出口のない海

横山秀夫

講談社 2004.8.9 第一刷 \1700(税別)


 主人公の並木浩二は、甲子園の優勝投手ながら、大学では肘を壊して、試合に登板することなく、ただただ復活を期して練習を重ねる日々を重ねていました。それでもいいチームメイトに囲まれて、充実した毎日を過ごしているように見えます。いよいよ昔の速球が投げられないと悟った並木は「魔球を投げる」ことを宣言します。この並木の夢は全編を通じて、特に後半の学徒出陣して以降の逼迫感のある物語の中で、希望の象徴として幾度も登場してきます。

 前半は野球部編ともいうべき、並木たちの日々の生活が描かれています。もちろん、野球以外の描写も学生そのものといった感じ。特に喫茶ボレロでタムロする様子は何故か懐かしい感覚になります。学生時代、野球部のみんなが集まっていた店が思い起こされます。ただ、そのときと決定的に違うのは、やはり時代背景。学生であることで徴兵猶予されているものの、戦争は確実に彼らの周囲を覆っていきます。

 日本劣勢の中、遂に学徒出陣が閣議決定されて、彼らも戦地に行かざるを得なくなります。野球部、最後の試合は、ボレロのマスターが集めた新宿ガラクターズ。熱戦の最後、並木の魔球?が・・・・この試合、結果に意味はありませんでした。最後の一戦、思うように野球が楽しめなかった彼らが、本当に楽しめた試合、そして、このメンバーで戦う最後の試合でした。

 戦時中ながらも、どこか開放感のあった前半の野球部編と対比するかのように、後半の軍隊編になると非常に息苦しい展開。戦況の悪化が背景にありますが、その原因は何と言っても圧倒的な人間魚雷・回天の描写でしょう。窓もなく、周りが見えない、そして確実に死が約束されている人間魚雷は、想像しただけでも孤独感に苛まれ直面する死に対してイヤでも心の整理をつけて乗り込まなければいけません。死に対する心の葛藤の描写が読む者をグイグイ引き込んでいきます。
 一番印象に残ったシーンは、上官が回天登場の志願の希望を募る場面。全員が集められ、戦況打開の新兵器搭乗の必要性を説きます。どのような兵器なのか、具体的なことは何も話さずに・・・。もちろん、回天の存在を知らない当時の彼らに、その新兵器をイメージすることはできません。しかも、考える暇も与えずに、紙に希望の可否の記入を迫ります。ほとんど、悪徳商法のやり方です。

 何度も死ぬことに対して覚悟を決めた並木が最後まで諦めなかった夢が「魔球」です。回天の搭乗員になること、そして出撃すれば、それはすなわち死を意味しています。魔球が完成しても、決してマウンドで投げられることはないとわかっているはずながら、並木は魔球を完成させるための努力を惜しみません。いや、むしろ死を覚悟しているからこそのことでしょう。魔球を完成させるプロセスこそが、並木自身にとっては生きた証なのです。

(2006.11.11記)


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