勤務校で使用している教科書(日本文教出版)や美術資料集に作品がのっている作家です。各人のプロフィールは,私の偏見が多いのですが,尊敬はしているのですよ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonard da Vinci
1452-1519
フィレンツェ近郊のヴィンチ村で,公証人のセルピエロ・ダ・ヴィンチの庶子として生誕。
14歳の時フィレンツェ最大の工房を経営する,ヴェロッキオのもとで修行をする。
あまりに絵が上手だったので,師匠のヴェロッキオは絵を描くのをやめちゃった。
若い頃は美少年で有名だったが,ファッションセンス抜群なことでも有名だった。
軍事技術,都市計画,解剖学,水力学,地質学,工学,さらには楽器演奏と信じられない
ぐらいの才能を現代に示している男。さらに体力にも自信あり。天才とは彼を指す言葉。
パトロン運がないことが玉に瑕。作品づくりの契約をすっぽかしたことが数度あり。前金を
もらっておいて描かないとは・・・ウインドゥズのデスクトップテーマにもなっているほどの男。
彼の考え出した「ぼかし」(スフマート)はすごい。後世に影響も与えた。
・受胎告知
・モナリザ
ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti 1475-1564
ちっちゃな頃にフィレンツェの実質的指導者ロレンツォ・デ・メディチに見いだされ,偉い人たちの指導を受けてきた。20代の作品とは思えない完成度の「ピエタ」「ダヴィデ像」,生まれながらの彫刻家。でも37歳で描いた,システィーナ礼拝堂の天井画「天地創造」は強い意志を持った画家を感じさせる。彼はこの天井画の完成後,疲れで30年は老けて見えたそうだ。それだけ消耗したのに,後年,同じ礼拝堂正面祭壇の壁に「最後の審判」を描いている。
彼の作品は,晩年に近づくほどルネサンス精神の「調和」が消え,不安定と躍動が表面化している。その反面大きな視点からの造形力は我々凡人の想像をはるかに超えている。バチカンに行ったときは,「天地創造」と「最後の晩餐」を見比べてください。首が疲れるけれど・・
でも,当時はレオナルドとフィレンツェの道ばたで口げんかしていたらしい。あり得る・・
・最後の審判
・ダヴィデ像
ラファエロ Raffaello Sanzio 1483-1520
若い頃から師匠の技法を吸収するのがうまかった。フィレンツェでレオナルドの絵を見て感激し,早速技法を吸収した。ローマでミケランジェロの壁画を見て感動し,これも技法を吸収した。その点では,とてつもない男。美形だが37歳で死去するときは肥満体だったとか。享楽的だったらしい。聖母子像が得意。フォルナリーナというギャルと恋に落ちたが,彼女はラファエロの葬式に出ることはできなかった。彼には奥さんがいたからなあ・・彼の墓はローマのパンテオンの中。見に行ってみては?ローマ法王レオ10世のお気に入りだったから,いわゆる売れっ子画家。
・アテネの学堂