◎列伝スタイルで南北朝を立体的に 他の南北朝コミックと同様、発売時期は1990〜91年。やはりNHK大河ドラマ便乗企画としかいいようがない作品なんですが、
全6巻というのは他に例を見ない大作です。しかも時間軸どおりに歴史を追う形式ではなく、
楠木正成・
足利尊氏・
新田義貞の三人それぞれを主人公とする長編漫画(各2冊)の3本立て、いわば「列伝」スタイルのユニークな作品となっています。
こうした形式を選んだ理由について、作者の
横山まさみち氏はこう書いています。
時代の流れと共に 物心に対する価値観は変遷し 人間に対する評価も千変万化する ただ変わらぬものは その人がその人が生涯を通して果たした役割である その人がその時代を生きるためには それぞれの立場があり 考え方があった それを描くために本作品では 古典「太平記」を基にいろいろな資料をあさり 取材を重ね 三人の武将を各二巻ずつの稿に分け 執筆することにした
こうしたスタイルのため、同じ歴史展開が正成・尊氏・義貞それぞれを中心とする視点から描かれることになり、歴史コミックとしては異例の「ザッピング」が
楽しめる構成になっています。もちろん「太平記」の有名どころの話はほとんどとりこぼしておりませんが、その巻の主人公が誰かによって詳しく書かれたり簡
単に済まされたりといった扱いの違いがあります。それぞれを独立した作品として読むといま一つ物足りないかもしれませんが、複雑怪奇な南北朝
(といっても建武政権崩壊あたりまでしか描かれませんが)を漫画という媒体で表現する一つの工夫であったかなと思えます。
なお、横山まさみち氏というと、あの「やる気まんまん」のイメージがどうしても先行してしまうのですが、本作は徹底して硬派な劇画スタイルが貫かれています。未読ですが、この講談社の歴史コミックシリーズでは「真田幸村」「西郷隆盛」も同時期に手掛けていたようです。
一連の南北朝コミックの中ではもっとも長編で、多くの登場人物もしっかりと描き分けられているためでしょうか、本作は同時期に開発されたPCエンジンCD−ROMゲームソフト
「太平記」(インテック)のデザイン面の「原作」とされています。このゲームについて詳しくは「ゲームで南北朝!」コーナーを見ていただきたいのですが、オープニングビジュアルや各武将の顔グラフィックなど、横山「太平記」がかなり忠実に再現されています。
では、以下で各主人公ごとに内容を紹介していきましょう。
◎楠木正成編 最初の二巻は楠木正成を主人公としてますが、全6巻の構想を代表させる意図もあったようで、オープニングは若き日の尊氏と義貞が
北条高時の面前で犬追物をするシーン
(義貞が見事な腕を披露するが尊氏は失敗する。両者の性格を対照的に描き出す)で、そのあとは後醍醐天皇の討幕計画の展開、正中の変・元弘の変をほぼ古典「太平記」に準拠して丹念に描いていきます。おかげで主役の正成の出番はかなり後になってます。
この「正成編」では架空の女忍・
千代が
節々で活躍してます。最初は倒幕密議の無礼講に白拍子として参加して登場、話が進むにつれ実は伊賀の出身で正成のために働く女忍者であることが明らかに
なっていきます。彼女の傍らには常に大きな白犬・熊王が従い、彼女のピンチをたびたび救う大活躍を見せてくれるのですが、南北朝小説に詳しい方はここで
「あれ?どっかで聞いたような」と思うところ。山岡荘八の小説「新太平記」に登場する架空のヒロイン・浅茅(あさじ)とその愛犬・大内山号の姿に瓜二つな
んですね。これは絶対参考
(パクリともいう)にしたんだと思います。
この千代には兄がいる設定で、やはり忍者として各地に出没、佐渡まで行って日野資朝の子・阿新丸(くまわかまる)の仇討話の山伏としても登場します。こちらは吉川英治「私本太平記」の一色右馬之介を参考にしてるような。
肝心の正成ですが、吉川英治や大河ドラマが描いたような田舎のオッサンではなく、戦前同様の天才的軍師・忠烈無比の英雄として実にストレートに描かれてい
ます。古典「太平記」に出てくる正成の大活躍はほぼそのまま、実に講談調に漫画化されているので、素直に面白い。しいて言えば人間味をいまいち感じられな
いキャラクターになってるかな、とも思います。
正成の話と並行して大塔宮・
護良親王の
活躍も丁寧に描かれます。比叡山での挙兵から般若寺の経櫃隠れ、熊野潜伏、吉野攻防戦などこちらもほぼ「太平記」に準拠しています。建武政権成立は2巻の
真ん中あたりなので、その崩壊過程はかなり駆け足になりますが、護良の最期は詳細に描かれます。そうそう、脇道ながら後醍醐隠岐配流の途中の
児島高徳のエピソードもしっかり描かれていて、この正成編はとくに古典「太平記」の内容紹介という性格が強いです。
正成に関しても建武政権成立以後はかなり駆け足になってまして、あれよあれよという間に湊川合戦になってしまいます。関東から京へ攻めのぼる尊氏から正成に「畿内五カ国と南海五カ国を与える」との条件で味方に着くよう誘いが来る
(正成・正季は笑って拒絶)、って描写だけがオリジナルのシーンで、あとはほとんどナレーションで済まされてます。その辺は「尊氏編」で描くから不要ということもあるんですが。尊氏が九州へ逃亡した直後に「尊氏と和睦せよ」と進言したという「梅松論」の伝える逸話も簡単ではありますが描かれてます。
あとは京都に敵を入れる作戦案の提唱、桜井の別れ、そして湊川合戦のクライマックスと、「太平記」に完全準拠。千代は正成の命で
正行を守って河内に帰り、二巻のラストシーンは正成の首を見た正行が自害しようとするのを母・久子が止めるという国定教科書風名場面で終わります。
◎足利尊氏編 さて第3巻と第4巻は尊氏編です。第3巻冒頭は二十歳の高氏が足利荘の氏寺・鑁阿寺(ばんなじ)で祖父・家時の血の置文を読むところから始まります。高氏だけが読むことになっていたのに弟・直義も
「兄者と運命を共にするつもり」と
言って勝手に読んでしまい、以後二人は一蓮托生で天下を望むということになるわけです。この「尊氏編」では全体的に尊氏が「いいひと」に描かれる分、直義
が人相も含めて悪役回りという、直義ファンの方からは不平が出そうだなぁ、と思う傾向がありますね。なお、この置文のシーンはPCエンジンCD−ROM版
でビジュアルシーン化
(ちょっとしたアニメ化)されています。
その後、足利荘で悪事を働いた悪党が隣の新田荘に逃げ込み、両家の間でイザコザになる展開があります。これも吉川英治「私本太平記」を参考にしたと思われますが、この悪党がそのまま義貞に仕えることになるという展開がオリジナル。
尊氏が北条高時と闘犬で賭けをするオリジナルなシーンもあります。この賭けに買った高氏は高時から
藤乃という女をもらってしまうことになり、尊氏は当初断ろうとしますが、そこにいた
佐々木道誉から
「二人や三人の女子、御せぬようでは天下人とは言われませぬぞ」とささやかれ受け取ることにします。この展開からするとこの藤乃が足利直冬の母、吉川版の藤夜叉にあたることになるはずですが、これについてはその後まったく描かれません
(作者も忘れちゃったのか、ページ数がなかったのか…)。むしろこの場面で重要なのは佐々木道誉が尊氏に早くも「天下取り」をささやき、敵か味方かわからぬキャラとして尊氏に強烈な印象を残すこと。なお、この道誉は大河ドラマの陣内孝則と同様、なぜか出家していません。
いよいよ動乱が始まり、高氏も畿内へ出陣。楠木正成がこもる赤坂城攻撃に参加、その戦いぶりを目撃することになっています。そして倒幕の決意を固めた二度
目の出陣では事前に義貞と密談し、途中の近江では道誉とも密談して協力をとりつける描写があります。妻・登子は夫の意図を察して涙ながらに見送るシーンが
描かれてますが、その兄・赤橋守時の戦死は「義貞編」にまわされています。
3巻の終りのあたりで建武政権成立、早くも尊氏と護良親王の対立が始まります。続く4巻で尊氏が道誉経由で
阿野廉子に
はたらきかけ、護良逮捕にもっていく展開に。やはり道誉の出番が多くなるのは尊氏編ですね。そういえば尊氏軍が京都から敗走する際に足利家の「二つ引両」
の旗印の真ん中を墨で塗って新田家の「大中黒」にして紛れ込む兵士がいたというエピソードがありますが、なんとこの漫画ではこれを道誉がやってます!
出家するといって寺にこもったのを直義が偽綸旨で説得したり、九州へ落ち延びた尊氏が多々良浜で奇跡の大逆転勝利を得たりといった「太平記」おなじみのエ
ピソードもじっくり描かれますが、湊川合戦は今度は尊氏視点なので割とあっさり。正成の死に「惜しい男を…」と涙する尊氏が印象的です。この漫画の尊氏は
「怖れるのは正成のみ」とも言っており、どうも義貞は眼中にないようです(笑)。
その後の南北朝動乱の展開は、義貞の北陸での戦いや
北畠顕家の西上、後醍醐の死、そして間をおいて楠木正行の戦死
(ここで「正成編」の千代が再登場)と
少ないページ数をうまいこと使って一通り描かれてゆきますが、もう「尊氏編」じゃなくなってきた感も。さすがに観応の擾乱は超ダイジェストで処理され、師
直の殺害、直義の毒殺、尊氏の死までが1ページに入ってしまうという凄いラストになってます。そのあわただしいなかでの
「信念に生き一途に死んでいった楠木正成、新田義貞がうらやましい。生きて将軍になったわれはいまだ戦の業火に身をさらしている…」という尊氏のつぶやきは名セリフといえましょう。尊氏死後の歴史の展開はさらっとナレーションですまされます。
◎新田義貞編
前者二人に比べるとやや華がない…と作者も思ったんでしょうか、「義貞編」は全体的にオリジナル創作度が高い内容になってます。冒頭は義貞の誕生から語ら
れ、そのとき新田家と足利家の間で水争いが起こっていた設定で、両者の確執と新生児への期待が描かれます。義貞のみ少年期から青年期への成長が描かれ、鎌
倉で
安東重保の娘・
阿弥が高時の寵臣・
黒沼彦四郎の
家臣たちにからまれているところを救ったことから阿弥を妻に迎えるという全くオリジナルの話もあります。のちの鎌倉攻めでこの安東重保は北条氏への義理か
ら義貞の降伏の勧めを断って自害する展開になるわけですが、古典「太平記」ではこの話は義貞の妻の父ではなく伯父ということになっています。
この義貞編では執事の
船田義昌が相談役として若き日から大活躍。弟の
脇屋義助よ
り明らかに目立ってるし頼りになってます。もっともこれも古典「太平記」では「船田入道」と表記されてるのですが漫画では坊主にはなってません。船田義昌
は建武の乱で足利軍との京都攻防戦の際に戦死していて古典「太平記」はその事実を簡潔に記すだけですが、この漫画では義貞をかばって矢を受け戦死するとい
う印象的な最期になりました。
義貞といえば鎌倉攻略戦が最大の見せ場。かねて因縁の黒沼彦四郎を切り捨てて挙兵、稲村ケ崎突破によりわずか半月で鎌倉を陥落させる経過は「太平記」そのままに詳細に描かれます。先述のように赤橋守時をはじめとする北条一族の滅亡の描写は全部この巻で描かれています。
最終巻となる第6巻は建武政権崩壊の展開なので義貞には精彩を欠く場面ばかりのような…ひたすら真面目に純粋に戦い続ける義貞というキャラクター付けもい
まいち面白くありません。尊氏編では簡単に済まされた箱根・竹之下合戦や湊川後の京都攻防戦はこの巻で義貞視点で詳しく描かれますが、一方で金ヶ崎城の戦
いは尊氏編で描かれているため北陸の戦いはややチグハグな印象を受けます。
合戦ではいまいちの義貞に「華」をもたらすのは…そう、
勾当内侍と
の恋物語です。だいたい「太平記」の通りにやってますけど、前巻で馴れ初めエピソードまで描かれた正妻・阿弥さんはどうしちゃったのか、全然出てこなくな
ります(笑)。それとこれは横山まさみち氏だけの問題ではない気がしますが、登場する女性キャラがみんな同じ顔に見えてしまうという大問題が(汗)。
義貞の死も古典「太平記」とほぼ同じ。眉間に矢が当たり、敵に首を奪われまいと自ら首をかき落とす
(刀を両手で持って首の後ろから一気に落とす)描写になってます。この最期は尊氏編でも全く同じに描かれてます
(義貞編のほうが詳細)。
以上の三人の武将を中心にまとめたこの「太平記」、数少ない南北朝漫画中ではひときわ目立つ大作には違いないのですが、残念なのは
後醍醐天皇の描写がほとんどないことでしょうか。全くないわけではありませんが、本来時代の主人公ともいうべきこの人が傍観者的立場に近く、顔すらほとんど見せないというのは困ったところ。やはり天皇そのものをドラマの前面に出すのには躊躇があったのではないかと思われます。
またどうしても建武政権崩壊までで話が終わってしまうため、南北朝時代の前半戦しか描かれなかったのも残念。佐々木道誉を主人公にして2冊ぐらい書けばできたと思うんですけどねぇ。
◆おもな登場人物のお顔一覧◆
他の漫画との比較を目的に選出してるので、出番が多いのに選ばれなかった人やセリフもないのに選ばれてる人もいます。
皇族・公家 |
| | | | | |
後醍醐天皇 | 護良親王 | 日野資朝 | 万里小路藤房 | 坊門清忠 | 北畠親房 |
| | | | | |
北畠顕家 | 千種忠顕 | 阿野廉子 | | | |
北条・鎌倉幕府 |
| | | | | |
北条高時 | 赤橋守時 | 長崎高資 | 長崎円喜 | | |
足利・北朝方 |
| | | | | |
足利尊氏 | 足利直義 | 高師直 | 佐々木道誉 | 赤松円心 | 赤橋登子 |
新田・楠木・南朝方 |
| | | | | |
新田義貞 | 脇屋義助 | 船田義昌 | 阿弥(義貞正室) | 勾当内侍 | 名和長年 |
| | | | | |
楠木正成 | 楠木正季 | 楠木正行 | 千代・熊王 | 児島高徳 | |