第四十四回「下剋上」(11月3日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:佐藤幹夫

◎出 演◎

真田広之(足利尊氏)

沢口靖子(登子)

大地康雄(一色右馬介)

高嶋政伸(足利直義)

片岡孝太郎(足利義詮) 森口瑤子(二条の君)
白川俊輔(妙吉)  武藤章生
(粟飯原清胤)
渡辺寛二(大高重成) 樫葉武司(南宗継)
中島定則(三戸七郎) 安達義也 (畠山直宗) 谷嶋俊 (上杉重能)
中川歩・伊藤富美矢・藤岡圭二
(近習)

柄本明(高師直)

森次晃嗣(細川顕氏) 

塩見三省(高師泰)

吉積史高・小笠原匡(申楽舞) 一噌幸弘・吉谷潔 (楽士)
竹本和正・今村公一(武将) 石川佳代・壬生まさみ (侍女)
玉川明史・後藤了善・稲沢成光(僧)

若駒スタントグループ クサマ・ライディング・クラブ わざおぎ塾 
鳳プロ 丹波道場 劇団ひまわり 劇団いろは

陣内孝則(佐々木道誉)

高橋悦史(桃井直常)

緒形拳(足利貞氏)



◎スタッフ◎

○制作:一柳邦久○美術:稲葉寿一○技術:小林稔○音響効果:藤野登○撮影:細谷善昭○照明:大西純夫○音声:松本恒雄○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇

 貞和5年7月のある夜、三条坊門の足利直義邸に執事を解任されたばかりの 高師直が招かれた。直義の館には多くの武装した兵が潜ませてあり、僧の妙吉 上杉重能など側近たちが「との、もはやお迷いなさいますな」「今日こそ師直を…!」と直義に決断を促していた。ところが直義の家臣の一人・ 粟飯原清胤が師直に挨拶をするふりをして暗殺の陰謀を打ち明け、師直はただちに屋敷から逃亡した。妙吉や重能たちは大いに悔しがる。

 一方そのころ、将軍尊氏の嫡子・義詮 は鎌倉にあって、お目付け役の一色右馬介に京の情勢について噂話をしていた。直義の側近たちが師直を暗殺しようとしたそうだが、なぜ将軍は彼らを罰しないのか、と問う義詮に、右馬介は噂で人を罰するわけにはいかないと答える。 「そうではあるまい。父上は手も足も出せぬのじゃ」と義詮は言う。右馬介は「都は都、関東は関東」と関東の政治に専念するよう諭すが、義詮はこのままでは直義と直冬に何もかも奪われてしまうのではと恐れ、早く京へ行って政治に参加したいと右馬介に言う。そこへ闘鶏用の鶏が運ばれてきた。義詮は大喜びで勝負を開始させ、声を上げて熱中する。
 右馬介は義詮の様子を逐一手紙に書いて尊氏に送っていた。闘鶏に熱中するほかは行く末頼もしく成長している、との文面を尊氏は邸内で開いた申楽(さるがく)の席でこっそりと読んでいた。
 時に8月13日、尊氏は自分の館で申楽の宴を設け、要人たちを招待していた。しかし出席者はまばらで席もガラガラ。なぜか直義の方からは側近の僧・妙吉だけがやって来て酒を飲んで居眠りしている有様である。そこへ少し遅れて 佐々木道誉登子もやって来た。昼間から申楽三昧で酒をあおっている尊氏に登子は眉をひそめるが、道誉が笑ってとりなす。席についた道誉が出席者が少ないことに驚くと、登子が中間達の噂として、みな実力者である直義に遠慮してこちらには寄り付かないのだと恨めしげに言う。そんななか一人来ている妙吉に、道誉は「今日は誰の命でこちらの様子を見に来た?」と声をかけるが、妙吉はそしらぬ顔をする。 「そういえば、師直どのも見えぬな…?奇妙じゃのう」と道誉は尊氏に話し掛けるが、尊氏は無表情に申楽を眺めている。

 そこへ突然、家臣たちが大慌てで駆け込んできた。高師直 師泰兄弟が兵を率いて今出川の自邸から出陣し、市内に二万の兵を集結させたというのだ。その先鋒はすでに三条の直義邸へ進撃し始めており、対する直義の館にも吉良、斯波など一門のものが兵を率いて集まりつつあるという。 「副将軍と師直どのの合戦か!」と道誉は立ち上がる。妙吉は慌てふためき、「すわや、師直どののご謀反じゃ!ご謀反じゃ!ご謀反じゃ…!」 と叫んで尊氏の前にすがるようにひれ伏す。「妙吉どの、もはや三条殿へ戻るのは危なかろう。師直はもうわしの手にも負えん。直義に取り入って手に入れた所領の数々、早う打ち捨ててお逃げになるが良かろう」 尊氏が冷たくそう言うと、妙吉は悲鳴を上げて飛び出していった。
 「続けよ、これで止めといたそうぞ」と尊氏は中断していた申楽を再開させる。座にいた人々はみなどこかへ逃げるように消えてしまい、尊氏、登子、道誉だけが並んで申楽を眺めていた。「ハハハ…なるほどのう…」道誉が沈黙を破った。四日前に師泰が出陣していた河内から戻ってきてそのまま師直邸に入ったので何事かと思えばこういうことであったか、と道誉は言い、 「御辺の指図じゃな。三条どのとその取り巻きをここへ集め、師直どのに襲わせる手はずだったのか…それならそうと、わしに一言言うて下されば味方に参じたものを!」 と尊氏をなじる。尊氏は「戦をするつもりはない。直義と話し合おうと思うただけじゃ」と答え、直義をその側近たちから引き離して兄弟二人でよく話し合って全てを洗い直したいのだ、と道誉に明かす。「戦になろうぞ」と言う道誉に、尊氏は直義も戦って勝負にならぬことは分かるはずと答え、 「ほどのう、直義はここへ来る。そのように手はずは打ってある」と言った。

 京の市内を大軍が進んでゆき、人々は騒乱を恐れて戸を閉じて家に引きこもる。師直側には山名時氏今川頼貞仁木頼章ら多くの大名がつき、一方の直義邸には 斯波高経吉良満義桃井直常細川顕氏らが集結した。桃井直常一人は意気盛んだったが、足利一門の今川や仁木までが師直側についたのをはじめ裏切り者が続出したことに直義一派は弱気になってしまっていた。
 「将軍の館に動きはあるか?」と直義は尋ねた。館の守りを固めている様子、と聞くと、直義は直常に先ほど届いた一枚の書状を見せる。直常はそれを一同に読み上げた。 「師直・師泰、身に過ぎたる驕りにふけり、家臣の礼儀を失す。こたびの謀反、言語道断なり。この上はいかさま三条殿へ攻め寄することもあるべし。ぜひ我が館へお渡り候え。一所にて生死を共にせん。尊氏」 尊氏の名が出ると、一同は思わず頭を垂れた。「一所にて生死を共にせん…」直常は最後の箇所を繰り返した。しかし直義は「解せぬ…」とつぶやく。「解せんが…逃げ込むなら、今のうちやも知れん…師直も将軍の館には手を出しにくかろう」直義はそう言って尊氏の館へ逃げ込むことを決意した。
 
 申楽が続く尊氏邸に、直義ら一行が間もなく到着した。出迎えた尊氏に直義は「仰せのとおり、生死を共にせんとまかりこしましてござりまする!」とかしこまった。「よう来た…待ちかねたぞ」と尊氏は優しく声をかける。そこへ師直らが向かいの法成寺に陣を構え、尊氏の館を包囲しようとしているとの知らせが入った。尊氏が師直に使者を送って真意を確かめさせよ、と命じると、「その使い、この判官にお任せあれ」と道誉が進み出た。すると桃井直常も「恐れながらそれがしも同道いたしまする」と立ち上がった。
 夜に入り、師直軍はその数5万に膨れ上がって尊氏の館を完全に包囲した。本陣のある法成寺を将軍の使者として道誉と直常が尋ね、師直の真意を問う。師直は「将軍に矢を向けるつもりはない」と答え、上杉・畠山・妙吉の口車に乗せられた直義に意見があるだけだと言って、直義が幕政から手を引くことと師直暗殺を図った上杉らを速やかに引き渡すこととを要求した。「それが聞き届けられぬ時は?」と直常が聞くと 「ぜひとも聞き届けていただく!」と師直は叫んだ。
 
 時おり外からときの声が聞こえる物々しい尊氏邸に、直常一人だけが帰ってきた。道誉はどうした、と尊氏が尋ねると、 「いつもの寝返り病でござります。師直の陣に加わるゆえ、あとは良しなに、とほざいて向こうに居残りましてございます!」と直常は歯噛みして言う。「こうなったのも足利一門がグラグラしておるゆえじゃ!それがしは引きませぬぞ。師直と刺し違えても、この館をお守りいたす!」直常はそう言って部屋を出て行った。諸将もついてゆき、部屋には尊氏と直義だけが残された。
 尊氏は直義に近づき、酒を勧めた。するとそれまで黙っていた直義が口を開き、「こたびのことは兄上の謀りごとでございましょう。直義を罠におかけになりましたな…」 と恨めしそうに言った。尊氏は直義に語りかける。直義の言を入れて師直をやむなく執事からおろしたが、殺せとまでは言わなかった。直義が家柄を重視して師直のあとに執事にたてた上杉重能は何の功績もなく、人心はつかめなかった。 「そなたは幕府を身内で固めすぎた。もはやそなたに従う者はわずかじゃ」と言う尊氏に、直義は「何を根拠に!」と反駁する。今の状況がそれを示していよう、と尊氏が言うと、直義は「確かに軍勢では師直に勝てませぬ。しかし政は軍勢ではできませぬ」と答えた。尊氏はさらに直義が公家・寺社に深入りしすぎて武士たちを顧みなかったことを責め、このままでは幕府は多くの武士に見捨てられる、身を引け、と直義に言い渡す。
 「政は誰が行います?」と直義が尋ねると、尊氏は「義詮を鎌倉から呼び戻す」と答えた。これを聞くと直義は酒をあおり、「政は力のある者がやるべき」と言い、義詮は闘鶏に明け暮れて無能、むしろ尊氏の実子である直冬の方が実力がある、と尊氏に迫る。尊氏が 「それでは足利が二つに割れる!」と言うと、「すでに割れておりまするわ!」と叫んで直義は立ち上がり、尊氏に背を向けた。そして、そのまま腰を落とし、泣き崩れた。
 「わしはいやじゃ!いやじゃ、いやじゃ…!」まるで子供のように泣く直義に、尊氏は 「そなたのこれまでの働き、忘れはせぬ。有難いと思っておる。だがもはや引き時ぞ。わしを困らせるな。頼む、この通りじゃ」と手をつき頭を下げた。直義は尊氏に顔を寄せ、泣きながら言う。 「直義は戦は下手じゃ。兄上にはかなわん。それゆえ戦は兄上にお任せいたし、わしは政の道を選んだんじゃ…一生の道と思うたんじゃ…!それを今になって取り上げると仰せられるか…!幕府はわしが作り上げた!誰が何と言おうと手放さん!…わしから政を奪いたくば、わしを殺してからになされい!!」 涙と涎でグシャグシャの顔になって絶叫を残し、直義は立ち去っていった。

 一方、今出川の師直邸では師直・師泰と道誉が女たちを侍らせて宴を開いて談笑していた。道誉が何気なく「御舎弟どのが身を引かぬときはどうする?」と聞くと、師直は「討ち果たす」と言下に答えた。これには道誉も眉をひそめ、「将軍とそのような話になっておるのか?」と念を押すと、師直は尊氏にはただ館を囲めと言われただけだが、直義がいる限り足利は一つにまとまらない、と答え 「いま五万の兵がわしの手にある。思いのままぞ」と一存でも直義を殺すと言い張る。道誉が将軍の弟を殺せば叱責をうけ下手をすれば殺されるぞと脅すと、 「ならばどうすればよいのじゃ!」と師直は怒って盃を床に叩きつけた。
 「いっそ…殿がご同意を下さらぬ時は、殿も一緒に討つ、というのはどうじゃ…?」 それまで女に膝枕をしながら黙っていた師泰が口を挟んだ。道誉と師直はギョッとして師泰の方に顔を向ける。「さすれば、後でお叱りを受けることもない…」 そこまで言って師泰は「戯れ言じゃ、何を真顔で聞いている!」と笑った。師直が「兄者、言ってよい戯れ言と…」と睨みつけると「…悪い戯れ言、か?」と師泰は笑う。道誉も笑って 「この判官もの、チラと思わぬではなかった…五万の兵が将軍の館を取り囲んでおるのじゃ。天下を奪るには良い機会やも、と…」 と言うと二条の君も師直に「殿もお考えにならぬことではありますまい」と口を出した。以前尊氏に人前で散々に打ち据えられたとき咄嗟に殺そうと思ったと言っていたではないか、と二条の君が言うと、師直は 「黙れ!」と叫び、彼女の額を扇子で激しく打つ。額に鮮血を滲ませながら、二条の君は師直を見上げた。

 武士たちが駆け回り、物々しい館の中を登子は歩き、夫の姿を探していた。尊氏は一室にこもって地蔵菩薩の絵を描いていた。入ってきた登子に「のう、登子…なかなか美しい菩薩は描けぬものじゃのう…」と尊氏は語りだした。その昔 北条高時が「目に見えぬ仏が信じられようか」と言っていた。自分もこれまで神か仏かと思う美しい人々を見てきたが、いずれも消え去っていってしまった。 「今の世は、醜いものばかりじゃ…!わしは美しい菩薩を描きたい!美しい世をつくりたい!」尊氏は叫びながら描いていた絵を破り捨てた。尊氏は登子に、直義が自分を殺せと言ったことを明かし、これまで正成、義貞、守時など多くの者を殺してきたが、この上弟を殺せと言うのか、と嘆く。 「この手は血みどろじゃ…!」尊氏はおのれの両手を見てうめいた。
 登子も「良い世の中になると信じたからこそ、兄を見殺しにした」と尊氏に言う。そして、かつて病床の貞氏 が言っていた「美しいものでは長崎殿を倒せぬ」という言葉を思い起こして「むごいお言葉でござります…」 と泣いた。

 翌朝。直義派の諸将は甲冑に身を固めて一斉に戸を開けて縁側へ出た。「こたびの戦は我らの意地ぞ。命を惜しまず、名を惜しめ」 直義が呼びかけると、直常らは「おう!」と応じる。「脇門より打って出る!続けーっ!」と直義は叫び、庭に飛び降りて走り出していった。
 直義らが駆け出していく足音を聞きながら、尊氏は一室でじっと座り込んでいた。尊氏の頭の中には父・貞氏の声が響いていた。 「なぜ無念と思うか…美しいものでは、長崎殿は倒せぬ。美しいだけではの…」


◇太平記のふるさと◇
 
 愛知県・西尾市、一色町。足利分家の多くを生んだ三河の地を紹介。一色氏発祥の地の安休寺、吉良氏が鎌倉時代に建てた実相寺など。


☆解 説☆

 冒頭を除けば、ほとんど貞和5年8月13日に発生した高師直一派の反直義クーデターの一日を追う回で、密度はかなり濃い。観応の擾乱というのはとにかく展開が理解しにくい内紛で、ドラマ製作者もどうやって視聴者にそれを整理して提供するか、苦心している様子がうかがえる。

 冒頭描かれる、直義派による高師直暗殺未遂事件は古典「太平記」に記されているもので事実なのは確かだが、正確な日付は不明である。「太平記」によればドラマと同様、粟飯原清胤(あいはら・きよたね)が挨拶がてらに師直に目配せし、師直がハッと悟って逃げ出したことになっている。直義の意を受けていたのは明らかだが、陰謀の主犯は上杉重能と畠山直宗と粟飯原が師直に告げたため、師直はこの二人を徹底的に敵視し、結局クーデター成功後この二人を流罪にした上に刺客を送って殺害させている。なお、古典「太平記」はこのとき師直暗殺計画に大高重成がいたことにしていて、力自慢であることから師直を押さえつける役になっていたと記している。

 この回から尊氏の嫡子であり後の二代将軍・足利義詮が成人となって初登場する。演じるは片岡孝太郎…そう、後醍醐天皇役の片岡孝夫(現・仁左衛門)のご子息であり、なんとも皮肉(?)なキャスティングである。この回からすでに描かれているが、このドラマでの義詮は凡庸、下手すると無能なキャラクターとして描かれ、腹違いの兄弟である直冬と何かにつけて対比されることになる。ドラマは構成上わざと強調したところもあるが、実のところ同時代の資料でも義詮の評判はかんばしくない。創業の尊氏と全盛期を築く義満との間に挟まれた、歴史上よく見られる「目立たない二代目」の典型とも言われるが、一部資料で「好色・淫乱・大酒・遊興」とかなりの言葉を浴びせられているあたり、いささか問題のある君主だった可能性も否めない。

 直義の側近に妙吉という破戒僧がいて、この回だけの登場にも関わらず強い印象を残すが、ドラマの説明不足もあってよくキャラクターが分からない視聴者も多かったのではないだろうか。この僧は足利兄弟も帰依した夢窓疎石の弟子で、師の紹介で直義に取り入ることに成功して権力を振るった。彼が上杉らとともに直義に師直打倒をけしかけ、擾乱を招いたとする「太平記」は、なんとこの妙吉が世を乱そうとする後醍醐派の怨霊がこの世に送り込んだ天狗の一人であったかのように記している (「太平記」のこのあたりはオカルトネタがかなり多い)。ドラマでも尊氏に言われて悲鳴を上げて逃げ出していくが、その後の消息は全く不明で、「太平記」の作者でなくても乱をもたらす天狗か何かと思えるようなところがあったようだ。もっとも史実では師直暗殺未遂に先立つ閏6月のうちに突然姿をくらましたようだ。これはこれでまるで天狗みたいだけど…。

 8月13日に発生した師直派クーデターの展開をドラマから離れて客観的にまとめてみよう。
 閏6月に直義の要請で尊氏は師直を執事職から解任した。しかし尊氏は師直の甥をあとがまに据え、師直の影響力は残されてしまう。焦った直義は光厳上皇の院宣を得て師直を討とうとする。師直がクーデターを決意したのは暗殺未遂もさることながら直接的にはこの院宣獲得の動きがあったからのようだ。このとき師泰は河内で楠木正儀を攻めていたが、師直に呼び出されて8月9日に大軍を率いて都へ入ってくる。恐れた直義は入京に先立って執事職を餌に師泰の懐柔を図るが、師泰はこれを笑い飛ばし入京を強行した。開戦必至と見た師直は11日に赤松円心・則祐父子に、備後にいる直冬が上洛しようとしたら阻止せよと命じ播磨に向かわせている。なお、南北朝のスターの一人・円心が没するのはこのわずか五ヵ月後のことである。
 8月12日の深夜から動きは激しくなる。師直邸、直義邸にそれぞれの派に属する武士たちが集結し、京はまさに開戦前夜の様相となる。「太平記」はわざわざ双方の館に集まった武士の名を列挙しているが、圧倒的に多くの軍勢が師直側についてしまったのがよく分かる。なお、佐々木道誉の名は見当たらないが彼の息子・秀綱らが師直邸に駆けつけたことは確認できる。この情勢の中、尊氏から直義のもとに使者が送られ「我が館へ来い」という尊氏のメッセージを伝えられ (ドラマに出てくる尊氏の手紙の文面は「太平記」に載るものとほぼ同じである)、直義は配下の兵と共に尊氏邸へ逃げ込んだ。
 8月13日未明、直義が尊氏邸へ入ったことを知った師直は軍を尊氏邸に向け、完全にこれを包囲した。戦火を恐れた皇室・公家から庶民にいたるまで周辺住民はみな避難する。「太平記」によれば尊氏と直義は「師直らが押し寄せてきたら、家臣相手に戦う恥をさらすよりは、潔く腹を切ろう」と軽装で待機していたと言う。須賀清秀という武士が尊氏側から使者として送られ師直の真意を問うたが、師直は「直義が讒言を聞いて私を殺そうとしたのでこちらに誤りがないことを説明したい。そして讒言の張本人である上杉・畠山らを引き渡してもらいたい」と要求した。尊氏は「いっそのこと戦って討ち死にするか」と鎧を身に着ける一幕もあったが、これを諌めた直義が政務から降りて事態を収拾することを認め、翌14日に包囲は解かれた。

 上記は「太平記」の記述をベースに、当時の日記など他資料と掛け合わせたもの。ドラマはこれを尊氏の申楽見物と絡めてそれなりに要領よくまとめたと思うが、史実の展開とはやや時間軸もずれていることが分かるだろう。そして最大の「創作」はこのクーデターが直義を排除しようとした尊氏自身による計画であったとした点だ。さすがの古典「太平記」も描いていない大胆な脚色である。
 だがこれは決して全く根拠のない創作ではないのだ。実は事件の「真相」はドラマの方が正確である可能性が高い。実はこの事件が将軍・尊氏が師直と仕組んだ「芝居」ではないかとの噂は当時からあり、これまでしばしば引用してきた佐藤進一「南北朝の動乱」でもこの見方を支持している。そう考えられる理由は、この事件の結果尊氏が直義から政治権力を奪取し、嫡子・義詮の政治参加という「利益」を得ているからだ。師直にしてもどうも最初から尊氏を討つつもりがあったとは思えず、事件全体がどうも芝居くさい。古典「太平記」だって「芝居」とは描かぬまでも、読んでいてどこかうさんくささを感じさせる記述をしている。実際、師直がいくら「下剋上」の人間と言われていたといっても後の戦国時代などと比べると、まだまだ実力だけで「天下をとる」などということが出来る時代ではなかった。所詮は尊氏あってこその存在である。
 ただ師直は師直で彼なりの思惑があったかも。ドラマのようにふと「尊氏を殺したら…」という思いが起こらなかったとは言い切れない。また実際にこの「創作」の根拠となる話もある。これについては後の回の解説で。

 尊氏と直義が語り合う場面は直義役の高嶋政伸さんの見せどころ。子供のように泣き崩れ、「わしを殺してからになされい!」と叫ぶシーンは強烈である。この場面のセリフ、これまで華々しい兄の陰で裏方に専念していた弟のコンプレックスが吐露されていて、脚本家が直義というキャラクターをどう設定していたかがよく分かる。それにしてもこの場面、高嶋政伸さんの熱演はよーく分かるんですけど、ヨダレが思いっきり大量に飛んでいて汚いです(^^;)。

 この回の出演表示の「トリ」はなんと久々に貞氏役の緒形拳。もちろん回想シーンでの登場であるが…。こういうシーンだけでトリにしちゃっていいもんなのかな。ちなみにここで回想されているシーンは第10回「帝の挙兵」の回で見られるもの。また、尊氏が言及する高時のセリフは第15回「高氏と正成」の回で出てくるものである。