細川頼之
細川清氏
慈子
渋川幸子
細川頼有 足利直冬
伊勢貞継 椿 後光厳天皇
乳母 侍女
紀良子
勇魚
世阿弥(解説担当)
柏王 春王 弥九郎
細川家家臣団のみなさん
室町幕府職員のみなさん
足利義詮
佐々木道誉
◆本編内容◆
細川頼之は備後・鞆にあって中国地方の平定事業を進めていた。そのかたわら京にいる妻の
慈子と手紙をしばしばやりとりして生まれたばかりの男子・弥九郎の様子など聞き出していた。近いうちに義詮が正式に征夷大将軍の位に就く際に都へ呼ばれるらしいので
「早く一度都に戻り、我が子の顔をみてみたいもの」と頼之は慈子に書き送る。
都では慈子が弥九郎を抱いて紀良子
のもとを訪れ、お互いの赤子を見せ合って話に花を咲かせていた。話題は子育ての苦労からそれぞれの夫・頼之や
義詮のことに及び、二人はこれからもお互いに助け合っていこうと励ましあうのだった。
一方で義詮の正室・渋川幸子は良子が二人目の男子を産んだことで日々鬱々としていた。自分の産んだ千寿王が生きていればと嘆息し、良子が次々と子を産むことで義詮の愛情がますます幸子から離れていくことにも焦りを感じていた。そんな幸子を侍女の
椿が懸命に慰める。
幕府では尊氏の死から数ヶ月が経ち、二代目の義詮のもと新体制が築かれつつあった。義詮は幕府最大の宿老である
佐々木道誉を呼び出し、「父尊氏も何事も道誉に相談せよと言っていた」と話して今後の幕府運営などを相談する。道誉は
「まず将軍の威信を高めることが肝要」と答え、さきごろ仁木義長と土岐頼康がささいな揉め事から武力衝突寸前になった騒動などを挙げて天下泰平のためにも大名たちの統制を図らねばならぬと進言する。それにはどうすれば、と義詮が問うと、道誉は若く指導力のある者を執事職につけて義詮を輔佐させるべきと言い、
「細川相模守(清氏)どのなどはいかがか」と細川清氏の名を挙げる。
「清氏か…」と義詮は清氏の過去の活躍を思い起こしながらつぶやき、まさに適任と清氏の執事任命を決断する。
間もなく清氏が義詮のもとに呼び出され、道誉も臨席のもとで執事職への任命が言い渡された。清氏は「身に余る栄誉」と答え、義詮のために粉骨砕身の努力をすることを誓う。
「そちもわしもまだまだ若い。だが若いゆえに思い切ったこともできよう。行き過ぎるときは道誉入道に手綱を引き締めてもらうことにして」と笑いながら義詮は言った。義詮のもとから退出しながら清氏が道誉に推挙してくれたことに礼を言うと、道誉はあくまで幕府のためを思っての人事と語り、清氏に執事の職に対する自覚を求める。
「執事とは…これまでは足利家のために忠実に働く者であればよかった。だがいま執事たる者は天下すべてのことを思って幕府の政を行う者でなくてはならぬ。そう…天下を管領(かんれい)する者と言った方が良いかな」
と道誉は言う。「肝に銘じおきます」と清氏は答えた。
10月、幕府は細川清氏が執事に就任して義詮の輔佐にあたることを正式に発表した。この知らせは備後の頼之のもとにも届き、頼之は清氏の出世を心から喜ぶ。幕府の中枢である将軍・執事の若返りで全国平定の事業もいっそう推進されることが予想され、頼之は弟の 頼有と相談の上、直冬党の勢力が及んでいる安芸方面への攻勢をいっそう強める。押され気味の直冬 は勢力挽回をはかって瀬戸内海の忽那水軍に連絡をとり、頼之を背後から圧迫しようと図ったが、頼之は熊野水軍の 勇魚に命じてこれに対抗させる。
そのころ、義詮はすっかり伊勢貞継邸に入り浸り、良子と子供たちの顔を身に通うようになっていた。幸子はすっかりノイローゼ状態に陥っており、伊勢邸にスパイを送り込んで情報を得ている椿も最近は幸子の様子を気遣って報告を控えるようになっていた。思いつめた椿はひそかに考えていた計画の実行を決意する。
11月のある日、いつものように慈子が弥九郎を連れて伊勢邸の良子のもとを訪れていた。良子の子・柏王
と春王の二人の赤ん坊を一人の乳母があやして寝付かせようと苦労している様子を見て、慈子はしばらく自分が面倒をみているから一休みしなさいと声をかける。そして三人の赤ん坊を並べて寝かせ寝付かせる。その並んだ寝顔の可愛さに慈子と良子は微笑む。
そこへ清氏が来訪してきた。義詮に言われて良子への挨拶にやってきたのである。良子と慈子はこれを出迎えに行き、部屋には眠る赤子三人が残された。そこへ、一人の侍女がこっそりと入ってくる。彼女は部屋に三人の赤子が寝かされていることに予想外のように驚くが、すぐに腹を決めたように懐から白い包みを取り出してそれを水に溶かし、左端の赤子の口に注ぎ込む。そして次の赤子にも。さらに三人目の赤子に取りかかろうとした時、その赤子が突然大声をあげて泣き始めた。
赤子の泣き声を聞いて慈子が様子を見にやってきた。そして部屋の中に見知らぬ侍女がいて、赤子たちに何かしている様子を見て大声で人を呼ぶ。慌てて逃げ出す侍女。騒ぎを聞きつけて清氏が駆けつけ、慈子の様子から異変を察して逃げた侍女を追いかける。逃げた侍女も屋敷内の構造に慣れていなかったようですぐに追い詰められ、
「何者だ!」と清氏に問い詰められると短刀を抜いて切りつけてきた。清氏も咄嗟に刀を抜いてこれを斬り捨てる。
赤子たちの寝ていた部屋では良子と慈子が赤子たちを抱いて名前を呼びながら泣き叫んでいた。
その夜、幸子のもとに義詮が駆け込んできた。怒り心頭の形相の義詮を、幸子は「お久しぶりのお渡りで」
と済ました顔で迎える。「幸子、その方の仕業であろう!」と怒鳴る義詮にも
「何のことで」と答える幸子。「良子のところで赤子たちに毒を盛った者がおる。三人いた赤子のうち一人は死んだ!」
と義詮。「亡くなったのは殿のお子ですか」と問う幸子に
「…頼之の子じゃ。柏王は命をとりとめ、春王は毒を飲まずに済んだ」と義詮は答え、どっかと腰を下ろす。
「殿のお子がご無事であったとは不幸中の幸い」と幸子が言うと、「幸子!」と義詮が声を荒らげ、これは全て幸子の差し金であろうと問い詰める。これに幸子は
「わたくしは一切何も存じませぬ」と顔色一つ変えず答え、戸を開けて隣室を見るよう義詮をうながす。義詮が戸を開けてみると、そこには自害して果てた椿の姿があった。
「椿は私にも一言も言わずに事を運び、そして死んでゆきましてござります…椿は…思いつめていたのでございましょう…殿が伊勢どのの屋敷にばかり通われることに…」
と幸子は落ち着いた声で言い、義詮の顔をキッと睨みつけた。いたたまれなくなった義詮は逃げるように幸子の部屋をあとにする。
事件は将軍一家のことに関わるだけに清氏らにより内密に処理され、あくまで椿一人の陰謀であるということで幸子には一切のとがめはなかった。柏王はかろうじて命を取り留めたが、依然として重態が続きこのままでは何らかの後遺症が出るのではないかと医師は診立てていた。慈子や細川家には義詮から内々に様々な見舞いが届けられたが、事件については一切極秘にと誓わされることとなった。
足利義詮が父・尊氏のあとを継いで北朝の後光厳天皇から正式に征夷大将軍に任じられたのはこの年の12月のことである。この朝廷での儀式に出席するため、頼之は一時京に帰る。義詮の参内に同行した頼之に、義詮は黙ってそっと肩に手を置いた。
頼之は慈子と共に弥九郎の小さな墓を訪れた。(ついに顔を見ることはできなんだ…)と胸に込み上げる思いを抑えながら頼之は小さな墓に手を合わせ瞑目する。慈子も一緒に手を合わせ、
「これも…運命というものなのやも知れませぬ…あの子は春王さまの身代わりとなったのやも、と…」
そう言って一筋の涙を流す。頼之はかける言葉もなく、黙ってその肩を抱き寄せた。
そこへ赤子の泣き声が聞こえてくる。慈子が侍女たちに春王を連れてこさせていたのだ。「良子様にお願いしましてね。春王さまを私の乳でお育てすることにさせていただきましたの」
と慈子は頼之に言い、泣く春王を侍女から受け取って頼之に見せる。「ほら、ご覧下さりませ」と微笑む慈子から春王を受け取る頼之。自分の腕に抱かれて泣く春王の顔を、頼之は複雑な思いで
見つめていた。