「クラシックを練習している」というと、「人が作ったもん弾いてどこが面白い?」とか、「クラシックの人ってなんで耳で聞いて弾かへんねんやろ?」とか挑発的な言われ方を何度かしてきた。つまり、楽譜=受け身と解釈されているようだ。20代の時は自分に確固たる自信も理論もなく、『なんか違う』と思いつつ何が違うのか人にも自分にも説明ができなかった。 落語をよく聞くようになると、クラシック音楽となんら芸の質には変わりないと思うようになった。昔から伝わっている話をそのまま、自分の個性を生かして演じている。練習の仕方もクラシック音楽とほとんど変わらない。話を覚えて自分の身体から言葉が出るくらいまで何度も何度も舞台で演じる。練習だけではアカンと聞いた。客の前で演じるからどんどんうまくなるのだと。だから落語家は入門したと同時にプロとして、前座で舞台に上がる。(ついでに雑学を。前座はまだ一人前ではないから羽織を着てはいけないそうだ。) 芝居のセリフも自分の身体から自然な言葉として出てくるように訓練をするようだ。単なる発音の訓練以外にイメージを豊富に蓄えていなければセリフに体温が感じられない。 そして、つい最近、ラジオで次ぎのような放送を聞いて、これもクラシック音楽と同じだなあと共感したことがあった。
最後に、クラシック音楽の特徴を考えてみる。 少し理屈っぽくなってしまったが、「人が作ったもん弾いてどこが面白い?」という問いに対して30年以上経った今、やっと返事ができるようになったような気がする。 2003.3.1.
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