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「謎の家」(長編)
LA DEMEURE MYSTÉRIEUSE

<ネタばれ雑談その2>

☆パリの各地をグルグルと

 ルパン・シリーズの多くがパリを舞台にしていることは今さら改めて言うほどのことではないが、本作『謎の家』はほとんどパリ市内のみを舞台とし ながら、これ一作の中にパリ市内からその郊外までかなりバラエティに富んだ場所が登場する。それらを地図で追いかけていくとなかなかめまぐるしい。

 まず物語の最初の舞台、レジーヌ=オーブリーの誘拐事件の現場となったのはオペラ座。 現在もパリの名所として知られる「ガルニエ宮」である。完成したのは1874年のことなので、偶然にもアルセーヌ=ルパンと同い年。2004年に製作され た映画「ルパン」では本物のオペラ座の前に土を敷き詰め、19世紀末のオペラ座前広場を再現した大掛かりなロケシーンがある。なお、ルブランの同時代のライバルであったガストン=ルルーが名作「オペラ座の怪人」を発表したのはこの物語の年代に近い1909年のことだ。
 オペラ座で誘拐されたレジーヌはモガドール通りに入っている。これは下の地図では少々分かりづらいが、オペラ座を北の裏手に抜けていくとこの細い通りがある。ここから先は目隠しされているのでレジーヌはどこを通っているのかわからないうちに「謎の家」に到着することになる。解放されたのはトロカデロ広場で、その近くのアンリ・マルタン通りにレジーヌの自宅があった。

 第二の誘拐事件、アルレットの誘拐は彼女の勤め先のモン・タボール通りで起こった。これまた細かいところなので下の地図では分かりにくいのだが、チュイルリーに面したリボリ通りの一つ北の通りだ。ここで彼女を乗せた車はリボリ通りからコンコルド広場に入り、ここで誘拐された事実に気が付く。そのまま「謎の家」に連れて行かれるが脱走に成功、タクシーを乗り継いでモンマルトルベルドレル街にある自宅へと帰った。
  「モンマルトル」というのはパリにある丘陵地で、かつてはパリの郊外であり寺院と墓地と、そして適度に家賃が安かったことから芸術家が多く集まった土地と して知られていたが、この時期急速に宅地化が進んでいたらしい。アルレットの自宅があるというのも低所得者住宅地というイメージを重ねているのだと思われ る。だが「ベルドレル街」という地名は地図では発見できず、名前を変えてしまったのか、そもそも架空の地名なのか確認できないでいる。アルレットの自宅ま でデンヌリが駆けつける場面で「ルピック通り」を登っていく描写があるが、これは実在するもので、まさにモンマルトルの丘を登っていく道路である。
 なお、ルパン自身も『アンベール夫人の金庫』によれば20歳前後の駆け出し時代にこのモンマルトルの安下宿に住んでいたことがある。

 二つの誘拐事件ののち、捜査線上に浮かんだのがアドリアン=ド=メラマール伯爵だ。重要なカギを握るメラマール伯爵邸は「ユルフェ街13番地」、歴史的な高級住宅地フォーブール・サンジェルマンの 真ん中にあるとされている。しかしこの「ユルフェ街」という通りも現在の地図では確認できず、やはり架空の地名かと思われる。ユルフェ街には18世紀の古 い邸宅が立ち並び、「ラ・ロシュフェルテ邸」「ウルム邸」といった「歴史に残る名前」があると書かれているが、この「ラ・ロシュフェルテ」「ウルム」とも にネット検索で調べてみたが全くひっかからないので、これも架空のもののように思える。
 ただおおよその位置は推測できる。メラマール邸を訪れるためにデンヌリら一行が落ち合う場所がパレ・ブルボン広場だ。ここから東の地域がフォーブール・サンジェルマンで、『虎の牙』ドン・ルイス=ペレンナの屋敷が「パレ・ブルボン広場に面したフォーブール・サンジェルマンの入り口」にあったことを思いだされたい(もっとも「ルパン史」では『虎の牙』のほうが『謎の家』より後の話になるが)。また『十二枚の株券』でチラリと触れた「アンバリッド(アンバリード)」が近くにあるらしき記述もある。

 捜査を進めるうちにデンヌリたちはサン・ドニ通りの 古道具店「プチ・トリアノン」に赴く。ここでアントワーヌ=ファジュローと初めて遭遇するわけだが、このサン・ドニ通りというのは古代ローマ時代からあっ たという歴史の古い通りで、これまた上の地図では分かりにくいのだが、セバストポール通りに沿って南北に延びる細い通りだ。かなりの長さがあるので「プ チ・トリアノン」がどの辺にあることになっているのかは分からない。なお、古い裏通りのせいか中世以来現代まで売春宿などが多い「いかがわしい通り」とい う性格も強いのだそうで、「プチ・トリアノン」にもそんなイメージが重ねられているのかもしれない。
 汚職市会議員ルクルスーが殺害される現場となった事務所はラファイエット通りにある。そこへ行く前にデンヌリとベシュが落ち合ったのがカフェ・ロシャンボー。残念ながら同名のカフェが実在するかどうかは確認できなかった。小説中には名前が言及されるのみだが、ファジュローが滞在していたのはシャトーダン通りのホテルで、これはラファイエット通りから分岐する道だ。
 ヴァン=フーベンの住む豪華なアパルトマンはオスマン通りにある。オスマン通りといえば『813』のセルニーヌ公爵も住んでいた通りだ。そのオスマン通りの近くのラボルド街にはバーネット探偵社の事務所があり、作中でもヴァン=フーベンとファジュローがバーネット探偵社の看板を見ながら話しているシーンがある。

 中盤のクライマックス、デンヌリとアルレットが囚われの身となって危機一髪の場面の舞台となるのはパリ北西郊外のルヴァロワ=ペレ。『謎の家』の年代である20世紀初頭はまだまだ開発中の工場地帯であったらしく、セーヌ川近くの労働者街と、小工場や特殊施設がちらほらとあり空き地も多い少しうらぶれた光景が小説中で描かれている。デンヌリとアルレットはその地域に最近できた「クルシー大通り14番地(14, boulevard de Courcy)」に赴いて罠に陥るのだが、この「クルシ―大通り」という地名、大通りのはずなのにいまだ実在が確認できない(ネット検索をかけると『謎の家』原文しかヒットしない)。これもまた架空の地名なんだろうか。
 デンヌリがトリアノンばあさんの死体を発見するのはシャン・ド・マルス公園エッフェル塔の 真下に広がる公園で、パリ万博の会場となったところだ。本文中にデンヌリがエッフェル塔の下をうろつく描写があるが、考えてみるとパリを舞台にし続けたル パン・シリーズにこれまで名所エッフェル塔が登場した記憶がない。このエッフェル塔が見るのも嫌で、パリで唯一エッフェル塔が見えない塔の下のレストラン で食事をしていたというエピソードを持つモーパッサンが、ルブランの「文学の師」であったことと関わりがあるのかどうか…?

 いよいよクライマックスの謎とき。ユルフェ街のメラマール邸に一同を集めたデンヌリは、ファジュローを気絶させたうえで一同を連れて車で移動してゆく。運転するヴァン=フーベンに与える指示は「チュイルリー公園の先でセーヌ川を渡り、右に曲がってリボリ通りをまっすぐ抜け、左に曲がる」というもの。上の地図を参照されたいが、要するにフォーブール・サンジェルマンのあるセーヌ左岸からコンコルド橋を渡ってコンコルド広場を抜け、リボリ通りに入ったということだ。そして到着した先はビエーユ・デ・マレ街にあった「もう一つのメラマール邸」だった。
 このビエーユ・デ・マレ街というのも実在が確認できない。ただボージュ広場がすぐそばにあることが本文からうかがえ、この地域が「マレ」と呼ばれているのでおおよその位置の見当はつく。この地域、かつてはセーヌ川の洪水に見舞われる沼沢地となっており(本文中にもフランス革命前夜に沼沢地だったことが明記されている)、 19世紀に都市化が進んだものの20世紀初頭のこの時代には町工場や倉庫の多いが少々うら寂しい地域であったように描かれている。二つの「家」はものの3 キロも離れていないので気がつく人もいるんじゃないかと思ってしまうのだが、かたや由緒ある高級住宅地、かたやうらさびしい開発中の町工場地帯というまっ たく対照的な地域であるために発見されにくかった、ということなんだろう。


☆まことしやかな歴史談義

  「謎の家」の謎とき部分で、18世紀中ごろから20世紀初頭にいたる、メラマール家の「呪われた歴史」が延々と語られる。もちろんその全てがフィクション なのだが、実在の人物をところどころに絡ませて「まことしやか」に語るのは、ルパン・シリーズが過去の作品でも何度も使ってきたテクニックだ。

 フランス革命前夜の貴族フランソワ=ド=メラマール伯爵は愛人ラ=バルネリを囲う屋敷を自身の屋敷と瓜二つに作るという酔狂な真似をする。このことは当時の上流階級の間で噂となり、「文人マルモンテル」「ガリアニ神父」「俳優のフルリ」らが回想録や書簡でほのめかした…ということになっている。「マルモンテル」とはジャン=フランソワ=マルモンテル(Jean-François Marmontel,1723-1799)のことで、この時代の知識人グループ「百科全書派」に属し、歴史と文学に活躍した人。「ガリアニ神父」とはフェルディナンド=ガリアニ(Ferdinando Galiani,1728-1787)のことで、ナポリ出身の経済学者で一時フランスに来ていたことがあり、当時の有名学者らと書簡を多く残している。「俳優のフルリ」とはやはり同時期に活躍したフルリ(Fleury,本名はLouis-Joseph Nones)のことで、調べたところこの人の娘の女優マドモワゼル・フルリ(1766-1818)のほうが有名らしく、Wikipediaにも娘のみ項目が立てられていた。
 『謎の家』でデンヌリが語るところによると、1750年にメラマール邸が建設され、当時のメラマール伯爵が妻アンリエットと 結婚した直後の1772年に模様替えされて現在に至る姿となった。しかし1776年ごろにラ=バルネリを愛人としてユルフェ街のものとそっくりな屋敷を沼 沢地に建設、十年後に愛人関係を断ったが、それから3年後の1789年にフランス革命が勃発する。ラ=バルネリは自分を捨てたメラマール伯爵を革命政府に 密告して夫婦ともども断頭台送りにして復讐を果たすのだが、ラ=バルネリの夫マルタンフーキエ=タンヴィル(Fouquier-Tinville,1746-1795)の友人であったことになっている。このタンヴィルという人物は「革命裁判所」の検事として「反革命」とみなされた人物を次から次へと断頭台送りにしたことで知られる。その「恐怖政治」の実行者であったジャコバン派の指導者ロベスピエールの忠実な腹心とみられていたが、ロベスピエールが「テルミドールのクーデター」(1794年7月27日)で失脚した際にはロベスピエールに死刑判決を出している。『謎の家』ではメラマール伯爵夫妻はこのテルミドールのクーデターの数日前、つまりタッチの差で処刑されてしまったことになっている。
 なお、タンヴィル自身も彼に処刑された遺族からの申し立てで逮捕され、1795年に処刑されることになる。ラ=バルネリの夫マルタンも「断頭台に送られた」とあるので、タンヴィルと運命を共にしたということなのだろう。

 その後、フランソワ=ド=メラマールの息子ジュール=ド=メラマールナポレオンのもとで将軍として活躍、ナポレオン失脚後の王政復古の時代(1830年までブルボン朝、それ以後は7月王政)には大使を務めたが、1840年に「家」を使った陰謀にはまって獄死。その息子のアルフォンス=ド=メラマールは1852年に帝位についたナポレオン3世の副官を務めるがやはり陰謀にはまって自殺に追い込まれている。もちろん、いずれもフィクションなのだが、激動のフランス近代史と重ね合わせた代々の物語として楽しめる。『カリオストロ伯爵夫人』とよく似た趣向と言えるだろう。
 

☆その他いろいろ

  謎ときの妙も敵の強さも今一つで、「ルパンらしさ」があまり感じられない本作、終盤の追い込み段階になって急に「ルパンらしさ」が増してくる。「ルパン逮 捕」にいきまくベシュを「秘密の抜け穴」のトリックでまんまと出し抜くくだりや、ヴァン=フーベンにダイヤを渡してベルギーまで車を運転させ、まんまとダ マして姿をくらますあざやかなやり口などは、「いつもの調子」が戻って来たようで楽しい(笑)。なお、南洋一郎版の『怪奇な家』では、ヴァン=フーベンに車を運転させて逃げたうえで、手紙で「真相」を伝えるという粋な形でパッと話を終わりにしている。

 エピローグ、パリ近郊のセーヌのほとりでアルレットはデンヌリと再会する。デンヌリはここで釣り糸を垂れるワシ鼻に凄いあごひげの老人に化けている(これも本作ラストになって出てくる「ルパンらしさ」だ)。このときデンヌリが化けた老人が口にする言葉が「かわいいアルレット(Arlette)が釣れましたよ」。アルレットははじめ「アブレット(Ablette)」の言い間違いではないかと思っている。「アブレット」とはヨーロッパの綺麗な川によく生息する小型の鯉の一種で、体長17〜20cmぐらい(右写真参照)。あちらでは釣りの獲物としてポピュラーなものらしい。

 本職であるドロボーさんとしてのルパンの今回の獲物はヴァン=フーベンのダイヤだった。本文中では明確には示されてないが、そもそもデンヌリ子爵としてヴァン=フーベンに接近したのも、最初からダイヤめあてだったと想像される(ヴァン=フーベンがダイヤをユダヤ人から盗んだ証拠を握っている、と話してたでしょ)。アルレットの抗議に負けて結局はベシュにはなむけとして送ってやることにするのだが、ダイヤを自分の懐に入れることについて(わたしにだって、ちょっとはその権利がありはしないかい?)と口にしかけるところ、やっぱり「本職」の職業意識がチラついていてほほえましい(笑)。まぁ結局はダイヤよりも「アルレットの心」という獲物のほうを盗んでいった、というオチなのだが。
  このラストシーンで唐突に乳母のビクトワールが登場しているのも注目点。これも「ルパンらしさ」の表れの一つなのだが、『緑の目の令嬢』同様に「顔見せ」 程度の登場である。ルパンがアルレットをビクトワールに引き合わせるのは、いろいろと意味があるのだろうが、ビクトワールにしてみると「あんたは、いつも いつも違う女の子を連れてきて…」と呆れていたかもしれない(笑)。

 『バーネット探偵社』の続編でもある本作だが、残念ながらベシュの存在感はそれほど強くない。デンヌリの変装を一目で見抜いたのはさすがというところだが……最後にデンヌリならぬアルセーヌ=ルパンその人を逮捕してやると息巻くが、まんまと出し抜かれたことで「あれはもう、天才わざだ。闘うなんて、ばかげていますよ。自分のほうは、もうあきらめます」とあっさり脱帽している。そのせいか、次のコンビ長編『バール・イ・ヴァ荘』でのベシュはルパンにいたって協力的な態度を見せるようになっている。


 『謎の家』はジョルジュ=デクリエール主 演のTVドラマ版の一編として映像化もされている。このドラマシリーズの中では原作への忠実度が比較的高いほうで、「キス治療」やヴァン=フーベンが「ダ イヤ、ダイヤ」と騒ぐギャグがそのまま使われている。設定はほぼ同じなのだが、デンヌリがなぜか「デネリス」になっている、ベシュではなく別の刑事が登場 する、二つの屋敷はパリ市内ではなくパリ郊外の離れた地点にあることになっている(確かに市内に全く同じ屋敷があるというよりはリアルかもしれない)、 レジーヌとアルレットが連れ込まれるのが同じ屋敷ではなく別の屋敷、などなどほとんど別の話といっていいほど違う部分も多い。ルパンがメラマール家の老人 や予審判事など次々と変装するのもオリジナルの展開。その一方でカットしてもかまわなそうなラ=バルネリを絡めた先祖話が語られたりもするし、ダイヤの持 ち逃げやアルレットとメデタシメデタシなエンディングなど原作を生かした部分もある。
 気になるのが、犯人(ファジュロー)が誘拐をするときに顔を隠すためにつけている仮面が、真っ白の不気味なもので、市川崑監督の「犬神家の一族」(1976)に出てくるゴムマスクとソックリである点だ。こっちのドラマの方が先なんだけど、単なる偶然か。


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