第三回「風雲児」 (1月20日放送)
◇脚本:池端俊策
◇演出:佐藤幹夫 


◎出 演◎

真田広之(足利高氏)

陣内孝則(佐々木道誉)

柳葉敏郎(ましらの石)

宮沢りえ(藤夜叉)

藤木悠(上杉憲房) 赤井英和(楠木正季)
北見治一(蓮房) 中島啓江(乙夜叉)
丹治靖之(木斎) 平吉佐千子(歌夜叉)
ストロング金剛(大男) Mr.オクレ(小男) 
団厳(忍の大蔵) 荒川亮(花山院師賢)
佐藤信一(猿回し) 楠野紋子(子夜叉)
戸沢佑介(上杉家家臣) 堀正彦・岩本裕之(佐々木家家臣)

大地康雄(一色右馬介)

榎木孝明(日野俊基)

麿赤児(文観) 井上倫宏(四条隆資)
福山升三・杉崎昭彦・村上幹夫(借上人)
酒井光治(醍醐寺の僧) 野口龍栄(興福寺の僧) 時任義秀(佐々木家の僧)
水島奈津・石井麗子・蔵迫泰子(側女) 宮脇聡子(小姓)
わざおぎ塾(白拍子)

若駒 ジャパンアクションクラブ KRC 鳳プロ
早川プロ 国際プロ 丹波道場 園田塾 劇団日本児童
東映児童 東京宝映 東京児童劇団 セントラル子供タレント 足利市のみなさん 太田市のみなさん
 
樋口可南子(花夜叉)

片岡孝夫(後醍醐天皇)



◎スタッフ◎

○制作:高橋康夫○美術:稲葉寿一○技術:鍛冶保○音響効果:藤野登○撮影:杉山節郎○照明:森是○音声:鈴木清人○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇
 
 京の都に入った高氏。母・清子の実家である上杉家に厄介になるが、叔父である上杉憲房はクドクドと上杉家の家柄を誇る説教ばかり。退屈する高氏、そして控えていた右馬介は憲房が咳こんだドサクサに紛れて目の前にある餅(ふずく)をササッと何個も口に頬張る。
 高氏と右馬介は楽しい都見物の日々を送る。右馬介は手製のガイドブックまでこしらえて高氏と名所巡りをしているが、そろそろ高氏は一人で行動し てみたいと言い出す。絶対に離れないと言い張る右馬介と口論になるが、そこへ貴族の女性を乗せた牛車が通りかかる。その放つ香りに我を忘れて追いかける二 人。牛車の後ろを歩く従者の少年が持つ箱からその香りが匂ってくることに気づいた右馬介は少年にその箱の中身を尋ねるが、なんと中身は牛車の女性の「尿 (しと)」であった。
 高氏は町の片隅で米売場に人々が殺到している様子を目撃する。右馬介によれば不作で米価が上がったため、民を哀れんだ帝(みかど)が商人を集 めて一斗百文の安価で売らせているのだという。高氏は天皇の善政を知り、また通りで山伏とすれ違ったことで「都では新しい花が咲き始めている」という山伏 の言葉を思い出す。人混みの中で右馬介とはぐれてしまった高氏は、鎌倉で山伏にもらった書き付けを頼りに醍醐寺を訪れる。

 醍醐寺で山伏にもらった「源海」の署名を見せると、一室に通されそこで待たされた。待っているうちに庭から聞こえてくる笑い声を耳にした高氏は 部屋を出て寺の中庭を歩き始める。すると、真っ白な衣冠束帯を身にまとった、いかにも高貴そうな人物が扇に筆を走らせているのが目に入った。木の陰から様 子をうかがっていると、「帝はいずかたにおわするぞ…」と声がして、僧と公家たちがやって来る。挨拶する彼らに、貴人は「文観、所望の歌じゃ…与うべし」と、 詩を書き付けた扇を宙に飛ばす。扇は僧たちのところへは飛ばず、高氏のところへ飛んできてしまった。思わず受け止める高氏。一瞬不審な顔を見せる貴人だっ たが、高氏と目が合うと優しそうに微笑んで立ち去っていく。僧と公家たちは高氏を怪しい者とみて詰め寄るが、そこへ「その者はこの日野俊基の友にて」と 言って一人の若い公家が現れた。高氏はそれが鎌倉で出会った山伏だと気付き驚く。日野俊基は「帝の御製ぞ」と扇を僧に渡す。僧達は「得たり得たり」と大喜びで立ち去っていった。
   日野俊基は高氏に先ほどの貴人が当今の帝(後醍醐天皇)であること、一緒にいた三人が帝の側近の花山院師賢四条隆資文観(もんがん)で あることを教える。そして俊基を含む彼らがこの醍醐寺へ良くやって来てはある「詮無き話」について密談を重ねていることを明かす。その計画とは「悪政を行 う北条を討つ」というものであった。驚く高氏に、俊基は鎌倉で新田義貞に会ったこと、義貞が源氏の棟梁である足利が立つことが必要だと考えていたことを伝 える。また俊基は「とりわけ楠木正成どのははっきり申された。足利殿の気持ちはいかがかと」と、楠木正成という無名の武士の名を「畿内随一の武士」として口にする。そしてその楠木に会ってみないかと誘うのだった。
  一方そのころ、高氏を見失った右馬介が上杉館に帰ってくると、六波羅探題の武士達に押し止められた。その中に忍の大蔵という探索役の武士がいるのを見つけた右馬介は尋常ならざる事態が起こりつつあることを察知する。忍の大蔵は謀反の疑いで日野俊基を捕縛しようとしていることを右馬介に漏らす。

 高氏は俊基の案内で京郊外の河港・淀の津に足を踏み入れる。楠木党の支配地域であり交易の場として賑わう港だったが、北条氏の威光をかさ に着て高金利を取り立てる借上人(かしあげにん)の姿もあった。そこへ公家の一条氏が興福寺に寄進した荷物が陸揚げされ、一条氏に金を貸していた借上人た ちが荷物を差し押さえようと殺到、港は騒然となる。そこへ武士を率いた騎馬武者が現れ、「ここの船は楠木党の船、蔵は楠木党の蔵、北条の者が荷に手を出すことはあいならん!」と一喝、周囲の商人達も呼応して騒ぎ出したため、借上人たちはほうほうの体で引き揚げていく。騎馬武者は楠木正成の弟・楠木正季だった。正季が六波羅に不穏な動きがあることを教えたので、俊基はその場をすぐに離れる。そのとき高氏の背後にいつの間にか右馬介の姿があった。驚く高氏に右馬介は捕縛される俊基と関わりにならないようにと忠告する。しかし高氏は聞かず、俊基の後を追う。
 俊基の行く手に六波羅の武士たちが現れ、襲いかかって俊基を捕らえようとする。そこへ馬に乗った高氏が駆けつけ、俊基を馬上に拾い上げてそのま ま疾駆していく。六波羅勢も馬で追いかけるが、高氏は馬を駆って柵を飛び越え、ついに追っ手を振りきる。六波羅勢はそれでも執拗に追おうとするが、そこに 正季に率いられた楠木党がたちはだかる。俊基は馬上で愉快そうに高氏の肩を叩いて高らかに笑うのだった。

 日も暮れ、俊基は自分が懇意にしているという近江の武士・佐々木道誉(高氏)の館へと高氏を案内する。高氏等が部屋に通されると、道誉は派手な赤と金の衣装を付けて、たくさんの花を見事に差した巨大な壺の前でうなっていた。「足利殿は花はお好きか!?」といきなり立花の講釈を始める道誉。「人の作った花が神仏の作りたもうた花を越えられようか…そこが面白い!」と大声で語る奇妙な男に高氏はとまどう。俊基は都の様子が気になって佐々木館を立ち去るが、道誉はなぜか高氏だけ引き止めて館に泊まらせる。 道誉は天皇による倒幕の陰謀があること、そして自分もそれに噛んでいることを話し、「北条も長くはない」と高氏に言う。
 高氏をもてなすべく宴が催された。佐々木館には花夜叉一座が来ており、白拍子たちが舞を踊る。その中の一人・藤夜叉の美しさに高氏の目は釘付けになる。それと悟った道誉は藤夜叉を側に呼んで高氏と引き合わせる。高氏は藤夜叉に「舞っているときは何を思う?」と問いかけ、藤夜叉は「はやく終われば良いと…」と答える。
 いつしか高氏は酔いつぶれて眠り込んでいた。ふと目を覚ますと、側に藤夜叉が控えている。「今宵はお守りいたすよう申しつけられました」と言う藤夜叉。その時風が吹いて明かりが消える。藤夜叉は高氏の手を取って引き寄せ、高氏は思わず藤夜叉を激しく抱きしめた。

 夜が明けて高氏が目を覚ますと、藤夜叉をはじめ館の中には誰も居ない。全ては夢だったのかといぶかしむ高氏。その時、塀の向こうに北条氏の紋を付けた赤い旗印が数多くはためくのが目に入り、高氏は驚く。
 京の市中を、六波羅の大軍が駆け抜けていた。出撃を告げるかぶら矢が放たれる。いわゆる「正中の変」の勃発であった。



◇太平記のふるさと◇

 新田義貞の故郷・群馬県太田市。古代から栄えていた証拠である古墳群、後世建立された義貞を供養する金龍寺、新田の子孫を称した徳川家康が建てた大光院などが紹介される。



☆解 説☆
 
 プレタイトルをやっているヒマもない、重要人物が次々に登場する見どころ満載の回である。「風雲児」というタイトルは後醍醐天皇ともとれるし、日野俊基ともとれ、また佐々木道誉のことともとれる。
 
 冒頭は藤木悠サンならではのとぼけた上杉憲房役の名演、ふずくを頬張り自家製京都ガイドブックまでこしらえ(高氏と引っ張り合って破れてしまった時の声は絶品)、 はては「京の女は匂いも違う!」などと騒ぐ田舎者・関東武士丸出しの大地康雄の演技など妙にコメディ調の演出が続く。大地康雄サンはこういう役どころが似 合うよなぁとニヤリとするシーンだが、この回以降ではこういうユーモラスな右馬介を見る機会はほとんどない。この回からまるで忍者のような右馬介の影の活 躍が始まるからだ。
 この京都見物シーンも足利市に建設された大オープンセットで撮影されている。鎌倉市街セットに比べてスマートなデザインとなっている。この回のラストをはじめ、「太平記」でしばしば展開される京都市街戦シーンで何度も使用されることになる。

 醍醐寺でいよいよ片岡孝夫の後醍醐天皇登場。このシーン、年末の予告編ですでに流れていたので放送前にドラマの後醍醐天皇のイメージがつかめたの だが、正直なところ私は「違う…」と思っていたものだ。後醍醐天皇と言えば肖像画にもあるように豊かなヒゲを生やし、どちらかといえば豪快・大胆で男臭い イメージがあった。なにせ史実でも皇太子時代に貴族の娘を誘拐してそのまま妃にしちゃったという人である。だがこの初登場シーンではかなり貴族的でなよな よした印象を受けてしまう描かれ方。やはり「天皇」だからこの調子で描くのかな、と当時は不安を覚えたものだ。しかしこれは実に計画的な演出だったことが のちのち判明する。 なお、登場する回はすべて出演者表示の「トリ」が指定席である。
 後醍醐天皇の側近たちも次々登場。井上倫宏が演じる公家・四条隆資は、こののち吉野に南朝が開かれる時期に至るまで延々と後醍醐の側に登場す る役となる。そのせいか、事前に発売された大河ドラマ本でもわざわざインタビューが乗せられているのだが、ただ側にいるだけで影が薄かった印象も否めな い。はるか後には軍勢を率いて幕府軍と戦い、戦死までする南朝の忠臣なんだけど、そこまでは描かれなかったな。一緒にいた花山院師賢は後に流刑になってそ の地で亡くなる悲劇の公家だ。
 麿赤児の文観役は、まさにはまり役。はまり過ぎていて怖かったぐらい(笑)。文観は後醍醐天皇に仕えた「怪僧」で、真言立川流というセックス 宗教まがいのかなり妖しい流派を大成したとされる僧侶である。立川流とは鎌倉時代にかなり流行したとされる秘教で、男女を交合させ、そこから出た液をドク ロに塗って呪いをかけるというなんともオカルトなことをやっていたのだが、そのサイキックパワーに期待をかけた後醍醐という人もただ者ではない。後醍醐天 皇が鎌倉幕府打倒の呪いをあれこれとやっていたという話は古典「太平記」にあるが、ドラマではその辺に突っ込んだ描写はあまりない。さらに言えば後醍醐ら は裸同然の女性が乱舞する「無礼講」を腹心達と行って倒幕の密談をしていたとも伝えられるのだが、これまた映像化はされませんでしたね(^^;)。
 この場面で、不審な男(高氏)に対して、公家たちが扇子で顔を隠し、扇の骨の隙間から覗くしぐさを見せる。さりげなく描かれるしぐさだが、これは当時の絵巻物にも頻出するもので、不審なもの、怪しいもの、さらには芸能など日常と異なるもの(ケガレに通じる)に対して自分との間に「壁」を作っておくという当時の貴族の心理があったものと解釈されている。このしぐさがさりげなく描かれたことについては当時歴史研究者の間でも評価が高く、ドラマのスタッフがよく当時の風俗を調べていたことがうかがえる一例だ。

 日野俊基の口からこれまた重要人物・楠木正成の名が出る。しかしこの回では情報だけで姿を見せず(淀の津の場面で近くに来ていることになっている。ニアミスだ)、視聴者の期待を高める形になっている。この後も名前だけはしばしば出るものの、実際の登場は第六回(そのタイトルも「楠木登場」)で、期待をジワジワと高めようというニクイやり方である。
 その代わりと言ってはなんだが、弟の正季は姿を見せる。今やすっかり人気俳優の地位を確立した観のある赤井英和だが、この頃はまだまだ「元ボク サー」であり俳優としては未知数と言って良かった。俳優としての出世作となった映画「どついたるねん」はすでにあったが、初のテレビドラマ、しかもいきな り大河、しかも大役とかなり冒険な配役だったと思える。河内弁で地のままやるという話もあったようだが、いちおう正成とともに標準語で通している。たまに 関西弁アクセントになっているところもあるが、あれはわざとであるようだ。この初登場での豪快な存在感はさすが。しかしドラマ全体を通して発声に難がある ところが否めず、時代劇調セリフ回しは気になってしまうレベルではあった。
 なお、細かいことだが六波羅の密偵「忍の大蔵」は原作にも出てくる人物。ドラマでは普通の武士のような印象に変えられている。
 
 俊基を高氏が騎馬で救出するシーンは、「真田高氏アクション」の見せ所の一つ。正直なところ見た目はそれほどビックリするものではないのだが(馬の走りがチンタラしているように見えちゃうのが残念なところ)、実行するとなると技術がいりそうな場面だ。二人乗りの乗馬、しかも飛び乗り+刀振り回し+障害物越えつき。

 この回から最終回までレギュラー化する陣内孝則の佐々木道誉も初お目見え。出てきた途端にハデハデの衣装と立花論議とでブッ飛ばしてくれ る。陣内孝則の演技はいささかオーバーという気もしなくはないが、いつまでたっても敵か味方か分からない謎な婆沙羅キャラクターとしては絶妙のキャスティ ングであったと思う。「婆沙羅」と言えばここで道誉は高氏に「婆沙羅にお話いたそうよ」と呼びかけている。「婆沙羅」とは当時の流行語で「はで」とか「い き」でしかも「ハメ外し」なニュアンスのある言葉だ。「婆沙羅に話す」っていうのはこの場合「ざっくばらん」ぐらいだろうか。道誉の登場シーンが「立花」 であるのは、道誉が実際に立花芸術の立て役者の一人であることに由来している。
 吉川英治の「私本太平記」でも佐々木道誉は重要な役どころで、小説の最初の方で高氏と出会う。小説では道誉の名が同じ「高氏」であることを利 用して物語をふくらませているが、ドラマ「太平記」はいっさいこのことに触れず、最初の挨拶で「佐々木高氏でござる」と名乗るだけである。個人的には「同 じ高氏ですなぁ」ぐらい言ってもらうと楽しかったんだけど。
 「道誉」というのは法名で、彼が側に仕えた北条高時が出家した際(嘉暦元年=1326年)に彼もつきあって出家し名乗ったもの。だから本来は高時にしても道誉にしても(ついでに円喜にしても)み んな坊主頭でないとおかしいのだが、ドラマとしては坊主だらけになってしまうのは避けたかったろうな。道誉が「京の警固・検非違使を務めておる」と言うセ リフがあるが、これは史実で、元亨二年(1322)には検非違使に任じられていたとする史料がある。ちなみにこのときの検非違使別当(長官)を務めていた のが北畠親房で、間もなく後任に日野資朝がつく。こうした人脈から、近江源氏である佐々木道誉に後醍醐周辺から接触があったかも…という想像はそう無理で はない。
 実はドラマのこの時点、「正中の変」が起こる元亨四年の春に道誉と後醍醐はかすかな接点を持っている。この年の3月23日に後醍醐は石 清水八幡宮に参拝しているのだが、このとき道誉が天皇の「橋渡し」の役を務めたことが『増鏡』に記されている。のちに後醍醐が隠岐に流されるとき道誉が護 送役を務めることになるが、そのとき後醍醐は石清水参りの時に橋渡しをしたのが道誉だったことを思い出した、という記事があるのだ。そんなことをきっちり 覚えているとは、深読みすると後醍醐は早くから道誉を知っていたのではないか…という推理もできる。

 このあと長く続く因縁の発端となる高氏と藤夜叉の一夜の逢瀬だが、どうも見ていると道誉か花夜叉の策謀であるような印象を受ける。原作だ と高氏が昔好きだった女性と似ていたので思わず抱いてしまった、という展開になっているのだが、道誉がらみである点は共通。当時の宮沢りえは人気急上昇と いった時期で、やや大胆な露出度を売りにしているところがあり、この場面も大河ドラマでアイドル役者を使ったシーンとしては思い切った描写であったとも思 える。もちろん展開上必要不可欠のラブシーンなのであるが。

 高氏が目を覚ますと、鎧武者達が京の町を駆け抜ける「正中の変」のシーンに。直接的戦闘シーンではないものの、ロケによる市街戦の迫力を期待させるシーンとなった。いよいよ歴史上の事件が描かれることになる。