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「ル パンの大財産」(長 編)
LES MILLIARDS D'ARSÈNE LUPIN

<ネ タばれ雑談その3>

☆妙に多い歴史ばなし

 もともと歴史を物語に絡めることが多かったルブランだが、本作ではルパンがむやみやたらと歴史故事を引用する。自分の財産を狙うマフィアのことを十字軍 になぞらえ、フランス貴族でエルサレム国王となったゴドフロワ= ド=ブイヨン、イギリスのリチャード 獅子心王、フランスのル イ9世といった十字軍関係の有名人たちを列挙する場面もある。

 ビクトワールが自分を裏切っているのではないか、とほのめかす場面で「ナポレオンをうちたおしたのは裏切りというやつだ」と 言い、「将軍ベルナドットが敵と手を 握っていて、すでにライプツィヒの敗北をみちびいていた」「将軍モローがソワソンをあけわたさなかったらブリューヒル軍は全滅していた」「マルモットのふ てぎわがなければパリの降伏はありえなかった」(榊原晃三訳)と列挙してい る。
 「ベルナドット」とはジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット(Jean-Baptiste Jules Bernadotte、1763-1844)のことで、庶民出身の軍人としてフランス革命後の動乱の中でナポレオ ンともども出世し、成り行きでスウェーデン国王カール14世と して即位してしまったという人物。ナポレオンが没落の兆しをみせると素早く反ナポレオン陣営に参加してライプツィヒの戦い(1813年10月)の 指揮を執ってナポレオンの没落を決定的にした。このベルナドットの子孫が現在のスウェーデン王室だ。
 「将軍モロー(Moreau)」に ついては詳しく分からなかったが、この人物がソワソンで早期に降伏したためにプロイセンの将軍ブリューヒル(Blücher、ブリュッハー、ブリュッヘルと も)がパリ攻略を成功させることになったのは確からしい。そして榊原晃三訳文ではなぜか「マルモット」となっているが、これはマルモン(Marmont)の誤り。1814年に反ナ ポレオンの連合軍がパリに迫った時に、パリ防衛を任されていながらやむなく降伏した将軍だ。
 ナポレオンがらみではルパンがベシュに「近 衛兵は降伏しないんだな?カンブロンヌのことばを知ってるだろ?」と言うセリフもある。カンブロンヌとはピエール=カンブロンヌ(Pierre Jacques Étienne Cambronne、1770-1842)のことで、ワーテルローの戦いの際に敗北が 決定的になってイギリス軍から降伏を勧められた際に「La Garde meurt mais ne se rend pas!(近衛兵は死すとも降伏せず)」と言い放ったとされる。 もっともそんなカッコイイ言葉とは別に「Merbe! (くそったれ!)」と罵倒したとも伝えられるが。ま、結局彼は弾は当たったものの死なずに済み、イギリスに護送されて看護して くれたイギリス人女性と結婚するなど、割と幸せな後半生を送ったようである。

 マフィアの議長をつとめる青年が「片 目に片眼鏡をぴったりくっつけ、手にこん棒をにぎり、ビロードのひろいえりのフロックコートを着、首の上の方にネクタイをしめ」る といういでたちで、それが「ミュスカダ ンのふう」と表現されている。「ミュ スカダン(Muscadin)」とはフランス革命にひとまずの区切りをつけた「テルミドールのクーデタ」(1794年7月)後 に、王党派を中心に粋がった派手なファッションをした伊達男たちを指す言葉だ。その一方でこの議長、態度はテルミドールのクーデタで処刑されたロベスピエール(Robespierre)みたいと表 現されていて、原文ではルパンから「Robespierrot」と 呼びかけられている。これは「ロベスピエール(Robespierre)」と「ピエロ(Pierrot)」をひっかけたシャレだと思われ、榊原訳では「ロベスピエールきどりのあんちゃん」と 訳している。「ロベスピエロちゃんよ」といった感じだろうが、歴史人物だけに日本語訳ではちょっとニュアンスが伝えにくいかも。
 
 ルパンが「勝利だ、勝利だ!(ビクト ワール、ビクトワール)」と はしゃいで帰宅し、ビクトワールが「何か用かね、ぼうや」と顔を出す場面がある。「Victoire」はフランスではポピュラーな女性の名前であると同時 に「勝利」の意味もあるからこうしたシャレができるわけだが、長いシリーズでこれまでこうした使われ方が初めてというのが意外。
 「じゃあ、ほかの名前で呼んでおくれ」というビクトワールのリクエストに応じて、ルパンが「テルモピュレー」「トルビアック」と歴史上の有名な 戦場の名前を挙げている。「テルモピュレーの戦い」とは紀元前480年のペルシャ戦争において、ギリシャ側のスパルタ軍がレオニダス王率いる少数精鋭をもってペルシャの大軍と 戦い、三日間の激闘ののち壊滅した戦いだ。ヨーロッパでは「善戦・玉砕」の代名詞みたいなもので、本来は敗戦のはずなのに「勝利」のイメージで語られるよ うだ。「トルビアックの戦い」は496年にフランク王国のクロー ヴィス1世がゲルマン系のアラマンニ族を破って覇権を確立した戦いだ。

 さらにビクトワールに「サモトラケー (Samothrace)」という名前を苗字につけろ、とも言っている。ルパンは「勝利を意味する島の名前」と 言い、榊原訳の注釈では「サモトラケー 沖海戦でギリシャ海軍が勝利した地として有名」と書かれているのだが、「サモトラケー沖海戦」というのがどうしても見つからな い。「サモトラケー」といえばギリシャはエーゲ海の東北端にある島で、なんといっても「サモトラケーのニケ」(左写真)の彫 刻が発見されたことで有名。この彫刻はルーブル美術館に所蔵されていてフランス人にもおなじみのものだし、しかも「ニケ」といえば「勝利の女 神」、ローマ神話ではずばり「ヴィク トーリア(Victōria)」(つ いでに言えばスポーツ用品の「ナイキ」はこの「ニケ」の英語読み)。この彫像が海戦の勝利を祝って製作されたもの、という説は あるようだが、ここでは単に「ビクトワール」につながる地名であることから「苗字につけろよ」と言ってるのだ。「サモトラケーのニケ」のことをフランスで は「Victoire de Samothrace」というんだから間違いない。


☆その他いろいろ

 オラース=ベルモンことルパンが警視庁に協力し、刑事たちから「マサン(Machan)」と 呼ばれている、という話をパトリシアがしている。辞書で引いてみると「Machan(マシャン)」とは日本語で言う「誰それ」「何とかさん」といった言葉であるよう で、直接的に固有名詞を口にせずに遠まわしにいう表現とのこと。
 「オラース=ベルモン」といえばすでにルパンの変名として知られているものだし、警視庁の方でも百も承知で捜査に協力してもらっているのかもしれない(ベシュもいることだし)。 だから変名とは言え直接的に名前を口にするのを避けている、ということなのかも。

 パトリシアの息子ロドルフ坊やの活 躍ぶりは、『水晶の栓』で登場したジャック坊 やをほうふつとさせる。というか、ルパンの屋敷に忍び込むところとか、アイデアの再利用という気もしなくはない。ルパンが彼のことを「ある有名な小説に出 てくる王子」にちなんだ「ロドルフ王子」と呼んでいるが、これはウー ジェーヌ=シューの小説「パ リの秘密」の主人公ロドルフのことらしい(この件はブログ「スリムじゃない生活」の当該記事を参 考しました)。ドイツのロドルフ大公が身分を隠してパリの下町で娘をさがす物語だとのこと。

 そのロドルフ坊や、初登場場面で「女 の子の服を着ている」との表現がある(偕成社版では挿絵で再現されてる)。 さりげなく書かれているが日本人としては「なんで?」と思っちゃうところ。変装なのかなと思う読者もいそうだが、実はこれ、変装でもなんでもない。フラン スはじめヨーロッパではかなり最近まで幼少時の男の子に女の子の服を着せる習慣があったのだ。
 ルノアールの 絵で、ある女性とその子供たちを描いたものがあるが、そこに描かれている幼い息子はどう見ても女の子にしか見えない外見に描かれている。服だけでなく髪型 まで女の子化していたようなのだ。最近フランスで、作家の生涯を多くの図版で紹介するシリーズの一冊として「モーリス・ルブラン」を扱ったものが出版され ているのだが(著者はルブラン伝記も書いたジャック=ドゥルアール教授)、そこに掲載されている1歳のころのモーリスもまさに女の子そのものの恰好をさせられている。そしてルブランが妻や子供と一緒にいる様子を 撮った写真でも、息子のクロードはやはり女の子のような服装・髪形をしていた。あのダグラス=マッカーサーもやはり幼少期に母親によって女の子の恰好をさせられていたそうだが、とくにフランスの習慣として知られていたようである。
 余談ついでに言えば日本の作家・三島由紀夫も幼少期に女の子の恰好をさせられ、女言葉もしゃべらされていて、これは祖母の貴族趣味によるものとされているのだが、もしかするとこれも当時のフランスの風習にならったものだったかも しれない。

 アンゲルマン 邸でのパーティーで、ルパンが銃の腕前を披露する場面があり、そこで使われるのが「第二帝政時代の二連発の銃身の長いフロベール・ピスト ル(pistolets Flobert)」 だ。ルイ=フロベール(Louis Nicolas Auguste Flobert、1819–1894)という、ナ ポレオン三世の 第二帝政時代に活躍した武器発明家がいるのだが、彼は薬莢の底の外縁に火薬をつめ発火させる「リムファイヤ式」の金属薬莢を発明してその後のピストルの発 達に多大な影響を与えている。ルパンが使ったものと同じかどうかは自信がないのだが、「第二帝政時代のフロベール・ピストル」と説明のついた画像をフラン スの武器サイトで見つけたので、転載しておく(右 図)
  オラース=ベルモンの邸宅には多くの銃器類があるようだが、用心のためなのか、その弾倉には弾は込められていない。実際、マフィアノがそれを使ってルパン を撃ち、空振りしてしまう描写がある。そしてその直後にルパンは「大型散弾」の銃でマフィアノを狙撃しているが、「シュッという音」がしただけで大きな銃 声もとどろかなかったとあるので、サイレンサーをつけているらしい(当時、アメリカのギャングも使用していた)。 しかも人を殺さないルパンのモットーを守るためらしく、散弾はいつも蒸気殺菌器で殺菌してある、というから念が入っている。

 本作のヒロイン、パトリシアはアメリカ人で新聞社社長の女性秘書であると同時にかけだしの事件記者という設定だ。世界初の女性記者とされるのがネリー=ブライ(1864-1922)というアメリカ人女性だったし、女性ジャーナリストというとアメリカ人、というイメージでもあったんだろうか。ルパンシリーズを彩る女性たちのなかでもキャリアウーマンタイプは珍しい。さらに言えば私生児を女手一つで育てている、という点も異例だ。
 ところで永井豪・安田達矢とダイナミックプロによる『劇画・怪盗ルパン』の最終巻「ルパン再現」は『特捜班ビクトール』の保篠版を原作としつつまったく別物のオリジナルストーリーになっていて(詳細は「漫画にみるルパン」を参照)、 ヒロインとして女性記者パトリシアが登場している。この劇画版の製作に先立って偕成社全集の『ルパン最後の事件』が刊行されているので、そこから拝借した ものと思われる。ただしこの劇画でのパトリシアはアメリカ人でもなく、ルパンゆかりの「エコー・ド・フランス」紙の記者となっている。
 そういえばこのダイナミックプロ版の『虎の牙』では本当にトラが出て来て大暴れするのだが、もしかしてこれも『大財産』の影響かな?


☆ルパン、ついに引退か?

 『カリオストロの復讐』で、息子と再会したせいかルパンはルースラン予審判事に「これが私の最後の冒険になりそう」と語っていた。そして本作では「冒険はもうやめだ!財産は安全なところへ隠してしまった。何十億という金をにぎる大貴族さまとして、あの金を心おきなく使ってみたいよ」といい、すっかり楽隠居を決め込む姿勢をビクトワールに語っている。結局冒険をするはめになるのだが、本作ではあくまで自分の財産を狙う敵との戦いであり、自分から積極的に盗みにいくというものではない。

 もっともルパンが引退宣言を出すのはこれが初めてではない。『奇岩城』において30代のルパンが早くも楽隠居を望んでいて、実際そのあとビクトワールに「悪事はしない。まともな人間になる」と約束して、しばらく泥棒稼業から離れている(あくまで大きな仕事をしなかった、ってことかもしれないが)。結局『813』で再び大がかりな冒険に乗り出すのだが、そのときはビクトワールに「(じっとしているのが)いやになってきたんだ」と言っていた。やはりこの人、腰を落ち着けてられないんだろうな。
  『813』のラストで死にそこね、アフリカに自身の帝国を作っちゃったりしつつ、『虎の牙』でまた楽隠居したはずなのだが、偽物の出現にまた冒険に乗り出 したのが『特捜班ビクトール』。そのあとの『カリオストロの復讐』ではまだまだ現役で仕事をして各地に財産を隠している描写がある。この辺り、『虎の牙』 も隠居から再び冒険に乗り出したようにラストが書きかえられた経緯もあるし(シリーズを続けるためであろう)、ルブランもきちんと設定を決めてるわけではなさそうだが、作品世界のなかでもルパンという男は結局また引退宣言を撤回しそうな気がしちゃうんだよな。

 「どんな女ももうたくさんだ!色恋もたくさん!恋の征服もたくさん!」とも、ルパンは叫んでいる。ルパンの人生のもう一つの柱(笑)である恋愛沙汰でも引退表明をしちゃっているのだ。しかーし、本作を読む限りではこれはちっとも信用できない。ヒロインのパトリシアに会うとさっそくアタックをかけて「まったく、フランスの男の人は」と言われてしまっているし、いつものごとく一気にお熱を上げて激しく恋をしてしまっている。それでいて、「女性の魅力にはけっして無関心ではいられない」というこの男は、召使いとして雇った娘アンジェリクの健康的美しさにきっちり目を付けているし、勘違いの上でとはいえ、することはきっちりしてしまっている(汗)。さらにはアンゲルマンの美貌の妻マリー=テレーズとの関係も隠そうともしない。さすがにこれにはパトリシアも怒っているが…それにしてもボナパルト号船室での二人のラブシーン、直接的表現はないもののかなりなまめかしいものだ。
 「ロドルフをルパンの息子にするわけにはいかない」という理屈で、あくまでロドルフのためを思って、ということでパトリシアをヘンリー=マッカラミーと結婚させるラストになるのだが、これも読みようによっては体よく逃げたようにも見える。ともあれ、この人の引退宣言というのはあまり信用がならない。

  先述のようにルブランはこの『ルパンの大財産』とほぼ並行して、息子の妻に手伝われながら『大財産』に続くルパン新作を書き進めていた。そのタイトルこそ がずばり『ルパン最後の恋』であり、そこではついにルパンが「最後」の恋をして、完全に引退する物語が語られているという。いまだその一部情報が漏れてい るだけで未発表のままなのだが、早く読める日が来てほしいものだ。


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