☆マンガで南北朝!!☆

十川誠志・原作/あきやま耕輝・劇画/尾崎秀樹・監修
「劇画・楠木正成-湊川に吼えた稀代の戦略家-

(1993年、日本文芸社歴史人物シリーズ)


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◎大河ドラマから2年たち…

 この「劇画・楠木正成」は、 先に紹介している「劇画・足利尊氏」と同じ日本文芸社から出ています。「尊氏」と同様に大河便乗かなと思うとさにあらず、発行は大河の放送から2年後の年 末なんて時期です。しかも同じゴラク・コミックスながら「歴史人物シリーズ」のシリーズの一冊で体裁も全然違います。大人向けの姿勢は維持しながらも、 もっと軽い読み物になった印象で、220ページぐらいしかありません。なお、調べた限りではこの日本文芸社の「歴史人物シリーズ」には「聖徳太子」や「徳 川家康」などが存在していたようです。

 こちらも「監修」がついてるんですがシリーズ全体の監修ということになっていて、冒頭に短い挨拶文(それも内容とはほとんど無関係)を書いてるだけなので「尊氏」の永井豪さん同様、実質は名義貸しだったんじゃないかという気がします。ですが尾崎秀樹(ほつき、と読む)さんといえば大河ドラマ「太平記」の監修にもクレジットされていた方なので、意外に渋い人選という気はします。大河の方でも歴史考証ではなく吉川文学および微妙な歴史問題などの「相談役」的立場だったみたいですけどね。

 カバーイラストがえらくリアルな絵ですが、実は中身はまったく別物。むしろカバーで注目なのは折り目部分(1ページ目を開いた部分に出るやつ)です。ここには普通の本なら簡単な内容紹介か作者紹介なんかが載るところですが、「正成、存命無益なり。最前に命落とすべし」という湊川決戦に赴く前に正成が出したという上奏文の言葉(「梅松論」にのみ載る)が唐突に書いてあるんです。これがカッコよくって(笑)。


◎なんと200ページほぼ全編が「湊川!!」

 この劇画、最初のページは順当に楠木正成の誕生から始まります。正成の生年は全くの不明なのですが、42歳で死んだという巷説に従い永仁二年(1294)に河内国・赤坂村に生まれた設定になっています。正成の出身もまたまるっきり謎に包まれているわけですが、この劇画では「凡下(ぼんげ)」すなわち武士ではない庶民階層の生れであったという説を採っています。正成といえば「悪党」の話が取りざたされるのが常ですが、この劇画ではそのことには一切触れず、ひたすら「凡下出身」ということを全編にわたって強調します。
 ただ「凡下」といってもいろいろあるわけで…少年時代の正成のカットでは母親らしき人が稲刈りをしてる様子が描かれており、ここでは実質農民出身ということらしいんです。かと思うと、成長すると商人のようなことをやってる場面もあり、さらには弟の正季と一緒に薪を運んで駄賃をもらうアルバイト(左図)をしていたかと思えば、山伏の格好になって山賊まがいのことをしているなど、まぁ要するに「職を転々としていた」ということになるかと(笑)。こうした中で河内国内で次第に勢力をもつようになった、ということのようで、吉川英治も採用した「散所の長者」説に近いでしょうか。

 先述の正成誕生と成長のシーンからいきなり鎌倉幕府の腐敗(大河ドラマの鶴太郎をそのまんまパクった北条高時が出てきます)後醍醐天皇の挙兵が語られ、正成が千早・赤坂で奮戦した経緯がナレーションであっさりと説明されます。その説明によると凡下の正成が天皇に見出されたことは「町内会の会長が突然大臣に抜擢されたに等しい」とあるんですが、かなり例えに無理があるような…ともあれ、そんな身分を越えた大抜擢に感激して正成は天皇に殉じるというストーリー展開になってるわけです。そして駆け足で足利尊氏の反乱が語られ、九州から東上する足利軍に対し、正成が彼らをいったん京に入れて兵糧攻めにする作戦を奏上、これが退けられ湊川へ出陣する…というところでオープニングが終わります。

 そう、ここまでがオープニングなんです。18ページで「第一章 午前八時 尊氏軍接近」のタイトルが出ます。驚くなかれ、この劇画はここからラストまで200ページ、ほぼ全編が湊川合戦なのです!その合間合間に正成の回想がはさまってストーリーを構築していく形ではありますが、一つの合戦をここまでページを費やして克明に描いた例も珍しいのではないでしょうか。
  第一章の冒頭は朝霧の海で漁師たちが「魚が見えねぇ」とボヤいていると足利の大水軍が霧の中から現れるという怪獣映画みたいな出だしです(笑)。ここで描 かれる足利水軍の進軍カットは学研が大河放映時に出版した「ピクトリアル足利尊氏」のイラストをそのまんまパクっております。業界では少なからずあること のようですが露骨にやられると…(汗)。
 この足利大軍の出現を受けて楠木正成・新田義貞両 軍が布陣をしていきますが、ここでも学研の本の図解がそのまんま使われてますね(汗)。ここでは楠木軍2000、新田軍33000、足利直義率いる足利陸 軍は30000、と陸上だけなら互角の数字という説をとっています。ただし水軍が70000もいるのでとても衆寡敵せずの情勢には変わりありません。

 「第二章 午前十時 楠木軍動く」に入りますと、楠木軍は「狙うは足利直義の首ただ一首!」と猛烈な突撃をかけます。途中で斯波高経の軍に阻まれますが、なんと馬を乗り捨てて徒歩戦を仕掛け「凡下の戦に作法などない!」と地の利を生かして斯波軍を圧倒。正成本人が直義にあと一歩まで迫りますが(右図)、高師泰が直義に馬を譲って逃がしてしまったり、矢で直義を狙った正成がフッと回想モードに入ってしまって狙いを外してしまったりで直義はどうにか逃げ落ちます。
 「第三章 正午 奇襲」に入ると、足利水軍の動きに気を取られた新田軍が楠木軍と分断されてしまいます。「新田殿は何をしておるのじゃ…」「ええい歯がゆい、新田殿はいつもこのような…」と楠木軍の兵士たちは口々に言い、大河ドラマ同様ここでも義貞は無能の将として描かれちゃってます。会下山から下りた楠木軍は森の中に入って直義軍に奇襲をかけ、翻弄します。


◎最後までお顔を見せないあの人
 
 「第四章 午後一時 尊氏上陸」。タイトル通り、分断された新田軍と楠木軍の間に足利尊氏の本陣が上陸します。ここまで出番のなかった尊氏がようやく登場…なのですが、声はすれども姿は見せず、後姿か足元や脇に置かれた兜などが映るばかりで尊氏本人の顔はいっさい描かれません(下図参照)。こうした演出は映画・漫画で多くの前例がありますが(とくに天皇関係)、尊氏にこれを使うとは、と意表を突かれます。

 「第五章 午後一時半 最後の突撃」… ますます時間が細かくなってきました。これもタイトル通りで楠木軍が尊氏本陣に最後の突撃をかけるわけですが、むしろ印象的なのはその戦いのさなかに正成 の意識が建武新政期に飛ぶところ。建武新政の矛盾が噴き出していた時点で、都の路上でひょっこり出会った正成と直義が延々と政治議論するという、南北朝マ ニア感涙のシーン(笑)があるんですね。
 公家と武家の対立が深まる中、正成は「わしはそもそも凡下で公家でも武家でもない。だから…わかりますのでじゃ。公家も武家も飯を喰うていくということがどういうことかわかっていない…」と直義に語ります。「戦に出て田畑を踏み潰してもなんとも思わない者には戦の後の世は治められますまい」といった正成の持論は作中何度も象徴的に出てくるもので、「世間では主上のもとわしたちや足利尊氏が鎌倉の幕府を倒したように言うが、それはちと違う…北条氏の鎌倉幕府は民に米の飯を食わせるのを忘れたから倒れた…民は皆米の飯が喰いたかったんじゃ…」というモノローグも出てきます。そう語る正成は建武政権もまた民を食わせられなかったことを百も承知なわけですが、直義から「公家と武家が戦ったらどうなさる」と聞かれると「わしは主上に惚れておりましてな。そうするより他に己の心の持っていき所がありませぬ」と笑って答えます。そして「今度戦に出られたら田畑は避けて通りなされ…踏み潰しては百姓が気の毒じゃ…」と言い捨てて立ち去る正成に、直義は「わからんお人じゃ…」とつぶやくのです。全編が合戦シーンばかりのなかに挿入されるこの静かな対話シーンはなんとも味わい深いものがありました。
 一方、現実の合戦の方は長時間の奮戦もさすがに力尽き、恩地左近(名前の明記はありませんが役柄からそうとしか思えない)も戦死して、楠木軍はついに撤退します。ところが尊氏は直義に後方に下がるように命じ、直義が怒り狂う場面が描かれています。それでもまだ顔を見せない尊氏。

 「最終章 午後四時半 会下山にて」。ついに70騎あまりに減った楠木軍。正季も瀕死の重傷を負い、正成も疲れ果て、海に沈みゆく夕陽を見ながら「もう…よいかもしれない…」と静かに覚悟を決め、一同は足利軍の前から姿をくらまして寺に入ります。「この戦の長さは必ずや後の世の語り草となろうぞ…」と語る正成に、「それは偉いもんじゃ。凡下でも世に名を残せるんじゃのう…」と涙する正季。「太平記」でおなじみの「七生報国」も兄弟刺し違えもなく、「今度生まれてきたら凡下の男を捜してくれ。髭をなでる癖の男がいたらそれは…わしの生まれ変わりじゃ」と言って正成は自らを刺し貫き、正季もすぐに後を追う、という描写になりました。おなじみがないと言えば、「桜井の別れ」も出てこなかったなぁ、これ。
 楠木軍を探し回っていた足利本陣から煙が見え、正成以下自刃の報告が尊氏のもとに入ります。「煙が上がるまで見つけられなんだか…最後まで神出鬼没であったな!」と言って立ち上がる尊氏。ここで尊氏さん、ようやく顔を見せます!「十万対二千で延々半日…死したとはいえ…楠木殿の勝ち戦じゃな!この尊氏の負けじゃ…負けじゃ…」と会下山に上がる煙を見ながらつぶやく尊氏。彼の顔が見えるのはこの2コマだけ。なかなか劇的な効果を出しているのは確かですね。そういえばこの劇画、後醍醐天皇も御簾(みす)の向こうの影しか見えません(その絵のまま登場人物紹介に出てる!)

 「人の一生は得てしてこのようなものらしい…その道のりは時に途方もなく長く、時に瞬時に終わりを告げる…しかしそれでもなお、わしはさして悔いることもなくこの世を去ることにした。何故なら…人の一生は総じておもしろいものだと…何はともあれ…信じていたからじゃ…」と正成の亡霊(?)のモノローグとともに物語は幕を下ろします。そのあとちょこっとあるナレーションで「この湊川の戦いは白兵戦としては史上最高の六時間に及び、その後この記録を抜く戦は今日にいたるまでついにない…」という解説が妥当なのかどうかは僕も自信がありません。
 「凡下、凡下」とやたらにこだわる正成像にはいささか違和感もあるのですが、思い切って湊川の戦い一本に絞り、正成のモノローグで進行するシナリオは、読み終わったとき一編の映画を見終えたような感動があります。

◆おもな登場人物のお顔一覧◆
この劇画は極端に登場人物が少ないです…
皇族・公家



後醍醐天皇


北条・鎌倉幕府



北条高時


足利・北朝方


足利尊氏足利直義高師泰斯波高経
新田・楠木・南朝方


楠木正成楠木正季新田義貞
脇屋義助
恩地左近?

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