第十三回「攻防赤坂城」(3月31日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:榎戸崇泰


◇アヴァン・タイトル◇

  楠木正成の戦略の解説。後世の城とは全く異なる山上の砦・赤坂城の実態を説明し、後世軍略の天才と言われることになる正成だが、実際には強大な関東武士を相手に互角に戦える唯一の方法として山岳ゲリラ戦法をとったのだと解説する。



◎出 演◎

真田広之(足利高氏)

陣内孝則(佐々木道誉)

柳葉敏郎(ましらの石)
 
高嶋政伸(足利直義)

本木雅弘(千種忠顕)

宮沢りえ(藤夜叉)

藤木悠(上杉憲房) 赤井英和(楠木正季)
潮川哲也(恩智左近) 桜金造(和田五郎) 
でんでん(神宮寺正房) 丹治靖之(木斎) 
ストロング金剛(大男) Mr.オクレ(小男) 平吉佐千子(歌夜叉)
渡辺寛二(大高重成) 樫葉武司(南宗継) 中島定則(三戸七郎) 
佐藤信一(猿回し) 楠野紋子(子夜叉)  山崎雄一郎(不知哉丸)
伊達大輔・片岡松三郎・鮫島仲一(近習) おやま克博(家臣)
 
近藤正臣(北畠親房)

後藤久美子(北畠顕家)

大地康雄(柳斎=一色右馬介)

柄本明(高師直)

段田安則(北条仲時) 北九州男(二階堂道蘊) 山中康司(大仏貞直)
世古陽丸(北条時益) 香川耕二(金沢貞冬) 上野淳(江馬越前)

若駒スタントグループ ジャパンアクションクラブ クサマライディングクラブ 国際プロ 丹波道場 
劇団ひまわり 劇団いろは 太田市民劇団 足利市のみなさん 太田市のみなさん

武田鉄矢(楠木正成)

樋口可南子(花夜叉)

片岡孝夫(後醍醐天皇)



◎スタッフ◎

○制作:高橋康夫○美術:田中仲和○技術:鍛冶保○音響効果:加藤宏○撮影:杉山節郎○照明:森是○音声:鈴木清人○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇
 
 笠置は落城したが、叛乱の炎は各地に広がっていった。そんな中、足利高氏はひとまず京へと戻る。やがて笠置で捕らえられた後醍醐天皇も京へ運ばれてくる。都は天皇の奪還計画や天皇の暗殺計画など噂が飛び交い騒然としている。六波羅では後醍醐帝の処置を急ごうという意見も出るが、まずは河内・赤坂城に立て籠もる楠木正成を一気に叩いてしまおうという事に決する。
 高氏たちは叔父の上杉憲房邸に滞在していた。そこへ北畠顕家と名乗る少年公家が一人で訪ねてきて、高氏に面会を求める。憲房は顕家が後醍醐帝の側近中の側近・北畠親房の息子であることを教え、高氏に「用心めされませ」と言う。高氏が廊下を進むと、庭で大高重成たち家臣が弓を手に騒いでいる。何事かと高師直に 聞くと、顕家が彼らの弓を見てあざ笑ったので腕比べをすることになったのだという。的(まと)が見あたらないので高氏が師直に尋ねると、なんと松の枝に糸 でつるした一本の針が的だと教えられて高氏は驚く。大高が三度外した後で、顕家が弓に矢をつがえた。狙いが定まると顕家は静かに目を閉じ、矢を放った。矢 は見事に針を射落とし、大高たちや高氏は驚嘆する。

 部屋に通して、高氏が顕家に「よく針が見えましたの」と言うと、「見てはおりません」との返事。針を見ないでどうして矢を当てられるのかとの問 いに顕家は「お教えすれば父に会っていただけますか」と問い返す。顕家は父の親房に命じられて高氏を呼び出しに来ていたのだ。師直が改めて「どうやって見 ないで針を射落とせるのか」と問うと、「神仏のご加護で…かみほとけのお導きで」と顕家は答える。高氏が「北畠殿の弓には神仏がついておられるのか?」と驚いたように聞くと、顕家は表情一つ変えず「はい」と即答するのだった。
 高氏が北畠邸に出かけてしまったことを知った直義は怒り、「なぜ止めなかった」と師直に詰め寄る。しかし師直は「殿が行くと仰せられては執事のそれがしには…」と言い訳。「ならわしに知らせればよい」と直義が言うと、「殿は足利家の惣領。いちいち弟君のお許しをいただかねばならぬいわれはございませぬ」と師直。その言葉に「なに…」と血が上る直義だったが、師直は気にもせず菓子など頬張りながら立ち去ってしまう。

 高氏が顕家に案内されて北畠親房の屋敷に入ると、中から聞き覚えのある笑い声が聞こえてくる。佐々木道誉だった。道誉は親房を「自分が茶や花を教えた都いちのお弟子」と紹介するが、親房は「うるさき判官よ、とく帰れ」と追い払う。道誉が去ると、親房は「どうにも分からん男じゃ…朝廷に同心すると申しては鎌倉に浸りきり、鎌倉方かと思えばこうして何の前触れも無しにこちらの顔色を見に来る…およそ節操というものがない」と道誉を評する。
 高氏が顕家のことを「不思議なお方でござりまするな」と言うと親房も「帝もそう申され、おそばに久しく置かれたことがある」と語る。それから親房は本題に入った。後醍醐天皇を暗殺しようとする動きが幕府内にあるという噂を耳にし、それを案じているのだと。そして「足利殿のお力で帝のお命、お助けいただけまいか」と 頼み込んだ。やや当惑気味に高氏が「なぜそれがしに?」と問うと親房は笠置の戦いで足利軍が戦うそぶりをみせなかったことを知ったからだと答えた。高氏は 勘ぐられては困ると言いつつ、仮に暗殺などということがあるとしたら必ず阻止すると約束する。親房は「かたじけない!」と頭を下げるのだった。
 会談が終わって高氏が廊下に出てくると、道誉が待ち構えていて「日野俊基の次は北畠親房か?どうも御辺は怪しい」と声をかけてくる。北畠と何を話したとしつこく道誉が聞くが、高氏は答えない。「まだ早い。駒不足じゃ…やるなら勝たねばならん。勝てぬならやらぬが良い」と道誉は高氏に言い、「このわしと戦うことになるかもしれんぞ」と脅すように忠告する。高氏が立ち去ろうとすると、道誉が表門には六波羅の目が光っているから裏口から出ろ、と勧めるが、高氏は聞かずにそのまま表門から立ち去る。それを不敵な笑みで見送る道誉。
 やがて二万の大軍が京から赤坂城目指して発せられた。大軍は四隊に分かれ、各方面から赤坂城に殺到する事になった。高氏自身は伊賀の反幕府勢力 を掃討しつつ赤坂城を目指す第四軍に入ることになった。出陣に当たって高氏は直義に都に残って後醍醐帝を守れと命じる。直義は大いにむくれる。
 
 そのころ、楠木正成の立て籠もる河内の赤坂城ではわずか五百の楠木勢が死闘を繰り広げていた。険しい崖を登ってくる幕府軍に向けて丸太や大石を 転がし、塀にとりついた者がいれば縄を切って二重の塀の外側を切り離し、混乱している敵に矢の雨を降らせる。それでも近づいてくる兵がいると鍋で沸かした 熱湯を頭から浴びせかける。こうしたあの手この手の手段で敵をひるませたとみると、正季率いる部隊が城門から出撃して敵に直接攻撃をかける。このようなゲ リラ戦を展開してわずか五百の楠木勢がかれこれ一ヶ月も幕府の大軍を相手に善戦を続けていた。
 赤坂城に入って戦うは、戦況を手紙で伊賀の藤夜叉に伝えていた。その手紙を藤夜叉は訪ねてきた柳斎に読んで聞かせる。赤坂城には秘密の抜け穴があってそこを通って伊賀などと人の出入りがあったのだ。「負けそうになったらそこから抜け出せるのう」と言う柳斎に、藤夜叉は「負けそうにならなくてもすぐに出てくればいいのに。石はお人好しだから…」と怒ったように言う。
 柳斎が石は誰に字を教わったのだと聞くと「花夜叉さまよ」と外から声が聞こえてきた。人形遣いの木斎だった。見れば花夜叉が一座を率いてやって来ている。藤夜叉は戦ごっこに熱中している子の不知哉丸(いざやまる)に一座の皆へ挨拶させる。花夜叉は藤夜叉に赤坂城の落城が間もないと告げる。抜け穴もふさがれてしまい、このままでは城の者は皆殺しだと。そして「藤夜叉、石を助けたいか?…ならば柳斎どのに頼むがよい」と突然言い出す。柳斎を通して伊賀へやって来る高氏に頼むのだと。二重に驚く藤夜叉。正体が割れたと知った柳斎は家を飛び出して逃げようとするが、花夜叉一座の者に素早く取り囲まれてしまう。観念して座り込んだ柳斎に花夜叉が頭を下げ「足利家の忍び、一色右馬介どの…ようやく見参かないました」と挨拶する。花夜叉は「楠木一族をお助け願えませんでしょうか…楠木正成は今お助けいただければ、いずれ必ず足利殿のお助けに…」と右馬介に頼み込む。右馬介が「おもとは一体何者じゃ?」と問うと、花夜叉は答える。「楠木正成の妹でござります…名を卯木(うつぎ)と申します」

 落城迫る赤坂城では護良親王らが脱出を済ませていた。すでに矢も尽き、食糧も尽きていた。「これまでよう戦うた…よう戦うた…落ちたい者は落ちてくれ。別れてもとどまっても、ここまで信じ合うた者同士、二心とは思わん。随意どこへでも落ちてくれい」と正成が呼びかけると、兵士達はすすり泣く。正成は正季に大穴を掘り、そこにこれまでの戦死者を埋めて弔ってやるように命じる。その時、にわかに強い風が吹いてきた。「風が強うなってきたの…これは有り難い。天の助けじゃ!」と正成は叫ぶ。
 石は命じられて油を城中の建物にまき、火を放った。落城間近とみた幕府軍が一気に城門に押し寄せ、ついに城の中へ突入してくる。そんな騒ぎの中、卑しい庶民姿に変装した正成が目の前に現れ、石は唖然とする。正成は「わしはこれから伊賀まで突っ走る!敵にはここでわしが死んだように見せる」と 言う。正季は石に正成を伊賀まで送ってくれと頼み、床板を上げて床下へ石と正成を入らせる。床板をしめる間際に正成は「いずれ!」と正季に声をかけてい く。幕府軍の兵達が城中に殺到する中、正成と石は床下を這うように進み、隙を見て城から脱出する。他の楠木一党も思い思いに血路を開いて落ち延びていっ た。
 10月21日、ついに赤坂城落城。一ヶ月に及ぶ死闘は終わった。燃え上がる炎を背に幕府の軍勢が勝ち鬨の声を上げている。それを遠くから眺めながら、正成は死んだ兵士達の冥福を祈るように手を合わせる。

 そのころ、高氏は兵を率いて伊賀にさしかかりつつあった。高氏が近づいてくることに藤夜叉は思いを募らせていた。



◇太平記のふるさと◇

  「板東武者」というタイトルで、栃木県の南北朝事情を紹介。古典「太平記」にしばしば登場し、正成も一目置いた猛将・宇都宮公綱の話や、宇都宮氏に従った益子を拠点とする「紀党」の益子一族、真岡を拠点とする「清党」の芳賀一族のことなどを紹介する。



☆解 説☆
 
 「太平記」序盤の見せ場の一つ、赤坂城の戦いを描く回だが、それだと主役の高氏がお留守になってしまうので(笑)、北畠親房・顕家父子との出会 いを絡めている。当然ながらこの時期に高氏と北畠父子が顔を合わせていたなんて史実はないし、「私本太平記」でもこんな展開はない。

 さて何かと話題のキャスティングだった後藤久美子の北畠顕家がこの回から本格的に始動。北畠顕家は「南朝の貴公子」などと言われて昔から人気のある公家武将だ。やや余談になるが私の知る限りの各種の「太平記」ネタゲーム(TVゲーム、ボードゲーム含む)では顕家が南朝系ではほぼ間違いなく最強の戦闘力数値に設定されている(北朝だと高師直が最強)。 強く、しかも貴公子という美味しいキャストを誰が射止めるのか注目されたが、なんとそれに後藤久美子。当時「国民的美少女」というやつで人気はまだまだ絶 頂期だったかも知れない。藤夜叉を演じる宮沢りえとアイドル女王対決と話題を呼んだのだが、幸か不幸か両者競演シーンは存在しない。
 何でも当初から後藤久美子の「太平記」出演は決まっていたものの、「お姫さま」か「美少年」かと後藤久美子自身の意向をNHK側が聞いたよう なのだ。後者は顕家しかいないわけだが、前者の場合誰だったんだろ。ともあれどうやら後藤久美子側の強い希望で「美少年」役に決まったものらしい。第39 回で散華するまで出番はそこそこにあるが、肝心の見せ場であったはずの尊氏軍を京から追い落とす部分(問題の第35回「大逆転」に含まれる)が 大幅にはしょられてしまったため、「武将」としての印象は今ひとつ残せなかった。それと…やっぱり女性が男性を演じることの難しさを感じるばかりだった。 特に時代劇ということもあり、どうしても出てくるだけで「浮いてるなぁ」という感想を持ってしまった。顔は確かに男の子の顔になっているのだが、年齢的に 幼な顔すぎるのでは、という思いも。かなり浮き世離れした神秘性、と言えば言えるんだけどね。

 浮いてしまいがちな顕家を脇でビシッと締めているのが近藤正臣の北畠親房。この回から最終回まで長々と登場する重要な公家キャラクター だ。白塗りで何を考えているのか分からない無表情な顔が印象的。北畠親房といえば南朝イデオロギーの歴史書「神皇正統記」の作者だが、この回でも高氏が親 房のことを「和漢の典籍に通じたお方」と呼んでいる。ドラマではそうした学者的・思想家的描写はあまり出てこず、やや風変わりな陰謀家というイメージだっ た。なお、近藤正臣さんは舞台で後醍醐天皇を演じたことがあるそうで。
 北畠邸へ行くと道誉がいつもの高笑いで登場する。親房も言っているが、ホントに良くわからない奴(笑)。常に状況がどっちに転んでも大丈夫な ように二股かけておく、というのが道誉の基本方針のようだ。第3回の解説でも触れたが、北畠親房は元亨2年(1322)に検非違使の長官を務めており、こ のとき道誉も検非違使になっていたと思われるから、そのとき接点があった可能性はある。
  北畠親房は吉田定房、万里小路宣房らと並んで「後の三房」と呼ばれた後醍醐天皇の側近中の側近。天皇が挙兵したり捕えられたりしてるのに、親房はなんで何 にもしてないの?と思う人もいるだろう。親房はのちの南朝の柱石となるぐらい後醍醐への忠誠心は非常に高いのだが、そのやり方には批判的な部分も多かった と言われている。上記の検非違使の長官就任も後醍醐のかなり強引な人事であったようなのだが、一年もしないうちに辞任して日野資朝が後任についており、そ の直後に「正中の変」が勃発することから、親房は後醍醐の討幕計画には批判的で距離を置いていたのではないかとの見解がある。また親房は後醍醐の皇子・世 良親王の乳父(めのと)として後見人をつとめていたが、元徳2年(1330)9月にこの世良親王が急逝してしまい、親房は出家して一線を退いている。この ことも親房が後醍醐の挙兵に参加しなかった理由に挙げられている。

 「太平記」で名高い楠木正成の赤坂城攻防戦だが、本格的に映像化されたのはこれが最初ではないだろうか。ロケ地はオープンセットからそう遠くはない足利市内の採石場で、採石会社の社長さんから「お好きなように削ってください」と提供を受け(脚本集に載る写真によるとこの社長さんも甲冑を着てエキストラ出演していた模様)、 赤坂城・千早城に見立てた山城のセットが組まれた。エキストラ兵士は総勢でも20〜30人程度と思われ、遠くから映すときは合成を使って大人数に見せかけ ている。この赤坂城の戦いのシーンは当初からこのドラマ前半の見せ場の一つとされており、それまでの時代劇の戦闘シーンには無い独特の迫力と映像美を楽し める名場面となった。あとで千早城の戦いも出てくるが、赤坂城の戦いの映像の使い回しが目立つ。 細かいことだが、映像をよく見ると石を演じる柳葉敏郎さんは赤坂城攻防戦ではロケ参加しておらず出演カットはすべてスタジオ撮りであることが分かる(敵兵に熱湯をぶっかけるシーンもよく見ると代役)
 二重の塀、木や石の雨、熱湯ぶっかけ(ロケ現場では温泉の湯を取り寄せたそうである)な どなど、古典「太平記」に記されている奇略の数々はだいたい登場している。ただし古典「太平記」がこれらを正成の神がかり的な計略と描くのに対し、このド ラマでは「そうでもするしかないゲリラ戦法」として別に正成個人の発案ではないような描き方をしていた。実際そんなところだったんじゃないかと僕も思う。 江戸時代から敗戦前まで軍略の天才扱いされてしまった正成だが、その根拠となった「太平記」だってよく読めば「そうするしかなかった」様子がうかがい知れ るし、かなわないと思ったらあっさり逃げる、決してカッコ良くはない抜け目無さもしっかりと見せている。武田鉄矢以下、楠木一党の配役はとことん泥臭く、 貧乏臭く、だからこそバイタリティ抜群という顔立ちがそろっていて(笑)、この赤坂城の戦いと後の千早城の戦いは神がかり的ではないゲリラ集団・楠木一党 をリアルに表現してくれていた。こうした連中がなぜ湊川に散っていくことになるのか、その辺りもドラマの見せ所だ。

 伊賀に現れた花夜叉がとうとう正体を現す。正体を知られた右馬介が逃げだし、それを一座の全員が取り囲んでしまうアクション場面は完全 に忍者もののノリ。第一回から登場し、謎めいた存在であり続けた花夜叉が、ここでようやく楠木正成の妹であったことが判明する。これについて詳しくは次回 の解説に回しておきたい。次回は書くことがあまりないもので…(笑)。
 この回から後の直冬、不知哉丸(いざやまる)が登場している。これからしばらく不知哉丸役の山崎雄一郎クンの熱演が見られる。不知哉丸についても詳しくは次回の解説に回す。理由は上に同じ(笑)。

 楠木正成の赤坂城攻防戦は古典「太平記」では二十日ていど、このドラマでは一か月ばかりの戦いとして描かれている。だが笠置を攻め落とし た幕府の大軍が本格的に攻撃を開始したのは10月17〜18日のことで、21日に陥落したということは後に語り草になる本格的な籠城戦はせいぜい4日間程 度のものだったとみられている。後の千早城における長期籠城戦と比較すれば、明らかに正成は準備不足だったものと思われ、後醍醐の挙兵に対する反応が遅い のも、正成にとってはこの挙兵自体が不測の事態、イレギュラーだったのではないかとの見解もある。

 とうとう落城した赤坂城から正成達は逃亡する。同時期に挙兵した桜山慈俊なんかは自害しちゃってるから、この辺のしぶとさが楠木一党の 「悪党らしさ」とも言えるだろう。大穴を掘って死骸を埋めさせるセリフがあるが、古典「太平記」ではこれは正成が自分を死んだと思わせる計略となってい る。このドラマでは本当に葬ってやっただけのようにも見えるのだが、正成が「死んだと思わせる」とも言っている。だけど次回以降、明らかに生きているもの として正成は追われているので計略倒れだったみたい。 実際、当時幕府は正成の逃亡を確信してその行方を追っていたことが史料的にも確認できる。
 逃亡する正成が庶民の姿に変装するが、これがまた武田鉄矢なもんだから、バッチリとサマになっている(笑)。

 ところでこの回の「太平記のふるさと」コーナーは異様に長い時間が割かれている。紹介されるのはドラマでは全く出てこない「宇都宮公綱と 紀・清両党」で、古典「太平記」のマニアには実に嬉しい内容だ。「太平記」ではメインでこそないものの、要所要所にこの「宇都宮公綱と紀・清両党」がしば しば登場する。ここで紹介された楠木正成との虚々実々の駆け引きは公綱にとってカッコ良い見せ場なのだが、その後の公綱は南北朝動乱の中であっちについた りこっちについたりでとにかく節操がない。主人の公綱が先に上洛して紀・清両党が関東から追いかけてくる間に公綱が敵に寝返りを打ってしまい、京に到着し てみて主人が敵に回ったことを知った紀・清両党がそれまでの味方に別れの挨拶をしていくなんていう大笑いのシーンもある。まさに「昨日の敵は今日の友」 だ。