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ヴィクトール=ダルレ/アンリ=ゴルス・作
「戯曲アルセーヌ・ルパン対ハーロック・ショームズ」(四幕物)
ARSÈNE LUPIN CONTRE HERLOCK SHOLMÈS
初出:1910年
邦訳:トサカ文庫(萩原純 訳) 

◎内容◎

 パリ社交界の中心人物、ミランド大公は実は怪盗紳士アルセーヌ=ルパンの変装だった。社交界に出入りする資産家ゴッドリープがトルコ要人から預かった「スルタン・ダイヤモンド」をルパンはまんまと盗み取る。アメリカへ高飛びするつもりだったルパンは、かつてアメリカで恋に落ちた女性モード=クラークと偶然再会し、彼女を追ってパリへ舞い戻る。そのルパンを追跡する宿敵ガニマール警部、さらにイギリスの名探偵ハーロック=ショームズが息子フレッドと共にルパンからダイヤを取り返そうと挑んでくる。



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン
怪盗紳士。

☆アンドレ=ロルジェリー
フランスの青年。アメリカに渡ってミス・クラークに求婚するも貧しさゆえに果たせず帰国。

☆ガニマール警部
パリ警視庁につとめるベテラン刑事でルパンの宿敵。

☆ガンピヤール
ガニマールの部下の警官。

☆サロモン=ゴッドリープ
ドイツ系ユダヤ人の大富豪。宝石商および高利貸しをしている。

☆サン・ガティマン
社交界の仲間。

☆大臣
警察を統括する大臣。

☆デセプフェット夫人
社交界の常連。

☆ナジール=パシャ
トルコの要人。

☆ハーロック=ショームズ
イギリスの名探偵。

☆バチスト
ミランド大公の老執事。

☆ピエシュー
ガニマールの部下の警官。

☆フイナール
ルパンの部下。手癖が悪く、すぐに何かをくすねてしまう。

☆フレッド(小ハーロック)

ハーロック=ショームズの息子。

☆マリウス
髪結い

☆ミス・ムーア
社交界の常連。

☆ミス・モード=クラーク
アメリカの富豪の令嬢。以前アンドレ=ロルジェリーことルパンに求婚された。

☆ミランド大公
社交界で有名な上流貴族。実はルパンの変装。

☆モニエ
サーカスの興行師。

☆モリロン
ガニマールの部下。

☆レイモン=ルーヴェール
検事ヴァンサン=サラザの秘書。

☆レベッカ=ゴッドリープ
富豪ゴッドリープの妹。

☆ロズレイ
社交界の仲間。

☆ロルメル
社交界の仲間。


◎盗品一覧◎

☆ポルディーニ筆の肖像画
 当時実在したイタリアの肖像画家ボルディーニが描いたアメリカの富豪令嬢の肖像画。ルパンがガニマールの肖像画とすりかえる。

☆スルタン・ダイヤモンド
 トルコ王室が所有するダイヤ。損失補填のために売却が決定されたが、その値段は三千万フランと推定される。

☆サイタファネスの王冠
 ルーブル美術館に所蔵されていた古代ギリシャの金細工。現代の贋作と鑑定されたが「本物」はルパンが盗み出していた。
 
☆聖体入れの鳩
 中世教会で使用された聖体入れ、

☆アンバザックの聖遺物箱
 12世紀フランスで作られた聖遺物箱。

☆イシスの彫像
 詳細不明だがエジプトの神像か。

☆エミリエンヌ=ダランソンの首飾り
 当時実在した女優の首飾り。


<ネタばれ雑談>

☆ルブラン公認、ながらく幻だった最古のパスティシュ戯曲

 この「アルセーヌ・ルパン対ハーロック・ショームズ」と題する戯曲は、モーリス=ルブランもバリバリ現役でルパンシリーズがリアルタイムで人気を博していた1910年に上演された舞台劇の脚本である。ただしルブランは直接はタッチせず、彼の公認のもとにヴィクトール=ダルレアンリ=ゴルスの二人によって執筆されたもので、一応ルブランの同名小説(日本でいうところの「ルパン隊ホームズ」)を原作としつつ、かなり自由に脚色・創作をくわえたパロディ色の強い作品になっている。作者公認ではあるが別人の手になるため 「パスティシュ」に位置づけられる作品で、現時点でもっとも古いルパン・パスティシュであろうと言われている。

 この作品、その存在自体はルパン愛好家・研究家の間では知られていたらしいが、日本での翻訳はおろかオリジナルのテキストも見つからず、長いこと「幻の作品」とされてきた。ところがルパン誕生百周年の2005年、アメリカの出版社からペーパーバックの「ルパン対ホームズ」英訳本シリーズ(原作の「ショームズ」を全てホームズに変更している)が刊行され、『金髪の美女』『奇岩城』に続いて『ArseneLupin vs Sherlock Holmes:The Stage Play』と題して、本作の英訳版が送り出された。僕も数年遅れくらいでその存在に気付いてアマゾン経由で購入、自分で翻訳してみようともしたのだが、語学力と根気不足のために途中で放置状態になってしまっていた(笑)。『ルパン、最後の恋』の時もフランス語原書を即座に入手して翻訳を試みたりもしたけどおんなじ結果になったなぁ(笑)。

 で、英訳本は入手したものの僕が放置状態にしているあいだに、ルパン研究家の住田忠久氏や本戯曲の翻訳を手がけた萩原純氏ら、熱心なファンたちの追跡調査の結果、フランス国立図書館に原著が保存されていることを確認、そのテキスト入手に成功して、2020年についに日本語訳刊行が実現することとなった(詳しい経緯は訳者解説を参照)。なお現在、著作権の切れたルブラン作品の多くは原文をネット上で確認することができるが、本作もこの追跡調査がきっかけなのか、フランス国立図書館のウェブサイト「Gallica」で読めるようになっているとのこと。

 そんな経緯で一世紀ぶりで日の目をみたこの戯曲。読んでみるとやはり別作家による作品ということもあり、ルブランが手掛けた小説とも戯曲ともだいぶ異なる趣を持っている。怪盗紳士ルパンの変幻自在ぶりはそのままだがその過去設定はかなり変えてあるし、ルパンの部下たちもオリジナルキャラばかり、宿敵ガニマール警部は完全に間抜けなギャグキャラクターにされている(「三世」の銭形警部もアニメではその傾向があったなぁ)
 そしてタイトルにもあるイギリスの名探偵ハーロック=ショームズは、名前こそ「ルパン世界におけるホームズみたいな人」そのままだが、キャラクターはルブラン原作とはだいぶ異なる。なんといっても10歳前後と思われる可愛い息子フレッドがいる。しかもこの息子さんの方が下手するとパパ以上に大活躍しちゃってるんだから…(笑)。彼の登場のため元祖のホームズはもちろん、ルブラン原作のショームズからもだいぶ違う「名探偵」となってしまったが、このフレッド君のおかげで大人から子供まで楽しめる舞台になってるのではなかろうか。
 
 その一方で、この戯曲は節々にルブランの小説を下敷きにしたと思しきところがある。まずルパンとショームズが偶然出くわすのが駅のカフェであること(小説では駅近くのレストランだが)、ショームズがわずかな手がかりからルパンの隠れ家への通路を見つける展開、捜査の過程でショームズが何度かルパンの罠にかかって窮地に陥ったり、ルパンの恋人の身柄と引き換えにダイヤの引き渡しを要求するところ、ラストの駅でのちょっとビックリな別れの場面などなど、いずれも『金髪の美女』からヒントを得たと思われる、「見覚えがある」シーンだ。ショームズの顔を立てるために失敗役はガニマールに押し付けた形になっているのもルブラン原作を参考にしたのだろう。

 戯曲全体についていえば、訳書の解説にも紹介されているように当時もあまり評価はされなかったらしい。オリジナル戯曲であるためか、場面場面は喜劇風味のやりとりが面白く、大掛かりな舞台装置を使った派手な演出もあり、そこそこ楽しめる。その代わり芝居全体のまとまりはかなり悪く、ドタバタ騒ぎの末に結局何がどうなったのか分かりにくい、という欠点がある。肝心のルパンとショームズの知恵比べも盛り上がらないし。それを補ってくれるのが「小ハーロック」ことフレッド君の大活躍というわけで、いっそこのフレッド君とルパンの直接対決が見たかった気もする。


☆「ルパン正史」にリンクする、外伝的存在

 さて、このようにルブラン作品ではないパスティシュ、パロディ的趣向の作品となっている本作だが、実はルブランの手になる「ルパン正伝」と重大なつながりをもっている。そのことは、本作が読めるようになる以前の段階でルパン研究家の住田氏の文章で紹介されていて、当サイトの『続813』のネタバレ雑談内で触れさせてもらっている。
 『続813』の終盤、ルパンが過去に恋愛関係にあった女性たちの名を列挙するなかで「ミス・クラーク」の名が出てくるのだが、そんな名前の女性はルブラン原作には一切登場せず、「誰それ?」と僕も長らく不思議に思っていた。実はこの戯曲の中で「ミス・モード・クラーク」なるヒロインが登場していることが判明して、内容を読む前に一応謎は解けていたわけなのだ。

 ルブランはフランシス=クロワッセと共作の戯曲『アルセーヌ・ルパン』(「ルパンの冒険」)で登場したヒロインのソニア、乳母のビクトワール、部下のシャロレらを『奇岩城』や『白鳥の首のエディス』といった自身の小説で特に説明もなく再登場させた例がある。戯曲、舞台劇という別メディア、それも他人との共作の中で登場させたキャラクターをそのまますんなりと自身の小説内に「逆輸入」させているのは今見るといささか奇異な感もあるが、当時のルブランは特に問題とは思わなかった、ということだろう。当時舞台もヒットしていたし戯曲も出版されているので、読者も説明不要でついてきてくれると判断していたのかも。

 この戯曲「ルパン対ショームズ」に登場したヒロインの名を何の説明もなく『続813』で言及させたのも、ルブランとしては特に深く考えず、ごく自然にやったことではないかな、とそのあっさりした記述から推測したこともある。あるいは他人の手になる作品ながらもルブランがこの戯曲を気に入り、自身のルパン世界の中の1エピソードとして公認していた、それを上演直後に書いた小説内でさりげなく示した、ということかもしれない。

 これで「ミス・クラーク」の謎は解決し、本作は「ルパン正史」とリンクする作品ということになったのだが、「正史」と矛盾してしまう設定も多々出てくる。ルパンがこのモード=クラークと恋愛関係になり求婚までしたのは、この物語より数年前のアメリカでのこととされている。ルパンのアメリカ渡航、アメリカ人女性との恋と言えば『ルパン逮捕される』を連想させるが、本作でのルパンは「アンドレ=ロルジェリー」が本名であり、貧しさゆえに相手の父親から結婚を許されず、そのために怪盗アルセーヌ・ルパンとなった、という全くオリジナルの設定がある。ルパンが「アルセーヌ=ルパン」と名乗ったのは『アンベール夫人の金庫』の時だとして、それ以前の話と無理やり解釈できなくもないが、「アンドレ=ロルジェリー」だった、という話はどうやっても無理が出てしまう。もちろん、ルパンの出自関係はルブラン作品の中でもあれこれ矛盾は出てるので、「異説」の一つとして扱えばいいのだろうけど。

 ただこのミス・モード=クラーク、本作のヒロインでありながら、どうも影が薄い。一言でいえばキャラが立ってない。登場も途中から唐突だし、ルパンとのやりとりも断片的で、二人の関係がドラマにうまく組み込めないまま、いつの間にか登場しなくなって話が終わってしまった印象。全体的にコメディ色が強いドタバタ系舞台劇なので、ラブストーリーを組み込みにくかった、ということかもしれない。そんな中でも見どころはルパンがミランド大公という老貴族に変装したまま、ミス・クラークとアンドレ=ロルジェリーすなわち自分自身の間を取り持とうとする、変装名人ルパンならではの場面だ。

 なお、『続813』の書きぶりからすると、その時点でミス・クラークはすでに故人となっている。これは同じく戯曲で登場したヒロイン・ソニアと同じで、作品ごとに異なるヒロインを登場させるルパン・シリーズの趣向のために作者により「殺された」ということで、ホントにどこまでも影の薄いヒロインだと思わざるを得ない。


☆その他あれこれ

 本作における悪役…というほどでもなく、道化役の一人といったところだが、ガニマール以外で徹底的にコケにされているのがサロモン=ゴッドリープ。ルパンシリーズでもルパンの標的にされることが多い、成り上がり富豪で貴族の仲間入りを狙っている人物だ。セリフによると高利貸しを営むユダヤ系で、しばしばドイツ語を口走ることからドイツ系と察せられる。わざわざこの設定にしているのは、当時フランスでもユダヤ人イメージがこんなものだった、ということでもあるし、なおかつ第一次世界大戦直前の時期のドイツ人への敵対視気分が広がっていた世相を反映してもいるのだろう。同時期のルブランの『813』でもダイヤモンド王ケッセルバッハはドイツ系だし、そもそもドイツ皇帝当人までが登場する(悪役ってわけではないが当時のドイツ人からすればやはり問題だろう)


 そのゴッドリープとあれこれ絡むのが、トルコ人ナジール=パシャ。「パシャ」というのは当時のトルコ、オスマン帝国において大臣や将軍など要人につけられる呼称で、ナジールの具体的地位は不明ながら政府要人クラスの人物であることは推察できる。セリフでトルコを指して「メソポタミア」という表現が出てくるが、これは現在のイラクにあたるメソポタミア地域もオスマン・トルコ帝国の領土であったため、トルコを遠回しに指す表現として当時使われたのかもしれない。

 当時のトルコは1908年に起こった「青年トルコ人革命」により改革派軍人たちが政権を握り、特にドイツとの急接近を進めていた。この戯曲ではそうした情勢までは言及されていないが、ドイツ人のゴッドリープとトルコ人ナジールがつるんでお笑い担当みたいになっているあたり、当時のフランスでのドイツおよびトルコに対する意識を反映している観もある。
 トルコ系の悪役キャラでは、第一次大戦中に書かれた『金三角』エサレス=ベイの例もあるが、戦争前のこの時期ではまだ余裕はある感じもする。ゴッドリープの妹レベッカがカツラだったからって一度は婚約破棄したナジールが、最後にはレベッカの猛アタックを受け入れて、一応めでたくまとまってるラストは読んでいてホットしたところでもある。


 この戯曲では目まぐるしく場面が変わるが(そのため話の展開も散漫な印象)、そのうちの一つに「ルナ・パーク」という遊園地がある。これはちょうどこのころパリに開園したばかりの遊園地で、もともとはアメリカで始まったもの。1903年にニューヨーク近郊の観光地コニーアイランドに建設されたものが第一号で、それ以後世界各地に「ルナ・パーク」の名を冠する遊園地が建設され、パリではマイヨ門近くに建設されてこの戯曲上演の前年、1909年から営業開始していた(1907年説もあるようだが詳細不明)。当時の代表的大衆娯楽である舞台劇だけに、当時の流行を作中に取り入れた、ということなのだろう。

 このルナ・パークの場面で人々が「ジェットコースターに乗ろう」と言っていて、「こんな時代にもうあったの?」と読んでいて驚いたが、調べてみるとジェットコースターはすでに19世紀の末、この戯曲より四半世紀ほど前の1884年にやはりコニーアイランドに建設されたものが最初とのこと。確認はしていないが当時のパリのルナ・パークにもジェットコースターがあり、人々の注目を集めていたという事だろう。
 なお、パリのルナ・パークは「ルパンの時代」を通して営業されていたが、世界恐慌のあおりで1931年に閉園に追い込まれている。


 これ以外にも、本作のセリフ中には当時の政治家・軍人、俳優や舞台についての言及があちこちにあり(詳しくは訳書の注釈参照)、これも当時の観客に演劇ならではの「同時代感」を覚えさせたことだろう。
 劇中、ルパンの隠れ家の中に「サイタファルネスの王冠」の本物が置かれているシーンがある。これも当時は知られた話で、ルーブル美術館所蔵の古代ギリシャの美術品とされていたのが1903年に現代人の作った偽物と断定された事件を下敷きにしている。その本物は実はルパンが頂戴していた…という設定はルブランの『奇岩城』でも使われていて、この戯曲もそれを踏まえたのかもしれないが、それだけ当時の人にはおなじみのスキャンダルだった、ということだろう。ともあれ、こんな細かい「ルパン正史」とのリンクも、ファンにはニヤリとしてしまうところだ。
 ショームズに小箱の中身を問われたルパンが「修道院の巨万の富」と答えるくだり、当時教会権威をからかう常套表現とのことだが、深読みすれば『カリオストロ伯爵夫人』とのリンクにも思えてくる。もちろん、この時点で同作は書かれていないのだけど。


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