中世の美術といっていいのか・・

初期キリスト教美術

 キリスト教が広まりだした頃は,ローマ帝国が健在であった。ローマ帝国は宗教に対して
比較的自由だったのであるが,キリスト教徒はとっても真面目でほかの宗教を認めず,
と言うことはローマで一般的に普及している宗教儀礼を無視していたりして反感を買ったり,
差別もあったりした(ひどくいじめられた)。教会なんかもってのほか。しかたなく,迫害された
彼らは市街地の外にある地下墓地(カタコンベ)でひそかに集会を開いていた。なんか
日本の隠れキリシタンみたい。(ローマ帝国では,町は生きている人の住むところ,町の外は
死者の住むところ)まあそこでキリストの教えを勉強したりお祈りしていたのだが,
やっぱり何にもないとありがたみがない。というかキリストの姿が想像できないし,字も読めない人も
多かったに違いない。そこで美術が登場し,絵画などが出てきた。お墓だけに死後の世界が
テーマのものが多かったとか。
 あまり上手でないこれらの美術は,キリスト教の発展(イコール,ローマ帝国の崩壊)とともに
地上に出てきて技術的に発達した。教会が地上に建てられたことが大きい。
当初は建前上,教会は聖者の墓の上にしか建設できなかったらしい。なんたって
教会は現実とあの世とをつなぐ場所だったから。(サン・ピエトロ大聖堂は聖ペテロの墓の上に
建てられた。)
 東ローマ帝国がイタリア半島を支配すると,教会の壁面にモザイク画が描かれるようになった。
なんでも,東ローマ帝国の首都コンスタンティノーブル付近は色石が豊富だったから,モザイクが
発達したのだとか。ラヴェンナという町はモザイク画の宝庫。ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ
教会にも素晴らしいモザイク画がある。(モザイク画は一応ビザンチン美術らしいが記述した)

ロマネスク美術

 ローマ帝国滅亡後の西欧に初めて誕生した中世美術。11世紀から12世紀が中心。
キリスト教の重々しさを表現している(と思う)。建築,壁画などに特徴が見られる。

・ 教会の建築様式は,石の厚い壁を基礎としている。だから窓が小さい。中が暗い。
 そのかわり多い壁面を生かしてフレスコ画の壁画が描かれた。教会入り口や柱頭に
 彫刻が刻まれた。南欧ではビザンチン美術の影響が壁画にも見られる。

・ 西欧の人たちは自分たちをローマ帝国市民の末裔と意識し,失われた文明の遺物から
 テクノロジーを発見し,教会建築に生かした。「ローマっぽい・・ロマネスク。」

 

ゴシック美術

 だいたい13世紀から14世紀にかけて,フランスを中心に展開された美術様式。
ヨーロッパ中世のラストを飾る美術。キリスト教建築に特徴がある。
信心深いフランス人らしく,天国にあこがれるイメージが表現されている。

・ 高い教会。天にそびえるような高い柱を中心として建てられているため,ロマネスク建築に
 見られるような分厚い壁が必要なくなった。そのかわり高い建物を維持するための方法として
 アーチ式構造を多用している。厚い壁がないから,代わりに窓を使い,雰囲気作りのため
 ステンドグラスがはめこまれた。そのため,中世で多用された壁画があまり見られない。
 柱の表面にはキリスト教の聖人彫刻が飾られている。外から見ても中に入っても「荘厳」。

・ ゴシック後期は教皇権の没落により,世俗的な作品も出てくる。壁掛け綴織りである
 「タペストリー」がよく見られるようになるのもこのころから。

・ イタリアでは独自の美術が発展した。(イタリアン・ゴシック)イタリア人はフランスなどの
 背の高い建築様式を「野蛮・・ゴート的」と呼んで軽蔑した。(そこから ゴシック と名がついた)
 イタリアではビザンチン美術の影響からか,建築様式も違い,教会の壁面が残り,そのため
 壁画が発達した。ジオットなどが新鮮な表現を残している。

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