第十一回「楠木立つ」(3月17日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:榎戸崇泰


◇アヴァン・タイトル◇

 後醍醐天皇が挙兵し笠置山に立てこもるまでの経緯のまとめ。



◎出 演◎

真田広之(足利高氏)

沢口靖子(登子)

片岡鶴太郎(北条高時)

高嶋政伸(足利直義)

本木雅弘(千種忠顕)

赤井英和(楠木正季) 井上倫宏(四条隆資)
桜金造(和田五郎) でんでん(神宮寺正房)
北九州男(二階堂道蘊) 渡辺寛二(大高重成)
樫葉武司(南宗継) 中島定則(三戸七郎) 佐藤祐(秋田城介)
にれはらゆい(虎女) 神野三鈴(萩) 阿部きみよ(小岩)
平川ひとし・当山三郎・武川信介・須藤雄次(農民)
森喜行・鐘築建二・松井郁也(農民) 刈田公(武将)
山浦栄・村添豊徳・須藤芳雄(重臣) 市麻充子(乳母)

藤真利子(久子)

柄本明(高師直)

勝野洋(赤橋守時)

大和田獏(万里小路藤房)

西岡徳馬(長崎高資)

児玉清(金沢貞顕)

沢たまき(覚海尼)

瀬川哲也(恩智左近) 寺田宗丸(聖尋)
荒川亮(花山院師賢) 滝沢英行(万里小路季房) 垂水直人(金剛寺了源)
北代隼人(多聞丸)

若駒スタントグループ ジャパンアクションクラブ クサマライディングクラブ
早川プロ 丹波道場 セントラル子供タレント 真言宗豊山派のみなさん 足利市のみなさん 太田市のみなさん

武田鉄矢(楠木正成)

藤村志保(清子)

片岡孝夫(後醍醐天皇)



◎スタッフ◎

○制作:高橋康夫○美術:青木聖和○技術:鍛冶保○音響効果:藤野登○撮影:杉山節夫○照明:森是○音声:松本恒雄○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇
 
 鎌倉に六波羅からの報告が入り、六波羅勢が笠置山を攻撃したものの緒戦で敗れてしまったことが伝えられる。慌てた幕府はさらなる大軍を関東から派遣することを決定した。長崎高資二階堂道蘊は東慶寺へ行き得宗である北条高時に派兵の承認を求める。高時は先ごろ亡くなった足利貞氏の 供養のために写経をしていた。それを讃える高資に高時は「そちや円喜ほど足利をいじめた者はおらん。しらじらしい…」と答える。高資が畿内へ出陣する大名 の一覧を出した。高時がそれを眺めると、多くの北条系大名に混じって「足利治部大輔高氏」の名もある。高資は、喪中の足利に出陣を命じて何と答えるか反応 を見ると説明する。
 足利家には執権の赤橋守時が直々に出向いて出陣を要請した。「面目ござらん」と頭を下げる守時に、高氏は即座に出陣要請に従うことを約束する。喪中の出陣要請に直義や家臣達は憤るが、高氏は何も言わず、ただ清子とともに貞氏の位牌に「父上…」と声をかけるだけだった。朝食をとりながら登子が、直義が最近自分に良く声をかけてくれること、直義が高氏が何も言ってくれないと寂しがっていることなどを高氏に語る。 「私も何も聞いておりません」と不安そうな表情を見せる登子に、高氏は「大袈裟じゃのう…わしは兵は出すが戦をするとは申しておらん。笠置を見に行くだけじゃ。矢は一本も撃たぬ」と言う。
 翌日、登子は千寿王を連れて守時を訪ねた。守時は「戦は大きくはなるまい」と登子を慰める。しかし登子が高氏の「矢は一本も撃たぬ」という言葉を伝えると、守時はちらと不安な表情を見せる。
 九月上旬、高氏は直義や師直と共に兵を率いて鎌倉を旅立った。

 そのころ笠置山での戦闘は二週間に及び、善戦していた後醍醐天皇側もさすがに敗色が濃くなりつつあった。ときおり各地から呼応した武士などが加わってくるものの、期待したほどの反応はまだ無かった。いらつく後醍醐天皇は日野俊基から耳にしていた楠木正成の消息を千種忠顕に尋ねる。忠顕は正成が河内・大和の悪党達を平らげたことなどを挙げてその強さを述べるが、すでに綸旨を送ったにも関わらず正成が馳せ参じてこないことに「さては北条に与したか」と公家達は怒る。その場にいた東大寺の僧・聖尋は正成の人となりを語り、こちらから使者を出せば馳せ参じるはずと進言する。しかし公家達は「帝が武者ごときに勅使など…」とさげすむ。
 その夜、後醍醐天皇は夢を見る。夢の中で、菩薩の使いの童子二人が天皇の前に現れ、「大樹の南の陰に天子の座がある」と教えて消え去っていった。翌朝、後醍醐天皇はまわりの者に「この夢、解けるか」と問い、自ら「木の南じゃ!書けば『楠』と読めよう!」と夢解きをする。天皇は万里小路藤房に勅使として正成を直々に呼び出しに行くよう命じる。

 楠木の本拠・水分では笠置攻めのための物資調達と称する、事実上の略奪が北条の兵士達によって行われていた。物資を奪われた農民達が泣い て正成に訴え出るが、正成は自分が「帝にも幕府にもどちらにもつかぬ」と言って守護代から五百の兵を出せという命令を断ったために、このような仕打ちを受 けることになったと説明する。この事態に憤った家臣の神宮寺正房和田五郎の二人は正季に従って笠置へ馳せ参じようとする。正成は正房と五郎を叱りつけ正季ともども止めようとするが、彼らは聞く耳を持たず飛び出していく。
 困っている正成のところに妻の久子が長男の多聞丸を連れてやってくる。多聞丸はようやく自分の名前をかけるようになったのだ。正成は誉めるが「聞の字がいかん」といって自ら息子の手を取り字を書かせてやる。そうしながら「行きたい者はみな行けばよい…のう久子…」と言いつつ「愚かな事じゃ。わずか二百の兵で笠置へ行ったところでみな討たれてしまう。みな妻も子もある…正房も五郎も…どうするつもりじゃ」と案じる正成。そんな夫を見て久子が「今から行けばまだ間に合いまする」と言うと、正成はうなずいて正季に追いつこうと馬に飛び乗り館を飛び出そうとした。その時、館に藤房を乗せた輿が館に入ってくる。「わしの館になぜ勅使が…」と驚く正成。

 中納言という高貴な殿上人の来訪に、館の侍女達は物珍しそうに藤房をのぞいてはコソコソとしゃべっている。そんな中、正成は藤房と対面する。開口一番、藤房は「詔(みことのり)です」と 高らかに言い、帝がその方をお召しになっている、即刻笠置へ参上せよ、この冥加ありがたくお受けなされと一方的に正成に向かって言い渡す。しかし正成は自 分は力無く才無くかえって足手まといになると言って「ひらにご辞退申し上げる」とあくまで拒否する。これには藤房も引くに引けず「この藤房もここは動けん。思案の付くまでここで待とうぞ」と座り込みを決める。「こは迷惑な…」とつぶやくように言う正成に、藤房は帝が見たという霊夢の話を語り出す。「この藤房、夢などは信じぬ。だが夢にでもすがらねば…笠置は…主上のお命が…」と涙ぐむ藤房。正成は黙っているだけ。ひとまず藤房は近くの寺で夜を明かすことになった。

 正成と久子は庭にある柿の木を見ながら、久子の嫁入り以来のことを語り合う。この地方の習俗では女は柿の苗を持って嫁に行き、嫁ぎ先の庭に植え、一生を共に過ごして死んだらその木を切って薪にして焼いてもらうのだ。正成は言う。「男はこう言われるのじゃ…その木を長う使えと…まちごうても己の手で切ってはならんと…だが、男は戦があるでの。戦は女や子供を巻き込むつらい修羅だ…わしはそれが嫌なのじゃ」
 しかし久子は「殿、木も生き物でございます。家の主の誉れは木の誉れ」と言って正成を励まし、「木のためにお迷いなさいますな!」と突然斧をとり、柿の木に振り下ろした。斧は柿の木に食い込む。久子は自分のしたことに驚くかのように、凍り付いたままそれを見つめる。その目からは涙がこぼれていた。そんな妻をじっと見つめた正成は、干し柿を口にしながら、「久子…長い戦になるぞ…長い戦に…」と言い、「多聞丸を、頼む!」と立ち上がった。
 
 翌日、正成は鎧姿で馬に乗り、正季以下の楠木党を集結させた。「参る!」と一言言って、正成が軽やかに馬を走らせ、郎党達がワラワラとこれに付き従う。
 楠木正成が立った。河内の片隅で立ち上がったこの土豪が、のちに大きく世を変えることとなる。

 正成の挙兵を高氏が知るのは、笠置へ向かう旅の途中であった。



◇太平記のふるさと◇

  京都御所。現在の位置に内裏が来たのは後醍醐の次の光厳天皇からであること、現在の御所の建物は安政年間に建てられたものであることなど、歴史を紹介。三十年に一度行われる屋根のふき替え作業の映像も。



☆解 説☆
 
 内容はタイトルそのまま、南北朝の名将・楠木正成の出馬を語る回だ。
 前回の後醍醐天皇挙兵、笠置立て籠もりの展開を受けて始まるが、残念ながら古典「太平記」で展開される笠置攻防戦はほとんど描かれず報告のみで 済まされてしまった。笠置山上での後醍醐や公家達のやりとりのシーンで僧兵達が走っていったり、鬨の声が聞こえたりはするが。落城の時は盛大にやってくれ ますけどね。

 高氏が父の喪中に笠置への出陣を命じられた話は史実である。これがのちに幕府に反旗を翻す大きな理由となったと古典「太平記」などはしているのだが(ただし貞氏死去の時期を実際に反旗を翻す直前のことにしている)、それだけが原因だとはやはり考えにくい。儒教的価値観を持ち出すことが多い「太平記」ならではの動機説明という気がする。
 
 後醍醐天皇の霊夢のくだりは、「古典太平記はこう記している…」というナレーションをつけて、霊夢をファンタジックに映像化していた。この「木 の南」の夢の話はあまりにも有名で、古典「太平記」前半の主役ともいうべき楠木正成の登場を神秘化する効果を持っている。古典では後醍醐天皇はまだ「楠 木」の名を知らず、この夢を解いて楠木を呼び出すという展開なのだが、「私本太平記」もこのドラマも、すでに楠木の名を天皇が知っている設定なので、この 夢は天皇による意図的な計略という形になってきている。状況からすれば笠置に立て籠もるまで「楠木」をまったく知らなかったというのは不自然だし(「増鏡」は正成について「事のはじめよりたのみにしていた」と記している)、まぁ夢 の話は当然ながらフィクションだろう。このドラマでは特に「武者ごときに勅使など…」と田舎武士を軽んじる公家達をたしなめる形で後醍醐が一計を案じたと いうような描き方だった。
 夢の直前のところで「隣国ゆえ楠木の人となりは聞いている」と話し出す「聖尋」という僧が出てくる。これはもともと鷹 司家の人で東大寺に入って別当となっていた人。もともと後醍醐天皇と知り合いだったらしく、東大寺が天皇に味方しなかったにも関わらず一緒に笠置山に登 り、捕らえられている。

  ところで後醍醐の正成についての質問に対して千種忠顕が「昨年、摂津の悪党が4、500の兵で市場をおさえんとして楠木に平らげられた」と発言している が、これの元ネタがあるのか、まだ確認はしていない。楠木正成に関する確実な一次資料は、この年の挙兵の直後に和泉で兵糧を横領して「悪党楠」と報告され ているものが最初だ。それ以前の正成と楠木氏についてはほとんど何も確実なことは分かっていないと言っていい。
  ただ忠顕が続けて「紀伊・大和の悪党も楠木に平らげられた」と言っていることには一応元ネタがある。江戸時代に編纂された高野山の史料に、元亨二年 (1322)に楠木正成が北条高時の命を受けて摂津の渡辺党、紀伊の保田庄司(湯浅党)、大和の越智氏といった「悪党」たちを次々と撃破したことが記され ているのだ。これが事実とすると正成は北条氏の家臣であった可能性が高くなり、前歴不明の正成と楠木氏の素性を考える上で重要なカギとなる。また、このと き正成に敗れたとされる渡辺・湯浅・越智といった悪党的武士団がいずれもその後楠木氏ともども南朝勢力となっていくのも注目点だ。

 楠木正成を呼び出す勅使となる万里小路藤房は、後醍醐天皇の重要な側近の一人。この楠木召し出し場面のためにわざわざ大和田獏さんをキャ スティングしての登場となっている。このあと幕府に捕らえられて流刑になり、倒幕実現で返り咲くが、建武新政の実態に絶望して失踪してしまうというなかな か劇的な人。残念ながらドラマではこのあたりでしか登場していない。
 藤房を物珍しげに覗く楠木家の侍女、虎女・萩・小岩の三人のやりとりは実にコミカル。「あの方は中納言という、とっ〜ても高貴なお方なのです!」「中納言って?」「中納言と申せば…、少納言の上…、大納言の下です!」というやりとりは爆笑もの。彼女たちのコミカルなお芝居は次回でも登場し、楠木家に漂うどこかユーモラスで素朴な平和ムードを描くのに一役買っている。もちろんそれが戦乱によって破壊されていくことを強調する小道具でもあるが。

 藤房の恩着せがましい召し出しに正成が「迷惑」と抵抗するやりとりは、「私本太平記」とほぼ同様。もちろん古典「太平記」ではこんなシー ンはなく、召し出しを受けた正成は即座に笠置に馳せ参じている。しかし先にも書いたように実際には挙兵以前に天皇側と楠木家の間で何らかの連絡はあったは ずであり、わざわざ勅使を出して呼び出したとすると正成が天皇に呼応するまでに数週間は迷っていたと考えることが出来るのだ。吉川英治はそれを考慮して 「ぐずる正成」という創作を行ったわけだが、ぐずる理由を家族との平和な生活を破壊されることへの懸念に求めているあたりは、戦前の「忠臣正成」像を戦後 の平和主義志向に合わせてひっくり返すためのやや強引な設定という印象も強い。そのため正成がなぜ結局戦乱に身を投じるのか今ひとつ説得力に欠ける嫌いが ある。ドラマ「太平記」も基本線は同じだが、幕府による略奪や暴走する弟や部下など正成が決起に追い込まれる要素を周辺に散りばめ、さらに妻の久子が夫を 励ますために柿の木を切ろうとする場面まで加えて(柿の木の習俗の話自体は吉川英治の創作だが、それを切ろうとするのはドラマ側の創作)、正成の挙兵をなんとか説明しようとしている。よく見ていると正成自身ひそかに思うところがあったようにも描いているのだが。

 史実としてはどうだったのかというと、正成自体がとにかく正体不明の部分が多い人物なので、よく分からないとしか言いようがない。水利権 を握りどうやら商人的性格も強く、「悪党」と言われるような当時の新興勢力であったと思われる楠木氏のこと、恐らく天皇の軍に呼応することで地位上昇や勢 力拡大を図る野心は少なからずあっただろう。ただこの時の後醍醐天皇の挙兵には、普通に考えてもかなりの危険を感じていたはずだ。一族の命運をかけた一か 八かのバクチであり、そりゃ数週間は悩むだろうというもの。ついでながら古典「太平記」を読んでいると「悩む棟梁・けしかける弟」という構造がしばしば出 てくる。足利兄弟、新田兄弟、名和兄弟などがそれで、楠木兄弟も同様であった可能性は十分に考えられるのだ。

 ところでこの回で正成の制止を聞かず飛び出していく神宮寺正房と和田五郎。この二人の正成家臣は「太平記」や「和田文書」といった複数 史料を検討して作られたものと思われる。古典「太平記」では赤坂城攻防戦のところで「和田五郎正遠」が、湊川合戦で「和田五郎正隆」そして「神宮寺太郎兵 衛正師」なる人物が登場し、「和田文書」に湊川合戦に参加した者として「神宮寺新判官正房」の名が出てくるという。要するによく分からないわけだが、いず れも楠木氏の一族の者には違いない。和田五郎にいたっては「太平記」で正成の実弟ともとれる書かれ方をしている。このドラマでの正成家臣は常に恩智左近と この二人がレギュラーとして最期まで顔を出していた。
 なお、この回から出てくる「多聞丸」は後の楠木正行である。