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「ルパ ンの脱獄」(短編)
L'ÉVASION D'ARSÈNE LUPIN
初出:1906年1月「ジュ・セ・トゥ」誌12号 単行本「怪盗紳士ルパン」所収
他の邦題:「アルセーヌ・ルパンの脱獄」(新潮・ハヤカワ)「アルセーヌ・リュパンの脱走」(創元)「ルパンの脱走」(ポプラ)

◎内容◎

 「ぼくは裁判に出ない」と言い放ち、ラ・サンテ刑務所からの脱獄を予告するルパン。ルパンが刑務所の外の仲間との連絡をしていることを確認した警察当局 はわざとルパンを泳がせて罠にはめようとするが、失敗。やがてルパンの裁判の初日を迎えるが、被告台に立った男は弱々しい声で名乗った。「デジレ=ボー ドュです…」



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン(Arsène Lupin)
青年怪盗紳士。「ルパン逮捕される」でアメリカ上陸時に逮捕され、現在パリのラ・サンテ刑務所に収監され裁判を待つ身。

☆ガニマール警部(Ganimard)
執念でルパンを逮捕した敏腕老刑事。ルパンとは奇妙な友情(?)でも結ばれ、ルパンの事を知り尽く しているが…

☆ジュール=ブービエ
(Jules Bouvier)
ルパンの予審判事。知らぬ間に懐中時計をルパンにくすねられた。何ヶ月もルパンを尋問したが成果は 上がらず。

☆ダンバル(Danval)
大物弁護士。ルパンの弁護人を担当しているが、ルパンがろくに話さないので仕事にならない状態。

☆デジレ=ボードリュ(
Désiré Baudru)
いつの間にかルパンと入れ代わりに刑務所に入れられていた浮浪者。

☆デュージー(Dieuzy)

パリ警視庁の刑事。本作で初登場。


☆デュドゥイ(Dudouis)
国家警察部部長。

☆フォランファン(Folenfant)

パリ警視庁の刑事。本作で初登場。


◎盗品一覧◎

本作では盗みは一切なし。


<ネタばれ雑談>

☆アッと驚く脱獄トリックの名作

 本作「ルパンの脱獄」で怪盗アルセーヌ=ルパンのキャラクターは完成したと言っていいだろう。予告した上での鮮やかな脱獄作戦は「変装のルパン」ならで はの独創性に満ちているし、二段がまえのドンデン返しのストーリー構成は見事というほかは無い。この時期までのルブランが娯楽小説についてはほとんど素人 だったことが本当なのかと思えるほどの完成度だ。このあたりから作者も新ヒーローの誕生を実感して乗りに乗ってきたのだろう。
 ルパンが投獄され脱獄するのはシリーズ中三回ある。残りの二つ、『813』と『虎の牙』はいずれも政治的な駆け引きによる脱獄、というよりも超法規的放 免と呼ぶべきもので、警察当局や刑務所の裏をかき、本当の意味で脱獄するのは本作だけだとも思える。

 『獄中のルパン』においても触れたが、1971年にフランスで放映されたTVドラマシリーズ「アルセーヌ・ルパン」(ジョルジュ=デクリエール主演)で は「ルパン逮捕される」という1話があり、1時間弱のドラマの中で特に「獄中のルパン」「ルパンの脱獄」がこのシリーズにしては珍しく(全体的にパロディっ気が強いシリーズなのだ)、かなり原作に忠実な映像化がなされている。原作が短編 ということもあるし、シリーズ中屈指の名編でもあるからヘタにストーリーをいじるのは避けたのかもしれない。
 このシリーズは日本でもDVDで全話が発売されていて、特にこの「ルパン逮捕される」の回はお奨めなのでぜひご鑑賞を。原作には無いルパンとデジレ= ボードリュが刑務所内で顔を合わすシーンがあり、いつの間にかルパンがボードリュになりすます(思いっきり メイクで作ってますが)展開に映像的な工夫が凝らされている。変更点はガニマールがゲルシャールに変更されていること(このシリーズは全話がそうなっている)、裁判でのどんでん返しがない、そして時代設定が1928年に なっていること、そのぐらいだ。

 なお、ルパンに脱獄されてしまったラ・サンテ刑務所はもちろんパリ市内に実在し、今日でも「営業」を続けている。以前その内部の模様をTV番組で見たこ とがあったが、さすがは人権の国フランス、独房はTVもエアコンもあってなにやら快適そうだった覚えがある。


☆変装名人ルパン

 「ルパン逮捕される」の中でチラリと触れられてはいたが、ルパンがその変装名人ぶりを初めて発揮するのが本作。しかも「ちょっと似てる人物」に変装して しまうところがミソ。あらかじめ似た実在の人物を用意しておいたところも周到だ。
 なお、一部児童向け訳本でルパンが変装する人物の名前を「ボード リュ=デジレ」と逆にしているものがあるが、これは裁判で名を名乗る場面では「姓→名」の順で「ボードリュ、デジレ」と名乗っているのを誤 解したためと思われる。それと分かっている訳本ではこの名乗りの部分をあえて「名→姓」の順に入れ替えているものが多い。

 さてガニマールの前に正体を現したルパンは自らの変装テクニックについて詳しく説明している。それによればルパンはサン=ルイ病院のアルティエ博士の実 験室にロシア人学生になりすまして出入りし、一年半の間にさまざまな薬品を駆使して皮膚や毛髪、声を変える技術を学んだという。本作でルパンは自分に微妙 に似ているデジレ=ボードリュに変装するために減食し、口をゆがめ、背中を丸める運動を何千回(!)も行って徐々に変装を進めて行き、最後にアトロピンを 五滴目にさして仕上げている。アトロピンはナス科のベラドンナから抽出される薬で瞳孔を開く効果があり、実際ヨーロッパでは古くから使用されていた。ま た、直接の言及は無いが、裁判でのボードリュの描写に顔に赤い斑点があることが見え、これも薬品を塗ったものであろう。

 またルパンは自らの人体測定カードのデータを全て改竄していた。これは金をつかって改竄させるという意外と単純な裏技を使っているが、ルパン自身将来の 備えて人体測定について勉強していたことを打ち明けている。ここでルパンが言及する「人体測定法の創始者ベ ルティヨン」 とは、パリ警察にいたアルフォンソ=ベルティヨンのことで、犯罪捜査における個人識別法を確 立し司法写真を初めて導入したことでも知られる。特に頭蓋骨の形状・寸法に注目するベルティヨン方式はまだ指紋による識別法が確立していなかった19世紀 後半から20世紀初頭にかけ一世を風靡し、ベルティヨン方式による身体のデータを記録した身分証明書が作られていた時期もあった。ルパンが人体測定カード なるものを改竄する背景には、そういう犯罪捜査の時代であったことを理解しているといっそう面白い。

 さらにルパンは自分が脱獄計画を進めていると警察に思わせるため、筆跡を変え一人二役を演じた手紙を書いている。「ぼくはどんな書体だって書ける」と豪 語しているが、これも将来の仕事のために訓練していた時期があるのだろう。


☆ルパンの過去に関する多量の情報

 この作品の時点では『女王の首飾り』も『カリオストロ伯爵夫人』も執筆されていないので、アルセーヌ=ルパンがいかにして名高い大怪盗になったのかは一 切明かされていない。作者ルブランも『ルパン逮捕される』でいきなり彼を逮捕させるにあたって何やらいろいろ大活躍をしていたことにはしているが、詳しい ことは書いていない。
 『ルパンの脱獄』ではシリーズ中唯一ルパンの裁判が行われるシーンがあるため、ルパンの犯罪歴、そして修行時代についての多くの情報が簡単ではあるが列 挙されている。それらは物語化はされていないため、ルパンマニアとしてはあれこれ想像をめぐらして楽しんでしまうところだ。
 まず、予審判事の尋問に対してルパンが答えたセリフに出てくる「ルパン関与事件」を列挙してみる。

リヨン銀行盗難事件/バビロン通り窃盗事件/紙幣偽造事件/保険証偽造事件/アルメスニル城館強盗事件/グーレ城館 強盗事件/アンブルバン城館強盗事件/グ ロセリエ城館強盗事件/マラキ城館強盗事件

 最後の「マラキ城館強盗事件」は前作『獄中のルパン』で描かれたもの。それにしても紙幣や保険証を偽造するという細かいこともしていたのがちょっと意 外。このあとの裁判の場面ではルパンの犯歴に「詐欺」もあったことが記されている。

 裁判の始まりにあたって裁判長が「デジレ=ボードリュ」に対して「確か八つめぐらいの名前だな」と 言って、ルパンの過去に関する情報を列挙する。これがまたバラエティ豊か。年代順に並べてみると…

(1)(8年前)ロスタと名乗り、奇術師ディクソンの助手として働く。
(2)(6年前)ロシア人学生になりすましてサン=ルイ病院のアルティエ博士の実験室に出入りし、細菌学に関する巧みな仮説と皮膚病に関する大胆な実験で 博士を驚嘆させる。
(3)ヨーロッパでまだ一般に知られていなかった柔道をパリで教えていた。
(4)世界大博覧会の記念自転車レースで優勝、1万フランの賞金を手に姿をくらます。
(5)慈善バザー会場の火災の際に多くの人々を救出、と同時にその人々から金品をくすねる。


 『ルパンの脱獄』の年代は本文中からは分からないが、ルパンの逮捕後数ヶ月もの時間をかけた予審が行われたこと、ルパンが一度「脱獄」してから刑務所に 戻り独房に入れられてから二ヶ月が経過していること、そして前作『獄中のルパン』が9月〜10月の事件と判明していること、そして本作のラスト近くのガニ マールのセリフに「暑くないですな」というのがあること、などなどから1900年春か夏の事件と推測することが出来る。
 仮にそうだとすると、奇術師ディクソンの助手をしていたのは1892年。サン=ルイ病院に出入りしていたのが1894年ごろ(ルパン自身は1年半勉強していたと言っている)ということになる。このとき二十歳と推定されるルパン は『アンベール夫人の金庫』『カリオストロ伯爵夫人』といった冒険を医学勉強と同時進行で行っていたことになる。

 柔道とルパンの関わりも注目点だ。講道館柔道を創始した嘉納治五郎がフランスにやって来た のは万博にあわせた1889年のこと。普及はそれからということになるからルパンはその直後になんらかの形で柔道を学び(もしかすると治五郎が直々に教えたのかも(笑))、1890年代はじめごろにルパンは柔道教師をして いたと推測される。実際この物語の最後にルパンは柔道の技「ウデヒシギ」 でガニマールの動きを封じている。一瞬で終わる格闘のため詳しいやり方が分からないが、どうやら立ったまま相手の腕を押さえ、骨折寸前までひねりあげて腕 を一時的に使用不能にしたらしい。「ウデヒシギ」について筆者は以前ルブランが寝技を勘違いしたものかと思っていたが、当サイト内の「史劇的伝言板」で詳 しい方から立ち技もあることを指摘されたことがある。
 なお、この場面でルパンが「オルフェーブル河岸(パリ警視庁)の連中が柔道を習っていればわかるはず」と 言うように、1900年時点で柔道は実用的格闘術として警察でも導入されていたようだ。ルパンの宿敵ホームズも柔道とおぼしき「バリツ」なる格闘技でモリ アーティ教授を滝に落っことしていることは有名。
 ルパンのおかげかどうかは知らないが(笑)、現在のフランスの柔道人口は日本のそれの倍にも達し、世界の柔道大国になっている。

 ルパンがその記念レースに出て優勝したという「世界大博覧会」とはいわゆる「万博」のことで、パリ万博は19世紀に何度か開かれているが、年齢的にルパ ンが出場できるのは1889年、フランス革命100周年でエッフェル塔が建てられたときの万博しかない。1900年のパリ万博の可能性もあるのだが、 1899〜1900年はルパンが獄中にいたと推測されるので除外せざるを得ない。しかし柔道教えたり自転車レースで優勝したりしたのがルパン15、6歳の ころってことにもなっちゃうんだけど。
 「慈善バザー会場の火災」というのは1897年5月4日に実際に起こったもの。この会場ではリュミエール兄弟の発明になる映画の上映も呼びものになっていたのだが、その映写機具から発火して大火災となり、126名の命が失われた。犠牲者には上流階級の女性が多く含まれており、中でも有名なのはオーストリア帝国のエリーザベト皇后の妹でフランス貴族に嫁いでいたゾフィー=シャルロッテ=ウィッテルスバッハである。ルパンはこの事件のとき23歳だった計算になる。
(以前「慈善バザー」のところを「ラ・シャリテ百貨店」と紹介していましたが、これは一部訳本の誤訳によるものと判明しました)

 しかし裁判長も言うように、これ以前、つまり奇術師の助手をつとめる以前のアルセーヌ=ルパンについての情報は当局もつかんでいない。彼の少年時代は まったく不明になっているのだが、これはルパン自身が自分の過去の隠滅工作をしていたためであることが『カ リオストロ伯爵夫人』で判明している。


☆パリを散策するルパン

 フランスといえば花の都パリ。当然ながらルパンもしばしばパリで活躍するパリっ子である。ルパンシリーズでパリが舞台となるのは珍しくもなんともない が、『ルパンの脱獄』ではルパンがパリ市内を散策する模様が描かれ、パリ市街地図を片手に読むといっそう味わい深い。
 本作でルパンは本番の前の小手調べの脱出をこころみている。セーヌ川の川中島・シテ島にある警視庁で取調べを受けたルパンはサン・ミシェル橋を渡り、サ ン・ミシェル大通りを運ばれる途中、サン・ジェルマン通りとの交差点で護送車から脱出する。そしてサン・ミシェル通りのカフェのテラスで一杯やってから スーフロ通りを斜めに横断し、サン・ジャック通りを通ってポール・ロワイヤル大通りへと出る。そこでちょっと考えた後、何食わぬ顔でラ・サンテ通りに入り ラ・サンテ刑務所に戻ってくる。
 この「ルパン脱走コース」については和田英次郎氏『ベル・エポックを謳歌した伊達男・怪盗ルパンの時代』(早川書房)でパリ散策コースの一つとして詳し く紹介されており、今でも往時を偲べる、ルパンファンなら一度は行きたい名コースのようだ。


(1:25000。上図はもちろん現代のパリ地図。でも通りはほとんど当時のまま

  デジレ=ボードリュに成りすましてまんまと脱獄するルパン。しかしガニマールはボードリュが気になってこれを尾行する。このコースはパリ市 内を大きく移動し、しかも当時の乗合馬車や路面電車を利用しているため今日では再現するのがなかなか難しいかも。
 ラ・サンテ通りを出たルパンはサン・ジャック通りを進み、セーヌ川を渡ってシャトレ広場にやってくる。ここで植物園-バティニョール駅間の乗合馬車に 乗ってデュージー・フォランファン両刑事をまいてしまい、ラファイエット百貨店前の交差点で下車。ここでラ・ミュエット駅行きの路面電車に飛び乗り、オス マン通り→ビクトル・ユゴー通りを経てラ・ミュエット駅で下車してブーローニュの森へと入っていく。老ガニマールも尾行するのはひと苦労だったんじゃない かと。


(1:100000)


☆ルパンの高尚な趣味?

 最後にこのエピソードに何気なく書いてあって気になる件について。
 ルパンはどうやってかは分からないが自分の独房にいろんなものを持ち込んでいる。『獄中のルパン』でも新聞を購読し郵便局の領収書を集めている描写があ るが、本作ではルパンの独房をデュドゥイらが調べると不思議な発見物が出てくる。これがまたえらく高尚な書籍なのだ。
 ひとつはカーライル「英雄崇拝論」 英語版。トーマス=カーライル(1795-1881)はイギリスの評論家・歴史家で、「フランス革命史」や「フリードリヒ2世の歴史」などをものした大 家。「英雄崇拝論」は正しくは、『英雄および英堆崇拝論 On heroes and hero-worship』(1841)という。
 もう一つは1634年にライデンで刊行されたドイツ語訳「エピクテトス概要」。しかも 17〜18世紀に名を馳せたオランダのエルゼビール書店の版本というまさに年代物である。エピクテトスと は1〜2世紀のローマ帝国に生きたストア派の大哲学者である。
 この二冊をルパンがどういうつもりで所持していたかはさっぱり分からない。どのページにも爪あとがあり、アンダーラインや書き込みがあったというから愛 読していたらしくもあるが(ルパンのことだから英語とドイツ語ぐらいは出来たんだろう)、こ こでは警察の判断を迷わせるための作戦だったようにも見える。『カリオストロ伯爵夫人』で二十歳のルパンが「ホ メロスをギリシャ語で、ミルトンを英語で暗誦してみせようか」と豪語していたし、『奇岩城』でも「セネカの『ルキリウスへの書簡』」を読んでたりしてたこともあるから、ルパンは古典文学の造詣も深 かったとは思われるが。

 独房でルパンが手にしていた葉巻はヘンリー・クレー。19世紀初頭にアメリカの国防長官を務めた人物の名に由来し、キューバで生産されていた(現在はドミニカ共和国で生産している)。国家警察部部長であるデュドゥイ氏が「ぜいたくなやつだな」といまいましそうに叫んで「愛煙家らしく」耳のそばで指で弾いたりしているとこ ろからも当時かなりの高級ブランドであったことがうかがえる。何事にも一級品を好むルパンらしい。

 『獄中のルパン』でチラッと出てきた新聞「エコー・ド・フランス」がまたもや登場し、ルパンの脱獄未遂事件を詳細に報じている。「ルパンの冒険快挙を報じる正式報道機関」などと呼ばれ、「ル パンがこの新聞の主な出資者のひとりとの噂がある」ことが初めて言及されている。


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