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「バカラの勝負」(短編、「バーネット探偵社」第3編)
LA PARTIE DE BACCARA
初出:1928年2月 単行本「バーネット探偵社」 
他の邦題:「花骨牌」「トランプ」(保篠訳)「トランプの勝負」(ポプラ)

◎内容◎

 ルーアンの社交場で殺人事件が発生した。被害者はその直前に四人の男とトランプのバカラのゲームをしていて、その男たちが帰った 後に何者かに殴り殺された、という状況。現場はほぼ密室だが、バルコニーにはすぐ隣の建物のベランダから侵入でき、しかもそのベランダから凶器も発 見される。おまけにその部屋の主には殺害の動機までが存在した。容疑者の妻から救いを求められたベシュはバーネットをルーアンに呼びつけた。五日後、バー ネットのお膳立てで、事件当日の様子が完全再現されることになり、ふたたび「バカラの勝負」が開始される…



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルフレ=オーバール
ルーアンの工場主。妻子ある叙勲者。現場にいたなかでは最年長。

☆ジム=バーネット
私立探偵。「調査費無料」を掲げる。

☆テオドール=ベシュ

国家警察部の刑事。ガニマール警部の直弟子。

☆ジョゼフ
「ノルマンディー・クラブ」の従業員。死体の第一発見者。

☆フージュレー技師
現場のすぐ隣に住む技師。凶器の発見と動機から嫌疑がかかる。

☆フージュレー夫人
フージュレー技師の美貌の妻。夫の無実を信じてベシュとバーネットを頼る。

☆ポール=エルスタン
若く裕福な金利生活者。何者かに撲殺される。

☆ポール=エルスタンの父
被害者の父親。息子のかたきをうつため告発をしようとする。

☆マクシム=チュイリエ

ルーアンの工場主。三十歳ぐらいの独身で眼鏡をかけている。

☆ラウール=デュパン
ルーアンの工場主。妻子ある叙勲者。

☆ルイ=バチネ
ルーアンの工場主。妻子ある叙勲者。


◎盗品一覧◎

◇十数万フランの札束の山
正確な金額は不明だが、四人の男がバカラで負けた金額で、一人当たり最大で8万フランとの明記がある。事件を再現するために使われ、いつの間にかバーネットが偽札とすり替えて頂戴していた。


<ネタばれ雑談>

☆ルブランの故郷での事件

 アルセーヌ=ルパンの生みの親、モーリス=ルブランはノルマンディー地方ルーアンの出身だ。ルブラン自身の愛着と土地勘もあってか、ルパンシリーズではノルマンディーのコー地方がたびたび舞台になることはこれまでの雑談でもたびたび触れてきた。だがルーアンそのものが物語の舞台となるのは実はこの『バカラの勝負』でわずかに二度目。一度目はなんの話だったかと言うと、ルパン最初の脱獄直後のお話『ふしぎな旅行者』だった。あれはルーアンにいる友人たちを訪ねていく途中で巻き込まれた事件だった。

  今回、バーネットことルパンは無事にルーアンの駅に降り立つ。このルーアンの中央を流れるセーヌ川に面した社交場ノルマンディー・クラブが今回の事件の舞 台だ。このノルマンディー・クラブというのはルーアンとその近郊の仲買人や実業家が集まって交流する施設ということだ。
 被害者と「バカラの勝負」をした四人の男たちはマロンム(Maromme)の工場主たちだ。マロンムというのは本文にもある通り、ルーアン市街地の北東4キロぐらいの郊外にある工場地帯だ。現在の航空写真でマロンムの町並みを眺めても、今もかなりの工業地帯であることが分かる。
 ところでこの男たち、偕成社版(矢野浩三郎訳)では「製糸工場の工場主たち」となっているが、新潮版(堀口大学訳)では「紡績業者なる工場主」、創元版(石川湧訳)では単に「工場主たち」、保篠龍緒訳では「製糸工場と製造工場主」と、訳により表現がまちまちだ。気になって原文を当たってみると、この部分は「filateurs et manufacturiers」となっていて、「et」は「〜と〜」だから保篠訳が正しいとしか思えない。底本に違いがある可能性もあるのだが、全員が製糸業というよりは他の製造業も混じっているほうが自然ではなかろうか。

 この作品の解決部分で、バーネット(つまりルパン)は 直接の殺害犯人よりもそれを知ってて見逃した「共犯者」たち、一緒にバカラ賭博をやっていたブルジョア工場主たちに対して激しい怒りの色を見せる。立証で きるものでもないから正当な告発ではないのだが、社会的信用がありながら自己保身に走るブルジョアたちにバーネットの対する怒りのぶちまけぶりはかなりの ものだ。それがラストにあかされる「ちょろまかし」の根拠にもなっているわけだが…
 ルパンはそのシリーズ初期以来、この手の新興ブルジョア層を ひどく嫌い、しばしば盗みの標的にしている。とくに多いのが貴族の称号を金で買ったブルジョア連中だ。今回の場合貴族称号こそ持ってはいないが、「叙勲 者」とあるので社会的ステータスを得ているということでは似たようなものだ。物語世界の中では、ルパンは母親は正真正銘の貴族、父親は貧しい肉体労働者(詐欺師でもあったらしいが)であり、幼いころにはそれなりに社会の辛酸も舐めたために、いわば労働者から搾取をして荒稼ぎし貴族のようにふるまうブルジョア層に対して敵意を燃やす…といった説明が一応できる。
  ただ今度の話の舞台がルーアンだけに、もしかして作者のルブラン自身の屈折した思いがそこに反映していないだろうか――という想像も浮かぶのだ。そもそも ルブラン家が、父親の代で石炭輸送業で成功して成り上がった「ブルジョア」にほかならない。その石炭を売る相手がまさにルーアン周辺の工場主だったらしいのだ。少年期から青年期にかけてルブランが生活に苦労がなく、いい教育を 受けて、結果的に作家になったのもそのおかげではあるのだが、父親の跡を継ぐことを拒否してパリに上京して作家になった経緯もあり、ルブラン自身はそういう自分の出自に屈折した思いを抱いていた可能性はある。この『バ カラの勝負』の物語としての最大の盛り上がりは明らかに工場主たちの「共犯」を鋭く追及するシーンにあり、その妙な熱の入れ方には、バーネットに乗り移っ たルブラン自身の想いが反映されているように感じてしまうのだ。少々悪趣味な読み方だろうか?


☆ミステリとしては少々難あり?

  『バカラの勝負』は推理小説としては変形の密室殺人ものと見ることができる。もちろん完全な密室ではないのだが、本来の入り口の前には従業員がいて内部に 被害者以外の人間が入る余地はない。ただベランダからバルコニーへジャンプすれば出入りが可能。当然その侵入可能な部屋の住人が疑われる…という趣向だ。
 思いつきは悪くないのだが、少々気になる点もある。嫌疑がかかる人物にはその動機がある(と見られても仕方がない)の だが、犯人が疑いをその人物に向ける工作をするは単に「隣の部屋だから」であって、被害者とフージュレー夫人の関係を知っているわけではない。その場の激 情に駆られてやった無計画な殺人なので仕方がないのだが、人間関係と事件のつながりに偶然性が強く、話の作り方としてやや仕込みが弱いという気もする。
  またこの事件の捜査にすでに数週間もかかっているというのも気になる。そしてさらに五日かけたバーネットの捜査と推理は、物的証拠はほとんどなく、あくま で被害者と加害者、そして「共犯者」たちの心理状況の推測の積み重ねにすぎない。推測した「真相」の展開をそっくりそのままに再現することで犯人を心理的 に追いつめ、自白にもっていくという手段をとるのだが(このアイデア自体はかなり独創的で面白い)、もし否定されたらどうするんだ、という印象もある。犯人につきつける「物的証拠」っぽいものといえばメリケン・サックを日ごろから持っていたこと、事業に行き詰まっていたことぐらいしかない。そもそもバーネット自身、自白を引き出したあとになって「彼についても、あなた方についても、証拠は何も持ってない」と白状してしまっているのだ。

 さらに気になるのが、本来トリックの重要部分であったはずの「止まっていた時計」の件が解決部分でまったく触れられないことだ。四人の男たちが部屋を出たのが4時35分(わざわざ従業員に声をかけて時間を記憶させたはず)、 被害者の懐中時計が壊れて止まっていたのが4時55分で、これにより殺害時刻は四人が出て行った20分後と推定されて、四人の男たちには時間的アリバイが できて嫌疑がまったくかからないことになるわけだ。この件、わざわざ読者の注意をひくように書いているのだから解説しなければならないはずだが、まったく 言及のないままに終わってしまっている。「再現劇」により加害者当人が自白してしまったのでその必要がなかった、ということにはなるのだが…
  ちょっと考えれば「殺した後で時計を動かしたんだろ」と予想はつく。ルブランとしてはそれじゃあまりに安易でくどい説明だから書かなくてもいいや、と思っ たのか、それとも展開の面白さ優先で書き進めてたら、そのことを説明する場所がなくなってしまったということなのか…。
 この件、気になる人はやはりいたようで、森元さとるによる「mistery classics アルセーヌ・ルパン編」第 1巻に収録された『バカラの勝負』コミック版では、再現劇による状況証拠をつきつけられても犯人が「時間差」を示して犯行を否定するのに対し、バーネット が「壊れた時計は動かせる」と実演してみせる場面が描かれ、むしろこちらのほうが印象に残る使われ方になっている。このコミック版ではバーネットが犯人を特定 する理由にさらに追加があり、原作以上に「本格ミステリ」していて、僕も結構気に入っている。

 もっとも作者としては密室だのアリバイ工作だのということより、登場人物たちの心理を推理させ、「本当はこうだった」という推理を再現させて、犯人たちを心理的に追い込む、そちらの展開の面白さを優先したのだろうとも思う(なんとなく後年の「刑事コロンボ」あたりに近い気もする)。また、直接的な加害者よりもむしろ「暗黙の共犯」でありながら彼に責任転嫁をして恥じないブルジョアたちを追及するバーネットのほうが印象的に描かれており、謎解き自体はもともとメインではなかった、と言うことできるだろう。


☆「手品師」バーネット

 事件は無事(?)解決し、いつもの「依頼者からのピンはね」もやらなかったのでベシュも思わずほめてしまい、このまま終わるのか…と思いきや、最後にドンデン返しが待っている。これがあるから、このシリーズは面白い。もともとこっちがメインとみるべきなんだろうか。
  実は「再現劇」自体も初めからこの「すりかえ」をするためのバーネットの手段にすぎなかったのかもしれない。いつ偽札とすりかえたのか、本文をよく読んで みよう。この「再現劇」ではバカラの勝負の展開自体も見事なイカサマ技で「再現」されており、バーネット=ルパンの「手品師」ぶりを改めて確認できる(『結婚指輪』以来かな)。そういえば札束のすりかえにしてもトランプでのイカサマ技にしても、スリたちを描いた名作映画『スティング』に似たような場面を見つけることができるな。
 …ただ、いつの間に大量の偽札を用意したのか、って問題はあるんだよなぁ(笑)。『ルパンの脱獄』の裁判シーンでルパンの過去の犯罪のなかに「紙幣偽造事件」というのがあるので、実はルパン一味、偽札造りの工場でも持ってるのかもしれない。その調達のための5日間だったのかも?

 なお、「偽札」という設定に無理があると思ったのか、前述の森元さとるによるコミック版では単に札束をポケットに入れたままおさらばする展開になっている。南洋一郎版の『トランプの勝負』も同様に偽札は使用せず、さらにバーネットのイカサマ工作ではなく真犯人以外の工場主たち三人に事前にわざと負けるよう頼んでおいたことになっている。しかも頂戴した金も全部をふところに入れたりはせず、半分は被害者の父親に弔慰金として贈るとバーネットは言っている(それでも残り半分はしっかり自分のものにしている)。原作では凄まじく激怒するベシュもこちらではわりとおとなしく、一緒にセーヌ川のほとりのカフェに入ってバーネットがコーヒーをおごってやることで丸く収まってしまっている。

 バカラ賭博についてはここで説明しても…とも思うが、一応。
  よく説明で使われる例えが、「トランプ版おいちょかぶ」である。親(胴元)と子に分かれて勝負し、配られたトランプの数字を足していって、そのひとケタ目 の数字の数を競う。10以上の札は全てゼロとして扱い、合計数で一番強いのが「9」。小説中でも勝ちまくっている表現で「9や8の札が次々と来る」と書い ている。カジノでは定番のトランプ賭博で、スピーディーでかつ高額の賭けになりやすい。森元さとるによる漫画版でもルールが読者にわかりやすいように原作 にはない勝負の展開が具体的に描かれている。
 余談ながら映画「007」シリーズの第1作「ドクター・ノオ」でショーン=コネリー演じるジェームズ=ボンドの初登場シーン、「ボンド、ジェームズ=ボンド」とよく知られる名乗りを最初にあげるシーンでやってるゲームがまさにこの「バカラ」だ。

 『バカラの勝負』は展開と結末が印象的なせいか、その後もバーネットとベシュの活躍(?)の代表として『バール・イ・ヴァ荘』のなかで『十二枚の株券』と共に引き合いに出されている。ジョルジュ=デクリエール主演のTVドラマ版「怪盗紳士アルセーヌ・ルパン」の一編『バーネット探偵社』でもバーネットの秘書が『バカラの勝負』の事件についてセリフで触れる箇所がある。
 では『バカラの勝負』はドラマ化されていないのか…というと、そうでもない。デクリエール版「ルパン」の第二シリーズの一編『ダブル・ゲーム(DOUBLE JEU)』は 一応原作のないドラマオリジナルストーリーなのだが、トランプゲーム(ポーカー)を終えて客が帰ったあとの密室状態で殺人がおきて無実の人に嫌疑がかかる こと、殺害時刻が壊れた時計から推定されるが時計の針が動かされて時間的アリバイ工作がされていることなど、明らかに『バカラの勝負』をベースにストー リーが作られている。時計のくだりや原作にはない被害者もイカサマをしていたという描写は森元さとるのコミック版によく似ており、森元氏はむしろこちらを 参考に書いたのかもしれない。


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