第三十三回「千寿王と不知哉丸」(8月18日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:佐藤幹夫

◎出 演◎

真田広之(足利尊氏)

沢口靖子(登子)

根津甚八(新田義貞)

柳葉敏郎(ましらの石)

高嶋政伸(足利直義)

石原良純(脇屋義助)

後藤久美子(北畠顕家)

藤木孝(坊門清忠) 深水三章(服部元成)
井上倫宏(四条隆資) 森山潤久(細川和氏)
相原一夫(一条行房) 中山正幼(結城宗広) ト字たかお(伊賀兼光)
ドン貫太郎(今川範国) 芹沢名人(細川頼春) 安達義也(畠山直宗)
渡辺寛二(大高重成) 樫葉武司(南宗継) 中島定則(三戸七郎)
松本公成(細川師氏) 中村麻沙希・渡辺高志(近習) 
山崎雄一郎(不知哉丸)  森田祐介(千寿王) 高都幸子・船田めぐみ(侍女)

近藤正臣(北畠親房)

樋口可南子(花夜叉)

大地康雄(一色右馬介)

柄本明(高師直)

宮沢りえ(藤夜叉)

小松方正(名和長年)

山内明(吉良貞義)

栗谷明生・中村邦生・長島茂・松田裕之(一座の者)
宮増新一郎・柿原弘和・栗須和秋・花ヶ前浩一(一座の者)
木津芳一・柴田暁彦・田中龍・西島愛(一座の者)
高橋豊・大森一・本田清澄(公家)

若駒スタントグループ ジャパンアクションクラブ クサマライディングクラブ  わざおぎ塾
早川プロ 園田塾 丹波道場 足利市のみなさん 太田市のみなさん
 
武田鉄矢(楠木正成)

藤村志保(清子)

片岡孝夫(後醍醐天皇)



◎スタッフ◎

○制作:一柳邦久○美術:田中伸和○技術:鍛冶保○音響効果:石川恭男○撮影:水野勇○照明:飯酒盃真司○音声:岩崎延雄○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇
 
 駿河国・由比。夜に篝火を焚いて、面をつけた男女が調べに合わせて舞を舞っていた。そこへましらの石不知哉丸を連れて訪ねてくる。「石…!」と面をとった女は花夜叉その人だった。「文は読んだ…藤夜叉はかわいそうなことを…」と花夜叉は言い、「不知哉丸、よう来たのう」と不知哉丸を抱きしめた。
 石は能面を眺めながら、「もう田畑にしがみついて暮らすのはこりごりじゃ」と言い、旅芸人の一座にまた加えて欲しいと花夜叉に頼む。「この一座はわぬしと藤夜叉が生まれた里のようなものじゃ」と花夜叉は言い、一座もかつての仲間はみな独立して去っており、いまの一座に石を知る者は一人もいない、芸風も変わったと石に語る。「石も一から出直せばよい」と花夜叉は言い、不知哉丸もここで育てればよいと石に言う。そして先ほど花夜叉と一緒に面を着けて舞っていた男を服部元成どのじゃ。新しい猿楽舞の名手ぞ」と紹介する。
 そこへ一座の者が足利軍が北条の残党を追って信濃に攻め込んだとの知らせをもたらした。花夜叉は一座がこれから鎌倉へ向かうことを告げ、鎌倉は無事かどうか気にかける。

 鎌倉を奪回した足利軍は北条残党を追って信濃に攻め込んだ。ところが越後の新田一族・堀口氏も信濃へ同時に攻め込み、信濃の支配をめぐって足利・新田両家が争う形となってしまった。
 鎌倉では足利の家臣達が、「信濃に援軍をおくり新田を追い払え」と叫んでいた。しかし尊氏は両軍の衝突が信じられぬと言い、仮に衝突があったとしても新田義貞の指示を受けてのものではないのでは、と都に確認するよう命じ、また今はまず関東・鎌倉を安定させるべき、と一同を戒める。しかし吉良貞義が関東の安定のためには関東を完全に手中に収め力を示せばよいと進言し、直義も今回の戦いの恩賞を与えるためにも信濃は手放せないと意見する。「信濃を手放すとは言うておらん。新田殿と戦いたくないだけじゃ」と尊氏。しかし直義は今回の戦に協力しなかった新田の上野の領地をとりあげて恩賞にするべきとまで言う。
「そちは…護良親王を害し奉ったばかりでなく、新田殿とも争い、都の者すべてを敵にまわすつもりか?」と尊氏が責めると、直義は「そうでもいたさねば都好きの兄上が本気で武家のためにお立ちにならぬと思うたのです!」と答えた。「おろかな!」「おろかは兄上じゃ!」と怒鳴り合う兄弟。そこへ高師直が割り込み、今の事態はそもそも直義が鎌倉を守りきれず捨てたことが原因、と直義を非難する。

 三河から登子千寿王が鎌倉へと戻ってくる。同行していた一色右馬介が一足先に鎌倉に入ってきて尊氏に報告する。尊氏が不知哉丸の消息を聞くと、右馬介は花夜叉一座に見張りをつけていることを告げた。
 尊氏は「みなわしのまいた種じゃ…」と右馬介に語り始める。自分が都を出なければ藤夜叉が死ぬこともなかった。護良親王も自分が鎌倉に預けなければ殺されることはなかった。さらに自分が北条を倒したりしなければ多くの武士が公家に土地を奪われることもなかっただろう。「わしがわずかばかりの夢をみたばかりに…みな、わしが引き受けるしかない」と尊氏は自らを責め続けるのだった。

 一方、都では藁束で刀の試し斬りをしている義貞に、脇屋義助が「堀口を信濃に行かせたことがそれほどご不満か!?」と詰め寄っていた。今度のことで足利を牽制できると公家達も喜んでいる、と義助が言うが、義貞は「わしは万が一、帝の命で足利殿と戦うことになっても、正々堂々と戦う。正面からじゃ!信濃辺りに忍び込んで盗人のような真似はせん!」と義助を一喝する。「そんなことを言うとるから足利にしてやられるのじゃ」と義助は言い返し、公家に反足利の気運が盛り上がっている今こそ新田の力を伸ばすべきだと意見する。「そういたさねば、いつまでたっても兄上は足利の上に立てませぬぞ」との義助の言葉に「わしがいつ足利の下に立った…!」と憤然とする義貞。義助は追い打ちをかけるように都の人々の新田評を告げる。「しょせん新田は朝廷が足利を牽制するために引き立てた者よ、猿回しの猿に過ぎぬ、と!」この言葉に義貞は義助をにらみ返す。

 鎌倉では戦勝を祝う宴が催され、花夜叉一座が舞を見せていた。舞を見ながら、尊氏は久しぶりに母や妻子と水入らずのなごやかな談笑を楽しむが、直義はその団らんムードに嫌気が差して席を立ってしまう。直義が町を見回ってくる、と言って屋敷を出ようとすると、門で不知哉丸が「おじちゃん!」と声をかけてきた。驚いた直義が事情を聞くと、一座と一緒に来たのだが宿で待たされているのが退屈で出てきたという。「母御は?」と直義が聞くと「おっ母は死んだ…」との答え。直義は「こっちへ来い」と不知哉丸を屋敷の一室へ招き入れる。
 侍女達が菓子や料理を運んで廊下を歩いている。清子が不思議に思って聞くと直義のところへ運ぶとの答え。いよいよ不思議がっているところへ尊氏が「舞は終わったぞ」と直義を呼び出しに来た。直義のいる部屋に入ると、そこに不知哉丸がいるのを見て尊氏と清子は驚く。不知丸は尊氏にもらった地蔵の守りを取り出し、尊氏に示した。

 そこへいきなり千寿王が駆け込んできた。何かを感じるのか、千寿王と不知哉丸は黙ってお互いを見つめ合う。 千寿王を追って登子も部屋に入ってきたので、尊氏、直義、清子はばつが悪そうに押し黙ってしまう。「そのお子は…?」とただならぬ空気を感じる登子。「一座の子でござります。諸国の話などを…」と言いながら直義は不知哉丸を連れて出ていき、清子も「用があった」とそそくさと出ていってしまう。尊氏は千寿王も連れて行かせ、登子と二人きりになると「話したいことがある」と切り出し、「登子、そこにいた子はわしの子じゃ」と打ち明ける。尊氏は登子に藤夜叉のことを話し、不知哉丸については一生無縁の子とするつもりだったが、母親が死んだ今ほうっておけないと言って「そなたの許しがあれば引き取りたいと思う…」と登子にもちかける。だが登子は「今日まで知らぬのは登子だけでござりましたのか」と恨めしそうに言う。「すまぬ」と謝る尊氏に、登子はむかし尊氏が藤夜叉のことを打ち明けようとした時に「今日の月、明日みる月が美しければそれでよい」と言って過去を詮索しないと言ったことを思い出しつつ語って、「その子は…ご容赦くださりませ!」と逃げるように出ていってしまう。
 舞を終えた花夜叉一座が出ていこうとすると、不知哉丸が出てきたので花夜叉は驚く。みると不知哉丸を直義が見送っていたので花夜叉はだいたい事情を察して不知哉丸を連れて宿へと帰っていった。
 師直が尊氏の所へ来て「いま評判の一座を呼んだ」と言って「いかがでござりました?」と問う。尊氏は「なかなかであった」と意味深に答える。続いて師直は足利方の村上氏が信濃の新田軍と戦って勝利したことを伝え、信濃守護職を恩賞として与えねばなりませんな、と尊氏に言うが、尊氏は無言でどこかを見つめていた。

 ところ変わって陸奥国。陸奥の国府には反新政を叫ぶ反乱軍が押し寄せ、北畠親房顕家父子、結城宗広らが必死に防戦をおこなっていた。宗広が城門の外で敵と斬り結び、顕家が中から矢を射て宗広を救う。親房が敵の矢が飛んでくる前面に姿を現し、顕家たちが安全なところに引くように勧めるが、親房は「案ずるな、いやしき東夷(あずまえびす)の矢など、この親房には当たりはせん!」と言って、「汝知らずや!我は大納言親房ぞかーし!ここに矢を射てみよ!」と胸を叩いて敵に叫ぶ。そこに風が吹きつけてきて、親房は砂煙にむせて倒れ込んでしまう。「ものの値打ちもわからぬ輩に名乗りなど挙げても詮無きことか」と親房は笑って引き下がり、近くに刺さっていた敵の矢を抜き、敵が佐竹貞義の手の者であり足利の命をうけていると称していることなどを顕家と話す。外で戦っていた宗広がようやく城内に戻ってきて「東国の武士がみな足利方に鞍替えしておる!ゆゆしきことじゃ!」と北畠父子に叫び、親房は朝廷に足利の真意を確かめよと訴える使いを出すよう命じた。

 親房の訴えは京に届き、朝廷では公家や名和長年が足利の勝手な行動に怒りをぶちまけていた。そこに四条隆資が、護良の世話をしていた女性が鎌倉から逃げてきて、護良殺害の証言をしているとの話を伝える。その証言の生々しさに公家達は震え、吐き気を催す者も出る。公家達は「足利討つべし!」と盛り上がり、後醍醐天皇にこれを報告する。
 「護良は、やはり…」とつぶやく後醍醐。「この手でとらえ、この手で足利に渡したのじゃ。あのときこの手で殺してしもうたのじゃ」と後醍醐は自らを責める。公家達は「足利討伐の詔勅を!」と声を揃えるが、後醍醐は参席していた楠木正成に意見を求める。正成は一連の動きが本当に尊氏の指示によるものなのか、彼の手の及ばぬところで事態が進んでいるのか分からぬ、と言い、天下が疲弊している今は戦は避けるべきで、まず尊氏を都に呼び返して直々に話を聞くべき、戦はそれからでも遅くない、と進言する。「げにも…今、戦は避けねばならん」と後醍醐は言い、ただちに尊氏に向けて勅使を送ることを決定する。
 これが帝と尊氏をつなぐ最後の勅使となるのである。



◇太平記のふるさと◇
 
 三重県・津市。結城宗広を祭る結城神社と、そこに納められた後醍醐帝の綸旨、北畠顕家の国宣、北朝側についた結城一族に送られた尊氏の催促状などを紹介。


☆解 説☆
 
  このドラマの中でもっとも長いタイトルの回(笑)。前回藤夜叉が死んだのを受けての「事後処理」と、いよいよ足利が建武政権に対して独立志向を強めていく様子を重ねあわせて描く回で、タイトルの与える印象の割りに中身は濃い。それにしてもこの回のタイトル、なんで弟の千寿王の方が先なんでしょう。やっぱり正室の子と隠し子の差か?

 この回で久々に花夜叉が登場。一座のメンバーも入れ替わり、服部元成という猿楽舞が加わっている。第14回「秋霧」の解説で既に触れたように、この元成は能の大成者・観阿弥の父親であり、このあと花夜叉と結ばれる。この回で花夜叉と元成が面をつけて舞っているが、それはそのまま能楽の原型のようなスタイルになっている。

 鎌倉を奪回後、主君尊氏の思惑を越えて、直義や家臣達、尊氏についてきた武士達が勝手に支配領域を広げて行き、新田氏と信濃で衝突する。一方の新田氏も義貞の意に反して弟の義助らが勝手に足利との勢力争いを拡大しており、少なくともドラマの中では双方で同じ構図が現出されている。実際には尊氏、義貞本人達が勢力争いをしていたと考えるのが自然だと思うけど、なんとなくNHK大河というのは特に主人公に関しては直接的な憎悪関係をなるべく描かないようにする傾向があるようだ。そのあおりを食って直義や義助が憎悪をあおる悪役みたいになってしまっている。この回の義貞の「わしは正々堂々と戦う、正面からじゃ!」のセリフは、フェアプレイ精神の板東武者・義貞の真骨頂と言える台詞。
 本文ではカットしたが、脇屋義助が越後守護職を足利に奪われた、と言うセリフがある。これは実際には越前守護職のことで、建武元年に脇屋義助から足利一門の斯波高経に越前守護職が交代された事実がある。足利と新田の確執は前年からすでに始まっていたのだ。この中先代の乱鎮圧後、事実上の幕府開設を目指す尊氏としては「将軍」の権威を示すために恩賞を出さねばならず、そのために新田の領地をも「恩賞」として味方した武士達にばらまいてしまうという行動に出た。報復として新田側も足利の領地を占拠したりしたらしいが…ともあれ、もはや足利氏が独立政権になってしまったと言っていい事態である。

 この回で「みなわしのまいた種じゃ」と尊氏があれもこれも自分の責任だといって自分を責める場面がある。たぶんこのシーンは尊氏の「鬱状態」を表現しようとしたのだろう。尊氏が躁鬱質の人間だったというのは佐藤進一氏が指摘するところだが、確かに古典「太平記」その他を読んでいても、尊氏というのは時折ガックリと落ち込んで世を捨てたいと騒ぐところがあり、そうかと思うとやたら調子に乗ったり戦いに敗北したくせに勝ったつもりでいる時があるなど、常人には理解しがたい感情の起伏をみせるところがある。ドラマではこの次の回で尊氏が出家騒動を起こす伏線として、ここで尊氏が精神的に鬱になっていく様子を描いたのだと思われる。さらに言えば藤夜叉の死が尊氏の鬱状態を引き起こしたようにも見える。ま、何気なくみていると気が付かないことばかりですが。

 とうとう不知哉丸の存在が登子に知られてしまう。以前第9回で尊氏が登子に一切を告白しようとする場面があったが、その時は登子は「今日の月、明日見る月が美しければそれでよい」と言って尊氏の告白を制していた。しかし今回「隠し子」の存在が現実のものとなって、さすがに拒絶反応を起こしてしまう。考えてみれば当然で、登子は名門北条氏のお姫さまであり、彼女から見れば夫がどこぞの白拍子に生ませた子供など、身分的感覚からとても受け入れられるものではなかったに違いない。このドラマの登子はのちのちまで不知哉丸、成人して直冬に拒否反応を示し続けるのだが、「ホントはみんな仲良し」的描写が多いこのドラマの中ではこの「継母の継子ぎらい」の描写はかなり目立った。沢口靖子が演じた役の中でも、珍しくかなり陰のある演技が要求された部分だと思う。

 陸奥国府攻防戦(そんなのが実際にあったのか疑問ではあるが)のシーンは、顕家よりも親房の独壇場の観があった。名門公家意識丸出しで田舎武士を罵る親房が、いかにもそれっぽく面白い場面。ここで親房演じる近藤正臣さんが着けている鎧は妙に古風なスタイルで源平合戦期ごろのデザインといった印象。「古い」親房を象徴するために選んだ鎧なのだろう。
 このシーンで、ここまでセリフの中だけでは出てきた結城宗広が登場する。彼は一貫して北畠親房父子に付き従い、顕家の二度の西上遠征にも参加、さらに顕家の死後、関東に南朝勢力を広げるべく親房と共に伊勢から海路関東を目指した。しかし船は難破し宗広は伊勢に戻り、そのショックかその地で病に倒れてそのまま死去した。「ふるさと」コーナーで紹介される結城神社はそういう経緯で津市に存在しているのである。
 ここで陸奥国府を襲っているのはどうやら佐竹氏の兵らしい。佐竹とは常陸北部の豪族で足利・新田と同様の清和源氏。古典「太平記」でもよく読むとところどころに登場している。この頃から一貫して尊氏、ひいては北朝に従い、常陸・陸奥の南朝勢力と戦った。 のち戦国大名に成長するが関ヶ原で西軍よりの姿勢を見せたため秋田に転封となった。思えば息の長い家系である。

 朝廷のシーンで護良の世話をしていた女性が京に逃げてきたとの話が出るが、これが第30回の護良のセリフに出ていた「南の方」のこと。古典「太平記」ではこの部分、尊氏と義貞がお互いを非難し討伐の許可を求める上奏文を後醍醐に提出するのだが、義貞が尊氏の悪事を列挙する中で「護良殺害」を暴露することになっている。この時点では護良殺害の事実は京には伝わっておらず、どうしてこの時点で義貞がこれを知り得たのか「太平記」はまるっきり説明していない。この上奏文を見て後醍醐が驚いているところへ南の方が京に到着し、護良殺害の模様を証言することになる。
 それにしてもこの朝廷シーン、毎度ながら藤木孝さんを初めとする「公家俳優」の皆さんの少々薄気味悪い(?)熱演が見ものである。この場面では護良の首が落ちるのを見たという南の方の証言を隆資が口にしただけで、一同吐き気を催して口をおさえる始末。実際のお公家さんたちってどうだったんだろうな、と思っちゃうところ。