第三十七回「正成自刃」(9月15日放送) 
◇脚本:仲倉重郎
◇演出:佐藤幹夫


◇アヴァン・タイトル◇

 湊川合戦の経過を振り返る前回のまとめ。足利軍35000に対する楠木軍1000余の死闘が6時間にも及ぶ。


◎出 演◎

真田広之(足利尊氏)

根津甚八(新田義貞)

陣内孝則(佐々木道誉)

高嶋政伸(足利直義)

石原良純(脇屋義助)

赤井英和(楠木正季)

藤木孝(坊門清忠) 森次晃嗣(細川顕氏)
瀬川哲也(恩智左近) 桜金造(和田五郎)
でんでん(神宮寺正房) 井上倫宏(四条隆資)
辻輝猛(光厳上皇) 相原一夫(一条行房)
加藤盛大(楠木正行) 近藤大基(小太郎=義貞少年時代)
山崎満(洞院公賢) 菊池章友(草野秀永) 海野義貴(光明天皇=豊仁親王)
渡辺寛二(大高重成) 芹沢名人(細川頼春) 中島定則(三戸七郎)
山浦栄・村添豊徳・須藤芳雄・奥出博志(家臣)

藤真利子(久子)

大地康雄(一色右馬介)

柄本明(高師直)

小松方正(名和長年)
 
森松條次(洞院実世) 長澤隆(橋本正員) 松本公成(細川師氏)
川島正人(三宝院賢俊) 山本正義(楠木近習) 上原恵子・渡部輝美(侍女)
中村麻沙希・渡辺高志(足利近習) 高土新太郎・平工秀哉(伝令)
森喜行・鐘築健二・松井郁也(百姓) 時宗・遊行寺のみなさん

若駒スタントグループ クサマライディングクラブ  
早川プロ 丹波道場 足利市のみなさん 太田市のみなさん 十王町のみなさん
 
武田鉄矢(楠木正成)

原田美枝子(阿野廉子)

片岡孝夫(後醍醐天皇)



◎スタッフ◎

○制作:一柳邦久○美術:田中伸和○技術:鍛冶保○音響効果:加藤宏○撮影:杉山節夫○照明:森是○音声:岩崎延雄○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇
 
 湊川の戦いの日の夕方、戦いに敗れ傷ついた楠木正成ら一党は足利尊氏の降伏勧告を断り、死に場所を求めて山中をさまよっていた。やがて人気のない時宗の道場を見つけ、正成達はここに入る。道場の周囲には多くの蚕が葉の上を這っていた。
 宝満寺の尊氏本陣にも正成達の動きが伝えられた。細川顕氏らが正成らに止めを刺す総攻撃を進言するが、尊氏は彼らがもはや死に場所を探しているだけだと知っており、「無駄にその首を争わず、静かに最期を見届けてやろうぞ」と言うのだった。
 
 道場に座り込み、一同は戦いの疲れをいやすように沈黙を続ける。正成は真っ赤な日輪を眺めている。足利軍も攻めてこず、あまりの静かさを正季がいぶかしむが、正成は、最期にゆとりをえたのはありがたい、見納めの落日も静かに眺められるとつぶやく。これを聞いて正季が正成に向かって頭を下げた。「長い間、わがままを申しました。かかる末路にお誘いしたのは、それがしのせいにござります!」しかし正成は答える。「かほどの大事、誰に引かれてするものぞ…そは、正成の身の内にある運命というものであろう」
 そして正成は正季に問うた。「試みに、聞きたい。人が死するとき願う一念によって来世が決まるという。正季、いまそなたは何を思う?」正季は大笑いし、何も思うことはない、と答えるが「が、されどただ一つ。次の世も、いや七生までも生まれ変わって朝敵を滅ぼしとうございます!」と言い切った。「ほう…七生人間か、七生鬼か?」と正成が聞くと、「鬼となっても!」と正季。「鬼となってもか…、正季らしいわ」と正成が笑い、一同も大笑いする。
 すると正季が正成の思いを尋ねる。「わしは七たびでも人間に生まれ変わりたいが、鬼にはならん」と正成。「家の小庭に花を作り、外にいくさのない世を眺めたい…七生土をかつぎ、土を耕す、土民のはしくれであってもかまわぬ」聞いた正季が「それは、兄者の…夢じゃ」とつぶやくが、正成は続ける。「今生では見果てぬ夢じゃったが、来世では…いや、七たび生まれ変わるうちに、さような世の中に出会いたいものじゃ…」
 夕陽が道場に射し込み、ひぐらしが鳴いている。道場の阿弥陀仏の像が静かに正成達を見守っていた。

 恩智左近がふと見ると、自分の手に蚕が登ってきている。そのまま手を持ち上げて、左近は正成達一同にそれを見せる。正成達はそれを見て面白そうに笑った。左近が笑いながら床に手を置き、蚕を逃がしてやろうとしたとき、矢が飛んできて左近のその手に突き刺さった。
 「左近!」正成が叫ぶ。道場に火矢が次々と浴びせられ、道場はたちまち火に包まれていく。正成達は覚悟を決め、一同で阿弥陀仏に向かって読経を始める。
 正成と正季は向かい合って座り、短刀を抜いた。「兄者…!」「正季…また、あの世で会おう」「御免!」正成と正季はお互いを短刀で二度刺し、抱き合うように倒れ込んだ。左近はじめ、まわりの楠木一党も次々と刺し違え、自害していく。絶命した弟を抱きかかえるように、優しく目を開いたまま、正成は煙と炎に包まれていった。

 翌早朝。朝もやの陣屋の中で、尊氏は正成の首と対面していた。台に乗せられ目を閉じた正成の首をじっと見ながら、尊氏は友にもまさる好敵手を死なせた深い喪失感に襲われていた。高師直が敵将の首は天下にさらすのが習い、と言うので尊氏は湊川の河原に正成の首をさらすよう命じ、「首札はわしが書こう」と立ち去った。師直も正成の首をじっと眺める。
 しかし河原に正成の首がさらされたのはほんの一時であった。尊氏が頼んだ付近の寺の僧達がただちに正成の首を回収し、寺で供養を行ったのである。尊氏もひそかにその供養に参列した。
 尊氏は一色右馬介に「つらい役目だが」と正成の首を河内の家族のもとへ返してやるよう命じる。「大事なもののために戦い、大事なもののために見事に死なれた」と正成の妻に伝えるよう、と言いつける。
 
 右馬介は河内に行き、楠木館で正行久子と 対面。「御検分くださりませ…」と右馬介が差し出す首の箱を、正行は恐る恐る開ける。さすがに目を背ける正行に、久子が「正行どの…!」と声をかける。 「確かに父、正成の首にござりまする…足利殿のご厚情、まことにかたじけのうござります」と気丈に言う正行。駆けつけてきた領内の農民達が首を見て泣き叫 ぶが、久子はそれを静まらせる。「とのは、ようやくふるさとにお戻りになられたのじゃ…もう二度と、戦に行かれることもない。この河内に、皆と共にずっとおられようぞ」そう言って久子は静かに涙を流すのだった。

 京の里内裏は足利軍迫るの報に大騒ぎになっていた。そこへ湊川から帰ってきた新田義貞が参内する。坊門清忠たち公家が「よくもまぁ、おめおめと…!」と義貞を責める。そこへ後醍醐天皇が姿を現し、義貞は敗戦の罪をわびる。「都には一歩たりとも入れさせません!」と言い切る義貞だったが、「待て、それはどうかの」と後醍醐。京は攻めるに易く、守るに難い。「楠木が申したとおりであったかのう…今となっては正成の策を用いずば防ぎ得まい」そう言って後醍醐は先に正成が献じた作戦そのまま、自らは比叡山に入り、都に足利軍を誘い入れ兵糧攻めにする方針を言い渡す。「まさしく、それが上策にござりまする」とうやうやしく頭を下げ、さっそく公家達に指示を出す坊門清忠に、洞院公賢が呆れて「坊門どの!そなたは楠木の策に真っ先に反対されたではないか」となじると、清忠は「何を申される。湊川の合戦の前と後とでは事情は大違いじゃ」とすました顔。
 騒ぐ公家達に後醍醐は「これは落ちるにあらず。叡山に動座するは行幸なるぞ」と言い渡し、皇族も公家も武家も何もかも都から連れ出せと命じる。「都に入りし尊氏、さぞ驚くことであろう…」と言って、後醍醐は退出した。公家達はまた義貞に詰め寄り、清忠が「これからが正念場ぞ、もはや失敗は許されませぬ」と義貞に言い渡す。

 京を攻略する尊氏は男山八幡宮に陣をとっていた。直義たちが諸将と比叡山への総攻撃を検討する中、「その前にやっておく事があろう」と尊氏が言い出す。それは自分達に院宣を与えてくれた光厳上皇ら持明院統の皇族の脱出を図ることだった。「奪い取るのでございますか」という師直に、尊氏は「男山八幡宮に行幸願うのじゃ」と言い換える。一同は感心し、さっそくその手はずをとることにする。そんな中、佐々木道誉だけは無表情に策を指示する尊氏を不審そうに見つめていた。
 夜、持明院裏門から足利兵の手引きで光厳上皇とその弟の豊仁(ゆたひと)親王が脱出した。二人は夜空に浮かぶ不気味に赤い月を仰ぐ。二人は尊氏の軍に擁立され、豊仁親王が新しい天皇とされた。光明天皇の誕生である。

 東寺の尊氏本陣。道誉が尊氏を訪ねてくると、尊氏は熱心に写経している最中だった。「不思議なものよのう…あれはちょうど三とせ前じゃった。足利殿と共にこの東寺で、隠岐より戻られる帝を待っておった」と道誉は感慨深げに言う。「帝を待っておったのは判官どのとそれがしだけではなかった…」と尊氏。あのとき、多くの人々が後醍醐帝とその新しい世を待っていた。しかし三年が過ぎた今、世は恐ろしいまでに変わったと道誉は言う。「まわりを見れば、正成どのはおらん。千種殿は露と消えた…何より、帝がおらぬわ。あの日、我らが胸躍らせて待ち受けた帝は、この東寺ではなく叡山におわす。そしてこの東寺には…別の帝じゃ」尊氏も「不思議なものようのう…」と言うが、どこか表情はうつろである。「まことに、これでよしと思われるのか?」と聞く道誉に、尊氏は「判官殿はいかが思われるのか?…これでよい…これでよいのじゃ」と自分に言い聞かせるように答えた。
 道誉は話題を変えた。清水寺に参詣したそうだが何を願ったのか、と尊氏に尋ねる。尊氏は答える。「この世は、夢の如きもの…確かなものは何もない。ただ御仏(みほとけ)にすがり、御仏のご加護を給わるよう、願うたまでじゃ」聞いた道誉は、先ごろ新帝を立てるなど恐ろしげなことをした男が弱気になったか、と笑う。尊氏はさらに「わしはどうも政には向いておらん」と言い、弟の直義は自分と違って迷いのない心を持っている、これからは直義に全てを任せて「はや遁世いたしたい一心じゃ」と気持ちを打ち明ける。「それ、それ!それが曲者よ!足利殿はいつもそうじゃ!」と道誉がからかうが、「何がおかしい。わしは本気じゃ」と尊氏が言い返すので、道誉は気まずそうに黙る。道誉は尊氏が遁世などしたらみな途方にくれる、直義では武士はまとまらぬと忠告し、「御辺のあと、天下を狙うておったのに、途中で放り出されては水の泡じゃ!それは困る。困る、困る!」と冗談とも本気ともつかぬ声を上げる。
 尊氏は「今すぐにとは申しておらん…それにこのままでは、叡山の帝に申し訳が立たぬ」と比叡山の方を見上げながらつぶやく。「何を今さら…」と道誉は笑うが、尊氏が写していた経を見て黙り込む。「今さら…そうよのう、今さらじゃ…されど…」尊氏はそう言いながら比叡山の方を眺めた。

 その比叡山・延暦寺では、後醍醐帝と阿野廉子が京の夜景を見下ろしていた。「訳の分からぬお方が都にあって、お上がこの叡山におられねばならぬとは余りにも理不尽…」と廉子が恨めしそうに言い、公家達も尊氏とそれに擁立された持明院統の悪口を言いはやす。「わらわは許せませぬ。理不尽は理不尽。早う都から追い出さねば…!」と廉子は後醍醐に言う。
 廉子は公家達と共に義貞を呼び出し、「そなた、逃げる時は早いが、攻める時はゆっくりじゃのう…いつまで都を尊氏の勝手にさせておくつもりじゃ!」と責め立てる。義貞は兵糧攻めにするという作戦になっており、効果が現れるには二ヶ月はかかる、と言うが、廉子は「兵糧攻めも良いが…一度、奇襲などかけ、尊氏のしるし、あげてこれぬものかのう…!」と扇子を自分の首に当てる。

 やがて義貞は天皇方の軍を率いて京を奪回するべく総攻撃をかけた。義貞の顔にはただならぬ決意が浮かんでいた。
 京の町の各所で両軍の激しい戦闘が行われる。名和長年も必死に戦っていたが、斬り合いの最中に矢が当たり、ひるんだところを敵兵に首をかかれてしまう。「肥前松浦党、草野秀永ーっ!名和伯耆守を、討ち取ったりーっ!」功名の名乗りがあがった。
 「なにっ、名和殿が…!」長年戦死の知らせは義貞の陣にも届く。「兄者…三木一草、ことごとく滅びましたなぁ…」脇屋義助が言う。義貞は「鎧じゃ!兜を持て!」と声を上げ、ただちに出陣する。

 義貞はただ一騎、尊氏の本陣・東寺へと駆けつける。「尊氏どの、見参!」と叫ぶ義貞。「あれは新田の声!?」と東寺の中の直義たちも驚く。義貞は東寺の門前で演説を続ける。
「天下乱れてやむことなく、罪なき民を苦しめて久しい!されど、そもそもこの戦は尊氏どのとこの義 貞の宿怨によるものではござらぬか!いたずらに戦を続けていては万民の苦しみは増すばかり。されば、東国武者の習いに従い、尊氏どのとそれがしの、一騎打 ちによって雌雄を決したい!」
 義貞の演説に、尊氏は不敵な微笑みを浮かべる。「かように思い、義貞自ら軍門にまかりこした!嘘かまことか、この矢一本受けて知るがよい!」義貞はそう言って弓を引き絞り、東寺の中へと矢を放った。矢は東寺の中に飛び込み、尊氏らのいる本陣の柱に突き刺さる。「ハハハハ…こはいかにも坂東武者、新田義貞どのらしきやり方じゃ」と 尊氏は笑いながら矢を柱から引き抜き、「この尊氏、新田どのとの一騎打ち、喜んで受けようぞ」と言う。直義や師直達がこれは大将同士の一騎打ちで決着を着 けるような戦いではない、政と政の戦いだ、と必死に諫めるが、尊氏は、どのような戦いであろうと申し入れを断れば坂東武者の名がすたる、と言って馬を引き 出し門を開くよう命じ、手にした矢をへし折った。

 東寺の門前に鎧兜に身を包み、馬にまたがった尊氏が現れた。「これは足利尊氏なり!新田どのよりの一騎打ちの申し入れ、しかとお受けいたす!」「さればこそ足利の大将よ!心ゆくまで戦おうぞ!」二人は声をかけ合い、路上に距離を置いて体勢を取った。直義、義助らも駆けつけて双方で息を殺して成り行きを見守る。手始めに尊氏と義貞は弓を射て、尊氏は矢を弓で払い、義貞は矢をひらりとかわす。そして両雄は太刀を抜き、馬を駆けてすれ違いざま刃を交えた。
 斬り結ぶひと太刀、ひと太刀に、長年の両雄の思い出が交錯する。少年時代の出会い、共に北条打倒を誓った日々、後醍醐天皇の命により敵味方として戦うことになった宿命ー。

 −宿命のライバル、足利尊氏と新田義貞の一騎打ちは勝負がつかなかった。そしてこの日を最後に、二人は二度と出会うことはなかったのである−。


◇太平記のふるさと◇
 
  大分県・国東町。尊氏がこの地域の水軍の協力を仰いだこと、尊氏水軍の錨石や萬弘寺に保存されている尊氏の奥歯や高師泰の書状、安国寺にある尊氏の最古の木像などを紹介。


☆解 説☆
 
  前回の湊川合戦の続きを描き、事実上ドラマ「太平記」はこの回でその「第二部」に一区切りをつけることになる。この回の見どころは、タイトル通りの正成の最期、そして足利尊氏と新田義貞それぞれの苦悩の戦いだ。

 正成一党の自害にいたる様子は、吉川英治「私本太平記」の描写をほぼなぞっている。しかし前回のラスト、包囲されて一礼した後でいきなり山中を彷 徨うシーンになるってのも繋がりが悪いよなぁ…「尊氏の降伏勧告を断り」とナレーションを入れることでごまかしてるが、降伏勧告なんてものが実際にあった 様子はない。ところでこの回「十王町のみなさん」という表示が初めて出るのだが、どうもこの楠木一党が夕陽の射す山中をさまようロケシーンがここで撮影さ れたということらしい。
 正成と正季の交わす会話は、古典「太平記」をベースに吉川英治がアレンジしたものをほぼそのまま採用。正季が「七たびでも人間に生まれ変わっ て逆賊を滅ぼす」と答えたのは有名な話で、戦前の忠君愛国教育の題材として大いに利用されたものだ。古典「太平記」の正成は「罪深い考えではあるが、わし もそう思う」と正季に言う。しかし吉川英治は「平和主義者・正成」にそんなセリフは言わせない。「七生人間」の思いは戦いのない平和な世を生きたい、とい う正成の願望にアレンジされた。
 ま、どっちにしても正成兄弟がこんな会話をほんとに交わしたかは誰にも分からない。目撃者がいて証言してれば別だけど、このとき正成と一緒に いた人はみんな自害しちゃてるから…もっとも傷を負いながらも河内に帰った部下もいるのは確からしい。だが自害の現場まで見届けることは出来なかっただろ う。
 「あとかたも なきこそよけれ みなと川」吉川英治自身の句である。なんか不思議と好きでして。

 右馬介が正成の首を河内に届けに行くのも「私本」から採ったもの。古典「太平記」によれば正成の首は六条河原にさらされたのち、尊氏が「公私ともに親しくしていただけに哀れである。残された妻子も姿を今一度見たいであろう」と 言って首を河内へ届けさせたことになっている。正行は父の首を見てショックを受けて奥に引きこもり、刀を抜いて自害しようとするが、母がこれに気づいて止 める。そして「栴檀は二葉より芳ばし…」から始まる名セリフで、父がなぜ桜井でお前を帰したのか、と諭す。正行は自害をあきらめ、母と共に涙、となるわけ なのだが、正行は尊氏の好意(?)をよそに父の仇を討つ決意を固め、成人を待つことになる。
 上記の話は「太平記」にだけ載っている話で、史実かどうかは分からない。特に尊氏が正成の首を届けさせる理由に「公私ともに親しくしていたか ら」と言っていることに、両家の身分差から疑問を投げかける意見も強い。だからこのエピソードを生かしたい小説などでは逆に、建武新政期に尊氏と正成の私 的交流を挿入しようと画策するわけだ。このドラマもまさにそう。
 ただ尊氏が楠木正成という武将を、その正体不明と言って良いほどの身分の低さにもかかわらず高く評価していたことは確実だ。湊川の戦いで足利軍は逃げる新田軍をそっちのけで少数の楠木軍殲滅に力を注いだフシがあるし、戦いの直後、尊氏は「正成を討ったことにより上洛する上での問題はなくなった」と 書状に書き、正成戦死の報を積極的に触れて回っている。公式には最大の敵とみなしている義貞がその軍勢ともども健在な段階でこう言っているところをみて も、尊氏がいかに正成を高く評価し、深く恐れていたかがうかがえる。世間一般の評価も案外そうだったのかもしれない。 また正成の戦死を確認した直後、尊氏が兵庫の魚の御堂に正成供養のため所領五十丁を寄進したことが当時の舜中綱という人物の書状に見え、個人的に親愛の情 があったと見るのが自然ではなかろうか。
 それにしてもこのドラマ、正成つまり武田鉄矢の生首が一瞬だけど映るんだよね。みたところ作り物ではな く武田鉄矢さん本人が生首を演じてらっしゃる。NHK広報誌に載った当時の記事によれば、これは鏡を使った割と原始的な「特撮」だったそうで、生首状態の 武田鉄矢さんがタバコをくわえてる写真まで掲載されていたそうである(僕はその記事は目撃しておらず、読んだ方から報告をいただいた)。当時、やくみつるさんが1コマ漫画でこのシーンを採り上げ、生首になった武田鉄矢が「トホホT…NHKにゃかなわないなぁ」などと嘆いている絵を描いてらっしゃったのを覚えている(笑)。
 なお、「私本」では正成の首を届けた右馬介は世をはかなんで遁世の決意をし、尊氏のもとから去っていってしまう。

 内裏に出てきた義貞に公家達、そして後醍醐もかなり手厳しい。まぁ無理もないが…。それにしても坊門清忠さんは相変わらず。「湊川の合戦の前と後とでは事情は大違いじゃ」とシレッと言うところなどは絶品である(笑)。
 念の為、湊川の義貞についてこんな話もあるよとフォローしておこう。古典「太平記」では義貞は楠木軍を殲滅した足利軍の追撃を受けて、逃げなが らも必死に防戦する。特に総大将の義貞本人が味方を逃がすために後陣で奮戦して、馬に矢が刺さって下馬し、鬼切・鬼丸という二本の名刀を振り回して飛んで くる矢をたたき落とすなんて壮絶なシーンもある。これを見た小山田高家という家臣が自分の馬を義貞に譲って自らは戦死する。その後に小山田高家が以前に義 貞に恩があったというエピソードが語られる。行軍の途中で略奪禁止の命に背いて高家が青麦を刈り取ってしまい、義貞は初め罰しようとするが、高家が武具や 馬の整備に手一杯で兵糧を用意できなかったことを知り、むしろあっぱれと誉めて兵糧をくれてやったというエピソードだ。このエピソードは古いテキストには なく、恐らく後世の挿入で実話とは信じがたいが(だいたいどっかで聞いたような話である)、古典「太平記」の描く、「古風な武者」タイプの義貞像にはマッチしているといえる。

 後醍醐天皇は尊氏に持明院統の皇族を担がれることを当然恐れていて、全員比叡山に連行しようとしたのだが、光厳上皇らは病などと称して しっかり逃げていた。ドラマでは時間経過が感じられないが、5月のうちに足利軍に迎え入れられ男山に入り、それから3ヶ月後の8月15日に光厳上皇の院政 が正式に決定され、光厳上皇の弟・豊仁親王が新天皇に即位した。皇位継承に必要な「三種の神器」はもちろん後醍醐の手の内にあり、光厳が「伝国の詔書」を 出すことでこれに代えた。ここに光厳上皇の院政が始まるわけだが、平安末期以来、国の最高主権者は天皇ではなく院政を行う上皇であるというのが常識化され ていて、院政を行う上皇は「治天の君」と呼ばれていた。天皇やめてから本物の権力者になるという普通に考えると不思議な構造で、後醍醐なんかはそれを打破 して天皇独裁を行おうとしたわけだが、光厳はここに院政を復活させた。光厳は「将軍から王位をもらった果報者」と呼ばれたそうだが、その後の光厳の運命は 苦難に満ちたものだった。これについては、いずれ。

 光明天皇の即位からわずか二日後、尊氏は清水寺に有名な願文を納めている。ドラマでは道誉と尊氏の会話の中でこれに触れている。ドラマで出てくるのは、その一部の大意を示したものだが、ここで全文を原文のまま公開しよう。
「この世は夢の如くに候。尊氏にだう心たばたせ給候て、後生たすけさせをはしまし候べく候。猶とく とくとんせいしたく候。だう心たばせ給候べく候。今生のくわほうにかへて後生たすけさせ給候べく候。今生のくわほうをば直義にたばせ給候て、直義あんおん にまもらせ給候べく候。建武三年八月十七日」
 原文のままだと少々読みにくいが、時々出てくる「だう心」とは「道心」で仏にすがる心。「とんせい」は「遁世」。「くわほう」は「果報」、「あ んおん」は「安穏」である。「給」は「たまい」、「候」は「そうろう」ね。声に出して読んでみると実に味わい深い文である。この世は夢のようにはかない。 早く遁世して、ただ仏にすがって後生を静かに暮らしたい。今生の自分の果報はすべて直義に与えて、直義を安穏にお守りいただきたい…天下取りの戦いに勝利 し、新天皇を擁立し、絶好調にあるとも言える武士の棟梁が吐く言葉とはとても思えない、気弱な厭世観に満ちた文であり、また同時に弟を思いやる心情にあふ れた名文だ。
 この願文については例によって皇国史観的立場からは「尊氏の詐術」とする意見もあったようだが、願文に詐術を仕掛けてもねぇ。やはり尊氏の本 音がホロッとにじみ出ている文と見るべきだろう。もちろんただちにそうするといったものではなく、誰にも見せられない心の内を仏にだけ明かしておきたい、 そうすることで心の安定を得たいという尊氏の気持ちがそこに感じられる。裏返せば、新天皇を立てたばかりのこの時期に、尊氏の精神はまたまたプツンと切れ かかっていたという事だ。以前の出家騒動のことも思い合わせると、尊氏ってやっぱり躁鬱質だったんじゃないかと思えてくる。その躁鬱質説の佐藤進一氏は後 醍醐との折衝が目の前に迫ってきて尊氏が苦慮していたのでは、と解釈している。繊細な神経、とも言えるがそうでもないところもあるからなぁ、この人は。と かく複雑怪奇。

 この願文の話を道誉と尊氏の、いわば「友人同士の会話」としてドラマは上手く消化している。道誉が後醍醐に意外と思い入れを寄せている のか、それとも友人・尊氏の精神状態を気遣っているのか、彼のセリフはなかなか上手く設計されている。「それは困る!困る!困る!」なんてやるあたりはか なり面白い。それでいてこの男、実は一番尊氏に忠実なのだ。それはドラマの後半でより明確に現れてくる。
 ところでこの時期の道誉について古典「太平記」は面白い話を載せている。比叡山の後醍醐方の補給線は琵琶湖なのだが、小笠原貞宗という武士が 東国の兵を連れて近江に陣取り、この補給線を絶ってしまう。天皇方の兵が近江に出陣するがこれは琵琶湖の水際で防がれてしまう。どうしようかと悩んでいる ところへ、唐突に佐々木道誉が天皇方に降参してくるのである。道誉が「近江守護職をくだされば小笠原を追い出し忠節を尽くしましょう」と 申し出ると、後醍醐・義貞は喜んでこれに守護職および恩賞の領地を与える。道誉は琵琶湖を渡って近江に入り、「将軍(尊氏)から守護職をいただいた」と 言って小笠原を追いだし、近江を完全に制圧すると、案の定(笑)比叡山への攻撃をますます強める。「だまされたか!」と激怒した天皇方は脇屋義助に兵を与 えて琵琶湖を渡らせるが、道誉はこれを水際で散々に打ち破る(巻十七「江州軍の事」)
 ちょっとしっくりしない部分もあるが、基本線は先の赤松円心が義貞をだましたパターンと一緒。佐々木道誉はもともと近江を支配下に置いているはずなので、このエピソードはちょっとおかしいのだが(だいたい後醍醐に認定してもらう必要は無いのでは?)、 小笠原氏がこの時近江で天皇方と戦ったのは事実。ひょっとすると道誉は自分の勢力基盤が奪われると危機感をもって何か一芝居うったのかもしれない。古典 「太平記」ではそれまでいまいち目立たなかった佐々木道誉が、この辺りから詐術を弄する梟雄として登場場面が増え、強い印象を残してくれることになる。

 比叡山で義貞をけしかける阿野廉子。例によってなかなか怖い(笑)。原田美枝子が根津甚八を翻弄するのは黒澤明監督「乱」でも強烈に見られますね。どうもこのシーンを見てるとそれを連想しちゃって(笑)。
 小松方正さん演じる名和長年の戦死シーンは、ちゃんと映像化されて登場(ただしその前後の市街戦カットは全て「鎌倉炎上」の回からの使い回しだ)。 ちゃんと、というのは「三木一草」のうち正成以外で戦死シーンがあるのは長年だけだからだ。全然出てなかった結城親光はともかく、本木雅弘演じる千種忠顕 の戦死シーンが無いとは…ふと気が付くと、モッくんの千種忠顕は第31回「尊氏叛く」以来なぜか登場していないのだ。そしてこの回の道誉のセリフの中で 「千種殿は露と消えた…」だけで片づけられてしまった。気の毒に、まさに露と消えてしまった形だ。忠顕の戦死はこの年の6月5日のことである。
 長年を討ち取った武士が名乗りを挙げているが、これ、ひょっとして史料があるのかな?と思っていたが、最近確認したところ「梅松論」に明記があった。古典「太平記」では京攻撃に向かう途中、長年は道行く人々がこうささやきあっているのを聞く。「三木一草と言われ栄華を誇ったたものだが、いまや残ったのは長年だけになってしまったなぁ」聞いた長年は戦死の覚悟を決め、実際にこの市街戦において戦死している。7月13日のこととされるが、当時の他の記録によると実際の長年戦死は6月30日以前のことであったらしい(どちらにせよドラマとは明白に時間軸が前後してしまう)。ここでまた一人レギュラーが退場である。御苦労様でした。それにしても前回あたりからバタバタとレギュラーメンバーが退場していきますな。

 長年戦死の知らせを聞いて義貞が尊氏本陣にかけつけ、尊氏に大将同士の一騎打ちを挑む!これ、ドラマの無茶な創作と思った方も多そうだ が、実は古典「太平記」に元ネタがしっかり書かれていることなのだ。この7月13日の戦いで義貞は東坂本出陣にあたり「東寺の尊氏の本陣の中に矢一つ射込 まねば帰って参りません」と後醍醐に誓っていた。その誓い通り、義貞は東寺の門前に姿を現し、大演説をぶって尊氏に一騎打ちを呼びかけ、矢を一本尊氏の陣 の柱に打ち込むのだ。
 「私本太平記」はこの話をほとんど無視。いくらなんでもやりすぎで項羽と劉邦の戦いの漢籍からヒントを得て創作したのだろうとしている。まぁ 僕もそんなところだろうと本音は思うが、どうもいろいろ見ていると義貞ってそういうことをやりかねない、源平合戦時代を思わせる「古風な板東武者」であっ たのは確かなようだ。だから時代遅れと言われちゃうところもあるわけだけど、彼がただ一騎であれこれやっちゃうシーンは古典「太平記」でも確かに多い。
 では尊氏と義貞は古典「太平記」ではホントに一騎打ちをしちゃったのか。これも違う。ドラマは古典「太平記」の義貞のセリフや弓の撃ち込み、 尊氏が応じると言うところまで、ほとんど忠実に映像化しているが、古典「太平記」はこの後が異なる。出陣するとはやる尊氏を、上杉重能が諫めてやめさせて しまうのだ。
 ドラマでは思い切って尊氏と義貞をほんとに一騎打ちさせ、ついでに両雄の対決の歴史を総括するという、それはそれで記憶に残る名シーンに仕立 ててくれた。当時の雑誌に載っていた話だと、「信玄と謙信の川中島の一騎打ちだって怪しいんだから、面白いならやっちゃえば」ってな感じのスタッフのコメ ントが出ていたような。史実重視派には非難を浴びそうだが、僕はこういう遊び心は好きですね。
 真田尊氏と根津義貞の、スタント無しの本物の一騎打ち。しかも足利市に造った大市街オープンセットを使用しての撮影で、なかなかに見応えがある(この市街セットを大がかりに使った最後のシーンでもある)。一対一の本物の一騎打ち映像ってなかなか見られるものではない。あれ見ていると思うのだが、馬の「操縦」って大変ですね。その上で弓を射たり刀を振るったりしなきゃならないんだから…。 モンゴル映画を見た経験から言えば、サラブレッドはこういう戦闘には不向きですね。本物の日本馬はもっと小さくずんぐりむっくりだったはずなので一騎打ちもそれなら割とやりやすかったかも知れない。
 ナレーションでも言っているが、勝負は結局つかない、というかついちゃ困る(笑)。ドラマでは斬り結ぶストップモーションカットで終わってしまっているのだが、そのあとどうやって試合中止にしたんだか、とツッコミを入れちゃうところ。
「カット!はいOKです!」「お疲れ〜」ってなもんでしょうか(笑)。