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「ルパン逮捕される」(短編)
L'ARRESTATION D'ARSÈNE LUPIN
初出:1905年7月「ジュ・セ・トゥ」誌6号 単行本「怪盗紳士ルパン」所収
他の邦題:「アルセーヌ・ルパンの逮捕」(新潮・ハヤカワ)「アルセーヌ・リュパンの逮捕」(創元)「大ニュース・ルパンとらわる」(ポプラ)

◎内容◎

 大西洋を横断する定期客船プロバンス号に無線電信が届いた。「貴船一等船客室にアルセーヌ=ルパンあり。金髪、右腕に負傷。同伴者なし。偽名はR…」こ こで電信は途切れ、プロバンス号の乗客・乗員は「怪盗ルパン」が同じ船に同乗していることを知って色めき立つ。一等船室の乗客で該当する人物は一人しかお らず、その青年に疑惑の目が注がれるが、船内では次々と怪事件が…いったい、ルパンは誰だ?



◎登場人物◎(アイウエオ順)

☆アルセーヌ=ルパン(Arsène Lupin)
世間を騒がせる怪盗紳士。

☆ガニマール警部(Ganimard)
ルパン逮捕に執念を燃やす老警部。本作で見事にルパンのトリックを見破り、ルパンの初逮捕に成功する。

☆ジャーランド夫人(Lady Jerland)

ネリー=アンダダウンの友人。プロバンス号に乗ってネリーに同行していたが、ルパンに宝石類を盗まれてしまう。

☆ショルマン男爵(le baron Schormann)
詳細不明。アルセーヌ=ルパンがその屋敷に侵入したが「いずれ家具が本物になりましたら改めて参上」と名刺に書き残して手ぶらで立ち去ったという。

☆ネリー=アンダダウン(Nelly Underdown)
アメリカ人の父とフランス人の母の間に生まれた美しい令嬢。シカゴの大富豪である父に会うためプロバンス号に乗り、一等船室のアイドルとなってその周囲を常に崇拝者の男性に囲まれていた。ルパンに対する怖さも手伝ってベルナール=ダンドレジーと急接近。

☆ベルナール=ダンドレジー(Bernard d’Andrésy)

フランス・ポワトゥー地方の名家の出身の青年だが、今は家名はぱっとしていない。プロバンス号一等船室に乗り合わせ、アメリカの美女ネリーに恋をする。

☆ラベルダン侯爵(le marquis de Raverdan)
プロバンス号一等船室の乗客。大使館づきの書記官をつとめている。

☆リボルタ(Rivolta)
プロバンス号一等船室の乗客。黒ヒゲを盛大に生やしたイタリア人で、ネリー嬢崇拝者の一人。

☆ルイ=ロゼーヌ(Louis Rozaine)
ボルドーの大商人の息子でプロバンス号一等船室の乗客。上品な美男子で、ネリー嬢に接近しダンドレジーをやきもきさせた。無線電信で届いたアルセーヌ=ルパンの情報と一致点が多かったためルパンと疑われ、無実を晴らすためにルパン捜索に乗り出す。

☆ロースン少佐(Le major Rawson)
プロバンス号一等船室の乗客。甥が同乗している。


◎盗品一覧◎

◇ジャーランド夫人の宝石類
髪飾りやペンダント、首飾りや腕輪からダイヤ・ルビー・真珠など、いずれも小さめでかさばらないものを選び、座金から外して持ち去った。

◇プロバンス号船長の腕時計
ルパンに対する警戒のさなかに盗み取られ船長を激怒させたが、翌日に副船長のカラー入れから発見。

◇ロゼーヌの財布
ルパンと疑われたロゼーヌがルパン捜索にかけた懸賞金1万フラン、さらに1万フランの計2万フランが入っていた。ロゼーヌ自身が捜索中に襲われ財布ごと奪い取られた。


<ネタばれ雑談>

☆「怪盗紳士アルセーヌ=ルパン」誕生!

 「アルセーヌ・ルパン」シリーズ、記念すべき第一作であり、当然「怪盗ルパン」の初登場作品。「怪盗ルパンは第一作でいきなり逮捕された」というのはちょっとした「トリビア」と言っていいほどで、ルパンの知名度の割に世間では意外と知られていない。ずいぶん前のことだが「クイズ面白ゼミナール」の冒頭の「ホントかウソか」のネタで取り上げられていたのを目撃している。

 本作は作者モーリス=ルブランが事実上最初に手がけた「探偵小説」でもある。ルブランは40代まで大人向けの純文学畑を歩んでいたさして売れない中堅作 家といったところだったが、1903年に友人の編集者ピエール=ラフィットから彼が発行する大衆向け雑誌「ジュ・セ・トゥ(私はなんでも知っている)」誌 むけに娯楽小説の執筆を依頼された。当時すでに評判になっていた名探偵ホームズや怪盗紳士ラッフルズのようなヒーローものを、との依頼に、あまり気乗りせ ずに書いたのがこれ。しかし本作を読んだラフィットは編集者の勘でこれが「ニューヒーローの誕生」であることを確信する。

 この短編は全編がベルナール=ダンドレジーの一人称で綴られている。その目の前で繰り広げられる姿無きルパンの暗躍、ルパンの正体探し、そして疑心暗鬼 に陥る乗客たちの心理状況が巧みに織り込まれ、豪華客船という「密室」内の緊迫したドラマが読むものをひきつける。そしてラスト、実はその語ってる当人が ルパンであったというドンデン返し。オチが分かっていても何度も読み返せるストーリー展開はこれが探偵小説デビュー作とは思えないほど。どこか演劇的な印 象があるのは、もしかするとルブランの妹が女優だったこと、ルブラン自身も戯曲を書いた経験があることと関わりがあるかもしれない。

 ルブラン自身はあまり乗り気でなく、続きを書く気も無かったから本作のラストでルパンはあっさり逮捕される。ちょっとした「トリック小説」の一編として 仕上げたつもりだったのだろうが、ラフィットはこの小説で描かれた「怪盗紳士」に大いに関心を示した。「怪盗紳士」ということではすでに「ラッフルズ」と いう先輩格が存在したのだが、この短編中にはチラリだけと書かれたルパンの描写――神出鬼没の怪盗にしてどんな人物にも変装してしまう百面相ぶり、そして 仕事というより「芸術」として盗みをはたらき、人を食ったユーモアも併せ持つ皮肉屋――といったキャラクターにラフィットはニューヒーローの匂いをかぎつ ける。

ジュ・セ・トゥ1905年7月  ルブランがいかにして「怪盗紳士」像を創作したか正確なところはわからないが、当時「闇の盗賊」の異名をとった実在の強盗一味の首領・アレクサンドル=マリウス=ジャコブ(1879-1954)がそのモデルではないかと言われている。このルパン第一作が雑誌に載る1905年7月の3ヶ月前に裁判が行われており、時期的にルブランがその存在を意識しなかったはずはない。
 ジャコブはある城館に忍び込んだ際、その城主が借金だらけであることを知って何も盗らずに退散したという逸話があり、これはそのまま『ルパン逮捕され る』に拝借されている。有名作家の屋敷に侵入して作家への賛辞の手紙を残して立ち去ったという話もルパンの行動を髣髴とさせる(以上の話題は偕成社版『カリオストロの復讐』の長島良三氏の解説を参考にした)
 そういうアンチ・ヒーローが実在して話題を呼んだ時代に「怪盗ルパン」がマッチするとラフィットは直感したのだろう。

   かくしてラフィットは『ルパン逮捕される』を面白いと認めつつ即座の採用はせず、続編の執筆をルブランに依頼、十作ほど出来たら月刊連載をしようと持ち かけた。ルブランは重い腰を上げ、逮捕してしまったルパンが脱獄する話を作り、現在「怪盗紳士ルパン」に収録されている諸編を次々と書き、1905年7月 に満を持して連載開始となったわけである(左図がその記念すべき第一作の「ジュ・セ・トゥ掲載ページ)。それらが大評判になってしまったために、ルブランは以後「ルパンの作家」として人生を既定されてしまうことになる。「1903年以来、命令するのは彼(ルパン)で、私はそれに服従するだけ」とルブランは晩年語ったという。

 なお、「雑誌掲載時には“アルセーヌ・ルパン”ではなく当時のパリ市会議員の名をもじった“アルセーヌ・ロパン”となっていた。当のロパン氏の抗議を受け“ルパン(リュパン)”に改名を余儀なくされた」という逸話が多くのルパン関係の訳本などで書かれていることがある(このサイトでも当初それを紹介していた)。しかし実際にこの短編が載った「ジュ・セ・トゥ」誌を見てみるとちゃんと「Lupin」 となっていることが確認され、この逸話が真実ではないと断定された。どうしてそういう話が出てきたのか現時点では推測するほかはないが、この短編が書かれ てから雑誌掲載までに間があったこともあり、その間に編集サイドで「ルパン」に変更させた可能性はあるのではなかろうか。
 現在単行本『怪盗紳士ルパン』に収録されているこの一編は、物語の最後にルパンが、伝記作者である「わたし」に対して回想を語る場面でしめくくられてい る。「ジュ・セ・トゥ」は現在ネット上でそのバックナンバーの大半が読めるのだが、それで確認するとやはりこの部分は単行本収録時の追加で、雑誌掲載時に は「おれがまともな人間でないことがうらめしい…」とルパンが語るところで終わっている。


☆処女作にはその作家の全てがある

 …というようなことわざがあるが、このルパンシリーズ処女作はまさにその後のルパンシリーズの基本の全てがつまっている。
 まず、「変装」。といっても本作ではベルナール=ダンドレジーに なりすましているだけだが…。なお、このベルナール=ダンドレジーは『カリオストロ伯爵夫人』によるとルパンの母方(アンドレジー家)のいとこにあたる人 物で、「伯爵」ということになっている。ルパンはこの外国で死んだ親戚の書類を盗み取って彼になりすましたわけだが、そのためにガニマールに正体を見破ら れることになるわけで、「若さゆえの過ち」というやつかもしれない。
 変装している場面は無いが、これ以前のルパンの変装ぶりを記すくだりで「運転手・テノール歌手・競馬の予想屋・良家の子弟・青年・老人・ほらふきのセールスマン・ロシア生まれの医師・スペインの闘牛士」に変装したことが知られる。

 次にルパンの仕事ぶり。ほんの数分の隙を突いて乗客の宝石類を小さいものだけ選んで盗み取り、コダック・カメラの中に隠しておくというところなど、まさに怪盗。そしてルパン捜索に躍起になる船長の腕時計を盗み(おそらくスリ。その後のシリーズでも散見されるテクニック)、それを副船長のカラー入れに入れておくという洒落っけはまさにその後のルパンのキャラクターを決定付けている。

 さらに宿敵・ガニマール警部がルパンと共に初登場している。本作におけるルパン 逮捕のために執念を燃やし、他人の手を借りまいとするその姿が、「ルパン三世」の銭形警部の原型となっていることは言うまでも無い。この第一作では見事に ルパンを逮捕するが、その後は道化役が多くなってしまう。その辺も銭形警部の原型だ。

 そしてルパンシリーズを彩る美女との恋もちゃんとこの作品から描かれている。ルパンヒロイン第一号となったネリー嬢はルパンの犯罪の証拠品をさらりと隠滅してくれ、ルパンもほろりとしてしまう別れの名シーンを演じた。一作きり登場が多いルパンヒロインの中では珍しく『おそかりしシャーロック・ホームズ』で再登場する。


☆時代考証

 『カリオストロ伯爵夫人』の結末より後の事件であることは明らか。そのため西暦1899年、ルパン25歳のときの事件と推測されている。

 アメリカとフランスを結ぶ定期客船「プロバンス号」の一等船室が主な舞台となっているが、三等船室にアメリカへの移民の群れがひしめいているという描写 にも「時代」を感じる。時代はやや遅れるが1912年に沈没したタイタニック号でも船内の「身分格差」があったことは映画「タイタニック」を見ていても実 感できる。一等船室に乗ってる人物達はまさに「貴族階級」と言っていいのだ。

 物語の重要な要素となる「無線電信」にも注目したい。イタリアのマルコーニが無線電信を発明、実用化にこぎつけて自ら無線電信会社を興したのが1897 年である。語り手であるベルナール=ダンドレジーことルパンも無線電信をここ数年の新発明として語っている。まだ遠距離通信はできない時期で、物語中でも 「フランスの海岸から500マイル離れたあたり」で問題の電文が届き、しかも雷のために中断してしまう。アメリカ大陸に近づくとアメリカ側から無線電信が 入るようになった、という描写もこの当時を正確に再現したもので、大西洋を隔てた無線電信は1901年にようやく実験に成功している。この一編は船の上に いても陸地の情報が入るという新時代のなかで、一時的に情報が途絶する状況を巧みに利用した密室劇でもあるのだ。

 最後にルパンが盗品の意外な隠し場所に使っていた「コダック・カメラ」について。
 現在もある「コダック」が商標登録されたのは1888年のこと。アメリカ人ジョージ=イーストマンが 小型で持ち運べ、シャッターを押すだけで誰でも使いやすいカメラを発売し、それに「コダック」というブランド名をつけてそのままそれが社名となった。『ル パン逮捕される』はコダック・カメラ発売からおよそ10年が経った段階の物語で、誰でも手軽に写真が撮れるようになった(もちろん値は張るものだったろうが)時代の幕開けをさりげなく描いていたとも言える。それを盗品の隠し場所にする、というアイデアも読者の意表を突いたものだっただろう。
 

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