ブッタガヤー
今、アーチャンダーホテルに到着しチエックインした。
相変わらず、石牢の中に閉じ込められた気分を満喫できる部屋だ。
地面からかなり離れた天井に近い所に、くり貫きの窓がある。
金網がはめてあり、それにつたが絡まっている。
でも。60Ru
ブッダガヤーと言うのはものすごく素朴な所だ。
だから、ホテルも素朴。チエックインカウンターも無い。
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昨日は二時間遅れで出発した電車は
夜12:50分頃ガヤにつき、どちらの方角か判らないまま駅を出る。
真っ暗なので何処に道があるのか判らない。
道がぬかるんでいて、危険なので、リクシャーに乗る事にした。
二人の日本人はリクシャーに言われるがまま20RuでOKしてしまい。
そのリクシャーに乗ってしまった。しょうがないので、おいらも乗る。
地球の歩き方に書いてあるHOTELを頼むが例のごとく違うホテルに連れて行かれる。
名前は「ブッダ」とある。いかにもだ。
一応部屋も見るか?と言う事でリクシャーを待たせて部屋を見る。
3つのベットが並んでくっついた部屋を見せられ250Ruだと言う。
もぉここで良いよと言う事で相部屋を取った。
80Ru払う。
私たちより前にイイダ(イケダ?)と言う人がチエックインしているのが、確認できた。
どうやらみんなここに連れてこられたようだ。
部屋は…蚊帳を架けるのか、アルミのパイプがベットを取り囲んでいた。
インド式トイレがある、一畳ほどのスペースに、例ごとくシャワーがある。
まぁ。。。ちょっと違うのは、このシャワー水がでねぇよ…
いわゆる、トリプルベットなのか。このベットは。
その両端は、いつの間にか二人の日本人に確保されてしまい。
何故か、よそ者の筈のおいらが真ん中に寝るはめになった。
右側の人と、掛け布団?が繋がって居るので、引っ張られるたびちょっと辛い。
翌朝八時にモーニングコールを頼み、朝食のパンとペプシを頼む。
で、寝る前に10Ruのペプシを持って来てもらって、寝た…
腹の調子は戻ったようだ。朝食のパンはあの、インドサイズが6枚。
贅沢だ。
バターにはアムールと書かれていた。
バラナシで食べていたレストランの外の壁にアムールと書いてあって、
「アムール」と言う屋号だと思っていたが、違うみたいだ。
ペプシ込みで30Ru。
チップは、石を持った眼鏡の人が払っていた。
この二人、一緒に来たらしのだが、寡黙である。
しかしお金の事に関しては二人の仲で取り決めがあるらしく、厳しい。
さすが、国立(?)しっかりしている。
だが、カルカッタでは$払いのホテルで豪勢にインドの最後を飾る予定だそうだ。
10分おきにホテルのボーイ(?)がバケツにお湯を汲んで持ってくる。
シャワーの代わりに昨日頼んだ物だ。
トイレのバケツにそのお湯をあけると帰っていく。
ジャンケンで一番負けたので、最後になったが
最後は、ボーイがお湯を持ってきたステンレスの綺麗なバケツを
そのまま置いていってくれたので、助かった。
何故かって?
前にバケツ行水をした日本人曰く。
トイレのバケツ(プラスチック)は、
バケツ自体が何やら茶色いモノが下にこびり付いていて。。。。。。
「綺麗になったのか。汚くなったのか、判らない…」
と、言う事だ。
ジャンケンで負けた事に感謝。
行水をする。
…バケツは綺麗でも、やっぱり、複雑な気分だ。
だって。。。柄杓は……
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チエックOUT
二人は、日帰りだそうで、荷物をここに預けての観光らしい。
俺は、荷物を持って行く。
オートリクシャーを一人当たり30Ruで捕まえる。
俺が一人でGETするよりは、安く済んだが。。。
相変わらず。ここでも二人に挟まれる。。
ねぇ・・。仲悪いの・・?
まぁ、そんな事は聞かないが。
荷物を腹の上に乗っけていたので。
「そぉ言えば舗装されていた事もあったかな…」
なんて言うようなGAYAの道路では死ぬほど苦しかった。
ところで、この腹痛、まるで筋肉痛のような痛みだ。
小さな、リクシャーがバウンドするたび、腹に鈍痛が走る。
痛いって…
郊外へ進むと、抜かるんではいるものの幾分道がまともになった。
川沿いの道まで来ると感動的なまでに美しい。
ここまで、綺麗な環境のなかなら、ブッタちゃんも悟りたくなるだろうて。
川沿いの岸にはまだ生まれて間も無いヤギ達。子供をはらんでいるヤギ。
沼には青々と茂る稲科の植物。釣りをする人、水に浸っている牛、
驚くほどきちんと並んでいる広葉樹。緑の刈り揃えられたかのような、
草の絨毯から、同じぐらいの樹齢の木が並んでいる。
樹齢20年ぐらいのモノだろうか。
樹齢100年を超すものまでその秩序のなかにおかれている。
人が植えたモノでないとしたら、自分のテリトリーを的確に守っており。
その木が大地に降ろす根の広さに合わせて、感覚が開いている。
その幹の間から見える川の水面。その中腹に砂漠のような中州。
はるか向こう岸に見える平原。あれがスジャータなのか?
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ブタガヤーに付いた。
オートリクシャーのウンちゃんが帰りも送っていくと言い出した。
が、俺はここで一泊する予定なので。彼等に任せよう。
そこだへんに、居た日本人のカップルに聞いて。
「アーチャンナー」ホテルの大体の場所を聞き。彼等と別れた。
来た道を戻る。
途中リクシャーなどに声を掛けられるがその中にチベット風の(ボウズ頭の)人が
「アーチャンダーは俺が働いているレストラン「ポルポル」の近くだ」
と言って。俺にあとでポルポルに顔を出せと言って去っていった。
親子丼〜〜卵丼〜〜などと、片言をのたまって帰っていった。
薬局らしき所で道を聞くと、この近くだと言う。
子供が寄ってきて案内してくれた。
ホテルの隣の雑貨屋さんにはさっきのポルポルコックのボウズが店番をしていた。
ホテルにはチエックインするような所はなく。
子供が何事か階上にむかって叫んでいる。
すると、三階(子供に連れられて、二階まで上がった。)から。
小さな子供を抱えた髪を後ろで一本に編みこんだ綺麗な人が降りてきた。
そぉ言えば、こっちの人は。特に子供には顕著に現れるが、
目がパッチリしていて、かつ、眉がキリリとしているので、
最近日本で流行っている顔なのでわないだろうか。顔小さいし。
内田由紀とか。北浦共笑とか……
なんか、怒られそうな名前を挙げてしまったが。
色の問題さえなければ、奴等インド系だな……問題発言か?
まぁ、可愛いと言う事が言いたかったんであって。。。。。。
まぁ…ここまで、書いた所ででかけよう。
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3:10分一時帰宅(?)
帰ってくるつもりはなかったが。おなかの調子が良くなかったのと。
リクシャー二台に囲まれ、かつ日本語の出来るインド人の出現により、
ここまでそのリクシャーに乗って帰って来てしまった。
子供たちも凄かったし。
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ホテルを出た後いろいろなお寺を回る。
メインのマハボーティ寺院は改築中であった。
俺は、どぉもインド人の仕事の雑さが気に食わない。
生活で手いっぱいと言う所もあるだろうけど、
再建築のために壁に塗りつけられているコンクリートには
芸術性のかけらも残されてはいなかった。
カメラ持ち込み料5Ruを払って。靴を脱いで寺の敷地に入る。
別に、写真を撮るのが好きと言うわけでもないし。
撮るつもりもなかったのだけど。せっかくだからと、トリマクル。。
ぁあ。日本人満喫。
ここで、かの。「アサハラ」が瞑想したのかな?
菩提樹の木で立派なのが境内にあった。
しかし、おいらは、ここの境内よりも。
向かいの誰も居ないような墓?というか、祠の集合の方が気に入った。
誰も居なかったし。…もしかしたら入っちゃいけないとこだたかのぉ…?
まぁ。なかなか、よかった。見てきてみ。
裸足で踏んづけてしまった鳥のふんetcを水道で流すと。
濡れた足でサンダルを突っかけて、道端でカンカンとステンレスのお皿を鳴らす人や。
片言の日本語で迫ってくる人を振り切って中国寺まで来たが。
二時までは閉まっているらしい。。。。。。。。。。
しょうがないので、タイ寺まで来たが。。。。。。
だから、二時まで閉ってるんだって。。。。。。。。。
と、気が付いた。。。。。。。。。
途中、なにも無いような仏像美術館によったが、内容が無いだけに、
話す事も何も無いのでやめておこぉ…
そぉ三分と持たなかった……
タイ寺の向かいに椅子がおいてあって、長いテーブルがあったので、
ここはレストランか?と聞くと、そぉだ。と言うので食事にした。
辛くないカレーとチャパティを頼む。
注文してから作ってくれるようだ。
この店は電源を入れるのに直接伝染を
コンセントを突っ込んでスパークさせている。
ワイルドだ。
向かいの二人組みがジャパーンの所しか聞き取れないが、
日本の事をしきりに話していることだけは、わかる。
おやじは、ステンレスのコップに鉄ベラを突っ込んで
ガチャガチャやっている。香辛料でも潰しているのか…?
ジャガイモを潰しているのか。。。
チャパティーは4枚ぐらい出てきた。悪くないね。ふっふっふ。
カレーもそんなに辛くなくて、どちらかと言うと。。。
いや、今までのカレーで一番うまかった。
まったく、ここは素朴で良い所だ。
あたりまえなのかもしれないが、当たり前の自然が多くある。
人々は擦れてないし。まぁ、その分英語とかは通じなかったり、
何故かべらべらに日本語を話す怪しい人が居るけど…
何故か、玉ねぎの入った卵焼き、ペプシの代わりに
コカコーラがインド向けに作っているのか。トリンプスUPと言う
なんかインド臭いコーラを飲んだ。
合計で25Ruうむ、。。。これがインドだ。
豪勢だと思うが安いと思う。(これだけ食べれればね。)
ほんとに、お寺は何も無くあっちこっちの寺で1Ruづつ
賽銭をなげて、旅の安全だけを祈って帰って来る。
ある意味、切実な願いだ……
まぁ、退屈なところだけどさ。。
これだけ、自然があると、おいらは田んぼにざぶ〜〜んと
入って魚を捕ったり、なんかカエルとか居るし。小魚泳いでるし。
で、小犬のようにうずうずしてしまうが。
(注:もっとも、こっちの犬っころは寝そべったまま動く気配はないが・・)
寺の石段に腰掛けながらボーッとしていると、何人かの日本人と、
とても金持ちそうな靴下なんかを履いちゃってる家族が通り、
カメラなんかを持ってたりする。うむ。金もち。
娘さんとか綺麗で、流し目されると、反射的に見てしまう自分が悲しい。
寺の外で、待ち構えてる子供たちにチューインガムをあげたら、
どんどんどんどん増えてきて入れ替わり、立ち代わり、
あっという間に全部無くなってしまった。もともとあげるように
持っていった物だけれど。
その後にそれを聞きつけてやって来たのか…子供たちが、さっきから。
俺が寺の外に出るのを待ち構えている…
だから、こぉして。階段に座って、金持ち家族なんか見てなきゃならんのだ。
まぁ、そんなこんなもあって、今リクシャーで帰って来たわけであるが。
リクシャーは俺を捕まえるわりに、英語通じないし。
二人もワーラが来たけど。。。。値段の交渉もできやしない。。。
さらには、目的地も通用しないし…
どぉしようか、悩んでいると。スクータァに乗ってニケツした
怪しく日本語を操るインド人(これが、うわさのインドの不良か?)
に、なんか強引にリクシャーワーラァを決められ、乗る事になって
ホテルまで戻ってきた。という訳さ。
リクシャー代は10Ruだったが、50Ru札しかないかったので、
近くの雑貨屋でリムカと言う、着色料黄色5号かなんか、
入ってそうなジュースを10Ruで買う。
が。。。やっぱり、ここにもお釣はなくって、、当たりをさ迷って
お金を崩していた。リムカのビンを返すと2Ru帰って来るらしい。
8Ruになった。
リクシャーの親父は10Ruを受け取っても何処にもいかない。
おいらが、リムカを飲んでいる間ずっといる。ビンを返さなきゃ
いけないので日本から水筒として持ってきた十六茶の500ml
ペットボトル(まだ、もっていた。)の中の水を捨てリムカを入れた。
ビンを返し。リクシャーの親父に足りないの?と聞くが。
判らないみたいだし。
OK?と聞くと、うなずいているようなので、そのまま帰ってきた。
帰ってくる途中一緒に来た日本人二人に会った。スジャータに行ってきたそうだ。
やっぱり、綺麗な自然があるらしい。が、子供がうわっっと群がって来て
もぉ大変な事に成ってるらしいから、気を付けてとの事だそうだ。
歩いて行ける所らしから、もぉ一休みしたら出かけようかなと思う。
何故か釣り糸なんぞ持っているので、針があればカエルでも付けて
釣りがしたい。
自然の中でぼーっとするのが、俺は見て回るよりは好きだな。
人が作ったものは、制作時間の1/30も見てりゃ飽きてしまう。
最初からなにもない退屈と言うのは俺を飽きさせない。
そぉ言えば、二つ目の日本寺でアーグラーで三時間見て
聞き続けたあの恐ろしくくどいあのサントラが流れていた。
あの映画はヒット作だったのだろうか?
こんなところで聞くとは思わなかった。
テープ欲しいな。ちょっと思う。
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ホテルの部屋のドアを開けっ放しにしているので、外の子供たちの声が
ウルサイ。
このドア立て付けが悪く、しっかり閉らないのだ。。。。困った。
出かけよう。
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ホテルの一階の階段の所にはワンコが寝そべっており。
バナラシでリクシャのおじじがいった事を思い出したね。
印度では、この犬がガードマンなんだってよ。
宿屋のおねーさんに追い出されていた。哀れな犬。
話は飛ぶが、多分この人純粋なインディではないかもしれない。
(ここらへんに、住んでいるひと全体的にそうかもしれんが…)
少し、肌の色が白いので、ネパールの1/4とか。日本人?が1/8とか、
入ってるのでは、なかろうか…
この町の人は、髪を後ろにまとめて縛る人が多いね。。。
今までの、所とは、ちょっと文化が違うのかもしれない。。。。
日本語話す奴の方が多いし…
仏教だから。外国人と言うと、ネパールか、日本人なんだろうな。
そぉ言えば、スクータァの日本語を喋るインド人。
略して、スク日インは。来日した事あるそうだ。。。
東京にいったそうだが。
おいらの、住んでる、三鷹。。。と言うと。
知らないらしい。まぁ知らなくても良いのだけど。
東京だといってるのに、田舎か?と聞かれたのでかなりカチンと来た。
ミタカっ子をなめやがって。
まさか、ブッタガヤーで故郷を田舎呼ばわりされるとは思わなかった…
そぉそれと、この「スク日イン」(あぁメンドクサイ略し方だな!)
俺達がブッタガヤーに日本人三人で乗り込んできた事をチエック済みらしい。
おそるべし。
ある意味、日本にいけるほど稼いでるんだからな…侮れんわ。。。
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スジャータ村に行ってきた。
すばらしいいいいいいい!!!!!!!!
これほどまでに、自然と、農村風景が美しい所はないと思う。
まだ、作りかけのコンクリートの橋を600mぐらい歩くと、
(大袈裟か?300mぐらいかな…)スジャータ側の岸に着く。
それまで、何度となく止まってはその景色を眺めずには
いられなかった。
子供が止まるたびに寄ってくるのすら、気にならなかった。
が、その子供たちも向こう岸に着くころには。淘汰され。
一人の子供が俺専属のガイドになって居た。
他に寄ってくる人を適当に追い払ってくれるのでありがたい。
おいらが、木などを見るたびに立ち止まるのが、珍しいらしかったが。
ヒンドゥ語で名前などを教えてくれた。
が…それを、覚えられるほど頭が良くない……
本当に、景色に見とれながら歩くには良い所だ。
少年はスジャータテンプルに俺を連れていった。
何の寺か判らないがサイクル学(そんなものあるのか?)を専攻している
インド人が出てきて、日本の学校の先生をしていると言い出した。
なんじゃ、そりゃ。と思ったが。
どうやら、日本が出資している学校の先生をしているらしかった。
賽銭箱に金入れろと言う。
直接もらおうとしない分良心的かな。
賽銭箱に、お金を入れ、ノートに名前と。
寄付金額を書いてくれと言う。
入れる前に、書いたので。
おいらは、ノートには2Ruと書いたが。
実際は4Ru入れたぞっと。。。
ノートには一ツ橋大学四年(判明)のO倉さんが書いてあった。
何故かTEL番まで書いてある。謎だ…
俺も、まけじとE−MAILEのアドレスを書いてきた。
間違えたかもしれないけど…
そこをでると三人の大人乞食が寄ってくる。
「アロー」というのは少年ガイドによると金をくれと言う意味らしい…
今までずっと、「ハロー」と言っているのだと思っていた。
「アロー」と言われて、今までずっとおれも「あろ〜」と答えていた。
むちゃくちゃな会話だな。
「金くれ〜」と言うセリフに、「金くれ〜」と答えていた事になる。
少し疲れた。座りたかったので、座る。
ここで俺が「アロー」と言えば、通りすがりのインド人は俺に金をくれるかな?
と、少年に聞くと。少年は首を斜めに振った。
中途半端なYESらしい。
試して、見たかったが。勇気が無かったので辞めた。
案の定少年はガイド料を要求してきた。
「ビスケットじゃ駄目か?」と聞くと駄目らしい。
子供のくせにしっかりしてやがる。
まぁ、有意義だったのでいいかな。と思いつつ10Ru払う。
不満らしい。
しょうがないので20Ruと交換してやった。
道であった人にビスケットをあげたり、ガイド君にあげたり、
意味も無く座り込んだり。歩き回ったり。ここはいいね。
再び橋の上まで来ると、橋のたもとでポコラを買って来た。
ひとかけらもらった。
今度は、俺にサモサを買えと言う。
2Ruらしいが。。。
時間を掛けてじっくり、橋の上に座りこんでいたので。
おなかが空いたので帰りたいと言う事らしい。
まぁおこちゃまを何時までも引き止めておくわけにはなるまいて。
彼は仕立て屋の息子らしい。
確かに、そぉ言われると他の子よりも着てる物が立派だな。
自分の服も自分で作ったらしい。縫い目を見させてもらったが、
なかなか職人だ。
少なくとも、この作りかけの端を作ってる人よりは仕事に逃げが無い。
だって、この橋…肉眼で見ても、歪んでるじゃん……
さすが……
少年は、学校とかの類には行ってなそうだ。
でも、英語はまぁ必要な事は伝えられる程度に出来る。
THISONEと言うのを多用してた。。
少年はブッタガヤーサイドに戻ってくるとトモダチに20Ruを
自慢していた。あげ過ぎたかな。
(金銭的な問題じゃなくて。年齢を考えて…)
少し、反省した。
最初のサモサ屋で2Ru札をだす。
すると、何故か日本語の話せる人が出てきて、
「ボロボロですね。駄目ですこんなんじゃ。」
と片言の日本語で言われた……
札の事らしいが・・・・
内心と言うか。かなりカチンと来たので、店を変えた。
次の店で、三角の何やらよく判らないモノを包んであげたものを
(これが、サモサ)
二つ買い(2Ru)一つを少年にやる。
少年は満足してどっかに行ってしまった。
おいらは、サモサをモサモサ食いながら部屋に戻ってきたという訳だ。
しかし、相変わらず。腹痛が鈍痛となって続く。
でも。食べる。
おなかが空いたらポロポロレストランに食べに行こう。
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ところで。。。今日一日で観光名所は全部回ってしまった……
明日どうしよう……
スジャータに行って木の下で物乞いでもしながら、一日過ごすかな。
それとも。なんか、迫力の無い寺で(あれだったら、京都の方がいいよ…)
座禅大会でもするかな。足しびれるかな…
両替してからの出費の正確な値は分からなくなってしまったが。
現在。
6739.25Ru+360$+241円
が全財産…
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夕飯をポルポルに食いに行った。。。。
と、書きたい所だけど、ポルポルまでたどり着けなかった。。。。
ろうそくほどの光も無いこの町で日が暮れてからよそ者が出歩くのは不可能。
すぐ近くにある筈なのだけど。分からない。
そこら辺に居た人に聞くと、この道を24mあっちだそうだ。
と言うので、50mほど進んでみたが。人気が無くなり。
インドの妖怪でも出てきそうな具合だったし。
例のインド人のイノセントな道案内ほど恐い物は無いので。
諦めた。
というか。流石に恐い。。。。
少し先に明かりの漏れているところが!
人影が見える。近寄っていって、ポルポルどこ?
と聞くと、中に入れと言う。。。。
まさか?と思ったが、聞いた人が不味かった。
ここは、飲食店らしい。。。
もし、まだカーストが残っているのなら、
この店はそして客層は下位に属するのかも……
真っ黒な人が2〜3人居た。
何を食べる?と聞くがメニューは無い。
何と言っても…とりあいず、ペプシを頼む。
腹を括って。
カレーとチャパティを頼む。
なんか、ライスまで付いてきた。冷たかったけど…
チャパティは二枚。チャパティも暖かくはなかった。
小さな赤い玉ねぎをスライスしたものが付けられていた。
食べてみるが、生だったので。2欠片だけで、諦めた。
カレーはナス入り。
昼間のと違い水っぽい。
(水っぽいと言うのは不適切かもしれない。汁っぽいというべきか。)
ライスに掛けて食べた。
後から、じわりと来る辛さだ。
あと、よく分からないが、小皿に塩が盛られてきた。
なんだか、縁起が悪いのか?それとも、日本酒でも飲めと言うのだろうか。。
そんな感じの盛りかただ。
食べた後の所にハエちゃん(?それさえも謎)が
飛び込んできてひっくり返って足をばたつかせている。
羽がくっついてしまったのだ。
飯を食い終わるまで、ずっとばたばたしていた。
塩は……
そぉ。せっかくだから、ペプシを飲む時塩をなめながら飲むという、
訳の分からない事をしていた。
お店は天井にぼろ布を巻いたホッタテ小屋。(と言っちゃ失礼か・・)
かまどがあり。戸棚に、お金とかをしまって、管理しているらしい。
布の屋根にもしっかりFANが付いていた。
全部でいくら?
と聞くと、少し考えてから。24Ruと言った。
少し考えたと言う所に、ちょっとぼってやろうと言う
心理があったのかもしれないが。まぁ。25Ru以内なら上等だ。
しっかり、払って出てきた。
帰り道もやっぱり暗い。
で。やっぱり。ホテルのドアは開けるのに苦労する。
昼もそぉだったが、カレーの中に入ってるがりがりした物は
なんだったのだろうか。
石だったりして…
あぁ。にしても、俺の腹は一体どぉなってしまったのか。
何故こんなに痛むのか。
そして、どぉしてこんな泥をこねくり回した物しかでないのだ。。。
あるいみカレーを食っているからか。。。
いや…辞めておこう。これ以上言うのは。。。。。
あと、一週間カレーを食べなきゃいけないし。。。。。
日本に帰ってからも食べるだろうから………あぁイタイッス。