真っ赤な太陽が地平から上がってくる映像をバックに、烏天狗の面をつけた騎馬武者が走ってくる。そこにベルリンの壁崩壊の映像が入り、「私たちはいま時代の転換期に生きている…「太平記」の時代も日本の歴史の大転換期だった…」とのナレーション。「その激動の時代を太平を願って生き抜き、やがて室町幕府を開いた武将、それが足利尊氏である」と尊氏木像がアップになってオープニングへ。
真田広之(足利高氏)
沢口靖子(登子)
萩原健一(新田義貞)
大地康雄(一色右馬介)
高嶋政伸(足利直義)
安部徹(高師氏) 左右田一平(高師行)
辻萬長(高師重) 河原さぶ(南重長)
北見治一(蓮房) 高杉哲平(風夜叉)
丹治靖之(木斎) 六平直政(宍戸知家)
高品剛(窪田光貞) 高尾一生(大平惟行) 平吉佐千子(歌夜叉)
ストロング金剛(大男) Mr.オクレ(小男) 佐藤信一(猿回し)
雨笠利幸(又太郎) 高橋守(直義・少年時代) 武内伸一郎(高師泰・少年時代) 近藤大基(小太郎・少年時代の義貞)
横山勇(右馬介・少年時代) 高山良(石・少年時代) 尾羽智加子(藤夜叉・少女時代) 津田充博(貞氏・少年時代)
前沢迪雄(従者) 黒木佐甫良(犬役人) 伊藤正博(番頭) 石黒正男(物売り)
片岡鶴太郎(北条高時)
樋口可南子(花夜叉)
児玉清(金沢貞顕)
織本順吉(塩屋宗春) 加賀邦男(安達泰盛)
横山リエ(貞氏の正室) 伊藤高(黒田法円) 小形竹松(足利家時)
吉川英資(守邦親王) 徐領義(高足) 町田幸夫・笠井心(安達泰盛の息子)
橋本菊子(塩屋宗春の母) 溝口順子(妻) 大木史朗(叔父) 大山豊(執事)
伊藤紘(沙汰人) 加藤治(老臣) 近松敏夫(陰陽師) 竹音なつみ(巫女)
佐藤友弘(侍大将) 宇乃壬麻・石川佳代(侍女) 高柳葉子・佐々木菜摘(女房)
わざおぎ塾(田楽) 若駒 ジャパンアクションクラブ KRC 鳳プロ
丹波道場 劇団ひまわり 劇団いろは NAR地方競馬教養センター 栃木県足利市のみなさん 群馬県太田市のみなさん
フランキー堺(長崎円喜)
藤村志保(上杉清子)
緒形拳(足利貞氏)
○制作:高橋康夫○美術:稲葉寿一○技術:鍛冶保○音響効果:加藤宏○撮影:杉山節郎○照明:森是○音声:鈴木清人○記録・編集:久松伊織
◇本編内容◇
弘安8年(1285)11月27日、幕府で権勢を誇る大名・安達泰盛邸では田楽を呼んで盛大な宴を催されていた。しかしそこへ突然幕府の軍勢が押し寄せ、安達館は火に包まれる。追いつめられた泰盛は「おのれ北条の手先ども…許せ!」と孫を手にかけ、自害するのだった。
20年後の嘉元3年(1305)、下野国足利庄に北条に滅ぼされた吉見一族の残党・塩屋宗春とその一党が足利氏を頼って逃げ込んできた。足利家の当主・貞氏は彼らをひとまず館に入れるが、それを追ってきた下野守護・小山氏の軍勢が足利館に押し寄せ、塩屋一党の引き渡しを要求する。足利側は武装し、夜に至るまで一族郎党を集めて対応をめぐって激論を戦わす。内心引き渡しを拒否したい貞氏だったが、老臣の高師氏が「戦って勝てるものなら、家時様はあのような御最期には…」と、切腹に追い込まれた先代の例を持ち出して諭す。憤懣やるかたない貞氏だったが、一族保持のために涙を飲んで塩屋一党を見捨てることを決断する。
館の門が開かれ、死に向かって突進していく塩屋一党。そのとき、その中にいた一人の少年が、飼っていた小鳥を逃がしてしまい、思わずそれを捕ま
えようと列を離れた。貞氏はとっさに飛び出して少年を引き止め、門を閉めさせる。塩屋一族は全滅するが、貞氏はこの少年を密かにかくまい、領地の三河へと
送り出すのだった。
鎌倉にのぼった貞氏を待っていたのは、幕府の内管領で最高権力を握る長崎高綱(円喜)による陰湿な追及だった。「子供を一人お逃がしになりませんでしたか」と問いただす円喜に貞氏は知らぬ存ぜぬで通す。貞氏が北条一門で貞氏の正室の妻・義兄でもある金沢貞顕の館を訪ねると、貞顕も円喜に対する不満の声を貞氏に洩らしていた。館の中で貞氏は離別した正室(貞顕の妹)が酒に酔い遊び呆ける姿を見かける。貞顕が「得宗どのの命でなければ御辺にあれをめあわせることはなかった…こなたには以前より上杉殿が家の女房としておられたのじゃ…全ては得宗どのが足利殿を北条に取り込もうとした無理な縁…こうなることは目に見えていたのです」と語り、貞氏は嘆息するのだった。
鎌倉の足利館に帰宅した貞氏に、妻・清子の出産が間近であることが告げられる。家臣達も固唾を呑んで見つめる中、無事に世継ぎとなる男子が誕生、産まれた子は「又太郎」と名付けられた。後の室町幕府初代将軍、足利尊氏その人である。
時が流れて正和5年(1316)、又太郎少年は弟の直義や高師泰ら
側近の少年たちを連れて、足利庄とは渡良瀬川を隔てた隣の新田領に忍び込んでいた。霊験あらたかな神が祭られているという洞窟の祠に入り、そのご神体を拝
もうと企てたのだ。直義や師泰たちが怖じ気づく中、又太郎はとうとう祠を開けて「ご神体」を見てしまう。意外にもそれはただの「木切れ」で、又太郎たちは
失望する。
そこへ侵入者に気づいた新田の若武者たちがやって来る。又太郎達は馬で逃げ出すが、渡良瀬川のほとりでとうとう捕まってしまう。若武者たちを率いていたのは小太郎と
いう又太郎より少し年上の少年だった。小太郎たちは足利を「北条の犬」となじり、少年達はあわや斬り合いの険悪な空気に。そこへ足利の武士達が対岸に集
まってきて、その中から一人の武士が川を馬で渡り、新田の若武者達を次々と川へたたき落としてしまう。小太郎は引き上げ際に「我らは源氏、ゆめゆめ平氏の犬になりさがるでないぞ!」と又太郎に吐き捨てていく。
又太郎達を救った武士は、領地の三河からやってきた一色右馬介という男だった。これから又太郎の側に仕えるよう命じられたというこの男は、かつて貞氏が塩屋一党の全滅の際に救い出したあの少年の成人した姿であった。
足利庄の館に戻ると、黒田法円という武士とその一味が米倉に火をつけようとしたところを捕らえられていた。家臣達は処刑を望むが、法円の背後に長崎円喜の影を察した貞氏はこれを放免する。又太郎は足利がそこまで北条に気を使わねばならぬかと憤慨し、母・清子にも新田小太郎に言われた言葉を伝える。表面的には冷静にふるまっている貞氏だったが、一人になったとき水差しをへし折って静かに怒りを爆発させるのだった。
所は変わって、美濃国。当時「悪党」と呼ばれた武士の集団にある農村が襲われていた。母親を殺され家を焼かれた少年が、馬に乗る悪党を俊足で追いかけ馬にしがみつくが、とうとう振り落とされてしまう。旅芸人の花夜叉一座が通りかかって一部始終を目撃し、少年の母親を葬ってやり、「石」と名乗るその俊足の少年を一座に加えることにする。花夜叉一座にはやはり孤児の藤夜叉という少女がおり、花夜叉は二人に「兄妹におなり」と言うのだった。
逃げた悪党が落としていった持ち物に「三河国富永保(とみながほ)」と書かれていて、一座にいる老人はそれが足利の所領であると石に教える。この時から石は「足利」の名に激しい憎悪を抱くことになる。
一方、鎌倉では又太郎の元服式が、執権の北条高時を烏帽子親として行われた。高時は烏帽子を又太郎にかぶせるとその体を押さえつけ、「頭を上げい」とからかう。じっと耐える又太郎に高時は「存外非力じゃのう」と笑う。又太郎はこの高時の一字をとって「高氏」と名乗ることになる。
時は移り、元亨4年(1324)。成人した高氏は大名の子息の習いとして将軍御座所の格子番を勤めていた。他の武家の子息達との交流もあるが、都育ちの母親から教わった蹴鞠(けまり)ばなしなど雅びな教養を見せる高氏を、同僚の宍戸知家は武士らしくない変わりものと呼び、執権・高時が好む闘犬のほうがよっぽど面白いと言うのだった。
高時は異常なまでに闘犬に熱中しており、将軍や御家人達も呼びつけて闘犬見物をさせていた。犬達の闘いにはしゃいでいた高時だったが、ふと同席
している高氏が退屈そうにあくびをしているのを目にしてしまう。怒った高時は高氏に闘犬用の猛犬を引いて場内を回るように命じる。高氏は引くどころか猛犬
に引きずられ、さらに飛びかかられ、犬と組み合う乱闘に。たまらず場内を逃げ回る高氏の姿に、高時は「あれ見よ!」と大喜び。見物客一同もどっと笑うなか、高氏は身も心もボロボロになって闘犬場を引き揚げていく。そのとき、見物客の中に笑わずに高氏をじっとみつめる一人の武士に目が止まった。それは少年の時に出会った、あの小太郎、成人した新田義貞だった。
館に帰ると、弟の直義がいきなり「嫁取りの話には反対だ」とつめよってくる。とまどう高氏に直義は「北条から兄者に嫁をもらう話がある」とうち明ける。怒った高氏は両親のところへ駆けつけるが、貞氏と清子は京都から送られた「おこし」などノンキに食べている。怒り心頭の高氏は「北条の嫁などもらいとうない…こんな鎌倉!」と絶叫する。貞氏は「住みとうないか…わしも昔そう思った…そして30数年だ。思いは今も同じだ」と高氏につぶやく。
母の清子は嫁取りの話はひとまず避けて、赤橋守時家から借りた古今六帖の写しを返してきて欲しいと高氏に頼む。しぶしぶ引き受けた高氏は赤橋邸へ。しばらく待たされた後、守時の妹の登子という女性が挨拶に来た。高氏はその美しさに、思わず目を見張る。
京都府綾部市。一般に鎌倉で生まれたとされる尊氏だが、母・清子の故郷である綾部で生まれたという伝説もあるとのこと。清子が安産を祈願した寺や、伝統の和紙作りなどが紹介される。
南北朝マニアの私がワクワクしてTVの前で待ち構えた、記念すべき第一回である。大河ドラマの伝統で第一回は時間延長、1時間15分のスペシャル版だ。プレタイトルがいきなり1989年の「ベルリンの壁崩壊」から始まるあたり、冷戦終結当時の時代の熱気を感じるところ(そういえばこの年の12月にソ連が消滅するのだ)。南北朝時代が日本史上の大転換期であるというのは、この時代の専門家である網野善彦氏などの主張でおなじみ。プレタイトルの最後でこれが「尊氏ドラマ」あることを前面に押し出すが、「太平を願って生き抜き…」というくだりには、「いかにもNHK」という声も上がりそう。
本編は冒頭からいきなり戦闘シーンで視聴者を一気にドラマに引き込む展開。安達泰盛といえば後年の大河ドラマ「北条時宗」で柳葉敏郎が演 じることになる武将だが、彼が平頼綱との対立で殺された事件は「霜月騒動」と呼ばれる。この事件が「太平記」の冒頭を飾るというのはかなり意表を突かれ た。「北条の横暴」を印象づけるための派手な演出でもあるのだが、いささか無理に昔の話を持ってきているという印象も否めない。しかしこの夜襲シーンはか なり大がかりなもので、特に兵士達が火矢を一斉に放つ映像は何度となくこのドラマで使い回されることになる。
なお、放送年に出版された『まるごと太平記読本』(学
研)にはドラマ前半のオリジナル脚本がまるごと掲載されているのだが、それで確認すると脚本段階ではこの安達泰盛戦死のシーンのあとに平頼綱とその甥・長
崎高綱(円喜)が「次は足利」と密談するシーンが入り、それから尊氏の祖父・足利家時切腹のシーンにつながり、家時が霜月騒動の余波から足利家を守るため
に自害したと人々は噂したというナレーションが入ることになっていたことが分かる。ドラマ前半の敵ボスである円喜を早い段階で登場させたことも注目だが、
当初は平頼綱も登場予定だったというのは面白い。この密談シーン、実際に撮影されたかは不明だが、実際に放送されていれば「北条時宗」の北村一輝に先駆け
た初の映像作品登場になるところだったのだ。この頼綱も永仁元年(1293)に執権・北条貞時によって滅ぼされてしまうことになる。
足
利家時の自害と彼が残した置文については後で詳しくふれるのでここでは省くが、家時が霜月騒動の余波で自害したという設定はあくまで推測。実は家時の正確
な没年は不明であり、霜月騒動前後ぐらいだったと予測されることから自害の原因と考える推測がある、ということにすぎない。ただ霜月騒動で安達側について
討たれた武士の中に足利分家の吉良家の者がいたことは確認でき、北条氏が独裁傾向を強める中で足利家が安達泰盛ら反北条御家人の旗頭にかつぎだされる可能
性は十分にあったと思われる。いずれにせよはっきりしない話なので、ドラマでは家時の死と霜月騒動を直結させる描写は避けたのかも知れない。
さて少々無理して冒頭に「霜月騒動」を持ってきたために、次のカットでいきなり20年後に飛んでしまう(笑)。足利館に塩屋一党が逃げ込んでくる騒動は、
「忍従する足利」を象徴する事件として描かれるが、原作にもない完全な創作。しかし太田市に建設した足利館オープンセット(新田館・楠木館にも流用されている)で行われたロケはきらびやかな鎧武者の軍団も映えて見応えがある。「霜月騒動」シーンに続くこの戦闘シーンでいやが上にもドラマへの期待が高まる寸法。
ここで登場する「塩屋宗春」は「吉見孫太郎の一族」と説明されるが、吉見孫太郎とは永仁4年(1296)に謀反の疑いで捕えられ処刑された吉見義世のこと。
会議の場面でフラッシュで挿入される足利家時切腹のシーンは、第9回でより詳しく見ることが出来る。また、この創作部分で重要なのは一色右馬介の出自が語
られる点。原作にも登場するこの創作キャラクター(一応名前の出典がなくはないが)だが、ドラマではより劇的な脚色が行われている。考えてみるとこの右馬介、第一回から最終回まで出ずっぱ
りの数少ない人物である(ほかは尊氏、直義、登子しかいない)。
鎌倉に舞台が移ると、長崎円喜役フランキー堺の実にいやーらしい演技が早くも見られる。卑屈になったり居丈高になったり、実に巧妙だ。対
して児玉清の金沢貞顕は「いい人」という役どころだが、ここでチラッと「貞氏の正室」が酒を飲みながらスゴロクに興じているカットが見られる。貞氏が「釈
迦堂殿」という呼び名で伝わる金沢貞顕の姉妹を正室に迎えていたことは事実で、彼女との間に長男・高義をもうけてもいる。だがこの長男・高義は元服はした
ようだが早世しており、「釈迦堂殿」もその後の消息が不明であることからドラマでは「離婚」ということにしたようだ(精神を病んだようにも見える演出になっている)。高氏と直義の母である上杉清子を貞顕
が「家の女房」と表現しているが、これは足利家時の母も上杉氏で「家の女房」と表現されていることを参考にしたのだと思われる。高氏の異母兄・高義の存在
については原作「私本太平記」は高氏のセリフで言及されていたが、ドラマでは高氏が貞氏最初の子にしか見えない。
高氏(尊氏)誕生のシーンでは
時代考証上いくつか興味深い映像がある。安産を祈ってであろう、陰陽師がぶつぶつと祈り、上半身裸の巫女が皿を叩き割る呪いをやっているのだ。そして貞氏
は何やら竹の葉らしきものを持たされ待機している。そして産声が上がると、家臣達は遠くから貞氏の様子をじっとうかがう。貞氏が清子の部屋に入った時点で
「男子」と判明するらしく、家臣達がどっと騒ぐ。このへん、妙に細かい描写が続くので元ネタがどのへんにあるのか知りたいところだ。
続いて足利庄での又太郎少年の物語。実のところ祖先の地とは言え尊氏や貞氏がこちらで生活していたことがあったのかはかなり疑問で、 「ご当地サービス」という印象が強い。隣同士の新田・足利のケンカは吉川英治の原作にもある話で、それを子供時代のエピソードとして利用したものだ。原作 にある「足利とんぼ」「新田いなご」という悪口も飛び交っている(子役達の発音のせいで良く聞こえないけどね)。新田義貞と足利尊氏という宿命のライバルの初顔合わせという意味では重要なシーンだ。大地康雄演じる成人した一色右馬介も、颯爽と馬に乗って川を渡りチャンバラをするという実に美味しい初登場をするという点でも重要なシーン。 そういえば出演の中に出ている「KRC」というのはこの撮影の馬術指導担当の日馬伸さんという方の「クサマ・ライディング・クラブ」のことで、このシーンを初めとする騎馬シーンにはたいていここの人達が出ているらしい。
重要と言えばここで又太郎たちが見に行く「ご神体」のエピソードは、このドラマ全体を貫く大きな伏線となっている。最終回に尊氏が直義を
毒殺するとき、この「木切れ」の思い出話をしているのだ。この話は「美しいものを追い求めたが、それはただの木切れだった」という失望とともに、「しかし
その木切れにも神はいるのかもしれない」という希望を二重に象徴する。この「木切れ」はその後の尊氏の人生全体を象徴することになるわけで、ずいぶん大が
かりな構想を練ったもんだと思える。
ところでこの場面で少年達が若様を「又太郎さま」と呼ぶ一方で、なぜかその弟は又太郎に「直義」と呼ばれている。直義の幼名が分からないのでやむを得なかったのだろうけど、かなり変な会話ではある(^^;)。また幼名以外でも、直義は元服時から「直義」だったわけではなく、もともと「高国」(高氏と同じで高時の一字をもらった)と名乗っていたことも分かっている。古典「太平記」でも各種小説でも読者の混乱を避けるためもあって最初から「直義」の名で登場するので、ドラマが特に面倒くさがっているわけではない。
場面は移って、ドラマの一方の核となる「ましらの石」と「藤夜叉」の初登場シーン。どうしても気になるのが、石の母親を殺した悪党が足利領の武士であると
推測される話。これで石は生涯「足利」を仇と憎むわけだけれど、そんな「悪党」どもが足利家の家臣というのも考えにくく、また手がかりが悪党の落として
いった「三河国富永保」と書かれた持ち物だけなので、どうも「何かの間違い」という印象を受ける。この謎がいずれ解決されるんじゃないかと思っていたのだ
が、とうとうこの問題にドラマが踏み込むことはなかった。だいたい当事者である「ましらの石」がドラマ中盤でふっつり姿を消してしまうので…このあたり、
構想倒れの可能性大。
この回に登場する「悪党」たちの描写については、ドラマの監修についていた永原慶二氏が放送当時にやや苦言を呈する発言をしている(佐藤和彦氏との対談、歴史科学協議会編「新しい中世史像の展開」収録)。
現在の中世史研究では「悪党」とは盗賊まがいの傭兵集団から反体制土豪まで含めた幅広いイメージでとらえられており、このシーンのような「単なる盗賊集
団」みたいな描き方は問題、といった趣旨の発言で、原作の吉川英治、それに影響を与えた中世史家・林屋辰三郎の1950年代の研究が「悪党」という言葉に
引っ張られたのがその原因があると指摘している。この「富永保の悪党」の伏線がその後触れられないのもそうした監修の意見が反映した可能性もある。
さて主役・真田広之の高氏も登場して、最初の見せ場がいきなりやってくる。原作にもある高氏の猛犬との格闘シーンだ。真田広之と言えばもともとはジャパン・アクション・クラブ(「太平記」にもここがエキストラ提供)出
身のスタント無しアクション俳優。
普通じゃ主役本人はやらないようなスタントアクションを「太平記」でもところどころで披露してくれるが、そのトップを飾るのがこの闘犬場シーン。土佐犬ふ
うの猛犬とけっこうマジで格闘してくれる。このシーンの撮影実行はスタッフとしてもかなり思い切った冒険であったようだ。この闘犬場シーンでは萩原健一演
じる新田義貞も初登場。セリフはいっさいなく、ただじっと高氏を見つめるだけだが、その存在感は圧巻だった。高時を忌々しく睨みながら馬で駆け去ってい
く。
足利館では真田広之と共に最終回までほぼ毎回出演の高嶋政伸演じる弟・直義も初登場。登場した途端にかなりのハイテンションでセリフを飛ばしてくれる。序
盤での直義はやや幼児的とも思えるテンションの高さが目立つが、中年以後は大人しくなるので、これは計算された演技だろう。
ただ実際の直義はもっと冷静・冷徹な性格であったと伝えられ、このドラマでの熱血・三枚目タイプの直義像に対しては、少ないながらも存在する「直義ファ
ン」からの不評もあったみたい。南北朝研究の第一人者である佐藤進一氏も大の「直義びいき」として知られ、「あのNHKのテレビ・ドラマの『太平記』にはね、大変不満でね。直義があんな男であるわけがないという…」と発言し、網野善彦氏も「あれはミス・キャストですね」と応じたことがある。もちろん高嶋政伸の熱演については評価しているのだが(1992年1月の佐藤進一・網野善彦・笠松宏至3氏鼎談、平凡社「日本中世史を見直す」収録)。
嫁取りの話に拒否反応を示す高氏に対し、「おこし」なんぞかじっている両親のとぼけぶりが何ともいい味を出している。しかし貞氏がつぶやくように吐く「思いは同じだ…」のセリフは静かながら強烈。しかしその直後に「清子の里のおこしは誠に美味い!」などとごまかすあたりも貞氏らしさだ。とにかくこのお父さんは表面はクールに、そして内面では物凄く熱い思いを胸に秘めたまま動乱を前に亡くなってしまうんですね。天下人の父親だというのに記録もエピソードも全くなく(尊氏の祖父の家時のほうが有名なぐらいで)原作でもまるで登場しないこの貞氏、このドラマでは緒形拳の落ち着いた演技もあって、いかにもいそうな忍耐のお父さんという存在感を付与されていた。登場する回では当然ながら出演表示の「トリ」がほぼ定位置だ。
ラストに高氏は赤橋邸へ。高氏が雨の中、ブツブツ言いながら赤橋邸へ向かうロケシーンは、このドラマのクランクイン(1990年9月15 日)に足利市のオープンセットで撮影された「一番搾り」シーン。赤橋邸でドラマ全体を通した長期レギュラーとなる沢口靖子が可憐に初登場。直前まで北条へ の怨念に燃えていた高氏が、あっさり目を奪われてしまうあたりはなんだか可笑しくもある。
ドラマに関連した各地を紹介する「太平記のふるさと」だが、この第一回は誰もが「足利」と思うところを意表を突いて「綾部」と来たので驚いた。とにかく全国各地が舞台になるこの物語、「ふるさと」を訪ねるこのコーナーはなかなかの好企画であったと言っていい。
尊氏の出生地については実は明確な資料がない。足利本家はほとんど鎌倉で生活していたので鎌倉で出生と考えるのが自然であるためドラマでもその説がとられ
ている。その一方で母・清子の故郷である上杉荘、現在の綾部で生まれたとする伝承もあり、現地には尊氏産湯の井戸なんてものまで存在する。もちろんそんな
のはほとんどアテにならないのだが、当時女性の出産は実家に里帰りして行うケースも多い。また上記のように清子は正室ではなく、すでに正室が生んだ嫡男・
高義が存在していたから、清子の出産は正室に遠慮して実家の上杉に帰っておこなわれたのでは…という推測は可能なのだ。文芸評論家・村松剛氏のユニークな
南北朝史論『帝王後醍醐』では尊氏の出生地を上杉の地とする説を採り、その根拠としてこの地が清子がこの地の生れであることが書状で確認できること、この
地にある丹波・安国寺には分骨された清子・尊氏・登子の墓があり、室町幕府の強い保護を受けていた事実などを挙げている。
いやー、とにかく濃い1時間15分である。今回だけで尊氏の誕生から青年期までがつめこまれるだけでなく、これからドラマを彩るレギュ ラーメンバーの大半が紹介され、それぞれに結構見せ場がある。戦闘シーンが冒頭に二回も詰め込まれているのを見たときは、今後どうなっちゃうんだかと放送 当時思ったものだ(笑)。第一回はやはり客寄せ。見せ場をこれでもかとブチ込んだこの回は、大河史上でも屈指の「第一回」なのではないかな、と個人的には 思ってます。