第二十七回「公家か武家か」(7月7日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:榎戸崇泰


◇アヴァン・タイトル◇

 後醍醐天皇の新政に吹き出すさまざまな矛盾。公家中心の政治を目指す公家と幕府再興を願う武家の対立、恩賞の不公平、年貢負担の増大など。


◎出 演◎

真田広之(足利尊氏)

沢口靖子(登子)

根津甚八(新田義貞)

陣内孝則(佐々木道誉)

柳葉敏郎(ましらの石)

高嶋政伸(足利直義)

宮沢りえ(藤夜叉)

赤塚真人(岩松経家) 北九州男(二階堂道蘊)
河西健司(大仏高直) 渡辺寛二(大高重成)
樫葉武司(南宗継) 中島定則(三戸七郎) 安達義也(畠山直宗)
船田めぐみ・原有希(侍女) 山崎雄一郎(不知哉丸) 森田祐介(千寿王)
 
近藤正臣(北畠親房)

大地康雄(一色右馬介)

後藤久美子(北畠顕家)

柄本明(高師直)

石原良純(脇屋義助)

小松方正(名和長年)

卜字たかお・武川信介・野村信次(武将)
宮寺康夫・晶衛里仁(武将) 水森コウ太(下人)
船戸健行(近習)

若駒スタントグループ ジャパンアクションクラブ クサマライディングクラブ 
早川プロ 丹波道場 太田市民劇団 足利氏のみなさん 太田市のみなさん
 
武田鉄矢(楠木正成)

藤村志保(清子)

片岡孝夫(後醍醐天皇)



◎スタッフ◎

○制作:一柳邦久○美術:稲葉寿一○技術:鍛冶保○音響効果:石川恭男○撮影:永野勇○照明:森是○音声:坂本好和○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇
 
 このころ、各地で北条氏の残党による叛乱が各地で相次いでいた。これに対応するため北畠顕家親房父子が奥州へと派遣されることが決まる。本来武士が行うべき奥州の軍事任務に公家である北畠父子がついたことで武家の多くは反発を強めた。彼らの意見を引き受ける形で、直義も兄の尊氏に「人が良いにもほどがありまするぞ」と不満を述べる。北畠父子の奥州派遣の裏には、足利氏が鎌倉に幕府を開くのを恐れる帝が、奥州に公家による幕府を開こうと意図しているのではないかと直義は言う。「そんなことを帝が許すとは思えぬ」と言う尊氏に、直義は「兄上は帝にたぶらかされておるんじゃ」と語気を強める。尊氏は「武家よ公家よと意地を張っておる時ではない!」と一喝、荒れ果てた都を再建するために有力武家たちを集めて会議を行うと告げる。

 尊氏の呼びかけで都の再建計画の相談するために主だった武家が六波羅に集められた。新田義貞義助兄弟、楠木正成名和長年佐々木道誉岩松経家といった廉子派・護良派双方の新政の功臣だけでなく旧幕府重臣で赦免されていた二階堂道蘊大仏高直らも出席する呉越同舟状態である。
 会議は初めから北畠奥州派遣や公家支配をめぐる論争で険悪なムード。正成は口論をやめさせ、堺の商人から差し出された袋いっぱいの砂金を一同に 見せて、都に進出したがっている商人達に金を出させて都を再建してはどうかと提案する。長年が都の市での独占的商売を許可されている「座」の反発を買う、 と反対するが、道誉は長年がその市の利権を握ってうまい汁をすっていることを暴露し、またしても座は紛糾する。この様子をみて旧幕臣の道蘊らが「お前らは 公家の下人…」とあざ笑うように言う。脇屋義助が「北条の残党」となじると、道蘊らは「御辺らはその残党を使わねば法も作れず政もすすまぬ」とやり返し、激怒した義助らと大喧嘩に。尊氏や正成が取りなそうとするが収まらず、義貞も呆れたように黙って席を立ってしまう。
 誰も居なくなった会議の場に、悄然とする尊氏と、まき散らされた菓子を拾いながら口に運んでいる師直だけが残される。「六波羅を倒し、鎌倉を倒したときは、みなこうではなかった…変わったのう」とつぶやく尊氏。師直は「やはり武家は武家、公家は公家で暮らした方が良いのです」と源頼朝の例を引く。奥州・関東の反新政勢力の活発化に危機感を覚える尊氏は「帝はなぜ北畠どのを奥州へ…いくさは武士にお任せになればよいものを」と言うが、師直は「帝は雲の上のお方。武家の心は分かりませぬ」と突き放すように言う。尊氏は関東の問題を直義と話し合おうと思い立ち、直義邸へと出かける。

 直義邸へ向かう途中、尊氏は物乞いをする子供達や焼け跡の残る町の惨状をつぶさに見ていく。そんな尊氏を物陰からましらの石が眺めていた。その石を具足師の柳斎に扮した一色右馬介が呼び止める。右馬介は三河から姿を消した藤夜叉不知哉丸母子の行方を追っていたのだ。石は昨夜から不知哉丸の行方が知れず、今もこうして探しているのだと右馬介に告げる。
 その不知哉丸は直義の屋敷で発熱して一晩寝込んでいた。直義と清子が看病にあたっていたが、不知哉丸の母親に連絡をとろうにも名前を知らないので途方に暮れているところだった。そのころ藤夜叉は不知哉丸が直義の屋敷に行ったらしいことを人から聞き出し、石と右馬介と合流して直義邸へ向かっていた。
 
  夕方、直義の屋敷に尊氏が現れ、直義が迎えに出る。その間に不知哉丸が目を覚まし、清子は喜んで不知哉丸に母親の名を尋ねる。「藤夜叉…」と の不知哉丸の答えにハッとする清子。「魚売りにしては変わったお名前じゃのう」と探りを入れると、「まことは猿楽舞じゃ」と答える不知哉丸。さらに聞くと 以前伊賀におり、その後三河の一色村に住んでいたことが分かり、清子は愕然と不知哉丸を見つめる。「わし帰る!」と部屋を飛び出す不知哉丸を「これ!」と 追う清子。そこへ尊氏と直義がやってきて鉢合わせ。直義が「先日お話したわっぱでございます」と言い、尊氏が笑って「名は何ともうす?」と聞くと「不知哉 丸」との答え。「不知哉丸…!」と驚く尊氏に、清子が「母は藤夜叉と申す…猿楽舞じゃそうな」と付け加えた。不知哉丸の顔をじっと見つめる尊氏に、「ぬしが足利の大将か?」と尋ねる不知哉丸。
 そこへ女性が子どもを捜して門前に来ているとの報告が来る。「おっ母じゃ!」と不知哉丸が走り出そうとするが、まだ体調が悪かったらしくそのまま倒れ込んでしまう。尊氏がその身体を抱きとめ、布団に運んで寝かせてやり、「足利の大将が命じる。病の折は動くでない」と言いつける。その間に清子は直義を一室に連れ込み、「あの子は尊氏殿の子じゃ。亡き大殿がひそかに打ち明けられたことがある…」と打ち明ける。「あの子は我が孫ぞ…!不知哉丸はそなたの…甥じゃ!」と告げられ、直義も唖然とする。

 藤夜叉と石は屋敷の庭に通され、夜になるまで待っていた。なかなか不知哉丸が引き渡されないことにイライラとする石は足利の家臣たちを罵 る。一方、右馬介は不知哉丸の看病をする尊氏の前で「それがしの目が行き届きませず申し訳ございませぬ…!」と平伏していた。藤夜叉と石が背負ってでも連 れ帰ると言い張っていることを聞いた尊氏は、庭に出て二人と面会する。尊氏が姿を現すと家臣一同と藤夜叉がひざまづくが、石は毅然と腕組みして立って尊氏 と向かい合う。「控えよ」と家臣達に叱られても石は「何が左兵衛督じゃ、何が武家の棟梁じゃ!」と尊氏を面罵する。石はそのまま尊氏に向かって新政の混乱ぶりを批判していく。日野俊基の書き付けを取り出し、もらえるはずだった土地に別人のものになっていたことを訴え、「良い世の中になるはずだったのに…わしは今まで何のために…何のために戦を…!」と石は叫ぶ。「わぬしが武家の棟梁なら、帝に言ってくれ。これが日野様の仰せられた良い世の中なのですかと!」と叫んで石は書き付けを地面に叩きつける。

 そこへ不知哉丸が出てきて藤夜叉に抱きついた。藤夜叉は尊氏と正面から向かい合い、語り始める。「我 が子不知哉丸は魚売りの子…名もなく生き、名もなく消えていく者…どうか戯れにお関わりになりませぬよう…。石の申しましたこと、お気になされますな。わ たくしは御殿がお治めになればこの都は美しい都になると思うております。戦のない良い世をお作りになると、そう思うております…」
 藤夜叉は一礼し、不知哉丸を背負った石と共に夜の闇の中へ立ち去っていった。尊氏は石が残していった日野俊基の書き付けを拾って右馬介に調べる よう命じ、偽りがなければ別の土地を与えらえるよう手配するように指示する。そして直義と二人きりになって事情を打ち明け、藤夜叉母子のことは右馬介に任 せてあると言い「どこぞの子どもを可愛がるなら、魚売りの子以外にしてくれぬか、兄の勝手な頼みじゃ」と頼むのだった。
 その上で、尊氏は直義に軍勢を率いて関東に下向してもらいたいと言い出す。それは北畠父子の奥州派遣に対するあてつけととられると直義は忠告するが、尊氏は東国を安定させることが重要だと後醍醐帝に奏上・説得してみると答える。

 北畠父子が奥州へ向け軍勢を率いて都を発った。その翌日、尊氏は公家支配に真っ向から立ち向かう奏上をするべく参内する。



◇太平記のふるさと◇
 
 鳥取県中山町。後醍醐天皇と名和長年が立て籠もった船上山、後醍醐上陸説がある逢坂港の伝説、20世紀なしの栽培などを紹介。


☆解 説☆
 
  このドラマを通して何回かある内容がやたらに薄く回数調整的性格が強い回の一つ。驚くべき事にこの第27回はドラマ中の経過時間が わずか一日しかないのだ!何気なく見ていると気が付かないが、前回で不知哉丸が直義邸に遊びに来てから明らかに丸一日しか経過していない。前日に不知哉丸 が発熱して寝込み、日中に尊氏が有力武家たちと会合し、夕方に直義邸で不知哉丸と出会い、夜には石と藤夜叉の演説というスケジュール。前回、義貞と親房が 尊氏を訪ねてきてからの時間経過がやたらゆっくりなんだよなぁ。
 回数調整もさることながら、明らかに清子役の藤村志保、藤夜叉役の宮沢りえといった女優陣の出番を増やす工作という狙いもあっただろう。何回 かあるこうした内容の薄い回はいずれも共通して女優陣の出番が多い回なのだ。内容が薄いというのはちと言い過ぎなので、歴史ドラマじゃなくてホームドラマ 状態になる回ということにしておこう(笑)。まぁ実際、歴代大河ドラマは必ずこうしたホームドラマ要素をそこかしこに挿入しているものなのだ。「太平記」 みたいに戦争と陰謀ばかりが続くお話だと疲れちゃう人がいるのも確かだし。

 六波羅で尊氏が召集をかけた武家会議が行われるが、その史実性はともかくなかなか面白いやりとりがみられる場面。これだけの大物キャラクターが 一同に会することはドラマ全体を通してあまり無いしね。正成や長年が商業関係に精通していることを示す描写も面白いが、注目はさりげなく出席している二階 堂道蘊、大仏高直の旧幕臣二人だろう。前にも書いたことだが、彼らが幕府の重臣でありながら罪を免じられ新政府に参画していたのは史実。ただドラマだと道 蘊は鎌倉滅亡の直前まで高時のそばに姿を見せていたが、実際には千早城包囲に参加して畿内におり、それが結果的に命を拾った一因なのだ。古典「太平記」で も教養ある武将として描かれる道蘊はその才能を惜しまれて命を助けられたが、この場面でも言っているとおり政務経験者としての実績を新政府に重宝がられた のも事実だろう。洋の東西、政権交代時にはだいたいこんな人がいるものだ。しかしこのあと北条残党の蜂起が各地で起こってくると建武政府は道蘊らの存在を 警戒し、いきなり逮捕して処刑してしまうことになる。そんな悲劇はドラマでは描かれず、この場面が北九州男さん演じる道蘊のラストシーンとなった。思えば 地味ながら結構出てたなぁ。御苦労様でした。

 名和長年が市場の利権を握っているとのセリフが出てくる。これは長年が建武政権において「東 市正(ひがしいちのかみ)」という京都の市場の管理を行う役職に抜擢された史実を背景にしている。この役職は伝統的に公家の中原氏がほぼ世襲していたもの だったが、後醍醐は異例の大抜擢人事で長年をこの役職につけている。長年がなぜこの役職に抜擢されたかについては明確な証拠はないが、もともと彼が「鰯売 り」と伝えられ、廻船業を営んでいたと推測されることから、商業に明るい才能を見込まれたのではないかと考えられている。

 不知哉丸が尊氏の子に他ならないことを清子と直義が知ることになる展開が今回のメイン。思えばもの凄い偶然で直義と出会って連れてこられ てるんだよなぁ。それが孫であり甥であると知ってビックリしちゃうのは無理もないところ。ところで尊氏は不知哉丸とは初対面ではないはずなのだが…もっと も「秋霧」の回ではチラッとすれ違っただけだったので顔はよく覚えていなかったのかも。二年ぐらいは経っているわけだし。

 石と藤夜叉が尊氏の前で大演説をしているが、これは両者ともに最大の見せ場だったかもしれない。新政に失望して激しく叫ぶ石と、母親ら しくしっとりと落ち着いて話す藤夜叉が好対照。当時見ていて特に宮沢りえのこの場面の演技は強く印象に残った。実年齢をまるで感じさせないいかにも母親ら しい語り口などは初登場時と見比べると大変な成長だと思う。