきている。結局この裁判所はめでたく設立されることになったのだが、アメリカは今度はどうにかしてこれを「骨抜き」にしちまおうと画策して、EU諸国と対立しているのである。
 8月10日付ニューヨーク・タイムス紙が報じたところによると、ブッシュ政権はワシントンに駐在する世界各国の大使に対し「国際司法裁判所にアメリカ国民を渡さないという二国間協定を結びましょう。もし結べないなら貴国への軍事援助を停止しますよ」と通告したという(ただしNATO加盟国や韓国・日本・エジプト・オーストラリア・イスラエルなど軍事的関係がもともと強い国は除外)。つまり国際条約ではなくアメリカとの直接的な二国間の取り決めによりアメリカ国民が件の裁判所に引き渡されないようにして実質的にこの裁判所を骨抜きにしちゃおうという目論見である(ふと「治外法権」「領事裁判権」という歴史用語が頭に浮かぶ)。すでにイスラエルとルーマニアはこの二国間協定に応じているという。
 これにはこの裁判所の設立を「国連創設以来の歴史的達成」と自負してきたEU諸国が怒った。アメリカはあつかましくもというべきか、この裁判所が置かれるオランダにも「裁判所に連れてこられたアメリカ国民は、そのままアメリカに引き渡せ」と要求するなど、EU各国それぞれに圧力をかけてきているという。そんな中で将来的なEU加盟がほぼ決まっているルーマニアがアメリカの要求に応じてしまっていたことにEUは驚き、「もしかして他にも応じる国も出るのではないか」と疑心暗鬼を募らせているようだ(このあたりが個別交渉の狙いだろうな)
 EU未加盟国ながら「人権大国」を自負するノルウェーなどはアメリカの要求を拒絶することを表明している。また軍事援助停止という脅迫的なやり方にはアメリカ国内の人権団体からも批判の声が上がっているという。

 最後に、引用を。

広島が目指す「万人のための故郷(ふるさと)」には豊かな記憶の森があり、その森から流れ出る和解と人道の川には理性と良心そして共感の船が行き交い、やがて希望と未来の海に到達します。

その森と川に触れて貰(もら)うためにも、ブッシュ大統領に広島・長崎を訪れること、人類としての記憶を呼び覚まし、核兵器が人類に何をもたらすのかを自らの目で確認することを強く求めます。


アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を決定する権利を与えられている訳ではありません。「人類を絶滅させる権限をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市民が持っているからです。
(2002年8月6日、秋葉忠利広島市長の平和宣言より)




★またまた小ネタ特集

 最近すっかり板についてしまったような小ネタ特集。いちおうこれで最後のつもりなんだけど…

◆「あじあ号」が復活する!
 最近日本国内ではあっちゃこっちゃで観光の目玉として蒸気機関車がリバイバル運転され、かえってあまり珍しい光景ではなくなってしまった感もあるが、中国東北部「満州」の地にあの「あじあ号」が復活運転されると聞くと血が騒ぐところ。
 「あじあ号」とは「満州国」時代に南満州鉄道(日本が経営していた)が誇った、当時アジア最速といわれた豪華超特急。牽引する蒸気機関車は「パシナ型」と呼ばれる流線型デザインの斬新なものだった。しかし日本の敗戦、満州国の崩壊とともに「あじあ号」もまた消滅してしまう。ただこの「パシナ型」のSLはその後の中国でも使用されていたようで、1980年代に中国を訪問した日本の鉄道ファンらによって瀋陽の機関区に転がっていたところを「再発見」された(この発見の模様を記した本を以前読んだことがある)。1985年に日本人観光客を当て込んで「あじあ号」を復活させ瀋陽-大連間の試乗会も計画されたが、「かつての侵略の先兵を観光にするとは何事だ」との批判も上がり、お流れとなった経緯がある。
 そして2002年。瀋陽で「蒸気機関車博物館」の建設が始まったとのニュースが流れた。ここでは「パシナ」を含む満州国時代の蒸気機関車を整備・保存するだけでなく、なんと一周30km(!)もの専用路線を建設し観光客を乗せたSL列車を走らせるテーマパークにする計画とのこと。もちろん目玉は「あじあ号」の復活だ!日本だけでなく近ごろ観光ブームの中国国内の観光客も当て込んでいるという。
 政治的・歴史的な問題はとりあえず大丈夫らしいが、近ごろの中国は自主採算制なので資金問題に関係者は頭を痛めているとのこと。
一石二鳥
◆バーミヤン大仏復活の秘策?
   「9.11テロ」以前に世界の耳目をアフガニスタンに集めた騒ぎといえばこれだった。当時のタリバン政権がバーミヤンの石仏を破壊しちゃったわけだが、破壊直後からこの大仏の「再建」ばなしがあっちゃこっちゃから出てきていた。確か仏教国スリランカじゃなかったかと思うのだが、石仏の破片をひきとって別の場所に立て直すという案もあったな。タリバン政権崩壊後は元の位置に再建しようという意見もある一方で、平山郁夫さんみたいに人類の愚行の証拠としてこのまま後世に伝えようと言う人もいる。
 さて7月末にアフガニスタンのマハムド=ラヒーン情報文化相が日本を訪れ、朝日新聞のインタビューに応じていたが、その中で復元案と現状維持案が飛び交うバーミヤン大仏の件について触れ、「夜間に仏像の映像を浮かび上がらせ、音響効果もつける。昼間は、破壊されたままの現実の姿が分かるようにしておくのがいい」と語ったそうで。いわば折衷案みたいなもんだがニューヨークのWTCビルを夜間に光で再現したイベントからヒントを得たような気もする。
 そのアフガニスタンでは相変わらず軍閥間の激しい戦闘が起こったり、言う事を聞かない軍閥に対してカルザイ大統領が最後通牒をつきつけたり、はたまたアメリカ軍を中心とする多国籍軍兵士の100人ぐらいが行方不明になっているとか、まだまだ物騒な情報が飛び交っている。
 ま、そんなアフガンに「歴史に学べ」ということで左図(^^; )。

◆今ごろ「2000年問題」!?
 ひところ大騒ぎしていた「2000年問題」。まぁそれなりに回避努力をしたから大事にならずに済んだという部分もあるんだろうが、今でも図書館や書店などで見つけることが出来る「Y2K危機」をあおる本を読むと、著者達が何やらこのY2Kで破滅的危機がやって来ることを期待しているとしか思えない記述にめぐりあうことがあってなかなか面白い。ああいう本書いた人たちってその後どうしてるんだろうな。
 さて本題だが、イングランド北部のサンダーランドに住むジョセフ=ディッキンソンさん(103歳)が地元の病院から目の診察を受けるようにという案内をもらった。ところがこの案内に「両親と一緒に来ること」と書かれていたから103歳のジョゼフさんビックリ仰天(笑)。さて、何が起こったかもうお分かりでしょう。データを処理するコンピューターが二桁しか認識できなかったため「103歳」を「03歳」と認識し、3歳の幼児としてジョゼフさんを扱ってしまったのだ。ジョゼフさんは地元紙の取材に「もっと若くならなければ。若いといっても、赤ちゃんみたいに」と皮肉っていたと言う。

◆古代エジプトのビールを再現
 人間の文明のあるところ、酒がないところはほとんどない。材料はいろいろだがどこでも必ず発酵させアルコール分を含む飲料を造っているから不思議だ。イスラム教などは禁酒を厳格に決めているとか言われるが、案外これがいい加減であることは「千夜一夜物語」など読んでいても分かる。ちゃんとコーランの原典にあたったことはないんだけど、どうやら「飲酒」がダメなのではなく「酩酊」がいけないのだという表現になっているそうで、この解釈に従って酔っ払わない程度には飲んでいいとしているイスラム教徒も結構いるそうだ。もっともたいていの酔っ払いというものは「俺は酔ってねぇ」と主張するものでもあるのだが(笑)。
 こうしたアルコールに割と寛大な国としてエジプトが挙げられる。そのエジプトでは古代文明の時代にすでにビールが作られていたのだが、その古代エジプトのビール再現に日本のキリンビールが挑んでいた。もちろん日本で古代エジプトといえばこの人、という吉村作治教授も協力している。
 今回再現されたのは約4400年前の「古王国」時代のビール。従来の通説では、焼いた大麦のパンを砕いて水を加え、空気中の酵母で自然発酵させて製造され、そのアルコール度数は低く約3%ぐらいだったと考えられていた。これに対し吉村教授やキリンビールのスタッフは、生焼けのパンを使いナツメヤシなどから採った酵母を加えたとする仮説に基づいて、さらに壁画に残るビール作りの工程に忠実に従って再現製造を行った。麦も古代の麦の遺伝子に近いデュラム小麦というものを使う徹底ぶりだった。
 その結果出来上がったのは現在のビール(度数5%程度)よりアルコール度の高い、度数10%ほどのビールだった。また現在のビールは苦味を出すためにホップを使用しているがこのビールはそれを使っていないため苦味もなく泡も立たないそうで。そしてその代わり現在のビールより20倍〜30倍の乳酸が含まれており、かなり酸味が強いとか。
 天下のキリンビールが製造したこの「古王国ビール」だが、幸か不幸か商品化の予定は無く、秋にアメリカで行われる醸造学会で成果が報告されるそうで。そしてスタッフはこれから一年がかりで中王国(約3800年前)、新王国(約3300年前)のビールの再現を行う計画だという。
 こういう一見無駄な研究って楽しいだろうなぁ、と僕は発泡酒をあおるのでした。


2002/8/12の記事

<<<前回の記事
次回の記事>>>

「ニュースな史点」リストへ