このWebについて
このWebサイトは,中学校美術科の鑑賞学習の補助として作成しました。
インターネットという媒体を利用して,独断と偏見で仕上げました。だからかなりいいかげんです。
また,暇と気力がないために,開設から6年以上たっても大規模更新を行っていません。
こんなサイトにお越しくださり,ありがとうございます。
イタリアの小説家アルベルト・モラヴィアだと思うが・・・・・(出典記憶なし)
ファシズム政権下のイタリアでは,小説や評論は検閲の対象にあった。むろん彼の作品もだ。
彼が嫌になるのは,自分が一語一句心血注いで書いた文を,
(明らかに彼に感性が劣る)元中学校教師だったファシストに検閲され,
文章を直されることだった,と述べたそうな・・・。
「全て私より優れている者が添削するならば甘んじて受けるが,
なぜ私がこのような屈辱を受けなければならないのか」
私が子供の頃のTVで,テニスプレイヤーのマッケンローは,試合中に審判に怒鳴っていた。
「俺は毎日何百回も練習して,インかアウトかすれすれのところで入るサーブが打てるようになった。
俺には日々の血のにじむようなトレーニングによる蓄積があり,今のボールは確実に入っていた自信がある。
審判のお前より,俺の方が信用できる」
私も,批判は慎みたい。そして,素直に鑑賞したい。
下の文章はこのWebサイト開設当時(もう10年になるんだ・・)の,本サイトの趣旨説明文です。
美術作品を授業で鑑賞するとき、あなたがたの学校ではどのように行われていますか。
現在、美術鑑賞方法は大きく2つに分けられます(と思う)。ひとつは、作者の生きざまについて 学習し、そこから作品の背景を読みとり内容を考えていくもの、もうひとつは、作品の素材や 構図や配置などから作品の意図を考えていくもの。前者の方は情報知識型であり、美術科が 今後の教育改革で生き残るために社会科の歴史分野との関連を図るという点では有効。 (中学生には難しいかな。社会の授業と連動して鑑賞を行うかも,ということ) 後者の方法は、より生徒の感性を刺激するというか感性を要求されるという点では、美術科の 独自性を打ち出してゆくためにも大切な方法でしょう。
でも、私は本ホームページではどちらの鑑賞方法も適切ではないと考えています。 それは、私は主として、古い、イタリアの美術について説明するからです。大航海時代が 訪れるまではヨーロッパの中心世界であったイタリアでは、ローマ帝国の名残かもしれないけど 「目で見えるもの」「現実性」に重きを置いています。そうすると、一見後者の鑑賞法が有効に 思えるかもしれません。しかし、イタリアはまた、中世ヨーロッパ世界の精神的な支えであった キリスト教の中心であるバチカンを擁しているのです。キリスト教の精神性や歴史的背景を 抜きにして、イタリアの美術作品を考えることはできないと思うのです。
そこで、私は独断と偏見で、2つの方法にとらわれずいこう、と考えました。イタリアの美術は どっちにしろ、こちらがいい、あちらがいい、といった「単眼的」に判断するのでなく、 「複眼的」に考えねばならないと思っています。宗教や作者の生きざまと作品とは 密接に連携しているので、目で見えるだけのひじょうに写実的な情報に頼るだけじゃなく、 付加的情報をつけ加える必要があると思うのです。 現実的、と、信仰あつい、という二つの考えは少なくとも当時のイタリア人にとっては 背反はしないと思います。 でなければ、中世キリスト教の呪縛から離れ、自然科学を重んじたルネサンスの芸術作品が、 崇高な宗教的神秘性を我々に提示することはできないと思うのです。 これは、例えばバチカン市国のシスティーナ礼拝堂で、ミケランジェロの天井画や壁画を 見たことがある人にとっては、ごく自然に理解できると考えています。
最後に,このような未熟なサイトに対しリンクを張ってくださっている方々には本当に感謝します。
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