第九回「宿命の子」(3月3日放送) 
◇脚本:池端俊策
◇演出:田中賢二


◇アヴァン・タイトル◇

 前回描かれた円喜暗殺未遂事件の顛末の復習。



◎出 演◎

真田広之(足利高氏)

沢口靖子(登子)

柳葉敏郎(ましらの石)

榎木孝明(日野俊基)

堤大二郎(護良親王)

高嶋政伸(足利直義)

宮沢りえ(藤夜叉)

安倍徹(高師氏) 辻萬長(高師重)
河原さぶ(南重長) 北九州男(二階堂道蘊)
高品剛(窪田光貞) 高尾一生(大平惟行) 小形竹松(足利家時)
山中康司(大仏貞直) 小山昌幸(名越高家) 佐藤文治(秋田城介)
神谷まさひろ(北条茂時) 樫葉武司(南宗継) 伊達大輔(近習)
津田充博(貞氏・少年時代) 関口博文(近習) 山田博行・山本寛(医師)

片岡鶴太郎(北条高時)

大地康雄(柳斎=一色右馬介)

柄本明(高師直)

勝野洋(赤橋守時)

西岡徳馬(長崎高資)

沢たまき(覚海尼)

児玉清(金沢貞顕)

麿赤児(文観) 森川正太(服部小六)

若駒 ジャパンアクションクラブ KRC 鳳プロ 丹波道場   
劇団ひまわり セントラル子供タレント 真言宗豊山派のみなさん 足利市のみなさん 太田市のみなさん

フランキー堺(長崎円喜)

藤村志保(清子)

緒形拳(足利貞氏)



◎スタッフ◎

○制作:高橋康夫○美術:田中伸和○技術:鍛冶保○音響効果:石川恭男○撮影:杉山節夫○照明:森是○音声:鈴木清人○記録・編集:久松伊織 



◇本編内容◇

 簾(すだれ)の向こうで短刀を抜き、今にも腹を切ろうとしている男がいる。足利家時である。じっと父の姿を見つめる少年貞氏。貞氏の肩を抱きながら執事の高師氏が震えるように言う。「お父上は北条のためにかかる最期をお遂げになるまする…しっかとごろうじませ!」ためらうように息を荒らげながら家時は短刀を腹に突き立てた…

 「夢か…」と目を開く貞氏。疲れが出ている様子を見て清子が寝かせていたのだった。そこへ直義や高師重が幕府の方で何やら騒ぎが起きているようだと伝えに来る。手勢を率いて様子を見てくると言う直義を、貞氏は立ち上がって「待て、はやまるな…」と止めたが、その途端、崩れるように倒れてしまう。驚く直義や師重たち。

 そのころ、登子とともに華雲殿を出た高氏に、石が襲いかかっていた。高氏も相手がかつて自分に矢を放った男だと気が付く。「三河の足利党 に親を殺された、足利は親の仇」と言う石に、「何かの間違いではないか」と言う高氏。石はさらに登子に向かって「お前の夫はわしの妹を一夜の慰みものにし おった」と言い放つ。そこへ武士達が駆けつけてきたので石はやむなく逃げていった。
 高氏と登子は黙ったまま、足利邸へ向かって夜の町を歩いていく。耐えられなくなった高氏は「今の男の申したことは本当じゃ」と藤夜叉のことを 登子に話し始める。決して遊び心ではなく本当に好きだったのだと。しかし登子は話す高氏をとどめて、水面に映る月を見てその美しさを誉め、遠回しに過去の ことは問わない、「今日の月、明日みる月が美しければそれでよいのです」と言うのだった。

 そこへ直義たちが家臣達を引き連れてやって来る。直義の口から父の異常を知った高氏が急いで帰宅すると、貞氏は医師の診察を受けていた。 「忙しかったから疲れが出たのでしょう」との医師の言葉に安心する高氏だったが、執事の高師重が高氏だけを別室に呼んで、医師から聞いた真の容態を明か す。「息の道にただならぬ病が…もはや…」との師重の言葉に、これが不治の病であることを高氏は知り、愕然とする。「急じゃのう…診立て違いではないのか?」とすがる高氏に師重は黙って首を振る。突然やって来た事態に高氏は悲しみ、苦悩する。この事実は師重と高氏だけの胸に秘められることとなる。

 意識を取り戻した貞氏が高氏を呼んだ。貞氏は「火が見たいな」と言いだし、縁台に座って庭に灯された篝火を高氏とともに眺める。「近ご ろ、我が父の夢をよく見る…」と貞氏は切腹して果てた父・家時の話をはじめる。元服前のことだったがその光景が今も心に焼き付いていると。そして家時が死 ぬ前に自らの血で「置文(おきぶみ)」をしたためていたことを高氏に明かす。祖父切腹の事情はだいたい知っていたが「置文」のことは初耳で驚く高氏。その 置文に書かれた家時の遺言を貞氏はそらんじていた。
 源氏の嫡流で事あらば北条に代わって天下を治めるべき足利家に生まれながら、徳無く才乏しくわずかに家名を長らえて死に行くのみ、と家時は嘆いたあと、「この無念が分かるなら、わしに代わって天下をとれ。そちの代で出来なければその子にとらせよ」と貞氏に言い残していた。「四十年、これとの戦いであった…何度も思うた…なぜ源氏の嫡流に生まれてきたのか、と…徳なく才乏しくわずかに家名を保ってこの病だ」と貞氏はつぶやき、「高氏、あとを頼む。父のように迷うな。神仏の許しがあれば天下をとれ。それが道と思ったら弓をとれ!」と高氏に言いつける。それは貞氏の事実上の遺言だった。貞氏は師重を呼び、「今日から高氏が足利の主だ」と告げる。そして執事の高氏が預かっている家時の置文を高氏に見せるように命じる。
 高師重は別室に高氏を招き、当主の代替わりに伴い執事も代替わりと、今日から息子の高師直が執事になると告げる。そして家時の置文の入った箱が師直から高氏に引き渡される。しかし高氏は「今は読まずにおこう。いずれ読まねばならぬ時が来よう…」と箱をそのまま返すのだった。
 部屋を出ると、直義が高氏に詰め寄ってきた。「誰も何も教えてくれん!次男はつまらぬものよ」と ぼやく直義。高氏も詳しいことは話さないが、直義はその様子で父の容態をだいたい悟った。別の部屋で清子が登子に「大殿は疲れただけ、案ずることはない」 となだめている様子が見える。それを見ながら高氏は直義に今日の幕府での騒動のことを教え「北条は先が見えた」と断言し、いずれ北条と戦うときが来るだろ うと予言する。「その時は登子が哀れぞ…お主が登子を嫌っていることは分かる。だが登子を姉と思って心にかけてやってくれ」と高氏は弟に言い残して立ち去る。直義は登子の姿を眺めながら、独りうなづく。
 貞氏はそのまま長い病の床につき、数日後、足利家全体に高氏が新しい当主となったことが正式に伝えられた。高氏は源氏の棟梁であり鎌倉御家人中、最大の大名の当主となったのである。

 幕府では円喜暗殺未遂事件の事後処理で揉めていた。最大の問題は「主犯」である執権・北条高時の処遇だった。長崎父子は当然のように高時の執権辞任を要求し、金沢貞顕を執権職につけるつもりだった。貞顕は円喜に言いつけられて高時とその母・覚海尼がいる東慶寺に足を運んで事態の収拾を図ろうとするが、覚海尼は貞顕を裏切り者呼ばわりして追い返す。覚海尼は「闇討ちを仕掛けるも下、討ち漏らすは下の下じゃ」と高時の部下・秋田城介を 叱りつけるが、高時は「城介を叱りたもうな。高時が父上ほどの名執権でないゆえ…」と母に言う。覚海尼は「そなたは得宗ぞ」と励ますが、高時は頭を抱える ばかり。覚海尼は長崎らに徹底的に抵抗し「金沢などを執権にしてなるものか、またなったところで、まつりごとはやらせぬ」と誓う。
 金沢貞顕は高時の辞任を受けて執権職についたが、覚海尼の剣幕に恐れを為してわずか一ヶ月で辞任。高氏の義兄である赤橋守時が執権職につくことになった。彼が鎌倉幕府最後の執権となる。
 
 そのころ、各地で反北条勢力の蜂起が相次いでいた。伊賀国では服部小六という悪党があたりを荒らし回っており、の姿もその中にあった。北条の追っ手から逃れた石は藤夜叉の家に飛び込む。「世の中をひっくり返してやるわ」とはしゃぐ石を藤夜叉は不安そうに見つめる。そこへ具足師の柳斎という男が入ってくる。柳斎とは一色右馬介の変装で、研ぎものなどをしながら密かに藤夜叉を見守っていたのだった。柳斎が「お子が目を覚まされましたな」と言うと、藤夜叉は奥へ駆け込み、泣く赤ん坊を抱いて出てくる。赤子をあやす藤夜叉と柳斎を複雑な表情で見る石。この子こそ、後の足利直冬。父・尊氏と天下を分けて戦う宿命の子である。

 柳斎こと右馬介は足利家に報告するため藤夜叉の様子をうかがいつつ、服部小六のところに日野俊基が山伏姿で訪ねてくるのを目撃する。俊基は小六に楠木正成が決起しようとしないことを残念そうに語るが、後醍醐天皇自身はすでに心を決めていると伝える。そして天皇の子・大塔宮護良親王が比叡山で倒幕の準備を着々と進めていることを明かすのだった。
 護良親王は荒法師たちを相手に武芸の訓練に励みつつ、幕府調伏の祈祷をも行っていた。醍醐寺でも座主・文観が幕府調伏の祈祷を行い、後醍醐天皇の倒幕計画は再び形を見せ始めていた。ところが、天皇の側近・吉田定房が計画を幕府に密告してしまうのである。

 密告は幕府に届き、長崎高資らは軍を都へ送り、計画に加わる公家・僧の首を斬り、天皇を島流しにせよと息巻く。二階堂道蘊赤橋守時が慎重論を唱えるが、話は完全に長崎父子ペースに。事前に長崎邸に幕閣が集まって執権を外して物事を決めていると守時が怒るが、円喜は「では執権どの、御辺も我が館へ参られれば良い」とうそぶく。
 京へ軍を送ることが円喜らの強硬意見で決定されたことを知り、高氏は暗然たる思いになるのだった。



◇太平記のふるさと◇

  比叡山延暦寺。その歴史と、僧兵たちを多く抱えた要塞として、しばしば「太平記」に登場することを紹介。護良親王の遺跡なども。



☆解 説☆
 
  「宿命の子」というタイトルは実に意味深。普通に考えればこの回で誕生する直冬のことを指していることになるが、この回は家時・貞 氏・高氏・直冬と4代にわたる、「宿命」を負わされた足利家の流れを俯瞰できる回でもあるのだ。貞氏から高氏へ家督も譲られ、執事も含めて世代交代。一方 で都でも「元弘の変」へ向けた胎動が始まっているという、ドラマ全体の節目となる回だ。

 冒頭に第一回にも出てきた家時切腹シーンが、より長く出てくる。ここで少年貞氏を諭しているのが執事の高師氏だが、この師氏、のちの大河ドラマ 「北条時宗」にも江原真二郎に演じられて登場している。「太平記」は「北条時宗」の孫ぐらいの世代のお話なので、並べてみるといろいろと面白い。「時宗」 のほうだと北条側から描くのでまた違った視点で両家の関係を見ることが出来るのも楽しみの一つだ。
 藤夜叉のことを打ち明けられた登子が水面に映る月にたとえて高氏を語る場面があるが、登子のテーマ曲はずばり「「愛は水面に映る満月のごと く」というタイトルになっている。そういえばこの直前のシーンでも石が「親を足利に殺された」と言うのに対し高氏が「何かの間違いでは」と言っている。こ のへん、やはりいつか解決するつもりだったことを匂わせるセリフだ。

 この回で貞氏が病に倒れ、長い闘病生活にはいる。長いと言っても次の回には死んでしまうので視聴者には実感がわかないが、執権交代劇が あるためこの場面の年代が嘉暦元年(1326年)なのは明白。つまり少なくとも4、5年は寝たきり状態だったことになる。原作ではずっと寝たきり状態で、 登子との婚礼の場面に顔を出す程度となっている。それにしても「息の道の病」と言っているがこんなに長い闘病生活ってのは何の病気なんだろうか。
 病に倒れた貞氏が高氏に「家時の置文」の話をし始める。緒形拳、最高の見せ場と言っていい。洋の東西を問わず、歴史劇でのこうした世代交代と引き継ぎの場面というのは不思議に感動を覚えてしまうものだ。 なお、オリジナル脚本ではこの場面、貞氏は床に伏せたまま「遺言」を語るのだが、完成したドラマでは「火が見たいな」と体を起こして語る描写に変更されている。脚本集に載るインタビュー記事によるとこれは緒形拳さん自身の提案であったようだ。

 足利尊氏関連でこの「家時の置文」の一件に触れないものは皆無と言っていい。この話の元ネタは南北朝後期を生きた武将・今川了俊が記した「難太平記」(「太平記」の記述にイチャモンをつけているのでこの名がある)に記されているもの。その内容は「源義家が七代の孫に生まれ変わって天下を取ると言い残し、その七代の孫である家時がとても果たせないと嘆いて自殺し、自分が命を縮める代わりに三代の孫までに天下をとらせたまえと願った」と いういささか回りくどいもの。義家の段階で「天下をとる」なんて言うことは考えにくいので、家時の時代にそういう話になっていたということであるかもしれ ない。また家時切腹の事情は不明なのだが孫に天下を取らせるために自殺というのも無理があるので、このドラマのように北条氏と何らかのトラブルがあったと 考える見方がなされている(一方で足利家は代々精神的に不安定という説もある)。ともあれ、家時三代の孫が尊氏であるわけで、いささか出来過ぎの観のある話なのだが、了俊がその実物を自分も見たと言っているので全く無視できるものでもない。ただし、了俊によれば尊氏・直義の兄弟がこの「置文」を発見したのは天下を取っちゃってからのこととなっていて(「ただいま天下をとったのはこの発願によるもの」と感嘆していたそうである)、この「置文」の存在が足利家に重くのしかかっていたというのも、また考えにくいところなのだ。 ただ1350年ごろに直義が「祖父・家時が臨終の時に書いた書状を読んで感激した」と高師秋に送った手紙が残っており、なにかそのようなものは存在していたのではないかと想像はできる。
 ともあれ、物語作家としては飛びつきたくなる素材には違いない。吉川英治も「私本太平記」でこの「置文」を物語の小道具として大いに活用してい る。「私本」では置文は足利の鑁阿寺に秘蔵されていて、高氏はこれを読んで自分の使命を悟り、その場で秘密を守るために焼き捨ててしまう。それ以後大志を 秘めて行動を慎むようになるのだが、なぜか直義を毒殺した時にこの「置文」が再び登場することになっている。
 ドラマでは義家のことは絡めず、家時が主に貞氏に向かって残した遺言という形を取っている。高氏はなぜかすぐには読まず、貞氏の口を通してその内容を知ることになった。高氏が実際に置文を読み上げるシーンは、第20回「足利決起」を待たねばならない。

 当主の世代交代に伴って、長期レギュラーとなる柄本明演じる執事・高師直が初登場する。解せないのは高氏と初対面であるとしか思えない会話になっていること。普通同じ屋敷内にいるはずなんだから顔ぐらい合わせていると思うんだけど。
  師直には師泰という兄弟がいて、このドラマでも第一回で少年時代の姿を見せ、後半に塩見三省さんが演じてしばしば登場する。ここでは一切説明がないが、ド ラマでは師泰が「兄」とされており、なんで師直が執事職を継ぐことになったのか今ひとつ不明。そういえば第一回で師重も兄がいることになっていた。

 前回の円喜暗殺未遂事件に絡めて、幕府の執権交代劇が描かれている。実際のところ背景はどうだったのか分からないが、高時が突然執権職 を辞し、それを引き継いだ貞顕も就任わずか一ヶ月で辞任したのは事実。鎌倉末期の政治情勢に詳しい『保暦間記』によれば、まず高時が重病となって一時危篤 になったため出家、結局持ち直すのだが執権職は辞した。後任には高時の弟・泰家が有力視されたが長崎高資が北条庶流の金沢貞顕を執権に擁立してしまう。こ れに高時・泰家の母・覚海尼が激怒、泰家に抗議の出家をさせ、それに従って鎌倉の武士の多くが坊主になるという珍現象が起こる(佐々木高氏が出家し「道誉」となったのもこのとき)。 覚海尼と泰家の怒りは凄まじく、貞顕暗殺の計画もあったようで、これに恐れをなした貞顕はさっさと出家・辞任、後任には高氏の義兄である赤橋守時が就いて 1333年の幕府滅亡まで執権職を勤めることになる。だがドラマでも描かれているように、内管領の長崎高資、得宗(北条本家の家督)の北条高時が権力を保 持していて、単なる飾りものの執権に過ぎなかった。

 伊賀ではのちの足利直冬となる子供が生まれている。推測ではあるが、直冬は1327年ごろの生まれであるらしく、ドラマの設定と合って いる。「私本」では近江で生まれてから藤夜叉が高氏に告げて、右馬介が三河の館に引き取って育てることになっているが、ドラマでは一貫して藤夜叉とともに 庶民として育っていくことになった。なお、右馬介が具足師・柳斎に扮して情報収集を行うのは「私本」にもある設定。

 ドラマで見ているとほとんど気が付かない、というか巧みにごまかされているんだけど(笑)、いつの間にか5年の時間が経っており、 1331年の「元弘の変」へと物語は移っていく。後醍醐天皇の皇子・護良親王(堤大二郎)も初登場。登場シーンからいきなり荒法師相手に武芸鍛錬とは、い かにもこの人らしい。個人的には父親の性格を一番引き継いでたんじゃないかと思われる皇子だ。このあとメインキャストの一人となるが、今回はほとんどお披 露目のみ。
 チラッとではあるが、醍醐寺で文観が幕府調伏の祈祷をしている映像が映る。周りでお経を唱えているのは出演者表示に出ていた「真言宗豊山派の みなさん」なんでしょうね。文観らが後醍醐天皇の指示でこうした祈祷を行っていたというのは古典「太平記」でも書かれているところだが、どうやら後醍醐天 皇本人もそうした祈祷を行っていた節がある。各地の豪族に密かに決起を呼びかけるなど現実的な計画を進める一方、こうしたサイキックパワーをも大いに活用 しようとしていたあたり、この人らしいところではある。しかし余りに危なっかしいその様子を見ていて(実際、いろんな意味で「アブない」と思う)、 第四回でも登場した天皇の乳父・吉田定房が倒幕計画を幕府に密告してしまう。罪を俊基・文観らにおっかぶせて天皇だけを守ろうとしたんだろうけど…しかし 吉田定房自身は第四回以後、この回も含めてドラマには全く登場せずセリフ中に名前が出るだけである。なぜか第25回の朝廷シーンで同じ垂水悟郎さんに演じ られて再登場しているが、どこにいるのか分からないぐらい。

 いよいよ「元弘の変」。次回より、本格的な動乱の時代の始まりである。