第四十八回「果てしなき戦い」 (12月1日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:田中賢二

◇アヴァン・タイトル◇

  尊氏と直義が全面戦争に突入した経緯のまとめ。師直兄弟のあっけない最期、敗軍の将として帰京する尊氏。


◎出 演◎

真田広之(足利尊氏)

沢口靖子(登子)

高嶋政伸(足利直義)

片岡孝太郎(足利義詮)

筒井道隆(足利直冬)

草薙幸二郎(勧修寺経顕) 内山森彦(石塔頼房)
渡辺寛二(大高重成) 樫葉武司(南宗継)
伊藤哲哉(斎藤利泰) 西岡秀記(服部清次)

大地康雄(一色右馬介)

森次晃嗣(細川顕氏) 

高橋悦史(桃井直常)

梶原浩二(上杉能憲) 中川歩・木村幸人 (近習) 
山浦栄・村添豊徳・須藤芳雄・堅山博之(重臣) 
斧篤・木谷宣克(近習) 石川佳代・美咲かおる・常盤貴子 (侍女) 
   
若駒スタントグループ クサマ・ライディング・クラブ
JAC わざおぎ塾 早川プロ 

樋口可南子(花夜叉)

陣内孝則(佐々木道誉)



◎スタッフ◎

○制作:一柳邦久○美術:稲葉一寿○技術:小林稔○音響効果:石川恭男○撮影:細谷善昭○照明:大西純夫○音声:松本恒雄○記録・編集:津崎昭子 



◇本編内容◇

 観応2年2月28日。兄足利尊氏との戦いに勝利した 直義ら は京に堂々と凱旋した。さっそく直義邸に直義党の面々を集め、将軍尊氏も招いて戦後処理についての会議が開かれることとなった。戦勝に浮かれる直義の側近 らは到着の遅い尊氏がみじめな思いをしているのでは、と笑ってささやきあう。入京してきた尊氏に対し武家はおろか公家たちも冷たい態度で、 「やれやれ、わしらは負けんでよかった、ワハハハハ」石塔頼房が言い、武将たちは大笑いする。
 そこへ尊氏がようやく姿を現した。上座に座った尊氏に、直義が「将軍におかせられては、お変わりものう…」と型どおりに挨拶すると「うむ、そなたものう」と尊氏は普段と変わらぬ応対をする。挨拶が済むと 「はて、この席にわしの許さぬ者が来ておる」と尊氏が突然言い出した。「わしの命に背き、師直を殺すことをそちにけしかけた者がおる。かかる者の同席は許さぬ。頼房!おって沙汰を致すまでさがれ!」 この尊氏の剣幕に直義はじめ諸将は唖然とする。「許す許さぬはこの直義にお任せあれ」と直義が言うと、「直義、そなた思い違いをいたしておらぬか」と尊氏 は言い、本来賞罰を決定するのは将軍の権限であるはずと言い切る。「そも直義はこたびの戦で誰と戦うたのじゃ?」と尊氏は直義に問い詰める。自分を倒して 自ら将軍になるつもりであったのかとまで問われて、直義があくまで師直から政権を取り返すために戦ったのだと答えると、尊氏は「では将軍はこの尊氏と認め るのか?」とさらに問う。「そういうことになりまする…」としぶしぶ認める直義。「みなもそうか?」と尊氏が一同に問い掛けると、一同は顔を見合わせつつ 頭を下げた。「こたびの戦の賞罰の儀は、将軍であるこの尊氏が決める。それが筋であろう」と尊氏は一同に言い渡し、 「頼房!わしはそなたを許さぬ!とく退がれ!」と命じた。その剣幕に、頼房はすごすごと退出する。
 尊氏はさらに今回の戦いの恩賞について、第一の功には自分に付き従った42名の武将を挙げたいとし、その他の者への恩賞はその後でと提案する。「そは余 りと言えば余りの仰せじゃ!」と直義が怒ると、尊氏は直義が政治を行うことは認めた上での話、とだけさらりと言う。そして 「最後に、ここには来ておらぬが…高師直を斬った上杉能憲は断じて許せぬ。能憲は死罪に処すべきと存ずる!」と言い渡した。驚愕し顔を見合わせる一同。「兄上…!」怒りのあまり立ち上がる直義。 「直義、そなたの意見も聞こう。本来わしの命に背き、師直と勝手に戦を始めた咎人(とがびと)なれど、わしの弟なれば、是非も無い。申すがよい」 顔色一つ変えずすまして言う尊氏に、直義は返す言葉もなく、ドサッと腰を落とした。

 「バカな!」会議の決定内容に目を通した桃井直常 は声を上げた。仁木や佐々木ら尊氏について戦った武将の領地が安堵され恩賞が与えられる一方、上杉能憲には死罪の命が下っていた。「それがしが死罪でござるか!?」と驚愕する能憲。 「その儀はみなでお諌めいたし、死一等を減じて流罪で御納得いただいた…どこぞに一月ほど旅をしておればよい」と苦虫をつぶしたような顔で言う直義。 「何を仰せじゃ。我らは戦に勝ったのでござりまするぞ!負けたのは将軍の側ではござりませぬか!この取り決めはまるで逆さじゃ!」と直常は激怒する。「いや、全てがそうというわけでも」と弁解しようとする 細川顕氏に直常は「当たり前じゃ!」と叫び、全てを白紙に戻すと将軍につき返して来い、と顕氏らに言いつけた。

 夕刻、細川顕氏と斎藤利泰は尊氏邸を尋ねた。侍女たちから中庭にまわるよう聞 かされた二人は、中庭で肌脱ぎになって薪割りをしている尊氏を目撃する。留守中に薪を切らし男手も足りないので自分で薪割りをしている、と笑う尊氏に、 「将軍自ら薪割りとは…」と恐れ入った二人は、競い合うように斧を取り、薪を割り始めた。
 夜に入り、薪割りを終えてヘトヘトになった顕氏と利泰に、尊氏は自ら井戸から汲んだ水を二人に与えた。ありがたく水を飲む二人だったが、「そなたたち、桃井刑部に怒鳴られて参ったの」との尊氏の言葉にハッとする。 「その桃井を直義は押さえることができぬ。さりとて、戦に負けたわしを義詮と共に幕府から追い出す胆力も無い。はてさて、困ったものよのう」 との尊氏の言葉に、顕氏と利泰は黙り込む。「桃井も、おのれが正しいと思うならわしを斬って捨てればよいのじゃ。なぜそれができぬ…?」と尊氏は言い、 「薪割り、大儀であった。飯でも食ってゆくがよい」と桶を片手に悠然と立ち去っていく。その後姿に、顕氏と利泰は思わず膝をつき、顔を見合わせた。

 数日後、顕氏と利泰は競うように丹波に赴き、その地に避難していた登子 義詮らを迎えに行った。義詮は戦に勝った直義が政治の実権を渡すはずがなかろうと懸念するが、「若殿を元に復さぬという者あれば、この顕氏が許しませぬ」と顕氏は断言する。登子が「これからはそこが頼りじゃ」と声をかけると、顕氏は深々と頭を下げた。
 顕氏の態度の変化は直義の知るところとなった。直常は斎藤利泰も様子がおかしいと直義にささやき、「殿の弱腰がかかる裏切り者を次々と…」と直義の姿勢を責めた。
 直義はこれにせきたてられるように師直派残党への大弾圧を開始した。都のあちこちで人々が捕らわれ、処刑されてゆく。3月末には斎藤利泰も夜の街中で刺客に襲われ、暗殺されてしまった。
 登子に灸を据えてもらっている尊氏を前に、義詮は直義のやり方を激しく非難する。案の定、直義は義詮に政治を任せようとはしなかった。しかも 直冬が鎮西探題に任命され、いずれ都へ呼び戻して直義の後継ぎになるとの噂もあると登子も言う。尊氏は「登子の灸は近頃熱うてかなわぬ」と聞き流し、近々行われる申楽の宴で同席する際に直義達と話し合おうと義詮に言った。

 間もなく西方寺で申楽の宴が催された。公家の勧修寺経顕が尊氏派・直義派の双方の要人を招く形で、幕府内の関係修復を世間に誇示する目的である。経顕は「幕府も安泰ならば朝廷も安泰」と和平を喜ぶが、これを聞いた義詮はつまらなそうに箸を置いた。 佐々木道誉が 「利泰が殺されても幕府は安泰…」と皮肉り、利泰暗殺を命じた張本人は桃井直常であろうと暗に名指しする。「聞き捨てならんぞ判官!」と直常がやり返す と、義詮も「将軍に近い者を根絶やしにせんとする動きがある」と口を挟んだ。「さような動きがあれば若殿のお力でお静めになればよろしい」とうそぶく直 義。義詮はさらに直義が幕府を身内で独占していることを非難し、「吉野方となぜ和議を結ばぬ」と問い掛ける。この問いに直義が「経顕卿の御前なるぞ」とた しなめると、義詮は 「それみよ、叔父上は朝廷の前では良い顔しか出来ぬのじゃ。それで武家の棟梁がつとまろうか?」と嘲る。今度は尊氏がたしなめると、義詮は「義詮、我慢がなりません!」と叫んだ。「では帰れ」と尊氏が言い渡すと、義詮は憤然と席を立ち去っていった。道誉もこれに続く。
 「そうじゃ、みな帰ればよい!」と声をあげる直常に、尊氏は言う。「刑部、誰に向こうてその口を聞く?利泰を殺させたその手をきちんと洗うてまいったのか?まだその手が血で汚れておるぞ。帰れ…!」 言われて直常も憤然と席を立つ。「理不尽じゃ!」と怒鳴る直義に尊氏は「桃井刑部などをそばに置いては身を誤ろうぞ。あれは己の栄達しか眼中にない男ぞ」と忠告する。直義も怒って引き上げ、経顕も呆れ顔で引き上げていく。宴の席には尊氏一人が取り残された。
 ふと尊氏が庭を見ると、先ほどまで舞台で舞っていた男女がひざまずいていた。「花夜叉どのか…?舞を見ていてもしやと思うていたが…」尊氏の声に「お久しゅうござりまする」と応える 花夜叉。横に控えている若者に尊氏が名を問うと、若者は「清次と申しまする。将軍のお話はかねて母より聞き及んでおりました」 と明るく答える。清次は舞の稽古をつける母が面をつけずとも鬼に見えるなどと冗談を言って稽古のために立ち去っていった。尊氏は 「精進なされよ、楽しみにしておこう」と声をかける。

 尊氏は花夜叉を別室に招いて十数年ぶりの再会を懐かしんだ。「良いお子をもたれた…思えばあのお子は、楠木正成どのの甥ごに当たられるわけじゃ」 と尊氏は言い、正成のことで花夜叉にわびる。花夜叉は多くの人を殺めるのは武家の定め、兄も心の通じた足利殿に討たれたのがせめてもの慰め、と言って涙をぬぐった。尊氏は正成がかつて花夜叉一座に紛れていた時に芸人の暮らしをうらやましいと思っていたことに触れ、 「親兄弟が仲良う暮らし、親が子に何かを伝えてゆく…みながこのように生きていけたら、どれほど良かろう。それが美しい世というものじゃ。この尊氏はその世を見んとして未だにたどりつけずにおる」 と嘆く。振り返れば幾万の屍が累々と積み重なっている、自分も花夜叉のような世の風雲とかかわりの無い芸人の暮らしがうらやましいと尊氏は言った。しかし 花夜叉は「清次の舞も、足利殿がお作りになる世にかかっております」と言って芸人たちも決して世の動きと無縁ではないと尊氏に告げる。 「今は良き世を作るための産みの苦しみの時でござりましょう。我らはじっと待っておりまする。足利殿が早う穏やかな世をお作りになられ、親が子の行く末を 案じることもなく、何かをしかと伝えていけるような、そういう世が訪れんことを…清次の舞を美しく大成させることができるのは、おん殿でござりまする」 花夜叉の言葉に、尊氏は「ウム、かたじけない」と礼を言う。そこへ至急館へ戻ってほしいとの使いが来て、尊氏はフッと自嘲するように花夜叉に笑って見せた。

 尊氏が館に戻ると、一色右馬介が九州で戦乱が始まったことを報告した。直冬が九州の豪族たちを率いて先に九州探題になっていた尊氏派の一色範氏を攻めているとのことである。尊氏は右馬介に「直冬の挑発に乗らず、動くな」と義詮に伝えさせる。
 しかし数日後、夜の京の通りを進んでいた桃井直常一行が、物陰に潜んでいた刺客達から一斉に矢を放たれた。直常は刀を振るって応戦、そこへ右馬介が部下 を率いて駆けつけてくる。「愚か者!ひかえよ!申せ、誰の命じゃ!?」右馬介が刺客たちに怒鳴りつけると、刺客たちは大慌てで逃げ散っていった。直常は 「おのれ、この刑部を狙うたのは大御所じゃ!大御所の仕業じゃ!」と怒りの声をあげた。

 翌早朝、尊氏が義詮邸に駆け込んできた。出迎えた義詮に、尊氏は「なぜなぜ桃井刑部を襲うた!?動くなと申したはずじゃ!」と厳しい声で問いただす。父 の剣幕におろおろする義詮が「刑部さえ討てば…!戦をせずとも刑部は討てると思うたのです!」と弁解すると、「愚か者めが!」と尊氏は義詮を殴りつけた。 「わしが倒れても、そちが倒れてはならんのじゃ!」と尊氏は息子を叱りつける。義詮はべそをかきながら 「じゃと申して…直冬どのは九州で見事に戦うておられます。この義詮とて父上の子でございます!直冬どのには負けとうございませぬ!」 と泣き顔で父を見上げた。尊氏は義詮の肩に手を置いて諭す。「のう義詮、そなたは幕府の将軍にならねばならぬ。直冬と背負うておるものが比較にならんのじゃ。そなたは武家の束ねの器ぞ。その束ねが軽々しく動いてどうする…」 義詮は泣きながら「申し訳ございませぬ!」と叫んで飛び出していった。

 そこへ入れ替わりに「大御所!」と叫びながら佐々木道誉が駆けつけてきた。信濃で尊氏派の小笠原氏と直義派の諏訪氏が合戦を始めた、と道誉は尊氏に告げ る。戦乱は全国に飛び火し、各地で武将たちが尊氏派と直義派に分かれて戦い始めようとしていた。尊氏の決断の時は迫っていた。


◇太平記のふるさと◇
 
 静岡県・清水市。尊氏が直義を討つときに布陣した清見寺にある尊氏木像、尊氏が建てた利生塔、清見寺を描いた雪舟の水墨画などを紹介。


☆解 説☆

 いよいよラスト2回を残すのみ…なのだが、このところ毎回内容が濃いなぁ。「まともにやったら二年はかかる」というプロデューサー氏のコメントが実感で きるここ10回。複雑怪奇な「観応の擾乱」を映像としていかに処理して視聴者に提供するか、その苦心が特にうかがえるのがこの回である。
 
 この回の冒頭、「敗軍の将」であるはずの尊氏が「大逆転」をかましていくところ、僕などは大受けなのだが、南北朝マニアでもないとこの部分はほとんど理解不能かもしれない。いや、マニアでも理解しにくい場面なのだが…
 発足した足利幕府が当初から尊氏・直義兄弟による二頭体制だったことはすでに触れた。政務は直義にほぼ一任されたが、尊氏は「征夷大将軍」として武士全 体を統率する立場にあり、なかば飾り物状態にあったとはいえ、武士たちに対する恩賞を決定する権利は最終的に将軍である尊氏に属していた。ドラマのこの場 面では尊氏はそのことを持ち出して直義たちをやりこめてしまうのである。実権は直義にあるとはいえ、その実権を保証するのは征夷大将軍である尊氏であるの も事実だった (将軍の権威を保証するのが建前とはいえ天皇・上皇にあったことにも似ている)。直義とてさすがに自ら将軍になるということは出来なかったのだ。このあたりが後の戦国時代などとの差とも言える。
 ドラマで尊氏が直義以下の諸将に対してみせる大芝居は一応事実をふまえた創作だが、事実は小説より、いやドラマより奇なところがある。入京した尊氏は直義と直接交渉するが、そこで尊氏はドラマにも出てくる 「自分に終始従った42人の旗本にまず恩賞を与え、その他の者への恩賞はそれが済んでから行う」と いう要求を直義に認めさせている。この会談まで不機嫌だった尊氏が、会談後に打って変わって上機嫌になっていたことが洞院公賢の日記「園太暦」に記されて いる。尊氏が師直を殺した上杉能憲の死罪を叫んだのも事実で、直義達が必死になだめて流罪にとどめさせている。尊氏に従って戦った佐々木道誉、仁木頼章、 赤松一族はみな所領を安堵された。ドラマの直常のセリフではないが、ホントにこれではどっちが勝ったのだかわからない(笑)。
 と、言うより。どうも尊氏本人が「負けた」とはこれっぽっちも思ってなかったようなのだ(笑)。このあたりまことに理解不能な話だが、ふりかえってみよ う。尊氏が常人には理解不能の行動をとったのはこれが初めてではない。後醍醐に反旗を翻す際の出家騒動、新天皇擁立直後の引退を願う願文、数々の場面で見 せる「甘い観測」…。一歩間違えると「変人」だよな、これって。

 この件に関してちょっと残念だったのが、細川顕氏が尊氏邸を訪ねる場面がドラマ流に大幅に改造されてしまったこと。一緒に薪割りをして、水をもらって、尊氏の底知れぬ魅力に魅入られるという描写も悪くはないのだが、日記「園太暦」に記されている事実はもっと面白い。
 四国の軍勢を率いて直義党の主力として戦い、驕りたかぶっていた顕氏は尊氏邸を訪れて面会を申し込んだ。すると尊氏は顕氏に対し 「降参人の分際で将軍に面会を望むとは何事か!」と の言葉を伝えさせて面会を拒絶したのだ。尊氏は自分を破って勝利に浮かれる武将を「降参人」呼ばわりしたのである。「降参人はどっちじゃ!」と桃井直常あ たりなら激怒して踏み込んだかもしれないが(笑)、細川顕氏はこの言葉を聞いてスゴスゴと退出し、「初めて恐怖の気をあらわした」と記されている。余りに も常識を外れた言動をみせる尊氏に対し、完全に恐れ入ってしまったというわけだ。カリスマなんてのは案外こんなものかもしれない。以後、顕氏がちょっとフ ラフラしつつも結局尊氏側についていってしまうのはドラマでも描かれるとおり。
 この顕氏のエピソードはこのドラマの脚本を書いた池端俊策さんも早くから気に入っておられたらしい。ドラマ放送直前に発売された「大河ドラマストー リー」に池端俊策(脚本)・尾崎秀樹(監修)・真田広之(主演)・高橋康夫(プロデューサー)の四者対談が収録されているが、そこで池端さんがこの逸話に 触れている。その部分、ちょっと引用しよう。

(真田広之の「尊氏は使命感があったから通りいっぺんの行動は出来ず、結果としてぶざまなところを全部背負ってしまったのではないか」という発言に続く)
池端「さすがそこは俳優だね。脚本の先をいってる(笑)」
尾崎「同時代に生きた連中も、感じていたと思いますよ。どうも不思議な魅力があるということを」
池端「だから殺せないんですよ」
尾崎「確かにそのチャンスは無数にあったと思いますね」
池端「師直などは絶対に殺せたと思うんですが、やっぱり殺せない。おもしろいのは、弟の直義と戦争して、兄貴尊氏は負けるわけですが、負けたのに大きな顔 をして帰るんですから、細川顕氏だったかが、弟の側について、勝ったほうの参謀なのに、それがあいさつにくると、「帰れ」と言って追い返している。その自 信というか、徳というか、不思議な大きさだったんですね」
高橋「最終的にはみんな尊氏についていったんですね」

 この顕氏が追い返された逸話は佐藤進一「南北朝の動乱」でも尊氏のキャラクターを語る重要な逸話として二度ほど触れられていて、恐らく池端さんもこの本を読んでこの逸話を知ったのだと思う。細川顕氏なんて登場させなくてもよさそうなキャラクター (だって山名時氏とかもっと面白いのがいっぱいいますぜ)をわざわざ湊川の戦いから登場させたのは、やはりこのエピソードを描くことで尊氏の魅力(?)を描こうという思惑があったのだと思う。でも結局実際のドラマでは「分かりやすい」話に改変されてしまったなぁ…
 なお、大河マニアの一部では有名な話なのだが、この顕氏と斎藤利泰が尊氏邸を訪ねるシーンで、顕氏たちに「中庭へ」と応対する二人の侍女の一人は、あの「常盤貴子」さんご本人である。この回と次回だけクレジットされていて、セリフがあるのはこのシーンのみだ。

 斎藤利泰という武士が前回から登場していて、この回で顔を覚えてもらった途端に暗殺されてしまう(笑)が、この暗殺事件じたいは史実。利泰は直義の腹心 であったらしく普通に考えると尊氏・義詮派の仕業なのではと思うのだが、ドラマでは尊氏に鞍替えしようとした利泰を桃井直常が殺したという展開にしてい た。なお、直常が刺客に襲われたのも史実で(5月4日)、こちらも犯人は不明である。ま、直常暗殺未遂に関しては尊氏・義詮ラインの計画としか考えられな いが。ドラマはこの二つの暗殺事件をうまく絡めて緊迫する情勢を描写していたと思う。史実を知ってるともっと面白いんですがね。
 呉越同舟の猿楽の宴が開かれるシーンで、公家の勧修寺経顕が再登場している(以前「帝崩御」の回で出ている) 。彼は北朝において幕府との連絡役を担当しており、幕府側の朝廷との連絡役であった佐々木道誉(それにしてもいろんなところに顔を出す人だ) としばしば顔をあわせていたという。本文ではカットしたが、道誉が「引付方(裁判担当)から降ろされた」とのセリフがあるが、これは史実で、入れ替わりに政治的実績がまるで無い桃井直常が引付方に 任命されている。直義が身内で幕府を独占した、と非難される一例だ。
 この場面で義詮が「なぜ吉野方と和議をすすめぬ?」と問いただしているが、これは史実に従えば言いがかりである。直義はいったん南朝に降参した手前、南 北朝統一のための交渉を北畠親房との間で進めていた。仲介役は楠木正儀であったという。結局幕府存続を主張する直義と、天皇親政をあくまで主張する親房と が双方一歩も譲らず、この年の5月に交渉は決裂した。交渉決裂を京に伝えた正儀の使者は 「かくなる上は吉野討伐の大将軍を派遣してもらいたい。その折には正儀が味方にまいって道をふさぎ、短時日のうちに吉野を攻め落として見せましょう」 と密かに伝えたという。後に和平を求めて北朝に寝返る正儀の姿勢はこのころから明確になっていたようだ。

 猿楽の宴が散会してしまった後に、尊氏にとっても視聴者にとっても思いがけない再会が待っている。あの花夜叉さんが第36回「湊川の決戦」以来の再登場 である。ましらの石同様いつの間にかフェードアウトかと思ったら終盤に来て突然の再登場。16年ぐらい経っているはずだが、まるっきり老けておらずいきな り二十歳ぐらいの息子を連れてきている。どういうこっちゃ(爆)。ちなみに僕もこの再登場を長いこと忘れてました。
 前に花夜叉について考察した際(第14回「秋霧」の解説)に 触れたが、この息子が観阿弥清次である。観阿弥が生まれたのは1333年のころのことらしく、吉川英治は「私本太平記」で千早城攻防戦の最中に正成の家族 と一緒にいた卯木が観阿弥を産むことにしていた。「尊氏の作る平和な世が清次の舞を大成させる」という花夜叉のセリフは、もちろん尊氏の孫の義満の時代に 観阿弥・世阿弥父子が能楽を大成することを暗示したもの。
 なお、世阿弥の息子が書き記していることなのだが、近江に一忠という猿楽舞の名手がいて、観阿弥は彼を舞の師と仰いでいたという。世阿弥は一忠の舞を直 に見る機会はなかったが、佐々木道誉からその舞のさまを聞かされたと述懐しているという。このことから道誉は世阿弥の父・観阿弥とも深いかかわりをもって いたことがうかがえ、能芸術の完成にも一役買っていたことが知られるのだ。道誉はドラマでしばしば出てくる「立花」芸術の立役者であっただけでなく、連歌 集「菟玖波集」編纂にも関わりこれを勅撰に准じる扱いすることを朝廷に認めさせている (当然というべきかこの連歌集に作品が収められた人のうち、武士でダントツのトップが道誉である)。戦上手であり大物政治家であり (尊氏死後の道誉はまさに「政界の怪物」である)、当時勃興してきたあらゆる新芸術に首を突っ込んでいる道誉。ほんとうにあらゆる意味で「南北朝最大の怪物」と呼ばれるにふさわしい。

 ラストで尊氏が義詮を叱責するシーン、父と子の会話として見落とせない場面だ。何度か触れているように、このドラマでは義詮はかなり無能、おっちょこ ちょいに描く傾向が強い。で、やっぱり実際そうだったとしか思えないところも多い。妙なお人好しぶりだけ尊氏の遺伝子を受け継いでいるのは確かなんだけど (笑)。この場面で義詮が実は異母兄弟の直冬に対し強烈なコンプレックスを抱いていたことを告白する。実際のところどうだったかはわかりませんけどねぇ。 尊氏自身はかなり親バカと言っていいほど義詮を溺愛していたとの指摘は多い。それが実は「観応の擾乱」の原因だったのでは、との意見もあるほど。