第十回「帝の挙兵」(3月10日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:田中賢二


◇アヴァン・タイトル◇

 鎌倉幕府を支えていた「御恩」と「奉公」による将軍と御家人の相互関係が「蒙古襲来」をきっかけに崩れていったこと、北条氏による幕府政治独裁の 強化への御家人達の不満、幕府の皇室内紛への介入に対する朝廷の不満などが、次々と説明される。それらの動きがいずれも最大の御家人・足利家の動向に注目 している。



◎出 演◎

真田広之(足利高氏)

沢口靖子(登子)

武田鉄矢(楠木正成)

陣内孝則(佐々木道誉)

榎木孝明(日野俊基)

堤大二郎(護良親王)

高嶋政伸(足利直義)

本木雅弘(千種忠顕)

赤井英和(楠木正季) 河原さぶ(南重長)
瀬川哲也(恩智左近) 桜金造(和田五郎)
北九州男(二階堂道蘊) 団厳(忍の大蔵) 荒川亮(花山院師賢)
高品剛(窪田光貞) 高尾一生(大平惟行) 渡辺寛二(大高重成)
樫葉武司(南宗継) 中島定則(三戸七郎) 岸本功(南条左衛門)
上原秀雄(円観) 伊達大輔(近習) 萩原等司(若侍) 市麻充子(乳母)

フランキー堺(長崎円喜)

藤真利子(久子)

柄本明(高師直)

勝野洋(赤橋守時)

大和田獏(万里小路藤房)

西岡徳馬(長崎高資)

児玉清(金沢貞顕)

原田美枝子(阿野廉子)

麿赤児(文観) 井上倫宏(四条隆資)
羽場裕一(洞院公敏) 滝沢英行(万里小路季房) 八神徳幸(宗良親王)

若駒 ジャパンアクションクラブ KRC 真言宗豊山派のみなさん 足利市のみなさん 太田市のみなさん

緒形拳(足利貞氏)

藤村志保(清子)

片岡孝夫(後醍醐天皇)



◎スタッフ◎

○制作:高橋康夫○美術:稲葉寿一○技術:小林稔○音響効果:加藤宏○撮影:細谷善昭○照明:大西純夫○音声:岩崎延雄○記録・編集:津崎昭子



◇本編内容◇

 元徳三年(元弘元年・1331)五月、鎌倉幕府は軍を京に送り、幕府調伏の祈祷をしていた文観円観らを逮捕した。天皇の側近・吉田定房の密告は計画の首謀者を日野俊基と断じており、彼にも幕府の手が及ぼうとしていた。俊基は牛車に乗り、何としても天皇に拝謁しようと内裏へと急ぐ。しかし内裏まであと一歩というところで忍の大蔵が率いる兵士たちにつかまってしまう。俊基は牛車から飛び降りて裸足で走り出し、内裏へと駆け込む。大蔵達もそれを追い、内裏の衛士たちと乱闘になる。
 俊基は内裏の中庭に駆け込み、「出あえ!出あいそうらえ!」と公家達に呼びかける。しかし誰も恐れて応じようとしない。大蔵たちが中庭に入り込み、俊基に組み付く。「下郎ッ!退(す)され、退され、ここは宮闕(きゅうけつ)なるぞ!」とわめく俊基に「きゅうけつぅ?帝のおられる御所のことか。それがどうした!」と大蔵はお構いなしで暴れる俊基をとうとう取り押さえた。「なぜじゃ…!なぜ吉田定房どのは…あと一息で北条を…無念じゃ!」とうめく俊基。

 都での騒動の余波は鎌倉にも及んでいた。夜半に佐々木道誉が裸足のまま、家来達を連れて足利邸に逃げ込んでくる。田楽見物に出たところを15、6名の者に待ち伏せされ一人斬られたというのだ。高氏師直に 命じて外の様子を調べさせると、なるほど忍者のような集団が刀を構えて待ち受けている。道誉はこれが長崎父子による襲撃であり、反長崎派の秋田城介も襲撃 されたと高氏に明かす。「高時と覚海尼が黙っていまい」と直義が言うが、道誉は「もそっと裏を読まれよ」と言い、すでに高時も覚海尼も長崎父子と手打ちを 済ませたのだ、と解いてみせる。京での事態に乗じて長崎父子が反長崎派の抹殺を図っていたのだ。そして日野俊基も即刻処刑と決まったと高氏に告げる。
 道誉は立ち上がり、これから長崎邸に命乞いをしにいく、と言い出す。「その途中で襲われては元も子もない」と高氏に自分を長崎邸まで送って欲しいと笑って頼む。しかし師直は「はなはだ迷惑…われらはわれら、佐々木殿は佐々木殿」と冷たく言う。高氏は以前助けてもらった借りもある、と同行を承知する。
 長崎邸に着くと、道誉は長崎父子の前に土下座して自分に何の野心もないことを述べ、さらに高資の足にすがりつき、見苦しいまでに「どうかお慈悲を!」と泣きつく。満足そうに眺める円喜だったが、高氏と目が合うと顔を引き締めた。
 帰宅した高氏は貞氏にこの一件を話した。そして日野俊基が斬られることを「無念」と口にする。「なぜ無念と思うか」との貞氏の問いに「帝や彼らは美しかった」と高氏が答えると、貞氏は「美しいものでは、長崎殿は倒せぬ。美しいだけではの…」とつぶやく。貞氏の寝室から出た高氏は登子に明日にも鎌倉に来る俊基にまた会ってみたいと漏らすが、師直は「俊基どのも所詮はお公家。雲の上のお方に殿のお気持ちが分かりましょうか?武家は武家、公家は公家…」と冷たく言って立ち去っていく。そんな師直を見て登子は「師直どのは不思議なお方でござりまするな…何年も会うているのにいつも初めて見るような心地が」と高氏に言う。そこへ高氏と登子の間に生まれたばかりの子・千寿王が連れられてきた。彼こそのちの室町幕府二代将軍・義詮である。

 翌日、鎌倉に着いた日野俊基は即刻葛原ヶ岡で斬首されることとなった。筆をとり、「古来一 句、無死無生、千里雲尽、長江水清」と辞世の詩を書く俊基。高氏は庶民の姿に身をやつして見物人の中に紛れ込んでいた。俊基も気づき、思いのこもった視線 を送り、やがて目を閉じた。思わず駆け寄る高氏。その瞬間、刀が振り下ろされ、鮮血が陣幕に散った。高氏は立ち去りながら、俊基との出会いを回想していく のだった。

 元弘元年8月、3000の幕府軍が京の都へと向かった。それを知った比叡山の護良親王は弟の宗良親王にこの派兵が父・後醍醐天皇の廃位と流刑を目論んでいるものと説明する。対策を問う宗良に「しれたこと、戦じゃ」と言い放つ護良。後醍醐帝に「御動座」を願い、比叡山に立てこもって一戦交えるのだと。護良から密書が内裏へと送られる。
 そのころ、内裏では六波羅の動きをめぐって公家達が大騒ぎしていた。そこへ天皇の愛妃・阿野廉子が姿を現し、静まるようにと言う。吉田定房の裏切りに憤る公家達に対しても、廉子は「それを誰が見ましたか?持明院派の陰謀やもしれませぬ」とたしなめる。
 やがて側近達を一同に集めて後醍醐天皇が口を開いた。「騒ぐまい…むしろこれは朕の本意ぞ。かかることでもなければ思い立てぬ。動座じゃ」との天皇の言葉に驚き慌て、悲しむ公家達。天皇は千種忠顕に 神器など荷物をまとめるように命じ、公家達も思い思いに準備のために散っていく。出発の用意をしながら廉子が「ご一緒できませぬか?」と天皇に問うが、天 皇は他の妃達・女官達が廉子無しでは困ってしまうだろうと言って彼女を残す。廉子は名残惜しげに神器を抱きしめながら、車を用意するようあたりに呼びかけ る。
 夜のうちに、後醍醐帝は粗末な女房車に身を隠して内裏を脱出した。後から来た供の者などを加えな がらひとまず比叡山を目指すが、途中の道が六波羅軍に押さえられていることを知り、奈良へと針路を取る。翌朝、六波羅の軍勢が内裏へ乱入したが、すでにも ぬけの殻。一方天皇は奈良に一泊したのち、頼みにしていた東大寺が北条側についてしまったことを知って慌ただしく奈良をたち、8月27日に笠置山に入っ た。後醍醐帝はここで「うかりける 身を秋風にさそわれて 思わぬ山の紅葉をぞ見る」と歌に詠む。

 「帝挙兵」の情報を、和田五郎が楠木館にもたらす。笠置の天皇の味方がわずかであること、奈良の寺が寝返ったことなどを知った楠木正季は「おのれ、南都の僧め!」と怒り、兄の正成にもなぜ呼応しないと詰め寄る。しかし正成は「正季…この勝ち負け、みえておる」と言うだけ。正季は怒って飛び出していく。
 正成が中庭に来ると、妻の久子が侍女達と楽しそうに柿の実をむいている最中だった。長男の多聞丸が自分の名もろくに書けぬとこぼす久子に、正成は「多聞丸の手習いも見てやらねばならん…水利権をめぐる裁きもせねばならん…干し柿の吟味もせねばならん…わしは忙しい。戦などしているヒマはどこにもない!」とつぶやく正成を、久子は不安そうにじっと見つめる。

 鎌倉幕府の評定所では事態の展開にさらなる大軍の派遣が検討され始めていた。評定のさなか、執権の守時に知らせが入る。足利家の清子からの急報であった。「わしも後から行く」と使者に言ったあと、「ダメか…」とつぶやく守時。
 高氏は富士での巻き狩りから急ぎ帰宅した。館に入ると家臣達がみな体を震わせて泣いている。高氏は貞氏の寝室に入り、いつものような調子で「父上…」と声をかけた。それを聞いて泣き崩れる直義と登子。高氏の目に貞氏の死に顔が入ってくる。じっと夫の顔を見つめる清子。
 元弘元年(1331)9月、足利貞氏は動乱の足音を間近に聞きながら59年の生涯を閉じた。



◇太平記のふるさと◇

 京都府笠置町。木津川の水運と笠置寺参詣で栄えた歴史、後醍醐天皇の歌碑、行在所跡などを紹介。



☆解 説☆
 
 いよいよドラマは動乱に向けて急展開を始める。それにしてもこの回の出演リストは南北朝の大物ぞろいで盛りだくさんといった印象。
 細かいことだがこの回から登場する渡辺寛二さん演じる「大高重成」(ドラマでは「おおたか」。「だいこう」と読ませる本もある)は古典「太平記」にもよく名前は出てくる人物。高氏の側にいる家臣の一人なので、ドラマでもとにかく良く出ている。ただし南重長なんかと並んでただ「家臣一同」として顔を出しているだけで印象は薄い。

 冒頭で文観が捕らえられるシーンが入るが、この怪僧はこのあと硫黄島(鹿児島の南の方のどこかの島らしい)へ流刑にされている。また同じくチラッと逮捕シーンが映る円観は古典「太平記」に よれば当初遠流だったのだが、文観が囚われている部屋に高時の家臣が様子を見に行ったら、障子に映る円観の影が不動明王の姿に見えたため、高時が恐れを為 して減刑したことになっている。文観・円観ともに幕府滅亡後に都に呼び返され、後醍醐天皇の寵臣として栄華をきわめることになるが、南北朝分裂後、一貫して南朝についた文観に対して円観は北朝に鞍替えしている。
 なお、同時に捕らわれた忠円という僧が足利讃岐守(貞氏)のもとに預けられたことが古典「太平記」に見えるが、ドラマではこの件には全く触れなかった。

 日野俊基が捕らわれる場面は、吉川英治の創作をそのまま拝借して構成したものだが、映像的にもなかなかの見せ場。内裏を守る衛士と武士が揉み合うシーンなんて滅多に見られませんぜ。俊基と大蔵が内裏の中で交わすやりとりは完全に「私本」中のセリフそのまま(ただし相手は大蔵ではなくその上司)。 「きゅうけつぅ?」とバカにして言う大蔵のセリフ、創作ではあるのだが当時の古い価値観が崩壊していく感覚をそこはかとなく出していて面白い。実際、建武 新政期に「内裏の中で不浄なことをしてはならない」なんて法令が作られていて、そういう無礼者がけっこういたことをうかがわせている。この俊基逮捕の場面 の根拠は『増鏡』にあり、俊基が幕府の捕吏をのがれて内裏に逃げ込み、大騒ぎのすえ捕縛され、宮中の人々が何事かと問うひまもなくうろたえるばかりだった と伝えられる。このとき後醍醐天皇は病で寝込んでいて騒ぎを知らず、報告を受けてひどく心配したと『増鏡』は記すが、実際のところどうだったのだろうか。
  逮捕された俊基が吉田定房への恨み言を言っているが、やや理解しにくいことに後醍醐天皇は以後も定房を処罰したり冷遇した気配がない。後醍醐天皇が吉野に 入った時も定房はすぐには同行せず北朝に仕えたりしているが、結局吉野に入って寿命を全うすることになった。後醍醐にとって父とも言える人物、その関係は 単純な君臣関係では推し量れないもののようだ。

 佐々木道誉が襲撃される話はドラマだけの完全な創作。ここで陣内孝則の佐々木道誉が泣いて命乞いをするシーンは、「道誉らしさ」を出すのに一役買っている。
 前回から登場した執事・高師直が早くもちょっと不気味な存在として目立ち始めている。「私本」だともっと豪快な印象で道誉とタメを張るぐらいな のだが、このドラマでは無表情な、やや冷酷な印象を与える人物として描かれている。この回のラストの貞氏死去でもよく見ると一人だけ泣いていない。ドラマ 終盤の「観応の擾乱」への伏線として師直を印象づけようと言う作戦のようだ。

 鎌倉へ送られた日野俊基が即刻処刑されてしまっているが、これは史実ではない。古典「太平記」が物語的手法として元弘の乱勃発前に俊基が 処刑されたことにしていて、「私本太平記」もそれに倣っているのだが、実際には元弘の乱がひとまず幕府側の勝利で終息した(ように見えた)翌元弘2年 (1332)6月3日に処刑されたことが確認されている。同志の日野資朝も前日に佐渡で処刑されている。
 俊基が辞世の詩を書いているシーン、古典「太平記」のままなので「うーん、芸が細かい」などと僕は当時感心したものだ。辞世というと和歌というのが一般的だが、俊基らは当時輸入されていた最新の政治哲学・宋学の影響を多分に受けているところがあり(「私本」ではこの事に触れているが、ドラマでは描ききれなかった)、かなり「中国かぶれ」のところがあるのだ。だから漢詩の辞世(しかも李白の詩からの引用がある)なんじゃなかろうかと思うところ。俊基が死ぬと彼の名シーンが次々と回想されるが、この手法は「太平記」では大物が亡くなるとしばしば行われていた。
 ちなみに「私本太平記」では処刑前夜に高氏がわざわざ訪ねてきて俊基と歓談する。ドラマとは違い「私本」では高氏と俊基はそれまでに一度ちらりと顔を合わせただけで、この処刑前夜に初めて語り合うことになっていた。

 いよいよ後醍醐天皇が挙兵を決意するあたりで原田美枝子演じる阿野廉子(読み方には諸説あるがドラマでは「れんし」と音読みにしていた)が 初登場。「太平記」における「悪女」代表といったところ。なんだかこの人見ていると後醍醐とウマがあうわけだよな、などと思っちゃうのは僕だけか(笑)。 原田美枝子さんというと黒澤明の「乱」とか大河ドラマ「北条時宗」とか、どうも強烈な悪女役が目に付く。戦乱の物語なので女優陣は「留守を守る」という形 になりがちなドラマの中で、自ら積極的に動乱に介入していく女性という美味しい役どころだった。自分も連れていってほしいと後醍醐に頼む場面のやりとりも 「私本」からそのまま持ってきたものだ。
 初登場と言えば本木雅弘の千種忠顕もこの場面でお目見え。一枚看板で出演リストに出ているくせにセリフは「ははっ!」だけ(笑)。一人だけ赤い衣冠束帯をつけて、真っ黒な公家衆の中でやはり目立っていた。

 ドラマでは比叡山への道が塞がれていたので奈良へ、そして笠置山に入る後醍醐一行だが、古典「太平記」では敵の目を欺くために花山院師賢 を天皇の替え玉にして比叡山に送り込む。意気上がる比叡山の僧兵達は六波羅軍相手に大善戦するが、風で御簾(みす)がめくれて師賢の顔が見えてしまうとい うハプニングが起こり、僧兵達はガッカリしてあっさり寝返ってしまう。護良親王・師賢らはやむなく比叡山を脱出して笠置山に向かうのだが、残念ながらドラ マではこの愉快なエピソードはカットされてしまった。比叡山と言い、奈良(南都)の興福寺・東大寺と言い、「太平記」の世界では僧兵を抱えた寺が強大な軍 事勢力としてしばしば登場し、状況を左右するほどの影響力を持っているのだ。
 笠置山に入った後醍醐天皇の御製の歌がドラマ中に登場しているが、余裕なのか、それとも突然の事態への困惑なのか。まぁどっちにしても優雅なもんである。

 楠木正成に状況を報告する和田五郎役は桜金造さん。「コメディーお江戸でござる」などでおなじみ。以後、正成が湊川で自刃するまで常に正成の側にあって顔を見せてくれる。

 ラストでとうとう緒形貞氏死去。序盤を引っ張りまくってドラマが盛り上がってきたところでの退場。「御苦労様…」とその顔を見て思うばかりでした。