第十五回「高氏と正成」(4月14日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:佐藤幹夫

◎出 演◎

真田広之(足利高氏)

沢口靖子(登子)

武田鉄矢(楠木正成)

陣内孝則(佐々木道誉)

柳葉敏郎(ましらの石)
 
高嶋政伸(足利直義)

本木雅弘(千種忠顕)

大塚周夫(土肥佐渡前司) 中島啓江(乙夜叉)
丹治靖之(木斎) 平吉佐千子(歌夜叉)
ストロング金剛(大男) Mr.オクレ(小男)
小田茜(顕子) 北九州男(二階堂道蘊) 
渡辺寛二(大高重成) 樫葉武司(南宗継) 中島定則(三戸七郎) 
佐藤信一(猿回し) 楠野紋子(子夜叉) 市原清彦(勧進聖)
内木場金光・鈍角(土肥軍の武将) 伊達大輔・渡辺高志(近習)

片岡鶴太郎(北条高時) 

樋口可南子(花夜叉)

柄本明(高師直)

西岡徳馬(長崎高資)

原田美枝子(阿野廉子)
 
長谷川初範(西園寺公宗) 段田安則(北条仲時)
相原一夫(一条行房) 大舘光心(公家) 石川佳代・高都幸子(侍女)

若駒スタントグループ ジャパンアクションクラブ クサマライディングクラブ 早川プロ 丹波道場
劇団ひまわり 劇団いろは 真言宗豊山派のみなさん 足利市のみなさん 太田市のみなさん

フランキー堺(長崎円喜)

藤村志保(清子)

片岡孝夫(後醍醐天皇)



◎スタッフ◎

○制作:高橋康夫○美術:青木聖和○技術:鍛冶保○音響効果:石川恭男○撮影:杉山節夫○照明:森是○音声:松本恒雄○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇

 関所では検分が行われていた。ついに花夜叉一座が足利高氏土肥佐渡前司の前に引き出される。高氏が「いずこへ参る」と聞くと、花夜叉は熊野権現の祭りに行くと答える。この騒がしい時期に熊野で祭りをするのか、と重ねて問う高氏に、「かかるおりこそ平安を祈り舞い歌うのです」と応じる花夜叉。これを聞いた高氏は「では天下泰平の舞いを所望いたす!」と命じ、見事に舞えば本物の芸人と認めて通してやろうと約束する。では、と花夜叉たちが立ち上がるが、高氏は変装した正成を指し「その者の舞を所望いたす」と言い放つ。焦った花夜叉は「この者は一座の車を引く者にて…」と言うが、高氏はそれでも一座の者ならば多少の踊りは出来るはずと聞かない。周囲が固唾を呑んで見守る中、正成は立ち上がって扇を受け取ると「冠者(かじゃ)は女(め)もけに来んけるやぁ〜♪」と歌いながら舞を披露し始める。その舞は男が夜這いをかける様子をコミカルに演じる舞で、乙夜叉との息のあった仕草の舞に、関所はこれを見る武士や通行人達の爆笑の渦に包まれる。
 舞が終わると、高氏は「お見事!」と言って一座を放免するよう命じる。土肥佐渡が慌てて食い下がるが、高氏は一喝してこれを下がらせる。高氏は 正成に「その方、名を何と申す」と聞くと、正成は「五平と申します」と答えた。一座が立ち去る間際に、高氏は正成にこっそりと言う。「そこもとが万に一つ、楠木兵衛なら…おたずねしたき事があった。いくさ上手と言われたお方が、なにゆえ勝ち目のない戦に立たれたのかと…」そう言って、高氏は「らちもない事を…」と笑って一座を送り出す。
 
 一座が立ち去った後も、家臣達は舞を思い出して笑っていた。「あの者…舞が出来なければどうするおつもりでございました?」と高師直が聞く。高氏が「舞の一つぐらいわしでも舞えるぞ」と答えると「なるほど…」と師直は合点がいった顔をする。
 そこへ一本の矢が飛んできた。矢には紙が結びつけられていた。開けてみると高氏宛の手紙である。
「お尋ねにお答え申し候。いくさとは大事なもののために戦うものと存知おり候。大事なもののために死するは、負けとは申さぬものと心得おり候…車引き」
 花夜叉一座は遠い山の上から伊賀の方を眺めていた。「足利どのか…」とつぶやく正成。複雑な表情を見せる。一座の者は歌いながら大和へと旅立っていった。 

 11月初頭、高氏は京へ戻った。そのまま六波羅探題に出かけると北条仲時二階堂道蘊と談笑しなが公家の西園寺公宗がやってくる。公宗は鎧姿の高氏を見ると「なぜ着替えてこぬ」となじる。「同じ関東武士でも、北条殿と足利殿では人と犬ほども作法が違うの」と公宗は言い捨てていった。西園寺公宗は北条と関わりが深く、即位したばかりの光厳天皇をかつぐ持明院派の中心人物であった。
 屋敷で食事をしながら、直義が兄・高氏の前で後醍醐天皇を「大したお方」と絶賛す る。だからこそ恐れた持明院派と幕府は天皇を追い落としたのだと。しかし権力を握った持明院派の公家にもいい顔を見せて置かねばならぬ、と直義は兄に言 う。高氏が「直義からそのような説教をうけるとは思わなんだ」と言うと、「明けて27になりますゆえ」と直義。そして高氏が後醍醐帝の状況を尋ねると、暗 殺こそないもののかなり酷い状況で軟禁されていると直義は語る。この寒さの中、六波羅は火桶も明かりも入れさせないのだという。

 そのころ、六波羅に作られた板屋に押し込められた後醍醐天皇は大声で吠えていた。「かかる仕打ちやある!仲時を呼べ〜!とく火を召せ〜!たれかあーる!」声は外まで響きわたる。千種忠顕が「お上みずから大声で怒鳴るのはお控え下され」と諫めると後醍醐帝は「こうして声を上げれば体が温まる」と笑う。そして髭の伸びてきたあごをさすりながらしみじみと言う。「のう忠顕…髭というものは日一日と伸びるものよの…大内(おおうち)にあれば何も気が付かぬうちに誰かが髭を切ってくれる。生きておれば人間、髭も伸び、垢もつく。よう分かった…。ようやくわしも人間の匂いがしてきたぞ!」この言葉に恐れ入る忠顕。後醍醐帝は座に着いてまなじりを決して「みておれ…朕は必ず生き抜いてみせる…!」と誓うのだった。
 そこへ、新しい給仕人として佐々木道誉がやって来た。道誉が火桶と明かりを差し入れたので、忠顕らは大喜び。道誉はさらに忠顕に近づいて「不足しているのはそれだけではござるまい…よろしければ帝ご寵愛の三位の局(廉子)も、この判官がお連れいたす」とささやく。
 差し入れられた火桶に手をかざし、久々の温みを喜ぶ後醍醐帝。忠顕から道誉の名を聞いた後醍醐帝は「佐々木か…忘れまいぞ…」とつぶやく。一方 の道誉は満足そうに笑みを浮かべながら立ち去っていった。この日に幕府は後醍醐帝の隠岐流刑を決定し、その護送役を佐々木道誉がつとめることになった。

 高氏は直義の意見を受けて、挨拶のために西園寺公宗の屋敷を訪ねる。屋敷では持明院派の人々が集まって歌会を開き、我が世の春を謳歌している。挨拶する高氏を公宗は「いささか遅いのう」と冷たくあしらい、先帝・後醍醐が隠岐へ流刑と決まったことを高氏に教える。
 屋敷を出た高氏は待っていた直義に「京の都が鎌倉と同じになってしもうた…美しい都ではのうなった」と嘆く。「やはり帝は…先帝お一人のように思えるのだ」とつぶやく高氏の心の中には、正成の「いくさとは大事なもののために戦うもの」という言葉が響いていた。高氏は直義らとともに京を発ち、鎌倉へと帰ることにする。

 一方、鎌倉では長崎円喜が久々に出仕していた。息子の高資は「もはや天下は安泰」と楽観するが、円喜は護良親王、楠木正成を取り逃すなど落ち度が多いと不満を言う。「この円喜には、こたびの戦ぶりには解せんものがある。とくに足利どのの戦ぶりは解せん」と不安を覚える円喜。
 その高氏は三カ月ぶりに帰宅した。出迎える登子清子、幼い千寿王。家族再会の喜びに沸いたのもつかの間、新たな難題が幕府から突きつけられたことを高氏は知る。父・貞氏の葬儀を鎌倉で行ってはならぬと幕府が言ってきたのだ。葬儀となると全国の足利一族が鎌倉に集結することになり、騒乱のあとでもあり穏やかではないというのが理由だった。高氏はひとまず受け入れることにするが、そのまま引き下がっては一族に不満も出るだろうと、得宗の北条高時に直接かけあってみることにする。

 高時の屋敷を訪れると、高時は紅葉の美しい庭のそばで、側室の顕子を侍らせて仏の絵を描いていた。高氏が貞氏の葬儀の件で書状を渡そうとすると、控えていた高資が邪魔をして扇子で書状を差し止める。高資の態度に高時は「足利殿に口が過ぎようぞ!もうよい!」と叫んで引き下がらせる。
 高時は描きかけの仏の絵を見せて高氏に語り出す。仏の絵を描き念仏を唱え続ければ浄土が見えてくると言われたが、いつまでたっても極楽は見えて こない。ある僧は仏は見えぬ、だからひたすら信ぜよと言うが、目に見えぬものが信じられようか、と。高氏は高時の慈悲にすがりたい、と申し出るが、高時は「慈悲は犬に喰わせてしもうた…長崎が言うのでな」と答えるのみ。そして高時は高氏に驚くようなことを口にし始める。長崎父子が先帝・後醍醐を隠岐で暗殺せよとけしかけているというのである。高時は悩ましげに額に手をやり、「先帝も殺し、浄土も見ねばならん…わしは忙しい…」と夢でも見るようにつぶやく。
 気が付くと、顕子が朱を筆に含んで、絵の仏の顔に垂らしていた。たちまち赤く塗りつぶされていく仏の顔。高時は顕子に飛びつき、一緒に筆を持っ て戯れ始める。仏の絵はまるで血塗られたように赤く染まっていく。高時は高氏が差し出した書状を破り手を拭くのに使ってしまう。高氏はやりきれなくなって 早足で立ち去っていく。

 元弘二年三月七日。先帝・後醍醐は隠岐へと旅だった。その一行を道誉が率いている。



◇太平記のふるさと◇

 鎌倉。鎌倉のシンボル鶴岡八幡宮、足利家と関わりの深い浄妙寺を紹介。浄妙寺にある貞氏の位牌、墓などが映される。



☆解 説☆
 
 前回から一転してやたら内容の濃い回(笑)。
 この回で描かれる高氏と正成の出会いは完全にドラマのオリジナル。武田鉄矢の正成が車引きに扮し(ややこしいな)、コメディの舞を披露するというドラマならではの面白いシーンとなった。ここで歌っている夜這いの歌、「冠者は女もけに来んけるや」の歌は、「私本太平記」にも登場している(ただし正成とは全く関係なし)。確認できないのだが実際にこういう舞があるんじゃないのかな?この舞は夜這いに来た男が相手の女の顔を見てビックリ、逃げ出す途中でズッコけるといった内容なのだが、中島啓江さんをこの一座に加えたのは、もしやこのシーンをやってもらうためだったのでは(失礼!?)
 高氏の問いに正成が矢文で答えた、「大事なもののために死するは負けとは申さぬものと心得おり候」のセリフは明らかに後年の湊川での散華を意識 して作ったとしか思えない。ただどうして後醍醐天皇が「大事なもの」なのか、正成側の動機が今ひとつ不明なんだよな。むしろその辺は高氏の方がじっくり描 かれている恰好になってしまった。正成がなぜ湊川で負けると分かっている戦いに赴いて死んでいくのか、このドラマも含めて小説などもなかなか説明に苦労し ている。倒幕まではしぶとい一貫性があるだけに。

 京都の場面で持明院派にして北条と関わりの深い公家・西園寺公宗が登場している。この人、のちに建武新政期に高時の弟と共謀してなんと後醍醐天皇の暗殺を謀り、失敗して処刑されることになる。この事件はちゃんとこのドラマでも描かれている。
  笠置・赤坂落城後、都に戻って来た高氏が西園寺公宗らに嫌気がさして京を離れる描写があるが、これも一応元ネタにしたと思われる史料がある。持明院統であ る花園上皇の日記の、この年11月5日の条だ。それによれば幕府軍の総大将を務めていた大仏貞直が公宗を通して朝廷に関東帰還を申し入れたところ、朝廷は 貞直をねぎらって馬を与えた。このとき高氏も同行したらしいのだが花園上皇は「高氏は北条一門ではないし、暇(いとま)の挨拶もなかったため馬を与えな かった」という趣旨のことを日記に記しており、どうも高氏は挨拶もろくにしないでさっさと京を離れてしまったらしいのだ。高氏の名前がこの日記に出てくる のはこれが初めてで、わざわざ書いているところを見ると高氏の振る舞いは持明院統の人々にはやや不快に印象に残ったらしい。ドラマのようにこの時点ですで に高氏が後醍醐に心を寄せていたのだ、と解釈することも可能だろう。

 六波羅に軟禁され、「吠える後醍醐」が強烈。この辺から片岡孝夫の後醍醐がいよいよ本領発揮となる。ここまではやはり世間離れした雲上人 で、掲げる理想の割に行動が空回りしている観があったが、この軟禁〜隠岐島流しにいたる過程で目の輝きが俄然違ってくる。髭を生やし、垢もついてきて言う 「朕にも人間の匂いがしてきたぞ」の名セリフは「私本太平記」にあるもの。ドラマではこれをより劇的に利用し、これを境に後醍醐が本格的な「闘士」へと脱 皮していく様をうまく描いていた。僕が後醍醐登場シーンで受けた「違う…」という印象は、この「脱皮」を計算に入れたものだったのだ。ここから始まる「髭 ヅラ後醍醐」はとにかく強烈である(笑)。
 佐々木道誉が後醍醐に火桶を差し入れ、取り入る場面は「私本」そのまま。実際に道誉が給仕人になったかどうかは不明だが、道誉が後醍醐の隠岐 配流に際して警護役になったというのは古典「太平記」にも書かれている事実である。もちろん隠岐判官が佐々木一族だったからだと思われるのだが…。

 高氏が高時を訪ねるシーンは、展開上さほど重要ではないものの、強烈に印象に残る。実は片岡鶴太郎の北条高時、最高の場面かも知れな い。単純な暗君ではなく、ただ状況の変転に戸惑い、現実逃避して夢うつつの世界に生きていく高時。この場面は落ち行く紅葉、血塗られる仏の絵、謎な笑みを 浮かべる幼児のような美少女・顕子、といった各種小道具があいまって、滅び行くものの退廃的美しさを見事に描き出していた。
 ここでこのドラマで「演技派」としての評価を決定的にした片岡鶴太郎について触れておきたい。このドラマまでにもいくつか印象的な演技を披露 していたこの人だが、やはり一般的イメージは少々過激なコメディアンとしての「鶴ちゃん」だった。だが放送前に発売された「太平記」の大河ドラマ本にある インタビューには「デビュー当時は鶴ちゃんという役を演じていたのだ」という発言が出ている。「大河ドラマ、とうとう来たか!」という意気込みで、とにか く凝りまくった、それでいて決して不自然ではない名演を披露し、鶴太郎の高時は大変高い評価を受けることになった。
 当時、ある歴史研究者向けの学術雑誌で、日本中世史の研究者が「太平記」をテーマに対談をしていた。こういう雑誌も「便乗」することがあ るんだな、などと思ったものだ。この対談を読むと、これまで一般には無視されがちだった南北朝がついに大河ドラマになった、と学者の皆さんも興奮している 様子がよく分かる(笑)。その中で非常に高い評価を受けていたのが、この鶴太郎の高時なのだ。滅び行く者の哀しさを見事に表現したとか誉められていたよう な。
 高時役には当初「ビートたけし」も候補に挙がっていたらしい。これはこれでまた違った味が出せたかも知れず、見てみたかった幻のキャスティングだ。どうもギリギリまで本命であったらしく、出演者にたけし軍団やたけし関係者のタレントが何人もいる(サード長嶋、大阪百万円、芹沢名人、ストロング金剛)の はその名残と思われる。この「太平記」の前年にTBSで放送された池端俊策脚本のスペシャルドラマ「忠臣蔵」は大石内蔵助にビートたけしのほか、堀部安兵 衛に陣内孝則、大野九郎兵衛に緒形拳、さらに高嶋政伸と「太平記」出演組がメインに三人もおり、「たけし高時」もこの流れで考えられていたのではないかと 思う。結局たけしの大河初出演は「武蔵-MUSASHI-」までおあずけとなったが。

 このシーンで小田茜の「顕子」なる高時の側室(?)らしきキャラクターがいきなり登場する。確かこの人が「国民的美少女コンテスト」で グランプリに輝いた直後ぐらいの出演だったような。売り出し中、ってことで誰かさんが露骨に割り込ませた感が否めないんだけど、ドラマ側はなんとか溶け込 ませる事に成功したと思う。このシーンでも効果的に使ったし、「鎌倉炎上」の回でも雰囲気出しに使われていた。セリフも全くしゃべらず、開き直って「お人 形」扱いされてる気もするが、最後の最後にセリフを言ってました。詳しくは「鎌倉炎上」の回で(笑)。