ギリシャ・ローマ美術の特徴 キーワード
 中学生のみなさんが、ギリシャやローマの美術というと、まず連想するのが、
 ・大理石で造られた神様の彫刻や神殿
 ・大理石で造られたローマ皇帝の彫刻
などかな。「エンタシス」なんて言葉を覚えている人もいる?歴史の授業で勉強しているはずなので、ここでは、私の行った授業で質問のあったことについて、答えになっていないかもしれないが記す。みなさんも気になっていたことかもしれないから。

「ミロのビーナスは、なぜウエストが太く、はと胸で、肩もがっしりしているのか?ナイスバディではないけれど。」

 一見ふざけた質問である。でもほんとうである。当時の古代ギリシャは、人間の理想、というのを中心とした文化が花開いていた。哲学、という人間のありかたを考える学問ができたり、オリンピックができたりしていた。神様はキリスト教みたいに一人じゃなかった。海の神、戦いの神と、ギリシャの神々はいろいろなのがいた。いろいろな神様がいたという点では人間に近い。そのうちの一人が美の神ビーナスである。ギリシャ人が考える美は、人間の健全な肉体、なので、あのようなビーナスになったと考える。よく見ると、なんかスポーツをやってそうでしょ?ウエストが細すぎるのは、健康的じゃないのである。

「ローマ皇帝の彫刻が造られたのはなぜ?」

 簡単である。皇帝がいっぱい造らせたからだ。ではなぜ?
 当時のローマ帝国の領土はとても広かった。北はイギリス、南はアフリカ、西は大西洋まで、東は中東まで、とてもとても広かった。そうすると、ローマの近くに住んでいる人は皇帝の姿を見たことがあっても、領土の端にいる人は見たこともない。今のようにテレビがあれば総理大臣も大統領も顔見知りなのだが。見たこともない人に統治されているというのは、人は納得いかないものだ。人々を納得させ、反乱を起こさせないため、町役場や市役所や県庁の前に自分の像を置いたのだ。ついでに尊敬できるように、実際よりも強くかっこよい背の高い鎧を着た皇帝像に改造させたのはいうまでもない。

「彫刻は素晴らしいけれど,絵画はどうなの?」

 ローマ時代って,建築や彫刻が発達したと教科書にも書かれているけれど,絵画だって素晴らしかった。立体的だし遠近法も使われた。ポンペイの遺跡内には多くの装飾画が残されている。当時の裕福な家では,壁に風景画や想像画を描くのはごくふつうに行われていた。歴史の教科書で有名なアレキサンダー大王の絵だってポンペイの壁画だしね。あまり現存していないのは保存状態のせいである。彫刻やレリーフと比べると,壁面に顔料を定着させる方法は,弱い。

 今後、質問をできるだけ記載します。私がわからないことについては寄せられた意見をのせますので、ご意見ご質問をどうぞ。

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大理石

 結構彫りやすい。フィレンツェのドゥオーモの外壁の色大理石は、とってもきれい。現在日本にも輸出されている。(某大手石材会社の川俣君談)

ミロのビーナス
 1820年、エーゲ海メロス(ミロ)島で発見されたためそう呼ばれる。

一神教と多神教
 例えばキリスト教は一神教でギリシャの神は多神教。一神教は神様に全能を求め、多神教は一人の神にその道のプロを求める。

細いウエスト
 
フランス宮廷でのウエストの平均は40センチ。おいおい、君の襟カラーぐらいじゃない?

皇帝の像
 現在はないが、当時のローマには信じられないぐらい大きな像もあった。ミケランジェロの造ったダヴィデよりもずっと大きいやつが。
(ダヴィデ像は高さ430センチ)現存しているコンスタンティヌス帝の頭部はでっかいもんなあ。
 皇帝の像の置かれ方は、旧ソ連がまねしていた。レーニン像は役場前の広場には必ず置かれていた。007ゴールデンアイでは、レーニン像がまとめられて捨てられているシーンがあった。

弱いんです絵画って
たとえば,ラスコー洞窟壁画。観光客が触れていなくても,だんだんと退色してしまい,現在我々は観覧することができない。パステル画が少しずつ退色していくこともわかってきた。画面への定着方法が大切らしい。