第二十二回
「対決(前編)」
 

◆アヴァン・タイトル◆

 1361年12月。幕府に反旗を翻した細川清氏は南朝に降伏し、楠木正儀らと共に京を占領した。しかし正儀が予測していたようにその占領は長くは続かず、20日間ほどで南朝軍は撤退を余儀なくされた。しかしなおも復讐に燃える清氏は再起を図るべく新たな行動を起こそうとしていた。そしてそれは幼馴染の従兄弟であり親友でもある清氏と頼之の二人を、宿命の対決へと導いていくのだった。


◎出 演◎

細川頼之

細川清氏

楠木正儀

細川頼有 新開真行

正子 三島三郎

後村上天皇 寛成親王 

安宅頼藤 飽浦信胤 河野通盛

細川氏春 細川頼和 細川信氏

中院具通 久枝掃部助 細川正氏 

速波

勇魚

小波

小笠原頼清

今川範国

世阿弥(解説担当)

細川家家臣団のみなさん 阿波国住民のみなさん 熊野水軍のみなさん 
ロケ協力:讃岐国宇多津町・坂出市・本四連絡橋公団
室町幕府直轄軍第9師団・第13師団・第15師団・第16師団

足利義詮

佐々木道誉

里沢尼


◆本編内容◆

 年が明けて康安二年(正平十七、1362)となり、南朝軍が引き上げ、幕府軍により奪回された京都には将軍の足利義詮をはじめとする武家・公家の要人が次々と帰還しつつあった。義詮はただちに佐々木道誉今川範国ら幕府の諸将を集め、撤退していった細川清氏およびその弟・頼和や従兄弟・氏春らの動静を探らせる。

 そのころ、細川頼之は備前に戻っていた。頼之は弟の頼有、腹心の三島三郎、そして水軍の飽浦信胤および勇魚小波らを集めて、その後の清氏らの動静を正確につかむこと、そして熊野から淡路、瀬戸内の水軍の動静にも目を光らせるよう指示を出した。「清氏はかならず四国に渡る」 と頼之は読んでいた。もともと清氏は四国で育ち、阿波・讃岐には父・和氏以来の関係を持つ豪族も多い。なおかつ従姉妹の氏春が淡路守護であり水軍をその傘下に収めている。京奪回に失敗した清氏は勢力挽回をはかるためにも自らの根拠地を求めるであろう、その地は阿波・讃岐といった四国をおいて他には無い、と頼之は説明する。
 「清氏のことだ…必ず、そうする。だからわしが先に手を打つのだ」と言う頼之に、頼有が「兄上は…清氏どのを討たれるおつもりか?」と聞く。「そういうことにならぬよう、先に手を打つのだ。清氏をわしの懐の中に収めて、しばらく謹慎させる。ことは誤解から始まったこと、いずれ将軍の御勘気も解けよう。わしは清氏を助けたいのだ。これ以上、あやつを暴れさせてはならぬ」と頼之は言う。頼之の指示を受けて、三郎は守護代の新開真行に会うべく阿波へ、勇魚と小波は清氏の動向を探るために海へと出た。

 一方、京を追われた清氏はいったん河内に入り、そこから楠木正儀らと共に住吉神社の南朝皇居に赴き、後村上天皇に拝謁していた。「一時は京を手中に収めながらたやすく奪い返され、この清氏面目次第もござりませぬ」と恥じ入る様子の清氏に後村上が「生きてあればまたの機会もあろう」と慰めの声をかけると、清氏は力を蓄えて必ず京を奪い返すと誓うのだった。
 天皇の前から退出する途中、南朝廷臣の中院具通(ともみち)が清氏と正儀を呼び止めた。「お二人にお会いになりたいという方がおられる」と言う具通に導かれて一室に入ると、そこには一心に書籍を読む二十歳前後の若い貴人の姿があった。後村上天皇の第一子・寛成(ゆたなり)親王である。寛成は清氏と正儀を部屋に迎え入れ、今後の方策について話し合いたいと言い出す。「父上はじめ年のいった公卿どもは『一刻も早く、一日だけでも都に入りたい』の一点張りじゃ。わしはもそっと腰をすえた策をめぐらせねばならぬと思う」と寛成は言い、懐良親王と菊池一族が九州をおさえ、山名氏・直冬・大内氏が山陰と山陽の一部をおさえている、この上に四国を南朝の勢力下におさえて他と連携し西日本の大軍をもって京へ攻め上るべし、との戦略を述べる。「清氏はそのためにも四国へ渡るべきと思われるのだ」と寛成が言うと、清氏は「まさにわが意を得たり」と喜ぶ。
 「ただしその四国、および山陽はそちと同族の細川頼之が押さえ、なかなかの勢いを見せておる。これをいかにするか」
と寛成。これに清氏は「頼之は我が一族であり幼馴染み。長年心を許しあった友でござります。あれと戦うことはこの清氏も望みませぬし、あれもこの清氏と戦うことは望みますまい。必ずやお味方にしてご覧に入れましょう」と述べる。「頼之とはどのような者か」と寛成が問うと、清氏は「わたしくめとは違い知恵者で先を見通す目を持った者かと。あれとこの清氏が手を組めば、天下をひっくり返すことも夢ではないかとも思われます」と答えた。「ほほう…頼之とはそれほどの者か」と寛成は微笑み、清氏にただちに四国へ渡るべく、ひとまず淡路に渡るよう指示した。清氏は大いに発奮して退出する。
 清氏が退出した後、寛成は正儀と具通を残して密談する。「頼之という男、そのような話に乗る者と思うか?」と寛成が問うと、正儀が自分はいささか頼之について聞き知っていると断った上で「清氏も申しておりましたが私情に惑わされず冷静に先を見通す目を持った者かと。かの尊氏もまだ若い頼之を見込んで重責を託しております。追い詰められた清氏とは違い、簡単に寝返りを打つとは思えませぬ」と答えた。「…で、あろうな」と寛成はつぶやき、「二雄は並び立てぬ。やはり二人を戦わせ、清氏に頼之を討たせるしかあるまい。また下手にあの二人に手を組まれては恐ろしいことになるとも思える…」と冷徹な表情で考え込む。そんな寛成の表情を、正儀は黙って見つめている。

 正月十四日、清氏は頼和、氏春らを引き連れて堺の港にやって来た。港では安宅頼藤がその水軍とともに彼を出迎える。頼藤は最近の阿波の情勢を清氏に説明する。阿波の山間部では小笠原頼清らが反頼之の抵抗戦を続けており、最近そこに清氏の一子・正氏が加わって彼らの旗印として担ぎ出され、彼らの士気を上げていた。頼藤はさっそく阿波に渡ってこれらの勢力と結び阿波一国を手中に収めようと清氏に意見するが、清氏は「主の留守の間に、その家を奪うような真似はわしにはできぬな」と言い、まず淡路に渡り、頼之説得の工作をするつもりだと頼藤に明かす。「そのような話、あの頼之どのが聞くと思われますか?」と頼藤は疑いを向けるが、「聞かねば討つまでよ」と清氏は笑って言い、頼藤には頼之の動き、海賊衆の動きによく目を光らせよと命じる。
 そして清氏らを乗せた船団は堺を発ち、ひとまず氏春が守護として治める淡路へと向かった。
 
 阿波・秋月の守護所には三島三郎が到着し、留守を預かる守護代の新開真行に会い、清氏および小笠原頼清らの動きに警戒するようにとの頼之の言葉を伝えた。真行は小笠原ら反頼之勢力が清氏の一子・正氏を奉じていること、また安宅頼藤の水軍勢力が阿波南岸をうかがっていることも察知しており、清氏が四国に渡るのを機に反頼之勢力が一気に形勢挽回をはかろうとしているようだと三郎に語る。清氏が阿波に来るとしていつどこに上陸するつもりなのか、と真行と三郎が話していると、奥から頼之の母・里沢尼が姿を現した。「清氏どのが阿波に渡って来られるというのはまことか…」と里沢尼は二人に尋ね、「清氏どのが参られたなら、この秋月にひそかにかくまうというわけには参らぬか…?」と懇願するように言う。「この秋月は頼之どのだけではない、清氏どのにとっても育ったふるさと。清氏どのは争いに敗れ、傷つき追い詰められて、このふるさとを頼って来ようとしているのじゃ…哀れとは思わぬか…?」里沢尼の言葉に、三郎も真行も黙り込む。
 阿波の山間部では小笠原頼清が少年正氏の前にやって来て、清氏が海路淡路に出たことを告げていた。「お父上は必ずこの阿波に参られましょう。勇猛無双の相模守さまがおいでになれば、この阿波をとるなどたやすいこと」と頼清は豪快に笑う。正氏は困惑したように黙っているが、正子「そなたは父上の名代としてここにおるのじゃ。みなの士気を上げねばならぬぞ」と叱咤して奮い立たせる。

 しかし清氏の動きはしばらく無かった。二月に入って間もなく、勇魚と小波の率いる船団は故郷の紀伊の村に帰っていた。神女の速波が二人を迎え入れ、この間のことなどを語り合う。勇魚と小波が、淡路に渡った後の清氏の行方が探り出せず、ひとまずこの村にやって来た、と言うと速波は楠木正儀から極秘に情報が送られてきていることを明かした。「清氏どのの軍は阿波には渡らぬ。讃岐に入り頼之どのの守護国である阿波と備前の間に楔を打ち込む策だそうな」と速波は言う。さらに、清氏自身は内心頼之を味方に引き込みたいと考えているが、寛成親王はじめ南朝の首脳はこれを機に四国・中国にまたがる頼之の勢力を消滅させることを狙っている、とも正儀の情報は伝えてきていた。「正儀どのは、頼之様に即座に讃岐へ兵を動かし清氏さまの動きに備えるべし、と伝えてこられた」と言う速波に、勇魚が「正儀どのが頼之さまにお味方なさるので?」と首をかしげる。「正儀どのはあのお二人を戦わせたくはない、とおっしゃる…どちらも互いを敵として戦うことを望んでおらぬはず、と…。辛い戦を避けるためにも、頼之さまに早く手を打たれよ、とのお気持ちだそうじゃ」と速波は言い、勇魚にこのことを頼之に伝えるべくただちに備前に戻るように指示した。小波もこれについていこうとするが、速波はこれをとどめる。
 勇魚が去り、夜の浜辺で速波は小波に「お前はこの村にとどまって私の跡を継ぐつもりはあるか」と突然言い出す。「そのようなこと、何を今さら」と小波がその言葉に驚くと、速波は「お前は生涯巫女として社に籠もることは出来ぬように思える。大海に出て動き回るのが性分のようじゃ…これも血かもしれぬの」と言う。血、という言葉に小波はギクリとする。しかし速波はそこから話をそらすように夜空を見上げた。「世が、変わり目に来ているようじゃ…天もそれを示している。それが良いことか悪いことかは分からぬが、変わっていくのは確かのようじゃ。あれを見よ」と速波に言われて小波が夜空の一隅を見つめると、そこにはかすかに尾を引く彗星の姿があった。その異様な輝きに驚き目を見張る小波。

 その彗星を淡路の港で清氏も見ていた。「よくほうき星は凶兆と言うがのう…ある者にとっては凶兆でもある者にとっては吉兆ということもある。わしは吉兆の方に賭けよう」 と清氏は一同に笑いかける。住吉の寛成親王からの使いが来て、ただちに兵を率いて淡路から讃岐に渡り、讃岐一国を制圧して頼之の勢力圏に楔を打ち込めとの指示が伝えられてきていた。頼之は山陰の山名勢と対峙しているからすぐには動けまい、讃岐をとることはたやすいはずと頼和が言い、氏春とその弟・信氏「頼之を味方につくよう説得するにしても、まずあやつをある程度窮地に追い込まねばなるまい」と意見するので、清氏もその策に乗ることにした。しかしあくまで頼之を説得する方針に変わりは無いと念を押す。
 それと相前後して、頼之のもとに勇魚によって正儀から漏らされた清氏らの動きが伝わっていた。二人を戦わせたくないとの正儀から漏らされた情報、と聞いて頼之は「そうか」と一言だけ言って出陣の準備にとりかかった。館の廊下を歩きながら夜空の一隅に輝く彗星に頼之も気づき、不安げな表情でそれを見上げる。
 
 清氏らは淡路の武士を主力とする兵数千を率いて、淡路から讃岐へと上陸した。讃岐の武士の半分は依然として氏春に付き従っているため一戦も交えずに清氏らの軍は讃岐平野を駆け抜けていく。そのまま守護所があり備前等との連絡の地である宇多津を占領しようと清氏軍は直行したが、宇多津に着いてみると意外なことが判明した。いつの間にか頼之が軍勢を率いて備前から宇多津に渡っており、すでに守護所を固めていたのである。「頼之め、我らの動きを読んでいたのか」と舌を巻いた清氏はとりあえず近くの白峰の麓にある砦に入り、頼之とにらみ合う態勢をとった。
 いったん押し寄せた清氏軍が引き上げていくの様子を、頼之は宇多津の砦の中から見ていた。「こちらは千、あちらは二千ほどかと」 と飽浦信胤が兵数を読む。頼之は清氏軍との戦いはあくまでも避け、このまま睨むあううちに清氏が降伏せざるを得ない状況に追い込むという方針を家臣たちに示し、そのために伊予の河野一族の陸・水軍の協力を得ねばならぬと語る。頼之は幕府を通して河野氏にはたらきかけてもらう一方、家臣の久枝掃部助を勇魚とともに伊予に派遣し援軍を求めさせることにする。
 河野氏は古くから伊予に根を張る土豪であり、強大な水軍も傘下に収め、四国と瀬戸内海に大きな影響力を持っていた。建武の騒乱以後に四国に進出した細川氏とは激しく戦った過去もあり、とくに伊予守護職を細川氏に奪われたことを深く恨んでいた。ときの当主・河野通盛も細川頼春および頼之の父子に深い怨念を抱いており、これに援軍を求めることの困難は頼之も重々承知していた。案の定、通盛は頼之はおろか幕府の援軍要請にも軽々とは応じず、「まず伊予の守護職を我らに返すのが順序であろう」と久枝らに言い放つ。これを伝えられた頼之はやむなく幕府に対して河野氏に伊予守護職を与えるよう要請する。
 この間、約一ヶ月。不気味なほどに頼之・清氏両軍はにらみ合うばかりで全く動きを見せない。

 讃岐で清氏と頼之が戦わずににらみ合っているとの情報を聞き、寛成親王は「それにしても頼之も素早かったのう…清氏に阿波ではなく讃岐を突かせるとのにこちらの策が漏れていたのではあるまいか」と中院具通に言う。「心当たりがないわけではありませぬ」と具通。「敵は身内の中にもあるようじゃのう…それも我らの帝のもとでもっとも力のある者がそれとなるとちとやっかいじゃのう」 と寛成は舌打ちする。
 「次の策を打とう。頼之の軍を讃岐の地に孤立させ、自滅させるのじゃ」と寛成は言い出し、地図を取り寄せ側近らを集めて説明を始めた。もともと頼之に反感を持っている河野氏に話をもちかけ瀬戸内の海賊衆に海上を封鎖させ頼之の補給路を絶たせる。また備前に山名軍を侵攻させ頼之軍の主力である備前の武士らを動揺させる。「清氏が戦わぬまでも、これなら頼之の軍はおのずから潰え去ろう」と寛成が言うと、具通はじめ側近たちは「まさに神算」と褒め称える。寛成は河野、山名らに向けて自らのしたためた令旨を届けるように命じると、公卿たちを退出させ具通だけを残した。「そなたは兵を率いて紀伊から阿波に渡り、小笠原らと合流して讃岐に入り宇多津を攻めよ。この一手で頼之にとどめを刺すのじゃ」と命じ、ひそかに「先ほどの策も、必ず楠木を通して漏れよう。漏れ所を見出し、塞いでおけ」とささやく。具通は黙ってうなずいた。

 それから数日して速波のもとに再び正儀から密使が来た。河野や山名と連動して頼之を追い詰める策を知った速波はこれを小波に教え、宇多津の頼之に至急伝えよ、と命じる。速波に見送られて小波らが船で出立しようとしたまさにそのとき、村に中院具通が率いる百人ばかりの兵が乱入して来た。具通らの軍は正儀の密使を追跡してここを突き止めたのである。速波は小波に「ただちに頼之どののもとへ急げ。あとを振り返ってはならぬ」と言いつけ、他の村人たちにも船に乗って海上へ逃れるよう命じたうえで具通らのもとへと向かった。小波は必死に残ろうとするが、村人たちが船に押し込み、海へと送り出してしまう。
 村人たちが海上に逃れようとするのを見て具通が「逃がすな!」と兵たちを叱咤するが、船着場の手前で巫女姿の速波が立ちはだかっており、兵たちはこれに手を出すのをためらって進もうとしない。激怒した具通は馬上から速波を斬り捨て、海へ走ったが、すでに村人たちの多くが海へ逃れたあとであった。具通はやむなく残りの村人たちを引き立てて船を出させ、それで阿波へ渡ることにする。

 すでに四月に入っていたが、讃岐では各所で小競り合い程度は起こっていたものの、依然として頼之と清氏は宇多津と白峰とに立てこもり、わずか二里を隔てて睨み合いを続けていた。頼之は河野通盛に改めて使者を送り、伊予守護職を河野氏に返還し旧領も全て安堵すると幕府が決定したことを伝える書状を出していたが、河野通盛は一向に動く気配を見せていなかった。焦りの色を濃くする頼之のもとに、清氏が自ら小勢を率いて宇多津の砦へと近づいてきたとの注進が入る。これを襲うべしとの周囲の進言を頼之は「清氏はわしと話をしたいのであろう」と退けて、自らも兵を率いて砦の外に出ると言い出す。
 頼之が砦の外に姿を現すと、清氏は五十歩ばかり離れたところまで近づいて「久しぶりに顔を見るのう、弥九郎」と笑って声をかけた。頼之は黙然としたまま。「すでにこうして睨み合うて一月半になる。いっそのこと古武士の習い、大将同士の一騎打ちでけりをつけるか」と清氏が笑って言うと、「わしは最初から負けると分かっている勝負はせぬ」と頼之。「そうであったな…わっぱのころからそうであった…腕比べではいつもわしの勝ちだが、知恵比べで結局弥九郎の勝ちであったわ」と清氏は笑う。それから真面目な顔になって「頼之、我らは互いに無いものを持っている。わしは武勇を、お前は知恵を持っておる。互いに無いものを補いあえば、天下をひっくり返すことさえ夢ではあるまい、どうだ」と清氏は言う。「天下をひっくり返して、どうなさる」と頼之が問うと、「生涯は一度しかない。その一度に、武将として天下を動かすような大事を為してみたいと思わぬか」と清氏は答える。これを聞いた頼之はしばし目を閉じて黙然としたのち、「ただ天下をひっくり返したいからひっくり返す、それではわっぱの遊びと変わらぬ。わしは意味の無い戦をして死にたくはない」と冷たく言って砦の中に引き返した。「弥九郎…」とその答えに唖然としたように立ち尽くす清氏。

 頼之が宇多津の砦の中に戻ると、意外な人物が来訪していた。阿波の秋月にいるはずの母・里沢尼が三島三郎に伴われてこの宇多津にやって来ていたのである。驚く頼之に、里沢尼は言う。「どちらも我が子とも言えるそなたたちに戦はさせぬ。この母が身をもって戦を止めてみせましょう。わたくしを清氏どのの陣へ送り届けてくりゃれ…」母の懇願に、頼之はそこに一縷の望みを託そうかと考えていた。

第二十二回「対決(前編)」終(2002年6月29日)


★解説★

世阿弥第三弾  はい、さんざん遅れて更新になりました、「ムロタイ」中盤のクライマックス「対決」の前編をようやくお届けいたします。毎度おなじみの解説担当の世阿弥でございます、なんですが、今回の解説には、大幅に執筆が遅れた責任をとってもらう、ということでまたまた作者の徹夜城に登場させて対談形式でいきたいと思います。

世阿弥(以下、「世」)「遅れましたねえ」
徹夜城(以下、「徹」)「遅れましたねぇ…いやホント、すいません。個人的なアクシデントも多少あったんですけど、展開をまとめるのに悩んでいたのが遅れた最大の原因です。それだけこの中盤クライマックスは難物でした。当初この対決は元ネタもあるから簡単に書けると思ってたんですけどねぇ。甘かった」
世「元ネタというと、やっぱり『太平記』?」
徹「そう。この頼之と清氏の対決は古典『太平記』最後の大ヤマといっていい見せ場なんですよね。彼が南朝に走ったせいか『太平記』の作者は妙に清氏に入れ込んでいるんですけど、この頼之と清氏の対決は猛将vs智将という対比もあいまって戦記ものとして読み応えがあります。深読みすると『太平記』全編のエンディングを頼之さんが締める伏線になっているのかも知れませんね」
世「次回の後編解説が困るので先ばらしはその辺にして(笑)、とりあえず展開まとめるのが難航した言い訳などを」
徹「まずこの対決については『太平記』以外にほとんど補足資料が無いんでその内容の検証が難しいんですね。最大の謎は清氏と頼之が五ヶ月近くにわたって讃岐平野の一角で対陣し続けたのはなぜか、ということでした。これ、一度疑問を持ったらもう泥沼にはまってしまって(笑)。『太平記』によれば両者間の距離はたった二里、現在の地図で言いますと宇多津町と坂出市で、瀬戸大橋の入り口挟んで睨みあっていたようなもんです。その間いったい二人は何をしていたんだ、と考えちゃったわけです」
世「瀬戸大橋の地点だということで分かるように四国の入り口ともいえる要地をめぐる争いだったってことですかねぇ」
徹「ここがなぜ戦場になったのかというのも難しい。『太平記』によると京で敗れた清氏はいったん河内に入ったけど誰も味方に来てくれないんで十七艘の船で阿波に向かったとしています。これが1月14日ごろのことだそうで。しかし三月の時点で義詮が河野通盛に清氏追討の命を下していますから、この時期には讃岐で頼之と対陣していたみたいですね。このあたり僕も不透明だと思ったから、清氏方についていた細川氏春が守護をしている淡路に一時いたことにしてみました。そして阿波には行かず、頼之の勢力圏に楔を打ち込むべく讃岐へいきなり上陸したことにしたわけです」
世「んで、ここで寛成親王なる人が登場して来ますね。なんだか今回いきなり登場したくせにこの戦い全体の影の演出者になってますが…この寛成親王って後に南朝の長慶天皇になるお方ですよね」
徹「いや〜、もうあれこれ考えていたら南朝内にこういう戦略的陰謀家がどうしても必要になってきちゃったんです。清氏くんじゃとてもそんな作戦無理ですから(笑)。で、新しいキャラをいきなり作るわけにもなぁ…と悩んでいたら、ふと『長慶天皇』の名が頭に飛び込んできたんです。おおっ、こいつなら今後も重要キャラだし使えるわい、どうせ史実はほとんど分からん奴だし、と彼にこの陰謀家役を押し付けちゃいました(笑)」
世「ほんと、ぜんぜん分かんない人なんですよね、この長慶天皇って。即位したこと自体「確認」されたのが大正15年(1926)だったというとんでもない天皇で…」
徹「存在自体がミステリアスな上に、徹底した強硬論者で正儀と対立したらしいとか弟の後亀山天皇と険悪だったとか面白い噂がある人ですよね。彼にはいずれ重要な役どころで出てもらうつもりでいたんですが、この時点での年齢がだいたい二十歳前後だったことを確認して急遽この陰謀家役を引き受けてもらいました。もっと早く出すべきだったと今は反省しきりです」
世「そしてその側近に中院具通というのが出てきますが…」
徹「これは珍しくフィクションキャラの公卿です。ぶっちゃけた話、速波を殺すために登場したキャラです。元ネタが全く無いわけではないですけど、それについては次回解説で、ですね」
世「速波さんが死ぬというのは当初から考えていたんですか?」
徹「ほんとはもっと早く亡くなるはずでした(^^;)。次々と機会を逸しているうちにこの局面に来ちゃいまして…これ以上延ばせないってんで、寛成親王の大作戦にからめて死んでいただきました。…この人、当初の予定ではもっと出番があったんだよな。後日「小説版ムロタイ」でも書くことがあったらもっと出番を増やしてあげたいと思ってます」
世「そういえば彗星が登場しましたね、あれは事実なんですか」
徹「ええ、『太平記』も書いているし実際に鎌倉では足利基氏の命で祈祷なども行われたようです。時期的に面白かったんで使わせてもらいました」
世「話がもとに戻るようですが…数ヶ月に及ぶ対陣、清氏さんも頼之さんも何を考えていたんですかねぇ」
徹「ドラマ的にはもともと親友同士の二人がお互いに戦いたくなくて葛藤していた、ということでクリアさせてます。実際どうだったかは分かりませんけどね。次回にまたがる話だけど、『太平記』は形勢不利だった頼之が母親を清氏のもとに送って和議を申し入れ、清氏が油断したその隙に城の守りを固めちゃったとしているんですね。話としては面白いけど赤松円心の白旗城のエピソードと酷似してるし、それで数ヶ月の睨み合いになったってのも理解できない。タネ本『細川頼之』(人物叢書)の小川信氏などは『母親思いの頼之がそんな作戦をとるはずがないっ!』などと書いたりしていますが、僕はむしろこの母親が本当に二人を和解させようとしていたんだ、との解釈でドラマにしています。頼之のお母さん一世一代の見せ場になりますしね(笑)」
世「でも、二人は戦ってしまう、と」
徹「それも悩んだんですよ〜(汗)。結果を変えるわけにはいきませんから。じゃあなぜ頼之は清氏を倒すのか、ずいぶん考えてしまいました。いや、第一回からずっと伏線を張ってきてるんですけど、実際この場面に来ると難しい。僕自身もドラマ中の頼之並みに悩みました(笑)。清氏からあんな誘いをかけられたら僕ならフラフラッと…(笑)」
世「さて、次回は決着をつけなくちゃなりませんね。しかし寛成親王が何やら大掛かりな手を打ってましたねぇ。あれは創作なんですか?」
徹「いや、これが恐ろしいもんで、実際に陰の演出者がいたんじゃないかと思える展開になるんですよ。頼之と清氏の対決って実際に日本史における重大な局面だったんじゃなかろうか…などと激しい思い込みに作者は陥りそうになっております(笑)」
世「では、視聴者の皆様にはそろそろ後編をご覧いただきましょうか」


制作・著作:MHK・徹夜城