第五回「あやうし足利家」(2月3日放送)
◇脚本:池端俊策
◇演出:田中賢二


◎出 演◎

真田広之(足利高氏)

沢口靖子(登子)

萩原健一(新田義貞)

陣内孝則(佐々木道誉)

高嶋政伸(足利直義)

宮沢りえ(藤夜叉)

辻萬長(高師重) 河原さぶ(南重長)
北見治一(蓮房) 中島啓江(乙夜叉) 
丹治靖之(木斎) 平吉佐千子(歌夜叉)
ストロング金剛(大男) Mr.オクレ(小男) 
高品剛(窪田光貞) 高尾一生(大平惟行) 佐藤信一(猿回し)
新井量大(万里小路宣房) 佐藤文裕(日野資朝) 堤勝巳(赤橋家家臣)
大井隆介・三上剛史(奉行人) 村添豊徳・崎山勇(評定衆)

樋口可南子(花夜叉)

片岡鶴太郎(北条高時)

榎木孝明(日野俊基)

勝野洋(赤橋守時)

西岡徳馬(長崎高資)

児玉清(金沢貞顕)

北九州男(二階堂道蘊) 吉田将志(安東十郎) 楠野紋子(子夜叉)

若駒 ジャパンアクションクラブ KRC  鳳プロ 丹波道場
園田塾 劇団いろは 劇団東俳 足利市のみなさん 太田市のみなさん

フランキー堺(長崎円喜)

藤村志保(清子)

緒形拳(足利貞氏)



◎スタッフ◎

○制作:高橋康夫○美術:稲葉寿一○技術:鍛冶保○音響効果:加藤宏○撮影:杉山節郎○照明:森是○音声:鈴木清人○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇

 足利の御曹司・高氏の逮捕・拘束は鎌倉の町に今にも合戦かという緊迫した空気を漂わせた。貞氏は必死の思いで友人の金沢貞顕に取りなしを頼むが、貞顕は今回の件がほとんど長崎円喜高資父子の独断で行われていて連署の自分にも口が出せないと言うばかり。やむなく執権・北条高時に 面会するが、高時もすべては円喜に任せてあると言うだけ。ただ高時が「父の貞時は何事も公平にせねばと言っていた」と言うので貞氏は「いまこの鎌倉で不公 平が行われている」と取りすがるが、高時は面倒なことはしたくないと頭を押さえるばかり。貞氏は諦めて引き下がるが、その途中で円喜父子と出くわす。「執 権と何を話していた」といやらしく問う円喜に、貞氏は憤然として背を向ける。
 足利邸では直義が家臣達を集めて「安達泰盛殿の例もある」と館の武装を図っていた。屋敷に戻った貞氏は清子「円喜殿に手を付いて慈悲を請えばあるいは道が開けたかもしれん…それができなかった…20年やってきたことが…」とつぶやく。
 金沢貞顕の手引きで、貞氏は高氏の牢へとやってくる。「直義が騒いでおりましょうな」「ああ、まるで蒙古が攻めてきたような騒ぎじゃ」と冗談を 言い合ってから、高氏は「裁きに合点のいかぬ時にはこの牢蹴破ってでも出る」と貞氏に思いを告げる。貞氏は「いかなる事があろうとも見殺しにはせん」と言 い残す。

 騒然とする鎌倉に花夜叉一座がやって来た。ちょうど捕らえられた日野俊基日野資朝の両名も鎌倉に護送されてくるのを目撃する。一座の皆と食事中、鎌倉の噂から足利高氏が囚われの身となったことを知る藤夜叉。その途端、藤夜叉は口をおさえて外へ飛び出していく。それを見た花夜叉は藤夜叉が高氏の子供を身ごもったことに気づくのだった。
 
 評定衆一同を集めて高氏への審問が始められた。長崎高資が居丈高に次々と質問を突きつけ、高氏は伊勢へ行くはずが京都へ行った事情などを一つ一つ釈明する。しかし日野俊基と会っていたことだけは頑として否定を続ける。ところが証人として佐々木道誉が 姿を現し、さすがに高氏は青ざめる。道誉は自分が幕府の命を受けて謀反の計画を暴くために公家たちに接近したのだと説明し、「日野はそれがしの網にかかっ た愚か者」とあざ笑う。そしてその日野と共に若い武士が佐々木邸を訪ねてきたことを証言する。「その武士の名は?」との高資の問いに道誉は「足利高氏」と断言する。ニンマリとする円喜。
 「その足利高氏とは、そこに控えし足利よの?」と決定打を放とうとする高資。道誉は隣に座る高氏の顔を横からマジマジと見る。無表情を保ちながらも観念する高氏だったが、聞こえてきたのは「いや…これに控えし者は足利高氏にあらず」という意外な言葉だった。「我が館に来た高氏は赤ら顔で身の丈六尺の大男…かかる不思議のあることよ!」などと言い出す道誉に円喜と高資は大慌て。「よく見られよ、これが足利高氏ぞ」と確認を求めるが、道誉は「はて…確かに足利高氏と名乗りしが…さてはあれは偽物であったか。佐々木判官、面目次第もござらん!」ととぼけ通す。審問は中断され、円喜は憤然として席を立つ。
 引き揚げる道誉を円喜が呼び止める。「佐々木殿は我らに同心してくださるものと思うておった」と責める円喜に、道誉はニヤリと笑って円喜の胸に扇を当て、「わしに指図できるのは執権どののみぞ」と言い捨て立ち去っていく。

 審問が終わって牢に戻った高氏のところへ、審問の場にいた若い武士が訪ねてきた。それは登子の兄・赤橋守時で あった。守時は妹の登子が「東国の武士が京に行って数日の内に公家に肩入れするとは信じられぬ」と言って高氏の無罪を確信していることを告げる。もはや隠 し立てする気もなくなっている高氏は「東国の武士が京を数日見ただけでで変わることはありうることだ」と登子に伝えてくれるよう守時に言う。「鎌倉は腐り 始めている」とも言う高氏に、守時は「それがしも北条の者でなければそう思うであろう」と気持ちを打ち明け「幕府は長崎だけではない。気短かになられぬよう」と言い置いて牢を去っていく。
 守時が帰宅すると、妹の登子が出迎えた。「そちの見込み通りの男じゃ」と妹に語る守時。「嫁に行っても良いだけの男とみたか」との問いに「は い!」と強く答える登子。これを聞いた守時は高氏を救ってやることを決心するのだった。そこへ、奥州で戦乱が始まったとの知らせが入る。陸奥の安東季長・ 安東季久の相続争いを収拾に向かった幕府軍が、こともあろうに季長軍と戦闘状態に入ってしまったのである。

 足利邸では貞氏が直義や家臣を集めて対策を練っていた。これを「足利潰し」の策謀とみた直義は長崎父子を襲撃して先手を打つ強攻策を主張するが、もし失敗すれば足利の一族郎党が全滅することになると貞氏は慎重である。
 そこへ新田義貞が突然訪問してくる。貞氏が対面すると、義貞は安東季長の身内・安 東十郎という者を連れてきていた。安東十郎は密書を貞氏に渡す。その内容は奥州の戦乱に呼応して足利の決起をうながす内容であった。貞氏は密書をすぐに焼 き捨てるが、十郎は幕府軍が大した強さではないことを貞氏に教え、足利が動けば天下が動くとたたみかける。「こは新田殿のはかりごとよの?」と問う貞氏に、義貞は「我ら新田は貧乏御家人。力もなければ思うところもない」とだけ答える。

 後醍醐天皇の「詫び状」が箱に収められて幕府に届けられた。ところが幕閣の一人・二階堂道蘊は、 天皇が武家にこのような手紙を出すことは前例のないことで、開かずにそのまま返すのが礼儀だと主張する。守時も朝廷と事を構えるべきではないと主張する。 高資が「朝廷ごとき…」と箱を開けようとするが、円喜がたしなめる。守時は「他人を正すにはまず自分から」と言いだし、奥州の安東氏の戦乱の原因を暴露し 始める。安東氏の双方から賄賂をとって双方にいい返事をし、混乱を招いた張本人が幕府内にいるとぶちまけたのだ。「それは誰じゃ!」と不正にはうるさい高時がヒステリックに叫ぶ。誰も名は口にしないが、それが長崎高資であることは明白だった。いつしか評定の流れは長崎父子に不利に傾いていく。結局高時が額に手を当てて「疲れた…何事も穏やかがよいぞ、穏やかが」と言い、「詫び状」も返上し、高氏も放免することに決まる。
 評定が終わって廊下に出た長崎父子。「父上…」と弁解し始めた高資を、円喜は扇で思い切り殴り倒す。「北条は傾いておるのじゃ…北条が潰れれば幕府も潰れる。そうならぬように血を流してきたというのに、うつけ者が!」と叱りつけ、円喜はガックリと座り込むのだった。

 翌朝、足利邸を訪れた金沢貞顕の口から「高氏無罪放免」の朗報がもたらされる。初めは冷静に聞いた貞氏だったが、両手を開いて大の字でトン!とひと飛びして喜びを全身で表す。一方高氏も牢を出されて、「しゃあっ!」と一声叫んでひと飛びするのだった。



◇太平記のふるさと◇

 神奈川県鎌倉市。鎌倉周囲の交通路についての紹介。各地の切り通し、海上の人工島・和賀江島の映像が出る。南北朝時代に和賀江島付近の漁業権を足利氏が握っていたことも紹介される。



☆解 説☆
 
 タイトルのまんま、長崎父子による足利潰しの陰謀の顛末を一回たっぷりかけて描く回。基本的にほとんどフィクションで構成された回でもある。高 氏が拘束され審問を受ける場面は「私本太平記」にもあるが、このドラマで描かれるほど深刻ではない。また長崎円喜・高資父子が全てを仕切ったようになって いるのもドラマ側の創作。原作・古典双方とも長崎円喜父子というのはほとんど登場してこないのだ。だが長崎父子がこの時期の幕府の実質的最高権力者であっ たのは歴史的事実で、このドラマのおかげでこのお二人の名前もメジャーになったもんだという思いもある。
 この回は高氏よりも貞氏の出番が多くほとんど主役。足利氏という巨大企業(?)の社長としての多くの者の命を預かる責任から決して軽はずみな マネはしないが、内面では長年積み重ねてきた北条氏・長崎父子への怨念もつのらせているという板挟みの苦悩を実にうまく表現していた。ところで貞氏の「蒙 古が襲来したような騒ぎじゃ」というセリフは時代が近いだけにニヤリとしてしまうところ。

 花夜叉たちが鎌倉に入るシーンで、日野俊基・日野資朝両名が囚われの身となって入ってくる。セリフこそ無いものの「正中の変」の重要人物である 資朝の姿を見られる貴重なシーンである。ドラマでは俊基に焦点が絞られていたのでほとんど描かれることがなかったが、古典「太平記」ではこの資朝が佐渡に 島流しになって後に処刑され、訪ねてきた息子の阿新丸(くまわかまる)が仇討ちをするという有名なエピソードが語られている。「阿新丸の仇討ち」は仇討ち 好みの日本人には昔から受ける話だったようで、吉川英治も「私本太平記」でアレンジして取り上げている(そこに一色右馬介が絡んできたりする)。ドラマではさすがにカットされてしまったが、資朝の姿だけはチラッと拝めるのである。

 高氏に対する審問シーンはこの回の見せ場。大ドンデン返しをかましてくれる道誉役・陣内孝則のとぼけた名演技(演技の演技である!)に は放送時大受けしたものだ。坊主頭でない道誉にいささか不安を覚えていた私だが、このシーンで「陣内道誉」にハマってしまった(笑)。文句を言う円喜に対 し道誉が言い返すことが出来るのはひとえに執権高時の元相伴衆でお気に入りの存在であったからだが、これは確かに事実なのでうまく考えた名シーンだと思う。 なお、「私本太平記」の審問シーンにも道誉は同席していて日野俊基などについては似たようなことを言うもののドラマのような大ドンデン返しはやってくれな い。
 この審問シーンから、前半の重要人物・赤橋守時役の勝野洋も登場。良く大河ドラマに出ている人だが、当時の大河本によると「また来たの?」な どとスタッフに言われたとか。「守時は最後、死ぬからね」と言われて「うれしいな!」と答えたという気合いの入り方で(笑)、高氏の義兄にして悲劇の執権 役をじっくりと見せてくれる。

 奥州津軽の安藤氏(この時期は「安藤」と表記したとみるのが通説だがドラマでは「安東」表記になっている)の 内紛から始まった戦乱が、ここから数回にわたってたびたび話題に上ってくる。古典「太平記」はあまり触れない部分だが、この後の「元弘の変」に先だって起 こり、長期にわたったため幕府の屋台骨を裏側からジワジワと揺るがした事件である。安藤氏は北条氏直属の家臣として津軽の地を治め、「蝦夷管領」すなわち 現在の北海道に対する押さえ役を任されていた。このころ出羽や蝦夷地で「蝦夷」の蜂起があいついで幕府が「蒙古襲来」並みの警戒を見せていたとも言われ、 安藤氏の内紛もこの蝦夷蜂起が背景にあったのではないかと言われる。この乱の拡大の一因に長崎高資が双方から賄賂を受けて良い加減な裁決をしたことがあっ たというのは『保暦間記』という史料に書かれているもの。安藤氏には蝦夷(アイヌ?)の兵力も加わり、幕府軍が大変な苦戦の末に最終的に「和議」という形 でしか収束できなかったことが幕府滅亡の大きな要因になったとする見解も有力だ。

 この乱に絡んで新田義貞が足利の決起をうながす(と言っても自分からは絶対に言わない)場面があるが、どうも萩原健一が演じている段階の義貞は無骨な貧乏武士であるものの何やら腹に一物もって陰謀を巡らせるタイプのような印象が強い(口数が少ないのでなおさら)。根津甚八に交代すると、わりと純粋素朴な坂東武者という雰囲気になるので、このあたり配役変更を受けて脚本家がキャラクターを検討し直した可能性も感じる。
  今回見返してみて気が付いたのだが、「先ごろ祖父・基氏どのを亡くされて…」と貞氏が義貞にお悔やみを言っている。新田氏の菩提寺に基氏らしき人の墓が あって、この頃亡くなったことが確認できるのだそうだ。ずいぶん細かいところに目を配ってるな、と脚本に感心したところ。
 義貞が安東十郎なる男を「それがしの遠い縁者」として紹介しているが、これは義貞の妻の伯父に安東聖秀という人物がいることがヒントになっているものと思われる。この「安東」氏は北条氏の有力家臣で、津軽の安藤=安東氏と同族では、という見方がないでもないので(有力ではないが)、ドラマでは義貞と津軽の安藤氏の乱を結びつけるのにこれを利用したということだろう。 

 朝廷から来た「詫び状」を開ける開けないで揉める場面は古典「太平記」からとったもの。「開けずに返却せよ」と言ったのはドラマにも出て くる二階堂道蘊(どううん)で、古典「太平記」は鎌倉幕府における教養ある良識派として描いている。千早城攻防戦などにも登場する幕府の重鎮とも言える武 将で、幕府が滅んだ後もその才能を惜しまれていったんは許されたが、結局嫌疑をかけられて処刑されてしまった気の毒な人である。ドラマではその最期は描か れないが幕府のシーンでたびたびその法衣姿で登場していてかなり目立つ。
 古典「太平記」では諫めも聞かずに高時が勅書を開いて読むよう命じ、読まされた武士が読み出した途端にその場に昏倒し、数日後に死亡するという恐ろしい「天罰」が記されている。もちろん史実は開けずに返したということなのだろう。 なお、持明院統の花園上皇はその日記の中でこのとき後醍醐が鎌倉幕府に送った書状の内容について「宋朝(中国)のような文体で、幕府を東夷呼ばわりして激しく攻撃していた」と全く違うことを記している。
 この場面で高時が幕府内の不正に怒り、また「何事も穏やかに」と指示する辺りから、高時が必ずしも単純な「暗君」ではないことがうかがえるようになる。また円喜が高資を殴りつけるシーンは、悪役である円喜にも円喜なりの「正義」と「信念」があることを示す貴重な場面だ。

 高氏の無罪放免を聞いてクールな貞氏が見せる歓喜の動作が「大の字ジャンプ」。それも声もなくささやかなあたりがこの人らしさ。対比するように高氏は横っ飛びに大声を出してジャンプしている。