第二十一回
「国王たるべし」
 

◆アヴァン・タイトル◆

 反逆者として幕府に追討された細川清氏は南朝に降伏。楠木正儀らと共に京へ進撃、将軍義詮を追い出してこれを占領した。南朝軍による四度目の京都占領である。意気上がる清氏に対し、正儀はこの占領が長くは続かないことをはっきりと悟っていた。この混乱の中で、義詮の子・春王、のちの足利義満が京からの脱出を図っている。


◎出 演◎

細川頼之

細川清氏

慈子

楠木正儀

今川貞世

細川頼和 細川氏春 

赤松範実 蘭洲良芳

北野行綱 赤松貞範 

斯波高経

今川範国

世阿弥(解説担当)

春王 遁世者たち 
細川家家臣団のみなさん 京都市民のみなさん
赤松家家臣団のみなさん ロケ協力:播磨国白旗城・摂津国琵琶塚
室町幕府直轄軍第10師団・第12師団・第13師団

足利義詮

赤松則祐

佐々木道誉


◆本編内容◆

 京の町を、軍勢を引き連れた細川清氏が走る。清氏が向かっていたのは自分をこのような境遇に陥れた張本人、佐々木道誉の屋敷であった。道誉の屋敷には楠木正儀が入ってここを宿所として使っている。正儀は道誉の残していった遁世者たちに手厚いもてなしを受け、なおかつ屋敷の中に凝らされた道誉らしい婆沙羅な趣向の数々に感嘆していた。
 そこへ清氏が駆けつけてきたとの知らせが来る。正儀が門まで出迎えると、清氏が馬上で叫ぶ。「楠木殿、この屋敷が誰のものかご承知であろう。即刻他所にお移りなされい」正儀がわけを問うと、「知れたこと。あの婆沙羅坊主の屋敷など焼き払うまでよ」と清氏は答える。「はて、それは困った」と正儀は言う。「我ら楠木一党は河内の山奥で暮らす者ゆえ、都の暮らしには慣れておりませぬ。たまたまみつけたこの屋敷、実に住み心地良く、他所に移るという気も起こりませぬ」と言う正儀に、清氏がいら立ってさらに退去をせかすが、正儀は「我らが京を手にしたからには、もはやこの屋敷は道誉入道の屋敷にあらず。この楠木の屋敷となったのでござる。よもや細川殿、京が間もなく取り返されるとでもお思いか?」と語気を強めた。この言葉には清氏も一言も返す言葉が無く引き上げていく。それを見送って屋敷の中に戻った正儀は、道誉が残していった見事に花を生けた花瓶を眺めつつ、家臣に向かってつぶやく。「所詮は一時の夢よ…一時の夢ならば、この美しい花をわざわざ火にくべることもあるまい。この花一つ、消し去るのはたやすいことだが、生み出すことは容易ではない…」

 間もなく清氏のもとに南朝軍の諸将が集められ今後の方針が協議された。清氏は義詮らによる京奪回に対抗するため仁木義長、山名時氏らに上洛を呼びかけようと意見し、また京市街の治安を守るため兵を各所に置いて監視に当たらせることも提案する。会議が終わると、清氏は弟の頼和、従兄弟の氏春を呼び寄せ、ひそかに義詮の子・春王の消息をつかむよう命じる。「人質、ということか?」と問う氏春に、清氏は「それもあるが…春王さまを将軍として我らがかつぐ、という手もある」と小声で言う。清氏もこのまま南朝を奉じるだけでは体勢を維持できないと知っていたのである。多くの武士を味方につけるためには足利家の幼児をかつぐのは好都合とも清氏の目には映っていたのである。

 その春王は乳母の慈子と共に建仁寺の大竜庵に身を潜めていた。この大竜庵というのは赤松円心の墓もある赤松氏ゆかりの寺で、住持の蘭洲良芳も赤松氏と深い関わりを持っていた。蘭洲は慈子らに播磨の赤松則祐 を頼るよう勧めているところへ、清氏方の兵士たちが寺に検分に入ってきた。慌てる蘭洲に、慈子は春王と自分が一緒にいては正体が割れると言い、蘭洲の法衣の中に春王を隠れさせ、自らは一人で来たただの参籠者を装うことにする。慈子は春王に事態の急を告げ、法衣の中に潜んで一切声を上げぬよう諭す。蘭洲は春王を法衣の中に入れたまま、寺の中に入ってきた兵たちを出迎え、「ご随意に検分してくだされ」と言ってスタスタと立ち去る。結局兵たちは何も発見することなく引き上げていった。
 ひとまずの危機は脱したが、やはり早く京から出たほうが良いと蘭洲は言い、自身に帰依している北野行綱 という武士を慈子と春王に引き合わせる。彼はもともとは新田義貞に仕えた武士だったが蘭洲に帰依して彼を通じた則祐のとりなしで本領を安堵された恩義があり、蘭洲と則祐の頼みであれば命も捨てる覚悟であった。蘭洲は行綱に春王と慈子を無事に則祐のもとへ届けるよう頼むと、行綱は「命に代えましても」と春王に向かって一礼する。
 行綱の提案で、行綱と慈子そして春王は旅商人の親子に身をやつして丹波を抜け播磨へと脱出することになった。庶民の子供の衣服を着た春王は面白がり、これまでなかなか外に出られなかった鬱憤を晴らそうとするかのように播磨への旅路にわくわくして慈子を相手に大いにはしゃぐ。行綱は「肝が据わっておられるというべきか、よくお分かりになっていないというべきか」と笑いながら春王と慈子を連れて京を出立した。このとき戦乱を恐れて京から逃げ出す庶民が多くおり、三人はその中に紛れて全くみとがめられることなく京を脱出して丹波路を急いだ。
 
 そのころ、いったん近江に逃れた将軍・義詮は早くも佐々木道誉・今川範国らとともに反撃の態勢を整えつつあった。一時清氏らに呼応して京へ突入するかと思われた仁木義長、山名時氏らはそれぞれ幕府方の武将と対峙するため身動きが取れておらず、また清氏に新たに呼応する武士もほとんど存在しなかった。逆に北陸から斯波高経が数千の軍勢を率いて義詮の応援に駆けつけ、この情勢に意を強くした義詮は京奪回の作戦を開始する。
 情勢が早くも苦しいものになってきていることに清氏自身も気づいていた。春王も発見できず、味方も集まらず、逆に味方だったはずの赤松範実が一族の則祐からの説得を受け入れて清氏のもとから立ち去ってしまっている有様であった。清氏は大いに焦るが、正儀は予測どおりと至極冷静に受け止めていた。

 北野行綱・春王・慈子の一行が、無事に赤松則祐の居城・播磨の白旗城に入ったのは12月15日ごろのことである。赤松則祐は大いに驚き喜んで春王たちを門前まで出迎える。「将軍の御子ともあろうお方が、ご苦労なことでござりました…この白旗城に入ったからにはもはやご安心を。京が落ち着くまでごゆるりとご滞在くださりませ」と則祐が春王の前にひざまづいてねぎらいを述べると、春王は「いや、なかなかに面白かったぞ」とハキハキと答え、則祐以下を驚かせる。
 則祐は城内に春王のための一室を設けて大いに歓待するよう家臣らに命じる。しかし相手はまだ四歳。宴会を催すわけにもいかず、どうしたものかと一同で頭をひねった末、「この赤松の田舎風流をお見せしてはいかが」との意見が出て、家臣たちが地元の踊り「松ばやし」を演じて春王に見物させた。春王も慈子もこの出し物に手を叩いて大いに喜ぶ。後にこの赤松家臣による舞い踊りは将軍義満に愛され、「赤松ばやし」と呼ばれて毎年将軍を屋敷に招いて演じる恒例行事とされることになる。
 この「松ばやし」の合間に則祐は慈子に、備後にいる夫の細川頼之をひそかに白旗城に呼んだ事を明かした。間もなく則祐自ら赤松一族を率いて京奪回のために出陣せねばならず、その間の白旗城の留守を頼之に任せたいとのことであった。

 数日たったある日。春王は一室で慈子に見守られながら昼寝をしていた。やがて春王が目を覚ますが、ただごとならぬ顔つきをして壁を見つめている。「どうなされました?」と慈子が聞くと、春王は目の前の壁にかかる一枚の地蔵尊の絵を指差し、「いま、わしの夢の中にこのお方が立った…このお方は何というお方じゃ?」と慈子に問うた。「これは地蔵菩薩さまでござります。人々を慈悲の心をもってお救いになる、ありがたい仏様です」と慈子が教えると、「その地蔵菩薩さまが申された…我、汝と永く離れず、と…」と言って春王は地蔵尊の絵に手を合わせた。
 不思議に思って慈子はこの話を則祐に語る。聞いた則祐は大いに驚いた表情で、「その地蔵尊の絵は…春王様の祖父、先の将軍(尊氏)がお描きになられたものじゃ…!」と明かす。そして、「わしはこれでも多少は経を読んだことがござる…本願経に、もし地蔵尊を描きこれを拝めば、その人は三十三天に生まれ、天福尽きて人間と生まれても、なお国王となる、と書かれておりました」と言って則祐は急に深刻な顔つきになる。「思えば…尊氏公が亡くなられて百余日で春王様はお生まれになっている…まことに、生まれ変わられたのやもしれぬ…それに…」ブツブツと言う則祐に、慈子が「人間と生まれても、なお国王になる、とはどのような意味でござりましょう?」と問うと、則祐は慈子の目を見据えていった。「慈子どの、この件は他言無用じゃ。…春王様はただのお方ではない。何か、とてつもなく大きな運命のもとにお生まれになっておられるようじゃ。末頼もしいが、空恐ろしくもある。大切にお育てせねばなりませぬぞ」その則祐の大真面目な様子に、慈子は黙ってうなづくほかはなかった。
 
 備後から急ぎやって来た細川頼之が白旗城に入った。則祐と慈子がこれを迎え、頼之と慈子の夫婦は久々に顔を合わせてお互いの苦労をねぎらいあう。そして二人に導かれて頼之は春王にも面会する。春王にしてみれば初対面でしかなかったが、頼之はかつて赤子の時の春王を抱いたことがあるだけに、その成長ぶりを見て「大きゅうなられました…」と思わず目を潤ませる。そんな頼之の態度に春王は困ったような顔をする。
 面会後、頼之と慈子は久々に夫婦二人きりの時間をとれた。二人は春王の成長を、身代わりになって死んだ形の我が子の成長を喜ぶように語り合う。そして慈子は則祐から他言無用と言われていた地蔵尊の件を頼之には話しておいた。この話には頼之も不思議を感じ、「あの方が、尊氏公の生まれ変わりだと言うのか…そして国王になる、と…国王…」と春王の将来に思いを馳せるのだった。

 やがて赤松則祐は白旗城から出陣し、兄の貞範と合流して摂津へと軍を進めた。これと呼応するように義詮も佐々木・斯波・土岐などの大名を率いて近江から京奪回のための兵を動かす。その中には今川貞世の姿もあった。義詮方の軍勢は各方面から京へと突入する。
 ここに至って清氏ももはや京を保てないことを悟るほかは無かった。ここで正儀が助け舟を出すように、「清氏どの、引くなら今じゃ。ここまで引っ掻き回した天下をあきらめるつもりはござるまい。再起を期すなら、今は逃れて力を蓄え味方を増やすことじゃ」と言ったので、清氏は多少救われた気分になって全軍に撤退の指示を出した。ひとまず宇治路に出て、河内・摂津方面へと逃れ、それから態勢を立て直そうと清氏は頼和や氏春に言う。「そうじゃ。こたびはわしにまだ力が無く、味方につく武士も少なかった。この失敗を教訓としてまたやり直せばよい。わしはまたこの京に戻ってくるぞ、必ずな」と清氏は自らに言い聞かせるように言った。
 道誉の屋敷に戻った正儀は家臣らに屋敷内を綺麗に整えるよう命じた上で、「この屋敷には定めし名のある武将が入るであろう。この正儀も名を惜しむ者、その武将に心づくしを贈っておきたい」と言ってニヤッと笑い、道誉が正儀に用意していた以上の酒肴を用意させ自らの郎党2名を残して道誉をもてなすように命じた。そして寝所に一人入ると、そこに自らの持つ鎧一式と豪華な銀飾りの太刀をひとふり、部屋の真ん中に立てかけた。「お世話になり申した」と正儀は寝所に向かって一礼し、屋敷をあとにする。
 12月27日、細川清氏・楠木正儀らを始めとする南朝軍は戦わずして京から撤退していった。ただちに入れ替わるように義詮の軍勢が京に入る。義詮と共に京に入った佐々木道誉が自分の屋敷に向かうと、そこにはまるで自分へのお返しとでも言うような歓迎の用意が整えられており、寝所には見事な太刀がひとふり、道誉への贈り物として置かれていた。道誉はその太刀を手に、「見事じゃ…正儀どのも真の婆沙羅よ…」と腹の底から愉快そうに笑うのだった。

 清氏らが南方へ撤退し、義詮が京を奪回したとの知らせは間もなく白旗城にも届いた。この知らせに白旗城の一同はみな大いに喜び安堵するが、頼之だけはどこか顔色がさえなかった。「清氏は…清氏はどこへ行ったのだ…」と慈子につぶやく頼之。「いや…わしには分かるのだ…あいつが何を考えているのか…だが、わしはそれがまこととなることを恐れているのだ…」と頼之は言う。「阿波、でござりますか?」と慈子が問うと、頼之は黙ってうなづく。そこへ城内を走り回っていた春王が飛び込んでくる。「都は奪い返されたそうだぞ!さあ、早く都へ戻ろう!」と、春王は無邪気に叫ぶ。

 一ヶ月ほどの間をおいて、春王は慈子はじめ多くの護衛を従えて播磨から京へと向かった。その途中、摂津の琵琶塚(兵庫県武庫郡)を通るとき、春王は輿の中から辺りの景色を眺めて、「輿を止めよ」と声をかけた。輿から出た春王は周囲の美しい眺めを、立ったまま黙って見つめる。慈子も輿から降りてその風景と共に春王のまなざしを見つめる。やがて、春王が左右の人々を見て口を開いた。「気に入った。みなの者、この眺めをかついで、都まで運んで参れ!」
 その言葉に、一同も、慈子もまた感嘆の声を上げる。慈子の脳裏には則祐の言葉が響き渡っていた。「…春王様はただのお方ではない。何か、とてつもなく大きな運命のもとにお生まれになっておられるようじゃ。末頼もしいが、空恐ろしくもある…」

第二十一回「国王たるべし」終(2002年6月9日)


★解説★

世阿弥第三弾  はい、21回目と言うことでお面の更新でございます。今さらではございますが、こんなお面使っちゃって自らの行いに恐怖していたりする解説担当の世阿弥でございます(笑)。

 冒頭は前回のラストの続き、佐々木道誉さんと楠木正儀さんの、南北朝という殺伐とした時代の中に一陣の涼風を吹き込んだような心温まる(?)エピソードがつづられております。これは『太平記』のみが記していることですが、京都市民の間で噂になった話とあるので、恐らく事実であろうと思われます。実際、このあと道誉さんと正儀さんが南北朝和平交渉の双方の折衝役になっていることもこんなエピソードがあったからではないかと思われる次第。
 『太平記』によれば清氏さんが焼き払おうと提案すると(成り行きから言えば至極当然)、道誉さんの「情を感じた」正儀さんが止めたと書かれています。道誉さんがどんな風に正儀さんをもてなしたかと言いますと…
「六間の会所には大紋の畳を敷き並べ、本尊、脇絵、花瓶、香炉、鑵子、盆に至るまで、一様に皆置きととのへて、書院には羲子(王羲子)が草書の偈、韓愈が文集、眠蔵(寝所)には沈(ジンチョウゲの香り)の枕に緞子の宿直物を取りそへて置く。十二間の遠侍(番所。侍控え室)には鳥、兎、雉、白鳥、三竿に懸け並べ、三石入りばかりなる大筒に酒をたたへ、遁世者二人留め置きて『たれにてもこの宿所へ来たらん人に一献すすめよ』と巨細を申し置きにけり」(太平記「新将軍京落ちの事」)
 とまあ原文のまま引っ張ってきましたが、良くわかんないけどやたらに凝った趣向が凝らされていたことは感じられるかと思います。これには正儀さんでなくても感激しちゃうところでしょうが、このエピソードのミソは正儀さんが撤退する際にしっかりと「お返し」をしていくところ。『太平記』によれば正儀さんは道誉さんから贈られたもの以上の酒肴を用意させしっかり接待役に二人の郎党を残してゆき、さらには秘蔵の鎧と白太刀(つかのところが銀で飾られたやつらしい)を寝所に置いていったとか。どう考えても道誉さんが嫌いらしい『太平記』の作者もここでは「道誉が今度の振る舞い、情け深く風情ありと感ぜぬ人もなかりけり」と記し素直に感嘆しております。その一方で正儀さんについて人々が「道誉の古バクチに騙されて鎧と太刀をとられた」 と物笑いの種にしたと記してまして、またも正儀さんを貶めるような書き方をしている。このエピソード、素直に読めば正儀さんも道誉さんのバサラな振る舞いに対してやはりバサラな振る舞いで返してあげたという、むしろ正儀さんの「風情」に感心してあげるべきだと思うのですがねぇ。

 清氏さんが春王さまをかつぐために探させた、というのは全くの創作。でも現実的にはそうするんじゃないかと作者も考えたところでございます。まぁそうしておけばついでにサスペンスを盛り上げることができるという狙いもありましたが。
 春王さまが建仁寺大竜庵の蘭洲良芳さんのもとに身を潜めていた、しかもその法衣の中に隠れて追及を逃れたというのは「翠竹新如集」という資料に実際に出てくる話(もちろんここではちょっといじってますが)。この大竜庵と赤松家の関わりというのは深いなんてもんじゃありませんで、そもそも赤松円心さん(「太平記大全」を参照) が若い時に親しくした雪村友梅さんという坊さんがおりまして、その雪村さんが亡くなった際に円心さんがその供養のためにこの庵を建てたのですね。そして円心さん自身も亡くなった後この庵の雪村さんのお隣に葬られたと言う次第。蘭洲さんは雪村さんのお弟子さんにあたるわけでございます。春王さまがここへまず身を潜めたというのも赤松氏との深い縁があったからでございましょうね。
 その後蘭洲さんに帰依していた北野行綱という武士が商人に扮して春王さまを護衛して白旗城まで送り届けたというもその資料に出てくる話です。なお、この北野さんはのちに将軍となった義満さまから感謝の印として名の一字を賜り「義綱」と名乗って赤松氏に仕えることになったと伝わっております。
 そして春王さまは無事白旗城に入ります。白旗城といえば湊川合戦に先立つ赤松円心vs新田義貞の名勝負で知られるところ。この城に幼児の春王さま、すなわち後の義満さまが滞在した時期があったわけなんですが、このドラマでも描きましたようにいろいろとエピソードが残されております。地蔵尊の絵の話なんていかにも後世から作ったお話くさいんですが、尊氏さまが地蔵絵を良く描いていたのはドラマ「太平記」でも描かれた事実です。尊氏さまと入れ替わるようにこの世に生まれた義満さまにこんな伝説の一つも生まれるものなんでしょう。
 この幼い春王さまを慰めるべく赤松家の家臣たちが見せたのが「松ばやし」。春王さまはこの囃しがたいそうお気に入られて、京に戻ってからもたびたび赤松家を訪れてこの囃しを見て当時を懐かしんだそうで、やがてこれは「赤松ばやし」と呼ばれて毎年正月十三日(円心さんの命日とか)に義満様を赤松邸に招いて行う恒例行事になっちゃったそうで。当時の人は則祐さんを義満さまの「養君」とみなすほど、その関係はその後も深かったようです。
 その後義満さまが成人されると猿楽上演に変更され、室町第で行われるようになり、さらに後に正長2年(1429)なんてはるか後世になりましてから則祐さんのお孫さんにあたる満祐さんによって従来の「赤松ばやし」が復活する、とまぁいろいろあったわけでございます。
 白旗城から帰る途中に春王さまが「この地をかついで京へ持って帰れ」と言ったのはあまりにも有名な話。まぁこの年頃のお子さんって「あの星ちょーだい」とか無茶なおねだりをしたりするものですから、春王さんのもそのたぐいの発言なんでしょうね。しかし将軍のお子さんからそういう発言が飛び出すと、「なんて大物なんでしょう」と褒められちゃうわけで。普通の子だったら「なんて生意気なガキだ」とボコボコにされてますね。

 なお、この脱出行に乳母の慈子さんが同行しているのはもちろん全くのフィクション。頼之さんが任地をほったらかして白旗城に来ちゃうのも、もちろんフィクションです。まぁ一応このとき山名氏が戦いに疲れ果てて兵を休めていたのは事実なんですけどね。まぁそろそろ夫婦を会わせておかなきゃならないし、やがて「父子」ともなる二人もぼちぼち顔合わせしておかないと、とこんな創作を交えたわけで。
 ま、それにそうでもしないと主役のはずの頼之さんの出番が作れませんでしたしねぇ(笑)。なんか今回は清氏さんも影が薄いし、すっかり春王さまが主役になっちゃってますね。早くも主役交代の足音が聞こえてきているようで…

制作・著作:MHK・徹夜城